一昨年正月~3月、やまさんが企画して歩いた、LL(Lake to Lake)シリーズ
の続きとして、千葉県の印旛沼と茨城県の菅生沼をつなげる歩きをしようと、再
びやまさんからの案内が来た。
実施は1月11日(祝)、しかし届いたのは翌12日だった。そこで、一人で歩く
ことにして、1月14日(木)に出かけた。

快晴だが、この冬一番の冷え込みとなった朝8時5分、JR常磐線我孫子駅に
着く。駅北口のコンビニで弁当を調達して南口に回り、8時15分にスタートした。
坂を下って手賀沼北岸の手賀沼公園へ。広島市旧市庁舎の石で造られたとい
う「平和の記念碑」に手を合わせ、波静かな湖面を眺める。

折り返して白山の住宅地を上がり、我孫子駅西側のガードを北に抜け、我孫子
三丁目やつくし野三丁目の集合住宅群のそばを進む。
さらに北へ、久寺家中の横から布施新町の住宅地を抜け、あけぼの山農業公
園に入った。本館から資料館の裏手に回ると、昨日降った雪が薄く残っていた。
しかし斜面にはスイセンが一杯花開く。
チューリップ畑の向こうに田園地帯の展望が広がり、修理中でネットで囲まれた
風車が見える。

日本庭園の横を通って高台にある布施弁財天東海寺に上がった。
階段上の楼門をくぐって境内に上がる。右手に小さい三重塔があり、正面にどっ
しりした屋根と朱塗り色鮮やかな本堂が立つ。

堂内に布施弁財天を祭る本堂は、享保2年(1717)の再建。本堂右手の鐘楼
は、珍しい多宝塔形式で、文化15年(1818)建立という。楼門も本堂も、精巧な
木彫が施されていた。

本堂の背後からは、利根川左岸に広がる田園地帯や筑波山が望まれ、その左
に、これから渡る新利根大橋の長い橋脚が伸びている。
西側に回って別の寺の横から田園地帯に出る。用水堀の先に、石のお地蔵さん
などがたくさん集められていた。

利根川右岸堤防を上がって、新利根大橋の下流側にある歩道を渡る。水量豊富
な流れを見下ろしながら千葉県から茨城県に入った。

左岸堤防を上流に向かう。左に広い河川敷を、右手にひろがる田園地帯が続き、
堤内(堤防左の流れ側)の道路には、ダンプトラックがひっきりなしに通る。
河口から91.5㎞付近には、ヘリコプターの練習場らしい広場があり、何機かの
ヘリが次々に地上すれすれまで降りてきた。
快晴で風も弱め、広々とした展望が続き、気持ちよい。93.5㎞付近には、完成
したばかりの越流堤↓があり、北側の雑草地でたくさんのダンプが動く。

荒川の越流堤を貯める彩湖のような湖でも出来るのだろうか…。
つくばエキスプレスの橋と、常磐自動車道の利根川橋の下を通過、右に明治乳
業や守谷市の浄化センターを、左に堤内の運動公園を見下ろす。海から95㎞点
の近くに、左からの利根川と右からの鬼怒川の合流点があった。

鬼怒川左岸堤防に入り、常総運動公園が近づく。堤防の下に枯れ枝の太い木
があり、そばに、「がまん渡し場」の説明板があった。

徳川家康が元和元年(1615)に鷹狩りに訪れ、大雨で利根川が洪水になり、
舟を渡すのが困難になったが、家康が「ガマンをして渡してくれ」と舟夫に頼んで
川を渡ったところだという。

白菜畑の横を回り、東側のアサヒビールの工場↑の建物を眺め、常総運動公
園に北側から入り、体育館横の芝生で昼食をする。
公園を出て、大木集落の静かな里道をくねくねと回り、以前にも訪ねた滝下橋
に近い清滝寺へ。

境内に、背の高いイチョウがブラシのような枯れ枝を広げ、寛文2年(1662)
植樹というムクロジの古木が立つていた。
県道56号の滝下橋はどっしりした朱塗り鮮やかだが、狭いので大型車は交互
通行だ。逆光に光る鬼怒川を見下ろしながら、左に並行する歩道橋を渡る。

この先、県道の交通量は多そうなので避け、橋の先から左手に入る。太い木の
鳥居の立つ清滝香取神社の南をぐるりと回り、利根川左岸の広大な田園地帯を
貫く、用水沿いのまっすぐな道に下った。

この道も以前逆行してきたことがあったが、季節も違うし広大な展望が広がるの
で、車のわずらわしい県道より快適である。
右側は集落のある台地下の斜面林際を、左手は広々とした田んぼが広がる用水
沿いを4㎞ほど、県道3号の菅生大橋の先まで進み、菅生沼の南端に近い菅生町
中郷集落に上がった。
集落の中ほどに、関東八十八か所第41番札所の無量寺がある。菅生沼七福神
の弁財天や、東国花の百ヶ寺でもある。

端正な山門を入ると、右手に青銅製の弁財天が立つ。左手の鐘楼のそばに、背
のたかいケヤキが立ち、その横に、北向きの新しい太子堂が出来ていた。
静かな集落を北に抜け、東仁連川を渡って堀込集落に入る。桜の木のそばの
三差路を左折して、あすなろの里へ向かう。
あすなろの里の入口は、4時閉門と描かれたゲートが3時過ぎなのに閉まって
いる。横の小さいすき間から入り、キャンプ場の横を進んで池の上に出た。

桜のころは賑わうのだろうが、池には氷が張っていまは寒々としている。
博物館への道標に従い左への遊歩道に回ると、樹間から菅生沼が見下ろせる。
沼の東岸に下って遊歩道の木造の橋を渡る。流れに、数羽の白鳥が泳いでいた。

西岸に上がると、茨城県自然博物館の裏手の入口が出来ていた。日が傾き風
も冷たくなったので観覧は次回とし、受付で近くのバス停の時刻表と地図をもらう。
博物館の周りを囲む金網沿いを進んで大六天神社の鳥居前へ。レンガ造りの水
門の前を通って大崎集落を回り、博物館入口の交差点を経て県道20号の自然博
物館入口交差点に出た。
そばにバス停があったが、少し時間があるので県道を北に進む。15時50分に
次の小泉バス停に着きゴールとした。16時発の茨城急行バスで東武野田線の
愛宕駅まで行き、大宮経由で帰途につく。
(天気 快晴後晴、距離 27㎞、地図(1/2.5万) 取手、流山、守谷、水海道、
歩行地 (千葉)我孫子市、柏市、(茨城)取手市、守谷市、水海道市、坂東市、
歩数 46,200)
の続きとして、千葉県の印旛沼と茨城県の菅生沼をつなげる歩きをしようと、再
びやまさんからの案内が来た。
実施は1月11日(祝)、しかし届いたのは翌12日だった。そこで、一人で歩く
ことにして、1月14日(木)に出かけた。
快晴だが、この冬一番の冷え込みとなった朝8時5分、JR常磐線我孫子駅に
着く。駅北口のコンビニで弁当を調達して南口に回り、8時15分にスタートした。
坂を下って手賀沼北岸の手賀沼公園へ。広島市旧市庁舎の石で造られたとい
う「平和の記念碑」に手を合わせ、波静かな湖面を眺める。

折り返して白山の住宅地を上がり、我孫子駅西側のガードを北に抜け、我孫子
三丁目やつくし野三丁目の集合住宅群のそばを進む。
さらに北へ、久寺家中の横から布施新町の住宅地を抜け、あけぼの山農業公
園に入った。本館から資料館の裏手に回ると、昨日降った雪が薄く残っていた。
しかし斜面にはスイセンが一杯花開く。
チューリップ畑の向こうに田園地帯の展望が広がり、修理中でネットで囲まれた
風車が見える。

日本庭園の横を通って高台にある布施弁財天東海寺に上がった。
階段上の楼門をくぐって境内に上がる。右手に小さい三重塔があり、正面にどっ
しりした屋根と朱塗り色鮮やかな本堂が立つ。

堂内に布施弁財天を祭る本堂は、享保2年(1717)の再建。本堂右手の鐘楼
は、珍しい多宝塔形式で、文化15年(1818)建立という。楼門も本堂も、精巧な
木彫が施されていた。

本堂の背後からは、利根川左岸に広がる田園地帯や筑波山が望まれ、その左
に、これから渡る新利根大橋の長い橋脚が伸びている。
西側に回って別の寺の横から田園地帯に出る。用水堀の先に、石のお地蔵さん
などがたくさん集められていた。

利根川右岸堤防を上がって、新利根大橋の下流側にある歩道を渡る。水量豊富
な流れを見下ろしながら千葉県から茨城県に入った。

左岸堤防を上流に向かう。左に広い河川敷を、右手にひろがる田園地帯が続き、
堤内(堤防左の流れ側)の道路には、ダンプトラックがひっきりなしに通る。
河口から91.5㎞付近には、ヘリコプターの練習場らしい広場があり、何機かの
ヘリが次々に地上すれすれまで降りてきた。
快晴で風も弱め、広々とした展望が続き、気持ちよい。93.5㎞付近には、完成
したばかりの越流堤↓があり、北側の雑草地でたくさんのダンプが動く。

荒川の越流堤を貯める彩湖のような湖でも出来るのだろうか…。
つくばエキスプレスの橋と、常磐自動車道の利根川橋の下を通過、右に明治乳
業や守谷市の浄化センターを、左に堤内の運動公園を見下ろす。海から95㎞点
の近くに、左からの利根川と右からの鬼怒川の合流点があった。

鬼怒川左岸堤防に入り、常総運動公園が近づく。堤防の下に枯れ枝の太い木
があり、そばに、「がまん渡し場」の説明板があった。

徳川家康が元和元年(1615)に鷹狩りに訪れ、大雨で利根川が洪水になり、
舟を渡すのが困難になったが、家康が「ガマンをして渡してくれ」と舟夫に頼んで
川を渡ったところだという。

白菜畑の横を回り、東側のアサヒビールの工場↑の建物を眺め、常総運動公
園に北側から入り、体育館横の芝生で昼食をする。
公園を出て、大木集落の静かな里道をくねくねと回り、以前にも訪ねた滝下橋
に近い清滝寺へ。

境内に、背の高いイチョウがブラシのような枯れ枝を広げ、寛文2年(1662)
植樹というムクロジの古木が立つていた。
県道56号の滝下橋はどっしりした朱塗り鮮やかだが、狭いので大型車は交互
通行だ。逆光に光る鬼怒川を見下ろしながら、左に並行する歩道橋を渡る。

この先、県道の交通量は多そうなので避け、橋の先から左手に入る。太い木の
鳥居の立つ清滝香取神社の南をぐるりと回り、利根川左岸の広大な田園地帯を
貫く、用水沿いのまっすぐな道に下った。

この道も以前逆行してきたことがあったが、季節も違うし広大な展望が広がるの
で、車のわずらわしい県道より快適である。
右側は集落のある台地下の斜面林際を、左手は広々とした田んぼが広がる用水
沿いを4㎞ほど、県道3号の菅生大橋の先まで進み、菅生沼の南端に近い菅生町
中郷集落に上がった。
集落の中ほどに、関東八十八か所第41番札所の無量寺がある。菅生沼七福神
の弁財天や、東国花の百ヶ寺でもある。

端正な山門を入ると、右手に青銅製の弁財天が立つ。左手の鐘楼のそばに、背
のたかいケヤキが立ち、その横に、北向きの新しい太子堂が出来ていた。
静かな集落を北に抜け、東仁連川を渡って堀込集落に入る。桜の木のそばの
三差路を左折して、あすなろの里へ向かう。
あすなろの里の入口は、4時閉門と描かれたゲートが3時過ぎなのに閉まって
いる。横の小さいすき間から入り、キャンプ場の横を進んで池の上に出た。

桜のころは賑わうのだろうが、池には氷が張っていまは寒々としている。
博物館への道標に従い左への遊歩道に回ると、樹間から菅生沼が見下ろせる。
沼の東岸に下って遊歩道の木造の橋を渡る。流れに、数羽の白鳥が泳いでいた。

西岸に上がると、茨城県自然博物館の裏手の入口が出来ていた。日が傾き風
も冷たくなったので観覧は次回とし、受付で近くのバス停の時刻表と地図をもらう。
博物館の周りを囲む金網沿いを進んで大六天神社の鳥居前へ。レンガ造りの水
門の前を通って大崎集落を回り、博物館入口の交差点を経て県道20号の自然博
物館入口交差点に出た。
そばにバス停があったが、少し時間があるので県道を北に進む。15時50分に
次の小泉バス停に着きゴールとした。16時発の茨城急行バスで東武野田線の
愛宕駅まで行き、大宮経由で帰途につく。
(天気 快晴後晴、距離 27㎞、地図(1/2.5万) 取手、流山、守谷、水海道、
歩行地 (千葉)我孫子市、柏市、(茨城)取手市、守谷市、水海道市、坂東市、
歩数 46,200)