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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「どぞ」
と数日前、主人が貸してくれた本が、コレだった。
同期生  「りぼん」が生んだ漫画家三人が語る45年
(一条ゆかり・もりたじゅん・弓月光)

1967(昭和42)年に、集英社「第一回りぼん新人漫画賞」で
一条ゆかり・もりたじゅん・弓月光が、同時に入賞、デビューした。
この本では、その三人が、きょうまでの45年間、
それぞれ独自の道を歩み、印象的な作品を数多く生み出したことが、
ご本人の証言をもとに語られているのだが、
私自身、リアルタイムでこうした作品に触れた世代なので、
作家自身から明かされるデビューの経緯や、当時の逸話は、
初めて知ることも多く、大変興味深く読むことができた。

昭和40年代には私は小学生で、田舎で地味な暮らしをしていたので、
漫画雑誌もたまにしか買って貰っていなかった。
そもそも、私が中学校に入る頃までずっと、
うちの村には書店というものが存在していなくて、
電気屋さんのおじさんが、月に幾度か、バイクで村じゅうをまわり、
前回注文のあった雑誌や書籍を配達する、
という謎な(笑)仕組みになっていたのだった。
それで連休などに、両親と一緒に自家用車で町まで買い物に出たとき、
本屋に寄ると、巧い具合に漫画を買って貰えることがあって、私は、
「りぼん」か「なかよし」か、店頭で懸命に吟味して選んだものだった。
とは言っても、こうした雑誌は付録つきで、いつもヒモがかかっており、
中身を開いて立ち読みすることは無理だったから、
表紙に出ている作家名とタイトル、イラストを穴の空くほど見て、
どちらの雑誌が面白そうか、考えて選んでいたのだった。

そこで最初に出会ったのが弓月光『出発シンコー!』(1974年)で、
それまでの少女漫画で見たこともない下品な(笑)設定と、
テンポの良いギャグ、それに綺麗な絵とに、私は強烈に惹きつけられた。
主人公の久作くんのイボ痔が悪化して尻尾になった、
という仰天ものの話で、一体この物語はどう決着するのかと目が離せず、
自分が買って貰えなかった号は友達を頼って見せて貰った。
また、ヒロインの乙女ちゃんが本当に可愛くて気に入ってしまい、
自由帳に一生懸命真似をして描いたりもした。

その次に衝撃を受けたのは、一条ゆかり『デザイナー』(1974年)で
これは連載第二回目(りぼん74年3月号)を友人の家で読み、
あまりにハマってしまったので、5月の連休に親と出かけたとき、
頼み込んで「りぼん」を買って貰い、数ヶ月ぶりに続きを知り(笑)、
その次は夏休みに買い物に行ったときに、また数ヶ月ぶりに読み、
最後は、年末に母が町の美容室に行ったとき、ついていったら、
たまたま「りぼん」が置いてあったので、待ち時間に食らいついて読んだ。
この作品の結末は、小学生だった私には強烈過ぎ、
その日は結局、正月用のパーマが仕上がり華やいだ母と、
『デザイナー』に打ちのめされて廃人のようになった小学生の私、
という組み合わせで、家に帰った(爆)。
この『デザイナー』は、その十年後、大学生になってから、
りぼんマスコットコミックスを自分で買って、
初めて通して読むことができた。

この両名に較べると、もりたじゅんには私はやや接点が少なく、
同期なのになぜだろうと思っていたら、
もりた氏はデビューは「りぼん」だったけれども、
上記『出発シンコー!』『デザイナー』連載の時期には、
活躍の場が「週刊マーガレット」に移っていたことが、
今回『同期生』を読んでいてわかった。
「週刊マーガレット」は、『ベルサイユのばら』『エースをねらえ!』
の連載当時には、そろばん塾の帰りに八百屋さんで立ち読みしていたので、
72~73年頃ならば私はある程度馴染みだったのだが、その当時にはまだ、
もりた氏は「りぼん」の作家で、74年以降、私が「りぼん」に移行した時には、
今度はもりた氏は「週刊マーガレット」で活躍なさっており、
ちょうど、入れ違いになっていたのだった。
その後、80年代半ばになってから、私が下宿での一人暮らしを始めた頃、
近所のスーパーで、レディコミ黎明期の雑誌「YOU」を立ち読みするようになり、
そこでもりたじゅんと、久々の再会をするのだったが(汗)。

弓月氏は、その後もずっとコメディを主体として話題作を次々と描かれ、
『エリート狂走曲』(77年)には私も特に熱中した
(80年に高校生になってから、友人にコミックスを借りて読んだのだが)。
その後は青年誌で描かれることが増えて、
私は直接読む機会が減ってしまったのだが、
『甘い生活』(90年~)はそんな私でもちゃんと知っているので、
弓月氏の人気と影響力を、この本を読みながら、改めて感じた。

一条氏にも、『有閑倶楽部』(81年~)で再びハマり、
そのまま、テンションと人気が何年も何年も続くので、
息の長い作家さんだなという印象が、この時点で既にあったのだが、
21世紀になっても、新たに『プライド』の大ヒットがあり、
更にその『有閑倶楽部』がテレビドラマになり、うちの娘が観ていたりして、
このように長期間、少女漫画の第一線で活躍されているというのは、
大変なセンスとバイタリティの持ち主なのだなと、圧倒されたものだった。
「この作者は、おかーちゃんが小学校低学年の頃から大人気だったんだよ~」
と言ったら、娘が本気で驚いていた。
娘世代にとっても、一条ゆかりは流行作家の筆頭だったのだから。
かの『デザイナー』は、一条氏にとっても大きな転換点となった作品だと、
今回の本で知り、私はそのような作品と連載当時に出会えていたことを
改めてとても嬉しく思った。

もりた氏が引退なさっていたことは、この本で私は初めて知った。
夫君の本宮ひろ志氏のプロダクションでは、お仕事を継続されているが
「もりたじゅん」名義では、完全引退を表明なさっており、
この6年ほどはもう、作品は描かれていないとのことだった。
お話の内容に関しては、私自身は、もりた氏に共感するところが最も多く、
「りぼん」の「おとめちっく」路線が理解できなかったことや、
昨今の少女漫画に衰退を感じることなど、本当に同感だった。
また、もりた氏は、漫画家としてお忙しかった頃すでに、主婦であり母であり、
生活や育児に関する述懐も、私が日々持っている実感に通じるものがあった。

どの作家さんについても、この本で改めて話題に出されていたことで、
この機会に読み直してみたいと思った作品が、いろいろあったし、
一方では私がこれまで知らなかった作品もまだまだたくさんあり、
その中には新鮮な興味を感じたものもいくつもあった。
かつては、まったく同時にスタートした三人だったが、
その後45年の漫画家人生では、それぞれの道をみつけ、
ひとりひとり、目指したものを各自のかたちで実現して来られたわけで、
皆、ご自身のお仕事を果たし続けて、今日があるのだと思った。
その軌跡を、今になってこうして振り、
その時代の真っ直中に、自分もまた一緒にいて、
様々な漫画を通して、読者として同じ時間を共有していたのだと考えると、
実に実に、感慨深いことだった。

……それにしても、私の思い出はこうして見ると、
「立ち読みした」「借りて読んだ」が多過ぎる(^_^;。
それだけつましい暮らしだったし、小学生には何も自由にならなかったのだ。
その罪滅ぼしというわけではないが、大人になってからの私は、
大切だと思う漫画は、ちゃんと新品で買って、手元に置いている。
数々の、懐かしい昭和の作品も、愛蔵本や文庫本で探して買った。
そうした蔵書を、今や娘が読んで、更にお友達に貸し出したりしており、
漫画は読み継がれ、いつかまた「子供の頃、家にあった」とか、
「友達から借りて読んだ」等々と、思い出され、愛されるようになるものも、
この中にたくさんあるのではないかな、と思ったりした。

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