1965(昭和40)年5月1日(土) 快晴
妙高山麓新赤倉温泉の、妙高逓信保養所赤倉荘で5時30分に起床した。食事をせずに
宿を出て5時50分発のバスに乗り、6時05分に田口駅(現在の妙高高原駅)に着いた。
田口駅に入る信越線下り列車。
田口駅6時30分発信越線上り324列車に乗る。
田口~柏原間での妙高山の眺め(古い写真なので山容が確認し難いが)。
田口駅では空いていたが、次の柏原駅辺りから長野市内への通勤通学客が次第に増えて
東京並みの超満員になる。乗り換えの豊野駅には7時32分に着いたが、出入り口には回
れずに窓から下車した。
豊野からは、7時45分発飯山線の飯山行き117D列車に乗る。2両のディーゼルカ
ーは千曲川沿いに進む。この辺りは信州リンゴの本場だが、まだ枯れ枝のリンゴ畑が一面
に広がっていた。
8時17分に飯山駅に着いた。
飯山駅構内にて貨車入替え作業中のC56↑とC12型蒸気機関車↓。
飯山市は善光寺平の北端、広々と開けた善光寺平が信越国境の丘陵に押されてつぼまり
始めたところの、千曲川に沿って飯山の街がある。
古くは上杉謙信の飯山城普請で発生した城下町、幕末は本多氏2万石の所領で飯山街道
の要衝として栄えた。
乗り換え待ちの1時間ほどの間、街の中を巡る。
この街で目立つのが、軒を並べる仏具店。飯山線の北側を走る街道に沿って何軒も並ん
でいる。270年前から続くという仏壇造りの歴史が、この地方の住民の信仰と結びつい
て発展したものだという。
裏通りを歩いていたら、右書きの看板のある芝居小屋か活動写真館かの建物があった。
飯山電報電話局
飯山駅前では、この地区の統一メーデーが始まろうとしていた。
飯山駅発9時21分の飯山線119D列車に乗る。今日の行程図
りんごの里豊野から千曲川に沿って奥信濃を貫き、上越線の越後川口までの飯山線は国
鉄きっての豪雪地帯を走る。信濃と越後との国境にある森宮野原(もりみやのはら)駅は、
積雪量でも国鉄最大で、4mを超えることも少なくない。
今回の旅でも飯山から十日町までの間は線路脇に残雪が多く、2月の長野原線(群馬)
と同じくらいの雪が見られた。
飯山~信濃白鳥間
信濃白鳥~十日町間
苗場山の見える越後田沢付近
県境を越えると千曲川から信濃川と名を変え、流れも広がる。
十日町駅に11時ちょうどに着き、再び途中下車する。
スイセンの咲く十日町駅ホーム。向こうは冬の務めを終えたラッセル車。
雪の十日町として知られるように、毎年2月の雪まつりには雪の彫刻のほかいろいろな
催しがあり、各地から観光客が訪れる。
十日町織物は、飛鳥天平の昔から続いているという。山野に自生する草麻を冬の間雪に
さらして縮布を織ったのが始まりで、これが風土に適したためだんだん盛んになり、越後
上布として珍重された。
その後、越後縮(ちぢみ)の全盛を経て、明治から絹織物に変わり明石縮の全盛が続く。
戦後は、本格的なお召しの時代となり、高級絹織物界で揺るぎない地位を築いたようだ。
(十日町小唄)
越後名物かずかずあれど 明石縮(あかしちぢみ)に雪の肌
着たら離せぬ味の良さ テモサッテモソジャナイカ
十日町でもメーデーの行進を見る。名産十日町織物の工場の人たちの行進。
農家の人も耕運機を持って参加していた。
十日町駅11時53分発飯山線115D列車に乗る。車輌は1両で終点の越後川口駅に
は12時21分に着いた。
越後川口駅
越後川口駅12時12時50分の上越線上り738列車に乗り、六日町駅に向かう。浦
佐付近からみた八海山(はっかいさん・1,778m)
五日町駅付近からの八海山
ちなみに、2020年5月12日の毎日新聞デジタルに、八海山に雪形が現れたことを
紹介した『八海山に雪形の「田かき馬」出現 新潟・南魚沼』という記事が掲載された。
13時39分に六日町駅に着いた。ここで東京から下り列車で来たYさんと落ち合い、
明日登る巻機山(まきはたやま)山麓・清水方面への13時55分発のバスに乗る。
終点の上長崎バス停には14時30分に着いた。上長崎付近は梅の見頃である。向こう
の山は金城山(1,369m)
雪解け水を集めて流れる急流
水田に影映す無黒山(1,049m)
上長崎から清水へは7㎞の道のりである。
清水集落に近づくにつれて、除雪された道の両側はまだ1m余りの雪が残る。
上長崎から残雪の道を歩いて2時間余り、宿泊する予定の巻機山麓にある清水の常宿で
ある民宿・泉屋に行くが満員で断られ、近くの民宿・やまごに入る。
ここも混んでいて、ほかの2人との相部屋。ゴールデンウィークとはいえ、ずいぶん混
むむものだと驚く。夕食は山菜料理のごちそうだった。
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妙高山麓新赤倉温泉の、妙高逓信保養所赤倉荘で5時30分に起床した。食事をせずに
宿を出て5時50分発のバスに乗り、6時05分に田口駅(現在の妙高高原駅)に着いた。
田口駅に入る信越線下り列車。
田口駅6時30分発信越線上り324列車に乗る。
田口~柏原間での妙高山の眺め(古い写真なので山容が確認し難いが)。
田口駅では空いていたが、次の柏原駅辺りから長野市内への通勤通学客が次第に増えて
東京並みの超満員になる。乗り換えの豊野駅には7時32分に着いたが、出入り口には回
れずに窓から下車した。
豊野からは、7時45分発飯山線の飯山行き117D列車に乗る。2両のディーゼルカ
ーは千曲川沿いに進む。この辺りは信州リンゴの本場だが、まだ枯れ枝のリンゴ畑が一面
に広がっていた。
8時17分に飯山駅に着いた。
飯山駅構内にて貨車入替え作業中のC56↑とC12型蒸気機関車↓。
飯山市は善光寺平の北端、広々と開けた善光寺平が信越国境の丘陵に押されてつぼまり
始めたところの、千曲川に沿って飯山の街がある。
古くは上杉謙信の飯山城普請で発生した城下町、幕末は本多氏2万石の所領で飯山街道
の要衝として栄えた。
乗り換え待ちの1時間ほどの間、街の中を巡る。
この街で目立つのが、軒を並べる仏具店。飯山線の北側を走る街道に沿って何軒も並ん
でいる。270年前から続くという仏壇造りの歴史が、この地方の住民の信仰と結びつい
て発展したものだという。
裏通りを歩いていたら、右書きの看板のある芝居小屋か活動写真館かの建物があった。
飯山電報電話局
飯山駅前では、この地区の統一メーデーが始まろうとしていた。
飯山駅発9時21分の飯山線119D列車に乗る。今日の行程図
りんごの里豊野から千曲川に沿って奥信濃を貫き、上越線の越後川口までの飯山線は国
鉄きっての豪雪地帯を走る。信濃と越後との国境にある森宮野原(もりみやのはら)駅は、
積雪量でも国鉄最大で、4mを超えることも少なくない。
今回の旅でも飯山から十日町までの間は線路脇に残雪が多く、2月の長野原線(群馬)
と同じくらいの雪が見られた。
飯山~信濃白鳥間
信濃白鳥~十日町間
苗場山の見える越後田沢付近
県境を越えると千曲川から信濃川と名を変え、流れも広がる。
十日町駅に11時ちょうどに着き、再び途中下車する。
スイセンの咲く十日町駅ホーム。向こうは冬の務めを終えたラッセル車。
雪の十日町として知られるように、毎年2月の雪まつりには雪の彫刻のほかいろいろな
催しがあり、各地から観光客が訪れる。
十日町織物は、飛鳥天平の昔から続いているという。山野に自生する草麻を冬の間雪に
さらして縮布を織ったのが始まりで、これが風土に適したためだんだん盛んになり、越後
上布として珍重された。
その後、越後縮(ちぢみ)の全盛を経て、明治から絹織物に変わり明石縮の全盛が続く。
戦後は、本格的なお召しの時代となり、高級絹織物界で揺るぎない地位を築いたようだ。
(十日町小唄)
越後名物かずかずあれど 明石縮(あかしちぢみ)に雪の肌
着たら離せぬ味の良さ テモサッテモソジャナイカ
十日町でもメーデーの行進を見る。名産十日町織物の工場の人たちの行進。
農家の人も耕運機を持って参加していた。
十日町駅11時53分発飯山線115D列車に乗る。車輌は1両で終点の越後川口駅に
は12時21分に着いた。
越後川口駅
越後川口駅12時12時50分の上越線上り738列車に乗り、六日町駅に向かう。浦
佐付近からみた八海山(はっかいさん・1,778m)
五日町駅付近からの八海山
ちなみに、2020年5月12日の毎日新聞デジタルに、八海山に雪形が現れたことを
紹介した『八海山に雪形の「田かき馬」出現 新潟・南魚沼』という記事が掲載された。
13時39分に六日町駅に着いた。ここで東京から下り列車で来たYさんと落ち合い、
明日登る巻機山(まきはたやま)山麓・清水方面への13時55分発のバスに乗る。
終点の上長崎バス停には14時30分に着いた。上長崎付近は梅の見頃である。向こう
の山は金城山(1,369m)
雪解け水を集めて流れる急流
水田に影映す無黒山(1,049m)
上長崎から清水へは7㎞の道のりである。
清水集落に近づくにつれて、除雪された道の両側はまだ1m余りの雪が残る。
上長崎から残雪の道を歩いて2時間余り、宿泊する予定の巻機山麓にある清水の常宿で
ある民宿・泉屋に行くが満員で断られ、近くの民宿・やまごに入る。
ここも混んでいて、ほかの2人との相部屋。ゴールデンウィークとはいえ、ずいぶん混
むむものだと驚く。夕食は山菜料理のごちそうだった。
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