2013年2月17日(日)
昨年12月で22年間の歩みを終了した、JR武蔵野線周辺を1年にひと駅ずつ歩い
た「カタツムリ歩行」だが、参加者の期待を受けて事務局のDさんご夫妻が、あと5年
をかけて府中本町駅から西船橋駅へと、いままでとは逆行する「続カタツムリ歩行」を
実施してくれることになった。
今日はその初回、前日の冷たい強風は収まったが、最高気温は8度前後の予想で真冬
並み。でも、続行に期待していつものメンバーが20人以上集まり、三三五五とスター
トする。やまさんや事務局のDさんなどと最後のグループは10時8分に駅を出た。
駅の西側から、JR武蔵野線と南武線の線路際を南に向かう。200mほど進むと、
広い空き地になっている矢崎町防災公園があった。
もとの勤労福祉会館跡を活用したもので、災害対策用の諸設備があり、災害時の避難
場所になったり防災訓練などが行えるという。
災害対策設備として、炊き出し用のかまどになるベンチやイス↑、太陽光と風力発電
設備によるハイブリッド照明灯、災害時に使用する機材を格納し、屋根と壁面に太陽光
パネルのある防災倉庫↓、災害用仮設トイレなどが設けられ、広場の地下には、消火や
飲料用の100トン貯水槽2基、防火用の100トンの貯水槽3基があるようだ。
防災公園の北側から、ケヤキ並木の続く遊歩道が西に延びていて、電車ごっこ姿の少
年像があった。
この道は、もと国鉄国分寺駅から多摩川に向かって敷かれた旧下河原線の支線が、東
京競馬場前へと伸びていた廃線跡で、昭和48(1973)年に武蔵野線開通で旅客輸
送を終え、昭和51(1976)年9月には貨物輸送も廃止したのだという。
少年像の辺りが、「東京競馬場前駅」だったようで、この駅名は当時、国鉄で一番長
い駅名だったことが鉄道ファンには知られている。
ちなみに、国分寺駅を出た当時の下河原線は、現在の西国分寺駅近くで90度左にカ
ーブし府中街道と交差して南下し、現在のJR武蔵野線の府中本町方向への線路敷きが
下河原線の線路で、浦和方面への線路は増設したものだという。
住宅地を南北に貫く芝間通りに出て南に向かう。この通りは、昨年12月の最終回に
も通過したところ。
すぐ先右手には、タマネギを植えた学校給食応援畑があり、この畑で収穫した野菜な
どは府中市の学校給食に使われると記されていた。
左側のカーブする辺りには、江戸時代の「武蔵名勝図絵」にも記され、東京都史跡に
なっている「三千人塚」があり、大きなエノキの下に、多摩地区最古という康元元
(1256)年銘の板碑が立っていた。
中央自動車道の下を抜けて、葬儀式場用の立て看板の並ぶ倉庫のような建物の先に進
むと、ビニールハウスの向こうに、真っ白な富士山の上部が望まれる。
反対側の畑には、たくさんのムクドリがブロッコリーの葉をついばみ、その先には、
サントリー武蔵野工場の建物群が広がっている。
「そよ風」と呼ぶ少女像のある交差点から下河原緑道に入るところに、「いしむら」
という和菓子店があり、試食販売中の表示にひかれてみんなで店に入ってみた。
福岡市の銘菓・鶴の子の石村萬年堂の本社直売店のようで、店内は狭いが、彩り豊
富でおいしそうな和菓子がたくさん並んでいる。
入った大方の皆さんが、それぞれお好みの菓子を買い求めた。
いしむらの前の道路に平行している下河原緑道に入る。
これがかつての国鉄下河原線の廃線跡。国道20号・甲州街道の北あたりから真っ
直ぐ南に延びてきていて、すぐ先の郷土の森公園の西側に沿って右に緩くカーブして
いる。
郷土の森公園の北西端にある郷土の森博物館付近では、紅梅が花を見せ始めていた。
右カーブの終える辺りで緑道を離れて北に向かう。すぐ近くに、私が不参加だった
昨年10月のゴールだったという芝間稲荷神社があった。
狭い敷地で植栽も無いが、急傾斜の屋根を持つ社殿が朱塗り色鮮やかに立っている。
その先の三差路際で、背の低い見慣れぬキャンピングカーを洗っているご主人がお
られた。かなり前のフォルクスワーゲンのようで、昨日雪国から帰ってきたらしい。
ジェット噴水で床下の雪や泥をきれいに洗い流していた。
その通りを行ってみたら、新興住宅地で行き止まり。戻って次の交差点を左折して
南町二丁目に入る。レンガ造りの住宅の道路際で、白梅が開花し始めていた。
屋根上に鉄骨造りの火の見やぐらの残る府中消防団第13分団の建物前を過ぎ、住
宅地の間にかなりの面積で残る畑の横を通過する。
近くの道路際では、スイセンが見頃になっていた。
積み石の壁面になっているりっぱな住宅の壁面から道路際の植え込みにかけて、ク
リスマス用の幅広い電飾が残っている。
どんな彩りに輝くのだろうか、夜に来て見てみたいものだ。
回り込んできた下河原緑道が合した次の交差点の向こうが、ゴールの八幡神社。
11時55分に着いた。
いつもは遅い方なのだが、今日は1番乗りの到着。境内にあった児童用砂場の周囲
などに腰を下ろして昼食にする。まもなくほかのグループも、あい次いで着いた。
食事を終えて事務局のDさんが記念撮影して、ミーティングを行う。
Dさんから、健康を保つための栄養の整った献立についての話があり、今までは続
いてやまさんから話があったのだが、昨年暮れにゴールして折り返しになったので、
今回からは別の人が交互に話すことにしたとのことで、久しぶり参加のSさんが挨拶
を兼ねて話し、13時30分近くに散会となった。
(天気 晴一時曇、距離 3㎞、地図(1/2.5万) 武蔵府中、歩行地 府中市)
最寄り駅は京王線の中河原駅だが、私は一人北東に向かい、中央自動車道を越えた
本町二丁目で下河原緑道に入る。国道20号の北で府中街道に回り、JR武蔵野線北
府中駅の横を通過して、JR中央線と交差する西国分寺駅まで歩いた。
(府中本町駅から通算8㎞)
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昨年12月で22年間の歩みを終了した、JR武蔵野線周辺を1年にひと駅ずつ歩い
た「カタツムリ歩行」だが、参加者の期待を受けて事務局のDさんご夫妻が、あと5年
をかけて府中本町駅から西船橋駅へと、いままでとは逆行する「続カタツムリ歩行」を
実施してくれることになった。
今日はその初回、前日の冷たい強風は収まったが、最高気温は8度前後の予想で真冬
並み。でも、続行に期待していつものメンバーが20人以上集まり、三三五五とスター
トする。やまさんや事務局のDさんなどと最後のグループは10時8分に駅を出た。
駅の西側から、JR武蔵野線と南武線の線路際を南に向かう。200mほど進むと、
広い空き地になっている矢崎町防災公園があった。
もとの勤労福祉会館跡を活用したもので、災害対策用の諸設備があり、災害時の避難
場所になったり防災訓練などが行えるという。
災害対策設備として、炊き出し用のかまどになるベンチやイス↑、太陽光と風力発電
設備によるハイブリッド照明灯、災害時に使用する機材を格納し、屋根と壁面に太陽光
パネルのある防災倉庫↓、災害用仮設トイレなどが設けられ、広場の地下には、消火や
飲料用の100トン貯水槽2基、防火用の100トンの貯水槽3基があるようだ。
防災公園の北側から、ケヤキ並木の続く遊歩道が西に延びていて、電車ごっこ姿の少
年像があった。
この道は、もと国鉄国分寺駅から多摩川に向かって敷かれた旧下河原線の支線が、東
京競馬場前へと伸びていた廃線跡で、昭和48(1973)年に武蔵野線開通で旅客輸
送を終え、昭和51(1976)年9月には貨物輸送も廃止したのだという。
少年像の辺りが、「東京競馬場前駅」だったようで、この駅名は当時、国鉄で一番長
い駅名だったことが鉄道ファンには知られている。
ちなみに、国分寺駅を出た当時の下河原線は、現在の西国分寺駅近くで90度左にカ
ーブし府中街道と交差して南下し、現在のJR武蔵野線の府中本町方向への線路敷きが
下河原線の線路で、浦和方面への線路は増設したものだという。
住宅地を南北に貫く芝間通りに出て南に向かう。この通りは、昨年12月の最終回に
も通過したところ。
すぐ先右手には、タマネギを植えた学校給食応援畑があり、この畑で収穫した野菜な
どは府中市の学校給食に使われると記されていた。
左側のカーブする辺りには、江戸時代の「武蔵名勝図絵」にも記され、東京都史跡に
なっている「三千人塚」があり、大きなエノキの下に、多摩地区最古という康元元
(1256)年銘の板碑が立っていた。
中央自動車道の下を抜けて、葬儀式場用の立て看板の並ぶ倉庫のような建物の先に進
むと、ビニールハウスの向こうに、真っ白な富士山の上部が望まれる。
反対側の畑には、たくさんのムクドリがブロッコリーの葉をついばみ、その先には、
サントリー武蔵野工場の建物群が広がっている。
「そよ風」と呼ぶ少女像のある交差点から下河原緑道に入るところに、「いしむら」
という和菓子店があり、試食販売中の表示にひかれてみんなで店に入ってみた。
福岡市の銘菓・鶴の子の石村萬年堂の本社直売店のようで、店内は狭いが、彩り豊
富でおいしそうな和菓子がたくさん並んでいる。
入った大方の皆さんが、それぞれお好みの菓子を買い求めた。
いしむらの前の道路に平行している下河原緑道に入る。
これがかつての国鉄下河原線の廃線跡。国道20号・甲州街道の北あたりから真っ
直ぐ南に延びてきていて、すぐ先の郷土の森公園の西側に沿って右に緩くカーブして
いる。
郷土の森公園の北西端にある郷土の森博物館付近では、紅梅が花を見せ始めていた。
右カーブの終える辺りで緑道を離れて北に向かう。すぐ近くに、私が不参加だった
昨年10月のゴールだったという芝間稲荷神社があった。
狭い敷地で植栽も無いが、急傾斜の屋根を持つ社殿が朱塗り色鮮やかに立っている。
その先の三差路際で、背の低い見慣れぬキャンピングカーを洗っているご主人がお
られた。かなり前のフォルクスワーゲンのようで、昨日雪国から帰ってきたらしい。
ジェット噴水で床下の雪や泥をきれいに洗い流していた。
その通りを行ってみたら、新興住宅地で行き止まり。戻って次の交差点を左折して
南町二丁目に入る。レンガ造りの住宅の道路際で、白梅が開花し始めていた。
屋根上に鉄骨造りの火の見やぐらの残る府中消防団第13分団の建物前を過ぎ、住
宅地の間にかなりの面積で残る畑の横を通過する。
近くの道路際では、スイセンが見頃になっていた。
積み石の壁面になっているりっぱな住宅の壁面から道路際の植え込みにかけて、ク
リスマス用の幅広い電飾が残っている。
どんな彩りに輝くのだろうか、夜に来て見てみたいものだ。
回り込んできた下河原緑道が合した次の交差点の向こうが、ゴールの八幡神社。
11時55分に着いた。
いつもは遅い方なのだが、今日は1番乗りの到着。境内にあった児童用砂場の周囲
などに腰を下ろして昼食にする。まもなくほかのグループも、あい次いで着いた。
食事を終えて事務局のDさんが記念撮影して、ミーティングを行う。
Dさんから、健康を保つための栄養の整った献立についての話があり、今までは続
いてやまさんから話があったのだが、昨年暮れにゴールして折り返しになったので、
今回からは別の人が交互に話すことにしたとのことで、久しぶり参加のSさんが挨拶
を兼ねて話し、13時30分近くに散会となった。
(天気 晴一時曇、距離 3㎞、地図(1/2.5万) 武蔵府中、歩行地 府中市)
最寄り駅は京王線の中河原駅だが、私は一人北東に向かい、中央自動車道を越えた
本町二丁目で下河原緑道に入る。国道20号の北で府中街道に回り、JR武蔵野線北
府中駅の横を通過して、JR中央線と交差する西国分寺駅まで歩いた。
(府中本町駅から通算8㎞)
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