あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

フランス8日間の旅 第2日(モナコ、エズ、ニース、アルルからアヴィニョンへ)②

2013-06-15 21:58:33 | フランス旅行
 第2日 2013年5月29日(水)(続き)

 海に浮かぶ大型観光船や落ち着いたレンガ色の屋根の広がるニースの町並みを見下ろし、
バスはやがてニースの市街地に入る。



 四角い顔のような建物の図書館前を通過し、落ち着いた彩りの4~5階建ての建物が並
び、トラム(路面電車)の走る中心街でバスを降りた。


 ニースは、コート・ダジュール最大のリゾート地でフランス第5の都市。華やかな観光
地として世界中から観光客が訪れ、夏のバカンスシーズンはもとより、冬の避寒地として
も人気が高いという。


 陽光に明るい旧市街の町並みを進んで昼食をする「La Casita」というレストランに入り、
ニース風サラダを中心の昼食を。

 ちなみに、ここでは野菜がたっぷりと出たが、その後回った各地では野菜類はほとんど
味わうことが出来なかった。

 昼食の後は、「プロムナード・デ・ザングレ(Promenade des Anglais)」と呼ぶ地中
海沿いの海岸の散歩道に向かう。


 明るい太陽の下でゆっくりと飲食を楽しむ人たちがあちこちで見られ、街灯はきれいな
花で飾られている。



 海岸のプロムナードに出ると海に面して椅子が並び、砂浜に肌をさらしている人も多い。

 海からの風はかなり強く帽子が飛ばされそうで、気温も20℃にはなっていないと思わ
れるが、そんなことは気にかけずにゆったりと思い思いの時を過ごしている。


 海岸に面して明るい彩りの建物が続き、それらを眺めていても飽きない。世界に冠たる
保養地ということを実感した。



 プロムナードは約3.5㎞続くというが、1㎞近く歩いてバスに戻った。






 13時25分にバスは出発して、次の観光地アルル(Arles)に向かう。地中海沿いを少
し走り、その後は海を離れてさらに西進する。


 ニースからは西におよそ250㎞の行程である。

 1時間半ほど走行して、途中の喫茶や売店のある建物で20分余りトイレ休憩した。



 雲が増えて一時雨となったが少しの区間で止む。沿道の北には山並みが望まれ、風力発
電用風車がたくさん回るところもあった。


 16時50分にアルル郊外の跳ね橋のところに着いた。都会暮らしに疲れてアルルに来
たゴッホが描いた、跳ね橋のイメージを復元したものとか。

 この場所にあったかは定かでなく、跳ね橋を下ろすと重なり合ってしまうなど不自然な
橋だが、アルルの観光スポットになっているようだ。


 橋のそばにゴッホの絵の説明板が立っていた。橋のところは狭いが、前後はゆったりと
した流れが続いている。


 間もなくアルルの市街地に入った。アルルは、紀元前にカエサルが小ローマを築いて植
民都市としたところ。南仏プロバンス地方の代表的な都市で、ローマ帝国時代の遺蹟を残
している。ビゼーの「アルルの女」で知られ、文豪バルザックがほめ称え画家ゴッホが過
ごすなど、多くの芸術家が制作意欲を抱いた都市でもある。


 町並みの南側、リス大通りでバスを下りた。ゴッホ像↑のある緑地を抜けて紀元前1世
紀に作られたという古代劇場の横を回る。


 かなり崩壊していて全景を想像するのは難しい。劇場の北側を東に回ると、その北側に
円形闘技場がある。

 1世紀に建設され2万人を収容し、中世には要塞や住居としても利用されたようで、世
界遺産に登録されている。かなり破壊されたようだが19世紀から復元作業が続き、現在
は闘牛などの会場としても使われているという。中には入らず、外側を半周して外壁を眺
めた。


 車の通れぬ狭い通りなど、くねくねと南西方向に200mほど進んで、椅子の並ぶフォ
ーラム広場に回る。

 広場に面して「カフェ・ヴァン・ゴッホ」と呼ぶ壁面が黄色いカフェがあった。

 ゴッフォが描いた「夜のカフェ」↓のモデルになった店だという。


 広場の南側には、ノーベル文学賞を受賞した詩人、フレデリック・ミストラル(1830
-1914)の銅像が立っていた。



 南に100mほどには16世紀の時計塔を持つ市庁舎↑があり、その前のレピュブリッ
ク広場の中央には、古代ローマ遺跡から発掘されたというオベリスクが立っていた。


 市庁舎の右手は、11世紀に建設され、宗教的にも建築史上でもアルルで一番重要な教
会というサン・トロフィーム教会である。

 ここで1時間近く自由時間となり、多くの人は添乗員のSさんの案内でまず西側にある
小さいスーパーに入る。

 しかし求める品物も無さそうなので私は入らず、ゴッホが入院にしたという病院を探し
に横の通りを南に向かう。

 バスの中でもらった「ARLES散策MAP」に従い進んだが見つからず、地図の南端の広い
通りに出た。その通りの緑地にあった公衆トイレを利用し、折り返すようにひとつ東側の
通りに戻ったら、その建物が見つかった。


 現在は病院ではないが中庭に入ると、ゴッホが描いた中庭のイメージが残っている。


 建物の一角に土産店もあり、ゴッホの絵やアルルの写真集などを販売していた。


 近くの土産店などをゆっくりと眺めながらレピュビリック広場に戻り、サン・トロフィ
ーム教会の正面玄関周辺のレリーフ彫刻などを眺める。




 広場の一隅に、何のためかネットを幾つか乗せたクラッシュカーが止まっていた。


 18時30分に広場を後にしてバス乗り場に行き、今日の宿泊地アヴィニョン(Avignon)
に向かう。アルルからは北方に約35㎞である。

 19時22分にアヴィニョンのキリアド コーティーン ガレ(Kiriad Courtine Gare)ホ
テルに着き、荷物を部屋に置いてすぐにホテル内のレストランに入り、魚料理の夕食を味
わう。

 夕食を終えたのは21時半を過ぎた。朝早くから各地を回って歩き回り、この旅で1番ハ
ードな1日だった。(歩数 14,200)




海外旅行 ブログランキングへ


にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス8日間の旅 第2日(モナコ、エズ、ニース、アルルからアヴィニョンへ)①

2013-06-14 12:51:29 | フランス旅行
 5月28日(火)から6月4日(火)まで、阪急交通社トラピックスの「フランスへ行
こう8日間」という旅行に参加した。以下、日程に従いその行程を紹介する。

========================================

 初日の5月28日(火)は、朝7時過ぎに自宅を出た。成田空港12時40分発のルフ
トハンザドイツ航空でドイツ南部のミュンヘン空港に行く。乗り継ぎも同じルフトハンザ
ドイツ航空で、フランス南東部のニース空港に23時19分に着いた。市内のホテルアポ
ジア(Apogia)に入ったのは24時過ぎ。2日目の朝は早いので、シャワーもせずにベッ
ドに入る。

 今回の参加者は31名、ほとんどが60~70歳台とみえる。

 第2日 2013年5月29日(水)



 昨夜は遅く到着したので、初日の宿、ニースのホテルアポジアにて4時間足らずの睡眠
で5時半に起床した。6時半から朝食をして、7時27分にバスでホテルを後にする。

 バスはこの後パリに着くまで5日間同じで、ドライバーのアリリさんにも5日間お世話
になるという。今回は現地ガイドは付かず、添乗員のSさんがガイド役を兼ねるとのこと。

 まずは最初の観光地、近くの小国、モナコ公国(MONACO)に向かう。ニースからは地
中海沿いを東北へ約23㎞である。


 ニースの市街地を抜けると高台となり、間もなく紺碧の地中海が見えてきた。


 眼下の住宅地や海、背後の山などを眺めながら進んで、モナコの次に寄るエズ(Eze)
村の下を通過する。モナコの大公宮殿の地下にある駐車場に8時26分に着いた。

 モナコ公国は、「紺碧海岸」を意味する地中海沿岸の「コート・ダジュール」の東部、
イタリアとの国境近くに位置する都市国家で、首都モナコ市がそのまま全領土。面積は
2.02㎢で世界ではヴァチカンに次いで2番目に小さい。国連加盟国の中では世界最小
で、人口は約3万6千人という。

 地下の駐車場から上の展望台に出ると眼前に地中海が広がり、東方にはイタリアの半島
も望まれる。


 駐車場から、エスカレーターとエレベーターで大公宮殿前の広場に上がった。宮殿にあ
い対して、かつての王妃、グレース・ケリーの眠るモナコ大聖堂↓がある。





 モナコ大公宮殿↑は、13世紀にジュノバ人により要塞として築かれた城とのこと。思っ
たより小さい建物だ。


 城の前にはルイ14世が贈ったという大砲や砲弾が並び、衛兵がその前を往復して警備
していて、9時には3人の衛兵の交代儀式があった。





 広場からは、東側眼下にたくさんの船の停泊するモナコ港や、近く開催される世界3大
のF1レースのひとつ、モナコグランプリのスタンド、富裕層が住むというびっしりと埋
め尽くされた豪華なビル群などが一望できる。




 こちらは、西側眼下を見下ろしたもの。




 王宮前の細い通りには土産物店などが並んでいるが、早いので開店している店は少なか
った。


 広場での観光を終えて9時35分に駐車場に戻り、市街の中心に出来たモナコグランプ
リの仮設スタンドの前などを通過してモナコ公国を後にする。

 モナコからフランス領に戻ると、高台にこれから行くエズ村の建物が見えてきた。

 モナコの西方約10㎞にあるエズは古代ケルト人により造られ、地理的に優れていたの
で数々の権力争いに巻き込まれたとのこと。

 イスラム教徒からの襲撃を防ぐために丘や山頂に築かれた城塞都市がコート・ダジュー
ルには多いが、エズはその代表的集落。最高地点は海から切り立つ断崖上の海抜約450
mにあり、フランス領になったのは1860年とのこと。現在の人口は約3,000人とか。

 まずはフラゴナール(Fragonard)という老舗の香水工場に行き、日本語の出来るガイド
さんにより伝統の技術と最新技術とで作る香水の製造工程の説明を聞く。


 その後直営売店に案内され、国内外で人気の高いという香水を購入する人もいる。

 人気の観光スポットのようで、次々にに観光バスが訪れていた。


 工場から間近に見上げられる城砦↑の、下部にある駐車場に移動して、細い石畳の道路
を最上部の熱帯植物園の入口まで上がる。家並みの間からは、周辺の半島の家並みや紺碧
の海が望まれる。





 帰路も土壁の建物の間の石だたみの細道を下りながら、両側に並ぶ土産物店などをのぞ
き、きれいに飾られた草花、対斜面の家並み、眼下の庭園などを眺めて駐車場に下った。












 バスは往路をニースに向かって戻って行く。(続く)




海外旅行 ブログランキングへ


にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本庄市児玉町をカントリーウオーク(埼玉)

2013-06-11 21:55:29 | カントリーウオーク
 2013年6月9日(日)

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの第204回例会を開催した。集合
はJR八高線(はちこうせん)の児玉駅。4組に分かれて10時30分に出発した。

 == 桜並木の小山川沿いから小平の里へ ==

 駅前から県道75号を南進して児玉小の横を通過する。斜めに横断する通りを南に入る
と、鎌倉街道上道(かみつみち)の説明板が立っていた。


 すぐ先、左手は龍體稲荷神社。社殿の左に接して背の高い本町の山車蔵(だしぐら)が
出来ている。社殿右手には大きな庚申塔があった。


 隣接する法養寺の山門はコンクリート造りで上は鐘楼。



 本堂前に芝生が広がり、両側の木々ともども緑が気持ちよい。山門の外、南側には六角
屋根の不空羂索(ふくうけんさく)観音堂があり、その下に、「父母の しきりに恋し 
雉子の声」と刻んだ芭蕉句碑がある。

 国道254号を横断して御沢地区に入り、区画整理された通りを南下して千本桜公園の
横から小山川(こやまがわ)左岸に出た。


 桜並木の続く左岸沿いを上流に向かうと、近くに在住らしい男性が、2本の桜の木にし
ばったハンモックで気持ちよさそうに休んでいた。聞くと、近くのホームセンターで求め
たものという。手軽で安価な消夏法と感心した。


 県道287号の秋平橋際に出て、橋を渡って南側の風洞集落へ。このところの小雨で小
山川の流れはわずか。近くの普賢寺は無住で、ひっそりとしている。


 気温が上がり蒸し暑いが、日陰の少ない県道を進む。古くからの街道なのか、道沿いに
二か所、大きな庚申塔などが集められていた。


 二つ目の庚申塔の並ぶところで県道に分かれて南へ、天神社の森に裏手から入る。


 本殿には極彩色の木彫が施されている。豊富な木々に囲まれた境内で小休止した。


 境内を南に抜けて西南すぐ先に、室町時代のものと推定されるという、石幢(せきどう)
が立っていた。

 そばの標柱に「石幢には胎蔵界(たいぞうかい)四仏の種子と縦連子(たてれんじ)を
刻み、六地蔵を浮き彫りにした…」と記されていたが、彫りが落ちたのか、はっきりとは
認識できなかった。

 近くの民家の庭先の実はスモモだろうか、色づいていた。


 小平集落に入ると、切妻屋根に高窓をのせた、明治期に建てられた養蚕住宅が幾つか見
える。児玉地方の原風景として平成20年度「彩の国景観賞」を受賞している。



 朱塗りの仁王門を入り、畑の間を進んで成身院(じようしんいん)へ。寺院では珍しい
土壁の質素な建物で、現在は無住。

 しかし、第4代関東管領足利持氏(あしかがもちうじ)が応永6(1399)年に中興
開基したといわれ、上州、武州にわたり末寺122か寺を総管する御朱印寺だったという。

 寺の周辺にも高窓の家が幾つか望まれる。近くにある昼食地、観光農業センター前の東
屋(あずまや)付近に12時19分に着いた。東家と緑陰の芝生地に分かれて昼食とする。

 

 == 成身院百体観音堂を拝観する ==

 昼食後、希望者のみ成身院の百体観音堂を拝観することにする。観光農業センターのN
さんの案内で背後の百体観音堂前に上がり、観音堂の歴史などの説明を聞く。


 観音堂は、天明3(1783)年の浅間山大噴火の火砕流やなだれなどで利根川に流さ
れてきた犠牲者の供養のために建立されたが、明治21(1888)年に火災で焼失、明
治43(1910)年に地元の義援金や労力奉仕で再建したとのこと。

 建物の外観は二階建てだが内部は三層で、秩父三十四観音、坂東三十三観音、西国三十
三観音の本尊などが並び、一巡する通路は上りと下りが異なる「さざえ堂」形式の造りに
なっているという。


 観音堂の鍵を開けていただき、内部に入って各層のご本尊や室町時代造立の三仏などに
参拝する。最上階の天井には極彩色の天井画が残っていた。


 観音堂正面に下がる鰐口(わにぐち)は、寛政7(1795)年の鋳造で直径180㎝、
重さ約750㎏あり、国内最大級とのこと。その前部社殿には精巧な木彫が施されている。


 お堂の前の唐銅造(とうどうづくり)大日如来座像は、地元金屋(かなや)の鋳物師
(いもじ)が造った数少ない文化遺産のひとつという。



 ゆっくり拝観後に観光農業センター↑の売店にも寄り、昼食地に戻ってミーティングを
済ませ、14時12分に出発する。

 == 小山川の桜並木を経て町内の社寺へ ==

 西側の黒石集落に向かうと、路傍の桑の実が色づいていた。用意してきたパックに収穫
する人もいる。

 県道287号に出て、北側台地上の日本(にほん)神社に希望者だけ往復してもらう。
待つ人はそばのA商店に入ってアイスを求め、暑くなり乾いたのどを潤す。


 県道を北へ少し、巳待塔(みまちとう)の並ぶ三差路で県道に分かれて小集落を抜け、
小山川右岸へ。すぐ先から下流は桜並木が続いている。


 桜並木の下を次の千本桜橋まで進んで左岸へ。堤内ではオオヨシキリが賑やか。1㎞ほ
ど進んで長沖集落の飯玉神社で小休止し、遙拝所周辺で記念撮影をする。


 第一金屋の交差点から御沢集落の西部を進み、スーパーヤオコーの駐車場を抜け、児玉
水道の旧配水塔のそばに回る。

 昭和6(1928)年に竣工した県内3番目の近代水道施設の配水塔。高さ17.7m
あり、旧児玉町内5千人に給水されたが役割を終え、現在は国登録文化財となっている。

 東進して国道254号に入り、広い境内の八幡神社の池の周辺で最後の休憩をする。


 いまの社殿は享保7(1722)年の完成で、地方では珍しい青銅製鳥居とともに県の
有形文化財である。


 境内にはほかに、朱塗りの随身門↑、近くから移設された江戸時代の高札場、講の人達
が築いた石積みの山などがあった。

 神社を東に抜けて、北側にある玉連寺に入る。この寺には、日蓮聖人が佐渡流罪の途中
と赦免を得て鎌倉への帰途に泊まったという。背の高い独特の鐘楼が目に付く。



 仲町に戻り、県文化財になっている競進社模範蚕室↑の近くを通過して、児玉駅に16
時26分にゴールした。

(参加 17人、天気 晴一時曇、距離 10㎞、地図(1/2/5万) 本庄、寄居、
 鬼石、藤岡、歩行地 本庄市、歩数 18,400)



アウトドア ブログランキングへ


にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東百駅巡礼歩行 上信電鉄 上州富岡駅(群馬)

2013-06-10 21:34:15 | 関東百駅巡礼歩行
 2013年6月8日(土)

 関東百駅巡礼歩行の第96回に参加した。集合地は上信電鉄の上州富岡駅。駅舎は建て
替え工事中で、プレハブの小さな仮駅舎。

 
 記念撮影をして10時30分に出発した。



 駅のそばの純和風建築の中華料理店の2階に、沿線の特産、コンニャク芋をスライスし
て串刺しにして干してある。駅前には、古い倉庫らしい建物が残っていた。


 西側の市役所そばの交差点を北へ、踏切を渡って小沢集落の住宅地を北に抜ける。富岡
保育所の横を通過して、交通量の多い国道254号バイパスを横断する。

 歩行者と自転車用の、緩やかな太鼓橋で高田川を横断して、左岸沿いを上流の西方に向
かう。


 倉庫のような建物のそばに、小さい水神宮が幾つか祭られていた。カッパのような石も
ある。



 冠水橋を見下ろし、大きなネギ坊主の畑の先に高田川の堰(せき)の記念碑が立ってい
た。上流には、石積みの堰が幾つか続いている。


 堤防にはもうキバナコスモスが咲く。


 川沿いを700m余り進んで川を離れ、北側の斜面を東北に上がる。眼下に町並みが、
その向こうには西上州の山々の展望が広がるが、遠くは霞んでいて山容は判別しにくい。


 クヌギなどの広葉樹林下となり、送電線下を過ぎるとナス畑がある。Fさんは、ナスの
花は無駄花がなく全部実が付くという。


 さらに先の緩やかな上り斜面に進もうとしたが、金網が張られて進めない。上に造成地
が見え、この一体も買収され通行禁止にしたらしい。

 少し戻り、東京電力の送電線鉄塔への林間の道路を進み、西毛線65号鉄塔下の緑陰で
昼食にした。

 川沿いに下り、老人ホーム共生に向かって上がって行く。途中、遅い田植えを始めた棚
田が何枚かあり、そのひとつにカモが泳いでいる。


 上黒岩に向かう車道に出て、上り坂を北へ、小さい峠を越えて市営富岡霊園の横に下る。
そばの桑畑に桑の実が実り、道路にもたくさん落ちていた。


 機足集落の手前で、折り返すように西側の斜面に向かって上がる。周辺には放置され伸
び放題の桑畑が多い。


 霊園の西側に。墓石店の看板が並んでいた。その辺りは高台なので、西方に県立自然史
博物館の建物や霞む妙義山が望まれる。


 霊園の園路を回り込むと北に機足集落が見下ろせ、路傍の栗が花盛りで強い匂いが漂う。



 もとの車道に下って峠を戻り、南側の黒川集落に入って御霊神社で小休止した。社殿か
らは、荒船山らしい霞んだ山容が望まれた。


 国道254号バイパスの七日市交差点と水の少ない高田川の三共橋を渡って、七日市の
家並みへ。

 上信電鉄の遮断機のない踏切を通過して東側のT字路に、文政13(1830)年銘の
秋葉大権現の石灯ろうが立っていた。


 その角を南進して国道254号へ。東に少しで甘納豆の小嶋屋という和菓子店があった。
店に入ると、80歳という大おかみが磯辺せんべいを出してくれた。

 店には、天皇・皇后両陛下が訪れたときの写真があり、ほかにこの店を取材した新聞記
事が幾つか張ってある。店内に並ぶ甘納豆や磯辺せんべいなど、思い思いに購入した。


 近くにある金剛院に入る。境内には「南無阿弥陀仏」と刻まれた元禄4(1691)年
建立の大きな名号塔が立つている。


 ほかに新しい水かけ不動尊、愛(め)で地蔵、なかよし地蔵など石仏が多く、赤銅色の
七福神を祭る七福神堂もある。名号塔横のカシワバアジサイが見頃になっていた。


 境内を南に抜けて西小の北側の通りを東進し、長いへい沿いに進んで東側に回る。ユネ
スコ世界遺産暫定リストに記載中の富岡製糸場の正門前に14時15分頃に着き、今日の
歩きは解散となる。

 私は、上信電鉄高崎駅で富岡製糸場の入場券付き割引切符を買ってあったので、Kさん
と製糸場に入る。製糸場の入場料は500円だが、割引切符では90円分で入れた。

 富岡製糸場は、明治5(1872)年、明治政府が日本の近代化のために最初に設置し
た製糸場。フランス人のポール・ブリュナの指導により、フランスの技術を日本に合わせ
た工法を加えて建てられ、建物は木材の骨組みにレンガを積む木骨レンガ造りである。

 創業時には世界最大規模の工場だったとか。フランス製の300人繰りの繰糸(くりい
と)機械を備え、全国から多くの工女が集められて模範工場として器械製糸を学び、帰郷
後は地元の工場で指導的な立場で活躍し、日本の器械製糸工業の発展に大きく貢献したと
いう。


 正門を入ってまず、正面の東繭倉庫でガイダンス展示を見る。同じ建物内には売店もあ
った。検査人館、女工館、ブリュナ館などを外から眺め、南側に回って眼下に流れる鏑川
(かぶらがわ)の流れを見下ろす。




 さらに、当時のままの器械の残る繰糸場に入って操業の模様のビデをなどを見た。


 東繭倉庫を抜けて中庭に回り、繭の乾燥場や西繭倉庫なども確認した。30分ほど観覧
して富岡製糸場を後にする。

 正門前の通りを北へ、国道の手前の通りの角にある「銀座まちなか交流館」に寄り、近
隣のパンフレットなどを入手する。


 国道254号沿いには、明治37(1904)年の建築という、土蔵造りの旧吉野呉服
店が残っていた。歌人吉野英雄が幼い頃過ごした家でもあるという。


 建物の東側の通りを進んで富岡市役所前を通過し、上州富岡駅に15時ちょうどに戻っ
た。15時11分発高崎行きに乗り、高崎、大宮経由で3時間余りかけ、18時30分近
くに帰宅した。

(参加 8人、天気 晴一時曇、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 富岡、歩行地 富岡
 市、歩数 17,200)




アウトドア ブログランキングへ


にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう少し休みます

2013-06-07 21:11:40 | Weblog
 5月28日(火)から6月4日(火)までの旅から帰りましたが、週末のウオーキング用
の会報づくりなどに追われ、休稿が続いています。

 明日、明後日はそのウオーキングに出かけますので、8日間の旅の報告などは来週、6
月10日(月)以降になります。

 とりあえず8日間の旅の写真のほんの1部をご紹介しますので、どこへ出かけたかご想
像下さい。




















海外旅行 ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする