あるきメデス

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クロアチアとスロベニアの旅⑤ クロアチアの世界遺産スプリットとドブロヴニク観光後ムリニへ(前半)

2019-01-23 17:34:48 | クロアチア・スロベニア旅行
 2018年10月17日(水) 
 == クロアチアの世界遺産スプリットと
               ドブロヴニク観光後ムリニへ ==

 今朝は晴天で青空が広がる。ススプリット郊外のホテル カタリーナ ドゥーゴポリェに
て6時30分に起床し、7時10分からホテルのレストランで朝食を済ませる。9時出発
予定だったが、全員早くバスに乗ったので8時56分にホテルを後にした。


  
 今日午前中は、ホテルから近い世界遺産スプリット(Split)の観光である。スプリット
は人口約35万人、アドリア海沿岸のダルマチア地方では最大の港町で、古代ローマ皇帝
ディオクレディアヌス(245?~316?年)の宮殿がそのまま旧市街になったという
珍しい起源を持つ町で、1979年に世界遺産に登録されている。

 宮殿だったスプリットに人々が住むようになったのは、ローマ帝国が滅亡して異民族が
大挙してこの地に入り込んだ7世紀のよう。

 頑強な城壁に囲まれた宮殿内に避難してきた人々は、宮殿の基礎部分はそのままにして
その上に建物を増築する形で町を築いて住みつき、いつしか宮殿自体がひとつの町へと変
貌した。その後はここが宮殿跡と知らずに多くの人が生活し、第二次世界大戦で連合軍の
爆撃を受け、ディオクレディアヌス宮殿の地下部分が露出して発見されたという。


 9時20分に、スプリット中心部南東側のフェリー乗り場近くに着いた。バスを下りて
ヤシの並木の続く「プロムナード」と呼ぶ海岸通りから港の周辺を眺める。


 その後、近くにあったディオクレディアヌス(Dioklecijanova palača)宮殿の模型で説明
を受ける。

 旧市街にあたる宮殿の広さは南北215m、東西180mあり、周囲は厚さ2m、高さ
20mの巨大な城壁に囲まれていて、東西南北に4つの門があり、それぞれ「銀の門」
「鉄の門」「青銅の門」「金の門」(東西南北順)と呼んでいたという。

     
 城壁に囲まれた宮殿の、南側中央部の「青銅の門」から城内に入った。


 右手に八角形の大聖堂と高さ60mの鐘楼があり、大聖堂は8世紀に現在の形に改築さ
れたとか。また、鐘楼には上ることができて、頂上からは素晴らしい展望が楽しめるという。
     


 その先を回って中央部にあるかつての宮殿の中庭だったペリスティル(Peristil)広場へ。
周辺にはコリント式と呼ぶ円筒形の柱が並ぶ。
     

         
 ペリスティル広場の突き当たり、4本柱のところは皇帝の私邸の玄関だったところで、
その真ん中を抜けるとドーム天井がポッカリと抜けた広場がある。
     


 私邸の前庭にあたり、このスペースはドームでよく音が反響するため、クラッパの合唱
が行われていた。
    
 クラッパとは、ダルマチア地方に伝わる、無形文化遺産にも登録されている伝統的な男
性アカペラ合唱グループのこと。演奏後CDを購入したら、一緒に記念写真撮影に応じて
くれた。
    

 西北側の洗礼室前に回ると、ディオクレディアヌス帝がエジプト遠征の際に持ち帰った
スフィンクスの像がある。
    

     
 その横から細い通りを北に抜けて、西側の鉄の門から場外に出た。
     


 その先はナロドニ広場だが、先に進まずに城内に戻り、細道を北から東へと進む。
     

     
 北側の金の門から出ると、巨大なグルグール・ニンスキ(Gurgura Ninskog)像が立っ
ていた。
         
 「クロアチアのロダン」とも言われるイヴァン・メシュトロヴィッチの作品とか。グル
グール・ニンスキ司教は10世紀の人で、それまでラテン語のみで行われていたミサにク
ロアチア語を導入し、スラブ言語の保護に貢献したとされるクロアチアの英雄のひとりだ
という。

 金色の「左足の親指に触れると幸運が訪れると」言われていて、スプリットを訪れる必
ず人々が訪れる名所のよう。多くの人に触れられたので、左足の親指だけがピカピカに光
っている。


 再び城内に戻り、ペリスティル広場周辺のチョコレート店やネクタイ店などの説明を受
ける。




     
 西側の鉄の門を出てナロドニ広場へ↓。旧市庁舎付近で10時50分からフリータイム
となり、12時30分にフェリーの切符売り場付近に集合することとなった。


 まずは、ナロドニ広場から西進して魚市場へ。建物の中の市場は、そろそろ営業を終え
ようとしている感じ。



 その横のテント下の店の方が活気があり、アドリア海の新鮮な魚介類が並び、地元の奥
様方などたくさんの人が買い物に訪れていた。



 市場は、1843年に宮殿内からここに移転してきたという。

     
 その先の長い建物の中ほどから門を入ると、コの字型の美しいルネッサンス様式の建物
に囲まれた共和国広場と呼ばれるところ。ここはヴェネツィアの聖マルコ広場をイメージ
して作られたようで、右手(西側)↓はホテルとして使われているという。



 開かれた南側に抜けて広場を振り返り↑、噴水のある広場へ出た。


     
 右手に教会があり、前方から西側は海に面してヤシの並木の続くプロムナードで、人出
も多い。



 近くの岸壁にはたくさんのヨットが係留され、その向こうには大きなフェリーらしい船
も見える。




     
 そろそろ昼食の時間だが、レストランに入る時間は無さそう。共和国広場の↑東側の通
りを進んで鉄の門から中に入り、パン店で昼食用のパンを購入する。


    

 鉄の門を出て南側の、ブラチェ・ラディッチ(Braća Radić)広場にはマルコ・マルリッ
チ像があった。
     
 マルコ・マルリッチ(Marko Márulić)(1450-1524)はクロアチアの古典作家
で、代表作『ユディタ』(en:Judita)はスプリットで書かれ、1521年に出版されてお
り、スプリットは最初のクロアチア文学の近代作品が生み出されたのだという。


 近くのプロムナードに回り、気温が上がっているのでヤシの木陰のベンチを探して11
時30分近くから、パンと飲み物で昼食とする。


 昼食を終え、南側の青銅の門からペリスティル広場↓を経て東側の銀の門を出て南に回り、
たくさんの露店が並ぶ青空市場へ。
     
  

 野菜や果物、花から衣類や日用雑貨などを扱い、地元の人や観光客で賑わう。





 それらを見ながら集合地のフェリー切符売り場付近に戻った。



 予定通りの12時30分にバスは出発して、南東へ約227㎞の最後の観光地ドブロヴ
ニク(Dubrovnik)に向かう。〈続く〉





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