あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

五島列島7島20景めぐり3日間の旅① 福江島(長崎・五島市)

2019-06-08 15:20:11 | 国内旅行

 前回の投稿後、5月末から6月上旬にかけて出かけていたのと、その準備や整理などで
だいぶ間が空いてしまいました。毎日ご覧いただいていた方には申し訳ありません。

 今回からの五島列島のレポートも3日目がまだできていませんので、途中で別のレポー
トが割り込むかもしれません。 

========================================

 桜の見頃も過ぎた4月16日(火)~18日(木)、阪急交通社クリスタル企画による
五島列島7島20景めぐり3日間のツアーに参加した。


 第1日 2019年4月16日(火)
 == 羽田空港から長崎空港を経て五島・福江島へ ==



 自宅を5時55分頃出て、所沢駅東口から6時40分発の高速バスに乗り、車中で最寄
り駅前のコンビニで買ったサンドイッチを食べる。羽田空港第2ターミナルには予定より
5分遅れの8時50分頃に着いた。

 第2ターミナル2階に上がって受付開始時刻まで待機し、全日空14番カウンターの阪
急交通社受付で添乗員の西川さんに受付をしてもらう。


 11時発宮古空港行きANA663便のB777-200型機(405人乗り)は、
11時20分に羽田空港を離陸した。



天気は快晴、離陸後東京湾を北上して西へ、皇居↑や神宮外苑と明治神宮の森↓などを見下
ろしながら進む。



 15分足らずで残雪の富士山の北側を通過した。間もなく見えたのは南アルプスの一部
だろうか、山頂付近に残雪を残す山嶺が見下ろせた。


 九州北部を横断し、有明海上空からは海と締切堤防で仕切られた様子がはっきりと認識
できる。



 長崎空港には予定の12時55分より2分遅れで着陸した。乗り継ぎ時間中に空港内で
昼食をする。



 乗り継ぎの五島福江空港行きは、1番搭乗口から階段を下りて飛行機のそばまで行き、
5段ほどのタラップで搭乗したORC(オリエンタルエアブリッジ)のプロペラ機、カナ
ダ・ボンバルディア社製のDHC8-201型機(39人乗り)。

 14時45分発は5分遅れの14時50分に離陸した。



 飛行機は西彼杵(にしそのぎ)半島を横断後、海上を西南西へ進み、わずか18分の
15時08分に五島福江空港に着陸した。気温は18℃、天気は曇である。


 長崎県は島が日本一多く、594の島があるとか。五島福江空港のある福江島(ふくえ
じま)は、五島列島の中で最大の島で五島市の中心地。五島市は11の有人島と52の無
人島で形成され人口は36,600人余り、世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の
潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産を有している。五島福江空港はその福江島の西南部
にある。

 出迎えてくれたガイドのシロタニにさんの誘導でツアー参加者18人が五島バスに乗る。
ドライバーはオオトさん、空港を出て15分前後の15時32分頃、最初の観光地、空港
の南東側すぐ近くにある西海国立公園「鬼岳(おんだけ)園地」の駐車場に着いた。





 五島のシンボルともいえる鬼岳は標高314m、全面が芝生に覆われていて、春には凧
(たこ)あげ大会が行われるとか。


 100段の階段を上がって中腹の展望台に上がると、眼下に福江の市街地や周辺の山並
み、五島列島の島々などが一望である。








          
 そばには簡素な社殿の鬼岳神社が祭られ、近くには九州でも有数という60㎝反射望遠
鏡を備えた鬼岳天文台が見える。





 駐車場のすぐ上には、「ココロの球」と呼ぶ2つの球体の作品があった。反対斜面の新
緑の木々がみずみずしい。


    


 16時に鬼岳駐車場を出発して南側の海際に下り、10分ほどで鐙瀬(あぶんぜ)溶岩
海岸へ。


 鬼岳噴火の際に流出した溶岩が海に流れ込み、10数㎞にわたり複雑な海岸線を形成し
ている。





 沖合には近くの島が幾つも望まれた。




 ふり返ると芝生に覆われた鬼岳が間近い。



 岩場の斜面にたくさん咲く白い花は、潮風に強くて海岸線に咲くことが多いトベラとの
こと。
    

 駐車場近くには桜が咲いていた。



 そばにある鐙瀬ビジターセンターにも入り、短い時間だが一巡して観覧する。




 16時35分に鐙瀬溶岩海岸を後にした。

 バスは島の東岸に回って福江島の中心街・福江の市街地に入り、武家屋敷通りや石田城
址公園の横を進み、福江港に近い今日の宿、カンパーナホテルに16時55分に着いた。

 五島バスグループの宿で、平成14(2002)年11月18日には天皇皇后両陛下が
宿泊されたよう。
                  

 部屋でひと休み後、近くの城址公園などを回ってみることにした。ホテルを出て左折す
ると、西側一帯は県指定史跡の石田(いしだ)城(福江城)跡。

 石田城は、福江藩最後の藩主・五島盛徳が幕末の文久3(1863)年に建てた城で、
築城当時は三方を海に囲まれた海城だったよう。現在は裏門の蹴出門(けだしもん)と石
垣堀が残り、石垣は野面(のづら)積み工法を多用した自然石が積み上げられ、本丸跡に
は県立五島高があるという。

 表門にあたる御番門を入ると、正面に城造りの五島観光歴史資料館が見える。



 ツツジ咲く城内を右手に回り、城山神社に参拝する。近くにはクスノキの大木も目につ
いた。


     


 南東側にあった大きな建物は福江文化会館で、道路側には大きなツツジが何株かあって
いずれも見ごろ。


 会館の左手には,昭和44(1969)年の長崎国体を機に当地を御巡幸された際のこ
とを読まれた「久しくも五島を観んと思ひゐしが つひにけふわたる波光る灘を」という
昭和天皇の御製碑があった。
     


 東側に進んで城造りの五島観光歴史資料館の前に出たが、入館時刻は過ぎていた。近く
の石垣は急峻で高さもあり、攻略は難しそう。東側の外堀に沿って南に進む。
     
  

 堀の向こうにやはり城造りの市立図書館が望まれ、お堀に沿った外堀公園の車道側には
フェニックスの並木が続き、その下の何色ものツツジが何れも見頃の花を見せていた。






 南東端の交差点まで進み、そばのドラッグストアで買い物をして、18時35分頃ホテ
ルに戻った。                         (歩数 10,700)






国内旅行ランキング


にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« カタツムリ歩行同窓会で王子... | トップ | 荒川を挟み吉見町東部と鴻巣... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国内旅行」カテゴリの最新記事