2012年4月28日(土)
関東百駅巡礼歩行の第84番に参加した。集合駅は、鹿島臨海鉄道の「長者ヶ浜潮騒
(しおさい)はまなす公園前駅」。駅名の長さ13字は、九州・南阿蘇鉄道の「南阿蘇
水の生まれる里白水高原駅」の14字に継ぐ日本第2の長い駅名である。
集まったメンバーは駅名標の前で記念撮影をして、11時35分に出発した。
駅名になっている公園は駅から東に700mほどにあるが、やまさんの設定したコー
スは西側を歩くことにしている。
商店は無く人家も少ない駅前に、「みちくさ小屋」の標識の出た新しい建物がある。
無人だが管理人に連絡すると、グループの集会などに有料で利用できるようだ。
線路をこ道橋で越えた北西側には、こんな閑散なところで商売になるのだろうかと思
われるレストランがあった。
直線で延びる線路に平行する県道242号を越えて棚木(たなぎ)集落へ。畑と平地
林とが適度に混在し、林にはカラマツが芽吹き畑にナノハナやタンポポが咲くところに、
新しい住宅がポツポツと増えている。セカンドハウスも結構ありそう。
地図上の道が林で途切れ、畑の隅を回って市営第二球場の横に出る。その先も新興住
宅地が続き、ある家にはペットボトルを加工した風車がたくさん回っていた。
松苗をびっしりと育てている広い苗木畑の横を進み、中村集落に入る。こちらは古く
からの集落のようで、緑も多い。うっそうとした常緑広葉樹に囲まれた椿神社に入った。
簡素ながら荘重な本殿は江戸時代初期の造りらしい。
境内には適当な場所がないので社林の北側にシートを広げ、きのうの雨で湿った畑か
ら上がる湯気を眺めながら昼食にした。
20分余りで食事を終え、12時45分に神社を出る。近くの民家のモミジが色鮮や
かな彩り。
集落の中ほどに、本堂がコンクリート造りの宝幢院があった。鹿嶋市指定文化財で絹
本着色(けんぽんちやくしょく)の「釈迦十六善神図(ぜんじんず)」が所蔵されてい
るという。
集落の多くの民家にはマキの生け垣が多く、屋敷林も豊富で落ち着いたたたずまいを
見せる。
りっぱな瓦屋根の家もあちこちに見られるが、昨年の東日本大震災で被災したらしい、
ブルーシートに覆われた屋根もあった。
集落の西北端にも、宝幢院と同じ彩りで同様なコンクリート造りだが、小さめのお堂
の寺があり、道路際に常緑広葉樹の高木が立っていた。
集落を出て北西に回り込んで下ると、北側の山ろくに3つの大きな建物が見える。
田園地帯を横切りそばに行ったら、「鹿嶋斎苑」と呼ぶ市の斎場。閑散としていたが、
維持費がかなりかかりそうな大きな施設だ。
隣接する広場には、3つの石材店の名で、新しい石仏が見本のように並んでいた。
サギの休む田んぼと斎場背後の丘陵との間の農道を進む。西側の田んぼの向こうに北
浦が望見できる。
田には水が入っていて、連休中には田植えが始まりそう。
車道の三差路際に「景清の松復元記念碑」と記されたりっぱな記念碑が立ち、小さい
松が背後に植えてある。
文治4年(1188)、壇ノ浦の源平合戦で戦った平景清(たいらのかげきよ)が、
娘の人丸に守り本尊の十一面観音菩薩を託し、源平合戦の犠牲者慰霊と世の平和祈願を
命じた。人丸はこの地に着いたが本尊安置場所がなく、松の老木の根元に仮宮として仏
像を安置し、のち出家して妙庫比丘尼(みょうこびくに)となり、近くの大福寺を創建
したという。
景清の松は昭和47年(1972)8月の台風14号で倒され枯死したが、平成元年
に2代目の松を植樹してこの記念碑を建立したようだ。
そばのふた付きコンクリート孔内に、標高10.5mの四等三角点が残っていた。
車道の北側から、北東に延びる谷間を進む。地図上は田んぼだったところだが、休耕
田となり田は数枚しか残っていない。
休耕田の一つに、たくさんのサツマイモが捨ててある。福島第一原発の放射能の影響
で廃棄したものらしく、もったいない。周辺の広葉樹林の、軟らかな新緑とは対照的な
悲しい風景だ。
行き着いたところに静かな沼があり、ここも周辺の新緑がやわらかな彩りを見せる。
車で来た何人かが、ブラックバスを釣るのだと釣り糸を水面に下ろした。
記念碑のところまで戻り、東側の棚木集落に向かって緩やかな斜面を上がって行くと、
記念碑に記された大福寺の山門が見えてきた。
妙庫比丘尼が文治5年(1189)に創建した寺で、本堂に祭られた十一面観音菩薩
座像は、県指定文化財だという。
本堂の左背後に、人丸の墓である「妙庫塚」がある。
寺で小休止後、東側の道路に出て北に進んで小見集落へ。植木園に色鮮やかなモミジ
の新録が、畑のあちこちにはナノハナが咲き、民家の庭先の枝垂れモモが咲き始めるな
ど、春色がいっぱいである。
このあたりには桑畑も多く、手入れされていて養蚕農家も残っているようだ。桑の木
には、若葉の下に花芽がいっぱい付いていた。
ナノハナの横を何か所か過ぎ、集落が終わると道はうっそうとした竹やぶの間に入る。
少し迂回して点在する春秋集落を抜ける。
離山集落の民家の一つでも、色鮮やかな2本のモミジが目につく。
県道242号を斜めに横断し、ゴールの鹿島大野駅には15時20分に着いた。
午前中は曇っていて東風が少し冷たかったが、午後になってすっかり青空が広がり、
連休らしい暖かさになった。
(天気 曇後晴、参加 5人、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 武井、歩行地
鹿嶋市、歩数 17,200)
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関東百駅巡礼歩行の第84番に参加した。集合駅は、鹿島臨海鉄道の「長者ヶ浜潮騒
(しおさい)はまなす公園前駅」。駅名の長さ13字は、九州・南阿蘇鉄道の「南阿蘇
水の生まれる里白水高原駅」の14字に継ぐ日本第2の長い駅名である。
集まったメンバーは駅名標の前で記念撮影をして、11時35分に出発した。
駅名になっている公園は駅から東に700mほどにあるが、やまさんの設定したコー
スは西側を歩くことにしている。
商店は無く人家も少ない駅前に、「みちくさ小屋」の標識の出た新しい建物がある。
無人だが管理人に連絡すると、グループの集会などに有料で利用できるようだ。
線路をこ道橋で越えた北西側には、こんな閑散なところで商売になるのだろうかと思
われるレストランがあった。
直線で延びる線路に平行する県道242号を越えて棚木(たなぎ)集落へ。畑と平地
林とが適度に混在し、林にはカラマツが芽吹き畑にナノハナやタンポポが咲くところに、
新しい住宅がポツポツと増えている。セカンドハウスも結構ありそう。
地図上の道が林で途切れ、畑の隅を回って市営第二球場の横に出る。その先も新興住
宅地が続き、ある家にはペットボトルを加工した風車がたくさん回っていた。
松苗をびっしりと育てている広い苗木畑の横を進み、中村集落に入る。こちらは古く
からの集落のようで、緑も多い。うっそうとした常緑広葉樹に囲まれた椿神社に入った。
簡素ながら荘重な本殿は江戸時代初期の造りらしい。
境内には適当な場所がないので社林の北側にシートを広げ、きのうの雨で湿った畑か
ら上がる湯気を眺めながら昼食にした。
20分余りで食事を終え、12時45分に神社を出る。近くの民家のモミジが色鮮や
かな彩り。
集落の中ほどに、本堂がコンクリート造りの宝幢院があった。鹿嶋市指定文化財で絹
本着色(けんぽんちやくしょく)の「釈迦十六善神図(ぜんじんず)」が所蔵されてい
るという。
集落の多くの民家にはマキの生け垣が多く、屋敷林も豊富で落ち着いたたたずまいを
見せる。
りっぱな瓦屋根の家もあちこちに見られるが、昨年の東日本大震災で被災したらしい、
ブルーシートに覆われた屋根もあった。
集落の西北端にも、宝幢院と同じ彩りで同様なコンクリート造りだが、小さめのお堂
の寺があり、道路際に常緑広葉樹の高木が立っていた。
集落を出て北西に回り込んで下ると、北側の山ろくに3つの大きな建物が見える。
田園地帯を横切りそばに行ったら、「鹿嶋斎苑」と呼ぶ市の斎場。閑散としていたが、
維持費がかなりかかりそうな大きな施設だ。
隣接する広場には、3つの石材店の名で、新しい石仏が見本のように並んでいた。
サギの休む田んぼと斎場背後の丘陵との間の農道を進む。西側の田んぼの向こうに北
浦が望見できる。
田には水が入っていて、連休中には田植えが始まりそう。
車道の三差路際に「景清の松復元記念碑」と記されたりっぱな記念碑が立ち、小さい
松が背後に植えてある。
文治4年(1188)、壇ノ浦の源平合戦で戦った平景清(たいらのかげきよ)が、
娘の人丸に守り本尊の十一面観音菩薩を託し、源平合戦の犠牲者慰霊と世の平和祈願を
命じた。人丸はこの地に着いたが本尊安置場所がなく、松の老木の根元に仮宮として仏
像を安置し、のち出家して妙庫比丘尼(みょうこびくに)となり、近くの大福寺を創建
したという。
景清の松は昭和47年(1972)8月の台風14号で倒され枯死したが、平成元年
に2代目の松を植樹してこの記念碑を建立したようだ。
そばのふた付きコンクリート孔内に、標高10.5mの四等三角点が残っていた。
車道の北側から、北東に延びる谷間を進む。地図上は田んぼだったところだが、休耕
田となり田は数枚しか残っていない。
休耕田の一つに、たくさんのサツマイモが捨ててある。福島第一原発の放射能の影響
で廃棄したものらしく、もったいない。周辺の広葉樹林の、軟らかな新緑とは対照的な
悲しい風景だ。
行き着いたところに静かな沼があり、ここも周辺の新緑がやわらかな彩りを見せる。
車で来た何人かが、ブラックバスを釣るのだと釣り糸を水面に下ろした。
記念碑のところまで戻り、東側の棚木集落に向かって緩やかな斜面を上がって行くと、
記念碑に記された大福寺の山門が見えてきた。
妙庫比丘尼が文治5年(1189)に創建した寺で、本堂に祭られた十一面観音菩薩
座像は、県指定文化財だという。
本堂の左背後に、人丸の墓である「妙庫塚」がある。
寺で小休止後、東側の道路に出て北に進んで小見集落へ。植木園に色鮮やかなモミジ
の新録が、畑のあちこちにはナノハナが咲き、民家の庭先の枝垂れモモが咲き始めるな
ど、春色がいっぱいである。
このあたりには桑畑も多く、手入れされていて養蚕農家も残っているようだ。桑の木
には、若葉の下に花芽がいっぱい付いていた。
ナノハナの横を何か所か過ぎ、集落が終わると道はうっそうとした竹やぶの間に入る。
少し迂回して点在する春秋集落を抜ける。
離山集落の民家の一つでも、色鮮やかな2本のモミジが目につく。
県道242号を斜めに横断し、ゴールの鹿島大野駅には15時20分に着いた。
午前中は曇っていて東風が少し冷たかったが、午後になってすっかり青空が広がり、
連休らしい暖かさになった。
(天気 曇後晴、参加 5人、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 武井、歩行地
鹿嶋市、歩数 17,200)
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