ランシモ

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ALWAYS三丁目の夕日を見た

2006-12-08 03:40:14 | 映画

0612sanncyoume1 これもいい映画だと聞いていた、邦画のALWAYS三丁目の夕日を見にいきました。劇場は当然、、、、三軒茶屋シネマです、、、。

最近TVで放映されたようですが、いまはTVを持っていない生活なんで、知らなかった。多くの人がコメントしているように、遠い日の昭和、それも戦後間もない頃のお話ですが、まだ私達の頭に鮮明に残っています。日本が貧しかったからか、世の中の歪や濁りみたいなものが無かった。子供が子供らしく、オヤジはオヤジらしく、みっともないぐらいに真剣に生きていかなきゃならなかった時代です。

ドラマチックな展開ナド無くても、決め細やかに人間を描いていけば、喜怒哀楽が実際に、実生活にあるんだから映画になるんですねーー。

見た方のメッセージボードです読んでください。

懐かしく私も小学生の頃を思い出します。学校の校舎に白い幕をたらし、校庭で野外映画を見たこと、、、など。

昔は良かったなどとは言わない、、、でも貧しいかったことは決して悪いことじゃない!!たぶん、、、今みたいに豊かじゃないから、何かを我慢しなきゃならないから、反対に自分にとって何が大事か考えさせられたんだと思う。

私が二輪免許を取ったのが高校生の17歳の頃。教室の後ろのほうでバイク雑誌を回し読みしていた。ホンダの50ccのカブが欲しくて欲しくて、、、お蕎麦屋さんが出前で使っているやつ、、お蕎麦屋さんがうらやましかった、、。中古でも、どんな中古でも良かったので、1959年製の125ccベンリイを知人から3000円で手に入れたときの嬉しさは、そりゃもうタイヘン。これで、道がある限り何処へでも行けるんだ、行けるんだぞーーーって!。

それから、おにぎりを母さんに作ってもらって、伊豆半島、房総、日光、南アルプス、暇さえあれば、ボロボロのバイクで走り回っていたものです。上下つなぎのナッパ服、工員さんが着ているヤツ、を着て、なにしろ当時の日本の製品はまだまだなんで、こわれるんです。伊豆の湯河原あたりを走っていたとき、エンジン・プラグのネジ山がいかれていたらしく、走行中にプラグがロケットのごとく飛んでいった。足にも人にも当たらなかったからいいものの、、。バイクに乗ることは、メカニックを知らなければ乗れない時代で、エンジン、駆動系、電気系と何から何までバラシては組み立てていた。遠くにツーリングに行った時、私のナッパ服を見て、エンコした車の修理を頼まれることもあったなー。革ジャンなんてとんでもなく、寒かったら新聞紙を体に巻きつけて、その上から服を着るんですよーー。金がなかったから、それでもバイクで走れることが嬉しくてね、、。百円玉3個握り締めてガソリンスタンドへ、、そのころはガソリンが50円/Lだったので6L入れられたんです。6Lもあれば、私のベンリイは300km近く走れました。

都内には都電があちらこちらを走っていて、バイクで軌道を横切るのが怖いこと、事故が多発していたんじゃないですか。雨なんかの時は最悪だった。

次に手に入れたのが、ドリームの250ccでCL72というオフロードバイク。片側排気のアップマフラーで車輪が大きくスタイリッシュでした。大学生になっていたけど、学園紛争というか、安保闘争が激しい頃で、しばしばそのバイクで何かあると駆けつけたもの。昭和もその頃になると単純にハッピーではなくなってきましたが、、。加山雄三の「君といつまでも」なんて聞くと、瞬時に甘酸っぱい想い出がよみがえります。

時代は今になっても、私はスクーターで都内を走りまわっているから、変わらぬ生活をしているってことです。慎ましやかなもの、、、。

コメント (12)
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