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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

第15回東京国際スリーデーマーチ第3日

2010-05-03 22:02:48 | 江戸・東京を歩く
 2010年5月3日(月・祝)

 東京国際スリーデーマーチ、最終日は、20㎞コースサクラルートに参加しま
した。私がスタートしたのは、8時58分でした。


 中央会場の小金井公園を、東北に向かいます。


 公園を出て、折り返すように多摩湖自転車道に入り、真っ直ぐな道を西北に
向かいます。


 私の下車駅、西武新宿線の花小金井駅前を過ぎ、小平ふるさと村のそばを通
過します。村内には、小平の古い民家や商家などの建物が移築され、観覧でき
るのですが、この時間はまだ開村前でした。


 自転車道沿いに咲くフジの花。


 こちらの民家には、アメリカハナミズキが花盛り。


 西武多摩湖線の八坂駅の先で多摩湖自転車道に分かれて左折し、東村山中央
公園の横を通過します。緑陰で休憩するウオーカー。


 南に少しで、野火止(のびどめ)用水沿いの緑道へ。


 この用水沿いも、玉川上水緑道同様、広葉樹林に覆われた林間の道が、かなり
続いています。


 西武拝島線の東大和市駅前を過ぎ、まもなくの玉川上水との合流点が、この
コースのチェックポイント。少し早めの昼食を始める人も、かなり見られました。

 ここがコースの折返し点、この先はゴール近くまで、玉川上水緑道の緑陰を歩き
ます。

 私は、さらに3.5㎞ほど進み、小平中央公園で昼食にしました。公園内にある
人工の滝です。


 公園の南側を通過するウオーカー。


 豊富な広葉樹林下の緑道は、ゴール近くまでさらに4㎞ほど続きます。


 最終日のゴールは、14時4分でした。ゴールテントで、3日間の完歩賞と、3日
間完歩回数8回目のバッヂをもらいました。


 会場の広場では、3日間の歩きを終えたウオーカーが、別れを惜しんで語り合う
輪が、幾つもできています。


 中央会場の東北には、かなり背の高い木が並び、その下では、ウオーカー以外の
人たちが、好天のゴールデンウィークを楽しんでいました。


 (天気 晴、距離 21㎞、歩行地 小金井市、小平市、東村山市、東大和市、
  歩数 32,200)
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第15回東京国際スリーデーマーチ第2日

2010-05-02 22:35:28 | 江戸・東京を歩く
 2010年5月2日(日)

 今日も快晴の小金井公園、東京国際スリーデーマーチ第2日は、20㎞コースの
サクラルートに参加しました。まもなく、出発式が始まろうとしています。

 出発式を終え、8時55分頃スタートしました。公園内の江戸東京博物館分館前
を通過する、サクラルートの参加者。 


 小金井公園の西南端を出てから、しばらくは多摩川上水緑道を西に向かいます。


 間もなく緑道を出ようとするあたりは、クヌギなどの豊富な広葉樹に覆われた
緑陰です。


 緑道を出て、西武国分寺線の恋ヶ窪駅付近や国分寺市役所など、狭い歩道の
続く車道を南西に進み、JR中央線の上を越えて国立駅の南を通過し、一橋大の
横を南下し、国立総合体育館のある公園が、今日のチェックポイントでした。

 ここで11時を過ぎ、早くも昼食をする人もかなりいたようです。

 JR南武線の南で、40㎞コースと合流して折返し、谷保天満宮に入ります。

 平安時代の学者で政治家でもあった、菅原道真を祭った社で、合格祈願のお札
がたくさん下がっていました。

 境内には、こんな自動車が…。明治41年(1908)、有栖川宮威仁親王が、初
めてのガソリン自動車3台など11台で、「遠乗会」と呼ぶドライブを、ここ谷保天満
宮を目的地としたときの、自動車の模型のようです。


 JR南武線谷保駅前は、アメリカハナミズキが花盛り。 


 駅前から北に向かう通りは、JR中央線国立駅まで延びる「大学通り」と呼ばれ、
両側には、国立市の保存樹になっている、サクラ、ケヤキ、イチョウ、マツなどの
古木が続いていました。


 音楽家の育成で知られる桐朋学園の東で、大学通りに分かれて東へ、せせらぎ
公園が私の昼食地。ここで昼食をする人は少ないのですが、正午過ぎなので、場
所としてはよいところなのです。


 広い武蔵台通りやJR武蔵野線を横切り、武蔵国分寺跡の北側には、境内が万葉
植物園にもなっている、緑豊富な国分寺があります。


 国分寺の東には、国分寺崖線と呼ぶ、北側台地の斜面からのきれいな湧水が流れ、
それに沿った「お鷹の道」を通過します。

 国分寺駅近くまで上がってにぎやかな通りを抜け、やがて昨日歩いた野川の上流
になる野川緑道に入りました。


 中ほどには、色鮮やかなツツジがたくさん咲いていました。


 小金井街道に出て北に上がり、JR中央線武蔵小金井駅に向かう通りには、幾
つかの新しいお地蔵さんがありますが、これはその一つ、「しあわせ地蔵」と呼ぶ、
ウオーキングスタイルのお地蔵さん。


 高架化されて新しくなった、武蔵小金井駅の横を北に進み、14時36分に、小金
井公園の中央会場にゴールしました。

 今日は、公園内にある小金井市民体育館で開催中の、「完全復元伊能図全国
巡回フロア展」を観覧しました(入館料500円、チラシ持参で100円引き)。


 体育館の広いフロア一帯に、伊能忠敬が200年前に全国を歩いて測量して造
った地図の、完全コピー図が展示されていて、上を自由に歩いて見られるように
なっていました。

 この催しは明日までこの会場で開催され、このあとも全国各地で同様な展示が
予定されています。

(天気 快晴、距離 24㎞、歩行地 小金井市、小平市、国分寺市、国立市、
 府中市、歩数 35,900)
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第15回東京国際スリーデーマーチ第1日

2010-05-01 21:57:46 | 江戸・東京を歩く
 2010年5月1日(土)

 さわやかな五月晴れに恵まれた今日、第15回を迎えた東京国際スリーデーマー
チに参加しました。

 会場は、東京西郊の小金井市と小平市にかかる、広大な都立小金井公園。

 20㎞の花水木キルートに参加し、9時過ぎにスタートしました。


 この大会のメインルートは、花水木、サクラ、ケヤキの3つがあり、どのコースに
いつ参加するかは、参加者の自由です。距離も、40㎞、20㎞、10㎞の3つが
あり、ほかに小金井公園内を回る5㎞と3㎞コース、小金井探訪コースというのも
設けられています。

 公園内を東に向かうと、ツツジやナノハナがたくさん咲く近くを通過します。


 公園の東北端から多摩湖自転車道に入って始点まで進み、千川上水沿いの緑道
を通過し、第10回までの中央会場だった、武蔵野市中央公園に入りました。

 咲いているのは、このコース名になっているハナミズキ。この先で、昨年までほぼ
毎年参加していた、中山道ウオークの皆さんに会いました。

 武蔵野市役所と武蔵野市営競技場の間を抜けて、成蹊学園のケヤキ並木を通過
します。例年だと、もっと新緑が濃くなっていたのですが、今年は、春先の不安定な
気候の影響か、まだ淡い新緑でした。

 この「成蹊学園のケヤキ並木」は、「美しい日本の音風景100選」に選定されて
います。

 五日市街道から武蔵野市の中心街を抜けて、井の頭公園に入りました。

 すっかり新緑に覆われた、ソメイヨシノの下を通過します。

 池には、親子連れやペアで乗る足こぎボートがたくさん見えました。


 井の頭の静かな住宅地から、再開発を終えた三鷹台団地の横を南下し、東八道路
に入ります。車の交通量は多いのですが、両側の広い歩道には、街路樹が整備され
ているので、あまり車を気にせずに歩けます。


 航空研究所交差点で東八道路に分かれて南西に進み、調布市総合体育館前が、
チェックポイントになっています。その先が神代(じんだい)植物公園で、東側の
緑地が、私のいつもの昼食地。

 きょうもここにシートを広げて、弁当を食べました。

 南に下ると、都内では浅草寺に次ぐ歴史を持つ古寺という深大寺(じんだいじ)。


 境内の一角に、「ナンジャモンジャの木」ともいわれるヒトツバタゴの大木が
あります。花は開いていましたが、やはり葉の開き具合はいつもより遅めでした。


 門前には、名物神代そばや観光客向けの土産店などが並び、観光客でにぎわって
いました。


 武蔵境通りを横断し、野川沿いの緑道へ。川にはナノハナが咲き、川沿いの休耕
田では、こいのぼりが5月の薫風をいっぱいに受けて泳いでいました。


 広い緑地が広がる野川公園には、はやりたくさんのグループが訪れ、野川に入って
水遊びを楽しむ子どもたちも見られます。


 緑が一杯の野川公園を、上流に向かって北西に進みました。


 ツツジやハナミズキも見ごろです。


 野川を離れて台地を上がり、東大通りを北に進み、14時43分に小金井公園に
ゴールしました。


 (天気 快晴、距離 23㎞、歩行地 小金井市、西東京市、武蔵野市、三鷹市、
  調布市、歩数 35,400)







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町田・小山内裏公園近辺の散策(東京)

2010-04-03 22:29:58 | 江戸・東京を歩く
 首都圏のソメイヨシノが見ごろとなった今日、4月3日(土)、地図を見ながら
歩く会の例会で、東京・町田市郊外の小山内裏(おやまだいり)公園周辺の
春を訪ねました。

 スタートは、京王相模原線の終点、橋本のひとつ手前、多摩境駅。駅の周
辺は新しいビルが増えつつありますが、東側の桜並木の斜面を下ります。


 このあたりは、小山町の一角にわずかに残る自然、「片所谷戸」と呼ばれ、遊
歩道が設けられているので、そこへ入ってみました。


 どこからか種が飛んできたのか、谷戸のあちこちにはナノハナやショカッサイが
花を見せています。


 斜面林の下部には池があり、その周辺には、斜面から湧き出た小さな流れが、
くねくねと流れ、6月になるとホタルが飛び交うとか。

 この貴重な自然を守るため、「小山のホタルと自然を守る会」というグループが
保護活動に尽力されているようです。

 木々の芽吹き前に目立つ、キブシもあちこちに咲いていました。 


 鉄分が多いのか赤っぽい流れの一隅には、クレソンが花を見せています。


 大きなヤマザクラも、あちこちで咲いていました。


 オオシマザクラの大木も、ちょうど花の見ごろ。


 この花は、何という木なんでしょうか?


 この付近や、西側の八王子市の山林にしかないという、それも100本前後しか
ないという貴重な桜、ホシザクラというのが咲いていました。

 ちょうど来られていた、「小山のホタルと自然と守る会」の事務局長さんから、
ホシザクラと似ている桜の見分け方や、ホシザクラの子株の保護育成している
ことなどを説明していただきました。

 遊歩道の片隅に咲き出したのは、花は1輪ながらニリンソウのようです。


 片所谷戸から北側の台地に上がって小山内裏公園に入り、公園の南側を等高
線に沿って走る遊歩道を西に向かいました。

 この道は、戦時中は「戦車道」と呼ばれる軍用路として使われたようです。

 遊歩道には桜並木が続いていますが、ソメイヨシノではなく別の桜でした。


 下車した多摩境駅のすぐ北側上部あたりからは、少し霞んではいますが、橋本駅
周辺の市街地の向こうに大山や丹沢山塊が望まれました。


 さらに進んで、今日のもうひとつの目的地である、標高182.3mの三等三角
点を探したところ、遊歩道のすぐ西側の高見の広葉樹林で見つかりました。


 そばにベンチがあったので昼食をしてから、小山内裏公園の西端まで進み、
林間を北東に延びる津久井往還と呼ぶ古道に入ります。

 この道は、都内・世田谷区三軒茶屋まで通じていたとのことです。

 公園の北西端には、大田切川の源流になっている大田切池というのがあり、
上高地の大正池を思わせる、立ち枯れの木が残っていました。


 本日の行程はこのあたりで終りとして解散となり、多くの皆さんは近くのバス停
から、私など何人かは歩いて隣駅の京王相模原線南大沢駅に向かいました。
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東京下町ウオーク「神田・湯島・上野・浅草」②

2010-02-02 18:53:31 | 江戸・東京を歩く
 昨夜の雪は、わが家周辺では積雪4~5㎝くらいか。朝食後、わが家など
10戸の私道の一部と庭の雪かきをしたら、腰痛模様に。整形外科の
お世話にはなりたくないのですが、どうなることやら…

================================

 2010年1月31日(日)続き



 不忍池を東に抜けて上野公園に上がり、精養軒前を通過して東照宮に向かう。
参道の入口に「お化け灯籠」と呼ぶ、大きな灯籠があった。

 佐久間大膳亮勝之が創建間もない東照宮に寄進医したもので、高さ6.06m、
笠石の周囲1.63mあり、同じ佐久間が寄進した京都南禅寺、名古屋熱田神宮
の灯籠とあわせて、「日本3大灯籠」と呼ばれているという。

 東照宮の一隅にあるぼたん園では、ボタン祭りを開催中。入園には有料なのと
時間の関係で入らず、入口のボタンの飾りだけ見る。 


 参道の両側は、全国各地の大名から奉納された、りっぱな石灯ろうが並ぶ。


 その突き当たりが東照宮だが、門の中に入ることは出来ない。

 ところでこの写真、チョット変だと気づいた人はいませんか? 種明かしは最後
にて…。

 この後、浅草まで歩くつもりだったが、予定より時間が経過したので、東京メト
ロ銀座線の上野駅から2駅先の田原町駅まで乗って、時間を稼ぐ。

 田原町駅から少し戻り気味に西から北に進んで、西浅草1丁目の東京本願寺
に行く。コンクリート製だが、築地本願寺同様に大きな本堂である。


 西側の通りが、いろいろな道具の店が連なるかっぱ橋道具街。日曜日なので
閉まった店が多いが、ここは食品サンプル店のショウウィンドウ。

 美味しそうな寿司やケーキ、ジョッキー入りビールなどのサンプルが並んでいた
が、ホンモノではないので、食べたり飲んだりすることは出来ません。

 こちらは茶碗の店、数え切れないほどの茶碗が所狭しと並んでいる。


 合羽橋交差点まで北上して右折、浅草寺の方向に向かう。途中にこんな看板の
店が…。62年前というと、昭和22~23年(1947~8)年頃の開業になる。


 南北につくばエクスプレスの走る国際通近くに、東京電力のテプコ浅草館という
展示施設があるので入館した。

 私は昨年1月の関東百駅巡礼歩行で、つくばエクスプレス浅草駅から来たことが
あるが、ほとんどの人が初めてのよう。

 1階ホールでは、昭和30年代頃のアメリカ映画のポスターがたくさん展示され、
2階には、「浅草下町ストーリー」と呼ぶ幾つかのコーナーがあり、これは、浅草
オモチャ館に展示されていた、昭和前半期かと思われる頃のすごろくなど。

 ほかに、水族館、巧芸館、浅草文庫、理髪店、写真館、発電所、電気館などが
あり、懐かしい浅草の雰囲気に浸ることが出来る。

 3階の展示室では、私もカントリーウオークの仲間の全国集会で行ったことの
ある、新潟県柏崎市高柳町のかやぶき民家の残る集落の写真展を開催していた。


 国際通を横切りさらに進む。正面に建設中の隅田ポートタワーの上部が見える。
東京タワーに代わり、首都圏のデジタルテレビの発信元になるもの。完成する再
来年春には、この倍以上の高さになるはず。

 それにしても、この乱雑な電線群はどうにかならないものだろうか。最近よく
見るテレビのヨーロッパの紀行番組では、こんな光景を見ることはない。

 沖縄料理の店に飾ってあった、たくさんのシーサー。


 仲見世通に入って浅草寺に向かう。相変わらずの人出で賑わっていた。


 宝蔵門↑を入ると正面が浅草寺本堂↓だが、今年11月末まで修理中で、
周囲は覆われていた。

 「浅草の観音様」で知られる浅草寺は、都内最古の寺で、坂東三十三観音
霊場の第13番札所である。

 縁起によると、推古天皇の36年(628)、檜前(ひのくま)兄弟が隅田川の
下流で漁をしているときに、網にかかった黄金像を祭ったのが起こりだという。

 広い境内にはほかに、伝法院、五重塔、仁天門(国重文)、淡島堂、鐘楼、
浅草神社(国重文)などがある。

 本堂の背後を回って西に戻り、花やしきの前を南に向かう。


 浅草演芸場前を通過し、再度東に向かい、浅草公会堂の東側あたりで、今日の
ウオークのゴールとした。

(天気 晴、参加 16人、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 東京首部、歩行地 千代
 田区、文京区、台東区、歩数 20,000)

【東照宮の種明かし】 実はこの建物は、実物大近い大きな書き割りなのです。
 よく見ると、左側に空の色と違う部分がありますが、これが実際の空の色です。
 1番手前(最下部)の門はホンモノで、その上の屋根は同じ門を書いたもの。
1番上が東照宮の建物ということになります。

 現在、東照宮は修理中のため、姿が見せられないので、このような書き割りで
気分を味わってもらおうということのよう。 でも、よく出来ていて、私たちもそばに
行くまで気づきませんでした。
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東京下町ウオーク「神田・湯島・上野・浅草」①

2010-02-01 21:49:57 | 江戸・東京を歩く
 首都圏は午後から久しぶりの雨、いまはわが家周辺では雪になりました。明日
朝には、この冬初めての積雪となりそうです。

 暖かだった1月最後の日曜日、きのう1月31日(日)は、カントリーウオーク
グループの有志で、東京下町ウオークをして、江戸の名残の地などを巡りました。

==================================

 2010年1月31日(日)



 JR御茶ノ水駅の聖橋(ひじりばし)際前に集まったメンバー15人は、10時4
分にスタートする。

 南へ下り、ニコライ堂の下を過ぎて、東側の神田淡路町に入った。通りの両側
には、名の知られた病院や医院が幾つかある。


 さらに進んで、老舗のそば屋や料理店などの建物の残る一角を過ぎ、旧交通博物
館前まで行って線路側を折り返して昌平橋を渡る。橋の欄干にカモメが羽を休めて
いた。

 神田川左岸沿いを緩やかに上がって湯島聖堂に入った。元禄3年(1690)、5代
将軍綱吉が、上野の孔子廟を移し、漢学の府としたところ。

 のち昌平坂学問所が設けられ、これが東京大学の前身となったという。

 広い敷地の西側にある孔子像。背後の大イチョウは、枝を大きく広げていた。


 入母屋造りの大成殿に上がる大きな鴟尾(しび)。


 聖橋の北側に出て、本郷通りから国道17号に回って近くの神田明神へ。

 天平2年(730)創建と伝えられる古社。江戸時代の神田祭は、江戸城内に
入った山車を将軍がご覧になるので、天下祭りとして有名だったという。 

 きらびやかな山門を入った社殿前の広場では、11時半から伊勢大神楽の奉
納があるとか。いすに座って待つ人もいた。

 社殿の西側から北側に幾つもある摂社を見ながら回り、北側の急階段を下り、
湯島3丁目に入って立瓜坂を上がる。

 通りのそばに、古いポンプが残っていた。


 ひとつ西の通りに出て、突き当たりが湯島天神。今日もかなりの人出である。
遅れてきたTさんが、ここで待っていて合流した。

 湯島天神は文和4年(1355)、湯島の郷人が菅原道真を祭り、のち文明10
年(1478)、太田道灌が再興したという。
 
 学問の神とあり、受験生による合格祈願のお札が何重にも納められていた。


 梅の名所としても知られているが、梅園の梅は、まだ咲いている木はわずか
だった。


 北側の春日通に出て西へ少しで、麟院(りんしょういん)がある。

 嘉永元年(1624)、徳川3代将軍家光の母、春日局(かすがのつぼね)が
再建し、65歳で没するまで20年の余生を送ったところとか。

 広い境内には樹木が多く、都心とは思えぬ静かなたたずまい。この周辺は
何度も歩いているが、この寺のことは知らなかった。


 境内の西北の隅に、春日局の墓がある。墓の中央に丸い穴があるが、局が
「黄泉(よみ)の国からこの世を見通せる墓をつくるように」と遺言したことから
だという。


 寺の背後に向かって、細い路地を鍵の手のよう縫って進み、文京区総合体育
館の横を過ぎる。この体育館のプールには、土曜半ドンの頃、仕事を終えた午
後、よく通って泳いだことを思い出す。

 その通りを北に突き当たったところに、東京大学の鉄門がある。狭い門から
東大構内に入った。

 ちょうど正午になったので、構内で昼食をすることにした。近くの東大病院の
建物の地階にあったコンビニで弁当を買い、そばのベンチで食べる。

 昼食を終えて病院の表側に回ると、建物の上部にあるデザインが目に入る。


 近くの広場には、明治初期にドイツから来日し、わが国内科学の基礎を築い
たベルツと、外科学の基礎を築いたスクリバの像が並んでいた。 

 グランドと剣道部の間から、構内の中心にある三四郎池に回る。もと加賀藩
前田家の上屋敷に築造された育徳園の園池で、夏目漱石の小説「三四郎」の
主人公が、よくここを散策したことから、名づけられた。


 安田講堂や理学部、工学部などの建物の横を回り、北側の弥生門で東大を
出た。

 近くには、竹久夢二美術館を併設する弥生美術館があるが、入館はせずに
通過して不忍池に向かう。

 
 少し先の建設業者の建物内に、珍しいものを見つけた。1964年の東京オリ
ンピックの時の台東区上野観光連盟の看板である。どこに掲げられていたのだ
ろうか…。


 不忍通(しのばずどおり)に出て横断、不忍池のボート池の北側を回る。

 池のほとりの柳が、かすかにふくらんでいた。


 池の中ほどにある弁天島に入り、弁天堂に参拝する。


 アシの茂る池に泳ぐ、たくさんのカモやユリカモメなどを眺め、上野公園に
向かった。    (続く)
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「大江戸元旦初歩き2010」へ

2010-01-01 21:22:44 | 江戸・東京を歩く
 2010年の新春、今年もよろしくお願いいたします
 
 皆さんはどんな元旦を迎えられたでしょうか…。

 私は、毎年恒例の日本ウオーキング協会(JWA)主催「元旦大江戸初
歩き2010」に参加しました。

 今年は、NHKの大河ドラマが「龍馬伝」ということもあり、JWAでは、
「坂本龍馬グランプリウオーク」という新しいシリーズを開催するのですが、
その第1回がこの大会ということで、龍馬にちなんだ4つのコースが設定
されました。



 私が参加したのは、その中のAコース「坂本龍馬・千葉道場佐久間象山
修行コース」。スタートは、ゴールでもある上野公園大噴水前です。
 
 9時過ぎ、出発式が行われ、まずJWA小林専務の挨拶から。


 「今年も元気に歩くぞー!、歩くぞー!、エイ・エイ・オー」と、げきを飛ば
して、9時20分にスタートしました。


 JR上野駅を越えるパンダ橋を渡って、東に向かいます。


 稲荷町で右折して南に向かう清洲通りへ。途中で交差する蔵前通りに近い
おかず横丁。普段は賑わうのでしょうが、今日は静か。


 清洲通りを離れ、岩本町3丁目から人形町通りに入りました。入ってすぐの
お玉ヶ池跡にあったお玉稲荷。北辰一刀流宗家の、千葉周作道場と玄武館
の跡でもあります。 


 小伝馬町の十思公園。幕末の長州藩士・吉田松陰終焉の地で、1859年、
ここにあった牢屋敷で処刑されたようです。


 南側のお寺の狭い境内の一角に祭られた弁財天に、北海道石狩川神居古潭
(かむいこたん)の石というのがありました。

 アイヌの酋長のシンボルとして「撫で石」と呼び、厄除け、息災、招福の
石として信仰されているとのこと。私も、そのご利益にあやかりたいと思い、
撫でてきました。

 人形町には、人形を飾ったこんな塔が…。


 少し先の水天宮前交差点を右折します。水天宮は交差点の斜向かいなの
で、寄らずに眺めただけでした。


 新大橋通りを入船橋まで進み、少し先の中央区役所の角を曲がりました。
中央区役所は、土佐藩邸中屋敷跡とのことですが、説明板などには気づきま
せんでした。

 晴海通りに入って歌舞伎座前を通過します。今日は休演日でした。


 銀座4丁目交差点から中央通りへ。車や人出はいつもより少な目。


 京橋で左折して鍛冶橋や東京国際フーラム横を通過、明治・大正の面影
を復元した三菱1号館の角を北に向かいます。


 大手町交差点際のサンケイビル。この近くの幾つかのビルで私も仕事を
したのですが、このビルを含め、当時とはかなりビルの姿が変わりました。


 外堀通りを鎌倉橋を渡って淡路町まで行き、須田町から中央通りに入り、
ゴールへの最終コースへ。

 秋葉原電気街は、ほとんどの店が開いていて、新春福袋や電機製品を求
めに来た人で賑わっていました。


 ゴールの上野公園大噴水前広場には、12時36分に着きました。

 
 噴水のある池のほとりで昼食を済ませたのですが、恒例の鏡開きの開始
の14時までは1時間近くあり、待たずに上野駅から帰路につきました。
コメント (6)
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ひばりヶ丘から清瀬へ(東京)

2009-05-19 22:28:21 | 江戸・東京を歩く
 2009年5月17日(日)



 カタツムリ歩行のゴール地、西東京市住吉町1丁目の尉殿(じょうど
の)神社でミーティング後、散会となる。

 13時過ぎ、参道を南に抜けて神社を出た。


 怪しい雲があり、多少天気が気になるが、時間が早いので、東久留
米か清瀬駅まで歩くことにした。

 西に向かい、谷戸町三丁目からひばりヶ丘一丁目、南沢二丁目へと
住宅街を進み、落合川の毘沙門橋を渡る。


 橋の近くにあった多聞寺に入る。創立は元仁年間(1224~5)との
こと。本堂に安置されている天満宮は学問の神として参拝者が多く、
武蔵野三十三観音霊場第五番札所でもある。

 鉄筋造りの堂々たる本堂では、地元東久留米ロータリークラブ主催
の、「多聞寺・水辺コンサート」が開演されようとしていた。

 すでに5回目で、この日は日本の歌やスペインの歌を、ソプラノ歌手・
小渡恵利子さんが歌うとのこと。聞きたいところだが、先の予定もある
のでやめにした。

 総ケヤキ造りという山門は、材木を落合川に流して江戸に運び、獅子
の彫刻を彫らせたと伝えられ、嘉永5年(1852)ころの建立と考えられ
るという。


 毘沙門橋の南に戻り、落合川の支流沿いにある氷川神社へ。

 創立は明らかではないが、承応3年(1654)に再建の記録が残り、
現社殿は、昭和46年(1971)の竣工という。

 落合川上流、数か所の湧水群の水源地にあり、古代より湧水守護
神として祭られていたらしい。

 神社の前を流れる、落合川支流に沿って上流に向かう。

 
 すぐ近くに、「南沢緑地」と呼ぶ、広葉樹を中心とした緑地が残って
いた。


 この緑地内や周辺から湧出する湧水は、日量1万トンあり、すぐ上流
にある東京都水道局給水所では、構内の井戸から組みあげた水と、
荒川水系の水をブレンドして、市内の水道水としているという。


 南沢緑地から住宅地を北に抜けて、落合川の橋を渡る。


 川の北側は落合川水生公園。小さい池にスイレンが花を開いていた。


 北に進み、東久留米市役所の西側を通過し、黒目川の曲橋を渡り、
近くの大園寺へ。緑に囲まれたりっぱな山門を入る。


 ここも、先ほどの多聞寺とともに数年前、東久留米七福神めぐりで
訪ねたところ。本堂前には、格好の良い松が立つ。


 松の下に大きな石灯ろうが1対あった。本堂の落慶祝いに、上野の
寛永寺から贈られたものという。


 広い境内には、りっぱな護摩堂(下)や、大きな鐘楼などもある。


 寺を出て、小山二丁目の古くからの家並みを進む。西側の十字路に、
石橋供養塔と3個の力石が移設されていた。
 
 黒目川にかけた昔の3つの石橋を造ったときの供養塔と、地元の若
者の力比べに使った石とのこと。右側の力石には、45貫(約169㎏)
と刻まれている。

 さらに北西へ。小山四丁目から新堀三丁目を抜け、15時25分に西
武池袋線清瀬駅に着いた。

(天気 曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、志木、歩行地 
 西東京市、東久留米市、清瀬市、)

  
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神田川さくらウオークへ(東京)

2009-03-28 22:25:11 | 江戸・東京を歩く
 2009年3月28日(土)

 毎年この時期に実施されている神田川さくらウオークに参加した。



 集合は、JR中央線吉祥寺駅から近い井の頭公園。神田川の源流は、
ここ井の頭公園である。

 源流から隅田川の合流点の柳橋まで歩く28㎞コースは、8時30分
からの出発式の後、8時50分にスタートした。

 園内のソメイヨシノの古木はまだ3分咲きくらいか。でもシートを敷い
て花見の準備中のグループも多い。


 井の頭公園を出てしばらくは、神田川は京王井の頭線に平行に進む。
井の頭線の電車基地あたりのさくらは、かなり開花していた。



 高井戸駅を過ぎ、やはり開花が進む高井戸東一丁目付近(上)に神田
川の里程標があり、ここが源流から4.5㎞、隅田川の合流点まで20㎞
ちょうどになることが記されていた。

 つまり神田川は、全長24.5㎞ということになる。

 永福町駅の東で、神田川は京王井の頭のガード下を通過し、井の頭
線からは離れて行く。


 環七通りを横断するところには、神田川取水施設がある。


 東京メトロ丸ノ内線の電車基地横を通過し、中野富士見町駅付近で
中野区と新宿区の区境付近を通過する。

 山手通りが近づいたあたりからは、行く手に都庁など、新宿副都心の
超高層ビル群が見えてきた。左のビルが東京都庁。


 青梅街道を横断し、遊歩道沿いの末広橋に近い小公園に「神田川」
の歌碑が立っていたが、私の前を行くウオーカーは、誰も気に留めずに
通過していった。


 「せせらぎの里」と呼ぶ公園に12時12分に着き、昼食にする。

 西武新宿線下落合駅付近で西武線の北側に回る。このあたり神田
川は暗渠(あんきょ)となり、新目白通りを進んだ。

 高田馬場駅の北側でJR山手線のガードをくぐる。明治通りに出ると、
都電荒川線が現れた。新目白通りのそばの神田川沿いには、地元早
稲田の人たちや学童の川柳がたくさん吊されている。


 江戸川公園のあたりは、ソメイヨシノがかなり開花していて、花見客
も多く、川沿いをそぞろ歩きする人が続く。


 江戸川橋で川沿いの遊歩道は終わり、しばらくは交通量の多い車道
沿いに、飯田橋、水道橋を過ぎる。

 御茶ノ水の聖橋をくぐったところから見る秋葉原方面。下は東京メトロ
丸ノ内線。


 ゴールに近い浅草橋からの上流の眺め。


 ゴールの柳橋には14時34分に着いた。大方の人はすでにゴール
していて、私はかなり後方だった。

 橋のたもとに居るのは、東京都ウオーキング協会の役員さんたち。

 柳橋から見る隅田川との合流地点。手前が神田川で向こうが隅田川。


 この日歩いた東京都の市区は、吉祥寺駅から井の頭公園までの
武蔵野市を加えると、武蔵野市、三鷹市、杉並区、中野区、新宿区、
豊島区、文京区、千代田区、中央区そして台東区の2市8区になる。

 参加者に配られた地図に記されていた、神田川の橋を数えてみた
ら、全部で143橋もあった。神田川の全長は24.5㎞なので、平均
すると171m間隔で橋があることになる。

 

 

 
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第8回葛飾探見歩行で四ツ木から新小岩へ(東京)

2009-03-15 22:57:05 | 江戸・東京を歩く
 好天に恵まれた今日、3月15日(日)は、葛飾探見歩行の第8回で、
京成四ツ木駅からJR総武線新小岩へと歩きました。

 詳細は別途とし、本日もダイジェスト版での報告です。

 京成四ツ木駅に10時に集合、葛飾区外からの参加は私だけでした。
スタートを前に、改札前で記念撮影。最年少のMちゃんは小学1年生。

 今日は、葛飾のCATV局・JCNコアラ葛飾のWさんが取材に来たの
で、Wさんに撮ってもらいました。

 最初のポイント、東四つ木4丁目の白髭神社。若いお母さんが、生後
何日かの赤ちゃんをだっこして、初参りに来ていました。


 東立石1丁目のEさん宅のハクモクレンが、もう花を開いています。

 道を挟んだ北側のお宅にも、少し小ぶりの花ながら数はたくさんの
ハクモクレンが咲いていました。

 中川右岸際の水神社のある小公園で昼食後、東四つ木1丁目を経て、
綾瀬川と中川との合流点のそばの上平井橋を渡って、中川左岸へ。

 上平井橋からの中川上流の眺め。

 平和橋通りにある上品寺(じょうほんじ)には、大きなゑんま大王が
祭られていました。

 高さ約2mのゑんま様は、その手法から見て室町初期の作と推定
されるとのこと。江戸16エンマの一つとして江戸名所に数えられて
いたようです。

 平和橋通りを進んで、ゴールのJR総武線新小岩駅に14時42分
に着きました。


 

 
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