魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

切磋琢磨

2017年05月06日 | 日記・エッセイ・コラム

上海の「大江戸温泉物語」と、東京の本家との許諾論争が起こっていたが、その後どうなったのだろう。あれも、中国高速鉄道と日本の新幹線の話と同類のような気がする。
つまり、契約、協力段階での中国側の甘言に、日本側が「お人好し」理解で早とちりし、中途半端な対応をして、ソックリ持って行かれたことに、後から抗議しているのではないか。正しく抗議できないから「関係ない」としか言えなかったのではないか。中韓のパクリを非難する前に、「生き馬の目を抜く」とはどういうことか、日本人は心得なければならないだろう。

日本の東西は、東アジアの大陸と島国日本との関係に似ていると何度か書いた。
関東と関西の関係は、関東は保守的で義理人情で考えるが、関西は現金で情を口にしながら損得で考える。
日本の武士的官僚発想は関東のもので、商人的発想は関西の「大陸感覚」だ。東西がハッキリ分かれていた昔、と言っても戦後くらいまで続いたが、関東人は関西人の口達者を嫌い、関西人は関東人を文化の下流とバカにしていた。

漫才ブーム以後、関東人に関西好みが増えたが、これは日本人の韓流好みや中国かぶれのようなもので、よく解らないで、何となく乗せられている「お人好し」の感覚だ。こういう感覚は恋愛と同じで、異文化の刺激を自分に都合良く解釈して惚れ込み、実際に結婚したとたん、あるいは結婚しようとしたとたん、思い込みとのギャップに気づき、かえって憎悪に変わる。
実際、関西人が関東に行くと面白いように異性を口説ける。面白いと言うより理解に苦しむほどと言った方が良いかもしれない。(誰でもというわけではないが)

中韓などの大陸との関係は、この関東人と関西人との付き合いだ。
中韓に対する過剰な好意迎合から、一転、毛嫌いになる。中韓は、言われも無く日本をバカにしながら、儲かりそうなら絡みついてくる。
日本列島では弥生の昔から、これを繰り返してきた。これは、男と女の宿命のようなもので、これを繰り返すことで新しいDNAが生まれるのだから、しかたがない。