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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2012年4月

2012-04-30 | Weblog-Index


とても小さい万単位の需要 2012-04-30 | 女 TB0,COM0
攻撃的な身体にしたのよ 2012-04-29 | 生活 TB0,COM0
見捨てられた市民の義務? 2012-04-27 | マスメディア批評 TB0,COM0
ドイツの疑心暗鬼と恐怖心2012-04-26 | アウトドーア・環境
長い道程も先ず経済性から 2012-04-25 | 歴史・時事 TB0,COM0
民主性が問われる勃興政党 2012-04-24 | マスメディア批評
鰻上りの高品質を堪能 2012-04-23 | 料理 TB0,COM6
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般 TB0,COM0
お運びから学んだ治療法 2012-04-21 | 生活 TB0,COM0
小細工では動かない大波 2012-04-20 | 雑感 TB0,COM0
聖霊降臨祭のミサは如何に 2012-04-19 | 音 TB0,COM0
今年だけの薄切りの春 2012-04-18 | 料理 TB0,COM2
ほとんどコンサートゴアーの様 2012-04-17 | 文化一般 TB0,COM0
権利と死の義務の日本人 2012-04-16 | マスメディア批評 TB0,COM0
走って走って走るのが一番 2012-04-15 | 生活 TB0,COM3
ホップステップ蛙飛び 2012-04-14 | 料理 TB0,COM0
911の創造者の死を受けて 2012-04-13 | 暦 TB0,COM2
親権者が行使する選挙権 2012-04-12 | 歴史・時事 TB0,COM2
破局に通じる原発銀座の道 2012-04-11 | 文化一般 TB0,COM0
地中海を臨んでの幸福感 2012-04-10 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
それでも生きていたいのか? 2012-04-09 | 文化一般 TB0,COM0
地中海の海岸に遊ぶ 2012-04-09 | アウトドーア・環境TB0,COM2
原発銀座の四つの水蒸気塔 2012-04-08 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
核政策へのレクイエム 2012-04-06 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
間違いやすい外国語 2012-04-05 | 生活 TB0,COM0
文化ケインズ経済学の矛盾 2012-04-04 | 文化一般 TB0,COM0
付け焼刃のフランス語学習 2012-04-03 | 文化一般 TB0,COM2
花冷えから新緑の季節へ 2012-04-02 | 暦 TB0,COM0

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とても小さい万単位の需要

2012-04-30 | 
日本からのバイヤーがフランクフルトの博覧会「テンデンス」で再生資材の商品を見つけた話が紹介されている。フクシマ以降、日本では再生可能の持続性のある広義のエコ商品が求められていることから、メードインジャーマニーのエコ製品であるケルシュティン・ランク作で展示していた救命胴衣を廃物利用し縫い込んだ手提げバックに注文が入った。

それは、広告デザイナーであったバイロイトに住む女史が、近隣に住む経験豊かな縫い子ボッヒング夫人の才能を借りて完成した手提げ袋である。その手縫いの技にその商品の成功があって、またブリティッシュエアーウェーズと材料となる廃棄処分の胴衣の入手契約を結ぶことも大変だったようだ。航空会社にとっては廃棄料金が必要な備品を売ることが出来るのは大変喜ばしいことなのだが、そうしたものが故意にアフリカの航空会社などに流されて再生利用されることを恐れるから慎重なのである。こうした廃棄処理されたものがどこかに流れることが数限りなく存在する。

IKEAの製品の材料がロシアの切り株から作られているのが明らかになろうとも顧客が逃げないのと同じように、エコのアイデアを表に出すことで新たな市場が開かれた好例であろう。

さて、日本人との契約であるが、最大のネックとなったのは昨年は2000個の商品を仕上げて販売したのだが今年は更に需要が上回るところで、日本人は万単位の個数の供給を最低条件としてきた。こうした事象はありとあらゆる欧州製ブランドの日本への供給時には起こることで、これをクリアーすることで大きな商売となる。それは製作者にとってもそうであり、扱う販売者にとっても同様であり、市場という意味では当然の成り行きである。

その一方、大きなグローバルな市場を目指して必ずしも大量消費品でないものを大量に供給するとなると、当然のことながら欧州での高級品は大量商品としてその内実をどこかで摩り替えてしまわなければいけない。それは自動車などでももはや大衆消費品はドイツでは生産されていないのと同じことである。

今回の場合は、ルーマニアの安いお針子を使ってなんとか供給体制を整えたようで、更にその輸送のエネルギー消費とガスの放出を抑えるために、往復しているトラックに便乗して製品を載せることにしたようである。そうやって、持続性のある社会のための製品のコンセプトを変えることなく日本へも供給できるようになったということである。

日本市場へのこうした動きはここ40年ほど全く変わらなかったのだが、その規模とは比較できない中国市場が出来たことから、もはやそうした応急処置的な供給体制では多くの欧州ブランドは対応できなくなってきており、出来る限りどうせ品質などの分らない俗物の中国人の消費のためには中国国内での生産をそれに充てて、日本へもそれをお裾分けのように配給するのがここ十年ほどに通常化した配給事情であろう。



参照:
Ehrensache, Melanie Mühl, FAZ vom 21.4.2012
相変わらずの分かりにくさ~フランク・パスカル サジェス NV (ワイン大好き~ラブワインな日々~
ほどほどのボディーのKernerです。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
架空のクラフトマンシップ 2005-01-13 | テクニック
政治的棲み分けの土壌 2005-09-22 | アウトドーア・環境
化け物葡萄の工業発酵 2005-12-23 | ワイン
剰余商品価値の継承 2006-05-05 | BLOG研究
減反政策と希少価値 2006-05-18 | ワイン
三年振り新調のジーンズ 2006-12-29 | 生活
緑のシンプルライフ推奨 2007-03-04 | 女
モデュール構成の二百年 2008-01-19 | 文化一般
量から質向上への経済 2008-12-23 | マスメディア批評
天を仰ぐ山寨からの風景 2009-01-12 | 文化一般
オペルなんかどうでも良い 2009-03-07 | 歴史・時事
ハンブルク娘のカムバック 2009-03-21 | 女
友達の道具を使い続ける 2009-07-01 | 雑感
実験資材の激しいバラつき 2010-11-16 | テクニック
屋根裏のジェットストリーム 2012-02-26 | テクニック
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攻撃的な身体にしたのよ

2012-04-29 | 生活
金曜日は南仏から返ってきてはじめて石切り場で登った。乾燥しておらずソールが左右で違う靴で登ったのでとても不安に感じたが、それはそれなりに得ることがあった。やはり難しいところを登りつけるようになっている自信だろうか。以前は指が攣るように感じた場所も余裕を持って対処できるのは有り難い。暫く運動不足気味とは言いながら、体重と筋肉のバランスが良くなって来ているのだろう。

最後に新しい靴で今まで遣りたくても手をつけられなかった箇所をトップロープで処した。核心部の二箇所を登り直す必要があったがなんとかなることが分った。大抵のところは受験の試験と同じで難しさが分れば回答も殆ど準備されているようなもので、何が出来れば綺麗に登れるようになるかも確認した。そこまで行けば遠くないうちに克服出来るに違いない。

ファイヴテンのアナサジのヴェルトは素晴らしい靴である。早く南プファルツの奇岩で試してみたい。兎に角立ち込めるのが嬉しくて、靴を履き替えたとたんに体に力が漲るような感じすら覚える。垂壁にはこれ以上ない靴で、金曜日に試した場所も左右に小さな突起に突っ張ることも容易で、体を少しづつ摺り上げるような動作にも向いている。困難度七級もしくは6bを超えるような垂壁ではもはや手掛かりを下に容易に加重できるような場所は殆ど無いので、如何にあらゆる方向への手掛かりを使って体を引き上げていくかは、様々な足がかりの加重方向を巧く使うかに掛かっているのである。

翌日は独日協会でのハイキングをして、日本にいる妹さんが伊豆などで岩登りをしていると言う人に、「三点支持」などの懐かしい言葉を聞いた。基本中の基本であるが、あれはやはり三点でしっかりと体が支えられると言う基本で、三点で支えられない限り次への移動も無い訳である。南仏で課題となって登れなかったのはまさにそうした場所で、四点でなんとか支えられてもそこから動けなかったのである。要するに三点支持でバランスがどうしても取れなかった。そうした状況は縦の手がかりなどを使って横方向への加重が絡んでいる場合が多いであろう。ダイナミックに蛙跳びをするか、両足でバランスを取る技術を強化するかだろう。解決策はまだ見つからない。金曜の課題も一箇所は完全に縦長の三本指先の浅い手掛かりの使いこなしが二つ目の核心であった。そこに至る下から上への手掛かりは手首の故障を感じさせないぐらいに上手に使えた。

さて、そのお姉さんは私を評して「お元気ですね?」と言うから、私は「それは還暦の退職者への評し方と違う?」と反応したら、「それなら、ガンガン行く感じ」と言われた ― バリバリでないのが味噌。それは最近の筋力増強に基づくホルモン増強か喧嘩腰の態度ゆえか日頃から身の回りで揉め事が絶えない状況を良く示している。どうしてこうも攻撃的な身体になってしまったのか?

温度が高く、残念ながら熱中症を出してしまった。特に危ない可能性が高いと思った人には注意を喚起していたのだが ― つまり若い世代の人は日本でも水の補給の重要さは身についていると思ったのだ ―、見落としてしまっていた。乾燥しているので、本人は摂氏三十度近い暑さに気づかなかったのだろう。後を引かないで呉れたら良いのだが、短い意識喪失はあり、嘔吐もあったようだが、痙攣などは観察されなく血の気も直ぐに戻り全身状態も悪くはなさそうなのでそれほど悪い症状ではなかった。



参照:
時差ぼけが続く春である 2012-03-29 | アウトドーア・環境
地中海を臨んでの幸福感 2012-04-10 | アウトドーア・環境
お運びから学んだ治療法 2012-04-21 | 生活
垂壁の5.10への米国製靴 2012-03-22 | 雑感
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見捨てられた市民の義務?

2012-04-27 | マスメディア批評
平等党のカタルシス中継のアーカイヴで、櫻井よしこ記者会見をみた。嘗て日本TV放送網でキャスターをしていたその容姿は記憶にあり、昨今はネットでもしばし見かける顔である。それどころか回顧主義の論陣として有名な方のようでネットで扱われることが多い。その容姿は三十年ほど前とあまり変わらずもともと若年寄りだった女性の特権であろう。その物腰も軟く殆ど女形かと思わせるのはご本人が日本女性を演出しているからに違いない。それはそれで見事なパフォーマンスなのだ。

さてその主張は、一言で言えば「無学の薦め」といった按配で、現在の日本の問題を全て体現しているようで興味深かった。憲法改正の必要として、十七条の誓文のようなものに日本人の憲法のあり方見るとするのには苦笑するしかない。現在の世界でも、ポルポト政権やイスラム原理派のようにとんでもないことを言い出す民族派が世界中に存在するが、そのような一つとしてみれば朝鮮人が「全ては朝鮮から」と主張するのと同じく、荒唐無稽なお話には議論の余地すらない。なるほど脱近代のポストモダーンの声としてはそれはジャーナリズムでは無いポストジャーナリズムと呼べるような戯言かもしれない。

しかし、肩書きをジャーナリストと名乗る人物の発言として、やはりそれは批判されなければいけないだろう。なによりもその核心的な考え方の事例として東北の震災者市民の互助の態度を挙げて、国際的にも評価されたとした。なるほどそれは事実でもあり、大きな混乱が起こらなかったのは事実である。それをして日本国民が上手に飼い馴らされた民族と言うのも事実であろう ― 自主独立の民族はそもそも為政者の判断など待たずに蓄えられた知識と情報で素早く行動するのである。しかしそれは同時にフクシマ禍における政府や地方自治体が市民を見捨てて大きな被曝を招いたことの事実でもある。

まさしく、彼女が主張する天皇陛下から民までがむつまじく共生する民族などは、共産主義者のユートピア思想と全く変わらない。彼女は宗教家でもなく思想家でもなく三島由紀夫のような作家でもない。その高名な作家の「非武装中立の先にあるものは玉砕だ」とした優れた見識を期待する読者がやはりこの女流ジャーナリストにもいるのだろうか。

この短い会見内で大変手際よくその主張を整理して核心を披露した。そして、彼女の理想とするようなユートピアが現在の日本政府や官僚機構では期待できないことをジャーナリストとして示した。それならばそうしたユートピアはどのように実現可能なのだろう。そのために憲法改正であり、改正への法的な緩和との主張なのだろう。

しかし、為政者と市民との契約としての憲法なくして、そうしたユートピアが現出することはないことは、― 社会学的な心理である以上に科学的真理である ― 大日本帝国憲法の欠陥とその結果としてのヒロシマ・ナガサキでの敗戦で全てが証明されている。市民の権利こそが全てであり、市民は偽りの加護など政府に求める愚かさを知らされたに違いない。東京の独全権大使が語ったように、被災者が頼れたのは身近な地方自治組織と象徴天皇でしかなかったのである。

如何に愚かに教育された日本国民にでも一目瞭然に化けの皮が剥がされた訳であるが、残念ながらそこに居合わせた記者たちの詰問によってではなかった。自らの化粧が剥げるように厚い化けの皮が外れてしまったのである。

流石の日本国民ももはやこうした懐古趣味にも黴の生えたマルキズムにも騙されないだろう。しかし、権利の裏面の義務などと馬鹿げたことを考えているようでは民意は全く上がらない。先ずは権利と自由を勝ち取るために立ち上がるべきなのである。それが、為政者への依存から解放されて初めて自立への道を開くべき自主独立の市民のあるべき義務なのである。



参照:
櫻井よしこ記者会見「憲法改正について」 (平等党カタルシス中継)
4月28日(土)のつぶやき (作雨作晴)
独駐日大使からの福島報告 2011-06-29 | 雑感
強い意思と「努力」あるのみ 2012-03-12 | 文化一般
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ドイツの疑心暗鬼と恐怖心

2012-04-26 | アウトドーア・環境
バイオエタノールがガソリンに混ぜられてから一年以上経つ。石油会社は6.25%の割合でこれを売り上げないと罰則金を支払わなければいけないため躍起であるが、E10と呼ばれる10%のバイオエタノールの混ざったガソリンは全ガソリンの13%しか使用されていない途中経過が出た。

現在のドイツ車の99%は全く問題なく安いE10で走れるに拘らずである。この結果には驚いている。ドイツの合理性はその経済性から生じるのと昨日書いたが、それならばこうした消費者の需要傾向は理解できない。初期に入れたときに知人にそれを話すと、「エンジン壊れるぞ」と驚かされ、「メーカーは責任を取らないから」と聞いて、先ず大丈夫だろうと思いながらも、自身の車にE10は自動車クラブもメーカーもなんら問題のないことを示していることを確認した。

E10で走るとエンジン音が変わることも確認しており、吹きが悪いことも気がついているが、燃費は決して悪くない。なによりも安いのが嬉しい。そのような訳で、E10が無い時は仕方ないがそれ以外はE10で十分に満足している。そもそもハイオク価95以上が求められているので、それ以下のノーマルガソリンは使っていなかったのだが、このE10が登場してからはそれ以下の商品は消えた。スイスはもともとノーマルがオクタン価95だったのでスイス水準になったのである。

それにしてもである、倹約家のドイツ市民が態々高価なスーパーガソリンを給油して、エンジンの損傷を間逃れたいと考えているのは興味深い。それほど複雑なエンジンの車を皆が所有している訳でなく、その四気筒の極単純な2L少々のエンジンへの悪影響を恐れているのである。これもドイツの機械好きがなせる技か?

仏紙ル・フィガロの見出しを見ていると、またもやフェースブック騒ぎが問題となっている。一昨年ほどにドイツでもあったので驚かないが、自らの14歳の誕生日に招待した数が五万人となると恐ろしい。町中ひっくり返す騒動となるのは当然で、ドイツのときも暴動になり大きな経済的な被害が出た。

フェース・ブックの問題は様々あるが、参加していなくても自らの名前などの情報が世界中にばら撒かれているのを見ると不思議な感じ以上に恐ろしさを感じる。上場したようであるがいづれフェースブックは淘汰されると見ている。その元々のアイデア自体が、世界中にいるユダヤ人親族を結びつけるような目的があったようで、我が名前がそこに載っているのも世界中に根付いてしまっていることと、全く関係ないところに業務上の知人などが生息していることによる。

いづれにしてもあらゆる情報がセンターで集められて利用される可能性は否定できない一方、利用者が得るものがなにかを秤に掛ければ良いだろう。使用したことはないが、自身の場合は損得プラスになることはないと確信している。

フェースブック上場後の株価が暴落したと聞くが、そもそもこうしたネットビジネスは実体のあまりないサーヴィスであり、引き続き大きな問題が起こると特定のサーヴィスは閉鎖などへと追い込まれやすく、その多くは消滅していくものと思われる。


追記:ライヴドーアレーダーを使っているがそこで、FAZを購読している人数は8件、ル・フィガロが5件、ザ・ガーディアンは48件で、流石に英語紙との差は大きい。因みにザ・ガーディアンでは小沢無罪が速報として出ていた。



参照:
Die Deutschen kaufen kein E10 - obwohl sie’s könnten (F.A.Z.)
50.000 invités Facebook à la fête d'anniversaire d'un ado (Le Figaro)
長い道程も先ず経済性から 2012-04-25 | 歴史・時事
再生可能な環境税の導入 2011-06-11 | アウトドーア・環境
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長い道程も先ず経済性から

2012-04-25 | 歴史・時事
泣く子も黙るフレンツブルクは連邦共和国国民にとってはおなじみの地名である。それは交通違反の反則点数センターがあるからだが、この共和国の北の端には同様に連邦車両局があって全ての登録がそこで管理されている。そこの発表によるとそこに登録されている電気自動車の数は5000台にも至らないと言うのである。思いのほか少ないと言うしかない。全登録者数の0.01%で4541台しかないのである。ハイブリットの方は普通にアウトバーンも走れることから47,624と多いが、これは全体の0.1%となるから電気自動車の十倍の普及率である。

もう少し多いと思ったがスイスの町の中のように公共の自動車が電気で走っているのもそれほど見たことがないのでこの程度にしか至っていないのは当然なのかもしれない。二年前は電気自動車は1588台しかなかったことからすると三倍の普及であるが、担当局の目標は2020年には百万台を掲げている。

ドイツはエコ先進国などと呼ばれるが経済的に合わないことは一切しない。電気自動車には経済的なメリットが生じてくるようになって初めて普及する。原発を即時止めてもあまり経済的な価値がないからこそ、予定通り時間を追って脱原発を計っていくのがその考え方でもある。どうせ、原発零になってもその核廃棄物はとんでもない問題であり続け、まだまだ今後社会政治的な問題として再臨界を起こすに違いないのもその理由である。



参照:
免停になる前に注意目標 2012-03-15 | 生活
引きちぎられる携帯電話 2008-01-23 | 歴史・時事
サッカー場規模の表面積の吸着力 2011-02-21 | テクニック
その質に至っていない企業哲学 2010-05-20 | テクニック
緑のシンプルライフ推奨 2007-03-04 | 女
☆ 風信子の4月24日(火)のつぶやき & リツイート (風信子)
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民主性が問われる勃興政党

2012-04-24 | マスメディア批評
海賊党が日夜話題を提供している。お里がお里であるからネットでの話題が多いようだ。ベルリンの代表理事であるハルトムート・ゼムケンは、自らのブログにて、党の一人一人の党員に対しての対応をドイツ国家社会主義労働党と比較したことから解任を求められたが、それを拒絶した。そしてその内容を謝罪するとともに、その任を引き続き全うするとした。実際にベルリンの理事はその判断を支持した。

またシュレスヴィック・ホルシュタイン州もしくはノルトライン・ヴェストファーレン州で州の与党として政権に関わることは可能だと連邦代表のゼバスチァン・ネルツが語る一方、その可能性を緑の党のロート代表は否定している。更にそれに付け加えて、海賊党はまるでメルケル・チャイルドだとこき下ろす。それはメルケル首相の海賊党の勃興に対する様子見を批判してのレトリックである。

つまり首相は、最低収入性や出生率について語ったかと思えば、何一つ企てる訳でもなく、翌日には子供手当てについて語る有様だと、何でもできるという態度だとその無責任な言動を荒立てる。

そのような批判に対してネルツ代表は、批判の的となっていた嘗て自らが推し進めていた党執行部の独立性の考えを変化させて、執行部の中身を受け入れると言うことはその専断性を得ると言うことでもあり、キリスト教民主同盟を見ればよいとなる。そこでは、脱原発やユーロ救済などは、執行部の判断であって、党のボトムアップの判断ではなかったとする。だから、ボトムアップの政党の方が、メルケル首相の思いつきの党よりも安全だとする。

そうした背景には、党員の中に極右に近い党員が少なくないなどの問題が顕著化してきていることで、また同時に政治の激務から政党の重要な任務を辞退する向きが増えてきていることなどが関連しているのだろう。面白いのは、連邦執行部のマリナ・ヴァイスバントが心肺異常でであることを明らかにしたことに関して、ネルツ代表は「いつもキーボードに手を当てているような生活は健康に良くない」とその激務を思いやったことである。

民主的なイデオロギーだけではなく、民主的な党運営も問われ、その基本的な姿勢にも厳しい目が注がれる。それゆえに、もはや無視できなくなった政党であるだけに、こうしてその話題が絶えない。何処の馬の骨とも分らない政治結社に対して、国民政党へのそれとも変わらぬそれ以上の報道やあらゆる層からの賛否多数の見解を議論化させていくことはとても大切なのである。それは、支持が集まり公的な政党として期待も不安もあるからこそ、マスメディアの義務であり、学術的なジャーナリズムの対象であることには間違いない。

如何なる未来への期待の政治プログラムがそこに提示されていたとしても、その政治的手法が民主的な手順を踏んでいない限り、そこにはなんらのばら色の未来などはありえない。政治は革命や政権掌握とは全く異なるのである。そのようなことは繰り返すもない歴史的必然なのだが、それすら語らない知識人などの存在意義があるのだろうか?



参照:
Piraten-Abgeordneter vergleicht Erfolg mit NSDAP, FAZ vom 23.4.2012
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般
親権者が行使する選挙権 2012-04-12 | 歴史・時事
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活
覚せい剤の民主的な合法化 2011-12-04 | 歴史・時事
情報の集約を阻止する運動 2011-10-30 | 文学・思想
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鰻上りの高品質を堪能

2012-04-23 | 料理
満を持して最後の一本のリースリングを開けた。2002年産ペッヒシュタインでである。十年前には何度も垂直試飲させてもらったワインなのだが結局後にも先にも一本しか購入しなかった。理由は特別なリースリングであって、最後の一本しか購入出来なかったからだ。何度も何度も試飲のご相伴に与って友人には勧めて買わせたのだが自分はこの一本である。

理由は単純で、自らは2001年産の繊細さと新鮮さを好むから、垂直試飲するとどうしてもこの特別にミルキーで豊満なそれに手が伸びなかったのである。それどころかその香ばしさは、― ワインは食事のご相伴がモットーの愛好家として ― もはや燻製の鰻しかあわせるものがないという結論が導き出されていたからである。ワインをちびちびと飲むという習慣が全くないものだから仕方がない。ビール党の人間だから仕方がない。

そこでその話をしておいたら、本当にその機会を作ってくれた。山仲間の兄が釣り名人で一週間前ほどに十分に淡水魚を釣ってきたというので、2002年産それと通常の川魚に合いそうな2004年産を持参したのであった。燻製の装置も新しく購入してお披露目となった。鰻も何匹もライン河畔で釣ってきており、コイ科の魚と山で釣ってきたマスの三種類が一週間以上にわたる準備の後燻製にされた。それ以外にもう一種類フリカデールにされてオードブルとなった。驚くべきことに全く臭みもなく砕けた骨が魚を感じさせたぐらいで、塩水につけていた分が残念ながら塩超過となった。

さて燻製の方は新しい装置だったので試し試しの部分もあったが、コイ科のそれだけが燻製が通らずにもう一度繰り返し煙にこめられたのを除いては完璧で、驚いたことにこんなに美味いマスを食したことはなく、やはり手間隙掛けた燻製の威力を感じさせる。そして、コイ科のそれはなるほど藻臭さをどこかに感じるのだが、丁度それは2004年産ペッヒシュタインのどこか曇った香辛料臭さに全く完璧な相性であった。

そして、お目当ての鰻である。これまた脂臭くしつこさの極みのようなこの長いものがこれほどミルキーでぽってり感があるのは知らなかった。やはり体験してみなければ分らない味の世界が幾らでもあることを知った。日本で食される鰻巻きや鰻鮨の程度ではないこの純粋な美味はどうしたことだろう?

それに寄り添う2002年産ペッヒシュタインには、これ以上の食事はないと思わせる相性であった。コルクを抜いてグラスに注ぐや否やその果実風味に確信を持った。幾らか不安があった鰻の油の灰汁にワインが潰されることもなく、ワインが強すぎて鰻の味を分離させることもなかった。このワインは全くフィルンと呼ばれるような黄昏には遠く、色合いも十年前と殆ど変わらない。そしてなによりも2002年の酸が心地よく口の油を綺麗さっぱり洗い流してくれるのである。なんという濃くのある殆ど燻製されたような果実風味だろう。

リースリングと魚の相性。先ずはここに完璧に示すことが出来た。そしてこのグローセスゲヴェックスに黄昏が訪れるのもまだまだ先の様子で万が一可能ならば十年ほど先に2001年産と比較して楽しんでみたいものである。それに比較すると冷夏の2004年産の限界は初めから定まっていたが、新鮮な香料味ではこれまた燻製魚の灰汁を綺麗に流してくれる清涼感がとてもよかった。2009年以降は完全天然酵母醸造となったビュルクリン・ヴォルフのペッヒシュタインであるが価格も上がったが、その質に関してはヒュージョンソンが自らセラーに買い込んだのも当然で、白ワインの最高峰に違いない。

次回は出来ればワインとは関連なく鰻の蒲焼に挑戦してみようかとなったので、色々と鰻の種類やレシピーなどを調べてみなければいけない。しかし、こうした高品質の燻製と比べれば蒲焼の味は殆ど野蛮としかいえないが上手に遣れば鰻そのものの味を引き出すことが出来るだろう。



参照:
摂氏零下の小夏日和 2012-03-07 | 暦
Hop, Step by Step & Jump 2011-12-27 | 文化一般
トロピカルかパッションか 2011-09-23 | 試飲百景
何が必要かが問われる 2011-09-19 | アウトドーア・環境
九月一日はグランクリュ解禁日 2011-09-04 | 暦
自主避難の自主判断基準 2011-08-14 | マスメディア批評
まさに春は虚の状態の季節 2011-03-05 | 生活
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海賊党が問題提議したもの

2012-04-22 | 文化一般
YOUTUBEが著作権管理団体GEMAに支払うように判決が出ている。著作権を保護するために、投稿者から徴収するのではなくインターネットポータルが支払うのは当然である。今後YOUTUBEとGEMAの間で契約が交わされて支払いを済ませることになる。とどのつまりネットポータルが投稿内容をチェックする義務が明白となる。

しかし、興味深いのは現在日本のそれなどで見れてもドイツでは著作権保護上GEMAによって許可されていないとするお断りは実は正しくないのだとGEMAは語っている。つまり本来著作権料を否応なく徴収できる権利を持つGEMAは一切そうしたことに関係していなくて、実際は隣接権を持っている音楽レーベルなどが削除要請を出しているというのだ。

これはなるほどと思った。特にCBSのソニーは過剰にネットでの音源の使用に過敏であり、一時は聞き触りのサムプルも提供しなかったのである。販促よりもコピーされる可能性を極力恐れているのがソニーグループである。今後こうしたコピーや科料の問題は更に海賊党などの躍進で取り扱われることとなると思われる。つまり特にエンターティメント分野でのビジネスモデルの変化が要求されている。

そこで広い支持を集めつつある海賊党への批判の投稿が文化欄第一面を使ってシナリオライターによって綴られている。要旨は、創造者とその創造物を価値化するプロデューサー間には純粋な経済契約関係があり、著作権管理団体GEMAなどと同じように当事者であることと、そうした契約関係を政治が正しく支持をしていないことが、海賊党の勃興を招いたとする。これだけをしても海賊党の主張は民主主義とは関係ないもので、欲求の満足と公用徴収でしかないと激怒する ナチ政権が勃興したヴァイマール憲章における個人の所有の限界設置を思い出せばよい。

そもそも海賊党の綱領自体に「知的創造物の公共への返還が正当なだけでなく、人類の創造力の持続性のために不可欠なもの」とあり、そこではそうした社会的関係を担う筈のプロデューサーと呼ばれるような仲介者の存在は綺麗に消されている。それのみならず、デジタル化した創作は技術的にコピーの制限をかけようとするのはそもそも無理であり、広く個人の使用に大きな網をかけるのも上手くいかないことは分っており、創作物の一般的利用と使用で貢献するべきだとしている。

正しくこの点は、先日スイスの友人にメールした点であるが、海賊党の主張は正しく一度デジタル化してネットに流れた時点で全ての著作権と隣接権は放棄された状態となって、ネット使用者がそのデジタル情報を自由に使えることとなるのである。そのような状況において海賊党が若い有権者の支持を集めるのは当然なのである。しかし我々はそもそもここで商業として市場価値を生み出すものが価値のある創作と限らないことを認識しておく必要がある。要するに、基礎的な科学や高度で先端にある芸術価値など市場価値のないものに目を向ける。

だから海賊党は、公共的に支払いが済まされた ― 例えば公共放送の視聴料として ― もしくは製品として生み出される創作への過程で社会が援助している場合は、これ全て創作は既に社会に無料で寄与すべきだとしている。この考え方から行くと、商業主義的に市場経済性を持つものでない創作は全て公共のものとなる。なるほど名画などはこのように公共性をもたさないことには公共の美術館が成立しないような状況も今後存在する。

しかし、ここで海賊党が先に全く無視したような商業的に市場価値を生じさせた仲介者には、ここにおいては公共的な経済支援として機能しており、同じようにここでも既に支払い済みだと主張している。明らかに、東ドイツ出身で早くからコムピュータを使いこなしてシナリオライターとして先日のZDFのロムメル将軍の番組を制作した投稿者が指摘するように、ここに大きな矛盾がある。彼らが最も忌み嫌い是正しなければいけないのはネットのポータルを運営している業者であったりフェースブックであったり、アマゾンであったりとこれらのネットビジネスこそが人々の情報を支配する情報の権力者であって、こうした創作者やその仲介などはそもそも敵対するものではない筈だとしている。

更に挙げられる文化政策への綱領には、コピーの弊害を極力少なくしていかなければいけないとだけ述べられていて、投稿者ニキ・シュタインが語るように、公共のために創作を無料で提供する意思があってそれを自らの判断で出来るなら決して悪くはないのだがと、海賊党が結局この問題の解決点が見出せないことを掘り起こし、せせら笑う。

それは、広義の文化行政の議論でもあり、決して技術的な科料システムの問題なのではない。一方において広く浅く科料するしか方法のなくなった公共料金システムがある。

来年から公共放送料金科料システムが変わり、これまでは機器ごとにその数から徴収していたのだが、もはや放送電波も衛星もケーブルもネットも同じように科料しないといけないことから、個人の世帯や法人ごとにその事業所の数と従業員数で科料するようになった。なるほど我々はドイツの公共放送にはそれ相当の視聴料を支払うのでネットにおいても同じようにその中身をいつでもダウンロードすることが出来る。

海賊党が社会の前面に政治として提議した問題は隙間政党の専門業者的なものではないことは明らかである。EUが個人情報保護法の観点からドイツ連邦政府の半年に渡る電話や通信の記録と保護の運用に対して制裁金を求めたことで、EUスタンダードに合わさなければいけないようになったこともまた違った議論の成果である。



参照:
Unter Piraten, Niki Stein, FAZ vom 20.4.2012
文化ケインズ経済学の矛盾 2012-04-04
親権者が行使する選挙権 2012-04-12 | 歴史・時事
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活
覚せい剤の民主的な合法化 2011-12-04 | 歴史・時事
待降節を迎えるにあたって 2011-11-27 | 暦
六十禁が必要な場合とは? 2011-11-05 | 文化一般
情報の集約を阻止する運動 2011-10-30 | 文学・思想
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お運びから学んだ治療法

2012-04-21 | 生活
久しぶりに相棒のスポーツ医者から電話が掛かってきた。南仏へ出かける前からだから三週間ぶりだ。懸案の膝の手術を去る13日金曜に無事終えたと言う。経過は順調で一週間たって試してみたいと電話してきたのだ。それは結構であるが、私自身が右手手首の故障をしているのでもう数日、来週の水曜日まで我慢しようと言うことにした。水曜日にも今のように天候悪く温度が低ければ室内に戻ってチェックすればよい。上手くいけば石切り場で登れる。来週末には気温が上がり、初夏らしくなりそうなので、それ以降は心配は要らない。

さて右手首の故障であるが、皿を持って故障の多いお運びの女性から、治療法を学んだ。医者の判断とあまり変わらないだろうから、電話でも包帯を巻いて治療に努めていると話しておいた。包帯を巻くだけならばなんでもないのだが、ストレッチの効いた生地自体が巻きついてくっつくタイプなので締りが良いのだ ― 昨晩は閉めすぎていたようで夜中に眠りながら左手で包帯を解いて投げ捨てていた。これで三晩ほど使ってみたが、なるほど手首ががくがくになっているので腱鞘炎気味になっていた下椀の内側が休めているようだ。手首自体はそんなに容易にはくっつかないだろうが、炎症の危険性などからは逃れている。

そこでこの治療をあと数日続けるとどれほど回復するかに興味がある。右手の負傷のお陰で左手が使いやすくなっており、更に筋力もつくとこれは面白い。それにしても相変わらず肌寒く、曇りがちにシャワーが時々降る。陽が翳ると下椀から肩までの腕の筋が病める。



参照:
効率よく働かせる保険 2012-03-09 | 生活
もう一日何が出来るか? 2012-03-23 | 生活
睡眠不足の夏時間はじめ 2012-03-26 | 暦
地中海を臨んでの幸福感 2012-04-10 | アウトドーア・環境
今年だけの薄切りの春 2012-04-18 | 料理
時差ぼけが続く春である 2012-03-29 | アウトドーア・環境
熟成するから偉大なのか? 2012-02-02 | ワイン
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小細工では動かない大波

2012-04-20 | 雑感
車中のラジオが伝えていた。年頭から何度も繰り返されているが、ここ三十年間にないほどの国際競争力をドイツがつけてきていて、失業率は下がる一方らしい。実感としてはあまりないのだが、少なくとも工業輸出超大国としての技術力や自己市場の成長は日頃体験していることである。やはり技術とそれを新産業へと展開させる社会の力であり、解放された社会の成果を示している。なるほど市場の保守性は揺るがないが、歩みが止まっているのではなく絶えずある方向へと軸が回っているので、動き出すと大きな力となる。

そうした産業力を見越したかどうかは知らないが、アブダビがダイムラーの大株主となってF1レーサーにまで様々な注文をつけたようだが、結局投機的に売り抜けたようで、大きなニュースとなっている。細かな事情は追々伝えられるであろう。車産業ではプジョー・シトロエンが傾いてきているようで、重要な貨物部門でGMグループに入るような話題を読んだ。先日の南仏旅行でもプジョーに乗ることが多かったが、フランス製品の常で新品のときだけはデザインも機能も良いのだが、急にボロボロになってくる。ああした車に乗っていると、何時かのオペルの品質の急激な低下を思い出して、オペルもプジョーもサーブもシトロエンも同じ車に見えてくる。

久しぶりにバルサミコを購入した。先日のザウマーゲンのカルパッチョはひまわり油を使ったが、これから夏に本格的にいろいろと試してみたいと思ったからである。今年の夏の食事にはカルパッチョが頻出しそうである。同時に無くなっていたサラダ用のオリーブオイルも購入したので様々な料理が出来る。

郵便桶にはルツェルンからの封書が入っていて、ただの請求書で注文した入場券は入っていなかった。更に驚いたことにネットで示された支払期限とは違う至近の日付が入っていて、本来ならば苦情ものである。可也売り手市場の対応を取ってきている。そもそも公演から二週間前までの支払期限は不思議だと思ったのである。カードで購入すれば勝手に決められた両替レートとなるので、振り替えのときの相場を楽しみに安く支払いたい。最終的には手数料などが多く掛かることは予想されるのだが、スイスにそのまま金を落とすよりも、こちらで金の行方を制御した方がよい。

同時にバーデンバーデンから券が送られてきている。こちらはカードで支払済みなので当然なのだが、その発券のホームページを改めてみて大変興味深かったのだ。なぜならば注文のときに出ていた椅子や場所が綺麗に取り去られていて、まるではじめから席がなかったかのような小細工をしているのである。入れ物が大きい分、最上階は閉鎖していたのは何気なく気がついていたのだが、私が安い席を注文したものだから、安い席を売り切れてしまってなかったことにして、より高額な席を売ろうと努めている。現在の入場券の売れ行き具合からして到底「小さくした大ホール(1600席ぐらいか)」が満杯になることはないと判断したのだろう。プログラム紹介には鈴木を聞きに東京へと態々飛ぶ人がいるとか書いてあるが、まさかそのような御仁は何人もいる訳がない。

正直なところここ数年のドイツ国内のシリアスな音楽会の入場者は減っている。バッハや古楽器などではあまり人が入らなくなってきているのだから、何らかの動員がなくて鈴木の演奏会が満員になる方が不思議なのだ。その点からしてもバーデンバーデンの劇場が取った小細工は少しでも赤字を減らすために重要な手段である。興味津々だったのは注文した席を取り消しにして他の切符と交換するのかそれとも当日に更に入場者が見込めないとなると場合によっては場所の入れ替えをするのかと思っていたが、恐らく後者の方法を採用するのだろう。スイスのように金をかき集めることが国是となっていないので、どうしても倒産後も親方日の丸のような運営をしているようにしか思えない祝祭劇場であるが、小細工をしただけでも天晴れだ。反面小細工しなければ、他の人にもこの演奏会を推薦したのだが、価格が高くなると、奨め難くなる。

要するに、上に二種類の演奏会の売りや需要について触れたが、双方とも容易にエンターティメントの市場があって単純にBIZとして扱えるものではないことが分るだろう。ある意味では観光を含む経済であり、ある意味では文化行政が深く関わりあっている。こうした市場とか文化援助とかは、なにもわからないのに大鉈を振るって処理できるものではないということである。まさしくドイツの工業や経済においても単純な市場主義や国是では発展しない証明であり、やはりしっかりした経済運営が欠かせないと言うことでしかないのである。



参照:
聖霊降臨祭のミサは如何に 2012-04-19 | 音
ほとんどコンサートゴアーの様 2012-04-17 | 文化一般
文化ケインズ経済学の矛盾 2012-04-04
とても景気の良い環境 2012-01-01 | アウトドーア・環境
鈴木雅明さんにバッハ・メダル
大フィルへの大阪市の助成金問題 (TARO'S CAFE)
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聖霊降臨祭のミサは如何に

2012-04-19 | 
またまたコンサートの券を注文した。日本のネットを見ていると鈴木氏がバッハ賞を獲得したとあったので、バーデンバーデン以外のどこで演奏会を開くのかを日本バッハコレギウムのHPで調べてみたのだ。すると意外にライプチッヒと北ドイツぐらいでしか演奏会を開いておらず、あとはフランスやスペイン、ベネルクスとなっている。どこのプロモーションが扱っているのかは知らないが比較的特徴的欧州ツアーなのである。

実はバーデンバーデンのロ短調ミサのプログラムを知っていたのだが、会場も過剰に大きく、曲自体に全く別なイメージを持っているので興味が湧かなかったのである。しかし、フランクフルトでもシュトッツガルトでも演奏会を行うのでもなく先方さんから近所まで態々来てくれるこの機会を逃しては二度と生で聞くチャンスを逃すと思って決心した。何といっても時間的には一時間掛かるが、ここから祝祭劇場のカレージまで四つほどしか信号がなく、アルザスの高速道路を使って只管田舎へ田舎へと車を走らすだけなので、都会へと車を走らせるのとは違って、行き帰りともまるで自宅で音楽鑑賞しているのと変わらないのである。その点では、スパイヤーやシュヴェツィンゲンで開かれる音楽祭よりも田舎の音楽祭なのである。

案の定、一番安い33ユーロの席も残っていて、33ユーロなら一月先の連休中の催し物であり不確実な要素もあるが大きな問題ではない。兎に角、購入して、演奏会に足を運んで今までネットでの評価やら録音や映像などで掴んだ印象と変わるのかどうかを体験すればよいだろう。

その意味からは、調べて分ったのだが三種類ほどの欧州旅行のプログラムの中でカンタータなどのを聴いてみたいと思ったが、時節柄受難曲でもなくミサ曲で、更に巨大な入れ物での体験としてはちょうど良いプログラムだと再認識した。鈴木のバッハが現在の欧州におけるバッハの受容とは相容れないものであることは分っているのであるが、その真摯で高品質な演奏実践がどのように聖霊降臨祭に鳴り響くのか楽しみである。

序に注文しても良いかと来週のヴィーナーフィルハーモニカーとティーレマンがシューマンを演奏するものも残券があったが、流石に56ユーロの券は売り切れていて、100ユーロ以上のものしか残っていなかった。56ユーロならばこれまた「棄てて」損はないと思って購入しようと思ったのだが、然うは問屋が卸してくれなかった。

調べ物をしようと思ってDATカセットデッキに火を入れて音だしをしようとしたら、カセットが出てこない。いよいよ故障かと思った。最高級製品であるから容易に壊れて貰うと困るのだ。しかし暫く使っていなかったので仕方ない。修理に出さなければいけないかなと思って、改めてお呪いをしてから試すと、カセットが出てきて、普通に使えるようになって良かった。



参照:
ほとんどコンサートゴアーの様 2012-04-17 | 文化一般
文化ケインズ経済学の矛盾 2012-04-04 | 文化一般
復活祭への少しの思い入れ 2012-03-16 | 暦
「幻のオーボエ」/リーバーマン (Zauberfloete 通信)
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今年だけの薄切りの春

2012-04-18 | 料理
南仏から返ってきてずっと凍え続けている。朝晩が摂氏零度になると空気も冷たく、曇天どころか雨天となると気温も精々摂氏二桁までである。ここ数日は摂氏一桁とまりである。先週土曜日に走って、明くる日から太ももに痛みがはしって、上体は筋肉や筋が勝手にうずうずしだした。

殆ど風引きのようなぞくぞく感もあって、また手首の故障部分や筋肉が何か戦っているような感じがしたので、雨が上がった火曜日も極手短に森を駆けた。何時かの眠れぬ夜の苦しみがあったのはいつのことだったかと古い記事を探すと2009年秋に椅子に腰掛けて朝を迎えたことが記録されている。

あのような鈍痛はご免である。いったいあの苦しみは何だったのか?そこまでは酷くはないが、ここ暫くは寒気を感じて、夜を過ごしている。それだからといってヒーターをつけて温まると暑すぎるだろう。そうである。日本の特に関西の冬などは同じような陽射しで、暖房が十分でないために同じような寒さを感じていたのであった。

流石に雪がちらつくことはないだろうが、一年前とは大違いである。今年の葡萄はどのように育つのだろうかと大変興味津々である。空気は冷たかったが、それでもTシャツで二十分ほど軽く運動しているとうっすらと額に汗らしきを感じる。今年は今年だけの春なのだ。

週末には偶々店先で見つけたおもちゃのようなザウマーゲンを購入して、半分をカルパッチョにしてみた。初めての試みであったが、繊細な豚肉と詰め物や香辛料の味が際立って、薄切りにした価値があった。今後も試行錯誤していきたい料理である。

勿論リースリングを合わせるために、オリーヴオイルではなくて植物オイルを使って、臭みを出さないように注意した。ビュルクリン・ヴォルフの2010年産のゴールトベッヒェルを開けると、驚くなかれ、あの歯に沁みる酸が丸みを帯びてきていて、果実風味が再び開いてきてとてもバランスが良く飲み頃となっている ― 瓶詰め後一年後の山、とても珍しい現象である。恐らくあの当初の酸にはリンゴ酸などの刺激性のものがあったのだろう。これならば2010年の将来性はとても高く、明らかに2008年の癖のあるワイン酸主体と2007年のそれの間ぐらいで、比較の仕様がないほどの量なので、2001年産以上の大化けが想像できる。




参照:
ある肌寒い残暑の夜 2006-08-25 | 料理
舌鼓を打つ山の料理 2006-08-01 | 料理
走って走って走るのが一番 2012-04-15 | 生活
豚インフルエンザに違いない 2009-11-25 | 生活
豚に克つ奴だけが生き残る 2009-11-26 | 生活
コメント (2)
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ほとんどコンサートゴアーの様

2012-04-17 | 文化一般
満を持して、ルツェルン音楽祭の券を注文した。ここ二月ほど狙っていたのだが、その昔日本で外国からの引越し公演の安いチケットをある時は並んだりして購入したのを思い出した。その当時は基本的には安いチケットを購入するために電話攻勢を掛けていたのだが、今回のネット予約はそれ以上に困難を伴った。結局、前売り開始から二時間以上過ぎての成果であった ― この作業時間代の方が高い。

勿論その途中では完売のお知らせが出て、その前にはルツェルンに電話を掛けたのだが一向に埒が明かなかった。初日のマーラーの交響曲八番なので通常とは売れ方が違ったのだろうが、その後の二回の演奏会も飛ぶように売れたようで二時間後には完売表示が出た。こうなったなら悔し紛れに支出するはずの予算を何処へ向けようかとの皮算用になるのと同時に昔取った杵柄でいろいろな方法を考えてみる。

前日にチューリッヒのこれまた別の演奏会を音楽祭で開く友人にメールして、初日の8月8日に出かける予定なので会おうかと話していたので、もしかすると只券とはいわないでもプレス用の券ぐらいは回して貰えるかとも都合の良いことを考えながらも、売れ行きの勢いに驚いて、今まで体験することのなかった指揮者クラウディオ・アバドのルツェルン音楽祭楽団もこれでもはや聞くことがないかとも思っていたのだ。

しかし、ネット予約の最初からして座席予約のプログラムに仕込まれたある種のアルゴリズムに気がついていたので、時間をおいて試してみたのであった。その結果当初の予算の一クラス上のチケットが偶々当たったのである。60ユーロ余計に懐が痛むが、往復の燃料代だけで100ユーロほど掛かるのだから、その出費は仕方ないだろう ― チューリッヒまで車を改めて走らせばそのぐらいの費用は簡単に飛んでしまう。それにこれで当日はスイスにいるだろうと返事した前出の友人に涼しいところで昼飯でもしながら久しぶりに会って用事を済ませることが出来る。

それにしてもスイス人はどうしてここまでマーラーの音楽に熱狂的なのだろうか?それともこのチクルスの成功を証明しているのか?ユダヤ系住民のチューリッヒでの比率はなるほどフランクフルトなどに比較できないかもしれないが、観客での比率はそれほど高くないことは分っている。それでもマーラーの音楽への熱狂は東京や大阪を越えている。それを今まで数回のルツェルンでのマーラー体験で実感しているので、同じ演奏ならドイツ国内で体験するよりもルツェルンでのそれの方が圧倒的なのである。聴衆があれだけの親和性を持っていると大抵のまともな演奏者なら大変立派な成果を勝ち得るのだ。

指揮者アバドもマーラーチクルスを繰り返してきたようだが、今まで態々出かけようと思わなかったのには様々な要因がある。なによりもここ十年ほどは出不精になって、運転が億劫になっていたことも大きい。しかし最近になってフットワークが大分軽くなってきた。視力だとか様々な原因があるだろうが、嘗てのように日帰りでザルツブルク往復の1000KMをこなす心算はさらさらないのだが、先日の南仏行でも昨年よりも大分楽であった。

さて、キャンセルも少なくない病後の指揮者であり、今年になってからもキャンセルした演奏会があったというので、その状況を調べてみた。健康上の問題でなくてイタリア独特のオーガナイズの問題であったと知り、更に三月のボローニャーでの演奏会の映像を探し当てて、現時点では危うさがないと確認した。

肝心の管弦楽団は東京でも御馴染みらしいが映像でスターの顔は確認していても今回初めてメムバー票を見て予想していたスイスの演奏家達の顔ぶれはなく、ザビーネマイヤーグループやフライブルクグループなどとはっきりと分けれていて、意外な印象も受けた。その分寄せ集めでは無い効果的な練習や一体感のある演奏が今まで行われてきたのだろう。先ずは聞いてみないと分らないが、マーラーチクルス最後に間に合ってよかった。

くどいようだが、ベルリンのフィルハーモニカーのオペラとマーラーの復活交響曲の二晩のチケット代金よりも60ユーロも高くついた千人の交響楽。舞台に乗る演奏者の数でも多いから仕方ないようなものだが、逆にいうとドイツが税金から支援をしていて、バーデンバーデンのイースター音楽祭が如何に低料金かということである。



参照:
TGR Emilia Romagna Edizione delle 19.30 (TG RaiTV) ― 18分より、ボローニャでの演奏会風景
小澤さん一年間指揮活動休止、SKF松本およびウィーン・フィルとのヨーロッパ・ツァーは全面キャンセル (TARO'S CAFE)
文化ケインズ経済学の矛盾 2012-04-04 | 文化一般
復活祭への少しの思い入れ 2012-03-16 | 暦
遊び心のエゴイズム賛 2007-03-08 | アウトドーア・環境
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権利と死の義務の日本人

2012-04-16 | マスメディア批評
復活祭明け後の日本からのニュースは興味深かった。なによりも大飯原発再稼動問題と北朝鮮のロケット打ち上げ問題であろう。前者は、IWJで流していたように再三の首相官邸前での抗議の声や閣議決定後の政治家の福井入り、そして福井県知事の中間貯蔵への言及、そして町での抗議デモなどと続いている。

興味深く読んだのが、田中龍作ジャーナルの福井からの報告である。いつもながらの落ち着いた筆使いで、人々が置かれているその環境を浮かび上がらせている。例えば仙谷由人・政調会長代理の記者会見の報告を読むとこれまたいつもながらの記者視線の主観的な報告なのだが、とても手際よくその場の状況即ち環境を描き出している。IWJの映像で馴染みのその雰囲気を映像以上にその背後までを想起させる。一体、仙谷由人がどのような政治家であるかを十分に教えてくれるのである。時の権力者を嘘偽りなく描き出す、まさにこれが筆の使いようである。もう一つの記事は枝野とそれを待ち受ける人々との攻防として、福井の事情のようなものまでが描かれていて、これまた誰もが気がついているような状況なのだが、ありのままの環境を筆で描き出そうとしている。

またマスメディアの311検証などが話題となっていたが、卑しくもジャーナリズムを名乗るならば、その置かれている状況を可能な限り描ききることでしかない。その記者の認知力と表現力以外の何ものでもない。科学的な事実関係やある真実などが中立な立場で描ききれると考えているならばそれは無知でしかない。それでも無知は無知なりの自覚をもって、その状況や環境をそのまま表現しようとする努力もなしにジャーナリズムを語るのが誤りなのである。そもそも311の真実など半世紀経過しても実証的に明らかにならないかもしれないのである。

北朝鮮のロケット打ち上げに関して、前回はその飛翔コースが異なっていたとしても、今回は前回ほどに世論を操作できるほどの効果を得なかったに違いない。なにやら『オオカミ少年』のようで一度二度は効果があっても拉致問題と同様に仮想敵国を明確化することで為政者が国民の意思を左右するほどの効果はもはや消失したようである。なぜか、ここでも仙谷由人のような顔が思い浮かぶのは私だけか?

ワシントンが、現在も中共と北朝鮮を日本に対して仮想敵国として有効に使えるように、日本も核とロケットを配備した出島として、中共がピョンヤンをまるでヤクザのチンピラのように操るのと同じ効果を北京に与えることが出来る。嘗てはそこにソヴィエトがあった訳なのだが、原発の核の平和利用というのはやはり広島・長崎の意志とは別に、核の容認と言う意味合いで戦後の日本統治の重要な核と成ってきたものなのだろう。

北朝鮮の人民が金ダイナスティーに牛耳られているのと同じように、なにもかも分らされて生きてきた日本人であるが、311を契機としてその自らの生活や生命が直接脅かされてはじめてその環境に気がつくようになって来ているようだ。とても怖い思いをしたその恐怖心が脱原発へと駆り立てるのは当然ことで、どんなに飼い馴らされた従順な家畜も死の恐怖の前に最後の本能的な反撃を始める。もしそれでも必要な死を受け入れるというのが戦後教育の結果としての現在の日本人の行動形態であるならば、生まれながらに玉砕も辞さない民族であって為政者にとってはこれほど扱いやすい家畜はいないであろう。



参照:
【福井報告】 裏門からこっそり入った枝野経産相
【福井報告】 仙谷氏 「大飯原発再稼働」に向けて地元議員のネジを巻く (田中龍作ジャーナル)
無責任なリセットの構造 2011-12-17 | 歴史・時事
同じ穴の狢を炙り出せ 2011-10-14 | 雑感
それでも生きていたいのか? 2012-04-09 | 文化一般
核政策へのレクイエム 2012-04-06 | アウトドーア・環境
自由の勝利を自ら掴め! 2012-03-27 | マスメディア批評
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