あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

横浜中華街から港の見える丘公園へ(神奈川)

2016-05-09 22:06:18 | Weblog
 2016年5月7日(土)

 好天で気温も25℃を超えるとの予報の今日は、横浜中華街での昼食後、周辺を少しだ
け回ってみることにした。

 わが家の最寄り駅からも、西武池袋線、東京メトロ副都心線、東急東横線経由で直通電
車のある、みなとみらい線の元町・中華街駅に11時15分に下車し、近くの天長門から
横浜中華街の西端の通りを進む。


 通りの中ほどにある横浜媽祖廟(まそびょう)↓は、媽祖という人物をまつる道教の寺
院のよう。2006年3月に、開港から150周年を迎えた横浜の新名所として落慶開廟
したとのこと。

 「媽祖」は北宋時代に実在した女性で、小さいころから才知に長け、その神通力は中国
国中に広まり、その後、航海を守る海の神、自然災害や疫病、戦争、盗賊などの守護神と
して中国・台湾のほか華僑が住む世界各地で信仰されているという。

 その先の朱雀門(すざくもん)まで進んで方向違いと分かり、少し戻り関帝廟(かんて
いびょう)通りに回って市場通り門前を過ぎ、中華街のもう一つの寺院、関帝廟前を通過
する。
     


 関帝廟は、関帝(関羽・関聖帝君・関帝聖君とも言う)を祭る廟で、関羽は信義や義侠
心に厚い武将として名高く、民衆により様々な伝承や信仰が産まれて信仰を高め、また後
の王朝によって神格化されていったとのこと。

 また、関羽は義に厚いとされることから商売の神として祭られ、世界中に華僑が散らば
っていったときに、商売が繁盛する様にと、その居住区に関帝廟を立てたようで、世界中
の中華街などで関帝廟を見ることが出来るという。



 関帝廟通りの西端にある重慶飯店別館↑に入り、正午過ぎから4人でコース料理を楽し
む。私は、横浜中華街で中国料理の食事をした記憶は無く、初めてのことのように思う。

 ゆっくりと昼食を楽しみ14時頃に重慶飯店別館を出て、中華街から延びる中山路を南
下して、中村川の上にかかる首都高速狩場線に平行する通りへ。通りにあったビルの前に、
色鮮やかなシャクナゲが咲き出していた。
        

 西の橋交差点で石川川を渡る。上を走るのが首都高狩場線。


 橋を渡って元町交差点から元町通りに入る。


 200m余り進んだ交差点で右折して、汐汲坂(しおくみざか)通りへ。


 少し先からかなりの急坂となり、その途中の横浜学園の塀に、中島敦の「山月記」文学
碑の説明板があり、ここがゆかりの地だという。

 私は「山月記」を読んだことはないが、教科書にも取り上げられた時期があるようだ。

 フェリス女学院高の横を過ぎ、急坂を上り終えて稜線上を走る山手本通りの潮汲坂交差
点に出た。左折して東に向かう。


 元町公園近くの「末日聖徒イエス・キリスト教会」の前に、1901年から布教活動を
行っていた4人の宣教師のプレートがあり、4人がどのような行動をとったかなどが記さ
れていた。
       


 元町公園の西南端付近に「べーリックホール」と呼ぶ建物があり、内部も公開されてい
たが入らず、緑豊富な建物周辺のみを眺める。


 イギリス人貿易商ベリック氏の邸宅として、1930年に建築されたとのこと。現存す
る戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、建築学的にも価値のある建物らしい。

 周辺の木立の下には、クリスマスローズがたくさん咲いていた。


 次の交差点を過ぎると、山手本通りは緩やかに左カーブして元町公園の主要エリア沿い
となり、すぐ先にエリスマン邸があった。ここも公開されていたが、入館は省く。

 エリスマン邸は、日本の建築界に大きな影響を与え「現代建築の父」と呼ばれたアント
ニン・レーモンドの設計。絹糸貿易商エリスマン氏の私邸として1926年に建築され、
ここ元町公園には1990年に移築復元されたという。

 建物の背後からは、公園の谷間部分の豊富な緑が見下ろせる。


 山手本通り際には、アジサイの仲間らしい花も咲く。


 エリスマン邸のそばは変則四差路になっていて、その北東側は「えの木てい」と呼ぶ、
ホームメイドケーキやチェリーサンドが人気らしいカフェが見える。



 元町公園沿いを北に向かう。公園内にあるレトロスタイルの公衆電話ボックス。現用で
通話可能である。
       

 公園の緑が切れた一角からは、西方の市街地が望まれた。


     通りの右手には洋風建築が続くが、そのひとつ山手資料館のよう。
    


 次の交差点際に山手資料館入口があり、庭園のバラが見頃になっていた。 

 山手資料館は、明治42年(1909)本牧本郷町に建てられた中澤兼吉邸の洋館部分
を移築したものとか。明治期の木造洋館として大変貴重な建物で、横浜市の歴史的建造物
の認定されている。
    



        

 隣のカフェの、屋外テーブルでひと休みするのも良さそう。


     この辺りの山手本通りからは、北西に横浜マリンタワーが望まれる。
     

 通り沿いの生け垣には、数え知れぬほどのピラカンサの花があふれていた。晩秋には真
っ赤な実がいっぱい見られそう。
    

 その先の西洋建築は、山手十番館。

 昭和42年(1967)に明治100年を記念して建てられたもので、1階はカフェで
2階はフレンチレストランらしい。


 元町公園が終わって外国人墓地沿いとなり、入口付近の交差点の北東側に小公園があり、
ハーブやバラなど、たくさんの花が咲き競う。
    



 ピンクのシャリンバイも、たくさん花を見せていた。


     


 
 外国人墓地入口際の交差点から、山手通りは右折して東に向かう。小公園の北側の建物
は、神奈川県内の気象観測を続けている横浜地方気象台。


 その先右手は、かつて日本で初めて「ハムレット」を上映したゲーテ座を活用した岩崎
博物館。服飾に関する資料を展示しているという。



 さらに進んだ突き当たりが、港の見える丘公園。入口周辺もバラが咲き競い、近くの植
え込みには、草花がたくさん咲き競っていた。


 だがここで、デジカメのバッテリー切れとなり、スペアを用意してこなかったので、た
くさんの花や、公園の展望台からの横浜ベイぶれ一時などの展望を撮ることはできなかっ
た。


 植栽の間から、わずかに望まれたベイブリッジ。


 展望台からフランス山と呼ぶ一角を抜けて公園の西北端まで進み、元町通りの東端から
元町・中華街駅に戻り、帰途についた。




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2 コメント

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ごちそうさまでした (saikoroat)
2016-08-06 18:37:20
3か月前でしたが美味しく昼食を頂き、ごちそうさまでした。
また、横浜の街歩きを兼ねて伺いたいと思います。
返信する
Unknown (重慶飯店別館 石田)
2016-08-06 17:04:01
こんにちは。
先日は当館にご来店頂きまして誠に有難う御座いました。
またゆっくりと昼食をしにいらして下さい。
お待ちしております。
返信する

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