Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2015年10月

2015-10-31 | Weblog-Index


このところの外交関係 2015-10-30 | 生活
窓拭き終わり暖かくなった 2015-10-29 | 生活
複数端末のサンダーバード 2015-10-28 | テクニック
デキャンテ―ションしようよ 2015-10-27 | 試飲百景
夏時間の終わりの気持ち 2015-10-26 | アウトドーア・環境
祭神現れ皆頭を垂れ 2015-10-25 | 雑感
未知との遭遇の恐怖 2015-10-24 | 雑感
ダールマイルのフィレ肉 2015-10-23 | 料理
ペトレンコ教授のナクソス島 2015-10-22 | 音
金を落とす場所はどこだ 2015-10-21 | アウトドーア・環境
経済的、時間的節約の時 2015-10-19 | 生活
パリ、バーデンバーデン楽旅 2015-10-18 | 文化一般
知的で刺激的なバロック音楽 2015-10-17 | 文化一般
初めてで破れたリュック 2015-10-16 | アウトドーア・環境 TB0,COM2
スキャンダラスでないお話し 2015-10-15 | マスメディア批評
ルツェルンからのお知らせ 2015-10-14 | 雑感
ドーパミンを補うように 2015-10-13 | アウトドーア・環境
落ち葉踏まずに落穂拾い 2015-10-12 | 生活
鉛筆への文化的な熱い想い 2015-10-11 | 文化一般
まるで鉛のような鈍腕さ 2015-10-10 | 音
行ってみようよTTIP DEMO 2015-10-09 | マスメディア批評
今明かされる保管金の総量 2015-10-08 | 歴史・時事
ミュンヘンからのお便り 2015-10-07 | 生活
保守系経済高級新聞から 2015-10-06 | マスメディア批評
短くも長い時の流れ 2015-10-05 | 文化一般
シュプレッヒコールの響き 2015-10-04 | 音
ドイツ統一に集うところ 2015-10-03 | 暦 TB0,COM3
星屑の詰め合わせを追加 2015-10-02 | ワイン
はじめてのぺこぺこ 2015-10-01 | 雑感
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このところの外交関係

2015-10-30 | 生活
天皇誕生日会の招待状が来ていた。安倍政権への反政府を代表とする明仁天皇への催しで、丸山研究家で先だても世界中の日本学者が共同して出した声明文に名前を連ねるザイフェルト教授の講演があるので出席を考えたが、日本国ミュンヘン領事も参加するので断念する。安倍政権下の外交官と同席するわけにはいかない。もちろんザイフェルト教授はチクチク刺のある上手な話をするだろうが、私には其のような素養も能力もない。

車中のラディオはメルケル首相が三十人の経済人を連れての北京訪問での成功が報道されていた。特にエアバスの契約は決して小さくはないだろう。先日はヴェトナムに訪問していたが、新聞が書くようにアジアにおいても重点はシナにあることは誰も否定することはできないのだ。

シナといえば先日ベルリン在住の艾未未が求めていた作品に使う材料の供給をロゴ社が政治性を理由に拒否した。シナの市場を考えれば仕方がないのかもしれない。そして、それを補おうと皆がロゴを集めて支援するという話題もラディオで流れていた。

先日地元出身の元外交官と出会った。パリに住んでいて、地元の土地のことで役所との話に帰ってきているらしい。ベルリンにも住居があるようだ。日本との仕事の経験もあると話していた。面白いのは、地元民としてツ・グッテンベルク家やシュタウフェンブルク家とのつながりを話していた。特に指揮者のエーノッフは同級生らしく、ワインを飲みに歩いたという。

同級生として、次の総理大臣候補と目され博士論文盗作から失脚したこの家族の知能程度を認識していて、それにはあまり期待していなかった様子が垣間見られた。外交官らしい冷徹な観察なのだろう。なるほど環境保護団体BUNDの創始者から風車批判を強めてそこから脱退した親父の指揮者も古い家柄の知的に冴えない面をコムプレックスとしているようだが、息子の政治家も無理して博士号を取らなければいけなかった理由も其のあたりにありそうだ。農民出身のSPD執行部の女性政治家が博士号を求めるのとはもうひとつ違う次元での悲哀がある。

明後日辺りからまた天気が良くなり冷えてくるようだ。できるだけ太陽にあたりながら、抜かりなく冬ごもりへとまたスムーズに移行したいものである。



参照:
日本無力化への道程 2013-11-30 | 歴史・時事
「ドイツ問題」の追憶の日々 2009-04-13 | 歴史・時事
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窓拭き終わり暖かくなった

2015-10-29 | 生活
日が短くなって、催し物が増えてくる季節である。そして暖かくなってきた。それでも洗濯物が乾きにくい。冬タイヤへの移行は11月中旬に予定しているので、それまでは雪が降らないようなので安心だ。それは例年通りなのだが、今年はワイン街道でも早く初雪が囁かれたので、多くの人が急いで冬タイヤへと履き替えた。ここまでは私の判断が功を奏した。

冬篭りの準備万端整い、窓拭きも終わった。そして、昨日CDに焼いた今年の「ヴァルキューレ」などを流していると、まるで暮れが迫った日本の大掃除を思い起こす。NHKの中継録音放送の暦の影響だが、日本ではそうだったのだ。関西などだと気温も似ているときがあるが、今日この頃の摂氏二ケタ台を優に超えるようになると、それよりも暖かい。それでも陽射しはそれより大分暗いだろう。

室内気温も上がって、全く暖房が必要なくなると陽射しが薄くとも、屋根裏に篭らないでも仕事が出来る。冬の間も年が明けてからは室内へと深く射し込む陽射しを浴びるのが気持ち良いのだが、今年のようなのは想定外で、暖房を入れないならば屋根裏部屋よりも出来るだけ広いところで過ごしたい。

ハイデルベルクに作家のラウル・シュロートがやってくるようだが、予定していなかった。前回はイリアスの新著に合わせてマンハイムの出かけたのだった。数年前のことだ。マンハイムでは今ナチュオナルテアターで演っているヘンツェ作曲「ボレーアデ」をFAZのおばさんが絶賛して話題になっているが、マンハイムには芝居で十分で歌はいらない。同じようにグリンカの歌劇が絶賛されているフランクフルトでの三島由紀夫の歌劇作品は良かったが、マンハイムの大柄な管弦楽団が丁寧な演奏が出来るとは思わないのである。

兎に角、オペラはミュンヘンに通って、バーデン・バーデンで年に一度体験するとなると、そもそも歌劇場には、マンハイムの経験で特に音楽的な質や程度に失望したので、習慣的に通うことは今後とも無いだろう。それは大管弦楽団なども同じで定期会員になるような可能性は殆ど無い。

試しがてらに、レープホルツ醸造所のフォム・ブントザントシュタインを開けてみた。若すぎることは分かっていたが、煮豚と一緒に飲んでいるととんでもなく美味かった。2014年物で感じた可能性を押し進めた。なるほどまだまだ味も素っ気も無いようなのだが、一瞬表れるライム香や客家が、とても面白熟成を予感させる。2012年のそれが先日もはや下り坂にあったのとは反対にゆっくり熟成していく年度だろう。現時点では酵母臭のようなものがあるのだが、熟成の時には分からないだろう。

それにしてもバイロイト祝祭劇場の実況録音はバイエルン放送協会だけでも長い歴史があって、完全にノウハウとして出来上がってしまっているのを感じる。マイクロフォンの数は分からないが、その違和感の無い空間音と直接音のミキシングが絶妙だ。位相の電気的な処理以前にマイクロフォンのセッティングなどで可也詰め切っているのだろう。ヴァルキューレ演奏に関しては、歌手云々の評価を超えて、この年は完全に出来上がっていて、前年までここが谷だと言われていたのが嘘のように圧倒的な出来上がりになっている。

因みに今回全曲を拍手込みでたったCD三枚に焼き付けた。問題は二幕で、86分ほどなのでどうして切らなければいけない。編集ソフトアウディティーで見ると音量の小さなところで、運命の動機が流れた後の休止で綺麗に切れた。二幕最後の十分ほどに続いて、三幕を焼き付けた。DACを使って、4サンプリング周波数48000Hzで再生すると更に鮮度の高い再生音になるのだろう。



参照:
イリアスの発想の転換 2009-05-03 | 文学・思想
多極性文化土壌を求めて 2008-09-23 | 文学・思想
想像力を働かせろ! [ 文学・思想 ] / 2008-07-07
創作の時をなぞる面白み 2015-08-11 | 音
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複数端末のサンダーバード

2015-10-28 | テクニック
週末に電子メーラーの調整を終えた。冬ごもりに使うためである。サンダーバードを使うようになってからしばらく経つが、使いこなすには時間が必要だった。特に、やりたかったいくつもの端末機の間で同じように電子メーラーをシンクロさせるのはいかにも面倒そうだったので、時間がある時を待っていた。

結果からすると、外付けのSMBサーヴァーにフォルダを作ってそこにアーカイヴするような使い方は出来なかったが、LAN内のワークステーションの中のフォルダには何らかのシステムを上げておけば、違う端末であるNOTEBOOKなどから同じようにアーカイヴできる。勿論アーカーヴとはこの場合ネットからメールを落とすということで、NOTEBOOKで落としてもワークステーションで落としても全く変わらないということである。その為には使用するフォルダをワークステーションの場所に指定すればよいが、上手に設定しておかないとシンクロどころか通常のPOPやIMAPアカウントなども使えなくなる。色々と試行錯誤するのに予想通り時間が掛かった。序にNOTEBOOKでYAHOOメールなども落とせるようにしておいた。なるほど評判通りサンダーバードの機能性は高いが複雑に使いこなすには時間が掛かる。確認のために書いておくが、各種の端末においてそのOSには関係なく同一のアーカイヴが使えるのだ。少なくともWINDOWSとLINUXの間では問題がない。

もう一つ解決しなければいけなかったのは、WIN10アップグレードに纏わるGWXというのが邪魔をして、なかなか消去できなかったことだ。これにはとことん腹が立った。アップグレードをしないと決断した後に、何度もこれが出てくるのだから消去するために時間を掛けた。つまり簡単に消去できないスパムソフトなのである。今でもこれが再インストールされないように、Windows Update KB3035583を注意している。先ずは自動アップデートを手動に切り替えなければいけなかった。ネットで調べれば消去する方法が見つかるが、マイクロソフトがこれを悪質ソフトに認定しないのがおかしい。

要するになにが何でもWIN10へとアップロードさせる方針で、これが公正な取引に関する法律に抵触しなかった理由は分からない。なるほど連邦共和国の消費者保護センターがWIN10アップデートに注意を呼びかけた意味が理解できる。悪質なメーカーのソフトは金輪際使いたくないのだが、今でもLINUXに比較すると明らかにマルティメディアにおいては有利であり、完全廃棄にまでは当分至りそうに無いのである。



参照:
初めての蕁麻疹らしき 2015-08-05 | アウトドーア・環境
体温よりも低いアルゴリズム 2015-07-08 | アウトドーア・環境
天皇の「悔恨」の意を酌む 2015-08-16 | 歴史・時事
ただほどたかいものはなし 2015-08-01 | テクニック
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デキャンテ―ションしようよ

2015-10-27 | 試飲百景
午後には試飲会に出かけた。今年最後になるだろうか。ミュラーカトワール醸造所である。前日にネットを覗くと、ここでけなすことばかりの英国人ピゴ・シュテュワートが書いてあるものが目に入った。どうせくだらないことを書いているのだろうと思うと、春に試飲していて、私と殆ど同等の感想が綴ってあった。要するに、ビュルガーガルテン、ヘーレンレッテンなどに見る2014年産の出来はドイツで注目されるに当たるということだ。

特に上手に表現していたのはヨード味のビュルガーガルテンのミネラルの表現と飲み頃に関する記述で、私と同じように熟成を期待する旨の言及である。これは我が意を得たりだったので、直接其のことなどをマイスターに話してみた。写真まで写されて、取材はされていたわけだが、BLOGに書いてあることを読んでいたかどうかは確認できなかったが、どうもやはり専門家はこの英国人の評価をあまり信用していないような印象を受けた。これもわたしと同じで、この物書きがまともなことを書いていることは殆ど無いからだ。

そして、飲み頃や熟成に関しては若干異なる感じをマイスター自体は持っているのを感じた。先ずはっきりしていることは、必ずしもこのリースリングが開いているが、更に開いていくという意識は持っていないようだった。

実際に、ビュルガーガルテンのこれとグローセスゲヴェックスの「イムブロイメル」を比較した時に、やはり後者のミネラルや酸や香りなどは明らかに鮮やかだ。そしてアルコールの13%がとても軽く感じる。これを本人に話すともともと比重の高いリースリングは過去のものだとなるのだが、個人的にはこの軽やかさこそがここのリースリングに求められたものだ。理由はビュルガーガルテンの土壌自体が重いからである。

そして2014年はプファルツのみならずナーヘやザール、ラインガウなどどこも果実風味よりもミネラルの年度であったことになる。つまり、リースリング通にはうけるのだが、大衆にはあまり美味しいとは思われないかもしれない。2013年も明らかにハーブ香や香味の年であった。なるほど2014年の方はボディー感があるので本格的なリースリングとなるが、2013年のような香りには乏しい。

それ故に我々は瓶熟成すると開いてくると期待しているのだ。若干鼻をつまんだ感じのリースリングであるが、これで終わるはずがないというのが愛好家の気持ちである。今回の試飲で確認したかったこともそこにあって、同時にご進物用のものを頼まれたので見ず知らずの人にも勧められるものかどうかが課題であった。

グローセスゲヴェックスは予想外に繊細で、これで決まったと思ったが、顧客さんの各々に聞くと、やはりビュルガーガルテンに人気があった。酸が静かで落ち着ている分、酸が前面に出るヘッレンレッテンの方に軍配を上げる向きもあった。しかし個人的には深みと落ち着きがここのリースリング土壌の特徴であり、18ユーロとなるとキードリィヒャーやフォムブントザントシュタインなどの二年かけた瓶熟成の方を取る。酸が丸くなっていくだけの熟成はいただけないのである。

そして最終的には、予定通りグローセスゲヴェックスをご進物にした。決め手は皆がまだ飲み頃ではないというからだ。その中には、ビュルガーガルテンを新鮮なときに飲み干すという人もいたので、要するにミネラルとかそうしたものに無頓着な顧客も交じっている。つまりご進物で貰った人がリースリング通ならば飲み頃を考えるか、マイスターが言うように「試してみるのもよいだろう」ということになる。そして、早くクリスマスにでも開けようとするとするならば、マイスターのお勧めで「デキャンテーション」させるように言づけるのだ ― ナーヘのデンオッフ醸造所のようにクリスマスに飲めるというような早飲みのグローセスゲヴェックスはプファルツにはなかなかないだろう。2014年者は木樽は使っていないようだが、これだけでリースリングのグローセスゲヴェックスに対する意識が誰にでも生じる筈だ。VDP会長自称スポークスマンとしてはこれで満足である。グローセスゲヴェックスを自分用と合わせて八本、ブリュガーガルテンを四本追加購入した。



参照:
還元法は十五年も前のこと 2015-05-06 | 試飲百景
石橋を叩いての樽試飲 2015-06-08 | 試飲百景
猛暑が予想される今日この頃 2015-07-01 | 暦
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夏時間の終わりの気持ち

2015-10-26 | アウトドーア・環境
今週はどれぐらい走ったか?日曜日に峠を走った後は、火曜日に短い距離を走って、木曜日に峠、土曜日に短く、そして冬時間に戻っての最初の走りは沢沿い往復となった。パン屋も日曜日はこれが最後である。一時間の時差で、七時半過ぎに行くと既に行列していた。この日ばかりは皆簡単に起床できる。途上のラディオは、夏時間導入でエコ効果が期待できるかどうかは議論が絶えないと伝えていたが、そもそもそのような目的があったのかと思うぐらいである。全くディーゼルエンジンを喜んで乗る人の気持ちと同じである。誰もそのようなことを考えてはいない。要は倹約に尽きる。

ボッシュ社の社長が語っている。2017年から導入されるとか言われているユーロの実態計測値規制を年内には纏めてほしい、研究開発の時間が足りなくなるからだ。先日もディーゼルエンジニアに訊くと走行中の検査は全く技術的に問題がないということだった。ガス検出に関しては堀場社の計測器ともう一つ合わせて二種類が代表的なようだが、問題はその走行時間や走行方法などの基準作りのようである。最終的にはメーカー側の技術力とその達成可能目標に合わせて基準作りをすることには違いない。そこを確りと押さえておかないとレギュレーション問題は語れない。そして検査する側が何時間もの走行試験は出来ないのだから、ある程度熟せるだけの試験内容でなければ登録許可を出す側の問題となってくる。勿論実測計測とその規制となると、日本のハイブリット車などの燃費表示も二割方性能が悪くなる。

そしてボッシュの社長に言わせると、現在のドイツのエネルギーミックスでは電気自動車ではCO2排出基準を満たすことが不可能で、やはりディーゼルの進歩にすがるしかないというのである。これは、如何にエネルギー消費を抑えて必要な仕事をさせるかということでは技術的に正しいことだろう。少なくとも水素エンジンが営業化しない限りはこの状況は変わらない。水素に関してはその液体化のエネルギー問題がある訳だが、NOxや排出規制を考慮すれば水素自動車しか将来性はないということになる。電気自動車のテスラの株が下がり、ドイツの自動車産業が手を引いた背景にはこうした技術的な事情があるのだろう。CO2排出規制とその温暖化問題の関係を科学的に信用する人はいなくとも、政治的な判断として総排出量を制限していく考え方として最も有効な方法であることも間違いなさそうである。

東京ではトルコ人とクルド人が六百人乱闘を繰り広げたとある。この手の事件ではトルコに続いて第二の修羅場となったのは連邦共和国で、夫々の対決はオツェランの率いるPKK活動で外国人嫌悪へとドイツ人を駆り立てた闘争となったからだ。今回の選挙の問題でも連邦共和国内での対立関係に関して関心が注がれた。しかし実際には双方とも二世三世世代へと世代交代が進んでおり、本国とは異なるアイデンティティーを以て比較的良好な関係が保たれているということらしい。ドイツのイスタンブールと呼ばれるマンハイム市内においても数十メートルの距離を置いてトルコ人の集まる食事処とクルドの集まる店が並んでいる。嘗ては最も危険なPKKだったが、今やISなどの方が危険な対象となっていて隔世の感がある。

冬時間になろうとするときから明らかに暖かくなった。土曜日は久しぶりに陽射しが気持ちよかった。期待していたような乾いた陽射しの輝く十月はなかったが、沢沿いの紅葉は黄色く美しかった。もう二三日天気が良くなれば紅葉の写真を撮れるかもしれない。



参照:
スキャンダラスでないお話し 2015-10-15 | マスメディア批評
ラインガウへの途上で 2015-09-27 | 試飲百景
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祭神現れ皆頭を垂れ

2015-10-25 | 雑感
クリストマンVDP会長に出会った。先日オェールベルク2009年ものを開けたクリストマン醸造所のオーナーだ。いつもの肉屋でのことだ。最近はご無沙汰しているのだが、「まだまだ新鮮だった」というと「いいだろう」と喜んでいた。最近は本格的なピノノワールはゼーガー醸造所か、フランスのスーパーものになってしまっているが、良い年度は再びドイツのシュペートブルグンダーを買いたい。ただし十年に二度あるかどうかなのが問題だ。

新聞を読んでいると、ローマ法王の脳腫瘍の医者福島氏が、イタリアの新聞で金にものを言わせて患者の順番を決めると批判されているそうだ。最近は日本でもフェアーな医療とは、どういうものかとの議論が多いらしい。フクシマ禍の年少の甲状腺がんの多発で過剰診断医療が問題になってきている ― 勿論、最新論文で明らかになったように、広範囲に多くの若い日本人が疾患に苦しむことになる。最終的な結論は簡単だろう。死亡率を見れば、がん検査が其の価値があるかどうかがわかる。それも五年生存率ではなくて最終的な寿命を見ればわかる。いろいろな専門医など友人の話を総合すると、医療は最終的には経済行為なので金に余裕があれば医療を受け、無ければ健康維持を心がけるだけであろう。国民皆保険は悪くはないのかもしれないが、主に社会保障として社会の弱者に対して施すもので、年金などと同じように自由化すべきものだろう。要するに、フェアーな医療とは同じ治療を皆が同じように受けるようなことでは決してなくて、業者や許認可権を持った官僚組織を肥やすような保険や医療行為を一切断念することに尽きる。

金曜日のミュンヘンからの中継は酷かった。まともにストリーミングできなかった。理由はわからないが、放送局の責任のある中継ではなく、劇場が無料で世界中に流しているだけで、これに文句を言う人はいないからだ。録音や画像などはかなりの高品質であることは確認できたが、抑えた状態でもまともにストリーミングができないほど、好きなように高品質で制作している感じだった。完全にストリーミングのサーヴァーの限界を超えているのだろう。一体なんの目的で流しているのかわからないが、穿った見方をすれば、一つには記録を残しておくことと、販促のような目的を兼ねているのだろう。前者は以前小さなレーベルが商品化していたものがあったが、DVDは現状ではなかなか商品化も難しいだろう。後者は、これで十分見たければ劇場に来いということだろうが、あの視角で見ようと思えば、かなりの高額券を購入しなければならない。

それでも立ち見席からはわからなかった舞台は見れた。最も印象に残ったのは始まる前のバレー練習情景での音楽にエーデルヴァイスの歌が流れていたことで、流石に生では音を絞っていて聞こえなかった。これはハリウッドのエンターティメントを自覚させるそのものなのだが、実際の第二部オペラの情景ではもう一つ十分にそのパロディー精神が活きていなかった ― いつかのザルツブルクでの「バラの騎士」の宝塚のレヴューのパロディーの方が分かりやすかったが、鏡を使っているのも同じだった。

偶々、クリスマス前に再演を体験する前任者ケント・ナガノ時代の「神々の黄昏」の最終景をYOUTUBEでみたが、其の音楽がまるで幼稚園のままごとの音楽のようだった。ケント・ナガノはオペラにおいては小沢などとは比較にならない経験と成功を修めていて、その指揮は多くのヴァークナーを含むオペラや演奏を生で体験しており、CDも比較的多く所持しているがこれほどまでに杜撰な演奏をしているとは思わなかった。なるほどミュンヘンでは十分な成功が得られなかった筈だ。ああした大曲のフィナーレで十分に副次的な楽想迄コントロールできていない理由を考えさせられる。管弦楽団の実力は変わらないわけだが、やはり手際よい練習のためには後任のペトレンコのように練習場に来た時には全て決まっていないと与えられた時間で練習できないということに尽きるのだろう。要するに譜面を読む能力の差異ということになる。稀有の祭神否才人が現れると皆頭を垂れ、沈黙するしかなくなるということらしい。



参照:
ペトレンコ教授のナクソス島 2015-10-22 | 音
ダールマイルのフィレ肉 2015-10-23 | 料理
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未知との遭遇の恐怖

2015-10-24 | 雑感
とてもおかしな夢を見た。宇宙人との遭遇だった。見た目は人類と変わらないのだが、適当な距離を置きながら近づいて行く過程と、最終的には破局を迎えるまでの夢だった。具体的には我々人類と陣地にやってきた宇宙人の女性との話し合いが和気あいあいと進み、それではと宇宙人側から男が出てきた。そこで我々側の机に座っていた右端にいた男の右手に持っていた説明のための指し棒が、宇宙人女性の目の端に触れたかと思うと、そこから破局が始まった。宇宙人の女が少し顔色を変えたかと思うや否か、直ぐに攻撃のスイッチが入った。我々の陣地は防衛のために簡単には外へと逃げられない、宇宙人の暴力になすすべもなくどんどんと人類は惨殺されて行った。

一体どこからこんな物語が出て来るのか。昨今の異性人との遭遇の可能性の高まり感や、恐らくイスラム国などの異文化との遭遇、もう一つは憲法九条そして自己防衛圏の問題で、既に日本などの一国では到底全面戦争には堪えられない軍事力の不均衡などの情報が背後にあったのだろう。

新聞に難民問題の連邦共和国の意識調査の結果が出ていた。五割を超える過半数が難民の量的な問題を感じているが、その中でも左派党の支持者がAfDの支持者に続いて最も難民増加を危惧していて、上限を設ける必要性を感じている。AfDはぺギタ運動の中核にあって当然であるが、東ドイツを中心とする左翼支持者が未知との遭遇に最も恐れているのも当然であろう。

車中の文化波ラディオニュースは、週末から難民の強制退去の空輸が始めることを報じていた。緑の党のバーデンヴュルテムベルク州からは、カールツルーヘやバーデン・バーデンの飛行場からチャーター機などで送り返されるのだが、量が足りないので空軍も輸送の任務に当たるようだ。いわゆる経済難民と呼ばれるような人たちを大々的に強制送還することで流れにブレーキをかけると同時に、法治的な姿勢を示すことで連邦国内の不信感を拭う効果が期待できる。

先ほどの連邦政府議会では、与党SPDの一部100名ほどが法案採決に反対した。テレコムなどの私的データー保存に関する法律に反対したものだ。大連立与党であるから、討議拘束せずに自由な採決だったのだろうが、こうして個人の政治家が自主の姿勢を示すことは重要である。この辺りにも政党政治の問題点や解決方法がある。

先日購入したCD四種の中の二種類がライヴ録音だった。殆ど騙された思いだが、それはそれなりに面白かった。理由は、デジタル録音とその編集作業の技術から、作られたライヴ録音が技術的に試された時期があったようだからである。

特にバーンスタイン指揮のニューヨークの管弦楽団の演奏はやはり可成り質が高い感じだ。そもそも制作録音でもこの組み合わせのものはがさがさした印象が多いのだが、この1987年88年のライヴ録音で編集が上手く行っているのか、とても印象が良い。音質も雑音が少なく、細部までマルティマイクロフォンで綺麗に録れている。

もう一つのライヴものである家庭交響曲の録音の方も、こちらはヴィーナーフィルハーモニカ―だが、少なくとも複数回の演奏会とリハーサルの音源が使われているのだろうが、雑音がエラーが切り取られて、挿入編集されているだけでなくて、細かなところも配慮されてその後に演奏されているようで、ある程度演奏上の修正が効いているようだ。面白いことに制作録音の方が横着なままのテークがとられていて、寧ろ粗さも目立っている。こちらの方は価格が高過ぎるが、安ければあまり文句はない出来だろう。

ネットの解析にバーデン・バーデンの祝祭劇場の座席に関するキーワードがあった。良い座席はどこかと質問されたとしたらどう答えるか?基本的には近代的なホールなので大きさの割にはどこも悪くはない。特に正面は遠くなければかなり良い。平土間も反射音との釣り合いが問題になるだけで、サイドも視覚だけで最前列は全然悪くないのだ。ミュンヘンなどの古い劇場に通うようになると雲泥の差であり、またアルテオパーと比較しても広い割に直接音がよく通る。

音響と言えばもう一つのCDのサンフランシスコの交響楽団の演奏は全然悪くはないのだが、どうも会場が上野の文化会館のように低音の減衰が不自然なようで、この交響楽団の響きを決めてしまっているようだ。小澤の新世界交響曲の録音を思い出した。ボストンでのラフマニノフの録音を比較すると、会場の音響が与える交響楽団への影響は大きい。

ヴェルディ「アイーダ」の録音は予想を超える芸術的な成果のようだ。「マクベス」、「シモンボッカネグラ」と並ぶ制作のようだが、なぜそれらと比べて評価があまり高くないのかを確かめたい。少し流しただけでも、ミュージカル化されるようなこのオペラのエンターテイメント性で落ちてしまっている芸術的な美が追及されている。その美意識にこそ先ごろ亡くなったこの指揮者の真骨頂があったのは間違いない。それにしてもこのデットなスタディオでよくもストライキも無く座付管弦楽団をここまでしごいたものだ。



参照:
落ち葉踏まずに落穂拾い 2015-10-12 | 生活
スキャンダラスでないお話し 2015-10-15 | マスメディア批評
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ダールマイルのフィレ肉

2015-10-23 | 料理
ダールマイルのカフェーで昼食にする予定だった。それが出来なかったのは、16時過ぎから貸し切りになっていたからだ。事故渋滞が無くて15時前に入っていたなら状況は変わっただろう。そこで昼食をしようと思ったのは、デリカテッセンで購入するものも悪くはなく、音楽会などの前にはアルコールを飲まないので、軽く気が利いたものが欲しいからである。劇場内で食事にすると腹を膨らますとなると金が掛かってしまう。そこでレストランにはいかないまでもとなる。

自宅でメニューなどを調べていたが、結局はケーキとポットコヒーだけだった。観光客の多い店であり、日本語も聞こえていたが、カフェーらしさは十分で、朝食のケーキに続いて、ここでもトルテとなった。コーヒー自体は、ここのプロドーモよりも酸味の多いモカ系のものだった。そして山道具屋から戻って来て、夜食と週末のための買い物のために再び立ち寄ると、バーに並んでいる人が案内されていたので、そこに行った。一人分であるから直ぐにバーが空いて、メニューを見る。

最初に並んでいるのがキャヴィア―で300ユーロとか500ユーロとか目に入る。幾ら軽食でもこれでは腹が膨れないし、金も無い。そこで一番安いイタリアン前菜にした。三段重ねで、貝やイカ類にアンチョビなど真ん中にはハムなど珍味が並んでいるが、シャンパーヌを飲めないので水を二本とる。常連らしき人はみな生牡蠣二つづつぐらい食べている。季節である。〆て20ユーロに2ユーロのチップで丁度良い量だった。

そのまま店内を見回るが、結局昨年と一緒で、購入したのは同じようなものだった。但し昨年と違うのがフィレを使った包みもので、ステーキ大の大きさだったがスライスして貰って、帰宅後の夜食と翌日の二度に分けて食せた。夜食はザールのリースリングで、翌日はピノノワールを合わせた。

2009年産からゲオルク・モスバッハ―醸造所かクリストマン醸造所かのどちらにしようかと考えたが、オエェールベルクを選んだ。飲み頃で、酸味も効いているが、チェリー味などドイツのシュペートブルグンダー風のもので、最近飲みなれているブルゴーニュ風のものとは大分異なる。それでもこの食事にはそれなりの相性があった。ミュンヘンの王室の味の指向は大体こうした傾向なのだと最近分かってきている。ヴィーンともまた違うのだ。



参照:
香り豊かな記念撮影など 2014-12-21 | 文化一般
二晩続けの寝不足で昼寝 2013-02-10 | 生活
経済的、時間的節約の時 2015-10-19 | 生活
古の文化の深みと味わい 2014-12-24 | 文化一般
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ペトレンコ教授のナクソス島

2015-10-22 | 
リヒャルト・シュトラウス作「ナクソス島のアリアドネ」の再演をキリル・ペトレンコ指揮で聞いた ― このプロジェクトは前任者ケント・ナガノの時のものらしい。今回も立見席なので舞台の半分以上は見えていない。だから演出に関しては金曜日のライヴストリーミングを見なければ分からない。そして、第二部のオペラのクライマックスでは隣の隣の婆さんが倒れたので重要なところを聞き逃している ― 高齢者は、休憩無しの二時間半だったが、立見はやめた方が良い。

この公演は友の会が協賛しているようで、公演前にはパーティーが開かれていて、招待された嘗ての名歌手陣と集っていたようだ。ブリギッテ・ファスベンダー、エディット・マティス、そしてアリアドネ録音のレリ・グリスト、ヒルデガルト・ヒレブレヒトなどである。終演後に二ダースの歌手陣がアウトグラム会を開いた。

帰路の車中、バイエルン放送局クラシックが七月に亡くなったジャズピアニスト菊地雅章の追悼番組をやっていた。恥ずかしながらほとんど知らない名前だった ― 共演のゲイリー・ピーコックらの名前に、私の意識ではこの日本人の名前がマスキングされてしまっていたようだ。彼の二つのアルバム、トスカを含むプッチーニ讃とクルト・ヴァイルの作品をベースにした作品が紹介されていた。

歌劇場の今回のパリ公演に関して、劇場支配人は仕事を語っていた。それは丁度この歌劇のプロローグにあるような「劇場現実」を絡めて、如何に芸術とエンターティメント、要するにドイツ語で言うところのERNSTとUNTERHALTUNGの狭間でプロジェクトを成功させていくかの苦労を語っている。EとUを対立させるにせよ、それらを抱合してしまうにせよ、それは、特に国立の歌劇場が社会との繋がりにおいて、最も重要な芸術的な課題であることには間違いない。

この歌劇の第二部はその通り劇中劇なのだ。それならばその前のプロローグと題する第一部は一体なになのか?それを上の友の会の人たち集いのような世界での楽屋落ちとしてしまうだけでよいのか?そしてそのような作品を創作した作曲家の著作権こそがつい先程まで極東日本の裁判所で争われ、そして生前中に最も稼いだのがこの作曲家であり、その作品だったのだ。

それでもこの作曲家がここで可成り真面目に取り組んだことは、エンターティメントとしてのその管弦楽法だけではなく、「言葉が先か音楽が先か」の何百年にも及ぶ芸術論争の解決であり、まさしくその答えとしてのこのプロローグではなかろうか。それに美しい回答を与えたのが今回のプロローグの演奏実践であった。先日ここでも述べていたように、とても解決の難しい部分がこの楽譜にあって、それをどのように解決してくれるかがとても楽しみだった。

パリでこのプロローグばかりを練習していたように、指揮者はここでもとても厳密な譜読みをしていた。それは、なるほど最後の拍でクラリネットが響くとか、ファゴットが残るとか、またホルンの名人芸の一くさりなどの鮮やかさはあっても、基本は室内楽的な精妙さと、歌詞そして台詞との「間の取り方」が、この楽譜の問題の解決である。またまた、この稀有な芸術家ペトレンコに教えられる想定外の回答だった。丁度、指揮者の左手だけが見えて、右のタクトが見えない位置に立っていたので、余計にソリスツへのキューが目に付いた。

指揮者としての大先輩でもある作曲家シュトラウスこそは鳴り響く音をそのまま楽譜にできた人物であり、その楽譜が読めるのがこの後輩の指揮者ペトレンコであろう。歌詞や台詞が入れ替わる時の驚くほどのアゴーギクなどの解決策は全て楽譜に細かく書かれているものなのだ。

本当に楽譜が読める指揮者はあまりいないということをシュトラウスを得意にしている指揮者ティーレマンが馬鹿正直に語っているのを思い出す。「ニーベルンゲンの指輪などの大作は、楽譜を勉強しても、何度も指揮しないと分からない」と、いかにもドイツ人的な素直さで語るその人物像はとても好ましいが、芸術家にはなによりも高い知能が要求される。楽譜を正確に読み取る能力は、身体的な音楽的能力以前の土台となるその職人的な技能そのものであるということである。

その一部に比較すると、パリで共演したヨーナス・カウフマンの指す管弦楽との掛け合いは、劇中劇の舞台と奈落の間では十分にはなされていなかった。理由は簡単で、一つは芝居をしなければいけない歌手に合わせる難しさと、その物理的な距離感に、そしてもしかするとその役を担ったペーター・ザイフェルトのカウフマンとは異なる瞬発力の無さなのかもしれない。そしてなによりも、この二部自体はやはり微妙なエンターティメント性を示す作曲になっている。

今回の演奏の核はプロローグにあったと書いたが、そもそもそこに音楽的な素材がぎっしり詰まっている。この辺りに、この作曲家が何を考えてどのような創作態度でいたかがよく分かる。楽劇「ばらの騎士」で圧倒的な大成功をしてエンターティメントを制覇した作曲家が、次になすことは何だったのか。指揮者ペトレンコにとっては、恐らく彼のメインレパートリーになるであろうシェーンベルク作曲などのシュプレッヒゲザンクや声の使い方、そしてそのテキストの在り方に繋がる創作への示唆がそこに見いだされただろう。

ホフマンスタールのテキストは、この歌劇場の舞台の上に示されるテロップのドイツ語よってその意味するところは明白となって、隣の芝居小屋のそれにも劣らない歌芝居の価値を持つ。その精妙なこと極まるが、そうしたものを経験すべき若いお嬢さんなどが訪れていて、まさしくそこに税金を使って運営する国立歌劇場の存在意義がある。指揮者ペトレンコのお蔭で、若い聴衆も増えてきているようで、それは私など下らない歌芝居は御免だと思っていた人間もこうして「超オペラ」を体験することになっている。

菊地雅章のピアノをして、「シャープでエッジが立っている音色」と車中のラディオは何回も紹介していたが、ミュンヘンからの文化の発信はこうして十分に世界の最先端へと鎬を削ることになる。芸術的な指導者としてもこの音楽監督は桁外れで、ベルリンでのプログラムにおいても「教育的目的」としているのは管弦楽団や聴衆をも含む社会を教育するということでしかない。プロフェッサーのタイトルが最も似合う指揮者である。因みに、「ヴァルキューレ」再演は降りたが、その代り「ルル」を最後まで振っていたようだ。理由は分からないが、教育的配慮から人に任せてはおけなかったのではなかろうか。



参照:
まるで鉛のような鈍腕さ 2015-10-10 | 音
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音
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金を落とす場所はどこだ

2015-10-21 | アウトドーア・環境
ミュンヘン詣での二つ目の目的はツアースキーの見定めだった。ミュンヘンのシュスターに出かけて、いろいろと相談に乗って貰った。この店ではもともと彼のヘルマン・ブールが倉庫で働いていて、ドイツのアルピニズムの中心にある山道具屋である。観光客が溢れる市庁舎の広場からアップルを挟んで三件目ぐらいにある。地下付き五階建てぐらいの大きなお店だが、驚くことに山道具とスキー、MBX、アウトドーア以外にはフィットネス、ランニング、ウォータースポーツ以外には僅かなテニスやスカッシュぐらいしか置いてなかった。近くには欧州最大のスポーツ店と名乗る店があったので伝統ある山道具屋の特徴を強く出しているのだろう。

吹き抜けの人工壁の上部はクレッターシュタイクのルートになっていて、そこにポータレージが吊ってあった。それ自体ディスプレーとして目新しくはないかも知れないが、恐らく今でもヒマラヤへの遠征を含めてドイツからの殆どの遠征はこの店と関わっているだろうから、その意味合いが大分異なる。要するに本気で使う道具として展示してある。

しかしどちらかというと展示の方法も昔風でそれほど無関係者の購買意欲を高めるような方法はとられていない。用事があるものが目指す売り場に行って、商品を探して必要ならば店員に説明させることになる。ご多分に漏れずここも店員の数は少なめで、他の客の買い物が終わるまで待っていなければいけない。その意味からは冷やかしの可能性はそれほど多くは無い。必要最小限の情報しか得られないようになっているからだ。

価格表示などは明記されていて、それ以上のオファーなどもなさそうで、ネットにおいても買える以上のものも殆どなさそうだった。その意味から可也明白だ。そして暫く、商品である板と閉め具を触りながら、スキーを売っていた店員の手が空くのを待った。

お目当ての板は、そのデザインから2014-2015年モデルである。聞いてみる最新モデルもこれだというのだ。2013-2014年モデルは違っていたのだが、そうしたこともあるのだろう。本当はモデルチェンジで安くなるのを待っていたのだ。人気のある出来上がった製品は新たに投資しなくても市場を維持できるということらしい。そして価格も上止まりとなる。これだけはどうしようもない。定価が€530で、重量は片方1250Gほどである。なによりも必要な長さで14Mの回転径の短さは岩の間や谷間や木の間を滑るときにとても助かるだろう。

そして閉め具との相性などを聞いてみる。お目当ての商品は板に比べると幅が広いので、もう少し分かる人に聞きに行くと、より推薦できるものを教えてくれた。それは、幅で10CM狭くなり、重量が片足130Gも軽い。つまり片足で、1850Gにしかならない。そこで問題は価格だが、10ユーロ定価で€440と高くなるが、セット価格では€740とお目当てのものと変わらない。

幅が900MMで丁度合うのでこれで間違いないだろう。そこで、ブーツを片足持って来ているので合わせるとどうなるか聞いてみると、直ぐに出来るかどうかわからないというのだ。先ずはモンタージュだけして、穴あけ等の装着は他所でさせても良いということらしい。勿論無駄なことはしたくないので、クリスマス前にもう一度試してみることを話した。

セット価格が興味深いのは、ネットで各々最も安く仕入れられても最終的には割高になる可能性があるからで、山スキーの場合はそこに底に張るシールとハッシュアイゼンが必要になる。両方で€200は超えるのでセットで安く買いたいのだ。しかしここでは板と閉め具のセットしか適用が無かった。クリスマスまでにまだ供給がありそうなので、先ずは近所の鉄工場が趣味でやっている期間限定のスキー屋に行って話しをしてみよう。

板は13-14モデルならば€260ほどで入手できる。シールをつけて上手くいけば、€385ほどだ。そこに件の締め具が€380ほどになる。〆て€640シールを付けて€765ユーロ、ハッシュアイゼンを加えて€820ぐらいか。作業代€50と見積もって€870。

どれほど上手く安くしても、総額€1000とはならないが、春に購入した眼鏡よりも高く、歯医者も支払わなければいけないので、厳しい出費となる。最新モデルならばミュンヘンで購入すればよい。同じ締め具をもっと安く探したいところだが、どうも大量に買い付けたのかシュスターセット価格は決して悪くないのだ。次のミュンヘン訪問も土曜日であるから、もしここで購入するならば一日で可能なように手配するか、金曜日から乗り込むしかない。

これで、スキー場の一日券€50以上を割ると、二十日も掛からずに回収できる。小まめに滑れば、二シーズンは掛からないだろうから、先ずは妥当な金額だろう。ただし、新たに板を買おうとすればまた同じように費用が掛かる可能性がある。スキー観光地に金を落とすか、業界に金を落とすかの違いである。



参照:
アメリカ製の素晴らしさ 2013-10-09 | テクニック
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ヴァッヘンハイムでの試飲

2015-10-20 | 試飲百景
先週お客さんを連れてビュルクリン・ヴォルフ醸造所で試飲をした。2014年産はこの醸造所で一ダースも購入していない、そして秋の試飲会にも行かなかった。理由は簡単で、ストレスの苦みとそれに関して十分な見解が示されていないからだ。そしてなによりも昨年に続き先行予約割引が無くなり、こちらの欲しいものが売り切れてしまえば購入意欲が薄れる。毎年三ダースほど購入しているが、今年は頑張ってもそこまではいかない。なによりもドイツで最も高価であり、その質は高くともそれだけの価値があるかどうかが問題である。我々通の人間は絶対名前には一銭も出さない。それだけだ。

それでも、割引になるグーツリースリングはバイエルンのクライミングキャムプに持っていったように誰にでも勧められる。我々リースリング愛飲家からすると若干甘めだが、そのミネラルはそれほど悪くはない ― デーンノッフ醸造所のテロワー物ぐらいミネラルが分かる。それを先ずは試してもらうのが一番安全な推薦だと思ったからだ。

実際試してみる、と割引価格でこれと勝負できるリースリングは何処にも無い。そしてそれなりに熟成してきているが、それでも物足りない。何故ならば物足りなくなるような作り方がVDPの方針で、物足りなさと同時に上位のクラスに関心を持ってもらえるからだ。これはフランスのブルゴーニュシステムのビジネスモデルもそのまま習っているのだ。アプラーションコントローレで楽しんでしまえると、誰もより高価なワインは買わないからだ。要するに不味く造っているのだ。

そして次にオルツリースリングのダイデスハイマーを試す。そのテロワーの優雅さと薫り高さがあるが、割引が効かない。そこでヴァッヘンハイマーも試してもらう。大分柔らかくなっているが、まだまだ愛飲家向きのアイテムだ。そこで開いてきたゲリュンペルを試す。私も初めてだ。なるほど酸は大分丸くなってきていて、ミネラルの粉っぽくミルキーな感じが気持ちよく吟味できた。直ぐに予約確保した。

それに続いて割引が効くので、ヴァッヘンハイマー・ゴールトベッヒャエルも試す。これも今年初めて試す。例年ならば夏の間に数本消費しまっているアイテムで、私のハウスワインなのだが、今年は何本購入するかまだ決めかねている。それでも糖が抑えられていて、同時に薄つくりなので万人にミネラルウォーターのように清涼感がある。アルコールは十分だが、これとレープホルツ醸造所のオェコノミラートを比較すれば価格が勝負にならない。それならば、同価格帯になる競争激しいリースリングの数々と比較するとどうなるか?二年後その後の可能性に関しては同じ程度だ。勿論コルク栓で、二年以上の熟成の可能性を残してはいるのだが、同価格のゲルンペルの十年熟成するリースリングではないのである。五年はもってもその価値が無い。それは、この価格帯のリースリングの例外ではない。

なるほどその清涼感は楽しめるが、2014年のキードリッヒ、アルテレーベン、ビュルガーガルテン、フリューリングスプレッツヘン、フォム・ブントザントシュタインなどのラインガウ、ザール、ミッテルハールト、ナーヘ、南ワイン街道などの銘酒と比較すると個性が弱いだけでなく、二年以内の熟成が期待できないのである。たとえ天然酵母で都会的にクールで麗しくともこれでは価値に限界がある。それでも一二本試すだけならこれで十二分だ。

2013年のアルテンブルクは相変わらずで、2014年のグローセスゲヴェックスのガイスボェールも2013年以上には良くなかった。もう少し期待してよい筈だが、まだ今の時点では2013年の方が出来が良かった。理由は分からない。

先に書いたベルリナーフィルハーモニカーのアルブレヒト・マイヤーのリサイタルが、やはりブュリクリン・ヴォルフ醸造所のコンサートホールで開かれる。前日の教会でのものに続いて、昼飯つきで50ユーロとなっている。前の晩に泊まって、朝もう一仕事のようだ。醸造所にどんなピアノがあったか知らないが、スタインウェーのフルコンサートものがあったような記憶は無い。なるほどグライボーンのようにオペラを開催していた時期があるので、それようのピアノはあったのは違いないが、どうなのだろう。



参照:
あり得ない理想の達成 2015-06-01 | アウトドーア・環境
フェアートレードなあじ 2015-05-28 | 雑感
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経済的、時間的節約の時

2015-10-19 | 生活
三回目のミュンヘン詣でだった。一番今回が疲れた。原因を考えると、やはり街中での行動時間が長く、舗装道路を長く歩き回ったからだろう。舗装道路を歩くのが苦手なのは子供の時からだった。理由は分からないが、よちよち歩きするときからあまり塗装道路を歩いてはいなかったからだろうか、その割にというかそのお蔭かどうか分からないが、膝に問題を起こしたことはない。

ミュンヘンでのことは改めてまとめるとして、先ずは往路での渋滞を書いておこう。お蔭で、シュツッツガルトの飛行場のところで迂回することになって、遅れるだけでなく燃費が大分悪くなった。それでも、満タンで一往復して、明けてからパン屋にも行けた。これは経費を考えると、折からの原油安と並んで大きなミュンヘン詣でへの動機付けになる。

土曜の午前中にもう一つの経路で、バスとトラックが衝突して、両車とも横倒しになって長時間のアウトバーン閉鎖があったようだ。その知らせを耳に渋滞始めた。そして近づくと、キャムピングカーが横倒しになっていて、数台の車が止まっていた。特に突風が強かった印象はない。その横をすきぬけるように飛行場へと降りたのだ。どうも直前に事故になったようだった。横倒しの車の上に乗って、中から何かを引き出していた。周りには何本かブレーキ痕が残っていた。

休憩が無かったに拘わらず劇場が引けて車を出した時には夜の十時半を超えていた。復路は小雨が降る中を適当に飛ばした。それでも肝心なのはなによりも途中ピットイン無しに完走することで、それが経済的にも最終的には時間的にも有利となるからだ。勿論睡魔が襲ってくるならば休まなければいけないが、若干視覚上の問題はあったがノンストップ走行が出来た。

前回同様に往路で燃料の半分以上を使っているかに計器は示していたが、ミュンヘンの標高519Mは我が家の141Mからすると大分高いので、復路はかなり飛ばしても往路との燃費の差を縮めることが出来る。往路は今回は100kmあたり8Lを切れなかったが、復路は11Lを割った。要は、登りは出来るだけ節約運転を優先させて、下りはブレーキを踏まない限り可能なだけ飛ばすのがある程度の節約運転の基本になるのである。

未明二時前に帰って来て、ダールマイヤで購入したパテにルッコラとトマトを添えて、ザールのリースリングで息を整える。就寝前の夜中の食事は健康によくないのだが、空き腹では緊張も解れなく、また翌朝に軽く走ることを考えると空き腹ではぐっすり寝れない。

お蔭で目覚めは悪くはなかったが、肌寒いので億劫だった。それでも前日の街歩きの足の疲れも解したくて峠まで駈け上がって降りてきた。坂道をゆっくり走り上がりながら、前日の事を色々と考えていた。ジョギングの走り方が出来るようになってから、嘗て散歩のときにやっていたような思索可能の運動が出来るようになった。なるほどそのような走り方では全くスピードは伸びないのだが、これはこれで価値のある時間の使い方かなと思う。長距離の車の運転ではラディオを聞くのが精々で、思索などしていたら標識などを見落としてしまうのである。



参照:
香り豊かな記念撮影など 2014-12-21 | 文化一般
経済的に降臨するミュンヘン 2015-05-26 | 暦
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パリ、バーデンバーデン楽旅

2015-10-18 | 文化一般
パリの聴衆は満足したようだ。ミュンヘンの歌劇場アンサムブルの公演である。ここでも一度の音合わせで、完璧な音響効果と細部の拘りまで、初めてのヨーナス・カウフマンとの共演を成功させたようだ。写真を見ると聴衆には若い人も少なくない。

演奏会式上演のために総勢75名の移動と楽器の移動はそれほどの大掛かりではなかったが、「日本に三週間引っ越し公演をするのと同じぐらい重要な地平性を広げる活動」とするのは正しいだろう。新幹線が更に整備されれば、ミュンヘンからパリへと人々がもっと行き来するようになるかもしれない。カウフマンは来年ミュンヘンで「トスカ」で再びペトレンコと共演するようで、これも話題になるだろう。まるで一時期のスター総動員の東京引っ越し公演のような一つの黄金期を迎える勢いである ― 後述の契約延長で日本公演も組み入れられたと言うことだろう。

パリからミュンヘンに戻って来て、今後の契約の概要が明らかになり、ミュンヘンでは2021年までにその頂点を極めることになった。そしてベルリナーフィルハーモニカ―とは、2019年の秋の音楽監督就任までに2019年にはツアーが入っているというから、バーデン・バーデン復活祭にも初登場するのだろう。

個人的には、2020年復活祭までに、ミュンヘンとバーデン・バーデンでこの指揮者とサイモン・ラトル指揮で「超オペラ」の数々を体験することになる。そこに「モーゼとアロン」上演が入ってくるかどうかは分からないが、ミュンヘンとベルリンを掛け持ちするとなるとそこに素晴らしいプロジェクトが予想される。バーデン・バーデンでベルリナーフィルハーモニカ―とミュンヘンの歌劇場との共同プロダクションとなると面白い。こうしたプロジェクトの多彩さが斜陽で衰退する一方の交響楽団活動の可能性を拓くことにもなる。

バーデン・ヴュルテムベルクの高等音楽学校が改革されるようで、各学校ごとに専門を一つづつ定めて合理化されるらしい。殆ど外国人の学生に無料で音楽教育を授けるよりも、もう少し専門性を追求することになるのだろう。ペトレンコはドイツの教育を受けた訳でもなく、こうした新たな血を導入するためには社会的な枠組みが重要なことは議論を待たないが、教育機関が優れていても決して大きな効果が社会に還元される訳ではないことも事実だろう。



参照:
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
知的で刺激的なバロック音楽 2015-10-17 | 文化一般
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知的で刺激的なバロック音楽

2015-10-17 | 文化一般
フランクフルトでのバッハの夕べは予想以上に収穫があった。ラファエル・ピション指揮のフランスのアンサムブル・ピグマリオンは、ドイツバロックそれもドレスデンを取り巻くシュッツからライプツィッヒのバッハへ道を、とても知的なプログラミングで提示した。

シュッツ、そしてその後継ぎクリストフ・ベルンハートのイタリアのマドリガル、オペラからの影響が、ブクステーデそして叔父のヨハン・クリストフ・バッハでの結実へと、プロテスタント音楽の終着点としてのヨハン・セバスチャンのカンタータへの流れをとても興味深く示したのだ。

なるほどフランスの音楽家が指導する合唱は、たとえドイツなどのソリストなどが歌っても、残念ながら歌詞が明白に聞き取れるほどのアーティキュレーションの再現とはならない、しかしアンコール曲を指揮者自身が確りとドイツ語で紹介したようにドイツバロックの精華を示すになんら違和感がなかった。

そして驚くのは、室内楽ホールをたっぷりと鳴らした二人のチェロ他各パート一人づつのソロスツの精妙で確かな演奏が今まで経験のない高品質で、もはやこうなればモダーン楽器のバロックなどはなんら意味がないことを示している ― 嘗てのオランダの古楽パイオニア演奏陣の質からの飛躍が甚だしい。

勿論、六本ぐらいのコルネット類(コルネットなど)をとっかえひっかえと吹いたその音程の危うさは仕方がないのだが、それを補って余る音色は断っておかなければいけない。これほどの音色的な驚きは、スェーデンの古楽アンサムブルの金管の鋭い純正調を二十五年ほど前に体験した以来である。その響きは、時には牧童の笛のようにあるときは葬送のトロンボーンの声に純正調でハモルのである。殆ど声なのか楽器なのかが聞き取れないぐらいの時が多々あった。それはその他の楽器においても純正調としての音程とその響きの美しさは変わらないのだが、逆に弦がどのような弦を使っているかわからないのだが、スェップスのマイクロフォンで録音したかのようなとてもシャープで立ち上がりの鋭い響きと重ねられるのである。その響きが、このアンサムブルの可能性を感じさせると同時に特筆すべき優秀さのそれでしかない。

なぜこうした素晴らしい演奏家がドイツ語圏からは出ないで、オランダからならわかるのだがフランスやベルギーから排出されるのか?やはりドイツはバロックにおいてはどうしてもそのプロテスタントの音楽実践の流れが近代の音楽に結びついてしまったおかげで、その束縛から解き放たれないのかもしれない。

そして、初期のカンタータ「キリストは死の絆につかせたまえり」のその響きと音楽的構造の提示は画期的だった。これほどのカンタータは今まで経験したことがない。流石のヘルヴェッヒ指揮の演奏でもこうした過去のそれを直接引き継いだ果実としてのバッハがそのもの現代社会の音楽実践としては表れていない。

これほど音楽的にも優秀で知的にも抜群な演奏家がここにいた。フランクフルトのこの会、最近は定期会員も減り、その一方で決して安くない、だからそろそろと思わないでもない。なによりも年間の半分もその催し物に出かけていないのだ。それでも今回のような演奏会はティケットが手元になければフランクフルトに居なければ絶対出かけないものである。そしてそのような高質の音楽に出合えないのである。

当日は大ホールでは、月曜日にパリでアリアドネ公演を歌ったヨーナス・カウフマンがどさ周り楽団とプッチーニを歌っていたようだ。そのお蔭で駐車場にはなかなか入れなかった。偶々工事の人が寄って来て「アルテオペラ行くんなら、駐車場所教えてあげようか?、あんたは先の親爺と違ってフレンドリーやから。」と教えてくれて、無料で停めて、出入りがいつもより早く出来た。なにも無理せずになるがままに任しておく方がよい機会が得られるということだろう。勿論自己意志では、大ホールのコンサートのようなものには一銭も払わないのは決まっているのであるが。



参照:
復活祭への実存の二週間 2013-03-19 | 暦
復古調の嘆き節の野暮ったさ 2010-03-30 | 文化一般
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