2014年4月20日(日)午後
午前中歩いた「続カタツムリ歩行」が、東久留米市小山の子神社(ねのじんじゃ)にゴ
ールし、ミーティング後の12時50分頃、散会となりました。
参加者はそれぞれ帰路につきましたが、私は南側の大圓寺に寄ってから清瀬駅に向かう
ことにしました。
子神社からは3分ほどで、大圓寺(だいえんじ)に着きます。東久留米七福神の恵比寿、
福禄寿、寿老神の3つの神が祭られている寺で、私は七福神巡りのほかにも来たことがあ
りました。
南側道路際にある山門を入り、さらに仁王門をくぐります。本堂前からふり返る仁王門。
大圓寺は天台宗の寺院で、創建年代は不詳のようですが、天長年間(824~834)
に慈覚大師円仁が創建したと伝えられているとのことです。
木々の多い境内の中央に、本堂がどっしりと構えています。
本堂の前には、メグスリノキの若木が芽吹きを始めていました。
ちなみにメグスリノキは、4日前に巡った秩父三十四観音霊場の第13番札所、慈眼寺
(じげんじ)の本堂前にも大きな木がありました(当ブログ、前々回参照)。
境内にある護摩堂。ほかに地蔵堂や観音堂、大圓寺会館などもあります。
仁王門と本堂との間には、背の高い大王松が立っています。
東側には、大きな釜が保存されていましたが、大きさや由緒などは記されていません。
緑豊富な境内では、いろいろな花が咲き出していました。仁王門と山門との間のツツジ。
近くには、咲き残るシダレザクラも。
山門の内側では、八重桜が咲き出していました。
桜の向こうはりっぱな鐘楼堂。
山門からふり返る仁王門。
山門を出たところに、庚申塔と馬頭観音塔が並んでいます。右の庚申塔は延享3年
(1746)の造立、左の馬頭観音籐は天保9年(1838)の造立で、もとは近くの秩
父道(所沢街道)にあったもののよう。いずれも東久留米市の指定文化財です。
門の反対側には庚申塔と石橋供養塔も並んでいて、こちらも市指定文化財です。
山門を出て、南側を西から東に流れる黒目川に出て、川沿いの自転車道を次の中橋まで
西進しました。
中橋で川を離れて北に向かいます。すぐ先の十字路際には、石橋供養塔と3つの力石が
並んでいました。
いま渡ってきた中橋や、下流の曲橋と上流の落葉橋の三つの石橋を造ったときの供養塔
で、明治23年(1890)に造立されたものとか。
前に並ぶ力石は、かつての小山村の若者たちの力比べに使われたもので、一番大きな右
端の石は45貫(約169㎏)と刻まれています。
その先は緩やかな上り坂になり、坂の上部近くに小さな社殿の御岳神社が祭られていま
した。
社殿は石段の上ですが、石段下に並ぶ石塔の一つに、珍しいこのような形をしたものが。
礎石には御嶽山登頂記念と刻まれているようですが、登のあとの文字ははっきりしません。
台地上の小山三丁目と四丁目の間を北進して、午前中通過した野火止用水と水道道路の
西方を横断します。
野火止用水の先は、埼玉県新座市の新堀三丁目になり、道路に3,4個のマンホールが
並んでいました。マンホールのふたをよく見たら、この下に非常災害用の耐震性貯水槽が
設けられているようです。
新堀三丁目の北端付近に、公園のような緑豊富な一角があり、「こばとの森幼稚園」の
看板が出ていました。こんなに緑いっぱいの園内で、幼稚園児は伸び伸びと遊べそう…。
その先は、東京都清瀬市松山一丁目。西武池袋線の清瀬駅はすぐ先で、13時38分に
着きました。
我が家の最寄り駅までは下り電車で3駅。14時過ぎには帰宅できました。
(距離 2㎞(東久留米駅からの続カタツムリ歩行を加えて7㎞)、地図(1/2.5万)
志木、歩行地 東久留米市、新座市、清瀬市、東久留米駅からの歩数 12,500)
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午前中歩いた「続カタツムリ歩行」が、東久留米市小山の子神社(ねのじんじゃ)にゴ
ールし、ミーティング後の12時50分頃、散会となりました。
参加者はそれぞれ帰路につきましたが、私は南側の大圓寺に寄ってから清瀬駅に向かう
ことにしました。
子神社からは3分ほどで、大圓寺(だいえんじ)に着きます。東久留米七福神の恵比寿、
福禄寿、寿老神の3つの神が祭られている寺で、私は七福神巡りのほかにも来たことがあ
りました。
南側道路際にある山門を入り、さらに仁王門をくぐります。本堂前からふり返る仁王門。
大圓寺は天台宗の寺院で、創建年代は不詳のようですが、天長年間(824~834)
に慈覚大師円仁が創建したと伝えられているとのことです。
木々の多い境内の中央に、本堂がどっしりと構えています。
本堂の前には、メグスリノキの若木が芽吹きを始めていました。
ちなみにメグスリノキは、4日前に巡った秩父三十四観音霊場の第13番札所、慈眼寺
(じげんじ)の本堂前にも大きな木がありました(当ブログ、前々回参照)。
境内にある護摩堂。ほかに地蔵堂や観音堂、大圓寺会館などもあります。
仁王門と本堂との間には、背の高い大王松が立っています。
東側には、大きな釜が保存されていましたが、大きさや由緒などは記されていません。
緑豊富な境内では、いろいろな花が咲き出していました。仁王門と山門との間のツツジ。
近くには、咲き残るシダレザクラも。
山門の内側では、八重桜が咲き出していました。
桜の向こうはりっぱな鐘楼堂。
山門からふり返る仁王門。
山門を出たところに、庚申塔と馬頭観音塔が並んでいます。右の庚申塔は延享3年
(1746)の造立、左の馬頭観音籐は天保9年(1838)の造立で、もとは近くの秩
父道(所沢街道)にあったもののよう。いずれも東久留米市の指定文化財です。
門の反対側には庚申塔と石橋供養塔も並んでいて、こちらも市指定文化財です。
山門を出て、南側を西から東に流れる黒目川に出て、川沿いの自転車道を次の中橋まで
西進しました。
中橋で川を離れて北に向かいます。すぐ先の十字路際には、石橋供養塔と3つの力石が
並んでいました。
いま渡ってきた中橋や、下流の曲橋と上流の落葉橋の三つの石橋を造ったときの供養塔
で、明治23年(1890)に造立されたものとか。
前に並ぶ力石は、かつての小山村の若者たちの力比べに使われたもので、一番大きな右
端の石は45貫(約169㎏)と刻まれています。
その先は緩やかな上り坂になり、坂の上部近くに小さな社殿の御岳神社が祭られていま
した。
社殿は石段の上ですが、石段下に並ぶ石塔の一つに、珍しいこのような形をしたものが。
礎石には御嶽山登頂記念と刻まれているようですが、登のあとの文字ははっきりしません。
台地上の小山三丁目と四丁目の間を北進して、午前中通過した野火止用水と水道道路の
西方を横断します。
野火止用水の先は、埼玉県新座市の新堀三丁目になり、道路に3,4個のマンホールが
並んでいました。マンホールのふたをよく見たら、この下に非常災害用の耐震性貯水槽が
設けられているようです。
新堀三丁目の北端付近に、公園のような緑豊富な一角があり、「こばとの森幼稚園」の
看板が出ていました。こんなに緑いっぱいの園内で、幼稚園児は伸び伸びと遊べそう…。
その先は、東京都清瀬市松山一丁目。西武池袋線の清瀬駅はすぐ先で、13時38分に
着きました。
我が家の最寄り駅までは下り電車で3駅。14時過ぎには帰宅できました。
(距離 2㎞(東久留米駅からの続カタツムリ歩行を加えて7㎞)、地図(1/2.5万)
志木、歩行地 東久留米市、新座市、清瀬市、東久留米駅からの歩数 12,500)
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