木曜日の文化欄のトップ記事を読んだ。コロナ後に話題になったルートヴィッヒスハーフェンの州立管弦楽団に関することなので目を引いた。先日そこで新シーズンから主席を務めるという朗報を聴いたばかりであり、上の様な事情はSWRの放送を車内で聴いていたからである。
州立楽団でフィルハーモニーを名乗っているのだが、十年前にはマインツの州立劇場の楽団との合併が発表されていた。個人的にはワイン街道ノイシュタットの演奏会で、恐らく主席指揮者のクレーが振るので出かけたと思う。プログラムを探してみないといけない。
何故この楽団が最もドイツの中で注目を集めている交響楽団であるのか、それはリーヒテンシュタインの音楽学校の校長となる2018年からの支配人ベアト・フェールマンの手腕による。放送では、コロナ期間中の休演にも関わらずお便りを出したり、植物のタネを届けたり演奏会以外の心使いが話されていた。そのお陰で殆どアフターコロナの影響がなかったと評判であった。多くの楽団では回復に時間が掛かった。
そして今回の記事は、今シーズンで任から離れた支配人が、デンマークで成功した「楽団の為の道具箱」やニューヨークでの研究など所謂文化マネージメント分野でのバイブル自体のその内容よりも、その実践の成功に言及している。ネットではなく演奏会に行くことでの満足度等。
新シーズンからはハイデルベルクの春の音楽祭の芸術監督のゴスマンが後任となるようであるが、そこに書いてあるプロジェクトでも継続されるよう期待したい。
プロジェクト自体も楽員の三分の二以上による決定で中止可能となっていて、実質的に楽員の総意としてのプロジェクトとなっていることに留意したい。そこでは例えば勤務契約の中での勤務時間の20%までを創造的な活動時間として認定しているということである。
大管弦楽団のお勤めの中で、劇場でも同様であるが、如何にお勤め時間を熟す一方でその準備の練習時間を手短にという労働環境があるに違いない。そこにおいて創造的活動というのはそれとはまた異なる事象であろう。
楽団が如何に音楽的文化的な団体であり得るかは、嘗てバーデンバーデンでベルリナーフィルハーモニカーへのカラヤン賞授与の祝辞において作曲家リームが演説した内容であった。一世紀前とは異なり、楽師さんも高度な教育を受けていて、それ相応の給与を稼いでる状況において、音楽的に若しくは社会的に貢献しないということはありえないのである。
楽団自体の活動としては、移民の居住地域に行っての演奏会とか、地域の学校での試みとかの活動が為されている。それは潜在的な聴衆への誘いとなることは間違いがない。チョコレート会社とのタイアップなどのそれ以上に、最終的には音楽との関わり方の変化と作新、多くの指揮者は従来の演奏会場からの「遠足」を語るが、最終的には何を演奏するかではなかろうか。
一昨日書いたように、ポピュラーコンサートなどにはこうした文化団体の生き残りの道はない。フェールマンはそこまでは手を出さなかった様であるが、もし今後ルートヴィッヒスハーフェンでの活動が世界を先導するならばそうした音楽的な先駆性しかない筈である。
参照:
Es gibt Instrumente der Hörerfindung, Clemens Haustein, FAZ vom 10.07.2025
極東ツアーの裏事情 2025-07-11 | マスメディア批評
腰が張る今日この頃 2018-02-07 | 文化一般
州立楽団でフィルハーモニーを名乗っているのだが、十年前にはマインツの州立劇場の楽団との合併が発表されていた。個人的にはワイン街道ノイシュタットの演奏会で、恐らく主席指揮者のクレーが振るので出かけたと思う。プログラムを探してみないといけない。
何故この楽団が最もドイツの中で注目を集めている交響楽団であるのか、それはリーヒテンシュタインの音楽学校の校長となる2018年からの支配人ベアト・フェールマンの手腕による。放送では、コロナ期間中の休演にも関わらずお便りを出したり、植物のタネを届けたり演奏会以外の心使いが話されていた。そのお陰で殆どアフターコロナの影響がなかったと評判であった。多くの楽団では回復に時間が掛かった。
そして今回の記事は、今シーズンで任から離れた支配人が、デンマークで成功した「楽団の為の道具箱」やニューヨークでの研究など所謂文化マネージメント分野でのバイブル自体のその内容よりも、その実践の成功に言及している。ネットではなく演奏会に行くことでの満足度等。
新シーズンからはハイデルベルクの春の音楽祭の芸術監督のゴスマンが後任となるようであるが、そこに書いてあるプロジェクトでも継続されるよう期待したい。
プロジェクト自体も楽員の三分の二以上による決定で中止可能となっていて、実質的に楽員の総意としてのプロジェクトとなっていることに留意したい。そこでは例えば勤務契約の中での勤務時間の20%までを創造的な活動時間として認定しているということである。
大管弦楽団のお勤めの中で、劇場でも同様であるが、如何にお勤め時間を熟す一方でその準備の練習時間を手短にという労働環境があるに違いない。そこにおいて創造的活動というのはそれとはまた異なる事象であろう。
楽団が如何に音楽的文化的な団体であり得るかは、嘗てバーデンバーデンでベルリナーフィルハーモニカーへのカラヤン賞授与の祝辞において作曲家リームが演説した内容であった。一世紀前とは異なり、楽師さんも高度な教育を受けていて、それ相応の給与を稼いでる状況において、音楽的に若しくは社会的に貢献しないということはありえないのである。
楽団自体の活動としては、移民の居住地域に行っての演奏会とか、地域の学校での試みとかの活動が為されている。それは潜在的な聴衆への誘いとなることは間違いがない。チョコレート会社とのタイアップなどのそれ以上に、最終的には音楽との関わり方の変化と作新、多くの指揮者は従来の演奏会場からの「遠足」を語るが、最終的には何を演奏するかではなかろうか。
一昨日書いたように、ポピュラーコンサートなどにはこうした文化団体の生き残りの道はない。フェールマンはそこまでは手を出さなかった様であるが、もし今後ルートヴィッヒスハーフェンでの活動が世界を先導するならばそうした音楽的な先駆性しかない筈である。
参照:
Es gibt Instrumente der Hörerfindung, Clemens Haustein, FAZ vom 10.07.2025
極東ツアーの裏事情 2025-07-11 | マスメディア批評
腰が張る今日この頃 2018-02-07 | 文化一般