Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ミュンヘンでの期待

2020-10-08 | マスメディア批評
大分体調が戻って来た。これでコロナ2.0を克服できただろうか。連休の関係で先週は充分に走れていなかったが、月曜日で取り戻して、このままいくとご和算となりそうだ。後は天候次第である。やっと下半身に力が入るようになってきた。整腸作用が利き出したのかもしれない。

ペトレンコ指揮のCD五枚組、シュミット作交響曲四番に続いてシュテファン作「管弦楽のための音楽」である。これのハイレゾ効果は大きい。音楽的にはCDでも堪能できたのだが、192kHz再生するとその後のペトレンコ体制への移行時との音響の差がよく分かる。その点でも貴重で、そしてヴァイオリンのソロを弾いているスタブラーヴァが素晴らしい。ご本人にも会心の出来だったろう。

日本で逸早くハイレゾダウンロードした人が苦情していたチャイコフスキーの第五交響曲を次に聴く。成程と思った。スタブラーヴァ―がコンツェルトマイスターを務めていることで、ダイシンらの微細な表現は不可能である。CDで鳴らしていればそれほど気が付かない面もあるかもしれないが、ベルリンでの定期では一番苦労していた曲の一つであった。アーカイヴに残った演奏も生中継の晩は選ばれなかった。こうして編集されたものを聴いても、その後の復活祭、更に夏のツアーと改善されて行った面がまさしく一本調子に聴こえるかもしれない。この時だけはホルンにデングラーが入っていたのだが、その後はドールが受け持った。

復活祭の一晩目は第二楽章、三楽章が秀逸だったが、二晩目は第一楽章からよくなった。夏のルツェルンでは終楽章もものになっていた。この曲はバイエルンの座付楽団でもボンでも聴いていたのでその変化はよく分かる。ある意味、十年後ぐらいに再演となるとより素晴らしくなっていることが予想される演奏である。

月曜日のミュンヘンでのコンサート評が載っていいる。次期音楽監督ユロスキーの指揮でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と第二交響曲、そして新しいブレット・ディーンの曲をナチュラルホルンやトラムペットで演奏させて、協奏曲以外は立奏させて、効果を挙げたというものでアーノンクールとブーレーズの遺産を継いでいるとしている。

そして何よりもヴァイオリン独奏のツィムマーマンが先日のベルリンに続いて名演奏を繰り広げたようで、楽団と一緒になってテュティも弾くだけでなくて、その音楽的な構造へとバッハ、モーツァルトへと迫っているという事だ。先日呟いた「この独奏者は曝け出す」の意味はベルクでの全く異なる様式での独奏だったが、その「歴史的に合わせる」という事ではとても興味深い事なのである。その節はペトレンコが精妙に付けていて、どこからどこまで独奏で伴奏なのかというような野蛮な話しではなくなっていたのだが、ここでもそのことが為されていて古楽器の合わせでデリケートに鳴り、一方でここでツィムマーマンが世界最高のヴァイオリニストとされているのでその出来の良さと、今後への期待がとても想像できる。

来週からの「ヴォツェック」の再演のお知らせもあったが、券が売れ残っている。そして本人の最新のインタヴューでこの作品とも深い繋がりと同時に、カルロス・クライバーがエーリッヒが振ったこの劇場での指揮を誇りに思うとして、それを穢さない指揮をしたいとしている。そこで語られたようにザルツブルクでの指揮やその放送中止更に商品化は知っていたが、アスミク・グリゴーリアンの名前が出てきて吃驚した。全く気が付いていなかった。本当にその公演が良かったのかどうかは新聞評を読んでも分からなかった。ネットで少し覗いてみようと思う。
Alban Berg, Wozzeck, M. Goerne, V. Jurowski, W. Kentridge (Teaser)




参照:
Aufstand, Reinhard J. Brembeck, SZ vom 6.10.2020
天使が下りてくる 2020-09-21 | 文化一般
間隔のある受け渡し 2020-09-19 | 音
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