Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

矛盾のザルツブルク音楽祭

2020-08-12 | マスメディア批評
承前)批評が大分出て来た。ザルツブルク、ベルリン、ザルツブルクで三回行われるレヴィトのベートーヴェンツィクルスへの批判が厳しい。人気があって売れっ子であるから、どこまで突っ込むかは考えものだが、分かっている人はそもそも足が伸びずに、兎に角宣伝力もあるのでという聴衆に向けて、また本人に向けて書いているのだろうか。大体SONYレーベルのタレントの実力は似たり寄ったりである。なにもレヴィットが悪いピアニストではないのだが、グルダやソコロフに比較されて、「能力重視時代のピアニズム」とされると本人もAfDに対抗するようには反論できないだろう。

それが打って変わって、ネルソンズ指揮のマーラーの六番を誉め殺ししている。その指揮振りからまるでハプスブルク時代の臣民の指揮のようだと表現して、大抵は(その亡き師匠が言ったように)年老いてから身に着ける節約の指揮をして、いつものように自由度を高めつつ精密さを失わないという事を揶揄している。明らかに核心を隠した物言いで、こちらは読むご本人を想定している ― その独語力が試されていて厭らしい。ここまで回りくどい言い方は私はしないが、まるでこの曲が大戦のカタストロフを予見させるようだとトーマス・ザンデリンクの言葉を引用して、それにアナログに夢見るようにフィナーレへと向かう演奏をおいて、今日明日にでも起こるであろうサドンレスの音楽祭の中断を思い描かせる。

そこでもコロナ安全対策万全での音楽祭開催とされる。しかしそれは真っ赤な嘘である。万全の対策で収益性を犠牲にすることは無いようにあれだけ人を詰め込むのだ。開幕一週間経過を前に場内の開演前アナウンスが変わった。気温が急上昇する週末前に扇子の使用が禁止になり、アエロゾール感染への対応となった。空気感染するならば到底二席に一人の座席配分間隔では足りない。最低1.5mの間隔は保たれるべきなのである。音楽祭は矢張り収益性しか考えていない。最低三分の一までに収容人数とするべきであった。

更に大きな矛盾を露呈させている。休憩での密を避けるために動線を把握しやすいように休憩無しで上演すると決定された。しかし、現実には入退場で人が入り乱れている。それどころか奥の席に着く人が、先に座っている人の前を通る。もはや濃厚接触数秒である。

音楽祭が真剣に安全対策を練ったのではなく、形だけのマニュアルを制作したのは明白である。証拠は幾つも挙げられる。先ず場内整理が全くされていない。ホールに入る各入り口では通常の案内しかしない。少なくとも真剣にザルツブルクからヴィースバーデンやドルトムントに人を遣わせるなり、情報を交換していれば決して有り得ない処置である。もし、会場内で感染が広がれば刑事告発される可能性が強い。その時には証言をする心算である。

要するに先ずは半数の聴衆を入れることが先にあり、その時の処置として先ずはマスク着用、個人の同定と連絡先が付け加えられて、休憩無しから扇子使用の禁止へと進んだ。それどころか公演中もマスクの着用までを高額を取りながら推奨するようになって、愈々責任逃れへと動いている。百年の伝統の文化団体の体を為していない。

このことはミュンヘンでも把握していたのだろう。だから「ザルツブルク音楽祭にいって感染を避けるにはスポーティである必要がある。」と多くの市民に注意を促した。(続く)



参照:
Danach wird das Leben anders sein, JAN BRACHMANN, FAZ vom 10.8.2020
すわ、コロナ吐血か 2020-06-23 | 雑感
ザルツブルクの崖っぷち 2020-07-29 | 文化一般
ヴィースバーデンモデル 2020-05-22 | 文化一般
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ザルツブルクからの中継

2020-08-02 | マスメディア批評
ザルツブルク音楽祭の開幕だ。17時から始めるが30分に短縮された大統領らの演説から始まる。放送は19時30分からオーストリア放送協会のラディオと同時にバイエルン放送協会が時差生中継を行い。その30分後にはSWRがキー局となってARD各局が流す。更に30分ほどすると今度はARTEが時差生中継の映像を流す。

ヴァリコフスキーの演出は、昨年のミュンヘンの「サロメ」においても創作家の生きた時代を舞台にして劇にはめ込む形だったが、今回も作詞家のホフマンスタールの作品としてフロイトを通した家族物語としているようだ。

管弦楽団は助っ人をいれた120人のヴィーナーフィルハーモニカーが奈落でギッシリと詰めて演奏をする。コロナ時代の音楽会の破廉恥として歴史に残るであろう。先ずはクラスター化しないことを願いたい。客席もドイツでのコロナ配置と異なり半分ほどを入れるとても危険な公演となる。

個人的にザルツブルク行までにまだ数日ある。現金は50ユーロほど下ろしておいたが、足りるだろうか?駐車料金がカードで払えれば足りるだろう。帰りの燃料は宿の近くで入れることにしている。

先ずは、録音をして録画することになる。オンデマンドは残るようだが、出来るだけいい音でも録画しておきたい。録音を道中のお勉強に持って行くか、録画を使うかはあとで考えればよい。

ベルリナーフィルハーモニカーの年内公演のプランBが出た。オープニングはザルツブルク音楽祭出演の第一プロと同じだった。つまり、シェーンベルクの浄夜に続けてブラームスの交響曲4番を演奏するというものだ。いずれにしても最大60人編成で、会場には500人までの入場しか許されない。しかし同じプログラムをザルツブルクから帰還後9月2日に再び演奏するので、750人入れる筈だ。合わせて1250人で通常の半数ぐらいとなる。

9月のベルリン芸術祭時のプログラムは三日間やって通常の一晩分弱の2250人となる。海外から訪れる人は少なく、現在のベルリンの状況からするとそれほど押しかける人はいないと思われるが、ベルリンの感染状況に拠るかも知れない。

10月末の合衆国ツアーの為のベルリンでの演奏会は、委嘱曲のノーマンの作品は其の侭で、交響詩「英雄の生涯」は大編成なので、同作曲家の「メタモルファーゼン」に変えられて最後にショスタコーヴィッチの交響曲9番が入れられた。既に入場1000人までとなっているので三日間で四回の演奏会を行うので4000人の入場となる。

さて肝心の11月は、ツアーがキャンセルで抜けて活きているのはフランクフルトのアルテオパーでのブラームスの最初のプログラムだけである。つまり前半ではヴェーベルンの「パッサカリア」に続いてメンデルスゾーンの交響曲一番が演奏される。その時点で舞台上により多くの楽員が並び入場制限が解かれて、休憩ありのコンサートになっているかどうかは現時点では定かではない。

これでバーデンバーデンも時間をおいて予定を発表するその意味が出て来た。恐らくベルリナーフィルハーモニカーが状況を見てからでも実現できるような準備を整えているという事になる。逆に10月までのプログラムで、11月はそれほど悪い公演にはならない。やはり客席の収容人数左右されるという事になりそうだ。そして半分以上の入場で最低これぐらいのプログラムは可能となる。



参照:
夏のフィナーレに向けて 2020-07-30 | 暦
ザルツブルクの崖っぷち 2020-07-29 | 文化一般


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2015年の夏の想い出

2020-07-28 | マスメディア批評
連夜深夜まで音を出している。文句が出る前に音量を絞るが、ARDネット一律中継放送は午前様になる。キー局のSWRのMP3の256kbsで全曲録音に決めたので仕方がない。前夜祭では制作局のBRとの差は音量だけだったが、第一日「ヴァルキューレ」では高域の伸びが、舞台が三階以上の構造になっている梯子を上下左右する演出ではホールトーンとして効いていた。

今回の編集箇所で生放送時とは異なるところは何となく幾つかあった。しかしそれ以上に今迄三回録音、録画が残っているバイロイト公演、日本公演、ミュンヘン公演での一幕のそのテムポ運びの方が興味深い。指揮者のキリル・ペトレンコは演出に留意すると言及していて、総譜に速度のチェックポイントを付けて、その間での伸び縮みを計算に入れていると認識している。本当にそれが正しいかどうかは、どこでテムポ調整をして、合わせてくるかなどを調べてみればいい。兎に角、テムポの調整は自由自在の指揮者だからこそ上手に合わせてきている筈なのだ。基本はテムポ指定の刻みだと思うが、其処が本当に名人芸だと思う。

「ラインの黄金」は傷が直されていたのだろう。とても完成度が高くなっていたと思うが、「ヴァルキューレ」は第一幕では益々忘れている演出や背景の動きなどが気になって来た。家の中で中階段部屋のようなところから出たり入ったりするだけだったと思うが、動く距離は小さくなかったと思う。だから演奏会版からすると何をしているのだろうという瞬間が多い。なぜミュンヘンではそのように感じなかったか。恐らくクリーゲンブルクの演出では細かな動きの方に焦点があったからだろう。

そもそも死の近かったテノール歌手ボータがジークムントを歌っていて、既に2014年も動きが鈍く体調も悪そうだったが、特に二幕で惜別のヴァルハラの歌では、どのような気持ちで歌っていたのかと思わせる歌唱だ。元々歌の表情の薄い歌手だと思うが、その抑制的なのが余計に身につまされる思いだ。

そして二幕のフリッカ、ヴォ―タンの語りなどがとても素晴らしい。ミュンヘンではそこまでやるかというほど締め付けていたが、それはバイロイトの奈落に対してで、予想以上にゆっくり尚且つ確りと表現させていて、同時にその音響が美しい。

それは弦だけでなくて、管の強奏などがとても通常の奈落では出来ない音響で、やはりこの音響とその表現は楽匠の理想としたそこにしかない。それにしてもBRのエッセイではないが、未だ嘗て殆どなせなかったこの音響はやはりその発展を待ちたいと思わせる。本当に素晴らしい。

そこで不意に思い浮かんだのは、なぜ今この録音が編集されて完成度が高められて放送されることになったかである。一つ分かっているのはこの企画が2020年バイロイト音楽祭中止決定以後で、3月末のことで、その一月後にカタリーナ・ヴァークナーの病気が発覚した。2020年は「ニーベルンゲンの指輪」のアーカイヴの放送が決まった時点で、幾つかの方法があった筈だ。その一つにこの2015年の中継録音が入れるのは自然な判断だが、そこから修正編集してとなると決裁のみならず、音楽祭と少なくとも指揮者への連絡は欠かせない。

何時頃から動いたかが気になるところで、この企画自体がそのHPでのエッセイ同様にバイエルンでキリル・ペトレンコのバイロイト音楽祭復帰への動きが起こっているという事でしかない。その前提として、カタリーナ・ヴァークナが元祖音楽監督との契約延長に至らず、更にカタリーナ―が手を引くという事である。そのお膳立ては可能性として準備されている。バイエルン州が辞めた音楽監督を再び州へと戻したいという待望論が生じてくるかどうかだけではないか。

まだこれから問題の多かった「ジークフリート」の再編集版などを聴いてからとなるが、そう言う意思が集約されていく可能性のある放送である。

2015年の「雑食砂岩から」リースリングを開けた。厳しい夏の太陽が詰まっているワインで、北の種のリースリング種にはそれほど利点はないが、やはり健康さもあって決して悪くはない。酸も表には出ないがミネラルに対抗している。酸が苦手な向きには旨みのあるワインとして喜ばれるだろう。グラスにも瓶にもしっかりと酒石が溜まっていた。その内容量と2016年の冬の寒さで早く発酵が終らなかったのだろう。



参照:
理不尽そのものの主張 2020-07-27 | マスメディア批評
あの事件が起こった夏 2020-07-26 | マスメディア批評
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理不尽そのものの主張

2020-07-27 | マスメディア批評
バイロイトからの中継が興味深かった。ドイツのゴールデンタイムのニュース等で映像付きで流された。例年は開幕でメルケル首相などが画面を飾るからだろう。しかし今年は取り止めになって、元祖音楽監督のクリスティアン・ティーレマンなどが話していた。そして放送では収録済みのインタヴューが流れた。案の定トンデモないデマ情報を流していた。

その場でコロナ禍に関して振られると、個人的な生活とは別に社会的な問題としても公開文章を大臣宛てに出して名前をそこに連ねていたことを話し出した。そして四月に出してからなんら回答が得られていないと二回も強調していた。

その公開文章とは、歌手のゲルネ、ルネ・パーペ、ヴァイオリンのアンネゾフィームター、リサ・バティアシヴィリ、指揮者ヘンゲルブロック、ティーレマンなどが公演中止で消えたギャラを補償しろと大臣に宛てたものだった。

その事の破廉恥さとこの連中の恥さらしぶりについては既に書いたので繰り返さないが、ここで再び注目を集めるところで繰り返したティーレマンの主張に注目したい。その根拠に於いてフリーランサーを上げていて、連名の所謂トップ稼ぎ手の前に普通のフリーランサーを盾にしようとしていたことだ。これはまさに彼のPEGIDA運動の遣り口と変わらない。なるほどバティシュヴィリもその意味では盾にされている感がある。当然の如くのように税金からの補償を求める遣り口である。だからこの発言は基本的にそうした新極右の遣り口だと認識する。理不尽そのものなのである。

そして早速ネット検索すると数十秒でモニカ・ギュルッタース大臣の回答が文化省のホームページ上に見付かった。公開文章を扱っていたこれまたネトウヨ新聞のDieWeltの日曜日版への投稿を回答としていた。そのレトリックも興味あるところで、その件に関しては重要視していて、芸術家やクリエイター諸氏が職安に行くのも憚れるのは分かるが、社会保険を超える範疇においても、連帯と自共助の活動例えばオーケストラ協会の寄付活動が瞬時に百三十万ユーロの金額を集め、個人的に多額の寄付をした芸術家がいたことに強く心打たれたと名前を出さすにキリル・ペトレンコの事も語っている。まさしく大臣の言う通りこれこそ活きた連帯である。

そして今回名前を連ねた有名芸術家たちの出演料の欠落には、そうした社会保障などは足しにもならないとしている。

しかしそれだけの生活保障だけでは足りないので ― それには持ち家や老後の生活の蓄えなどは含まれない、つまりそれらに手を付けずにの生活の困窮に対して ―、3月15日以前に決まっていた公演などのコロナ中止によるギャラ補償は手取り1000ユーロまでは60%まで支給、それ以上は40%まで、そして2500ユーロを上限とするとある。

勿論上の例では、この額でとっても足りないのはまさしく世界一のギャラを誇るムターらである。恥を知れと彼女ら彼らは言われているのと同じだ。更に社会保障の枠組みで経費も支払われて、音楽家が練習場に自宅を使っていればそれ相応にその住居の広さなど厳密に審査することなく支払われるという。

こうして回答することで、そして読者がそれを読むことで、如何にこ奴らが恥かきだという事がよく分かるのである。綺麗に回答されていて、更に足りない部分は見て行くと書き加えてある。

BRは億劫せずに元祖音楽監督のインタヴューを垂れ流した。これに直ぐに反応するのは私のようなティーレマンウョッチャーしかいないかもしれない。しかしこれらは貴重な記録となる。これをして最早ドイツ連邦共和国内での公職に就くのは無理だと思う。バイロイトはそもそも秋までで、ドレスデンも時間の問題だ。狙っていたヴィーンも駄目だったで、BR交響楽団が一席お座敷を用意しているがそんなに簡単に新たな評価が下される訳が無い。



参照:
公的資金の支援なんて 2020-04-09 | 文化一般
厚顔無恥に十万円呉れてやれ 2020-04-22 | 文化一般
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あの事件が起こった夏

2020-07-26 | マスメディア批評
今晩から楽劇「ニーベルンゲンの指輪」放送が始まる。先ずは前夜祭「ラインの黄金」である。2015年のバイロイト音楽祭での第一クールの演奏である。これは担当しているバイエルン放送協会で生中継された。同カストルフ演出の制作も三年目で生中継はこの前夜祭だけだった。

そしてキー放送局が部分的に初めての放送とあった。最初は何らかの間違いと思っていたが、理由が分かった。編集の必要があったのだ。キリル・ペトレンコ指揮の最後の夏で、六月からカタリーナ・ヴァークナー一味による腹違いの姉の共同代表取締役パスキエ夫人追放ということで「非人道的な扱い」としてダニエル・バレンボイムなどが揃って声明を出した。

背後には、ペトレンコを連れて来たという事で、また五月にベルリナーフィルハーモニカーの次期シェフに選任されたという事で、元祖音楽監督からの攻撃があった。それによって、2014年における歌手陣もジークフリートを歌ったライアンが契約を結ぶことが出来ず、配役面でも破壊工作が指導部から謀られた。パスキエ夫人がそこにいたならば有り得なかったのだった。更に前年のジァーマンウイング激突事件で二人の歌手の命は失われていた。それどころか楽員にも刃こぼしがされたようである。

それによって、キリル・ペトレンコも「本来ならば指揮をキャンセルしたいところだが、配役などメムバーの為に任を負う」とこの人らしい声明を出した。そのような塩梅だったから、公演中にも妨害行為に喘いだと思う。だから、第二夜「ジークフリード」などは明らかに管弦楽団が上手くいかなかったり、荒くなっていた。初年度の2013年も同様の傾向はあったのだが、新聞紙上でも指摘されることとなった。そのようなことからアーカイヴにするならば編集は必要だった。

但し2015年夏の第一夜以降の中継録音も編集される余裕も無く流されて、上のような明らかな問題点は顕著だったのだ。だから個人的にも「ジークフリート」に於いては明らかに2014年の実演に接した公演の方が遥かに良かったのを確認している。しかし2015年に明らかにものにしたのは第一夜「ヴァルキューレ」だった。

兎に角、楽しみな中継である。

さて、楽劇「エレクトラ」の楽譜に眼をざっと通した。音資料を探していたら、先ずはシェロー演出のエクサンプロヴァンスでのサロネン指揮の映像があった。幾らか流したが、残念ながら使いものにはならなかった。こうした独墺系の音楽をこの人が振ると本当に楽譜を読めるのだろうかと疑わざるを得ない。歌手のドイツ語の何とか云々以上にフィンランドではしっかりしたカリキュラムがあるのだろうかと思う。中欧とか北欧とか以前の問題ではないのか?

そこでさらに探すとカール・ベーム博士指揮の知らない録音が出て来た。最後の仕事として映画を撮っていたのは知っているがそれとは全く異なり1960年のドレスデンでのDG録音だった。「ばらの騎士」も同じように録音しているのだが、これはまた素晴らしい録音で、指揮者としての超一流の腕を否応なく示している。一体この曲を作曲家自身はどのように振っていたのだろうかと思う。来週アスミク・ギリゴーリアンが歌うクリソテミスに注目すると、この録音ではとても不安定になってしまっている。ここが決まればというところ続出で、たとえ彼女のドイツ語歌唱が不確かでも大きな期待が膨らんだ。その面でも上手い人が歌っている録音も探してみなければいけない。



参照:
音楽LinuxPCの掃除 2020-07-23 | 文化一般
アルベリヒは南仏に消えて、 2015-06-14 | 雑感


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二流音楽家の頭の悪さ

2020-07-25 | マスメディア批評
BR交響楽団後任人事でまたデマが流れてそうなので書いておこう。先ず書いている人はティーレというミュンヘンのオペラ評論家で、劇場に初日にはいつもいる。しかしミュンヘンの事情から音楽会の素人であるのはその書いていることからよく知られている。勿論ミュンヘンの中で楽員ともコンタクトがあり、それなりに取材しているのは間違いない。

先ず重要な情報を抜き出すと、BRの楽団の合併が囁かれていて、今まであった交響楽団、管弦楽団、合唱団が同じ組織になるという事だ。管弦楽団は嘗てはオペレッタなどの録音をミュンヘンの有名歌手としていたが、最近は少なくなっているのではなかろうか。それどころか問題の多いクレンティスのSWR交響楽団と合併する話しまであるという。その一方で成功していたりで両州の事情は容易に比較にはならないので余り話しにならないとしている。

もう一つ、この記事では第三希望としている指揮者ヴェルサーメストはドレスデンに行くのが最も好ましいがティーレマンとの間でいざござが起きるとしていて、恐らく既にあったキャンセルなどの裏話も流れているのだろう。欧州でのポストを探しているメストに最も適切なのはゼムパーオパーであるというのは定説となっているのだろう。ザクセン州も劇場も楽団も間違いなくその方向で動いている筈だ。そうなると再びザルツブルク復活祭でバーデンバーデンと対抗できるようになる。

それ以外に楽団の中で最も人気があるのはネゼサガンで、これはその北米でのポストから無理だろうとしていて、BRの放送で格別相性がいいとされているラトルがベルリンやロンドンから都落ちするはずがない。そして何よりもラトル指揮に欠けるものは欠けたままで、BR交響楽団が新ホールで大きな文化的な意味を持つ筈がない。

それどころか大物が来ないと新ホールの建設が費用削減へと動くというのである。もしそのような事ならばSWR交響楽団との合弁もあり得るだろう。そして秋までに後任を決めないと、現在のBR放送協会の支配人ヴィルヘルムの最後の人事にならないという。この人物は元メルケル首相の片腕でベルリンのロバート・レッドフォードと呼ばれた。その支配人が交響楽団に演奏会を訪れて激励していたという事で後任に譲るよりは安心だろうとしている。

しかし予期せぬコロナ騒動で後任人事の為のテストの予定が変わってきている。少なくとも秋から予定されていたオクサーナ・リニヴらのプログラム変更などが予定されている。やはり新ホールも工期の遅れがあるだろうから、慌てないのが本当だろう。要するにこの新聞記事の内容は眉唾なのである。

サイモン・ラトル指揮のシーズン今週の演奏会中継は今もHPにオンデマンドになっている。指揮者の良いところも悪いところもとても良く出ている。またメスト指揮のように管弦楽団の実力不足を見せないところが好かれるのは当然だ。メストは超一流の楽団以外を振っても仕方がない。

ザルツブルクからの中継を観た。希望者の何十人かを呼んでのサロンであるが、販促である。結局一般発売で二万五千席を出したが、一週間で売れたのは半分だという。更に初日に来れないという人も出てくるのでこれからいい席が出るのだという。遠くにいる人には厳しいがザルツブルク周辺の人には席を空けるわけにはいかないので来てくれという事だった。要するに再発売して散々な売れ行きで、当然のことながら儲けにはならないが、その創設の意味の一つである地域振興にはなるという。更にスポーンサーに引き続き応援して貰ってと本当の狙いにも言及されていた。
SN-Festspielgespräch mit Rabl-Stadler, Hinterhäuser und Crepaz


再び1mの話しと大劇場に45%詰める話しがなされた。更に感染者が出た場合その近辺の席の人々を「排除」して行くという事らしい。支配人自らが政治的に中道と言い切ったのも実際はオーストリアの根入りべであることもその自己責任論も良く理解した。それ以上に芸術監督ヒンターホイザーのアホさ加減を再確認する。ピアノを弾いてジョ-ジクラムだとか言っている二流音楽家と例えばバーデンバーデンのスタムパ支配人を比較すれば頭が違うというしかない。あんな奴の音楽祭なんて今後とも通う心算などは起こらない。なぜこんな男をジェラール・モルティエ監督が使っていたかよくわからない。



参照:
Wo die Liebe hinfällt, Markus Thiel, Merkur.de
チェス盤状に聴衆を配置 2020-07-24 | 料理
音楽LinuxPCの掃除 2020-07-23 | 文化一般
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フランクフルトへと

2020-06-28 | マスメディア批評
金曜日の中止になったオペルンフェストの特番は面白かった。今回目玉となる1973年「ばらの騎士」と2006年「ラトラヴィアータ」の前宣だけでなくて、関連周辺話題にも振って如何にもオペラファンを喜ばせる内容だった。その一方でオペラオタクから玄人までに聞かせる番組内容になっていた。劇場も聴衆も地元のメディアもオペラを取り巻いてとても程度が高い。これだけの内容を消化できる街は世界に殆どないと思う。

よく考えてみれば、ミュンヘンの劇場の聴衆の玄人筋の割合は高く、その他の常連さんもとてもオタクだ。番組にもクナッパーツブッシュ指揮で舞台に立っていた人も番組に出ているのがまさにそれだ。

土曜日放送の「ばらの騎士」で世界に名を馳せたブリギット・ファスベンダ―の話しは何度も繰り返されている内容だったが、電話の向こうで話すのを聞くと同じ内容でも活き活きしてくる。指揮者のカルロス・クライバーとの最初の仕事はシュトッツガルトの劇場での「ばらの騎士」で脇役を歌った時で、その後1972年になってオクタヴィアン役に際して指揮者が受け入れたから印象は悪くはなかったのだろうと笑わせた。1961年からそこのメムバーとして殆どのシュトラウスのオペラを歌っていたので、劇場に伝統として残っているその精妙さなどがよく分かっていたと語る。

作曲家に薫陶を受けた歌手がまだいて、ハンス・ホッターやクルト・ベーメなどが歌ってと、その精妙でリズミカルに鮮明な音楽を学んだと言う。それどころか練習ピアニストなどは作曲家直々のテムポ指示を受けていた人たちだった様だ。そこにカルロス・クライバーが現れ、新制作の稽古をつけて行った。その奔放な指揮振りでどの公演も新鮮に初日のような音楽をしたという。その裏では楽屋に名刺に添えて「君はどうしてああしたのだ」と書き於いた。意味を尋ねると「君は八分の一のアウフタクトで歌った。あれは四分の一だ。」と直させたという。楽譜に眼を落とすことなく振ったことなど、そしてゾフィー役を務めたルチア・ポップとの関係への証言となる。

仲も良かったファスベンダ―には楽屋でもポップ自身が語っていて、一時同棲をしていたこともあって、仕事場でも決して問題は無かったのだが、後年クライバーが最後に指揮を下りることになるポップが伯爵夫人を歌う練習時には指揮台と舞台の上でもいざこざがあってポップが涙していたと語る。

新制作「ファルスタッフ」でタイトルロールを歌う予定だったヴォルフガンク・コッホがヴィーンの自宅で電話に答えた。準備も何もなしに自宅で料理をしてワインを二本ほど開けてという生活は得難いものと語っていた。又半年もの休憩で声を作っておく必要もないので練習もしないでいると話している。一度レストランで、非番のアニヤ・カムペとマネージャーと奥さんと一緒に入って来て、白ワインやら赤ワインを発注するの一部始終を見ていたことがある。あの時は「パルジファル」の新制作週間だったと思う。その人物像を垣間見たので全く其の侭の話しだった。

そして最後に肝心なことが質問された。新制作「ファルスタッフ」新シーズンに順延になって近々実現するかという問いに対して、上手く嵌め込めそうだと答える。期待するが、保証は出来ないけどと。なにかというと、プランにはキリル・ペトレンコの名前が出ておらず、指揮者不明になっている。それが意味するのは、日程などを審査するとベルリナーフィルハーモニカーのアメリカツアーがキャンセルになるかどうかに掛かっているとみて間違いない。既に肝心のカーネギーホールはキャンセルされたが、フロリダは駄目だとしてもシカゴやボストンの日程がまだ残っているからだ。これらが中止に決まれば、十月末から十二月中間までは新たにプランニングが可能となる。

先ずは「ファルスタッフ」の稽古を始めておいて、その間にベルリナーフィルハモニカ―とのアルテオパー公演やバーデンバーデン公演をこなせば、新制作公演が可能となる。同じ演出家の既に練習を終えている新制作「フィデリオ」も公演できればコロナで失ったものの多くを取り返すことが可能となる。さて何が実現するか?



参照:
政治的パフォーマンス 2020-03-24 | 歴史・時事
蝙蝠食べるジキル博士 2020-02-01 | 生活
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差異を見極めて行く

2020-06-15 | マスメディア批評
週末にドイツェオパーベルリンの駐車場でニーベルンゲンの指輪前夜祭「ラインの黄金」が上演された。新聞評が載っている。先ず、そこで演奏されたのはここ暫くスタンダードとなる三分の一がカットされた二時間ほどに圧縮された室内管弦楽版である。ジョナサン・ド-ヴという英国人の編曲のようで、管弦楽団も80人に対して22人の演奏となる。
Das Rheingold auf dem Parkdeck - Deutsche Oper Berlin


批評を読むとそれなりの演出上の工夫が必要であったようだが、例えば席の列の間を歌手が通って行ったりと通常の公演では出来ない体験もあったようだ。反面室内楽編曲自体が室内の小屋を考えてあるので決して必要なところで充分な音量が得られなかったり、または指揮者が調整しなければいけなかった箇所があったようだ。

オープンエアーではスクエアーでも中々音響的には難しいところがある。通常の管弦楽団ならば音量は足りなくはならないが、室内楽は矢張り厳しい。更に二百人なりの聴衆が近くに寄れないという二重苦三重苦がある。コロナ対策が容易ではない所以だ。

実際の演出としてフライヤが連れ去られる場面はディスタンシングでどうしても具体性が欠けるらしいが、そこは最初の数分で券を買い漁ったヴェテランの亡者たちなので全く問題はないだろうと書いてある。

概ね演出上の手直しや歌手の歌う位置など現場的な創意工夫が必要で、それはそれでこうした新聞評の対象となる。そしてこうした行為が出来るというのも公的な劇場の予算の中で行われているからこそで、所謂エンタメとの間には取り分け太いソーシャルディスタンシング並みの線が引かれるところだ。今ここ暫くの活動においてはそこに注目して行くことで、一体何が必要とされるのか、必要ではないのかの差異をしっかりと見極めて行くことになるのではないかと思う。

雷雨が予想されていたようだが、その前線がずれて、最後には夕暮れ風景の中でフィナーレに向かったとされる。虹こそは出ていなかったようだが、こうした体験は深く記憶に残る。



参照:
Ouvertüre auf dem Parkhausdeck, Gerald Felber, FAZ vom 15.6.2020
職人魂に火をつける人 2018-08-27 | 文化一般
サマータイムの清涼感 2019-07-22 | 暦

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コロナ対策でモーツァルト

2020-06-05 | マスメディア批評
ドルトムントからメールが入った。日曜日に開催する再開後世界で最大級の演奏会の残券があるという知らせである。人気女性指揮者ミルガ・グラツィニーテティーラがベルリンの交響楽団と客演するというものだ。元々のプログラムは知らないが、ベートーヴェンなどの小編成にして二回公演となっている。一回に四分の一しか聴衆を入れないので、二回やっても半分の入場料収入となる。交響楽団で半分も入らない演奏会は興業的には厳しい。ペアー席と一人席を別けてネット販売している。少しでも数を入れようとしている。

水曜日の夜は、歴史的指揮者エーリッヒ・クライバーの最後の演奏会と銘打ったWDRでのアーカイヴ録音が流れた。先月息子の人気指揮者カルロス・クライバーの演奏会も流れたが、比較の上でも興味深かった。更にリハーサルの時にテープを回していたのが残されていてこれもとても興味深かった。1890年生まれなので世代としてはフルトヴェングラーなどと同じだがそうした先進性は全く無く保守的であっても1876年生まれのブルーノ・ヴァルターなどよりは新しい。それでも同年齢のフリッツ・ブッシュとか四つ下のカール・ベーム世代のノイエザッハリッヒの演奏様式に近いがまだまだ保守的だ。

練習風景の様子も現場の人らしくベーム博士のような高飛車な言い方ではない。権威主義のようなものに反感があったようで、ドイツを後にしているので、こういう父親がかえって家庭では大きな権威を持っていたのは想像に容易い。演説等でも述べているように楽曲や創作に対する敬意は間違いなさそうだ。ダルムシュタットから始めたようだが、マンハイムにもいたのは知らなかった。

あの当時の人がモーツァルトへと傾倒していくのは音楽芸術史的にも分かるのだが、「モーツァルトで健康に」というのは二十年前程に流行っていた音楽療法の奔りなのだろう。そうした論文が沢山出ていたのだろう。モーツァルトの変ホ長調の交響曲のフィナーレ導入やコーダへの副楽想への言及など、この愛情を感じさせるものでこの指揮者がそのように仕事をしていたというのがよく分かる。息子のカルロスにおける作品への拘りと非常に似ていると思う。

番組紹介には載っていなかったが、それによって父親が間違いなく息子とは異なり歴史的としている初演作品「ヴォツェック」の断章が流れた。調べてみるとその後にBRでの実況があって、そちらの方が遥かにいい演奏だった。此の侭真面目にやればモノになるとされたWDRとBRではやはり力量が違ったのだろう。

豚の鼻の量が多過ぎたので前夜に生姜醤油のシイタケと煮込みにして冷やしておいた。上手く煮凝りになっていたので、偶々見つけた青梗菜の上に乗せた。本格的な中華料理になって満足だった。青梗菜が三切れあったので、一食は本格的中華そば、一食は柳麺でどうだろうか。



参照:
ここが辛抱どころ 2020-04-04 | 生活
ツルツルピカピカに 2018-04-17 | 文化一般
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ムジカヴィーヴァの経験

2020-06-04 | マスメディア批評
日曜日の生中継は繰り返して聴いていない。しかし生中継だけでも幾つか気が付いたことはあった。なによりもヤンソンスが指揮して得意にしていたショスタコーヴィッチの小曲集が大分異なって響いた。ヤンソンス家とショスタコーヴィチ家との付き合いは聞いたことがあるが、ユロスキー家にもショスタコーヴィッチだけでなく様々な人が出入りしていたと確か聞いた。ヤンスンス指揮の交響曲全集は購入したが、それらの小曲も入っている。今回聞いたものは明らかに焦点が異なる。明らかにユロスキー指揮のそれの方が面白く多層的だ。やはりヤンソンス指揮の音楽にはソヴィエトの音楽のそのものを感じる。

週末は荒れ天候になるようなので暑くなる前に早めに買い物を済ませた。仕様のマスクKN95は最高で、息をすると成形するぐらいに密の装着感があってこれ以上のものは無いと思わせる。その分30分もマスクをつけてスーパーにいると暑く息苦しくなってくる。

一時はドイツ連邦共和国で二十傑の感染数を誇っていた我が行政区も感染零が続いている。近辺の行政区も早くから感染が進んでいたところは殆どウイルスが息絶えている。僅かにマインツとかモーゼル流域とかに根強く感染が広がっているに過ぎない。だから合唱の練習も三メートル間隔で一時間まで許される。十五日からは250人の聴衆で公演が可能となる。この状況から感染が広がるにしても虱潰しに対応できる筈だ。

ユロスキへの昨年のインタヴューから新制作「ばらの騎士」については既に紹介したが、その他の事も興味深い。関心のあるバイエルン放送協会の交響楽団との事が書いてあって、十五年前にムジカノーヴァで振っていることを語っている。ピンチャーの新曲を振ったようで、デビューであると同時にピンチに陥ったようだ。彼自身にとっても上手くいかなかったようで、作曲家も居て、とても困ったと感じた。楽員代表が来て、「見れば分かるように我々と同じようにお客もどこ吹く風になって仕舞うだろう」と語ったが、「見ていてください、聴衆は気に入るようになるでしょう」と答えたらしい。

そして曲の前に十分間話すと、評論家もひっくるめて大変な成功になった。そして「どうして自分の所で同じようにしないのと」と誰かが尋ねて来た。それは全くモスクワの音楽大学の舞台で話しても嘗て一度も価値があると思ったことはないからで、彼自身が子供の時の聴衆はおらず、習慣によるものだと考えていたという。そして、一方的な決まりや堅いお話しとしないで即興的に話すと壁が取れて皆がついて来たという。その手の動画は沢山見ることが可能だ。その話術に関しては、ドイツ語で話しているものでも彼のネゼサガンの話しぶりに続いてのタレントぶりで、今後もその話術の威力は、特に支配人がフランス人となるので特別な威光を放つものと予想される。

それ以外のミュンヘンでの予定に関して、最初は珍しい曲でそのあとにヒット曲を取り上げるとは、先ずは新制作に関しての話しで再演についてではない事、伝統と新たな面への光を一緒に見て行くことの重要性を説く。コーミッシュェオパーでの経験からも、楽員も聴衆も毎晩毎晩代わってもそこに新たなものを見つけて行く経験があって、勿論ミュンヘンではシュトラウスやヴァークナー、モーツァルトなどでは闘争や意見の相違が生ずるのは当然だろうとしている。「ばらの騎士」で言及したようにミュンヘンの楽団のDNAというものがそこに詰まっているということだ。

ギュンターヴァントが還暦になってからシューベルトのグレートと言ったことに寄せて、ユロスキーが時系軸に沿ってマーラーを嘆きの歌から大地の歌に至ったところでブルックナーにおいても順々に交響曲の番号どころか版を一つづつ洗って行っているという。可能な限り作曲家の視座で見て行きたいと思うのだが、ヴァークナーに関しては「パルジファル」から始め、「トリスタン」、「マイスタージンガー」と来て、「指輪」に到達したという。このインタヴューはコロナ奏度の前だったので、ロンドンでその「指輪の練習」が出来なかった。2022年以降にミュンヘンでこれらの再演を指揮する筈だ。



参照:
Vladimir Jurowski: Der Mann des zweiten Mals, Markus Thiel, Merkur.de
劇場に継承されるもの 2020-05-29 | 文化一般
ミュンヘンはこうありたい 2020-05-07 | 文化一般
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奈落を平土間へと拡張

2020-06-03 | マスメディア批評
月曜日無人コンサート中継がよかった。目玉は、先日ヴィースバーデンでリサイタルを聴いて、更にメディが追っていて話題の中心にあるギュンター・グロイスボェックがロシアの歌曲を歌った。なによりも感心したのはフーバーのピアノ伴奏だが、ロシア語の判定は出来ないながらもあまり違和感が無かった。ピアノとその合わせが全てを変えてしまうようで改めてその意味を思った。

そして最後にはヴェルディ作曲「ドンカルロス」のフィリッポ王の「一人寂しく眠ろう」を歌った。ヴィースバーデンでもヴォ―タンの惜別の歌を歌ったが、歌曲の夕べでも最後には彼自身のオペラの世界を披露するのだろう。ミュンヘンでは宗教裁判官を歌う予定だった。声からしても久しぶりに本格的に深いバスだと思った。短期間にこの枠のトップに浮かび上がったのも良く分かる。

前座を務めた劇場の五重奏団の演奏も良かった。こちらは馴染みの顔ぶれというだけでなくその前に慰問出前演奏でのブレークしたSNSでの「アイネクライネナハトムジーク」の演奏がよかったので、一曲目のチェルハのこれまた「夜の数々」が期待された。チェロの代わりにコントラバスが入るので、四重奏曲の敷居の高さが無い分平素の劇場での合奏態度が問われるところだ。ツェルハと言えば数年前に音楽監督ペトレンコ指揮での新制作「ルル」完成版補完の作曲家で、ここでもその現場感覚というようなものが編成だけで無く感じられて、予想通りいい演奏をしていた。

なにが特にいいかというとペトレンコ指揮で散々に求められている拘りを野外であろうとも感じさせるからで、八シーズンも付き合うとその薫陶たるものがそこまで染み入るかと思わせるに充分だった。そこで今回の中継は珍しく全体を流した。ゲルハーハーの時もそうだが若干オペラ歌手の大音声へのマイクロフォンが問題で歪んでしまう。近づいてきてしまうのかもしれない。

そこで気が付いたのが、奈落の向こう側の平土間の座席が何列も取り除かれていて、奈落の蓋も平土間の高さに合わせてある。何を示すかというと、そこに楽団を配置して必要ならば客席との間に壁を作って、要するに奈落を表に出して拡張するという事だろうか?歌手には不利になるが舞台の前で歌わすようにすれば何とかなるかもしれない。七月にガラコンサートがあるような気がしているが、五百人ぐらいは入れても大丈夫ではないのか。歌があると限られるが最低複数回は公演して貰わないと僅かな人しか入れない。一時間半づつで前半後半で二回公演を二日続けるとか、方法はあるかもしれない。

ニューヨークのメトロポリタン歌劇場が暮れまでの公演を早々にキャンセルした。収益性の事もあるので当然かとも思うが、コロナ禍ではアメリカは不穏になると三月ごろから予測していた。今回は黒人絞殺事件は発端となったが、基本的には不満の爆発ということで予想通りだった。だから九月からの新シーズンもアメリカは出遅れると予想していた。上手に制圧できるのかどうかは分からないが、不透明さが今後も付き纏う。

同国人に対して軍を出動させるなどと、既にそんな権限が大統領にあるかなどの疑問が寄せられているが、トラムプは第二の天安門事件を起こしかねないので恐ろしい。ブッシュジュニアと異なり国内だけでやっているのならあまり関係ないのだが、そんなに簡単に治まるとは思わない。



参照:
中々エレガントな趣 2020-06-01 | 料理
耳を疑い、目を見張る 2015-05-27 | 音


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ハイレゾDLが可能ならば

2020-05-30 | マスメディア批評
バーデンバーデン祝祭劇場からメールが入った。そこには予想通りシーズンを終える事が書いてあって、払い戻し等に関する連絡だった。連邦政府でのヴァウチャー法案への言及が書いてあった。つまり特別な事情が無い限り現金では返さないということだ。聖霊降臨祭のクレンティス祭りや夏のゲヴァントハウス祭りそしてゲルギーエフ祭りが含まれて七月一杯ということになっている。

個人的には秋のベルリナーフィルハーモニカーによる週末音楽祭のオファーを待って、それを注文すると同時に残りを寄付としようとしていたが、発売延長されたフィルハーモニカーの最終計画が出ない限りこちらも決まらない。なにか金を返さないと言われるとそれはないよという気持ちになる。しかし、思い出した。

思い掛けなく私が個人的に知りたかった2022年以降の計画をそれもデジタルコンサートホールのインタヴューでぶちまけてくれたキリル・ペトレンコや2023年以降のバーデンバーデンとの契約延長を逸早く発表してくれたツェッチマン支配人のその想いが脳裏に蘇った。祝祭劇場が今回も書くようにどの額をどの時期に州から公演中止の補償がなされるかが未だに未定であるということで、全面的にベルリナーフィルハーモニカーが支援してくれたことを思い出したのだ。ある意味当事者である私がここで寄付しなければ何の意味があるだろう。改めて心打たれる話しだった。

ルツェルン音楽祭からもメールが入っていた。こちらは既にHPに載っている情報を纏めてあるに過ぎないが、月末までの払い戻し申請への喚起もあった。色々考えて、購入金額の一割だけを寄付しようという結論に達した。理由は先方も定期券の一割の金券を呉れたから、こちらも事務費用の足しにでもと一割を寄付しようと考えた。

ノイエズルヒャー新聞では、音楽祭中止になっても予定通りの寄付金を出すと担当者へのインタヴュー記事が載っていて、そこではパウル・ザッハーの影響を社の伝統として肝に銘じているというのがあった。彼が婿入りしたバーゼルのオーナー企業は現在コロナのテストで世界トップの売り上げを上げるロッシュであるから当然と言えば当然なのだが、やはりザッハーの音楽界への歴史的な影響と同時に留意したいと思う。勿論私の寄付などは比較にもならないのだが、公的な支援を受けない音楽祭への支援としては精神としては同じことである。

先週デジタルコンサートホールの一週間券を購入した。そして一回だけ生中継を観て終わりだ。一割り引きか何かの案内にアンケートがいつものようについているので、回答した。なぜ会員にならないかは、音質が悪いからだ。そして書き加えておいた。新しいストリーミングのシステムなどには関心が無い、映像と共にハイレゾのチャンネルをつけてくれればそれで十分だと書いた。映像なんて二の次だ。



参照:
無価値なストリーミング 2020-04-21 | 音
二十世紀中盤の音響化 2015-02-07 | 音

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BやCの為のAプラン

2020-04-26 | マスメディア批評
金曜日にはベルリンの放送交響楽団の新シーズンに纏わる番組があった。本来ならば今シーズンの演奏会の生中継だったが、指揮者のユロスキーも話していたので価値があった。どうもネットでの新プログラムプレゼンテーションは火曜日にあったようだ。この楽団が初演をしているストラヴィンスキーとシニトケがテーマに作曲家になっているようだ。興味深かったのは、現状では兎に角予定通りの公演を行う心算で、それ以外にBプラン、Cプランと考えておくという事だった。恐らく何処の楽団や劇場でも同じだろうと思う。それでなければ資金も集められなく、当局への圧力にもならない。

Bプラン辺りを期待したい指揮者の一人でもある。出来れば平素から場を語るロート氏には何かをして貰いたいが、今のところSNSで反応するぐらいで、なにも動きが無い。兎に角計画通りに金を集めるのが先決である。

東京の新国立劇場の映像を見た。先の「魔笛」に続いてNHKで少しだけ聴いた「オネーギン」である。両方とも東フィルが演奏しているというので興味津々だった。結論からすれば管弦楽団は一流だと思った。ドイツの劇場でも上位に入るだろう。勿論流しているだけでも幾つかの問題点も聴き取れたが、ドイツの地方劇場でここまでロシア音楽を捌ける楽団はないと思う。指揮者はその方の専門家であろう。たとえば有名なポロネーズなどではもう一息と思うが、そこまで行かない理由も幾つか浮かぶ。

それにも関連するが管弦楽に比較して歌のアンサムブルが成っていなくて、折角のゲスト歌手の歌も全く活かされていない。演出も「魔笛」に続いてお粗末で、それに相応しいような人が指揮しているだけで舞台全体として劇場として全く音楽的な表現が成就されていない。評判の良い合唱だけが孤立して成り立つものでもなく、当然ながらピットの中で完結するものでもない。総合的に三流の劇場の水準になっている。

色々推測するとゲスト指揮者が纏めるまでの下ごしらえが出来ていないのではないかと思った。所謂コレぺティテュアーというアシスタント的な仕事が全くなっていない様で、一体ドイツの地方劇場などに文化庁の支援で研修に送られて修業した人たちはどうしているのかと思った。屹度出来る人たちは日本で指揮者になっているのだろう。そう言えばこの劇場の前監督はまさしくそのような人ではなかったのか。要するにコレぺティテュアーに力のいる人がいないのだろう。指揮者などは金さえ払えば幾らでも連れて来れるが、裏方さんはまさしくその劇場の程度そのものだろうか?

METのアットホームガラを観ていたら、ミュンヘンのヨーナス・カウフマンの部屋に劇場の椅子が置いてあった。あれはどう見てもロージュにもあるやつで、放出したのだろうかと思った。他に気が付いたのはベルリンのフォレの部屋が先日のゲルネの部屋のように屋根裏の音楽室になっていて詰まらないものを思い出した。やはりオペラ歌手はその立場に依るがしみったれた感じを見せては駄目だ。ゴルダ・シュルツのアウグスブルクのそれは気にならないが、スターはスタ-らしくしないとお話しにならない。アンネゾフィームターが税金を巻き上げようとするのを思い出して不愉快になるのと同じである。



参照:
プロシェニウムロージェ 2018-06-09 | 文化一般
厚顔無恥に十万円呉れてやれ 2020-04-22 | 文化一般
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行ったり来たりの話し

2020-04-12 | マスメディア批評
陽性者数が落ち着いてきた。現時点で二倍になるのが17.5日で、これが21日になれば、三週間で退院して行くので、ベット数は伸びないことになる。つまり医療崩壊という事では一段落着く。最初は五月中旬とされていたヤマだが、来週にでも陽性者増加率が21日に至れば、新たなコンセプトが検討されるだろう。

それに関してはシュピーゲル誌やロイター通信が水曜日頃に出した内務省の文章というのがある。それによるとマスクを配るとか集団免疫での日常生活への復帰とか言う無いようで、その核にはヘルムホルツ研究所の抗体陽性パスの話しが載っている。その話の続きとしてボン大学のハインスベルクでのスタディーが発表されて、直ぐに厳しくその信憑性が疑義された。

その内務省書面の内容は内務省のものではないと否定されたが、様々な草案がでたのは間違いない。ドイツのマスメディアは役割分担をしているが、左派の「シュピーゲル誌」がと思う人はその基盤にはSPDがあり、労働組合は操業していないとその価値が無くなる事情を考えないからだ。要するに産業組合マガジンである。意外に日本の朝日新聞が提携している南ドイツ新聞がその内容に批判的修正記事を出しているのが面白い。

SPDの執行部であるトライヤー知事がその文章とされる内容を受けて、手元にマスクがあればとか徐々に商店を開けていく段階は次に訪れるとしているのが、状況をよく示している。勿論シュプレンガ―出版のビルト新聞はメルケル政策批判を一面見出しとしていた。如何にロールプレーがそこで為されているかがよく見える。議論を戦わしているように見えても所詮は保守的地盤の土俵でプロレスを演じているに過ぎないということだ。要するに質が低い。

そもそもコロナはそんな簡単に抗体が完成しないようだ。だからどのようにボン大学のシュレーク教授が現地で抗体検査をしたのが、それが本当にコロナの抗体なのかが疑われている。抗体認証のアイデア研究中であるのは既知の事実であった。

兎に角週明けの水曜日には始まりの時同様に各知事がTV会談を行って今後の流れが決まる。ロイター通信の日本語ヴィデオが三日遅れで急に流れてフェークニュースとなったのである。そもそもマスクに関してはコッホ研究所は立場を変えておらず、問題になるのは公共交通機関乗車時であろう。その他のスーパーなどは初めからしていて当然だった。

キャンセルされた演奏会の払い戻し三段目である。二つのハイデルベルガーフリューリングのものに続いてメータ指揮ヴィナーフィルハーモニカーの演奏会である。メータ指揮を最後に聴く機会だったかと思うと痛恨だ。寄付やヴァウチャーなどの可能性もあるが続くコンサートもあるのでどんどん返金して貰う。新シーズンの予定が出て、クリーヴランドぐらいが入っていればヴァウチャーでもよいが、年内有効では限界がある。先ずは50ユーロである。ルクセムブルクのシステムは、向こうから演奏会毎にヴァウチャーがメールで届く。そこに返信用のPDFのリンクもあって、それをDLして必要事項を書き入れれば、クレディットカードに返金されるようだ。同時にヴァウチャーを送れば正確に返金作業が進むと思う。方法はとても合理的だ。ただ演奏会毎に申し込むのでそれだけ分の書き込みをする必要がある。

今晩は22時から2017年の日本公演でも上演された「タンホイザー」の放送がある。ミュンヘンのオパーフェストで生中継されて、更に2018年にもTV中継されたようで記録は撮ってある。生中継と放送ものではカメラのカットが異なったりしていて二種類が存在している。今回の放送はTV中継用の版に違いない。久しぶりにじっくり観賞したいと思う。その後にペトレンコ指揮で「パルジファル」も制作されたが、演出を合わせて総合的な完成度はこちらの方が高い。来年は「トリスタン」も控えているが、ペトレンコ指揮のオペラとして五本の指に入る制作だったと思う。



参照:
可能性の為の検査機器 2020-03-29 | 雑感
ホタテの道の金の石塁 2017-08-21 | 文化一般
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魔法の花園の風景

2020-03-28 | マスメディア批評
新聞は一面のトップで今後の展開について敢えて振っている。しかし政治家の姿勢はそれどころではないとなっている。当然だと思う。フランクフルターアルゲマイネ新聞が経済システムの崩壊にも杞憂するのは当然だが、この時点で経済危機で人が死んでしまうというのは全く当たらない。迫る医療危機とは話しが全く異なる。

その経済欄では日本のお花見の様子を伝えている。そこで数人へのインタヴューの内容が名前と共に載っていて直の声が聞ける。代々木公園にはコロナ騒動での自粛が書かれている先にピクニック風景が広がっていて、殆どの人が若いので自らは恐れていないとの声を聞く。ジンの間に消毒液が添えられていると書く。消毒液は確かに日本の大きな特徴でラインラントプファルツ州もBASFに商店用のそれを発注したというが未だにそれを見ない。使い捨て手袋よりもアルコールの方が問題が少ないと思われるがさてどうなるか。

反対に四週間の自粛から急にレストランなどの予約が進み人込みが増えたと報告していて、週末の花見風景へと一気に流れる一方、東京の都市封鎖への示唆でコロナ騒動初の買い漁り騒ぎが起きたとしている。

花見客の中の渋谷の占い師は、日本人の日常の振る舞いから他所の国よりも上手く抜け切れると語るが、その仲間の一人は「政府が殆どテストをしないから数字が全く意味を持たない」と怒りをぶちまけた。

在京ドイツ大使館の一人は、テストにおける高い闇値について、日本は特定のコンタクトのあった明らかな疑いがある重病人しかテストしておらず、これまでに二万五千件しかテストされていないことに触れる。そのことを厚生省の代弁者であるヤスヒキ・サハラは、「手間の掛からない人を皆テストする必要などないのです。」と語り、特に多く肺炎が発生している訳でもなく、死者も届けられていない事を証明とする。

そして過去五日間の三割が外国帰りによってもたらされていて、欧州からの入国を禁じたと報じている。

安倍官邸の指図での坂本フランクフルト総領事による新聞社本社殴り込み事件以降は日本の記事に関してはこの新聞の行間を読み必要がある。この場合は、フクシマ禍の時とは異なって、在京大使館もそれほど情報を持ち得ていないのかもしれない。あの節は後にドイツ全権大使が語ったように合衆国からの情報を取っていたようだった。それと同じような状況は少なくともこの記事から読み取れない。

八百屋に出かけた。一週間前は通常通りだったが、先ず入り口に使い捨て手袋が置いてあった。がっさっと掴んだので戦利品が大分出来た。中の通路は細いので人の入れ違いを避けるようにしなければいけなかった。それほど混んではいなかったがそれでもタイミングを計らなければいけなかった。購入の所には防御グラスが付けられていて、四角い枠が描かれていた。一先ず売り子との直接接触は避けられる。但し売り子が感染していないとは思われないのでそれ程意味はないだろう。但し皆が配慮することで更なる感染は避けられるだろう。

土曜日からペトレンコ指揮「パルジファル」がオンデマンドになる。その前に復活祭でのラトル指揮を経験したのでその音楽的な感興に関しては一長一短があった。それほどラトル指揮のベルリナーフィルハーモニカーはいい音を出していた。しかし、舞台は演出が悪かったとは言ってもとても印象に残っている。クンドリーのシュテムメも良かったが、カウフマンも悪くはなかった。パーペのはまり役でもあり、いいアンサムブルを聴かせた。音楽的に魅力が薄いと感じていて、ペトレンコの指揮もこうした晩年の作品になると物足りなさもあったが、公演自体の印象は矢張り深みがあった。久しぶりにじっくりと観るのがとても楽しみだ。



参照:
感染拡大を止める手袋 2020-03-21 | 生活
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音



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