2016年3月13日(日)
24年目に入って最初の、カントリーウオークグループの例会に参加した。集合はいつ
もより1時間早い9時にJR常磐線取手(とりで)駅。午前中に乗る利根川の渡しの乗船
人員の関係で2組に分かれ、9時9分に東口を出た。
== 取手宿旧本陣など巡り小堀の渡しへ ==
線路に近い緩やかな坂を北東に上がり、まずは取手一高の南側のこぢんまりした地蔵堂
へ。新四国相馬霊場第20番札所で、境内に屋根付きのつるべ井戸が残る。
取手一高の東に回ると井野天満神社がある。室町末期の天正元年(1573)の創建と
か。拝殿前には生花が飾られ、近くに新しい撫で牛像が置かれていた。
東側の鳥居の横にカシの古木が目に付くが、ほかに高木は少ない。でも、盛りを過ぎた
が梅は何本も花を見せ、スイセン、クリスマスローズ、サンシュユなどが咲き競い、早春
の彩りにあふれている。
東に下って台宿二丁目の東側を南下して、Y字路際に祭られた香取神社に入る。江戸初
期の正保4年(1647)の建立で、新しい社殿は平成8年(1996)末の竣工という。
境内のハクモクレンが咲き出し、交差点を挟んで、新四国相馬霊場第4番と不動堂の小
さなお堂が並んでいた。
西に回り、駅に近い取手二丁目の台地上にある広い境内の長禅寺に行く。平将門が祈願
寺として承平元年(931)に創建したと伝わる古寺。江戸初期に当地に移り、徳川家光
から朱印地5石3斗を賜り、以後代々の将軍からも朱印地を賜っていたという。
茨城県指定有形文化財の三世堂は、宝暦13年(1763)の建立。外観は2層だが内
部は3層のさざえ堂形式になっていて、守本尊の十一面観音と、坂東、秩父、西国のあわ
せて百観音霊場の本尊が安置されている。
境内はケヤキの高木など樹木が多く、中心の池にはニシキゴイが泳ぎ、梅やユキヤナギ、
カンヒザクラなどが花を見せていた。
山門を出て急石段を下った南側の県道11号・水戸街道に、漬物の新六本店と田中酒造
店が並ぶ。新六本店は明治時代の創業で、キュウリやナスなどの粕漬けで知られているよ
うだ。
田中酒造店は明暦元年(1655)の創業とか。店の前に大きな酒樽のオブジェが並ぶ。
店内に五月人形が飾られていたので入り、動きのある姿の飾りびなを拝見する。明治天
皇行幸の折、陛下ののどを潤した功により下賜された銘柄が「君萬代」だという。
東南に少しで「旧取手宿本陣染野家住宅」があり、公開していたので表門を入った。
染野家は代々取手宿の名主で、貞享4年(1687)に水戸徳川家から本陣を命ぜられ
たとか。現在の主屋は寛政7年(1795)の再建で、ほぼ当時のままという。かやぶき
屋根正面の入母屋破風(いりもやはふ)が、風格を感じさせる。
構内の紅梅やミツマタ、サンシュユ、カンヒザクラなどが彩りを添える。
西側斜面を上がると、天保11年(1840)江戸から水戸への帰途、水戸藩主徳川斉
昭が読んだ自筆の歌碑が立っていた。
そばに立つ高く枝を伸ばすムクノキは、市の保存樹木である。
水戸街道をさらに進み、北側の石段を上がると、新四国霊場2番の念仏院。
境内は狭いが、本堂前に市の保存樹木のイチョウが高く枝を広げ、相対して「とりで利
根川七福神」の福禄寿が立っていた。
少し戻り南側の八坂神社へ。宝永4年(1707)建立という石鳥居を入った正面に、
社殿が祭られている。
背後の本殿は明治39年(1901)の竣工。当時の名工の木彫が施されているが、覆
い屋にネットが被され、よく見えないのが残念だ。
境内には、ご神木で樹齢300年以上という大イチョウが2本あり、「子授け安産の木」
「子育ての木」としてあがめらているとか。ほかにも何本かのイチョウがある。
市民会館の横を進んで利根川の左岸堤防に上がると、眼下に取手緑地運動公園が広がり、
上流にはJR常磐線の鉄橋が望まれる。
公園の駐車場横を湖岸まで下って、「小堀(おおほり)の渡し」の乗船場に行く。
以前この辺りの利根川は蛇行していたが、大正9年(1920)に直線化工事が完成し、
小堀地区は河道の南側に分断された。不便になった小堀地区では、住民が渡しの運行を始
め、のちに取手町営となり、現在は上流の常磐線鉄橋下と対岸との3か所を結ぶ渡し舟が、
水曜と年末年始を除いて、1日7回運行されている。
乗船定員が12名なので、今日の参加者17人は2組に分かれ、われわれ後半は11時
20分発の渡船に乗る。
まずは上流のJR鉄橋そばの船着場に向かって遡行する。豊富な流れは緩やかで10分
ほどで着き、折り返して対岸下流に向かう。
今度は速度が上がり風が冷たい。今日は真冬並みで気温も7℃前後か、寒いのをがまん
して11時47分に右岸の小堀船着場に着き、待っていた前半組と合流する。
ナノハナ咲く堤内の草地を進んで、交通量の多い堤防沿いの車道を横断する。正午近く、
近くの常圓寺に入り、本堂に接する集会所の濡れ縁に並んで昼食にした。
== 静かな里道を回り湖北駅へ ==
常圓寺は、千葉重胤(しげたね)の家臣により寛文2年(1662)の創立とか。境内
には新四国霊場第9番のお堂や、聖天尊堂、聖徳太子堂など小さいお堂が並ぶ。
道路側には寛文11年(1671)銘の十九夜塔や、青面金剛、勢至菩薩像など江戸時
代の石像が多く、土中に半分以上埋もれたものもある。
隣接する水神社は寛文8年(1668)の創立、常圓寺とともにケヤキの高木が幾つも
目に付く。ミーティングと写真撮影をして、12時45分に寺を出た。
東側に回って小堀集落の中心部を北東へ。1本の木に紅白の梅が咲き、アセビが花を見
せる。フキノトウはあちこちで咲いていた。
利根川の河川改修で取り残されて「古利根沼」と名を変えた、旧河道の湾曲部左岸に出
る。「利根川百景、茨城自然100選」の看板が立ち、沼が県境で対岸は千葉県我孫子市
である。
車道に戻り、古利根沼の東北端で利根川への流入部を横断し、近くのY字路で県境を越
えて、我孫子市下根古屋集落に入った。
沼の右岸を少し南下して左へ、浸食が進んで薄暗いところもある竹林の間を進む。下根
古屋の東北端の田んぼに、田の神だろうか小さい祠(ほこら)が祭られていた。
利根川右岸沿いに続く二つの老人施設を見ながら集落の東を回り込み、特養老人ホーム
和楽園前で小休止する。
南西の中峠下(なかびょうしも)集落に入り、新四国相場霊場60番の照妙院不動尊へ。
創建年代は不詳だが、元文5年(1740)の中峠村の記録に記載されていることから、
それ以前には創建されていたらしい。
この寺の境内にも古い石仏が幾つも並び、ムクロジの古木と気根の下がるイチョウの古
木があった。
国道356号を横断して「北向薬師堂」とも呼ぶ中里薬師堂の横を鍵型に通過する。傍
らに小さい子安堂も祭られていた。
今日のゴール、JR成田線湖北(こほく)駅には14時33分に着いた。14時48分
発上野行き上り電車に乗る。今日は一日中気温が上がらず真冬並み、風邪気味の私はマフ
ラーが外せなかった。
(参加 17人、天気 曇、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 取手、歩行地 茨城県
取手市、千葉県我孫子市、歩数 16,200)
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24年目に入って最初の、カントリーウオークグループの例会に参加した。集合はいつ
もより1時間早い9時にJR常磐線取手(とりで)駅。午前中に乗る利根川の渡しの乗船
人員の関係で2組に分かれ、9時9分に東口を出た。
== 取手宿旧本陣など巡り小堀の渡しへ ==
線路に近い緩やかな坂を北東に上がり、まずは取手一高の南側のこぢんまりした地蔵堂
へ。新四国相馬霊場第20番札所で、境内に屋根付きのつるべ井戸が残る。
取手一高の東に回ると井野天満神社がある。室町末期の天正元年(1573)の創建と
か。拝殿前には生花が飾られ、近くに新しい撫で牛像が置かれていた。
東側の鳥居の横にカシの古木が目に付くが、ほかに高木は少ない。でも、盛りを過ぎた
が梅は何本も花を見せ、スイセン、クリスマスローズ、サンシュユなどが咲き競い、早春
の彩りにあふれている。
東に下って台宿二丁目の東側を南下して、Y字路際に祭られた香取神社に入る。江戸初
期の正保4年(1647)の建立で、新しい社殿は平成8年(1996)末の竣工という。
境内のハクモクレンが咲き出し、交差点を挟んで、新四国相馬霊場第4番と不動堂の小
さなお堂が並んでいた。
西に回り、駅に近い取手二丁目の台地上にある広い境内の長禅寺に行く。平将門が祈願
寺として承平元年(931)に創建したと伝わる古寺。江戸初期に当地に移り、徳川家光
から朱印地5石3斗を賜り、以後代々の将軍からも朱印地を賜っていたという。
茨城県指定有形文化財の三世堂は、宝暦13年(1763)の建立。外観は2層だが内
部は3層のさざえ堂形式になっていて、守本尊の十一面観音と、坂東、秩父、西国のあわ
せて百観音霊場の本尊が安置されている。
境内はケヤキの高木など樹木が多く、中心の池にはニシキゴイが泳ぎ、梅やユキヤナギ、
カンヒザクラなどが花を見せていた。
山門を出て急石段を下った南側の県道11号・水戸街道に、漬物の新六本店と田中酒造
店が並ぶ。新六本店は明治時代の創業で、キュウリやナスなどの粕漬けで知られているよ
うだ。
田中酒造店は明暦元年(1655)の創業とか。店の前に大きな酒樽のオブジェが並ぶ。
店内に五月人形が飾られていたので入り、動きのある姿の飾りびなを拝見する。明治天
皇行幸の折、陛下ののどを潤した功により下賜された銘柄が「君萬代」だという。
東南に少しで「旧取手宿本陣染野家住宅」があり、公開していたので表門を入った。
染野家は代々取手宿の名主で、貞享4年(1687)に水戸徳川家から本陣を命ぜられ
たとか。現在の主屋は寛政7年(1795)の再建で、ほぼ当時のままという。かやぶき
屋根正面の入母屋破風(いりもやはふ)が、風格を感じさせる。
構内の紅梅やミツマタ、サンシュユ、カンヒザクラなどが彩りを添える。
西側斜面を上がると、天保11年(1840)江戸から水戸への帰途、水戸藩主徳川斉
昭が読んだ自筆の歌碑が立っていた。
そばに立つ高く枝を伸ばすムクノキは、市の保存樹木である。
水戸街道をさらに進み、北側の石段を上がると、新四国霊場2番の念仏院。
境内は狭いが、本堂前に市の保存樹木のイチョウが高く枝を広げ、相対して「とりで利
根川七福神」の福禄寿が立っていた。
少し戻り南側の八坂神社へ。宝永4年(1707)建立という石鳥居を入った正面に、
社殿が祭られている。
背後の本殿は明治39年(1901)の竣工。当時の名工の木彫が施されているが、覆
い屋にネットが被され、よく見えないのが残念だ。
境内には、ご神木で樹齢300年以上という大イチョウが2本あり、「子授け安産の木」
「子育ての木」としてあがめらているとか。ほかにも何本かのイチョウがある。
市民会館の横を進んで利根川の左岸堤防に上がると、眼下に取手緑地運動公園が広がり、
上流にはJR常磐線の鉄橋が望まれる。
公園の駐車場横を湖岸まで下って、「小堀(おおほり)の渡し」の乗船場に行く。
以前この辺りの利根川は蛇行していたが、大正9年(1920)に直線化工事が完成し、
小堀地区は河道の南側に分断された。不便になった小堀地区では、住民が渡しの運行を始
め、のちに取手町営となり、現在は上流の常磐線鉄橋下と対岸との3か所を結ぶ渡し舟が、
水曜と年末年始を除いて、1日7回運行されている。
乗船定員が12名なので、今日の参加者17人は2組に分かれ、われわれ後半は11時
20分発の渡船に乗る。
まずは上流のJR鉄橋そばの船着場に向かって遡行する。豊富な流れは緩やかで10分
ほどで着き、折り返して対岸下流に向かう。
今度は速度が上がり風が冷たい。今日は真冬並みで気温も7℃前後か、寒いのをがまん
して11時47分に右岸の小堀船着場に着き、待っていた前半組と合流する。
ナノハナ咲く堤内の草地を進んで、交通量の多い堤防沿いの車道を横断する。正午近く、
近くの常圓寺に入り、本堂に接する集会所の濡れ縁に並んで昼食にした。
== 静かな里道を回り湖北駅へ ==
常圓寺は、千葉重胤(しげたね)の家臣により寛文2年(1662)の創立とか。境内
には新四国霊場第9番のお堂や、聖天尊堂、聖徳太子堂など小さいお堂が並ぶ。
道路側には寛文11年(1671)銘の十九夜塔や、青面金剛、勢至菩薩像など江戸時
代の石像が多く、土中に半分以上埋もれたものもある。
隣接する水神社は寛文8年(1668)の創立、常圓寺とともにケヤキの高木が幾つも
目に付く。ミーティングと写真撮影をして、12時45分に寺を出た。
東側に回って小堀集落の中心部を北東へ。1本の木に紅白の梅が咲き、アセビが花を見
せる。フキノトウはあちこちで咲いていた。
利根川の河川改修で取り残されて「古利根沼」と名を変えた、旧河道の湾曲部左岸に出
る。「利根川百景、茨城自然100選」の看板が立ち、沼が県境で対岸は千葉県我孫子市
である。
車道に戻り、古利根沼の東北端で利根川への流入部を横断し、近くのY字路で県境を越
えて、我孫子市下根古屋集落に入った。
沼の右岸を少し南下して左へ、浸食が進んで薄暗いところもある竹林の間を進む。下根
古屋の東北端の田んぼに、田の神だろうか小さい祠(ほこら)が祭られていた。
利根川右岸沿いに続く二つの老人施設を見ながら集落の東を回り込み、特養老人ホーム
和楽園前で小休止する。
南西の中峠下(なかびょうしも)集落に入り、新四国相場霊場60番の照妙院不動尊へ。
創建年代は不詳だが、元文5年(1740)の中峠村の記録に記載されていることから、
それ以前には創建されていたらしい。
この寺の境内にも古い石仏が幾つも並び、ムクロジの古木と気根の下がるイチョウの古
木があった。
国道356号を横断して「北向薬師堂」とも呼ぶ中里薬師堂の横を鍵型に通過する。傍
らに小さい子安堂も祭られていた。
今日のゴール、JR成田線湖北(こほく)駅には14時33分に着いた。14時48分
発上野行き上り電車に乗る。今日は一日中気温が上がらず真冬並み、風邪気味の私はマフ
ラーが外せなかった。
(参加 17人、天気 曇、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 取手、歩行地 茨城県
取手市、千葉県我孫子市、歩数 16,200)
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