Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2020年10月

2020-10-31 | Weblog-Index



とても疲れた一日 2020-10-31 | 生活
第三波までの再計画 2020-10-30 | 文化一般
疑わしいロックダウン 2020-10-29 | 歴史・時事  
ロックダウンへの歩み 2020-10-28 | 文化一般
他人迷惑なプロテスター 2020-10-27 | 雑感
九時間以上の長い睡眠 2020-10-26 | 暦
シュヴェツィンゲンから中継 2020-10-25 | 音
茂みに隠れたロドリーゴ 2020-10-24 | 暦
窓からのマンハイムTV塔 2020-10-23 | 暦
実況中継録音放送前 2020-10-22 | 音
口をパクパクさせた 2020-10-21 | 雑感  
公演続行を最優先に 2020-10-20 | 文化一般
貴族的抗議活動の素材 2020-10-19 | 生活
1922年の室内管弦楽曲 2020-10-18 | 音
冬籠りへの準備計画 2020-10-17 | 料理
11月8日から変わる規制 2020-10-16 | ワイン
十日間での結果を見る 2020-10-15 | 雑感
淘汰されていく市場 2020-10-14 | 文化一般
あまり信用出来ない人々 2020-10-13 | 雑感
魔よけのような光 2020-10-11 | 文化一般
身体に力が漲るか 2020-10-11 | 生活
ハイブロウなCDボックス 2020-10-10 | 文化一般
強制退去のつがい 2020-10-09 | 雑感
ミュンヘンでの期待 2020-10-08 | マスメディア批評
192kHz再生での違い 2020-10-07 | 音
僅か22ユーロのおもい 2020-10-06 | 雑感
満足度が高いこと 2020-10-05 | 文化一般
しっぽりとした夜 2020-10-03 | 生活
とても高い芸術的な価値 2020-10-02 | 音
通信社のインタヴュー記事 2020-10-01 | 女

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とても疲れた一日

2020-10-31 | 生活
木曜日はとても疲れる一日になった。予定通りに朝から貸金庫を片づけに行く。理由はこのところの業績不振で地元の支店を封鎖するからだ。最初はその近くの他の銀行の支店へと移そうかと思って連絡すると、そこには貸金庫が無いという事だった。それならばと次の支店へとそのまま移すことになった。約束の時刻に着いたが駐車場が開いて無かったので、向かい側のホテルの車寄せで待っていたらエンジンが掛からなくなった。一足遅れたのだが、もし駐車場に停めていても同じ結果だったか。

バッテリーが信用ならないのは分かっていたので、冬タイヤの装着の日にチェックをさせるようにしておいたのだが、寒くなって五キロも走らないところで何回もセルモーターを回して駄目になった。アクセルのマイクロスイッチの関係で掛かりが悪くなったのは数か月前なので、初めての冬である。だから覚悟はしていた。

先ずは銀行で事情を話して自動車クラブに連絡してと時間をずらして貰って、貸金庫回収は出来るだけ目星がついてからにして貰った。車の中でトランクを抱えては用心に悪い。大したものが入っていなくても誰にも分らない。結局11時半ごろに自動車クラブが来るから、11時に金庫に入って片づけた。思っていたよりも量があった。だから同じ大きさを借りて正解だった。

結局予想通り90分では無くて115分ほど待った。車中で待ったのは半分以下だったか。車が来て直ぐにスタートヘルプで新しいバッテリーを並列すると一発で湧き上がった。久しぶりの景気の良さなのでバッテリーの電圧が足りないと予想した。しかし車の隠しスイッチで調べると13.5Vから13.7Vほどまで伸びた。12Vとしては予想外に高かった。

それは知らなかったから、兎に角二三十分走れと言われたので50㎞ほど近所のバイパスやアウトバーンを走り回った。すると燃料が底をついて来た。これは顔馴染のスタンドでもし再稼働しなかったなら助けて貰うしかないと思った。幸運にも価格も低めで多めに入れておいた。そして再稼働、一旦かからなかったのでボンネットを開けて、ラディエターが異常無いことも確認しておいた。そして再度回すとかかった。そうなればまだ次の約束の時間、つまり継ぐの支店で新たな貸金庫にうつしに行くのに二時間ほどあるので、自宅に戻る。ガレージの中は冷えないので、大丈夫だと思ったが、軽食をして早めにガレージに戻る。動かない場合は再延長しなければいけない。

幸いなことにエンジンが回り、支店へと時間を掛けて、途中でワインの山の紅葉を写しながらエンジンを回し続ける。ヘッドラムプもラディオもエアコンも消す。そして支店の前に駐車して、帰れなくなたっ時のことも考えておく。先ずは物を金庫に入れることが仕事だ。

担当の所に行くと、「エンジンは回りましたか」と言われた。全ては伝わっている。まあ早いと言えば話は早い。新たな金庫は流石に大きめだが、日本の大都市のそれには及ばない。それどころか浸水や火災への保険は別口でかけたいならという話しだ。濡れて困るものはないことはないが、そんなに水が浸かるかどうか?以前の支店では有り得なかったが、こちらの方が谷が大きいかもしれない。若干鍵のシステムも異なるが、高さもいいところにとってくれた。また広いので机があって作業がしやすい。

さて愈々帰宅だ。担当の人にも動けばいいなと出たが、全く分からない。それが何とかかかったのだが、ギアが入れ替わらない。そこで近くのスタンドで停めて掛け直す。バッテリーは充電されているが心許ない。それでもエンジン警告ラムプが点いたままだ。

兎に角、帰宅は出来た。しかし、今後の手筈を整えなければいけなかった。バッテリーを注文することも翌日に車屋に出かけるのは断念した。そして週末である。(続く)



参照:
カードを開放して貰う 2020-01-07 | 生活
警察を恐れていた理由 2019-10-26 | 生活


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第三波までの再計画

2020-10-30 | 文化一般
ヴィーナーフィルハーモニカー訪日決定で湧いているようなので一言解説。11月1日からの日本への帰国者への議論は長く告知されていた。その枠をフィルハーモニカーに使うこと自体は全く問題が無かった。呼び屋さんが日本の在外駐在人に対する受け容れ企業のように管理責任を担うという事で全く問題が無かった。それどころかPCRテストは五月以降継続して行っていて、未だにヴィーナーフィルハーモニカークラスターは発生していない。陽性者をふるい落としてしていくノウハウも確立しているようだ。

最後まで問題になったのは、日本側の対応というよりもオーストリア側の事情があったと思う。既に日本からの旅行者の受け入れなどは出来ていたのでヴィーンに戻って来ることは問題が無かった筈であるが、最後まで不透明だったのはロックダウンの影響だったと思う。死者がゾクゾク出るような中で、外出禁止が引かれている中での活動だ。

五月の時のようにフィルハーモニカーの団長フロシャウワーがクルツ首相に電話したと思う。そこで急遽土曜日に宣言されて実効も時間を置かずに為されるとなると、準公務員としての国立劇場のお勤めから解放されると同時に今後の在り方を解決する方法として日本公演実施が最も合理的な結論となったのだろう。自助努力で困窮を解決してさらに外国から金をとってくるとして文句を言う国民などは皆無である。「サントリーの生でもスーパードライでも楽しんで来てください」と言われたかもしれない。決定への最終段はこんなところでそう遠くないと思う。

クルツ首相の判断は、夏のザルツブルクまでのそれを今後も厳しく追及されるだろう。なぜならば多くの人はそのお蔭で冬の大切な収入を失ってしまうからだ。それどころかスキーシーズンの経済は国の重要な収入源で国立劇場などとは意味が全く違う。実際に九月初めの陽性率を見ると夏の間のヴァカンスや外国人の受け入れなどが潜在的な感染を広がたことは間違いない。どこの国でも似たようなものだが、国内的な合意が充分に得ていなかった事に尽きる。しかし今回は、フィルハーモニカーを僻む者はいても、何も政治判断とは関係が無い。

木曜日はベルリンからの中継も報じられていた。フィルハーモニーからのラディオ生中継放送の予定だった。新聞の番組表にも載っているので水曜日以降に判断が変わったと思われる。つまりロックダウンが始まると同時に五百人規模だったのを八百人へと拡大したのだろう。だから少なくともプレス発表の売り切れたコンサートを中継という名目は無くなった。実際のところは分からないが、国内ツアーに向けての中継とかもあったのだろう、中止になってしまうとその名目も無くなった。

フランクフルトのアルテオパーは、11月末までの自主公演を全額払い戻しにした。但しフォーミュラーは寄付か手数料引きの金券になっていて正しくない。しかし何処までも全額返還を求めようと思う。そのようにメールでも宣言しているのだから、こちらから慌てて動く必要は無い。

バーデンバーデンの祝祭劇場は、年末までの計画を中止して、再開は年明けからとした。その中には、ベルリナーフィルハーモニカー以外にもバルトリ公演、ミュンヒナーフィルハーモニカー公演が含まれていて、大みそかには今回初めてのSWR交響楽団によるARDジルフェスタ―中継が予定されていた。ベルリンからのArte、ZDFのドレスデンと対抗するものだった。

12月を取り止めた理由は、ミュンヒナーフィルハーモニカーの公演を問題なく行うには時間的余裕が無いという事だった。ミュンヘンでの公演は可能でも、そこから人数を新たに定めての公演は難しい。ベルリンの政府が目標と掲げる新感染者指数50に収まったとしても、それ以前の感染度合いと今後の感染度では矢張り異なる。広がった感染を押さえて行くには前以上に人数制限などが益々厳しくなっていくべきものだ。

そのようなことから復活祭までの再計画へと事態は進んでいる。春に引き延ばされる第三波にかけての計画である。



参照:
疑わしいロックダウン 2020-10-29 | 歴史・時事
ロックダウンへの歩み 2020-10-28 | 文化一般
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疑わしいロックダウン

2020-10-29 | 歴史・時事
車中のニュースが全てだった。前夜からのロックダウン計画の中身が明かされていた。11月4日からとあった。それで当夜のアルテオパー公演は無くなった。色々と考えることはあったが返金の事ばかりを考えた。もう金券はかなわない。エンタテイメントを禁止とかあったので、文化芸術は違うとは思ったが、またアルテオパーが改めて今日の日付で開催を明記していたが徒労だ。

バイエルン州が秋休みに入って仕舞うというので11月2日からの繰り上げられるようだ。国会決議を条件にしたというが、様々な反対意見が渦巻いている。11月11日に先ずは情勢分析をして続行をするというが、目標値指数50に下げるのは厳しい。そもそも前回の会合の時にまさかこれほど早く指数が50を超えるまで上昇する感染度は誰も予想しなかった。

商店や床屋だけは、学校と並んで開くようだが、家庭でのパーティの感染がさらに増えて学校などでのクラスター化が増えるであろう。専門家の批判もあり、コッホ研究所などは飲食業での感染は少なく、寧ろ安全としている。

マスク作戦と同じように政治家が何かを号令を掛けることを仕事としていて、科学的な根拠とは異なるところで社会的な施策がなされるからで、春のロックアウトに比較すると感染状況が全く異なるので直ぐに大きな効果が出るようなことはないと思われる。だから予備に更に二週間を見込んでいるに過ぎない。

それでも今回のシャットダウンは、坂道を下りるダンプカーのようだと言われていて、先ずはブレーキを踏むことで、そのあと麓まで無理なブレーキを掛けることなく安全に下りれるとされている。問題は、次の第三波をどこに見積もるか、その時点でどれほどのワクチンが接種されているかである。春とされているが、そこまでも少なくとも夏の間のようには進行しないであろう。

フランスなどでは、PCR検査の増加が陽性者数の増加に結び付いていると言われているようだが、どこの国も春とは比較にならない数の検査が行われていて、その陽性率も落ち着いていたのだが、ルモンド紙九月初めには既にWHOが危険域とする5%を超えていて、大阪府のそれと変わらない。因みにその時点ではドイツの陽性率は0.73%しかなかった。その後に伸びたとしても十月第三週で3.62%へと上昇したのに対して、スイスは23%へと跳ね上がっている。

令のスェーデンも上昇していて同じように新感染指数は高くなってきている。問題のオーストリアもテスト数を増やしたというが、九月初めに5%を超えていたので、既にその潜在的な感染は進んでいたと思われる。



参照:
ロックダウンへの歩み 2020-10-28 | 文化一般
他人迷惑なプロテスター 2020-10-27 | 雑感
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ロックダウンへの歩み

2020-10-28 | 文化一般
ベルリンがやっと動いた。土曜日から11月14日までの二週間有効の新たな規制が発表になった。注目の催し物は野外で5000人になっていたのが500人に、室内で1000人が300人となった。但し特別に許可された演奏会場などは800人まで入場可能となる。

サッカーなどは許可を得ても1000人では合わないという事であるが、フィルハーモニーは800人ならば今迄の500人より300人増える。ほぼ三分の一の席占有となるのでとても危険である。これが三月から八月までの間なら問題はなかったであろうが、チェス盤状に千人まで販売した矢先に減員となった。どちらにしても危険極まりなかったのだが、800人入れるとその中に1.2人陽性者がいるような感染状況ではマスクなどはお呪いでしかない。感染者を十倍とすれば同じブロックに一人は感染者がいることになる。隣に後ろに座るかもしれない。少なくとも距離を充分に開けるしかない。

同様の基準で動かしていたヴィーンは一足先にロックダウン準備へと移っている。遅くとも12月初めまでにはオーストリアの一日の感染者数が六千人の基準へと至るとされていて、その時点でロックダウンライトへと移る。「外出の制限」、「飲食業の閉店」に並んで「催し物の禁止」が挙がっているのを見ても分かるように、オーストリア政府がドイツからの観光も無いのに催し物に拘ってロックダウンへとひたすら落ちて行ったことが見て取れる。成程オーストリア政府が自負していたような医療システムの完備と死亡者の少なさは既に訂正されていて、十万人中の死亡率は11と悪化していて、ICUベット数が怪しくなってきている。ロックダウン開始で急激に重症者数が減ることはないので、どのように非常ブレーキを掛けるかが話題となっている。

所謂ソフトランディングが出来るかどうかである。その為に短期のシャットダウンで感染速度を遅らせたりするのを観察しながら、有効に期間限定のロックダウンで拡大を一掃するということだった。予想と異なったのは、政治家がマスクを武器として政治道具化したことで、本来の距離をおく事などが疎かになって間合いが取れなくなってきた事である。ドイツにおいては、なによりもベルリンのチャリティ病院のマスクによる催し物増員をする動きから全てが変わって来た。オーストリアにおけるヴィーナーフィルハーモニカーやザルツブルク音楽祭同様の戦犯となった。

本来ならば同時に舞台上の距離間を縮めることで芸術的な価値を添加して行く予定だったのがならず、片翼飛行のような塩梅になって不時着さえ難しくなってきている。本日の車中の放送で催し物の制限の意味をSWR文化波でコメントしていたが、それによると本来の目的である啓蒙された人々が規律を守って今までも幾つかの小さな例を除いて大きなクラスターが起きなかったようにこれからも克服していくべきものだとしていた。まさしくこうした文化関連の非科学的なジャーナリストがいる限り、ウイルスを克服することなどは出来ないのである。これだけでこの人が劇場や音楽会場で何を聴いているかが分かる戯けである。そのような芸術などは淘汰されてしまえばよい。

シュヴェツィンゲン音楽祭からロココ劇場で録音されたモジリアーニ四重奏団とザビーネ・マイヤーのシューベルトの八重奏曲などを流した。思っていたよりも会場の響きが鮮明に取られていて、舞台の跳ね返りのバスの膨らみも適当だった。ヴィデオもオンデマンド化されるのでマイクの設置なども確認してみたい。

SACDの音質の問題から、改めてペトレンコ指揮第九をなどを通常のCDプレーヤ―のPCM再生で聴いてみた。やはり低音などが膨らみ過ぎてゴリゴリしてHiFiとはならなかった。ドイツで最も評価の高かった普及品SONYプレーヤーから同じ高級DATのコンヴァーターを通しても解像度ももう一つだった。今回は192kHzのハイレゾも比較して聴いているので、HiFiでは無い再生はやはり間違いが直ぐに分かって厳しい。嘗てのアナログ再生程ではないが、所謂音が良いという評判のオーディオ装置程そうしたHiFiサウンドからは遠ざかって行くのはデジタル再生でも同じである。



参照:
他人迷惑なプロテスター 2020-10-27 | 雑感
忖度無いジャーナリズム 2020-08-30 | マスメディア批評
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他人迷惑なプロテスター

2020-10-27 | 雑感
西ドイツは殆どが赤色になった。新感染者数指数が十万人中50人を超えた地域である。東ドイツはベルリンを筆頭にドレスデンなど主要都市は赤くなりライプチッヒだけが辛うじて23.8とまだ安全圏にあるだけで、第一波期と異なってスキー場から遠い東へと感染が広がっている。だから感染者数も多く若い人の数が増えている。それが特徴である。しかし、新たに感染した地域では当然危険な層にも広がって死亡者も増加する。

それでもラインラントファルツ州も十万人中の死亡者数が一人増えて、7人と悪化した。夏まではオーストリアも同程度だったのだが、あちらは自慢の医療システムが崩壊していなくても11人と急増した。同規模のベルリンが同じ7人で医療が完備していることを示している。

そうした状況の中でワイン街道は何とか超えずにいるのだが、既に50を三度掠めているので、何時までもつか分からない。州全体の指数は71で、ザクセンとニーダーザクセンの間にある。最高値はベルリンで132。先ずはベルリンをシャットアウトしなければ始まらない。

フランクフルトのヘッセン州も114で、市の200前後へと上昇している。フランクフルト市は、明日から更にマスク装着を徹底するようで、終にアルテオパーは装着義務となった。その一方反対派デモはマスク無しでやらせていた。要するにそうしたプロテストが起これば起こるほど規制が厳しくなってくる。大変迷惑な主義主張の発露である。後手後手に回る対応がユダヤ人市長の遣り口で、ベルリン市の政治家と同じように役に立たない。

ベルリンの方も性的な欲求の発散の為のクラブ文化とやらで数百人がフェチパーティに集い、それらを裁きに引きづりだすとしているが、罰金などでは到底堪えない連中で、性的な犯罪者は始末が悪い。

ベルリンもフランフルトもシャットダウンの機を逃したようで、待っているのはロックダウンだけとなった。200を超えてからは上下はあるかもしれないが、500人寄れば一人の陽性者がいるようなところでは大掛かりな催し物などは不可能である。

そこからアルテオパーでのマスク着用は当然であるが、距離は開いていても感染者が居るところでどれだけのフィルターを掛けても空中をコロナウイルスが飛び交うような状況は避けがたい。そのようなことを繰り返していれば舞台と客席の間でも感染が起こることもあり得る。最早限界域に近づいてきている。第一次の三月よりも遥かに感染の危険性は高い。やはり自信の無い人は出かけては駄目だろう。

個人的には絹のマフラーを利用する心算だが、安全を考えるとサージカルマスクでも足りないぐらいだ。しかし息苦しい思いをしている訳にはいかない。せめてもフランクフルトやバーデンバーデンに出かけることぐらいは問題が無いので駐車場から駐車場へと戻ってくるまでの事である。ザルツブルク音楽祭とどちらが安全かはそれ程明白ではない。やはりスポーティーな判断と行動が必要になる。



参照:
音楽会マスク着用様々 2020-09-20 | 雑感
折り返し点での喧騒 2020-08-18 | 文化一般






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九時間以上の長い睡眠

2020-10-26 | 
夏時間が無事に終わった。時計は全てをチェックしていないのでまだ分からないが、昨今は無線時計とネット時計やGPS時計が標準になるので、改めて針を合わせる必要が無い。そういうのは夏の間も冬時間の儘にしてある。次に電池が無くなった時にでも変える。

因みに現在の冬時間つまり欧州標準時は東経15度のプラハの上を通っている。つまり正午にはまだドイツでは天中していない。それでもドイツ帝国の1894年にはそのようになっている。フランスなどは更に遠くロンドンなどと変わらない。要するにパリは始終夏時間である。英国はもう関係が無くなった。EUの中心はプラハの日時計からそう遠くないところに標準時をおいておけば問題が無いのである。

夜二時から三時が一時間伸びたのだが全く知らない。朝も九時まで寝て仕舞った。ここ暫くの疲れが出たのだろう。十時過ぎにベットに入ったから、一度トイレに行ったぐらいで12時間ベットにいたことになる。記憶にない長時間睡眠である。少なくともこの二十年ほどでは有り得ない。風邪引きの時でも本を読んだりしている筈で、眼を瞑っているのが9時間を超えるなんてことは普通はないと思う。様々な状況から体調はとてもいいと感じているのだが、そこまで就寝できるのは不思議である。

暖かった時の寝室の空気の入れ替えと掃除が効いていたかもしれない。これでまた一週間ほどは気温が上がるので寒さを恐れることもないだろう。週末は月が替わる。天気予報を見ると、少なくとも第一週はそれほど冷えることはなさそうで、無事に開催されればバーデンバーデンでのベルリナーフィルハーモニカー国内ツアー公演までは大丈夫である。冬タイヤ装着はその次の週となる。

イタリアでは劇場が閉鎖されたが、ヴィーンなども時間の問題であろう。フランクフルトなども新感染指数が200を超えた。もうシャットダウンには手遅れかも知れない。残されるはロックアウトしかないだろう。それもどこの都市と同じように二週間では済まないかもしれない。フランクフルトのユダヤ人市長などはマスクで克服できると豪語していて、明らかにマスク信仰に陥っている。それによって間隔を開けることが無くなって感染が一挙に膨らむ。一体この市長はなにを目論んでいるのかと思う。

来週木曜日からベルリンでツアープログラムの初日が始まる。土曜日までに四回演奏される。初日にはラディオ放送があり、最終日にはDCHで生中継される。同じプログラムはその一週間後にバーデンバーデンで演奏され、その後ハムブルクで、更にベルリンで演奏される。そこまで無事に開催されるか?ベルリンで千人も聴衆を入れると陽性者が必ず混じる。クラスターが生じるのはもう間近である。

ポイヤックの1995年物を開けた。やはりいい年は異なる。1996年にはない力強さが今でもある。このノンフィルターのワインはまだ頂点を過ぎていなかった。四半世紀前のボルドーワインだ。96年の方が繊細なのでそろそろ片づけて行かないと駄目かもしれない。このワインのご近所のグランクリュもあるので飲み時を考えておこう。



参照:
まだ本格的な夏時間とは 2020-04-05 | 暦
太陽の恵みを謳歌する時 2016-01-23 | ワイン
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シュヴェツィンゲンから中継

2020-10-25 | 
最後の土曜日だった。暗闇の中をパン屋に向かう。これが最終日で夏時間が終ると一時間違うので7時には明るみが射している。だから黎明を待って車の中で待つことも無くなる。一年後にはコロナ禍も終わっていて、外に並ばないでも店内に並べるようになれば少し遅れて行っても大したことはない。
これを最後にしたい。

黎明が7時半、日の出が8時前なので、車の中で十数分待った。明るみが出て来たところでズボンを脱ぎ体操をして森の中が見えるようになるまで時間を潰した。暗いのでゆっくりと上がって、下りてきて、肉屋に寄って戻ってくると8時半に近かった。一時間は大きい。

毎年のように夏時間廃止の話題は出てくるが、オオカミの話しと同じでそれを信じる人は半数もいないだろう。例年ならばそれ程の支障はなかったが、ここ暫くの土曜日は異常だった。それでも峠から降りて来ると車がズラリと並んでいてお声が掛かるのは如何にも早起きのドイツらしい。

承前)金曜日のシュヴェンツィンゲンからの中継録音放送は良かった。最後のディスカッションの発言を前に持ってきていて、現場では聞き取り難かったポーランド、フランス英語が分かり易かった。マイクからスピーカーを通した音は矢張り距離が離れると、つまり結構デットだと思う音響でもやはり反響などがあって明瞭さを失う。その点はやはり視覚もあって、特別な音響上の欠陥が無いと楽音は後ろまでしっかりと通る。特にベルチャのような名器を思う存分にならせる四重奏団では表現の幅が小ホールを完全に満たしてしまう。

録音はセンターに、各楽器ごとに補助マイクを付けていて、チェロも可成り上から録っていた。舞台からの跳ね返りも多いのだろう。今回の演奏会がドルトムントと最も異なったことは先ずなによりもそのチェロの雄弁さとそれに合わせる第二ヴァイオリンの出来で、明らかにこの二人がいいバランスを取るようになっていたことだ。それは舞台の大きさとか音の飛び方とは別の次元で、楽曲にあったアンサムブルが出来上がってきていることを示すのだろう。

胴音にならないのは確認していたがドルトムントでは丁度同じ方向からであっても充分な音楽的主張として音が通らなかった。決して会場の関係でもないのはその他の録音でも確認している。とてもいいバスを他の曲でも押さえていて、あれだけの第一ヴァイオリンを支えていた。第二ヴァイオリンとチェロというような関係も出来ていて、どこでもプリマリウスを務めれる人のようだがポジションを固定してあるだけの第二ヴァイオリンにしていて見事だった。

その証拠は、ベートーヴェンの同曲をヴィーンのコンツェルトハウスで演奏した制作録画やまたヴァルシャワでの実況録画を比較すれば、先ずは楽器の配置、タブレット楽譜の使用、そしてその楽器間の合わせ方、バランスが刻々と変わってきている。

成程プリマリアのベルチャの言葉「大フーガを最初に聴いた時に、『これは狂っているそして一度聴いても全く分からない、もう一度良く聴かなければ』と思いました。今もそう思います。」ととてもいいことを語っている。

とても素直な言葉だと思う。逆に火曜日に録音が放送されるエベーヌ四重奏団などが全曲録音を一気に完成させてしまう姿勢は到底音楽的に信じるに足らない。

放送の後半に顕著に聞こえた雑音はよく分からない。空調の音でもあまりに小さなファンの感じでまたミキサーのプルトがあんな雑音を出すとも思わない。虫が鳴くような時期でもないが、生で聞いても分からなかったので不明である。

月曜日のお昼にはザビーネマイヤー吹くシューベルトの八重奏も放送される。シュヴェツィンゲンの音楽祭は以前の態勢からSWR局内でも変わっているようで、色々な面で芸術性は高まった印象がある。今後は再び注意して行きたいと思うようになっている。

因みにこのモーツァルトザールは、お姉さんのナンネルと一緒に演奏したとあって、当時はボヘミアグラスが使われたとあるが、一度ツアーにでも参加しないとよく分からない。(続く)



参照:
茂みに隠れたロドリーゴ 2020-10-24 | 暦
口をパクパクさせた 2020-10-21 | 雑感
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茂みに隠れたロドリーゴ

2020-10-24 | 
冬籠りの準備完了。週末冬時間になれば直ぐに籠れる。しかし今年は急には冷えそうにない。十月が寒かったのでこれを堪えてしまったので意外に火入れ式を伸ばせるかもしれない。来週中盤がどうなるか?

体調が良くなって来たのは、どうも歯の影響もあるようで、ブリッジを架けたところの骨が漸くしっかりしてきたようだ。つまり強く噛めるようになって来た。半年ぐらいかなと女医さんに言われていたが、半年では肉の張り出しが間に合わなかったかもしれない。だから強く噛むと鈍痛のようなものがあった。初めてそれが無くなって来た。

言わばチョコレートトュースのようなものでそれをしっかりと主に使えるかどうか。右側は過敏なところがあるので左側を使って来ていた。だから筋肉も骨も左側が発達していた筈だ。それが長く使い辛かった。この二三日で強く噛めるようになった。それまではなにか顎が外れるような噛み合いが悪いような違和感が付き纏っていた。抜いた影響で骨が少し歯ぐきから出ているところも違和感はあるのだが、態々削るかどうかはまだ分からない。しかし、これで暮れまでに時間さえあれば一度歯医者に行って、状況を見せて掃除して貰ってもいいかなとは思う。12月初めに時間があるかどうか?女性方にクリスマスプレゼントのお菓子でももって行こうかどうか?

歯一本寿命十年などというが、確かにしっかり噛めない状態であると覇気が無くなる。牙を失ったライオンである。成程胃腸への負担は考えたがそれは少し余分に咀嚼することで取り返せるものはある。しかし強く噛むという行為は矢張り異なる。運動でも出産でもなにでも比喩的に歯を食いしばるというのはある。整体の時に噛む棒を準備するというのもある位だ。それを実感した。

眼鏡から案内があったので、今度は眼鏡だと思う。車も注文しなければいけないので、先ずは視力を回復させておかないといけないか。交通違反の方は、タブレットを利用することで今後とも確率は大分下がると思う。

シュヴェツィンゲンの庭園について以前書いたものを読んで思い出した。この離宮はそのサマーセミナーだけでなくて、シラーが「ドンカルロス」の原作のモデルとしたところだったという事だ。つまりそこかしこにエヴォリ姫が散策していたり、ロドリーゴが茂みに隠れていたりするのだった。作家の頭の空想に此処の風景があったことは間違いない。

今晩はこれから火曜日の演奏会の中継録音放送がある。放送ではあまり真剣には聴けないかもしれない。録音するだけでもしておけば少なくとも頭の整理に役立つ。生で聴いてから直ぐに録音中継は音響的には失望する事しかないのだが、細かなところをチェック出来るのは何といっても有難い。

バーデンバーデン祝祭劇場が改めてヴィデオでコロナ対策の変更点を流した。私のようにマスク着用に関して釘を刺しておいた客が少なくないからだろう。そして素晴らしいことを語っていた。先には直ぐに支配人が語っていたが、今度は担当者が「空調で寒いかもしれませんから、ご婦人方には襟巻をお勧めします。」と。まさしく私のマフラー代用策をそこで語っている。

先日日本のサイトで東大などの研究結果が出ていたが、サージカルマスクでは呼気におけるウイルス発散を七割しか抑えられなくて、布と変わらないという事だった。つまり水蒸気を落とせてしまうマフラーなどでも隙間があってもそれほど変わらないという事だ。反対に吸気も五割近く防止できると、これはとても意外だった。要するにマフラーは自己責任でマスク代わりとしても人には迷惑を掛けないという事でしかない。
Update Hygiene-Konzept Festspielhaus Baden-Baden




参照:
身体に力が漲るか 2020-10-11 | 生活
口をパクパクさせた 2020-10-21 | 雑感
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窓からのマンハイムTV塔

2020-10-23 | 
窓拭きが済んだ。これで冬時間を迎えられる。数時間の陽射しと温かさを活かした。雨が予想されるので、筋が残ったところなども流し去って欲しい。光度が全く異なる。上手く使えば間違いなく光熱費を節約できる。

昨晩辺りから暖かくはなっていたのだが、それでも朝は暗くてなかなか目が覚めない。軽い風邪症状のようなものを感じてふらふらしながらも沢を往復してきた。ここの所上着を羽織って走ることが多かったが久しぶりに脱いで戻ってくると可成りの汗が噴き出していた。

地元ワイン街道は指数も下がって落ち着いてきた感はあるが、なぜか八百屋では入り口と出口を一緒にしてドアの左右出入りするように変えていた。どう考えても危ない。どうも一部にはマスク神話が行き渡っているようで、間隔を取らなくなってきている。飛沫が最も大きな感染経路だとは認知してもマスクで防げるものは一部でしかない。パン屋も三人入場が四人になっているところからするとどうも緩和されたようである。この第二波の最中に何をするのだと思う。元々マスクで防げるようならば心配は要らない。

コッホ研究所の所見では、交通機関や学校などでの感染は限定的で、学校ではインフルエンザなどと比較すると稀であると語っている。それでも感染者が増えると起こるだろうとしている。同時に飛行機などでも感染者数が増えれば機内で感染するという事だ。そこでマスクなどはエアロゾール感染には殆ど影響しない。食事なども危ない。更にアルコールが入るとなるともう防ぎようがない。

フランクフルトは、ベルリンに続くホットスポットとなっている。ベルリンミッテが187.3でフランクフルトは143.3で既にロックダウンの危機を迎えている。ベルリンの中枢部を先に落とすか、フランクフルトは早めにシャットダウンで先に繋ぐかの判断が必要になって来る。

500人規模の催し物においても指数200などになれば一人の陽性者が混ざってくる可能性が強くなって、そのような者が隣に座っていたらマスクをしようがしまいが感染する。人数を減らして距離を開けて空調を効かすしか方法はない。それもフィルターで取り除かれるのではないので新たな吸気が必要だろう。

水曜日には予定されていた中継録音放送は演奏会キャンセルから無くなって、代わりに同じアルテミスの旧メムバーのアーカイヴが流された。得したような気分である。シュヴェツィンゲン音楽祭では同四重奏団を聴く機会はなかったが、中々いい演奏をしている。

去る日曜日のミュンヘンからの放送は良かった。BR交響楽団のアーカイヴから流す番組だが、思いがけず知らない中継録音が流された。番組表では今迄何回か聴いたバートキーシンゲンでのキリル・ペトレンコ指揮レーピン独奏のラロのスペイン交響曲演奏録音と判断していたが、流されたのは異なった。音質が違うなと思っていたのだが、道理でミュンヘンのガスタイクでの中継録音だった。明らかに独奏も良くいい演奏になっていた。聴いてみないと分からないものである。今後ミュンヘンの放送交響楽団を振る可能性は有るかどうかは分からないので貴重だ。オクサーナ・リニヴぐらいが次期シェフィンになれば招聘を断れないかもしれないが。局内でも一部には再演を待望する人たちはいるだろう。



参照:
39.99ユーロという額 2017-07-30 | 生活
窓拭きの本当の効果 2014-10-19 | 生活
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実況中継録音放送前

2020-10-22 | 
ベルチャ四重奏団演奏会、とても素晴らしい会だった。この金曜日にはその実況録音が中継されるのでプログラムを明かすのは躊躇するところもある。なぜならばその隠されたプログラム自体がこの演奏会のコンセプトであり、それは演奏後の座談会で聴衆を交えて話されたことである。第二ヴァイオリンとチェロのなどはバーゼルで仕事をしていた筈だが、それどころかあのアマティ四重奏団でもヴァイオリンを弾いていたようだ。今ベルリンの楽団を率いているヴィリ―・ツムマーマンの後に一時的に入ったのだろろうか。しかし誰もドイツ語では話さなかった。英国を本拠地としているので英語であるのは仕方がないが、いづれにしてもベルチャがロンドンに長い以外は皆大陸の人なので、いづれスイスのアンサムブルになるのではなかろうか?兎に角仕事の中心は今後はドイツだろうと思う。既にマネージメントはベルリンのジメナウワーになっている。

さて隠しプログラムの効果は可成りあった。どういう効果か?それは虚心坦懐に聴くことで生じるかもしれないが、曲目当てをしながら色々と考えていても思い当たることも少なくない。先ずは私の成績は、八曲中五曲は分かった。名前は出ながらも定かでなかったのはクルタークの曲で、全く分からなかったのはアデス作品12「アルカーディア」六楽章だ。詰まらない曲だと判断した。シマノフスキーも名前は出なかったが東欧系だとは認識していた。クセナキスなども想い浮かんだが当てはまるものが無かった。分からずに悔しかったのはシマノフスキー作曲「五つの曲」五番で、どちらでもいいわと思ったのはアデスである。バルトークの第五四重奏曲の曲の全体像がもう一つ浮かばなかった。若干情けなかったのはベルクの「抒情組曲」の五楽章の前後楽章が思い浮かばなかったことだろうか。ショスタコーヴィッチの15番二楽章も何番かよく思い出せなかった。嘗てベートーヴェン四重奏団というのが初演したかでよく流れていたのを思い出すだけでその後は殆どか係っていないからだ。だから「抒情組曲」へのご無沙汰が痛かった。

しかしこの企画はそんなにおバカな曲目当などでは全然なかったのだ。放送では最初に紹介されるかどうかは分からない。曲を知っているのを知らないようにはならない。だから知らないほどにはその効果は生じないかもしれない。耳を傾けなければいけないのはそこでやっている音楽である。(続く



参照:
口をパクパクさせた 2020-10-21 | 雑感
身体に力が漲るか 2020-10-11 | 生活
僅か八十人程の音楽会 2020-09-08 | 生活









I. Beethoven: Streichquartett op. 130, 1. Satz: Adagio ma non troppo. Allegro 
- Schostakowitsch: Streichquartett Nr. 15 op. 144, 2. Satz: Serenade
- Kurtág: Streichquartett op. 13 "Zwölf Mikroludien", Nr. 10: Molto Agitato
II. Beethoven: Streichquartett op. 130, 2. Satz: Presto
- Barber: Adagio für Streichquartett op. 11
III. Beethoven: Streichquartett op. 130, 3. Satz: Poco scherzoso. Andante con moto ma non troppo
- Webern: Fünf Sätze für Streichquartett op. 5, 3. Satz: Sehr bewegt
- Bartók: Streichquartett Nr. 5 Sz 102, 4. Satz: Andante
IV. Beethoven: Streichquartett op. 130, 4. Satz: Alla Danza tedesca. Allegro assai
- Berg: Lyrische Suite für Streichquartett, 5. Satz: Presto delirando
V. Beethoven: Streichquartett op. 130, 5. Satz: Cavatina. Adagio molto espressivo
‐ Szymanski: Fünf Stücke (1992), Nr. 5
- Ades: Streichquartett op. 12 »Arcadia«, 6. Satz: O Albion
VI. Beethoven: Große Fuge op. 133
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口をパクパクさせた

2020-10-21 | 雑感
久しぶりの見えるシュヴェツィンゲン離宮だった。前回は二三年前の暮れのオペラだったので、全く見えなかった。今回も18時車庫入りを目指して二分ほど早く着いた。タブレットの日時計を見ると18時20分ほどが日没、50分過ぎまでが薄暮だったので兎に角散策に行った。

離宮は入り口からマスク着用になっていて、まだ通常に開門していた。庭内では状況を見て外してもいいことになっていた。門番にティケェットを見せて入った。正面へ一寸出かけた。足元は靴を傷めないか心配していたように砂利であるが、思っていたよりも砂が細かくそこ以外に角が当たるようなことはなかった。更に地面が乾いていたので水溜りなどが無くて出来るだけ砂利の浅いところを選んで歩けた。靴の底にも痕跡が残っていない。

比較的近いところで噴水の写真を撮っておいた。普段は人が沢山いるので意外に通常は無人の情景は撮れない。これだけでも価値があった。残念ながら予想されたような晴とはならずに、夕日も夕焼けも無かったが何とか撮影出来た。

右奥には19時30分からコンサートの開かれるモーツァルトザールが見える。灯が煌々と輝いている。暗くなりかけたので、遠回りしてウイングの端からそちらに近づいた。反対側のウィングの端にはロココ劇場があって、そこに行く時が多い。もう一つの室内楽ホールのヤークトザールはその手前である。だから帰りはそこから近い通用門から出れるので駐車場もそちらの方を選んで停めるのだが、今回は初めて反対側の駐車場に停めた。

駐車料金は、17時58分入車、21時30分支払いで3時間32分で4ユーロ80セントだった。安くはないが、通常の入場料金が19時までで7ユーロであるから、それよりは安かった。初めての駐車場なので最短ルートはナヴィに任せたが、結局道路工事中で大回りをした。門までの間に綺麗なWCがあったのも良かった。しかし帰りは結局マンハイム経由で戻って来た。帰宅すると22時を過ぎていた。

今回は衣裳の関係で、新品のマフラーを取っておいて、今迄の毛の分厚いマフラーをマスク代わりに使った。移動の時はサージカルマスクが使いやすいが、今回の州の新規制で急遽コンサート中もマスク着用となったのでの対策であった。実際に使ってみた。

先ずは、サージカルも外しただけでマフラーの中にフィルター代わりに置いておいた。理由は明るいところで外して何だかんだとするよりも実質を選んだからで、マスクの上からマフラーを巻き付けているのかどうか分からないので、誰も不安に思う事はないからだ。実際にはエアロゾールにはフェースガードと効果は変わらない。要するに無用である。吸気には効果だが、呼気にも甚だ効果は薄い。

法律がマスクとしなかったのは、サージカルマスクや防ウイルスマスクの供給に限界があったからで、飛沫を防ぐだけならば口と鼻にハンカチを押さえ付けていた方が効果がある。そして近郊交通機関だけでなくマスクをしていろというのは意味の無い指示なのである。本格的なマスクをそんなに長く着けられる人はあまりいない。フクシマの作業員のようなものである。

さてマフラーの使い心地は、ある程度隙間を空けてもメガネが曇りがちになった。それはサージカルマスクでも同じなので、密閉度にはそれほど関係が無いということだ。しかし、二時間近くのコンサートと座談会が済んで、戻る時に息苦しさを感じた。やはり呼吸困難になって口で息をパクパクさせていたように感じる。やはり個人的には健康に悪いだけだ。絹ならばもう少しは快適になるだろうか?



参照:
公演続行を最優先に 2020-10-20 | 文化一般
暮れの夜のロココ劇場 2017-12-30 | 生活
生きてる内にもう一度! 2007-10-03 | 文化一般
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公演続行を最優先に

2020-10-20 | 文化一般
先週末はボーデン湖畔に出かけている筈だった。それが延期されて、先の見通しもとても悪い。現時点ではフォアアールベルクは指数100を軽く超えていて、スキーシーズンなどもとんでもないと思う。バーデンヴュルテムベルクは外国旅行どころか国内、州内の旅行も控えるように呼びかけている。時機が来ればアウトバーンなどでも検問するようになるではないかと思う。ロックダウンを避けれるところはどれだけあるか?

火曜日の音楽祭のお知らせが金曜日に入った。五月のシュヴェツィンゲン音楽祭が十月に順延されたものだ。最後の一枚を入手した。二枚とはなかった。メールが入ると中止かと思ったが、発効されたバーデンヴュルテムベルクの規制でも100人までの催し物が可能となっているので問題はないのだろう。マスクも演奏中は外したままになっているが行ってみないと分からない。マフラーを下げて行こう。

19時30分始まりで、四時間前から庭園内に入れるので、靴だけ問題が無いなら散策したい。幸い暖かくなる。駐車料金は有料なので、それ程早く行っても仕方がないだろう。精々18時前着ぐらいか。衣裳は秋にバロック庭園に出かけることは少ないので紅葉色で出かけようかと思う。

この調子ならば、フランクフルトのアルテオパー公演もバーデンバーデンの公演も特別認可が下りるかどうかが問題になるだろう。バーデンバーデンは其の侭500人体制で続行とある。レストランを閉めない限りマスクも問題が無いとは思うが、マフラーがある。アルテオパーの方も続行で、当局との連絡を取り合いながら安全な継続を最優先にしているとあった。こちらも500人だが、数字が指数118とバーデンバーデンの倍の割合で陽性者、感染者が集まるとなるともうギリギリである。

火曜日のベルチャ四重奏団の大フーガ付きの変ロ長調の作品130番のヴィデオを二種類観た。九月のヴァルシャワのショパンコンクール主催のツィクルスの出来はとても悪かった。録音とか会場とか以前にプリマリアのベルチャのコンディションが悪いのか、五月に聴いたアンサムブル芸術が全く出来ていない。彼女に付けて行くかがその演奏の面白さで、ヴィオラがそれを上手に第二ヴァイオリンやチェロに繋げていた。それが面白かったのだ。彼女が飛翔しない限り他の声部が曲を作って行く形にはなかった。

そこで同曲の異なる演奏を探していると製品化されたコロナ前のヴィーンのコンツェルトハウスでのツィクルス映像が見つかった。これがまた興味深い。先ずは楽器の配置がヴィオラが第一ヴァイオリンに対置する形になっていて、更に紙の楽譜を使っている。この映像は順々にArteで提供されていたものだったが、確かに出来は良い。しかし、合奏のあり方は五月程には独自のものを示していなかった。これだけ売れて来ている四重奏団でも刻々と変えてきているのがとても興味深い。

楽器配置とデジタル楽譜がそのもの対になっているとは思わないのだが、デジタル楽譜にすることで演奏の可能性が広がったのだろうか。それによって即興性について行けるヴィオラとそれに合わせるという構造が出来て来たのではないかと想像した。成程ヴィーンでの演奏は決して悪くはないのだが、五月には遥かに先を行っていたので、以前のを期待していたような人達にとってはドルトムントではしっくりこなかったのかもしれない。音楽芸術的にはプリマリアをあそこまで飛翔させるのは本当に素晴らしい解決法だと思う。火曜日にいいコンデションであれ以上の演奏をしてくれると嬉しいなと思うのだが、合わせる曲が偶然性ならば更に狙ってくるのではなかろうか。勿論可成り研ぎ澄まされた中で演奏をしなければそれは達成できない。インド音楽などと同じである。



参照:
身体に力が漲るか 2020-10-11 | 生活
貴族的抗議活動の素材 2020-10-19 | 生活
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貴族的抗議活動の素材

2020-10-19 | 生活
ヴィーンの新監督フィリップ・ヨルダンの特集番組を聞いた。とても良かった、三時間番組の音楽部分は突っ込みどころ満載で二三分も聞く必要は無い、周知の通りだ、しかしインタヴュー部分は一通り聞いた。想定以上に親近感を持てた。先ず父親は有名なスイスフランス語地域の二流指揮者だったが、母親はヴィーン育ちのバレーリーナだった。そしてルツェルンで育ったことは知っていたが、母親の仕事の関係で国籍はアイルランドらしい。もしかするとカトリックの家庭なのかもしれない。素朴さがそのように感じさせて、ヴィーン訛りも、スイス独語も喋らない。英語、書き言葉ドイツ語が母国語で、フランス語は外国語のようだ。しかし、父親の関係か典型的なフランス発声のドイツ語を話す。

父親はチューリッヒのカペルマイスターをしていたが、母親がバレー関係で照明係と知り合いだったことで最初の本格的舞台経験は同地での「魔笛」の少年トリオで、アーノンクール指揮で歌って、そのアーティキュレーションに苦労してという話しから、またピアノを主体としてヴァイオリンも習い始めたという事だった。しかし指揮者を目指していて、ウルムでデビューした時は父親がとても喜んでくれた事、なぜならばそれまでは不細工な指揮ぐらいしか出来ていなかったからという事で、勿論父親は自分の苦労もあってか真っ当な職業を勧めていたという。

父親がパリで「ばらの騎士」を振る時にアシスタントとして19歳の息子を使ってくれたことが最初の仕事だったという。そして、父親の書き込みの総譜を使う事に成ったりと、また死の直前にヴィーンでまさに父親の楽譜を使って、また死の時には「ファウスト博士」を振っていた忘れがたい辛い思い出などを語った。やはりこの人の素直さは二代目にある人のそれだなと思わせる人の良さである。因みに爺さんはヴィーンで彫刻を習っていたという。

しかし何よりも感動させてくれた素直さは、自身のキャリアに関する言及で、ロンドンやミュンヘンでの超一流の監督就任はならなかったが、楽団の有名なヴィーンで先ずは五年その質向上の音楽劇場化に尽力しようと思ったという発言だ。元々トーンハーレには殆ど行かずチュ―リッヒの劇場に通っていたのもそうした劇場人間の性向で、劇場指揮者として演奏会をやる必要性はその反対と同じだという。だから座付楽団を鍛え直すためにもパリで演奏会をしたという。同時にヴィーンでは、現在のあまりにも出来の凸凹のある状況から歌手を含めたアンサムブルとしてボトムアップして行きたいとの抱負があるようで、先ずは現在の60演目から二割減らして、練習時間をその分増やして、客演指揮者も現在のように演目毎から厳選された客演指揮者陣に絞りたいとしている。

そして何よりも気に入ったのが今後の抱負として、身の丈知らずの事を考えていない様で、流石にその辺りは自身の能力を知っていてとても偉いと思った。素人では出来ないことだ。このインタヴューを聞いた感じが我々欧州の感覚であって、そもそも飛び回るような指揮者ではなく堅実な劇場指揮者である。それ以外のイメージはタレントに集るような商売人が勝手に作ったものでしかない。玄人筋で叩かれないのはこういう態度だろう。

自分自身の十の新制作でも今迄の常套の上演から刷新させたいと、ダポンテオペラを中心にヴィーンのモーツァルトを軸に置くという。まさしく先頃まで遣っていたようなガタガタのモーツァルトを刷新するという事のようだが、本人が振った演奏が流れるとこれはまたどうしようもない。任期を全う出来るか。バイロイトのそれも五重唱への本人の思いつきも披露されて流れたが、やはりエーファの歌も何もかも駄目だ。しかし、評論家は小まめに懇切に批判して行くのがいいと思う。素直なお坊ちゃんにはそれが一番効く。

発注したマフラ―が届いた。先ず色はチャコールグレーでドイツ語では正確にはアントラツィートとされる其の侭石炭の一種の色だ。どうもヘッセンのラーン河畔のライカ本社と同じ町の生産者にはグレーとしか書く宣伝力しかないらしい。ブラックもあったので迷ったがこちらの方が通常のスーツには合いやすい。そしてイタリア製の生地は今迄経験した事の無いような化学処理をしていない絹の肌触りで、真綿で包まれた王家の出でなければあまり馴染みが無いかもしれない。日本の着物等でも一寸違うような感じで柔らかい。しかし同時に目的であるマスク代わりに使うには、肌に馴染むだけでなくて、少なくとも現時点では立ってくれる。立つという事は、顔から離してフェースガードのような使い方が出来るので、息がこもらず眼鏡を曇らせたり、呼吸の音で楽音を阻害する事が無いように鼻まで隠せる。少なくとも座っていて50ユーロ罰金とは言わせないだけの誤魔化し方は出来る。音の反射も最小限だと思う、寧ろ起毛されているので吸音効果がある。夏は使えないが、今迄は毛の精々カシミアものしか使った覚えが無いので、この価格ではとても良い買い物をした。音楽会におけるマスク使用へのプロテストとしては十二分に満足のいく製品であった。音楽会等ではこれをいつも首に掛けておけば事足りる。



参照:
11月8日から変わる規制 2020-10-16 | ワイン
縛られた「蝶々夫人」生中継 2020-09-09 | 生活
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1922年の室内管弦楽曲

2020-10-18 | 
ティートュス・エンゲル指揮のドナウエッシンゲン音楽祭2020年を聴いた。本番ならず、その練習を編集したものだった。コロナ後の依頼に応えた作品でもありながらよく鳴っていた。最初のヒンデミートを選んだのは指揮者だろうと思う。いいところももしかしたら足りないところもよく出ていた指揮だと思うが、拘るところが若い頃とあまり変わらない。指揮者なんて二十歳代と四十歳代ではそんなに変わらない。変わったのは機会が与えられて、また音に出来る可能性が増えたことだろうか。

細部の音響への感覚が嘗てのエルネスト・ブールなどにも通じる鋭い感覚が特徴の一方、ヒンデミートのフォームへの拘りのようなものが充分に出ていたかどうかはBGMで聴いただけでは確認できなかった。1922年のスペイン風邪後の室内管弦楽曲であり、当時の前衛でもありながら、アーノルト・ファンクの山岳映画に付けた音楽や四重奏曲の楽想の喜遊性や抒情ゆえの執拗な拘りである。

そうした総合的な印象がキリル・ペトレンコなどの大指揮者とそうしたメインストリームから外れたところで活躍してきた指揮者との大きな違いだろう。

そうした専門家の力量は、無人での初演となった曲の数々にとても良く表れていて、クラウス・ラングの光彩を音にしたような音響の表現という事でもその後の曲における響きも見事である。昨年までの音楽祭での演奏を思い起こすとこれで喝を入れられるのではないかと思う。

前任者のフォランソワサヴィエ―・ロートよりも明らかに緻密な響きでいい。来年からもおかしな指揮者を出さずにティートュス・エンゲルに指揮して貰いたい。上手くベルリンでも機会を貰えればロート指揮のレパートリーよりもいいと思う。大編成の曲を振るのを待ちたいと思う。それよりも先ずはキリル・ペトレンコと今年のオペラ指揮者賞を別け合った音楽劇場作品指揮の機会だろうか。前回聴いたのはダルムシュタットの夏季セミナーの時だったと今思い出した。

今回の編集ものにしても映像が提供される予定だったのが、スタッフがコロナ陽性になって、残念ながら音声だけの放送となった。とても残念であるが、充分に来年以降を期待できると思う。

毎週のように朝一番でパン屋から森の中の駐車場へと向かった。曙は7時20分から、日の出は40分からで、パン屋を出たのは15分ぐらいだったか。駐車場では暗闇の中で暫し待って、明るみが出てから準備体操などをして、森の中でも足元が見えるようになるのを待った。走り出してから、日の出の時を待っていたが、曇っていたのであまり気が付かなかった。ゆっくりと走って峠に着いた時にはすっかりと明けていたのだが薄暗かった。

布団の上掛けに分厚いカヴァーを付けたので保温性が高まった。寒気が無くぐっすり眠れたのか、結構すっきりと起きれたのが良かった。やはり睡眠は重要である。



参照:
天使が下りてくる歌劇 2020-09-29 | 音
ドナウエッシンゲン祭管弦楽 2019-10-21 | 文化一般
黒い森からの今と昔の像 2018-10-21 | 文化一般
エポックメーキングなこと 2017-12-02 | 文化一般
音楽愛好家結社 2005-12-12 | 音
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