Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2020年7月

2020-07-31 | Weblog-Index


夏のフィナーレに向けて 2020-07-30 | 暦
ザルツブルクの崖っぷち 2020-07-29 | 文化一般
2015年の夏の想い出 2020-07-28 | マスメディア批評
理不尽そのものの主張 2020-07-27 | マスメディア批評  
あの事件が起こった夏 2020-07-26 | マスメディア批評
二流音楽家の頭の悪さ 2020-07-25 | マスメディア批評
チェス盤状に聴衆を配置 2020-07-24 | 料理
音楽LinuxPCの掃除 2020-07-23 | 文化一般
一丸となってスクラム 2020-07-22 | 文化一般
ウェイティングリスト 2020-07-21 | 生活
夏を越して秋から冬に 2020-07-20 | 暦
バイロイト対ザルツブルク 2020-07-19 | 文化一般
楽では無く響のカラヤン 2020-07-18 | 音
四苦八苦している内実 2020-07-17 | 雑感
保留付の意味とは 2020-07-16 | ワイン
合唱するための必要条件 2020-07-15 | 文化一般
壊滅に向かうか墺音楽界 2020-07-14 | 文化一般
音楽祭百周年記念番組 2020-07-13 | 文化一般
二泊三日は必要ないか 2020-07-12 | 生活
マスクを素早く着脱 2020-07-11 | 文化一般
最後までの憎まれもの 2020-07-10 | 雑感
百周年ザルツブルク祭計画 2020-07-09 | 雑感
サージカルマスク品定め 2020-07-08 | 生活
注目する親子関係 2020-07-07 | 文化一般
武漢で病人が出た遠征 2020-07-06 | 文化一般
その時は未知の人だった 2020-07-05 | 女
殆ど平常の夏の生活 2020-07-04 | 生活
ドッペルレーゲンボーゲン 2020-07-03 | 雑感
バーデンバーデンの調印 2020-07-02 | 文化一般
至福の楽興のとき 2020-07-01 | 音
 
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夏のフィナーレに向けて

2020-07-30 | 
週末に発注した衣料が届いた。先ず、夏用、冬用パジャマは予想していたよりも大分良かった。特に夏物は29,37ユーロとお得だった。なぜか長袖よりも半袖の方が高いぐらいだからだ。なぜ売れていなかったかはその柄だと思っていた。立て縞である。アマゾンでの写真がどこか刑務所の服か収容所のそれに見えてしまうのだ。夜中には魘されたくないと思うのは皆同じであろう。しかし、最近は半ズボンに紐を通してあるタイプが安く出来るらしく、ゴムのものが少ない。やはり就寝時には紐は嫌だ。刑務所では紐は許されない。

だから価格には代えがたいので26%オフを選択した。大きさは以前よりも小さく最近は通常のL若しくは50を着るようになった。太らないことが前提である。そして実際には全然牢屋の服では無かった二重三重のそれも二種類のストライプになっているとはネットでは分かり難かった。生地も細綿糸で名門シーサーらしく文句はない。これはいい買い物をした。来週旅行に一枚持って行くので、それを予備に回せる。綿と書いてあったが、矢張り変な会社の安物は見た目が良くても駄目だ、ヴィスコースの商品だったもので、四年前に17ユーロで買ったのだった。長持ちするので夏の旅行用に重宝するだろう。

気になっていたトランクス四枚組は、今まで使っていたものよりも下の大きさだったXLを使っていたので、Lは明らかに太ももが絞まる。しかし生地が薄いのでスポーツやジーンズの下にはフィット感がある。旧ブリーフ派にとっては引き締まるトランクスは馴染みの無いものだが妙に気持ちいい。スポーツ用に購入したものはビキニタイプに近いので、普段は使い難いが、これはジーンズの下ならば邪魔にはならない。ちょこちょこと使っているうちに破れるのも早いかもしれないので四枚まで手が伸びるだろう。早速履いて出かけたが全く違和感が無かった。サポーターか何かのような塩梅である。

「神々の黄昏」まで四日間の放送が終わった。最終日は更に周波数が伸びていると感じたが、三幕のフィナーレのフォスターの声がクリップ気味だった。MP3にする時に音量を上げ過ぎていたのではなかろうか。放送自体がその傾向だったから致し方が無い。印象としてはその前年とその後のミュンヘンでの演奏を二回聴いているので、今度振るともっとよくなると思った。音響技術的な事だけでなく、やはり管弦楽が荒い。ミュンヘンの楽団と違って寄せ集めであると、表現に限界がある。ソロも弦楽陣もそれは変わらない。

キリル・ペトレンコが次に「ニーベルンゲンの指輪」を振るのはバーデンバーデンとされていたが、2024年まではなく、2025年以降とすると、ひょっとするとバイロイトに復帰している可能も出てきている。そもそもチャイコフスキーを二年続けて、リヒャルト・シュトラウスを二年続けて背景には、ミュンヘンで「マイスタージンガー」、「タンホイザー」、「パルジファル」、「トリスタン」と新制作を指揮して、次は「指輪」若しくは「ローエングリン」しかない。しかし前者は一つづつやるとなると、さてどうなるのか?



参照:
ザルツブルクの崖っぷち 2020-07-29 | 文化一般
ステテコの夏が過ぎた 2016-08-12 | 暦
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ザルツブルクの崖っぷち

2020-07-29 | 文化一般
2019年産を初めて飲んだ。大抵は四月五月に試飲してベーシックを購入してしまうのだが、今年はそれどころでは無かった。そもそもワインを頻繁に開けるような気持にはならなかった。なるほど対面で物を買いに行くのが億劫という気持ちもあったが、先立つものつまり晩に開ける簡単なワインが無くなったので重い腰を上げた。

地元でもそれなりに割引で買えるのだが、やはり拘りのベーシックが欲しかった。更に月末までグローセスゲヴェックスの割引予約が出来るので、ベーシックで試飲しておかないと真価が見えない。

引き続き夜更けから午前様になるまで放送を流している。愈々最終日「神々の黄昏」である。件の「ジークフリート」は、一部GPと取り換えられてようなところを感じた。詳しくは調べていないが、少なくとも最後の年のこの楽劇に問題があった理由も推測出来て来た。やはりタイトルロールのジークフリートを強制的に変えられてしまったことが痛かった。シュテファン・フィンケは、少なくともあの時点では一流の舞台経験が無く、インタヴューでも「僕は朗々と歌いたかった」などとほざけたことを語っていたが、その後ミュンヘンなどに呼ばれるころには「今はヴォ―ストレーニングを基礎からやっている」とか述べていた。要するに地方の歌手でしかなかったのだ。

その結果もう一つしっくりいっていなかった以上に合わせる音楽の方が逆にせかせかした感じになって仕舞った。歌唱のもう一つの技術不足だったのだろう。前年にはとても素晴らしかったアルプスの高峰へと眼差しを移していくようなブリュンヒルデの横たわる岩山への繋がりもせかせかとしてしまっている。そこが似ているのはギネスジョーンズが動き回るブーレーズ指揮である。全てにおいて妨害工作の影響なのかもしれないが、流石のペトレンコ指揮もそうした環境に大きな影響を受けていたようだ。

バイエルン政府が火曜日の政府会議の後ザルツブルク音楽祭への見解を示した。政府代表フローリアン・ヘルマンは、ザルツブルク音楽祭は感染の危険が高いとして、「ザルツブルク音楽祭で感染から逃れるのはスポーツのようなものだ。」と語った。更に「より深刻な問題に成らなければいいと思う。」とした。

これで、バイエルン州の自らをスポーティではないと思う人は、ザルツブルク音楽祭での感染の危険性とその時の事を考えて怖気づく。月曜日の時点でも発売された八万券の一万券はまだ売れ残っている。元々は十八万券売れていたのが、海外からの訪問者などからのキャンセルなど僅か七万券しか売れていないという事になる。

またザルツカムマーグ―トの大クラスター発生から、バイエルン州は逆に数が把握できているから安全だとしたが、その流れが止まり、まだ今後音楽祭への無料のキャンセルが増えるだろうと予測されている。

個人的には、ザルツブルク音楽祭の二席に一人は非人道的な扱いなので、更に半分近くがキャンセルしてくれると嬉しいと思う。四席に一人が現状での安全な客席状況である。万が一の詰め具合を警戒してサージカルマスクの他にN95マスクも持参することにしよう。やはり自らを守ることも考えなければ、ネオリベラルの国では危険である。

例年通り大統領が来て初日から三日間滞在して、先ず「エレクトラ」初日の前の30分に短縮された式典に、そしてもう一つ初日の芝居に臨席して、またプラシード・ドミンゴらの表彰をする。それが、例のサウンドオブミュージックのトラップ家が撮影されたところとは知らなかった。嘗て初日に通っていて、なるほどシュヴァルツコップやらフォンヴァイツゼッカーは居たが、それらのパーティー自体にはお呼ばれすることも無いので気が付かなかった。

今年はそうした招待のお歴々はあまり出かけて来ないという事で、初日に券が出るというのはそれにも関連しているのだろう。バイエルン州が7日からアウトバーン国境に無料のPCRテスト所を設けるというから、帰宅時に検査する人がいるかもしれない。私は6日夜に国境を通ってホテルに帰ってしまうので、その影響での渋滞などには巻き込まれないで済みそうだ。



参照:
ザルツブルクの崖っぷち 2020-07-28 | マスメディア批評
二流音楽家の頭の悪さ 2020-07-25 | マスメディア批評
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2015年の夏の想い出

2020-07-28 | マスメディア批評
連夜深夜まで音を出している。文句が出る前に音量を絞るが、ARDネット一律中継放送は午前様になる。キー局のSWRのMP3の256kbsで全曲録音に決めたので仕方がない。前夜祭では制作局のBRとの差は音量だけだったが、第一日「ヴァルキューレ」では高域の伸びが、舞台が三階以上の構造になっている梯子を上下左右する演出ではホールトーンとして効いていた。

今回の編集箇所で生放送時とは異なるところは何となく幾つかあった。しかしそれ以上に今迄三回録音、録画が残っているバイロイト公演、日本公演、ミュンヘン公演での一幕のそのテムポ運びの方が興味深い。指揮者のキリル・ペトレンコは演出に留意すると言及していて、総譜に速度のチェックポイントを付けて、その間での伸び縮みを計算に入れていると認識している。本当にそれが正しいかどうかは、どこでテムポ調整をして、合わせてくるかなどを調べてみればいい。兎に角、テムポの調整は自由自在の指揮者だからこそ上手に合わせてきている筈なのだ。基本はテムポ指定の刻みだと思うが、其処が本当に名人芸だと思う。

「ラインの黄金」は傷が直されていたのだろう。とても完成度が高くなっていたと思うが、「ヴァルキューレ」は第一幕では益々忘れている演出や背景の動きなどが気になって来た。家の中で中階段部屋のようなところから出たり入ったりするだけだったと思うが、動く距離は小さくなかったと思う。だから演奏会版からすると何をしているのだろうという瞬間が多い。なぜミュンヘンではそのように感じなかったか。恐らくクリーゲンブルクの演出では細かな動きの方に焦点があったからだろう。

そもそも死の近かったテノール歌手ボータがジークムントを歌っていて、既に2014年も動きが鈍く体調も悪そうだったが、特に二幕で惜別のヴァルハラの歌では、どのような気持ちで歌っていたのかと思わせる歌唱だ。元々歌の表情の薄い歌手だと思うが、その抑制的なのが余計に身につまされる思いだ。

そして二幕のフリッカ、ヴォ―タンの語りなどがとても素晴らしい。ミュンヘンではそこまでやるかというほど締め付けていたが、それはバイロイトの奈落に対してで、予想以上にゆっくり尚且つ確りと表現させていて、同時にその音響が美しい。

それは弦だけでなくて、管の強奏などがとても通常の奈落では出来ない音響で、やはりこの音響とその表現は楽匠の理想としたそこにしかない。それにしてもBRのエッセイではないが、未だ嘗て殆どなせなかったこの音響はやはりその発展を待ちたいと思わせる。本当に素晴らしい。

そこで不意に思い浮かんだのは、なぜ今この録音が編集されて完成度が高められて放送されることになったかである。一つ分かっているのはこの企画が2020年バイロイト音楽祭中止決定以後で、3月末のことで、その一月後にカタリーナ・ヴァークナーの病気が発覚した。2020年は「ニーベルンゲンの指輪」のアーカイヴの放送が決まった時点で、幾つかの方法があった筈だ。その一つにこの2015年の中継録音が入れるのは自然な判断だが、そこから修正編集してとなると決裁のみならず、音楽祭と少なくとも指揮者への連絡は欠かせない。

何時頃から動いたかが気になるところで、この企画自体がそのHPでのエッセイ同様にバイエルンでキリル・ペトレンコのバイロイト音楽祭復帰への動きが起こっているという事でしかない。その前提として、カタリーナ・ヴァークナが元祖音楽監督との契約延長に至らず、更にカタリーナ―が手を引くという事である。そのお膳立ては可能性として準備されている。バイエルン州が辞めた音楽監督を再び州へと戻したいという待望論が生じてくるかどうかだけではないか。

まだこれから問題の多かった「ジークフリート」の再編集版などを聴いてからとなるが、そう言う意思が集約されていく可能性のある放送である。

2015年の「雑食砂岩から」リースリングを開けた。厳しい夏の太陽が詰まっているワインで、北の種のリースリング種にはそれほど利点はないが、やはり健康さもあって決して悪くはない。酸も表には出ないがミネラルに対抗している。酸が苦手な向きには旨みのあるワインとして喜ばれるだろう。グラスにも瓶にもしっかりと酒石が溜まっていた。その内容量と2016年の冬の寒さで早く発酵が終らなかったのだろう。



参照:
理不尽そのものの主張 2020-07-27 | マスメディア批評
あの事件が起こった夏 2020-07-26 | マスメディア批評
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理不尽そのものの主張

2020-07-27 | マスメディア批評
バイロイトからの中継が興味深かった。ドイツのゴールデンタイムのニュース等で映像付きで流された。例年は開幕でメルケル首相などが画面を飾るからだろう。しかし今年は取り止めになって、元祖音楽監督のクリスティアン・ティーレマンなどが話していた。そして放送では収録済みのインタヴューが流れた。案の定トンデモないデマ情報を流していた。

その場でコロナ禍に関して振られると、個人的な生活とは別に社会的な問題としても公開文章を大臣宛てに出して名前をそこに連ねていたことを話し出した。そして四月に出してからなんら回答が得られていないと二回も強調していた。

その公開文章とは、歌手のゲルネ、ルネ・パーペ、ヴァイオリンのアンネゾフィームター、リサ・バティアシヴィリ、指揮者ヘンゲルブロック、ティーレマンなどが公演中止で消えたギャラを補償しろと大臣に宛てたものだった。

その事の破廉恥さとこの連中の恥さらしぶりについては既に書いたので繰り返さないが、ここで再び注目を集めるところで繰り返したティーレマンの主張に注目したい。その根拠に於いてフリーランサーを上げていて、連名の所謂トップ稼ぎ手の前に普通のフリーランサーを盾にしようとしていたことだ。これはまさに彼のPEGIDA運動の遣り口と変わらない。なるほどバティシュヴィリもその意味では盾にされている感がある。当然の如くのように税金からの補償を求める遣り口である。だからこの発言は基本的にそうした新極右の遣り口だと認識する。理不尽そのものなのである。

そして早速ネット検索すると数十秒でモニカ・ギュルッタース大臣の回答が文化省のホームページ上に見付かった。公開文章を扱っていたこれまたネトウヨ新聞のDieWeltの日曜日版への投稿を回答としていた。そのレトリックも興味あるところで、その件に関しては重要視していて、芸術家やクリエイター諸氏が職安に行くのも憚れるのは分かるが、社会保険を超える範疇においても、連帯と自共助の活動例えばオーケストラ協会の寄付活動が瞬時に百三十万ユーロの金額を集め、個人的に多額の寄付をした芸術家がいたことに強く心打たれたと名前を出さすにキリル・ペトレンコの事も語っている。まさしく大臣の言う通りこれこそ活きた連帯である。

そして今回名前を連ねた有名芸術家たちの出演料の欠落には、そうした社会保障などは足しにもならないとしている。

しかしそれだけの生活保障だけでは足りないので ― それには持ち家や老後の生活の蓄えなどは含まれない、つまりそれらに手を付けずにの生活の困窮に対して ―、3月15日以前に決まっていた公演などのコロナ中止によるギャラ補償は手取り1000ユーロまでは60%まで支給、それ以上は40%まで、そして2500ユーロを上限とするとある。

勿論上の例では、この額でとっても足りないのはまさしく世界一のギャラを誇るムターらである。恥を知れと彼女ら彼らは言われているのと同じだ。更に社会保障の枠組みで経費も支払われて、音楽家が練習場に自宅を使っていればそれ相応にその住居の広さなど厳密に審査することなく支払われるという。

こうして回答することで、そして読者がそれを読むことで、如何にこ奴らが恥かきだという事がよく分かるのである。綺麗に回答されていて、更に足りない部分は見て行くと書き加えてある。

BRは億劫せずに元祖音楽監督のインタヴューを垂れ流した。これに直ぐに反応するのは私のようなティーレマンウョッチャーしかいないかもしれない。しかしこれらは貴重な記録となる。これをして最早ドイツ連邦共和国内での公職に就くのは無理だと思う。バイロイトはそもそも秋までで、ドレスデンも時間の問題だ。狙っていたヴィーンも駄目だったで、BR交響楽団が一席お座敷を用意しているがそんなに簡単に新たな評価が下される訳が無い。



参照:
公的資金の支援なんて 2020-04-09 | 文化一般
厚顔無恥に十万円呉れてやれ 2020-04-22 | 文化一般
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あの事件が起こった夏

2020-07-26 | マスメディア批評
今晩から楽劇「ニーベルンゲンの指輪」放送が始まる。先ずは前夜祭「ラインの黄金」である。2015年のバイロイト音楽祭での第一クールの演奏である。これは担当しているバイエルン放送協会で生中継された。同カストルフ演出の制作も三年目で生中継はこの前夜祭だけだった。

そしてキー放送局が部分的に初めての放送とあった。最初は何らかの間違いと思っていたが、理由が分かった。編集の必要があったのだ。キリル・ペトレンコ指揮の最後の夏で、六月からカタリーナ・ヴァークナー一味による腹違いの姉の共同代表取締役パスキエ夫人追放ということで「非人道的な扱い」としてダニエル・バレンボイムなどが揃って声明を出した。

背後には、ペトレンコを連れて来たという事で、また五月にベルリナーフィルハーモニカーの次期シェフに選任されたという事で、元祖音楽監督からの攻撃があった。それによって、2014年における歌手陣もジークフリートを歌ったライアンが契約を結ぶことが出来ず、配役面でも破壊工作が指導部から謀られた。パスキエ夫人がそこにいたならば有り得なかったのだった。更に前年のジァーマンウイング激突事件で二人の歌手の命は失われていた。それどころか楽員にも刃こぼしがされたようである。

それによって、キリル・ペトレンコも「本来ならば指揮をキャンセルしたいところだが、配役などメムバーの為に任を負う」とこの人らしい声明を出した。そのような塩梅だったから、公演中にも妨害行為に喘いだと思う。だから、第二夜「ジークフリード」などは明らかに管弦楽団が上手くいかなかったり、荒くなっていた。初年度の2013年も同様の傾向はあったのだが、新聞紙上でも指摘されることとなった。そのようなことからアーカイヴにするならば編集は必要だった。

但し2015年夏の第一夜以降の中継録音も編集される余裕も無く流されて、上のような明らかな問題点は顕著だったのだ。だから個人的にも「ジークフリート」に於いては明らかに2014年の実演に接した公演の方が遥かに良かったのを確認している。しかし2015年に明らかにものにしたのは第一夜「ヴァルキューレ」だった。

兎に角、楽しみな中継である。

さて、楽劇「エレクトラ」の楽譜に眼をざっと通した。音資料を探していたら、先ずはシェロー演出のエクサンプロヴァンスでのサロネン指揮の映像があった。幾らか流したが、残念ながら使いものにはならなかった。こうした独墺系の音楽をこの人が振ると本当に楽譜を読めるのだろうかと疑わざるを得ない。歌手のドイツ語の何とか云々以上にフィンランドではしっかりしたカリキュラムがあるのだろうかと思う。中欧とか北欧とか以前の問題ではないのか?

そこでさらに探すとカール・ベーム博士指揮の知らない録音が出て来た。最後の仕事として映画を撮っていたのは知っているがそれとは全く異なり1960年のドレスデンでのDG録音だった。「ばらの騎士」も同じように録音しているのだが、これはまた素晴らしい録音で、指揮者としての超一流の腕を否応なく示している。一体この曲を作曲家自身はどのように振っていたのだろうかと思う。来週アスミク・ギリゴーリアンが歌うクリソテミスに注目すると、この録音ではとても不安定になってしまっている。ここが決まればというところ続出で、たとえ彼女のドイツ語歌唱が不確かでも大きな期待が膨らんだ。その面でも上手い人が歌っている録音も探してみなければいけない。



参照:
音楽LinuxPCの掃除 2020-07-23 | 文化一般
アルベリヒは南仏に消えて、 2015-06-14 | 雑感


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二流音楽家の頭の悪さ

2020-07-25 | マスメディア批評
BR交響楽団後任人事でまたデマが流れてそうなので書いておこう。先ず書いている人はティーレというミュンヘンのオペラ評論家で、劇場に初日にはいつもいる。しかしミュンヘンの事情から音楽会の素人であるのはその書いていることからよく知られている。勿論ミュンヘンの中で楽員ともコンタクトがあり、それなりに取材しているのは間違いない。

先ず重要な情報を抜き出すと、BRの楽団の合併が囁かれていて、今まであった交響楽団、管弦楽団、合唱団が同じ組織になるという事だ。管弦楽団は嘗てはオペレッタなどの録音をミュンヘンの有名歌手としていたが、最近は少なくなっているのではなかろうか。それどころか問題の多いクレンティスのSWR交響楽団と合併する話しまであるという。その一方で成功していたりで両州の事情は容易に比較にはならないので余り話しにならないとしている。

もう一つ、この記事では第三希望としている指揮者ヴェルサーメストはドレスデンに行くのが最も好ましいがティーレマンとの間でいざござが起きるとしていて、恐らく既にあったキャンセルなどの裏話も流れているのだろう。欧州でのポストを探しているメストに最も適切なのはゼムパーオパーであるというのは定説となっているのだろう。ザクセン州も劇場も楽団も間違いなくその方向で動いている筈だ。そうなると再びザルツブルク復活祭でバーデンバーデンと対抗できるようになる。

それ以外に楽団の中で最も人気があるのはネゼサガンで、これはその北米でのポストから無理だろうとしていて、BRの放送で格別相性がいいとされているラトルがベルリンやロンドンから都落ちするはずがない。そして何よりもラトル指揮に欠けるものは欠けたままで、BR交響楽団が新ホールで大きな文化的な意味を持つ筈がない。

それどころか大物が来ないと新ホールの建設が費用削減へと動くというのである。もしそのような事ならばSWR交響楽団との合弁もあり得るだろう。そして秋までに後任を決めないと、現在のBR放送協会の支配人ヴィルヘルムの最後の人事にならないという。この人物は元メルケル首相の片腕でベルリンのロバート・レッドフォードと呼ばれた。その支配人が交響楽団に演奏会を訪れて激励していたという事で後任に譲るよりは安心だろうとしている。

しかし予期せぬコロナ騒動で後任人事の為のテストの予定が変わってきている。少なくとも秋から予定されていたオクサーナ・リニヴらのプログラム変更などが予定されている。やはり新ホールも工期の遅れがあるだろうから、慌てないのが本当だろう。要するにこの新聞記事の内容は眉唾なのである。

サイモン・ラトル指揮のシーズン今週の演奏会中継は今もHPにオンデマンドになっている。指揮者の良いところも悪いところもとても良く出ている。またメスト指揮のように管弦楽団の実力不足を見せないところが好かれるのは当然だ。メストは超一流の楽団以外を振っても仕方がない。

ザルツブルクからの中継を観た。希望者の何十人かを呼んでのサロンであるが、販促である。結局一般発売で二万五千席を出したが、一週間で売れたのは半分だという。更に初日に来れないという人も出てくるのでこれからいい席が出るのだという。遠くにいる人には厳しいがザルツブルク周辺の人には席を空けるわけにはいかないので来てくれという事だった。要するに再発売して散々な売れ行きで、当然のことながら儲けにはならないが、その創設の意味の一つである地域振興にはなるという。更にスポーンサーに引き続き応援して貰ってと本当の狙いにも言及されていた。
SN-Festspielgespräch mit Rabl-Stadler, Hinterhäuser und Crepaz


再び1mの話しと大劇場に45%詰める話しがなされた。更に感染者が出た場合その近辺の席の人々を「排除」して行くという事らしい。支配人自らが政治的に中道と言い切ったのも実際はオーストリアの根入りべであることもその自己責任論も良く理解した。それ以上に芸術監督ヒンターホイザーのアホさ加減を再確認する。ピアノを弾いてジョ-ジクラムだとか言っている二流音楽家と例えばバーデンバーデンのスタムパ支配人を比較すれば頭が違うというしかない。あんな奴の音楽祭なんて今後とも通う心算などは起こらない。なぜこんな男をジェラール・モルティエ監督が使っていたかよくわからない。



参照:
Wo die Liebe hinfällt, Markus Thiel, Merkur.de
チェス盤状に聴衆を配置 2020-07-24 | 料理
音楽LinuxPCの掃除 2020-07-23 | 文化一般
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チェス盤状に聴衆を配置

2020-07-24 | 料理
新たなザルツブルク情報。HPには無かった情報として、座席をチェス盤のようにいれるということで、すると二席毎となる。2179席が大劇場、1438席がフェルゼンライトシューレで、其々1000席、700席を入れるという事だろう。これは可成り危ない。基本としてオーストリアの1mのソーシャルディスタンシングに館内移動はマスクを着けてとなっている。

これだけの情報で躊躇するドイツからの訪問者は多いと思う。移動中の1mは明らかに密だ。知る限り、ドルトムントの街中がその感じだったので、あれでは駄目だと思った。案の定、新感染指数9とかで高止まりである。時間が立たないと動かしながらではあの程度の距離感で生活していては消滅には遠いと思う。

そして舞台関係者を三種類に別ける赤色、オレンジ、黄色は、其々舞台上で近くに寄って歌や演技などをする人々、次にその人達の近くで若しくはマスク無しで仕事をする人々、最後に通常のマスク着用で仕事をする人などである。その段階によって四日以内のPCR検査などが実施される。ざっとこうしたところだ。

一見、充分に管理されているように見えるがそもそもPCR検査を四日以内に受けても三割の偽陰性もあり、そもそも完全隔離されている訳ではない。症状が出ていない者がPCR検査を受けても殆ど価値が無い。それ以上に一度感染者が赤とかオレンジの中に出ると続行中止という事になるのではなかろうか。手筈が整えてあるのは黄色部門での陽性の場合ぐらいではないかと思う。実質的に舞台稽古の板の上で若しくは奈落で一人でも出ると二週間の自粛となって致命傷である。

この24時間でザルツブルク市内で3人の陽性が確認されている。新感染指数では16とヴィーンの26よりは大分マシである。ドイツで相当するのはボッフムとかその程度で上位二十傑に入るだろう。ミュンヘンが6.9という事で、そこからは恐ろしくて行けない。兎に角、オーストリアの状況は良くない。

そこで地元などのコロナ状況を見るとやはり飛行機でバルカン半島から戻って来る旅行者にはPCR検査が必要になっているようだ。オーストリアは関係が強いためでもあるが全ての感染はバルカン関連とされているが、俄かに信じられなかった。しかし実際にそこの感染状況は悪いので、医療の問題や今後の火種になる可能性は捨てきれない。

寝坊をすると陽射しが射して走るのも苦しくなる。何とか一部を除いては木漏れ日程度で気持ちよく走れた。一年で一番暑い二週間ほどだ。乾燥しているので気持ちはよいが、朝食にはクヴァークを付けた。日本では北海道の人しか食さない牛乳のおからである。だから同じようにおいしく食そうと思うと、卵やら蜂蜜やらと色々なものを入れるので結構高級な朝食となる。今回は前夜にジャガイモに付けて食したのでそれだけ豪華な感じもする。



参照:
ヨーグルトとトッペン 2005-10-05 | 料理
音楽祭百周年記念番組 2020-07-13 | 文化一般


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音楽LinuxPCの掃除

2020-07-23 | 文化一般
週末からバイロイト音楽祭中継などがある。本年は公演が中止になっているので、アーカイヴから流される。一度だけは小さな音楽会が生中継される。先ずは、2015年から「指輪」全曲で土曜日から四日間続く。2014年と2015年の演奏には一長一短があり、既に2013年からの録音は所持している。しかしPCオーディオ事初めが2014年だったので、また放送局のデーター量も少なかったので、2015年の生中継なども録音し直さなければいけない。

昔から長いだけに中々録音に成功したことが無かったのだが、今回も専用LinuxPCのディスクに余裕がなくなったので掃除した。現在のアップサムプリンググレードで19時間ほどの録音時間が捻出できた。一夜一夜整理して行けば問題はなさそうだ。

2014年は「ヴァルキューレ」が上手くいかなかった。理由は色々と考えられたが、指揮者のペトレンコにとっては最も苦労した楽劇ではないかと思う。それゆえに2015年は素晴らしい出来だと思う。再び少しいい音で聴き直すとまた違う感興が生じるかもしれない。

そのカストルフ演出に続いて今年次の演出をする筈だったヴァレンティン・シュヴァルツがシュトッツガルトで野外でヴァークナーをテーマにした舞台自由祝祭劇を行った。その報告がズルヒャーツァイトュンクに載っている。その内容に関しては、仕事が出来ない州立劇場の合唱団が練りだして戸外で歌うデモ(クラティー)プロジェクトとされているが、それ以上にこの若い演出家への関心を綴っている。

そもそもカタリーナ・ヴァクナーは女性演出家のタチアナ・グリュバカに白羽の矢を立てたようだが折り合いがつかなくて、シュヴァルツとなったようだった。女性演出家、女性指揮者の起用を狙っていたのだろう。そして今回の演出は2022年に延期されたことで、来年開催されるとすれば女性指揮者の登場となる。

インタヴューとして興味深いのは、2004年のシュリンゲンジーフ演出について語っているところで、その情報化過多の演出に対して、観念想像の扱い方としてセントラルな演出力が欠けていたとして、ある意味実務的な評価をしている。

ザルツブルク音楽祭の映画館用とツーリズム用の新トレイラーが提供されている。券が売れていないこともあり、何かが出てくると思ったが、まだこれからだろう。二つのオペラの初日の入場券が開放になって、なんと130ユーロの「エレクトラ」までが出ていた。初日は関係者がスポンサーが多いが、危ないと思って行かない人が増えているに違いない。
100 Jahre Salzburger Festspiele - Eröffnung 2020 - LIVE IM KINO (Elektra & Jedermann) | Trailer

100 Jahre Salzburger Festspiele


また最終日のベルリナーフィルハーモニカーの券が45ユーロで出ている。プログラムも小編成のピアノ協奏曲とメンデルスゾーンの交響曲一番であるから、その価値は限られているかもしれないがやはりあまり入らないという事に尽きる。

実際にそこまでに祝祭劇場でクラスターが発生していたら公演も取り止めになる。一体どこまで開催が出来るのか?一度発生すれば向こう数カ月に影響が出るだろう。

バーデンバーデンの音楽祭の九月の催し物は500人までの入場となっている。それが八月中旬に発表されて、九月中旬には年内の公演のプログラムが発表されるという二段構えになっている。夏の間の出張室内楽は別にして、国際祝祭劇場の名に恥じない催し物をすると語っている。因みに復活祭から夏の祝祭までの払い戻しに伴う寄付は三十万ユーロを超えたとされている。全体の損失の一割ぐらいになるだろうか。



参照:
一丸となってスクラム 2020-07-22 | 文化一般
ウェイティングリスト 2020-07-21 | 生活
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一丸となってスクラム

2020-07-22 | 文化一般
ザルツブルク音楽祭の準備が進んでいる。月曜日には券の売れ行き情報が出された。本来二十三万席が発売されていて既に十八万席が売れていた。それを全て返却して、合せて八万席のみが新たに発売された。しかし開幕まで二週間前でもその三分の一が売れ残ってると発表された。昨年は座席占有率が95%に至っているので、返却して再購入を断念した人は海外のみならずオーストリアやドイツでも少なくないだろうと予測される。

特にヴィーナーフィルハーモニカーがとんでもない自主規則で演奏するものだから、当然聴衆も守られないと思う気持ちがバイエルン州などでは強いと思う。ザルツブルクなどオーストリアは感染が広がっていて、注目が集まっている故に、万が一ザルツブルクの祝祭劇場でクラスターが発生したらと思うと恐ろしくて行けない。

そこで新たに広告戦略で特に高額の席を売り払いたいようだ。そうでなくとも聴取の数を三分の一にまで減少させていて、楽劇「エレクトラ」などではユニテルへの撮影や公共放送の放送料金だけでは到底計算が合わないだろう。急遽制作の「コジファントュッテ」はその点音楽祭最初のオペラ女性指揮者のヨアンナ・マルヴィッツに人気が集まればある程度の収益は上げられるかもしれないが、やはり売れ行きは良くない。

ベルリナーフィルハーモニカーも余っていて、三回のムーティ指揮の第九演奏会も席が次から次へと出てくる。特に合唱の演奏会は殆ど無法状態の演奏会になるという事を考えれば真っ当な人は顔をしかめるだろう。

バーデンバーデンに関して朗報が入って来た。最初から流動資金の要となる筈だった州からの四百万ユーロの支援が出ることがシュトットガルトから伝えられた。その額はこの間失った入場料収入に相当する。それを受けて、スタムパ支配人は、「この報は、堅い要石となり、音楽ファン、市、州、政治家、芸術家が分厚いスクラムを組んだそれを追従する形の比類なき救済構造である。」と表明した。

また、祝祭劇場協会のリップ教授は、「公的資金の援助以外に創始者、後援者、入場料金を寄付した多くの訪問者が一丸となって為し得た共和国でも比類ない成果」と語っている。

具体的には家主でもあるバーデンバーデン市に救済を目的としてその額が払い込まれて、祝祭劇場へと用立てする。祝祭劇場は私立の公共目的の文化団体であるから、今回の資金援助はそうした活動を保障する救済となる。

CSUのマルグレート・メルゲン市長は、祝祭も市も可能な限り早くコロナ条件での再開を望んでおり、三月初めから今日までを橋渡してくれる援助に感謝し、これを以って州は高度な芸術的な水準の祝祭劇場に寄り添うこと示し、喜ばしいと表明。

スタムパ支配人は、これで胸のつかえがとれたと、最も厳しい時を乗り越えたとして、先ずは小さな室内楽を催して、一息ついてから、安全を確保した条件での秋のシーズンを実現化すべく、八月中旬には公表すると語っている。辛抱強い訪問者の皆方々と、柔軟に対応して活きた音楽への信を持ち続けたチームにも感謝という。

主に決定が待たれているのはゲルギーエフ指揮ミュンヒナーフィルハーモニカーの新制作「サロメ」上演の是非であろう。個人的に気になるのはその前のベルリナーフィルハーモニカーのバーデンバーデンでの週末だが、片方が来月冒頭に改変プログラムを出す一方、バーデンバーデンの主催者が中旬になるという事でどうなるのだろう。

火曜日には、バイエルン放送協会交響楽団の前売りが始まる筈だったが、プランBのプログラム改正自体が全て九月まで延長された。やはり、現時点では中々決められないのだろう。ベルリンはその点は少し先にシーズンが始まるので致し方が無いのかもしれない。



参照:
バーデンバーデンの調印 2020-07-02 | 文化一般
最後までの憎まれもの 2020-07-10 | 雑感
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ウェイティングリスト

2020-07-21 | 生活
少しそわそわしている。秋の計画がどのようになるのか?大まかなところは見えてきているのだが、それでも気になるところがある。

ちょこちょこと主催者のHPを見ると合わせてきている。既に中止になっているロンドン交響楽団やクリーヴランド管弦楽団の欧州ツアーなどは消えているところもあれば其の侭券を発売しているところもある。

バーデンバーデンの祝祭劇場が年内の発売の方法を変えた。今まで出ている分以外はウェイティングリストにした。これは賢明なやり方だ。恐らく既に出ている分は何とかなるのだろう。あとは状況次第でどれだけ入れれるかだ。本当はアルテオパーなどもそのようにして欲しいが、やはりこれは主催者がそのまま券を売っているから可能なやり方だろう。漸く祝祭劇場が積極的な姿勢を見せた。

同時にネットに支配人スタムパのvlogの続編が出るようになった。新シーズン登場のアンドレアス・オッテンザムマーやギュンター・グロイスボェックのヴィデオメッセージ以上に前回のブラームスハウス訪問に続いて、市劇場訪問やハンス・ロスバウトスタディオ訪問から市美術館、ブルダ美術館へベルリオーズからメシアンやブーレーズへと繋いでいた。勿論公園やカジノを訪れてのロシア文豪編も忘れない。大したヴィデオではないのだがやはりこれは芸術的な意味でも観光の意味でも大きな価値がある。ブーレーズ祭への布石でもある。
Intendant Benedikt Stampas Vlog, Teil 1

Besuch bei Brahms - der Intendanten-Vlog, Teil 2

Sehnsucht nach Baden-Baden - der Intendanten-Vlog, Teil 3

Sehnsucht nach Baden-Baden – der Intendanten-Vlog, Teil 4

Sehnsucht nach Baden-Baden – der Intendanten-Vlog, Teil 5

Gruß in die Zukunft 1 – Andreas Ottensamer

Gruß in die Zukunft 3 – Günther Groissböck


あとは秋の計画についての発表を待つだけだ。各地で出ているロシアからのゲルギーエフ指揮やムジカエテルナのそれは矢張り難しいだろう。九月に誰がSWR管弦楽団を振るのかも注目される。バーデンバーデンはミュンヘンフィルであるが、「サロメ」の舞台があって、既に舞台装置は出来ているのだろうが、11月末では難しいのではなかろうか?既にどれほど売れているのか知らないが、元が取れるのだろうか。ミュンヘンの劇場のようにノウハウが無いので、先ずは来年の復活祭をも睨んで試して貰いたい気もする。

アルテオパーを見るとツアー自体が消えてしまったシュターツカペレドレスデンの欧州ツアーの一部が中止になっている。要するにルツェルンだけでなくミラノなども中止だろう。既に売り切れている地元だけでやるのかもしれない。足代も枕代も要らないという事だ。

スェーデンの死亡者がゼロになったと賑やかだったので、その実態を記した。ここ一週間の死者数は十万人中23人とドイツの3人に比較してとても悪い。興味深いことに年金生活者の割合が多いことから最初から厳格にしていて、欧州の優等生だったポルトガルと比較すると数値が全く同じだった。つまり、ロックアウトしても放っておいても最初から的確に動いていない限り結果は同じで、スェーデンのように後になってからソーシャルディスタンシングを初めても中々終息には追い付けない。大きな違いは人口当たりの死者数が三倍にも上っている点でこれはもう取り返しようがない。

集団免疫というものが最初からコロナに関しては難しいとされたのに敢えてデマを流してかは分からないが抑制に向かわなかったスェーデンは老人の数減らしにその政策の基本があったとしか考えられない。そして放射能の被ばくと同じく取り返しようがつかないのである。新感染者指数は109と東京や大阪のの十倍ほどになっている。因みにワイン街道の地元は二カ月間ほど零行進で、ラインラントプファルツ州も3で安定している。

オーストリアも再びスーパーなどでのマスク着用を検討している。既に公的な建造物などでのマスク着用は州によって取り入れられるようになっているが、恐らくソーシャルディスタンシングが出来ていないのだろうと予測する。



参照:
突然変異のレセプター 2020-05-12 | SNS・BLOG研究
怖くないコロナ第二波 2020-06-12 | 雑感
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夏を越して秋から冬に

2020-07-20 | 
今日は今年一番気温が上がったと思う。摂氏30度に届く。それでも室内で仕事をしている限り暑くはない。天井裏部屋からの冷えた空気が下りてくるからだ。その機構を掴むのに二十年以上掛かっていた。これを押し進めたのは天井裏部屋の窓の日除けが破れてしまってそれに代わるものが安く見つからなかったからである。つまり以前は天井裏部屋の南側は日除けで中に陽を入れずに締め切っていた。夏は窓を閉め切るのは欧州式である。乾燥していれば遮温が確りしている前提で陽射しを閉ざすだけで涼しい。

そこで否応無しに窓を上に撥ね上げて固定する方法で陽射しの強い時を過ごすようにした。つまり中途半端に開けておくとその間から直射日光が室内に差し込む。それを少しでも緩やかにとガラスを通すことで、それも半年以上汚れたガラスを通すとエネルギーは大分弱まる。

すると上に撥ね上げておくだけで上昇気流が生じることを学んだ。つまり室内の温められた空気がどんどん上へと室外へと逃げて行く。つまり屋根裏部屋の空気が抜けると、陽射しを遮った締め切った階下の暖かい空気が上に逃げて、上から冷たい空気が下りてくるようになったのだ。階段の下に仕事机を置いているのでその冷却効果が甚だしい。足元がスウスウする。

気温差が大きくなると、つまり室内への陽射しがあると更に空気が対流するようになった。外がどんなに暑くても湿気がそれほど高くなければ涼しい ― 因みに19時の外気温は30度近くてもシャワーの上の温度計は18度で湿度35%しかない。PCやモニター、HiFiを回していても概ねは変わらない。首筋に涼しい風が吹く。

週明けから楽劇「エレクトラ」のお勉強を始める。無駄になるかどうかは分からないが、短い劇なのでそれほど負担は掛からないだろうか。さてどんな骨子が掴めるか。

週が明けるとそろそろ秋の音楽会などの情報が出てくる。所謂コロナ対応のプランBとされるものだ。それどころか券も発売されるものもある。今までのように開催されるものや予約していたものに飛びつくという事では無く、その開催されるもののコロナ対応における価値を見極めて行かなければいけない。少なくとも会場の半分以上入れるようなものは年内は発売されないであろう。只唯一所持しているアルテオパーのベルリナーフィルハーモニカーのコンサートがどうなるかでもある。

出かける為に夏のパジャマを購入する必要がある。旅行から帰って来て予備が無いと困る。昨年も三着目を塵箱行にしたので購入の必要があったのだが、秋まで我慢した。しかし今年は購入したい。するともっと必要になるのが冬用の三着目だ。夏はイザとなればなくても寝れるが冬は死活問題になる。洗濯などで無くなる時が出てくる。漸くゴム引きしてあった三着目が破れたので購入次第塵箱行となる。胸にゴムが引いてあったので冬は冷やっとしたのだった。

更に必要なのが下着の半そでシャツで新しいものが無くなった。余所行き様にランニングだけでなく一つは新品同様を置いておきたい。更に下着のトランクスが破れてその代りになるものが無くなった。運動用にはフィンランド銘柄を使うが、丁度余所行きとその間の一丁が必要なのだ。穴が空いてごみ箱に行く前に同じ銘柄を買っておきたい。安物なので組ものしかないが四つで充分である。大きさが分からないが部屋着の下には大きめのLが必要だろう。そもそも夏の部屋着は大きめの最上等のトランクスを半ズボンとしてつまり猿股として使っている。

あとは、走るときのスイス製のソックスが破れたので新しいのが欲しいので一緒に発注すると130ユーロほどになる。結構な額である。この夏はシャツなどの衣裳を買わないので、また冬も昨年から購入したもので、これでパジャマさえあれば冬山さえ考えなければ越せそうなので、それぐらいは仕方がないかもしれない。



参照:
一寸気持ちのよい夏 2019-07-03 | 生活
ハイテク製品の収集効果 2015-05-01 | テクニック
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バイロイト対ザルツブルク

2020-07-19 | 文化一般
ザルツブルクでの感染が広がっている。病院の医師など25人が隔離されている。先日は警察官でこれは感染ルートが掴めなかったのだろう。今回はボスニア出身の婆さんの患者からとある。バルカン半島からの感染者が問題になっている。ザルツブルクの方針は最大限のPCRテストを行い、少なくとも公的や観光にあたる人達から感染しないように、陽性者の発覚と隔離に全てを掛けている。ffp2マスクで市民は苦労しても、観光客が減るようなことは一切しないとその方針が徹底しているようだ。要するに迎える方は隔離を徹底すれば観光客には感染が広がらない。先ずは夏を乗り越える事、それに全ての努力が向けられている。観光も郊外などはまだ催し物の数が少ないために埋まっていないようだが、結構の予約がなされているようだ。音楽祭が三分の一の規模しか無ければそれは当然かもしれない。

ザルツブルクはバイロイトに対抗して音楽祭が置かれたらしい。百周年記念番組で色々な情報が流れる。そのバイロイトに関して再び管理理事長がバイエルン放送局に改めて語っている。先ずは、祝祭劇場は2022年の「指輪」の舞台作りをするので使えないという。また、2021年の音楽祭は行う心算で準備していて、既に発表されたように発売時期は延長されるが、その実行へは多難であると語っている。

友の会などの為に見学などを予定して、既に発表されたようにティーレマン指揮の催し物なども予定されている。また本来の開幕日には毎年の様に早くから滞在している元祖音楽監督が楽匠の手紙を朗読するかもしれないとしている。そして繰り返し、秋からカタリーナ・ヴァークナーが戻って来るかどうかという話しで、また取締役に応募したという数が今回は百人から五十人へと半減している。書類選考が進んでいるのかもしれないが、正直この元バイエルン州財務大臣の言葉は裏読みしなければいけない。

理事長は、早期の中止の判断が正しくそれ以外の決断の可能性は無かったとする。それは客席の問題よりも奈落の管弦楽団の問題だったと、狭いと表現する。勿論換気も公の空調が無いためにとしている。

催し物もフォローリアンフォークトとニールントのローエングリンの湖畔のオープンエアーがハイライトになるとしていて、それも小さな編成とピアノの伴奏である。お馴染のグロースボェックの歌のオープンエアーもある。

要するに元祖指揮の演奏会も放送の予定は入っているが、何らかの話題になるものかどうかは分からない。少なくとも理事長は元祖に会いに行く様だ。カタリーナが復帰する前の下交渉という立場であろうが、けりをつけるという事になりそうである。昨年もザルツブルクの復活祭の交渉の為に新支配人のバッハラーが元祖に会いに行って会えなかった。しかし今回は会わないというわけにはいかないだろう。

前回書き残したことがあった。ベルリナーフィルハーモニカーの第一ヴァイオリンのコンツェルトマイスターの後ろで弾いていたシュテルン氏の話しである。ザビーネマイヤー騒動でカラヤンとの間にも確執が生じたがその時のカラヤンに付いた支配人との関係でも大きな問題があったというのだ。それはベルリナーフィルハーモニカーの室内楽活動や所謂ムッケと呼ばれる余興の仕事の問題だったとされる。

それ以前にクラリネットのカール・ライスターなどがコンサートに出ることなく、クルーズ船で小遣い稼ぎをしていたりして、客演指揮のオイゲン・ヨッフム等が苦情していたりしていたとする。当時公式に許可されていた活動は12チェロ合奏団とかベルリンのフィルハーモニカーを名乗るものは限られて、それ以外には四重奏団などが自身の名前で活動していたりで活動が限られていた。今は誰もが小遣い稼ぎのムッケに忙しく、フィルハーモニカーの名前でそれがなければ相手にされないようなソロ活動までをしているのである。そのフィルハーモニカーの自由の確保という事でもあったのだろう。女性のフィルハーモニカーが生まれる前の事であった。



参照:
四苦八苦している内実 2020-07-17 | 雑感
保留付の意味とは 2020-07-16 | ワイン
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楽では無く響のカラヤン

2020-07-18 | 
なぜか話題になっている故フォンカラヤン。放送でもバイロイトの「トリスタン」とザルツブルクの「ばらの騎士」を近々観聴き出来る。後者は人気指揮者故カルロス・クライバーがその練習から学んだもののようだ。

個人的には1977年の公演にしか接していない。明らかに全盛期を超えていた。だから録音のそれをなぞるぐらいの指揮しか出来ていなかった。実際に1982年には彼の有名なクラリネット奏者のザビーネ・マイヤー事件が起きて、ベルリナーフィルハーモニカーの終身指揮者が危うくなり、また大手術の影響もあって、完全に終焉へと向かっていった。

1984年のシュピーゲル誌の記事を読んで、また2007年の生誕百年のドイチュラントフンクの元第一ヴァイオリン筆頭のシュテルン氏へのインタヴューを読むと当時の背後事情が窺えた。

先ず1984年の記事にも登場していたベルリン生まれのユダヤ系ヘルムート・シュテルンが洗いざらいカラヤンの人間性にも語っている。アメリカからイスラエルへと逃げていて故郷へと戻って来たユダヤ人であるが、カラヤンの二回に亘ナチ入党などに関しては野心の為の判断と認識していて、それどころか戦争犯罪をしたわけではないと理解している。

これは結構重要な見解で、楽団の中ではカラヤンと良く喋った方で、またシュヴァルべなどの直ぐ後ろで指揮者と身近にいたとしているので、カラヤンのその人間性について客観的な証言にもなっているだろう。勿論戦後のベルリンで戦争犯罪に近いと思われた者は非ナチ化裁判の結果に寄らず然るべき立場には推挙されなかったという事でもあろう。

音楽的にとても興味深いのは、カラヤンは音楽を作ったのではなくサウンドを作って行ったとする見識で、カラヤンへの氏の最初の印象は、故郷に戻れて更にフィルハーモニカーとして音楽が出来ての喜び同様に、カラヤンにおいても特にその偉大な練習でとても幸福だったという。無駄な練習を一度もさせたことも無く、天晴れだったという。

その音楽解釈や音化に優れているのではなく先にも後にもサウンドで、なによりもフランス音楽でヴァークナーもシュトラウスも悪くはなく、ロマン派のチャイコフスキーなどは素晴らしかったと、そしてそれは彼にはサウンドしかなかったと繰り返す。それはなんにでもヴァニラソースをかけたようなものだと表現する

そのヴァニラってどんな味と尋ねられて、マーラーを指揮しないことをマーラールネッサンスの60年代初めにカラヤンに質したという。すると何時もどこかに酷いところがあってと、トラムペットの軍楽などのパッセージへの理解を示さなかったことで、それを理解出来なく、しようともしなかったと、古いヴィーンのそれだと解析する。マーラーが子供の時の軍楽隊などのあらゆるものを音楽的に伝えたかったものに統合したものであると解説。

1930年代に「トリスタン」を指揮して既に「カラヤン奇跡」とされ、天才とされたが、それは全くの誤りで自己演出だったとする。その必要性を含めてカラヤンにはカリスマ性があったというのがシュテルン氏の評価である。

マイヤー事件に関しては、彼女がクラリネットのソロとして通常に1982年秋にテスト期間に採用されて、その期間が終わるときに決まり通り、クラリネット陣の推薦を以って全団員の三分の二の支持を得て決定される必要があったと、そこでそれに至らなかったことからカラヤンが干渉したとする。そこで、終身契約が危うくなったが、カラヤンと楽団は決裂することなく、カラヤンが折れたことで最後までその任に当たった。

1984年のシュピーゲル誌の内容は、この話しとは異なり、我々が当時から知っていたように、82年の仮採用から両者が険悪になってというもので大分事情が異なる。上の話しからは仮採用にはカラヤンは関わっていなかったとなる。そして84年に辞める支配人がその間のスポークスマンになっていたという事だろう。

そしてメディア契約を盾にカラヤンが楽団を脅したというので、背後にはメディアの思惑が係っていたことは明らかだろう。シュテルン氏はそれとは関係なく、ソニーの盛田との関係にも触れて、二年ごとの日本公演度に新たな技術的なものが試されてカラヤンも喜んでいたが、そもそもカラヤンは録音には関心が無かったとまで発言している。これは特別興味深く大変矛盾する話しでもある。しかし同様のことは同じシュピーゲル誌にカラヤン自身がインタヴューに答えて話していて、何回も同じものを技術が変わるから録音するだけで、金の為ではないと弁明している。



参照:
四苦八苦している内実 2020-07-17 | 雑感
音楽祭百周年記念番組 2020-07-13 | 文化一般



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四苦八苦している内実

2020-07-17 | 雑感
ザルツブルクからティケットが届いた。評判になっていたティケット入れどころか封筒にハンコを押していただけだった。余程事務局に余裕が無いのだろう。只でさえ返金から再配布へととんでもない仕事量だ。248,000席の処理だけでも大変だったと思う。そこに新たに80,000席の配布だ。

まさか封筒が無いわけではないと思うが、毎年一度発注するとしたら切れることもあるのかもしれない。発注する時間はあっても新たに発注する金も無いかもしれない。兎に角売って流動資金を確保しないと厳しいのだろう。勿論スポンサーは二度も払わない。

そこにコロナ陽性者が事務所で見つかった。パーソナルが確保できない。恐らくそうした背後事情がこうしたところにも表れているのだろう。

ザルツブルク音楽祭が無事開幕へと漕ぎつけるかどうかは分からない。DPAがザルツブルク音楽祭の歴史についても触れた記事を出している。そこでは戦後の時代を築き、メディアのメッカとしたヘルベルト・フォンカラヤンに対してモルティエが監督に就任して新時代を築いたとある。過去の事であり、自分自身はその中に居たのでそうした俯瞰的な視座は持ち得ていなかった。

実際にモルティア時代はお客さんもアニフの宿で嘗ての商業主義への批判が強かった。要するにそれではいけないとするカラヤン時代への反省が強かった。宿泊したホテルレストランはカラヤン夫人の愛好のレストランだったのでそこの旦那は流石にその話しには乗ってこなかった。

新時代になって沢山の歌手がそこでデビューしたが、通信社が書くようにアンナ・ネトレブコとアスミク・グリゴーリアンが今も続くとして二人だけ名前を挙げている。しかし二人ともメディアが操るような存在ではない。やはり時代が変わっている。

ザルツブルクのコロナ新感染指数が7になっている。フランクフルトの6よりも高いが、東京都の11よりは低い。新たな感染対策は官公庁建造物でのマスク着用とあったが、駅の警察官二人の陽性から百人が隔離された警官もマスク着用となったという事だ。それならば駅でうつった人はとなる。なにもしない限りザルツブルクの感染は広がって行く。これは確実である。

「エレクトラ」生中継放送日の公演の200ユーロの券が出ている。要するに戻り券などが出始めている可能性もある。不安は広がっていると思う。舞台稽古中に一人出たら終わりだと思っている。時間の問題で、どこまで引っ張れるかだろう。

相変わらずリンツ郊外は指数80で高止まりしているので、恐らくリンツをロックアウトしない限りオーストリアは陥落する可能性がある。最初に止めてティロルの感染を喰い止めたのは見事だったが、愈々ポピュリズム政権の馬脚を現わしてきたと思う。

口だけ偉そうなことを言ってあたかも何かをやっているように見せるのが特徴で、そうした演出ばかりやっている者は本質的に大切なところがなっていないのは何事も同じである。



参照:
合唱するための必要条件 2020-07-15 | 文化一般
壊滅に向かうか墺音楽界 2020-07-14 | 文化一般
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