魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

家が違う

2019年01月30日 | 兄弟関係

韓国の「自衛隊機の威嚇飛行」抗議は、負けた喧嘩を勝ったことにする、
「今日は、これぐらいにしといたるわ」の、お笑いギャグだ。
韓国はやっぱり、末っ子だ。
末っ子の行動はデタラメだが、大変なガンバリ屋で、可愛げがあって憎めなく、結局、みんなが許してしまう。だから何時まで経っても、自省や自立の意味が解らない。一方で、自分では人の何倍も我満していると思い、周りの面倒を見ていると思っている。それは、自分より前に、年長の親兄姉が我慢し、目をかけていることを知らないからだ。

今に始まったことではないが、今回のレーダー照射事件の推移にしても、行き当たりばったりのドタバタ喜劇で、独立国として「大丈夫か?」と、心配してしまうぐらい支離滅裂だが、それを自覚するどころか、あり合わせのネタで、なんとか体裁を繕おうとガンバる。
さらに、押すだけ押しても、通らなければ、無かったことにする。これも、末っ子の習性であり処世術でもある。親兄姉の強権に逆らえない末っ子は、泣き叫ぶか、いざいざダメなら、他の可能なことに鞍替えをして、活路を開いてきたからだ。

出来ることだけをするしか活路のない末っ子は、自分の意思や客観性に基づく価値判断で方向性を求めても意味が無い。その代わり、状況を見る感覚は鋭くなり、変化に敏感で、人の顔色を読んだり、動静や流行には敏感になる。しかし、価値基準が無いため優先度の判断がつかず、どんな変化にも大きく反応するが、自分の基準がないので、行動は周囲の反応で判断する。
あるべき姿や道理が何かと考えるより、誰かに聞いたことや教えられたことを声高に主張し、そうで無い者を叱責する。しかし、状況や風向きが変われば、全く反対のことでも強く主張し始める。
道理や方法論にこだわる長子は、常にそれを模索しているので、断定的になれず、優柔不断や迷った末の変更を、弟妹に誹謗、攻撃される。

一人っ子はこの攻撃に弱く、「正論」だと言われると先ず吟味しようと考え込み、泣き叫ばれると先ず同情する。しかし、それで弟妹からやられ続けた長子は、弟妹の主張を無視するようになる。議論を避け、力で制圧するか、他の世界に逃げる。
大陸の長子である中国は、周辺国に対し、独善的主張と命令をし、それが通らないと力の行使に出る。情緒を共有する兄弟ではない場合は、とりあえず友達として、間合いを計って付き合おうとする。
中国にとっては、朝鮮半島は簡単に言うことを聞く可愛い末っ子であり、朝鮮半島もまた、畏れと不満混じりながら頼りにしている。

大家族の長子、小さな家の一人っ子
隣家の従兄弟である一人っ子の日本に対しては、中国は何となく付き合ってきた。直接には支配できないが、まんざら他人でもない。何か自分の家にはない原理で生活しているのだろうと、蔑視と好奇心と憧れが入り交じった、判然としない感覚で見てきた。
一方、日本は、従兄弟の長男である中国を尊敬し、憧れて育ってきた。実際、年上の従兄弟には色々教わることも多かった。
ところが、そのお兄ちゃんが、よそ者に簡単にやられてしまった。隣家の騒ぎに驚いた日本は、これはとにかく、よそ者と喧嘩してはマズイと知り、玄関に現れた時には、作法の違いで、多少の行き違いはあったものの、客としてうまく招き入れた。

大陸一家の長子中国が判断を誤っても、末っ子の朝鮮にはそのことの意味が解らなかったのに対し、家の違う一人っ子の長子日本は、これはマズイと「判断」できた。
今もって長男思考から抜けられていない中国は、日本のことをよく理解できず、「日本は強い者に尻尾を振って従う国だ」と思っているが、そうではない。一休さんのように考えながら、時には喧嘩しながら、あちこちの将軍様と付き合ってきた。
中国は従兄弟と兄弟の違いが理解できず、自分の弟妹の概念でしか理解しようとしない。年下とは言え、日本も長子の一人であることに気づかない限り、日中関係は収まらない。この点、日本は中国のことをよく解っている。

日本人は日本のことを「大国」だとは思っていない。だから、大国としてグズられることに面食らってしまう。
良くも悪くも、日本を大国扱いする人に日本は、大国ではないことを解って貰うのか、大国になるのか。いずれにせよ覚悟が必要で、やっかいなことだ。