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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行・養老渓谷(千葉県)

2007-07-07 23:46:35 | 関東百駅巡礼歩行
 カントリーウオーカー・やまさん企画の関東百駅巡礼歩行、
第36回は、今日7月7日(土)、房総半島の中ほど、小湊
鉄道の養老渓谷駅周辺を歩いた。



 JR内房線五井駅から2両の小湊鉄道に乗り約1時間、
10時23分に養老渓谷駅に着く。

 今日のメンバーは、やまさんのほか、藤沢市のIさんとMさ
ん、それに私(カメラマン)、いずれも常連である。


 駅の東側踏切を越えて南側に回り、まず近くの宝林寺へ。
入口に、十二支の干支を侍らせた地蔵さんが並んでいた。


 戦国時代の館山城主や久留里城主だった里見義堯公の長
女、里見種姫が、大多喜城主・正木大太郎に嫁したが、第2
次国府台合戦にて25歳で戦死したため、種姫は22歳で尼
僧となり、永禄7年(1564)8月、宝林寺を開基し、生涯を送
ったという。

 墓地には、代々の住職の墓と並んで里見種姫の墓がある。


 大きな本堂は、寛政2年(1790)の再建とか。緑あふれる
境内は、約2000坪あるという。

 西側の車道に下り、さらに並行するもう一つの車道に回り、
深い渓谷の養老川にかかる朱塗りの渓谷橋を渡る。

 最初横切った車道にかかる、宝衛橋が左下に見下ろせる。


 すぐ先、垂直に立つ岩をうがって、延命地蔵堂があった。


 十数戸の集落を下り、宝衛橋の延長上の車道に出る。緑
あふれる沼が、小雨にしっとりとした風情を見せる。


 その先を流れる養老川の支流の地図上、1km足らずの中
に、流れのトンネルが3つも記されているので確かめることに
した。



 最初のトンネルは、坂を上がる別の車道の下にある(上の地
図の1の位置)ので、その道を上がってみたが、木が茂ってい
て分からない。

 もとの車道を先に少し進むと、そばまで行けないが断層の下
がくり貫かれている様子が見えた。この下を流れているらしい。


 次のトンネル(地図の2の位置)を見ようとさらに進む途中、
「七色滝」の案内板があったので、流れまで下りてみた。

 対岸の垂直の岩から、細い流れが落ちていたが、小雨模様
で薄暗く、色の変化は分からない。太陽にでも当たると七色
に見えるのだろうか…。 


 次の川のトンネルは、車道が川の上を横切り、水道施設の
立つところにあった。

 上流側に、流れまで下れるハシゴが置いてあったので下っ
てみたら、確かにぽっかりトンネルが空いていた。

 江戸時代にでも掘ったのだろうか。手堀りである。この辺
りの地形図を見ると、ほかにも幾つも流れのトンネルがある。

 なぜこのようなトンネルを掘ったのか。興味深い謎だ。

 流れのトンネルが確認出来たので、もとの道を途中まで
戻り、十数戸の集落を抜ける細道を進む。

 雨に濡れたルドベキアが、緑の中に鮮やかな彩り。


 宝衛橋近くまで戻り、ヘヤピン状に折れて坂を上がり、さらに
2回ヘヤピン状に下って、養老渓谷温泉街の近くにある釣り橋
を渡る。

 近くの日枝神社で昼食にした。

 小さいが、なかなか趣のある社殿。境内も狭いが、太い杉が
何本か並んでいた。

 近くの民家の作業場で、小鳥の巣箱のようなものを作ってい
る人がいた。FKさん(72歳)で、8月に新盆の家があり、その
家で新盆法要に使う、ローソクを点すものだという。 

 「岩風呂」と記された建物など、数戸の温泉施設が並ぶ付近
から、飛び石を渡って養老渓谷の中瀬遊歩道に入る。


 この付近の養老川は1枚岩が続き、左岸の遊歩道沿いには、
モミジが多い。休憩所のポスターを見ると、11月下旬から12
月上旬にかけて、養老渓谷は深紅の紅葉に彩られるようだ。


 遊歩道を900mほど進むと、養老川にもう一つの支流が
合流しており、「弘文洞跡」の説明板が立つていた。

 正面が支流で、ここは約140年前にトンネルをうがったが、
昭和54年(1979)5月に崩壊して、このような景観になっ
たのだという。

 遊歩道をもとに戻り、温泉街を抜ける車道を上がり、峠を
下って小湊鉄道の踏切を越える。

 駅周辺の朝生原集落に入り、カーブ点の三差路を少し進ん
だところにある、窯焼きパンの店「酪」で休憩し、15時ちょう
ど、養老渓谷駅に戻った。

 15時9分発五井行きで帰途につく。

(天気 小雨後曇り、距離 9km、標高差累積 700m、
 地図(1/2.5万) 大多喜、歩行地 市原市、大多喜町)

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関東百駅巡礼歩行(茨城交通阿字ヶ浦)

2007-06-11 16:53:48 | 関東百駅巡礼歩行
 やまさんの関東百駅巡礼歩行、第35回は6月9日(土)、
茨城交通湊線の終点、阿字ヶ浦駅周辺を歩いた。





 参加者は15人。10時40分に阿字ヶ浦駅をスタートした。

 カメラマン2人を除く参加メンバー。

 ホームの先に100m余り線路が延びている。その途中まで
行き、線路の西側へ。ホームの端に廃車した古い2両の列車が
止めてあり、その一つに、「羽幌炭砿鉄道」と記されていた。

 蛇足ながら、羽幌炭砿鉄鉄道は1970年12月25日で廃止
された。その後転用され、この線を走っていたようだ。

 畑の間に住宅が点在する細道を進む。面積は狭いがうっそう
とした広葉樹に囲まれた小さい社があった。社殿の中は見えず、
「笠間神社」と記された金銀の鈴が下がっていた。

 北西に向かい、もう一つの小さい社の北側にある浄妙寺に入
る。

 大屋根の本堂、精巧な木彫を施した鐘楼、ツツジ咲き枯山水
を廃した庭など、いずれも見栄えがする。

 付近の民家に、この地方独特の造りがある。切妻屋根の下に
片側だけもう1つの屋根があり、柱や側板は朱系の色に塗って
ある。鬼瓦には姓が彫り込まれていた。

 寺の手前にある川前(かわさき)家のりっぱな納屋もその一つ。

 作業していたご主人の話では、川前家は代々庄屋を務め、
建物は市から文化財級として認められているという。

 地形図上は、さらに北に寺マークがあるので進んだが、無い。
どうやら、浄妙寺の位置を間違えて記入したらしいと推察された。

 西側の一角は区画整理され、広い敷地の新しい住宅が立ち始
めている。水子地蔵尊のお堂と墓地の横を南へ進み、阿字ヶ浦
小の北側から南西へ向かう。

 一体はサツマイモ畑で、まだ植えている畑、植えて間もない畑
が広がっている。

 集落の西端に進み、西久保稲荷へ。やはり小さい社で、境内
も狭い。木陰に座って昼食とする。道路際にケヤキの太い切り
株が残り、ヤドリギが何本か出ていた。

 昼食後、やまさんから、この歩きの狙いなどのお話しがあり、
各々自己紹介を行った後、解散とし、午後は自由行動となった。

 私は一人で、やまさんからもらった地図の次のポイント、南側
の神社に向かうことにした。植えたばかりのサツマイモ畑の間を
進むと、西側の森でキジが鳴き、上空でヒバリが数羽さえずる。

 畑の尽きたところに、南南東に2㎞あまり伸びる斜面林が連な
り、林に挟まれた田んぼがあるという珍しい地勢になっている。

 山間地の谷間にある谷地田(やちだ)ならともかく、周囲は
広大な畑作地帯なので豊富な緑が目につく。

 その斜面林の向こう、鳥ヶ谷の北端に目ざした神社があった。
クス、カシ、桜などに囲まれた原稲荷神社で、社殿は新しい。
周辺でホトトギスが鳴いた。

 斜面林の西側を1㎞近く進み、車道に出て少し戻る。斜面林
の東側台地に上がり、真っ直ぐに伸びる農道を東に向かう。

 一体はやはり広大なサツマイモ畑。冬から春先、茨城産の干し
いもが首都圏で販売されるが、この辺りはどうやらその原産地
らしい。


 その一角に、すっかり色づいたビール麦が、たわわな首を傾け
ていた。

大きなパラボラアンテナなどが並ぶ通信総合研究所横から北に
向かい、磯崎町の住宅地へ。


 やはりちょっとした森に囲まれた2つの小さい神社があったが、
いずれも朱塗りの稲荷神社。今日回った神社は皆、稲荷神社だ。

 ちょっとした盛り土上にある2つ目の神社の先でヘヤピン状に
折返し、四国の遍路道を思わす林の間の土道を下ると、海を見下
ろす車道に出た。

 周辺の磯浜は、中世代白亜紀層と呼ぶ、褶曲(しゆうきよく)に
より傾斜し、侵食された鋸歯上の岩が沖に向かって伸びている。

 海沿いの車道は車が多いので、別の車道を台地に上がる。

 磯崎小の先に白亜の灯台が立ち、近くから、少し霞んだ日立港
が望まれる。

 すぐ北は、りっぱな森に囲まれた酒列磯前(さかつらいそさき)
神社。斉衡3年(856)12月、神が大洗と磯前の海岸に出現
したので、それぞれに社を営んだ伝えられているという。

 大きな社殿正面に、「大勲位公爵桂太郎謹書」の額が掲げられ、
境内には、水戸藩九代藩主「水戸斉昭公お腰かけの石」がある。

 広い境内は豊富な常緑広葉樹に囲まれ、とりわけ見事なのが、
300mの参道両側を覆い隠したツバキの巨木群。

 タブノキやスダジイも混じり、ほかでは見られぬ特異な景観を
見せている。

 参道を東へ、入口に立つ鳥居前に出て、そばのT字路を南に
上がったところが比観亭(ひかんてい)跡。水戸藩六代藩主、
徳川治保が、寛政3年(1791)に東屋(あずまや)「比観亭」
を建てたところ。

 眼下に磯前漁港が見下ろせ、前方に太平洋が、北には日立港が
一望できる。


 三差路から南へ500m余りで磯崎駅に着いた。次の上り列車
まで20分余りある。線路沿いを進んで出発した阿字ヶ浦駅に
着き、15時23分発勝田行きに乗る。

 すでに皆さんは帰ったのか、始発の乗客は私ひとりだった。

(参加15人、天気 晴後曇、距離 11㎞、地図 ひたちなか、
 歩行地 ひたちなか市)
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関東百駅巡礼歩行・JR八高線丹荘駅

2007-02-04 23:10:20 | 関東百駅巡礼歩行
 今日は、再来週の日曜、18日に開催される「東京マラソン
2007」大会のコースを歩くウオーキング大会に参加し、半分の
距離、ハーフコースを歩いてきました。

 そのレポートは後にして、昨日歩いた関東百駅巡礼歩行の模
様を報告します。

===========================

 2007年2月3日(土)

 昨日の冷たい風も治まり、快晴に恵まれた今日は、関東百駅
巡礼歩行に出かけました。

関東地方の鉄道の駅のうち、普段あまり降りたことの無さそうな
駅に下車し、その付近を歩こうという、カントリーウオーカー・やま
さんの企画の第32番目です。



 今日の駅は、JR八高(はちこう)線丹荘(たんしょう)駅。この線
では埼玉県最北の駅です。神流(かんな)川を挟んで北側は群馬
県藤岡町で、歩いたのは埼玉県神川町(かみかわまち)です。

 参加者は、私を入れて4人、10時半に丹荘駅を出発し、駅の南
側にある神川町役場に向かいます。

 役場の北にある小公園に、記念碑のようで何も彫ってない石が
ありました。

 町内の二ノ宮で発掘された、7世紀前半築造と考えられる横穴
式石室の古墳の奥壁で、重量約4.5トンとのことです。

 土曜なので閉庁している役場の守衛室に立ち寄ったら、町内の
観光地図や日帰り温泉のパンフレット、飲食店マップなどが置い
てあったので、もらってきました。

 市役所や役場の守衛室で、休日に町のパンフレットをもらえる
ところは少ないように思います。

 まず、役場周辺の植竹集落を訪ねました。日枝神社では、ちょ
っと変わった朱塗りの鳥居が目につきました。

 境内には、「猿田彦大神」と刻まれた大きな石碑が3つもあり
ます。社殿の裏手でスイセンが花盛りでした。

 近くの農家の屋根は、3つの煙出しがついていて、大きな養蚕
農家だったことがうかがえます。

 隣の家のご主人の話では、昭和47年(1972)ころで収支償え
なくなり、養蚕を終えたとのことでした。

 このエリアの2万5千分の1「藤岡」(平成12年8月発行)には、
まだ桑畑マークあちこちに残っていますが、現在はほとんど無い
ようです。

 集落の南に進むと、展望の良い畑作地帯となり、西に雪をた
っぷり乗せた浅間山や、妙義山、雪の谷川連峰、赤城山などが
望まれます。まだ棒のままのタラノキ畑がありました。


 南西の中新里集落にある御霊神社で、浅間山を見ながら
昼食をしました。境内は、大きなイチョウとケヤキが枯れ枝の
ままそびえています。

 コブシの木は、花のつぼみがかなりふくらんでいました。


 さらに西に進んだ三差路際に馬頭観音堂があり、そばの小
公園に火の見やぐらの上部だけが置いてあります。

 もともとここにあったものだと、孫を遊ばせに来ていた女性が
教えてくれました。私は、火の見やぐらを見つけると写真を撮
っているのですが、このような形で残っているのを見たのは
初めてです。

 九郷用水を越え、田んぼに囲まれた阿弥陀堂横を進んで、
神流川の右岸堤防に上がりました。風もなくポカポカした陽気、
節分の日とは思えぬ日和です。

 右岸河川敷は、野球場、サッカー場など広い運動場が続き、
例年より雪の少ない男体山も望まれます。

 小浜集落の堤防際にある普門寺に行きました。本堂前の
しだれ梅はまだつぼみです。

 境内に宝暦元年(1751)銘の供養塔があり、山門横のロウ
バイが花盛りでした。

 すぐ南西には小松神社があります。、鳥居と社殿に大きな
しめ縄が下がっていました。いずれも合成繊維製ですが、見た
目はなかなか見栄えがします。

 境内で7月31日に行われる茅の輪くぐりの行事は、室町時
代初期の延元年間(1336~9)から続くと伝えられる古くか
らの行事のようです。社殿の龍などの彫刻は極彩色に彩られ
ていました。

 もう一度神流川堤防内に回ると、「神川ゆーゆーランド総合
案内板」があり、一連のグランドもその施設のようです。

 グランドの西側、水車の回る池の横に、「かんなの湯」と呼ぶ
日帰り温泉施設があります。最近はやりの岩盤浴も始めた
ようで、会員制で安くなる料金制度に変えたので来たのか、
かなりの人が入館していました。

 円筒形の屋根には太陽光発電のパネルが並んでいます。

 そばの農産物直売所にも入ってみました。地元の野菜や果
物、それらの加工品などがたくさん並んでいて、それぞれに
生産者の名前のシールが貼ってありました。

 そろそろ帰路へということになり、荻平集落周辺から丹荘
駅に向かっう旧上武鉄道廃線跡を活用した「健康緑道」を駅
に向かいます。

 緑道の両脇は、サザンカやハナミズキ、ドウダンツツジなど
が植えられています。

 もとの神川中学校前駅跡に、上武鉄道日丹線の歴史が記
されていました。


 14時52分に丹荘駅に戻りましたが、こんなに長い時間、
雪の浅間山を眺められたのは初めてのことで、2月初めとは
思えぬのどかなカントリーウオークを楽しみました。

(天気 快晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 藤岡、歩行地
 埼玉県神川町、歩数 12,600)
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関東百駅巡礼歩行・東武佐野線葛生

2006-09-09 23:19:20 | 関東百駅巡礼歩行
 今日は曇り空でしたが、かなり蒸し暑い1日でした。
夏休みを終え、9月の関東百駅巡礼歩行、今回は栃木県内を走る
東武鉄道佐野線の終着駅、葛生(くずう)です。

 
  関東百駅巡礼歩行第26回 =東武佐野線葛生駅=

 自宅からちょうど3時間かけ、10時28分に、葛生駅に降りた。

 今回の参加者は12人と今年最高。地元栃木県5人、東京都3人、
神奈川県2人、埼玉県の私、さらに今回は遠路はるばる、兵庫県
姫路市から、「出がらし紋次郎」こと、KTさんがはせ参じた。


 まず、駅のすぐ北にある安養院に寄る。近代的な洋風造りの門と、
葉を切りつめて高く伸びたイチョウが目につくが、境内に樹木は
乏しい。

 葛生駅は終着駅なのだが、その延長上にある住友大阪セメントに
向かう専用線が、地図上はある。しかしすでに廃線になっていて、
架線は残っているが、線路は外されていた。

 その廃線の南側に回り、色づき始めた田んぼの先から、山すそに
ある畑のあぜ道を進む。

 サルビヤや百日草などがたくさん咲き競っていて、なかなかお勧め
の野道だった。

 その近くに、住友セメントへ向かうのとは別の、廃線跡らしい草の
道がある。

 ちょうど畑で仕事をしていた、KKさん(79)に聞いたら、以前は、
ほかにもセメント会社の専用線が幾つか有り、それらの貨車を入れ
替えする線路だったと教えてくれた。

 KKさんも、住友セメントに40年お勤めだったとか。有機農業の畑
のほか、植木の剪定業もやっておられるようで、老人らしさは感じ
られない元気な方だった。


 廃線跡を300mほど進んで車道に降り、中央東2丁目の「瘤観音」
へ行く。珍しい名前の観音様だが、由来などは記されてなかった。

 境内には、シュウメイギクなど、いろいろな花がたくさん、伸び伸びと
花を開いていた。

 住宅地の間の通りに出て、中央東2丁目から、もと葛生高だったと
いう青藍泰斗高の横を通って北に進む。


 近くの交差点際に、りっぱな門と土蔵の残る旧家があった。

 さらに進んで国道293号との交差点に出て左折、桜の名所で、葛生
原人まつりの会場でもある嘉多山公園に上がる。

 この公園には、カントリーウオークグループの1泊例会で、2000年
11月に来たことを思い出す。ここで遅い昼食となった。


 この大きな復元住居は、葛生原人祭りの会場らしい。祭りは8月下旬
に行われるという。


 少し上に展望台があり、葛生の町並みが見下ろせる。

 さらに背後の山に向かって、ミンミンゼミやツクツクボウシの賑やかな
林の中を上がる。


 途中の太い木の下に、「山神」碑があった。


 標高227.8mの三等三角点まで上がると、別の展望台があり、一層
西側の展望が開ける。珍しく双眼鏡まで置いてあった。

 三角点のところから西に向かって草の道を鉢の木町へ向かって下る。
山すその寺を目指し、墓地を抜けて行くと、「佐野源左衛門常世の墓」
があった。

 佐野源左衛門の話は、墓前の説明板をご覧下さい。


 寺は願成禅寺といい、境内には、鎌倉中期から桃山時代頃のものと
推定される板碑があると記されていたが、見つからなかった。


 住宅地を西に抜け、さらに田んぼの間を進んで秋山川左岸沿いに出る。

 川沿いを南へ、国道の葛生大橋から安久渡橋横を過ぎ、さらに進んで
太い柳の木の下やコスモスなどの花咲く細道を抜けて、天神橋まで行き、
川を離れて町並みに入る。14時26分に葛生駅に戻った。

 15時5分発館林行きで帰途についた。

(天気 曇り、距離 7km、地図(1/2.5万) 田沼、歩行地 栃木
県佐野市(旧葛生町))
コメント (2)
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関東百駅巡礼歩行・JR吾妻線大前

2006-06-10 23:04:25 | 関東百駅巡礼歩行
 今日は、やまさんの「関東百駅巡礼歩行」の第26回で、JR上越線渋川駅
から吾妻(あがつま)渓谷沿いに走るJR吾妻線の終点、大前駅に下車し、
高原キャベツで知られる群馬県嬬恋村(つまごいむら)を歩きました。


関東百駅巡礼歩行第26回 =JR吾妻線大前=
 
 吾妻線の終点、大前(おおまえ)駅は、関東の終着駅では、最西端に位置
している。

 高崎からの直通電車は、12時23分に大前駅に着いた。駅舎はなくホームも
一つのみ。線路はこの先はない。参加者はこの4人と私を入れた5人。


 駅のそばに、30年前から営業しているという「つまこい旅館」がある。
観光客が泊まるところではないから、工事の人などの宿舎になるのだろうか。

 吾妻川の支流、高羽根沢を渡り、廃屋の南に回ってみたが、台地の上に
上がる山道がみつからない。この道が残っているだろうかというのが、地図
を見た私の心配だったが、やはり廃道になったのだろうか。

 川沿いを戻り、農林環境改善センターのそばに回ったら、幅広い林道が上
に伸びていた。落ち葉がたっぷりの道はしっかりしていて、迷うことなく標高
差約90mほどをじぐざぐに上がった。



 林を抜けて台地に出ると、一面にキャベツ畑が広がる。嬬恋村は高原キャ
ベツで知られているが、この辺りもその一翼を担っているようだ。
 

 500m近く進むと、右手にかすかに噴煙の上がる浅間山や、湯の丸高原
方面、後方には草津白根山と思われる山並みが見えてきた。

 芽が出たばかりのトウモロコシ畑の辺りで三差路に出た。左に進み、広葉
樹の新緑がみずみずしい林を抜ける。m。

 送電線の下を越え、カラマツ林を緩やかに下って少し上がると、浅間山の
北麓(ろく)・鬼押出しから万座温泉に通じる浅間白根火山ルートに出た。
日本ロマンチック街道とも呼ばれている道である。

 鎌原観音堂前バス停があり、周辺に観光バス用の土産店と郷土資料館が
ある。地図上、寺のマークがあるが、これが観音堂らしい。


 土産店の右手を下ると、小さいかやぶき屋根の建物があり、埋没民家の
一部としるされている。鎌原観音堂はその奥、10数段の石段上にあり、
やはりかやぶき屋根のお堂である。

 観音堂の説明を見ると、天明3年(1783)8月5日の浅間山大噴火の
火砕流で、この鎌原村は一瞬にして埋没したが、観音堂は集落よりわず
かに高かったため、奇跡的に助かったという


 お堂右手の別のかやぶきの建物には、数人の村人が詰めていて、タクワン
やお茶を振る舞っている。鬼押出し観光とあわせた名所になっているようで、
観光バスのグループが何組か来た。地図だけでは想像できないところだった。

 東側の鎌原集落を南北に走る旧道に入る。その家並みから、古くからの
街道筋らしい雰囲気が感じられる。

 集落の中心にある鎌原神社に行く。鳥居のそばに、かやぶき切妻、土蔵
造りの古い郷倉がある。ききんの際の保管庫だったらしい。杉やケヤキに囲
まれた境内、社務所と思われる建物も、かやぶき寄せ棟造りである。


 さらに北に進んだ三差路に、古い双体道祖神が立っていた。


 894m水準点の左に進む。10数㌢の早苗田が一面に広がり、周辺の山々
の展望がよい。田のあぜにムラサキや黄色い花菖蒲が、緑の中に鮮やかな
彩りを見せている。


 田んぼから畑に変わり、水準点から1kmほど先で、畑の西端に回ると、急に
落ち込んでいる断崖の眼下に、万座鹿沢口駅とその周辺の家並みが見下ろせる。

 そばに「笹平地区急傾斜地崩落危険区域」の標識が立っていた。

 853m水準点の先で一端林に入り右に回り込む。その先のキャベツ畑
では、トラクターがキャベツ畑に入って除虫剤を散布していた。

 おかげで虫の付かないキャベツが手に入るのかも知れないが、人体に害は
ないのだろうか。気になる光景である。

 畑の先で、地図上は道が途切れている。しかしその先にも舗装の農道がS
カーブの連続で続き、林を下って芦生田の集落に出た。

 帰りの電車時刻が気になってきたので先を急ぐ。新三原大橋の近くに、
「天明の埋もれ木」というのが屋根付きで保存展示してあった。

 平成4年(1992)に、この地区の下水道工事の際、地下4mから掘り出され
たもので、天明3年の浅間山大噴火の泥流で埋まったものと解析されたという。

 話にはうすうす聞いてはいたが、今日は天明の大噴火の遺構を2か所で見て、
その惨事を再認識した。

 15時46分に万座鹿沢口駅に着き、5分後の上り電車で帰途につく。

(天気 曇り、距離 7km、地図(1/2.5万) 大前、歩行地 群馬県嬬恋村)



  
コメント (2)
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関東百駅 奥多摩

2006-03-11 23:26:08 | 関東百駅巡礼歩行
 暖かな晴天に恵まれた今日、やまさんの「関東百駅巡礼歩行」第23番、奥多摩駅
に参加しました。

 JR青梅線の終点、奥多摩駅を10時30分にスタート、踏切を渡って氷川小の上の
高台に上がります。眼下に、駅周辺の町並みがよく見えてきました。

 その先、日原(にっぱら)川左岸斜面に、奥多摩工業氷川鉱山の大規模な工場があり、
ゴウゴウと原石を砕いて石灰にする、いろいろな装置が、音を立てて動いていました。

 杉林に入って少し進むと、両側がトンネルで日原川の支流にかかる橋のところだけ
線路が見え、原石を運ぶトロッコと空車のトロッコが、ひっきりなしに動いている大変
珍しい光景が見られました。

 その支流を越え、日原川を見下ろす斜面にある除ヶ野(よけの)の数戸だけの集落に
入ります。梅の木が幾つかありますが、紅梅が少し咲き出しただけで、この辺りの梅の
見頃はもう少し先のようです。
 
 ウグイスやシジュウカラの鳴く杉林の車道を日原川沿いに進んで、一番奥の安寺沢
(あてらさわ)集落まで行きました。現在居住しているのは4戸だけとか、標高370~
400mくらいの山間の集落です。
 
 一番奥の廃屋のそばに、乳房観音と呼ぶ小さなお堂がありました。そばに2本の
イチョウが立っていて、その乳房にちなむもののようです。

 廃屋の庭を借りて昼食にしました。正面のV字形の谷間の向こうに、御前山らしい
山並みが見えていました。
 
 少し戻ってT字路を反対側に行くと、「小さな小さな諸仏展」という標識があり、
民家の一隅にある展示場の建物をのぞいてみると、木彫のたくさんの仏像が並んで
いました。乳房観音の観音像も、この方が彫ったようですが、留守でした。

 除ヶ野へ戻り、ミツマタの咲く坂を日原川のそばにある十数戸の集落まで下りました。
日原川にかかる古い橋が上から見えたので、行ってみたら、線路も残る廃線跡の橋
でした。
 
 東京都水道局小河内線の廃線跡で、帰宅後調べてみたら、太平洋戦争中は中断
していた小河内貯水池(奥多摩湖)の工事のために、昭和27年(1952)に開通し、
昭和32年5月まで、ダム工事用にセメント列車が運行されたとか。その間に輸送した
資材は約100万トンにも達したそうです。
 
 小河内ダムは同年11月に竣工し、有効貯水量2億トンの巨大な貯水池が完成した
のです。
 
 さて、話は現地に戻り、その廃線跡の橋を渡った先で、線路はトンネルに入りますが、
通行は出来ません。
 
 そばに、上の車道に上るための、標高差30mくらいを垂直に近い角度のはしごが
かかっていました。ちょっと上がるのがためらわれる急傾斜です。
 
 途中で、はしごは傾いたり、枝がかかっていたりしていましたが、しっかりつかまり、
全員(今日の参加者7名)車道に上がることが出来ました。

 近くの栃久保集落にあった根元大明神の狭い境内を抜け、その上の壽清院で休憩
しました。境内からは、日原川を挟んで対岸の奥多摩工業の複雑な設備と建物群が
よく見えます。
 
 安寺沢の背後にある本仁田山もよく見えてきました。
 
 対岸や奥多摩駅周辺の町並みを見下ろしながら、南側の南氷川まで進むと、先ほど
の廃線の延長になる線路が残っていました。

 その線路を南西に進んで、200mくらいのトンネルを抜けました。青梅線のトンネル
よりも大きいように見えるりっぱなトンネルです。資料に寄れば、小河内ダムまで観光
鉄道として営業運転を計画していたため、このようなりっぱな設備にしていたようです。

 トンネルを抜けたところが、「奥多摩むかし道」になっていて、その道を駅の方に
向かって下り、古社羽黒三田神社横を経て、国道に出ました。

 国道の氷川大橋際の氷川神社には、氷川三本杉と呼ぶ太い杉が立っていて、東京都
で1番高い木と記されていました。

 駅に近いビジターセンターに寄り、奥多摩のスライドや、動植物の展示を見て、16時
10分、奥多摩駅に戻りました。

 午前中の道筋では、(安寺沢の背後にある)「本仁田(ほにた)山に上るのか?」と
言われ、南氷川では、「奥多摩むかし道を歩いてきたのか」と言われましたが、私たち
の歩きは、パンフレットなどにある観光コースではなく、人の行かないような集落を訪ね、
発見やふれ合いを楽しむウオークです。

 今日も、思いがけぬ発見や経験に出会い、ほんの7㎞ほどの歩きでしたが、充実した
一日でした。
  
 
 
 
 

 

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上総亀山から久留里へ

2006-02-19 22:28:03 | 関東百駅巡礼歩行
 2月18日(土)、ときどき参加している、やまさん企画の「関東百駅巡礼歩行」というウオークに参加しました。関東の百駅を順に歩こうという10年がかりの計画、3年目の初回です。
 今回はJR久留里線の終点・上総亀山駅(かずさかめやま)です。午前中は、小櫃川(おびつがわ)の山間部をせき止めた人造湖・亀山湖の橋を幾つか渡って周辺を巡り、草川原集落の八幡神社で昼食をしました。この集落は、どの家も屋敷が広くて庭木も多く、立派な蔵を持っていて、豊かな生活ぶりが忍ばれます。
 午後回った坂畑では、千葉県一という見事なイワツツジのあるお宅に寄り、自家製梅干しをいただきました。イワツツジの咲く頃、再訪してみたいものです。
 地形図に記されていたトンネルをさぐろうと、車1台がやっとの細い山道を上がって行くと、総て素堀のままのトンネルが7~8個もありました(写真)。
 その奥にあるただ1軒だけの家にもおじゃまし、お茶をごちそうになりました。この家も広い屋敷に大きなイワツツジや梅、桐の木などがあり、花どきに来るようお誘いを受けました。近くには名水もわき出ています。
 帰路は、歩きやすい山の稜線を北にたどり、久留里(くるり)駅に出ました。
 思いがけず、2つのお宅で暖かい歓待を受け、古き良き時代の日本人の心に触れたようで、とてもよい一日となりました。 
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