2020年3月3日(火)
全国の学校が臨時休校とするよう要請された翌日、ひな祭りの今日は新型コロナウィル
ス感染の恐れが少ない、短時間で行ける場所へウオーキングに出かけることにした。
思いついたのは、3日前の2月29日(土)のテレビ東京「出没!アド街ック天国」で
紹介された、東京・府中市の分倍河原(ぶばいがわら)周辺。
昨年秋、入手した「府中市 水と緑のネットワーク ウオーキング・マップ」の「古戦場
と学びの道」コースを中心に歩くことにした。

JR武蔵野線の始発駅で南武線とも接続する府中本町駅に10時10分に着き、5分後
にスタートした。
北口を出て階段を下り、西に延びる緩やかなカーブの細道を進む。御殿下公園の北側で
鎌倉街道へ。

路傍に、文政5(18322)年造立の庚申塔が立っていた。

北側の市立三小は休校のはずだが、校庭には子どもたちの姿が見える。

次の交差点を右折、北への道路沿いにハクモクレンが開花していた。
踏切際を左折すると、すぐ先がJR南武線の分倍河原駅である。


南側、片町公園際に「新田義貞公之像」がある。新田義貞と北条泰家の軍勢が鎌倉幕府
の興亡をかけて火花を散らした、元弘3(1333)年5月の分倍河原合戦をモチーフと
したものとか。

分倍河原合戦の史実を通して市民の郷土史への理解を深めるとともに後世に伝えるため、
昭和63(1988)年5月に設置したもの。制作は文化功労者で日本芸術院会員の富永
直樹氏という。
傍らには新しい歌碑も立っていた。

片町公園から南へすぐ、MINANOと書かれてビルを抜ける。その一角に、「アド街
ック天国」で10位だった和菓子店・青木屋の店舗が目につく。

再び鎌倉街道に出て、京王線の分倍河原駅南側で高架下を西に抜ける。すぐ先の分量橋
際から南に延びる雑田川緑道へ。流れに水は無く涸れていた。



緑道は少し先で左に分かれ、その先は車道を進んで中央自動車道の高架下を抜ける。南
側の新田川分梅公園からは、木々の続く新田川緑道を西進する。


屋根にこけの生えた東屋(あずまや)の先に「分倍河原古戦場」碑が立ち、そばにその
説明板もあり、元弘3(1333)年5月の新田義貞と執権・北条軍との分倍河原とその
周辺での戦いのことが記されていた。


ちなみに「分倍河原の合戦」が、「アド街ック天国」の第1位であった。

緑道が右折する手前、分梅(ぶばい)第5公園のところで緑道に分かれて南に向かう。

緑道のミモザが花開き、公園ではピンクの梅が花いっぱい。


立派な土蔵のある民家の横を進み、住吉文化センター構内を南に抜ける。そばの住吉町
公園には、休校中の学童やその母親などが何組も時を過ごしていた。


京王線の高架下を抜けて中河原駅そばまで進み、V字状に折り返して東南東に延びる下
河原緑道へ。

緑道中央部に紅梅が咲き、幼児2人の彫刻もある。



下河原通りと交差する手前は南町第3公園で、その南西側には八幡神社が祭られていた。
ここで緑道を離れる。


南西側すぐの南町交番前公園には白梅が花を残し、たくさんのボケが開花し始めている。


中層住宅の立ち並ぶ南町アパート横を進み、東京多摩郵便局↑と読売新聞社府中支局↓の
2つの大きな建物の間を抜けて、多摩川左岸堤防上の「府中多摩川かぜのみち」と呼ぶ自
転車と歩行者の遊歩道へ。


河川敷には、昨年10月の集中豪雨で流されたらしい倒木が何10本も見えるが、現在
の流れは中央部のわずかな部分のみに望まれる。


それらを眺めながら東へ700m前後進む。北側の建物は防災科学技術研究所の観測施
設のよう。

地下2,700mを超える深さに地震計が設置されていて、東京直下地震の発生メカニズ
ム解明に役立っているのだという。

東側の広大な緑地は「府中市郷土の森公園」である。南側車道沿いの桜並木の向こうに
何本もの梅が花を見せているが、入口は公園の東南端を回った北側にあるので回り込む。

ちなみに、府中市郷土の森公園は「アド街ック天国」の第2位であった。

公園の中央部を貫くT字路の近くに観光物産館がある。入館して地元農産物や食料品な
どを眺める。


観光コーナーでパンフレットを眺め、牛乳を求めて喉を潤しひと休みする。

梅林に回るための唯一の入口である郷土の森博物館の入口に行くが、新型コロナウィル
スの感染拡大防止のため、昨日から臨時休館になっていて、残念ながら入れない。

当然ながら博物館も入館できず、このコースのテーマのひとつ「学びの道」も閉ざされ
たことになるが仕方ない。

T字路の北東側に入ると、芝生広場の白梅が何本か花を見せていた。

そばに、ハス池になっている修景池があり、ハスの姿はまだ無いが、池の南側に「ハス
博士大賀一郎先生」胸像がある。


大賀一郎博士は、戦災にあい終戦直前の昭和20(1945)年6月に府中に移り住み、
亡くなるまでの20年間を市内で過ごされたたとのこと。
その間、2千年前のハスの発芽や当麻寺(たいまじ)に伝わる曼荼羅の研究など多くの
成果を残され、2千年前の蓮は大賀ハスとして現在も国内各地に花を咲かせている。



修景池の北側には、「緑光燦舞」と呼ぶ彫刻がある。写真は南側↑からと北側↓から。

池の北西側、広い芝生広場に回り、トイレのそばの休憩棟に12時45分に入り、ベン
チで昼食とした。 (続く)
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全国の学校が臨時休校とするよう要請された翌日、ひな祭りの今日は新型コロナウィル
ス感染の恐れが少ない、短時間で行ける場所へウオーキングに出かけることにした。
思いついたのは、3日前の2月29日(土)のテレビ東京「出没!アド街ック天国」で
紹介された、東京・府中市の分倍河原(ぶばいがわら)周辺。
昨年秋、入手した「府中市 水と緑のネットワーク ウオーキング・マップ」の「古戦場
と学びの道」コースを中心に歩くことにした。

JR武蔵野線の始発駅で南武線とも接続する府中本町駅に10時10分に着き、5分後
にスタートした。
北口を出て階段を下り、西に延びる緩やかなカーブの細道を進む。御殿下公園の北側で
鎌倉街道へ。

路傍に、文政5(18322)年造立の庚申塔が立っていた。

北側の市立三小は休校のはずだが、校庭には子どもたちの姿が見える。

次の交差点を右折、北への道路沿いにハクモクレンが開花していた。

踏切際を左折すると、すぐ先がJR南武線の分倍河原駅である。


南側、片町公園際に「新田義貞公之像」がある。新田義貞と北条泰家の軍勢が鎌倉幕府
の興亡をかけて火花を散らした、元弘3(1333)年5月の分倍河原合戦をモチーフと
したものとか。

分倍河原合戦の史実を通して市民の郷土史への理解を深めるとともに後世に伝えるため、
昭和63(1988)年5月に設置したもの。制作は文化功労者で日本芸術院会員の富永
直樹氏という。
傍らには新しい歌碑も立っていた。

片町公園から南へすぐ、MINANOと書かれてビルを抜ける。その一角に、「アド街
ック天国」で10位だった和菓子店・青木屋の店舗が目につく。

再び鎌倉街道に出て、京王線の分倍河原駅南側で高架下を西に抜ける。すぐ先の分量橋
際から南に延びる雑田川緑道へ。流れに水は無く涸れていた。



緑道は少し先で左に分かれ、その先は車道を進んで中央自動車道の高架下を抜ける。南
側の新田川分梅公園からは、木々の続く新田川緑道を西進する。


屋根にこけの生えた東屋(あずまや)の先に「分倍河原古戦場」碑が立ち、そばにその
説明板もあり、元弘3(1333)年5月の新田義貞と執権・北条軍との分倍河原とその
周辺での戦いのことが記されていた。


ちなみに「分倍河原の合戦」が、「アド街ック天国」の第1位であった。

緑道が右折する手前、分梅(ぶばい)第5公園のところで緑道に分かれて南に向かう。

緑道のミモザが花開き、公園ではピンクの梅が花いっぱい。


立派な土蔵のある民家の横を進み、住吉文化センター構内を南に抜ける。そばの住吉町
公園には、休校中の学童やその母親などが何組も時を過ごしていた。


京王線の高架下を抜けて中河原駅そばまで進み、V字状に折り返して東南東に延びる下
河原緑道へ。

緑道中央部に紅梅が咲き、幼児2人の彫刻もある。



下河原通りと交差する手前は南町第3公園で、その南西側には八幡神社が祭られていた。
ここで緑道を離れる。


南西側すぐの南町交番前公園には白梅が花を残し、たくさんのボケが開花し始めている。


中層住宅の立ち並ぶ南町アパート横を進み、東京多摩郵便局↑と読売新聞社府中支局↓の
2つの大きな建物の間を抜けて、多摩川左岸堤防上の「府中多摩川かぜのみち」と呼ぶ自
転車と歩行者の遊歩道へ。


河川敷には、昨年10月の集中豪雨で流されたらしい倒木が何10本も見えるが、現在
の流れは中央部のわずかな部分のみに望まれる。


それらを眺めながら東へ700m前後進む。北側の建物は防災科学技術研究所の観測施
設のよう。

地下2,700mを超える深さに地震計が設置されていて、東京直下地震の発生メカニズ
ム解明に役立っているのだという。

東側の広大な緑地は「府中市郷土の森公園」である。南側車道沿いの桜並木の向こうに
何本もの梅が花を見せているが、入口は公園の東南端を回った北側にあるので回り込む。

ちなみに、府中市郷土の森公園は「アド街ック天国」の第2位であった。

公園の中央部を貫くT字路の近くに観光物産館がある。入館して地元農産物や食料品な
どを眺める。


観光コーナーでパンフレットを眺め、牛乳を求めて喉を潤しひと休みする。

梅林に回るための唯一の入口である郷土の森博物館の入口に行くが、新型コロナウィル
スの感染拡大防止のため、昨日から臨時休館になっていて、残念ながら入れない。

当然ながら博物館も入館できず、このコースのテーマのひとつ「学びの道」も閉ざされ
たことになるが仕方ない。

T字路の北東側に入ると、芝生広場の白梅が何本か花を見せていた。

そばに、ハス池になっている修景池があり、ハスの姿はまだ無いが、池の南側に「ハス
博士大賀一郎先生」胸像がある。


大賀一郎博士は、戦災にあい終戦直前の昭和20(1945)年6月に府中に移り住み、
亡くなるまでの20年間を市内で過ごされたたとのこと。
その間、2千年前のハスの発芽や当麻寺(たいまじ)に伝わる曼荼羅の研究など多くの
成果を残され、2千年前の蓮は大賀ハスとして現在も国内各地に花を咲かせている。



修景池の北側には、「緑光燦舞」と呼ぶ彫刻がある。写真は南側↑からと北側↓から。

池の北西側、広い芝生広場に回り、トイレのそばの休憩棟に12時45分に入り、ベン
チで昼食とした。 (続く)


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