Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2010年8月

2010-08-31 | Weblog-Index



期待膨らむ冬に向けた環境 2010-08-30 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
疲労困憊した朝飯前の一万歩 2010-08-29 | 料理 TB0,COM0
棒にあたり牡丹餅が落ちてくる 2010-08-28 | テクニック TB0,COM0
同じ穴の狢が議論をすると 2010-08-27 | マスメディア批評 TB0,COM0
切れ悪い体と密接に付き合う 2010-08-26 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
ユダヤ啓蒙主義者の社会活動 2010-08-25 | 文化一般 TB0,COM0
最も同時代的な芸術家の死 2010-08-24 | 文化一般 TB0,COM0
埃と戯れてフットワークを磨く 2010-08-23 | 生活 TB0,COM0
なかなか死ななかった死 2010-08-22 | 文化一般 TB0,COM0
つなぎ合わせの狐の毛皮味 2010-08-21 | ワイン TB0,COM0
半田溶かす久しぶりの夏の夜 2010-08-20 | 暦 TB0,COM0
モーゼの杖が導びく環境認識 2010-08-19 | ワイン TB0,COM0
長波ラジオの事故第一報 2010-08-19 | マスメディア批評 TB0,COM0
寝る子は育つ肌寒い日々 2010-08-17 | 暦 TB0,COM0
ラーメン屋の掘り炬燵での風情 2010-08-17 | 文化一般 TB0,COM0
まあ、こんな週末もあるだろう 2010-08-16 | 生活 TB0,COM0
三つのダイヤに隠された星 2010-08-15 | 雑感 TB0,COM0
人種が違うコードレス電話族 2010-08-14 | 雑感 TB0,COM0
健康不安を覚える休肝日続出 2010-08-13 | その他アルコールTB0,COM2
小型外付けHDDへの期待 2010-08-12 | テクニック TB0,COM0
収穫量の少ない夏の日の収穫 2010-08-11 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
狩人の健康な食欲の特権 2010-08-10 | 生活 TB0,COM2
キリギリスの夢を描きながら 2010-08-09 | 生活 TB0,COM0
環境における人の考えや感慨 2010-08-08 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
武器を所持すると言うことは 2010-08-07 | 暦 TB0,COM2
私のサラダブログ記念日 2010-08-06 | 料理 TB0,COM0
石切り場での仕事を終えて 2010-08-05 | 生活 TB0,COM0
ポツダム広場に射した暗影 2010-08-04 | マスメディア批評 TB0,COM0
文化には感じない先端恐怖 2010-08-03 | 雑感 TB0,COM0
バルコンでPCで寛いだ午後 2010-08-02 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
インターヴァル晩夏代謝訓練 2010-08-01 | 生活 TB0,COM0
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期待膨らむ冬に向けた環境

2010-08-30 | アウトドーア・環境
週末に暖房の環の元栓を取替えに来た。密閉が悪く、閉まらなかったので、暖房用のメーターが交換出来なかったからである。今は未だ湯を止めてそうした仕事が出来る。しかし、秋も深まるとフル回転の暖房の湯を止めることは無駄も多くなかなか出来ない。

冷たい空気がドイツ上空に遣ってきて十分な冷たい雨を齎している。最低気温はまだ摂氏六度ぐらいなので寒くはないが、火がますます弱くなってきている。昨日のワイン街道自転車天国の一日も時折の秋雨の故か例年に比べて静かだったような気がする。

この時期の山間部での雪は珍しくは無いが、このワイン街道付近の天候としてはやはり秋の深まりが早い。九月に入れば秋晴れも期待出来るだろうが、それまではひたすら夏を惜しむことになりそうだ。

生まれてこのかた今年ほど夏を惜しんだことはない。その理由は、サッパリ思い当たらないのであるが、間違いなく太陽暦以上に陰暦の暦を感じさせるような天候にあるようだ。

更に、自宅のLAN設置から、北向きの寝室で過ごす時間が長くなっ た。もともと北向きの書斎や寝室は、自分自身にとってある理想の住環境であって、今の住まいに移るときにも逸早く「その部屋の構想」はあったのだ。屋根裏部屋であるので、太陽に葉を見せる木々の葉っぱは見えないのだが、兎に角光の入り方や時の移りは落ち着いて快適である。

今までは就寝のためにだけ使っていた部屋なので、座っているといろいろな細かなことが気になって、少しでももっと快適にしようと思って、細かな改良に暇がない。片付けはほとんど終了しているのだが、そこここに塵た埃の溜まっていそうなところを気がつくと思わず掃除機を取りに行きたくなる。それも我慢してという按配である。

これでヒーターをつけてフル回転させるようになると、それはそれで快適な北向きの部屋となることだろう。その寝室にはトイレもバスも設置されていないので、水場もない。そうなると、どうしても温かい飲み物などを冷えないように手元に置いて、読書の時などを楽しみたいのである。

本当はヒーターの上にポットをおきたいのだが、屋根裏部屋で天井が迫っているので出来ない。そこで、そこから大を少し突き出させて、置く場所が作れないかと考えた。先ずは針金で簡単に設置場所を拵えておいた。そうした適当な小道具も売っていそうにも思うが、先ずは暖房が必要な時期にそれを使ってみようと思っている。

過ぎ去る日を惜しむと共に、訪れる冬がとても楽しみなのである。今年は少しは読書も勉強も例年以上に出来るだろうかと期待が多い。なんでもないことの積み重ねなのだが、明らかに自らを取り巻く環境に変化があることを強く感じている。
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疲労困憊した朝飯前の一万歩

2010-08-29 | 料理
走って帰ってくると、目の下の隈が取れていた。何故かは分からないが、ここ数年はなかなか取れることが無いのに不思議である。そして今はまた疲れた顔になっている。

今日ははじめて万歩計で一万歩を一千歩も越えて朝飯前の運動をした。水曜日の疲れが残っていて、更に空模様がもう一つであったので室内に閉じ篭っていることが多かったので、昨夜就寝前から機を狙っていた。

何時ものように日曜日のパンを取りに行って、森の中の駐車場から直ぐに走り出すコースである。今日は意識して平地になったところで歩幅を短く、殆どジョギング状態で小走りに苦しまないように走った。それでも前回の時よりも四分以上も早く着いて、更に五十メートル先へと走り続けた。ここまで十一分である。そこから山を登り、谷を越えて駐車場に戻ってきて、六キロ弱、約八千歩、五十分経過していた。そこから今度は短いコースを反対側の斜面を登り、十二分ほど走って降りてきた。流石に最後の下りの走りは何時も以上に時間が掛かった。足の裏が加熱しだして、殆ど裸に体温を奪う風を受けて全身疲労もあった。起床後朝飯前の運動としては限度であろうか。

結局全体で十二キロ弱を九十分で走破した。最初と最後の約二十三分ほどを走った。十時から始まるドイツワイン街道筋の自転車開放を前に急いで帰宅して早速暖かいシャワーを浴びる。腹が減っていたので、パンを二個たっぷりと肉と野菜を挟んで齧るが、それでも足りない。直ぐに眠くなるので、一時間ほど横になってから、お待ち兼ねのポークステーキとした。

飲み物は昨晩開けたバイケンのシュペートレーゼ2008年物で、エルステゲヴェックス審査に落ちたフォン・ジンメルンの辛口である。残糖感が気になるが、スレート土壌の2008年物としては決して悪くは無い。これよりも残糖の目立つグランクリュは幾らでもある。落ちた理由は、未だに分からない、飲み心地も酔い心地も悪くは無く、順調な熟成をしている。なるほど先日飲んだロベルト・ヴァイル醸造所のグラーフェンベルクのそれと比べると清潔度やその強さで至らないが、味わいではそれほど落ちない。

付け合せにスペッツェルを添えることからセロリーでソース状に拵えて、それをまぶして食した。ステーキが足りないぐらいに腹が減っていた。幾ら飲んでも酔いが廻らないのも運動後の特徴である。食事前に寝ておいたのが良かった。もちろんケーキと桃のデザートも欠かせない。グレーフェンベルクよりは強さや清潔感で落ちるが、味の多彩さでは引けを取らない。但し、どちらが長持ちするかというとやはり強いリースリングの方に違いない。

上体は水曜日の疲れが今でも残っているが少しは解れただろうか。それにしても、やはり全身が疲れた。ある程度筋力に力が入るようになって無理が利くようになった分、直裁に疲労困憊するようになった。その分回復も早い。そして幾らでも眠れるようになった。山は雪になるそうだ。早く安定した中秋へと移行して欲しいものである。しかし、夏から秋への体の対応は出来てしまったようで、温度が下がれば下がるだけ運動能力を上げることが出来るようになりつつある。それでも背中まで張ってしまっている。



参照:
切れ悪い体と密接に付き合う 2010-08-26 | アウトドーア・環境
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棒にあたり牡丹餅が落ちてくる

2010-08-28 | テクニック
青空が出たり、雨が降ったりの典型的な秋の空となっている。昨晩はまたネットからいろいろなものをダウンロードしていた。そのお蔭で、富士通・ジーメンスのノートブックのためのソフトウェアーをダウンロード出来た。興味があったのは、ラウンチ・マネージャーと呼ばれる、ボタン式コマンドのソフトウェアーなのである。ボタンを押さなくてもオートスタートで、WLANに入る方法がないかと、調べてみたのである。

オートスタートのコマンド計画の中にそのEXEを入れても動かなかった。だからアップデートの可能性を検討した。結局それの新しいものは見つからなかったが、WLANのソフトを見つけた。日付が2004年になっているのでまさに新しい暗号システムのそれだと直ぐに分かった。

ここにも書いたが、従来のの2003年リリースのソフトではWEPという如何にも素人にもハッカー出来そうなそれにしか対応していなかったのであるが、当然ながらその後のソフトではWPAに対応している。

早速、WPAで入れてみるとちゃんと繋がる。そしてWPA2でもWLANにアクセス出来た。これで、今日のスタンダードな安全性は確保できた。WLANでオンラインバンキングは控えていたのだが、これで先ずは普通に使えるだろうか。犬も歩けば棒にあたるというか、棚から牡丹餅というか、思いがけずに気になっていた安全対策が解決出来て喜ばしい。無駄に夜中まで起きていたのではないとなるのが嬉しい。

古い電化製品をいじっていると、メモリーのボタン電池が切れていて十分に作動しないことが殆どである、腹立たしいのは取扱説明書にその電池の存在すら触れておらず、取り替えにくい位置に設置してあるような製品である。十年以上は使わせる気がはじめからないのである。

昨晩ダウンロードをしていてまたまた驚いた。ハリウッドのB級映画どころかフランス映画などのDVDの売れているものも殆ど無料でDLできるようになっている。一体こんな状態ではその合法性の確かめる余地もない。音楽のDLには縁遠かったので、ゴーグルをはじめとする「表のサイト」でこれほどの材料があるとは知らなかった。

その裏にはゴーグルなどや使われるソフトウェアー開発の企業体の戦略も見え隠れするので、通常の著作権侵害よりも性質が悪いような印象がある。そして何故か、当方のDL速度も上がり、ニュースサイトの映像がすんなりと見れるほどになって来ている。映画であると五百MBほどなので、ものによっては二十分ぐらいでDLが完了してしまう。

木曜日に、先日紹介したポテンタ女史の朗読CDを注文した。皆が挙って書籍を買うので、それでは面白くないから殆ど書籍と価格の変わらない三枚組みにした。女優作家が、簡潔な文章を全文を朗読する録音を買わないわけにはいかない。



参照:
あまり暗号化出来ない暗号 2010-07-31 | テクニック
バルコンでPCで寛いだ午後 2010-08-02 | アウトドーア・環境
ラーメン屋の掘り炬燵での風情 2010-08-17 | 文化一般
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同じ穴の狢が議論をすると

2010-08-27 | マスメディア批評
死刑場が公開されたようだ。その報道陣への公開は今週の火曜日にFAZで報じられていた。保坂代議士の記者会見模様を中心にその記事は構成されていて、その下にある中共での死刑制度改正案と同時に扱っている。

先進工業国のただ二つの死刑制度をもつ民主的な国としてアメリカ合衆国と日本が挙げられている。その基本的な報道姿勢は、反死刑制度であることは明らかであり、議論を呼び起こそうとした千葉前法相の執行命令までを非難している。更に今回の公開によって死刑制度への議論が高まり、死刑廃止へと動くことに関しては懐疑的な意見を書いている。

しかし、その社会的背景や問題点にまでは全く踏み込まれていない。この女性記者の記事は大抵このようなものなので、それ以上期待するのが間違いだろう。日本を訪れる海外からの要人が日本の死刑制度を人道的な立場から批判しようとしてもなかなか出来ない事情ゆえか、あまりにも容易にこうした批判記事に纏めるのは感心しない。

その社会背景として、日本人の教養と教育問題があるが、それは元鳩山法相が傍証しているようであり、特に複雑な問題ではない。要するに死刑囚となる犯罪人も死刑執行を求める被害者側も同じ社会背景を持った同じような考え方の同じ穴の狢であるということである。その記事が伝えるように状況次第によっては死刑執行の停止から終身刑へと「減刑」する制度や臨機応変な対応が出来るように改良していく必要はあるだろう。

八割近い死刑制度存続を求める世論がある限りは段階的に死刑判決を削減していくしかないのだろうが、オバマ大統領の意見のように何らかの形で極刑の可能性をおいておく必要はあるだろう。それでも抑止力どころか自殺志望の凶悪犯を推奨するような強迫観念に訴えかける死刑の執行は直ぐにでも裁判の過程で死刑判決を避けるべきである。同時に疑わしきは罰せずの基本と、死刑判決の場合は素早い執行が組み合わされるのが良心的である。

一方中共は、国際的な人道的批判を牽制するためか、死刑判決への条件を厳しくして、経済犯罪犯罪などには適用しないとか、七十歳以上には適用しないとか、まるで共産党の高級役人の破廉恥犯に死刑判決が下りないような条件付けを試みている。死刑制度を含む厳罰が如何に国の権力の行使に他ならないことをそこに余りあるほど示している。



参照:
Nach zehn Minuten Hängen wird der Todfestgestellt, Petra Klonko, FAZ vom 24.08.10
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Das Beste oder gar nichts!

2010-08-26 | 雑感
メルセデス・ベンツの日本でのコピーがダス・ベステ、オーダー・ニクスと知って面白かった。何よりもドイツ語で表現しているので、何処まで日本人に分かるかどうか疑問である。しかし、メルセデスを購入するようなお客さんは高学歴のドイツ語を第二外国語にしたような社会層なのだろう。しかし、ネットでの写真はCクラスの欧州では見られない赤い色の塗装の写真なので生産地に因んだ赤色信仰があるのだろうか。

そのドイツ語も確かにベストは英語でも似ており、オーダーもオアとの関連もあり、ニクスもナッシングと連想出来るかもしれないので、上客さんであるヤクザボスにも馴染みのある言葉かもしれない。

それにしてもトヨタが、ニクス・ウンメーグリッヒとドイツ語圏でのそのコピーが成功したので、それに対抗してドイツ語をそのまま持ってきたところが面白いのである。

もちろん、ごろからすれば、ダス・ベステ・オーダー・ガー・ニクスとした方が良いのだが、どうせ日本人は目で読むから関係ないと計算済みなのだろう ― どうもネットを見ると世界戦略のようであるが。

そのコピーの内容は、実際に売る車種にかかわらず、なるほど「車を買うなら最高のものを」と拘りを見せる富裕層の市場をターゲットにしている訳で、必ずしも的外れではない。
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切れ悪い体と密接に付き合う

2010-08-26 | アウトドーア・環境
二週間ぶりに石切り場を登った。雨のためにあまり動かずに飲み食いだけしていたので 体の切れも悪く重かった。その分パワーはあったのだが、力を使い過ぎて疲れた。

特に比較的傾斜も弱い斜面が高度な技術を要求する所謂七級とか呼ばれる困難度があり、そこを登ると急斜面とは異なる疲れ方をした。特に核心部である場所は、足がかりは傾斜が弱いのでそれなりに押し付けられるのだが、手掛かりは細い岩の襞に横向き突っ張ったりしたり引っ張ったりしたりしないといけないので、上体に独特の力を働かせねばいけない。単純なパワープレーとは疲れが違う。
 
体の切れが悪いというのはそれなりに頭を使ったりして、ばたばたと勢いで体を動かすことはないので、じっくりと落ち着いて課題に挑むことが出来た。時々はこうした日があっても良いだろう。上半身はもとより、足腰にも、それどころか腹筋にも堪えている。

ラジオはテレコムのインターネットTオンラインのサーヴァーの不都合があって、全連邦的に電子メールが通じなかったと盛んに伝えていた。それで気がついていたのだが、こうした事故は今まであまり起こっていなかったことをこの報道姿勢が証明していた。

それにしても辛口の冷えたレープホルツの「ブントザントシュタイン」がその良く効いている炭酸と共に蒸して火照り気味の疲れた体に恐ろしく美味い。
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ユダヤ啓蒙主義者の社会活動

2010-08-25 | 文化一般
クリストフ・シュリンゲンジーフの話題と共に伝えられていたのが、メンデルスゾーン・バルトロディーの未知の手紙の発見である。サザビーで三十二万ユーロで落とされたのが、今まで知られていなかった作曲家の手紙のその下書きであった。

1839年9月に、ライプチッヒ市の参事に宛てられた其れには、当時世界的な名声を獲得していたゲヴァントハウスオーケストラの楽団の報酬の賃上げ要求が書かれており、同時代の作曲家本人も移動を目指していたドレスデンのそれとの給料格差が社会背景にあるようだ。

ゲヴァントハウスのそれは作曲家が1835年にカペルマイスターとして指導者になってから急速に実力を高めていたが、給与面ではオペラの座付きや教会での演奏を兼ねて生計を立てている状況で、ドレスデンのクラリネット・ファゴット・ホルンの給与が管弦楽団全体の給与に相当するというからその格差は甚だしく、ゲヴァントハウスの音楽家の仕事量は増え続けていたというから尋常ではなかった。バッハの求人活動にも見られるように帝都ドレスデンと商業振興地ライプチッヒとの経済格差は我々現代人が考える程度ではなかったのであろう。さらにそれだけでは足らずにゲヴァントハウスの楽団員は旅籠でワルツやマーチなどを毎夜の如く演奏していたというから、現在の管弦楽団の演奏者が小遣い稼ぎに余興に精を出すようなものだろう。

さて、下書きの内容は五百ターラーの賃上げの他に、逝去した高等裁判長ビュルーマーの資産二万ターラーの使い道に関して、ライプッチッヒの音楽院を作るように要請するもので、アウグスト二世への直訴にも触れられている。

今回の競に共同参加した地元の博物館においても市当局の対応の裏側の事情が解析される貴重な資料となっているに拘らず、骨董的な価値の無いものとみなされ、一般からの寄付も含めて大成功裡に獲得したと言われる。

そして、音楽院の資料室にとってこの二十八ページに及ぶ下書きは、この作曲家が優れた技能を持っていただけではなくて、教育や文化をはじめとする社会活動に尽力した啓蒙主義者であることを示す今後学術的にも貴重な文献となるとされている。



参考:
Majestät, wir brauchen ein Konservatorium, Jan Brachmann, FAZ vom 24.08.10
啓蒙されたユダヤ人と大俗物 2009-11-01 | 文化一般
ワイン三昧 四話'06年I 2006-04-03 | ワイン
我々が被った受難の二百年 2010-04-04 | 音
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最も同時代的な芸術家の死

2010-08-24 | 文化一般
ラジオに電話出演したベルリン高等芸術学校長はシュリンゲンジフのアーカイヴを提供すると話していた。生前から身近な立場にあったようで、その人柄を語る声にしばしば気持ちの高まりが綯い交ぜと成っていた。癌患者にも二通りあって、「死の宣告」を聞いて、その自らの弱みを見せまいと閉じこもる人と、そうではなくてこの若くして逝った芸術家のように公にする者との両方があると語る。

先週末のクリストフ・シュリンゲンジフの死は、週明けも毎朝のようにラジオの文化波ではその余波が伝えられていて、FAZ新聞の第一面最上部と文化欄第一面を使った弔事を含む記事でも述べられていたように、まさに死へと至る最終幕の芸術的なメッセージは連邦共和国の文化界のみならず社会に残した余韻は大きい。余韻といっても本人が述べていたように「近世の宗教改革以降のロマンティック」なそれではなくて、改めて現代の生を浮かび上がらせたといっても過言ではないだろう。

本人のBLOGの最後の投稿などにも触れられているが、それ程特別な内実を吐露したわけでもないが、流石に死の二週間前には筆を折っている。痛み止めの処置をすればそれも当然かもしれない。しかしそこまでを含めて最終章と考えておかしくは無い。まさに現実の現代の生を映し出している。本日のTAZ新聞の記事によると最後のインタヴューが存在しているとされる。

先の教授も語ったように、テロ事件の前にニューヨークのワールドトレードセンターを訪れ、自由の女神へとユダヤ人の格好をして行ったパフォーマンスなどの賛否もありながら、ヨゼフ・ボイスと比べと比較を試みている。また新聞の記事では、映像作家としての手本であったファスビンダーのような虚栄心からではなく、その人柄がややもすると受け入れがたいパフォーマンスにも拘らず人々に理解されることを強く欲していたと、その殆ど一か八かに見えるパフォーマンスの数々を解析する。

また、ニューヨークのMOMAに逸早く取り上げた理事は、シュリンゲンジーフの作品の形式を語り、その社会の彫像化を指す ― なるほどバイロイトの「パルシファル」の表現がこの十年間で最も完成した造形芸術表現の一つであったとするのは納得できる。その文章の中で1997年のカッセルでのパフォーマンスにおいて踊り子の日本女性「はなよ」が嗾けられた犬に噛まれて怪我をする騒動となり、逮捕された事件に触れて、そのパフォーマンスの事実を当局に証明する必要があったとされる。

同じ日本関連では、ゲーテインスティチュートの招待で若い文化人として東京のドイツ映画際に参加したときの聴衆と一体となったパフォーマンスの力を追想するのはそこに同席したスイスの演出家ヨッシ・ヴィーラーである。

先のアーカイヴに関連しているが、こうした一面型破りにも見え、一方一種の亜流にもみえるパフォーマンスの危うさと、その最終章まで続く成功の背景に並々ならぬ才能が隠されているとする意見もあり、同情や共感を超えた次世代へと引き継がれるであろう影響を以って、連邦共和国で最も同時代的な芸術家であったとする見解が比較的的を得ているのではないだろうか。



参照:
Aus einem ziemlich zerschnittenen Herzen, Michael Althen,
Ungeheuerliche Begabung, Christian Thielemann,
Aufs Glatteis, Klaus Biesenbach,
Der Schalk in seinen Augen, Jossi Wieler,
Das Ganze im Blick, Susanne Gaesheimer, FAZ vom 23.08.10
SCHLINGENBLOG
循環する裏返しの感興 2009-04-27 | 雑感
デューラーの兎とボイスの兎 2004-12-03 | 文化一般
なかなか死ななかった死 2010-08-22 | 文化一般
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埃と戯れてフットワークを磨く

2010-08-23 | 生活
寝室を片付けている。主に旅行関連の資料と称する束を整理しているのである。なにも特に心境の変化があった訳でも、引越しの予定がある訳でもない。寝室で過す時間が多くなったので、あまり用事の無い資料を整理しているだけである。埃の量が少しでも減るであろう。

なによりも、一回り要するに中国の干支でつまり十二年以上上の者が片付けものをしていたのを思い出した。身軽になれるというのである。そうした心境になるにはあまりにも未練やら自分自身での柵が多過ぎるのであるが、やはりフットワーク軽く、活き活きとした日常を得るためには時々リセットのような行為が必要であると感じたからである。

とは言っても過去の記憶とか想い出をきっぱりと切り取ってしまおうとするのではない。どうせ整理する資料は旅行関連のものであり、何処そこへ行って、次に再訪するときに役立てようと思ったような資料を捨てに掛かっているだけである。

なぜこれほどまでにそのようなものが溜まったかははっきりしている。登山ガイドの舟橋氏が再三使うように、記憶と記録の前者の方の整理が出来ないからである。旅行関係に限っても嘗ての欧州旅行などは一度きりのこともあるのかも知れないが手許にスマートにファイル化されてその記憶が残っている。それに比較して近隣から島国まで走り回った記録は整理がついていない。

その一つにこの情報は次回の旅行に役立つかもしれないとかの、殆ど豆腐屋の舟のようなものが沢山溜まっているのである。それに目を遣ると今やネットに最新の情報が溢れており、記憶を刺激するキーワードさえ見つかれば殆ど無価値なものだと直ぐに理解した。嘗てのように泊まった町やホテルの領収書やパンフレットは記憶を呼び出すのに必要かもしれないが、それ以外一挙に処分することが出来た。

兎に角、身を軽くして、つまりリセットしないことには資料のみならず経年変化でフットワークが重くなって仕方ない。その反面、所謂記録に属する例えば山の行程を辿れたり、地図類の貴重な資料を整理することで、そのアーカイヴが一挙に活きてくる。現行の雑誌になる前のドイツアルペン協会の古い機関紙もページを捲ってみる楽しみが出てくる。もう少し埃と戯れる必要がありそうだ。
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なかなか死ななかった死

2010-08-22 | 文化一般
クリストフ・シュリンゲンジーフが亡くなった。昨日21日土曜日にベルリンで家族に囲まれた最後であったようだ。第一報はARDの夜最後のニューで伝えられたようで、それを夜中に知った。十月に五十歳の誕生日を向える予定であった。しかし、既に五月には肺がんの転移が確認されて、ルールでの舞台仕事をキャンセルにするにあたって、引退届けが出されていた。

十月にはベルリンでのノーノのイントレランツァの上演がバレンボイム指揮での歌劇場の仮宿シラー劇場での公演が予定されていたという。それに先立ち九月には、昨年の癌闘病記に続いて、自らの集大成を綴った書物が出版される予定であった。しかし、執筆に時間が掛かったのか予定よりも遅れていて、自らによる完成を見ずに遺稿集となる予定である。

氏の芸術家としての業績の評価は未だ時を待たなければいけないが、少なくともドイツ語圏においては最も「騒動」を起した芸術家であることには異論は無く、それだけでも賞賛に値する現在の芸術家であったことには間違いない。

2008年当初に肺癌が発見されて片肺の摘出手術がなされたが、同時に限られた余命が与えられていた。周りに肺癌を宣告され手術をせずに過している人を称して、先日も「肺癌は、なかなか死なないね」と友人の外科教授と話していたのだが、そうした事象を見て、また癌患者が比較的最後まで精力的に仕事をしている様子を見て、健康と称される者よりは少なくとも集中的であっても同じような時が流れていると感じたものである。

しかし今回の場合も転移は、「若しかすると五パーセントの再発しない癌患者のアジア人の血を引くか」と期待した本人にとっても家族にとっても新たな次元となったようで、「残された時間が無い」とする悲痛な叫びを残して逝ったが、生前に語っていたように「母親をひとり残す」こと以上に病から開放されたたことが全てではなかったのだろうか。

香典は最後のプロジェクト「アフリカの歌劇場」に寄付される。



参照:
Christoph Schlingensief ist tot -
ARD/Tagesschau
ZDF/heute journal
ZeitOnline
SpiegelOnline
FAZ
知的批判無くては何も無し 2010-07-02 | マスメディア批評 
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つなぎ合わせの狐の毛皮味

2010-08-21 | ワイン
自家製のワインを頂いた。それを楽しんだ。自家製といっても、ホビーワイン農民による自らの手による栽培で、然るべき醸造所の醸造で瓶詰めされたものである。

それでも耕地場所はアインツェルラーゲと呼ばれる列記とした地所「フックスマンテル」であり、その醸造を受け持ったこれまた我々の山の仲間のご実家である醸造所「プフリュガー」はそのような地所を保持していないほどである。さらにBIOワイン指定となっているからこれまた驚きである。

斜面にあるものの比較的土壌は重く、必ずしも今年から買い受けてフォルストの醸造所「ゲオルク・モスバッハー」が醸造を開始したケーニクスヴィンゲルトと隣り合わせていて、むしろその上部に位置する。つまり本来ならばそれ以上にリースリングに向いてもおかしくないのだが、その土壌の重さから必ずしもそうではないのだろう。

そのようなわけでこれもキュヴェーとなって、今や珍しいミュラーテュルガウなだが混ぜられている。基本的には日常消費ワインには違いないが、この手のワインを専門とする醸造所によって上手に醸造されているといっても間違いではなかろう。

地元の詩人シュヴァイツァーによって、毎年新しくエチケットに能書きが書かれている。その名も「ゾルゲンブレッシャー」とは、「飲んだら、浮世の憂さも忘れ」といった按配であろうか。

正直な所飲む前はその重さからして、心配も膨らんだのだが、初日良し、二日目も良しで、最後まで飽きずに飲めたのは驚愕に価するだろう。なかなか、このレヴェルの安いワインを飲み屋などではなかなかありつけないところが、やはり自家製の強みだろうか。
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半田溶かす久しぶりの夏の夜

2010-08-20 | 
溶けた半田がなかなか溶けない。野外ではロックンロールが鳴り響いて夏を惜しんでいる。久しぶりの夏の夜である。週末から週明けにかけて、今年最後の夏を楽しめそうである。

なにも半田鏝を片手に過す心算は無かったのだが、夕飯が夜食になるほど作業をした。いろいろと修理するものもあるのだが、結局電話回線や電話を少々弄った。まさに喜劇のように五つ以上の電話に囲まれて、阿修羅のごとく手を動かすようになる。

電話は好きか嫌いかと言われれば、嘗ては長電話の電話魔のような時があったが、最近は回数は増えても長電話はどうも体力気力が保たなくなった。難聴ではないかとも思うときがあるほど、耳が塞がってしまうときがあるのである。

明日は、注文したボタン型電池が届く筈だ。これでまた手許にあるICメモリーカードと呼ばれる骨董品的な物を再利用しようと考えているのである。キャパシティーが512KBしかないので使いようは限られるが、良いアイデアはないかと考えている。

同時に古いワープロのオアシスの利用法はないかと熟慮している。ネットをみてもあまり情報は無いので可能性は限られているが、メモリーカードを使った、有名な親指入力ワープロ機能の利用ではなくて、パソコン通信のモデム経由でなにか良い使いようはないかと考える。

思い起こせば、当時ワープロではなしに初期のウインドーズを使う可能性もあったのだが、軽便性と通信兼日本語環境を整えようとして推薦されたものである。結局直に遣ってきたウインドーズ95にて苦労しながらも日本語環境も整えることが出来て、インターネット環境も一気に整ったので中途半端な買い物となってしまった。しかし、九十年代前半ではなかなか目的に適った決定的な解決法も無かったのも事実である。
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モーゼの杖が導びく環境認識

2010-08-19 | ワイン
経済新聞でもあるFAZの経済欄にドイツのワイン業界が扱われている。ルートヴィヒスハーフェン発の記事であるので、当然の事ながら取材先は定まる。

マルティン・クリストマンVDP会長の言葉で昨今の温暖化での現状を語らせる。「全くもって良い方に向っていますよ。」と八十年代までは未だ葡萄の成熟が問題となったが、その時代は過去のもので、「今や、毎年完熟して、幸福です。」と毎年のように続く良年を説明している。

「我々は北の端のワイン栽培地域なので肩の荷が下りているのですが、シチリア島なんかの厳しい状態とは正反対ですよ。」とお墨付きを得ながら、如何にドイツのワイン農家が毎年栽培技術や醸造技術で練磨してその教育程度の高さから、世界の頂点に立とうとしているかを更に分析していく。

つまりガイセンハイムのハンス・シュルツ研究所長に言わせると、「気まぐれな雨期や乾期のどちらにでも対応出来る」と、歴史的にも地中海のワイン農民が長い乾期にさえ備えれば良かった状況とは異なるドイツのそれの温暖化への対応の秀逸さを指摘する。

例えば現在の明らかに開花から何もかもが早くなった葡萄の成長の過程にも、逆に遅霜の危険性やアイスヴァインの収穫が少なくなったことにも温暖化は顕著であり、その環境の変化の中での対応でしかないのである。

同様に、スェーデンにおけるワイン栽培の広がりや、シャンパーニュ業者が土壌の似ている英国での栽培に将来をかける一方で、南の品種が北へと移植され、北向きの改良品種であったミュラー・テュルガウなどの耕地面積が激減していることにそれは表れている。もしくは葡萄の糖比重が高くなり、ドイツの白がフランスのそれのようになって来たのであるが、どうしても酸の効いたリースリングが求められるとなると、必ずしも喜んでばかりはいられないのである。

そこで、良く実った赤ワインで成功しているクニプサー氏を訪ねてインタヴューをしている。氏は接木の土台になる根っこに注目しているというのである。つまりその特性によって熟成を遅らせることが可能になるという。根っこ自体がレープラウスという害虫に弱いばかりに、北アメリカから輸入されてそこに品種を決める接木がされたドイツのワインの歴史があるのだが、今度はその根っこをいじって温暖化に耐える将来へ向けたワイン栽培を試行錯誤しているというのである。もちろんそのようなことが遣りにくかったり、さらに簡単に遣れる方法としてモーゼルなどでは北向きの支谷の斜面にワイン栽培を始めたというから、これまたおかしい。

いづれにせよ、火曜日の散歩の途中にも国道に近い、あまり人が近づかない区画でバンビのつがいが遊んでいた。こうした状況を見て感じるのはまさに、「環境」という言葉であり、その中で葡萄を栽培して収穫を待つ人々と、動植物体系が一体化した世界秩序であり、この調和感は一神教的な世界観の中でしか生まれない。まさに環境という言葉と意味の持つ本質である。その中でもプロテスタンティズムの営みこそが、モーゼの杖を握る学術文化の道しるべとして、将来の世界を築いていくことに他ならないのである。


写真:シュヴァイゲンのゾンネンシャシンにあるレープラウスの鉄の模型と樽に描かれた連鎖の図案



参照:
Sonne satt und Regengenüsse, Bernd Freytag, FAZ vom18.08.10
ジャパン・ワイン・チャレンジとドイツワイン (モーゼルだより)
ベクサーとブレットの関係 (新・緑家のリースリング日記)
八割ほどは、本当かな 2009-10-10 | ワイン
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長波ラジオの事故第一報

2010-08-19 | マスメディア批評
第一報が入ったのは、偶々つけた昼食後の長波のラジオニュースからだった。ラムブレヒトで列車事故があって怪我人が出たというのだが、十一時前に頭上をハイデルベルク方面に飛んでいったヘリコプターで重症患者が運ばれているとは思わなかった。

フランクフルトからパリへと向かったICEの脱線事故である。マンハイム・カイザースラウテルン間は、四年前のサッカーワールドカップで「侍列車」として紹介した細い谷を走る区間で、それに乗った日本人観光客の多くにも印象に残った田舎臭い場所である。

今回の事件の写真の背後に写る赤い屋根の家は馴染みのある建造物であるが、まさに接触事故を起した塵清掃車が路肩崩れで線路内に落ちた場所は昨年に歩いた細い道であった。その時も嘗て神戸電鉄の線路どころかトンネルを徒歩して岩場へと軌道を歩いたことを思い出したぐらいで、それ程に線路際の臨場感があった場所なのである。

要するに事故が起こらないのがおかしいような場所で、今回も地元民に言わせると生活道路の路肩は、雨が降ると危ない場所と知られていたと、事故原因の解明と共に起訴されるとなると責任問題が追及されるのであろう。

しかし、パリへの経路がこれで閉鎖されて、他にはシュトラスブール経由としかないと知って驚いている。TGVを高速で本格的に走らせようとしているのがあの谷であったとは知らなかった。そのような路線区間であったので、ICEも時速90KMしか出していなかったというから十四人の負傷者だけで住んだのだろう。もしあのような場所で三百キロも出ていたら、エシュディーの大量死亡事故以上の第三次になっていたに違いない。

スイスの氷河鉄道での日本人観光客の大事故もあったが、鉄道は新幹線のように独別な路線で運行していない限り安心して乗っていられない。そもそもあれだけの長さの重量のあるものが高速で走るのが危ない。脱線現場からの報告を見ると、脱線車両を持ち上げるのに鎖が危うくて、もし切れたら更に車両が壊れるので慎重に進めているというが、あれだけ壊れたものでも台車を使おうというのだろうか。いづれにしても被害総額は可也の額になるに違いない。

そのように愚図ついた天候だったので石切り場には行かなかったが、中心メンバーが事故のあった町の消防隊などに入っているだろうから誰か来ていたのだろうか。田舎の静かな村では子供たちも一生忘れられないような大事件だったに違いない。



参照:
ICE-Unfall: Staatsanwaltschaft ermittelt, FAZ vom 18.08.10
Schmale Straße wird nach ICE-Kollision gesperrt, SWR vom 18.08.10
Staatsanwaltschaft ermittelt nach ICE-Kollision, SpiegelOnline vom 18.10.10
侍列車-十三日付紙面 2006-06-16 | ワールドカップ06・10
効きが悪かったヴァイツェン 2009-05-10 | アウトドーア・環境
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