☆・。.・☆写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 愛犬のハートリーと共に瀬戸内の岩国から…… 茅野 友

機械式腕時計(普遍)

2016年07月27日 | 生活・ニュース

 高校へ入学した時に初めて腕時計を買ってもらった。以来、買い替えながらも腕時計を手放すことなく今日まで過ごしてきた。腕時計の構造といえば、当初はリューズを手で回す機械式のものであったが、昭和45年には電池で動くクオーツ式に大変革して精度は格段に上がり、時計は精密機械から簡単な電子機器へと変わり、価格も大幅に下がっていった。

 そんなクオーツ時計は更に進化して、今では電波時計が出現し、精度は10万年に1秒までになり、駆動源も電池ではなくソーラで発電する構造となり、全く何の手間をかけることなく四六時中精度よく動く腕時計となっている。 

 5、6年前だったろうか、ソーラ式の電波時計を買った。もちろん電池もいらないし時報に合わせての時刻の修正も不要である。「なんと便利になったものか」と、技術の進歩にただ感心しながら使っていたが、何か一つ物足りない気がし始めた。

 ペットでも車でも菜園でも、適当に世話をやくことがあるから愛情や愛着が湧く。ところが何ひとつ世話をしなくても止まることもなく、狂うこともなく時を刻む時計は、実用的ではあるが、愛着心は湧いてこない。

 もう少し、人間味のある時計が欲しくなってきた。1年前、「スケルトン機械式自動巻き腕時計」というものを買ってみた。日常の腕の動きだけでネジは自動的にまかれるが、置いておくと2日くらい後には止まってしまう。リューズが付いているので手で巻くことはもちろんできる。

 人間の動きで機械的にネジがまかれるところと、スケルトンといって、外部から時計の往復する駆動部があたかも人間の心臓の鼓動を覗き見るように透けて見えるところ、時々時刻合わせをしてやらなければいけないところなど「今日も頑張っているな」と思わず声をかけたくなる人間臭いところが気に入っている。

 自動車でも家電でも、世は全て電子化やAI化していき、人間が介在しなくてもよい方向に進んでいるが、腕時計のひとつくらいは頑固に、精度を気にせず昔ながらの機械式にこだわって生きている。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

本質的対策(意見)

2016年07月26日 | 生活・ニュース

 買い変えたばかりの新しい自転車に乗って、夕方買い物に出かけた。店を出ると、すでに陽は落ちてはいるが、まだ明るさが残る「薄暮」の状況であった。自転車に乗ると、前輪の車軸に組み込んだ発電機が回り、LEDの明るいライトが自動的に点灯した

 毎年のことであるが、交通安全週間になると決まって「ライトは早めに点灯しましょう」とか「トンネル内では点灯しましょう」など、事故が多発する薄暮やトンネル内での車両の点灯を促す呼びかけが繰り返し行われている。

 夜間走行時にライトを点灯させるのは暗くて前方が見えないからであるが、それ以上に対向車や歩行者からの視認性を高めて事故を防止するという重要なものである。特に薄暮時、運転者からはまだ見えるから大丈夫と思うかもしれないが、相手の安全性をを考えていないことになる。

 購入した自転車のように、乗り手の意思にかかわらず暗くなれば自動的に点灯する機能を備えた自転車は、少し割高のようであるが、事故の未然防止という観点からは本質的な対策を取った大変いいものだといえる。 

 今年に入って、国土交通省は自動車メーカー各社に対し、一定の暗さになれば車のヘッドライトが自動で点灯する機能「オートライト」の装備を義務づける方針を固めたという。運転者の判断に任されている点灯の遅れを防ぎ、事故の減少につなげるためであるが、装備で対応させるという本質的な対策となることは歓迎される。

 この「オートライト」と呼ばれている装備は、欧州連合(EU)では2011年から新型車に取り付けることが義務化されている。日本でも、交通安全週間で「早めの点灯」の呼びかけを繰り返すのではなく、車のみならず自転車にも初めから装備する方向へ転換し、事故の低減を図ってほしいものである。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

後ろ姿(紹介)

2016年07月25日 | 生活・ニュース

 今日(7月25日)の毎日新聞のコラム「余録」に、男として大変興味あることが書いてあった。要約してみた。

 「『俺たちはバカなのかもしれない』という雑誌の記事に、2010年3月に行った世論調査で『次の首相にふさわしい人』の順位が載っていた。3位は菅直人(7.4%)、2位が鳩山由紀夫(8.3%)、1位は舛添要一(23.7%)。いずれもりーダーとなったが評価は芳しくなかった。31日の東京都知事選には、今度こそふさわしい人をと思う」

 「そんな時、哲学者・鷲田清一さんの著書『しんがりの思想』を読んだ。右肩上がりの時代ではない今は、先頭に立って道を切り開いていくよりも最後尾で社会全体へ目配りする役割が重要ではないか。登山に例えれば、みんなの安否を確認しつつ最後を歩く『しんがり』だ」

 「リーダーに必要な条件の一つに『後ろ姿』がある。思い浮かべたのは任侠映画の高倉健。多くは語らぬが、後ろ姿で人を引きつける。この人は何を思い、行動しようとしているのか。周囲の人は健さん任せではなく自分でも考えるようになる。組織は一人一人が
指示を待つのではなく、自ら能力を発揮する時に活力にあふれる」

 これを読んで、「なるほど今年の広島カープが強いはずだ」と納得がいった。まずは黒田、
新井という2人のベテランが、自分の息子世代ともいえる若い者に対して、とやかく言うのではなく、後ろ姿で引っ張っているという。

 緒方監督も、選手の起用面では厳しい采配を振るっているようだが、試合で出した結果に対しては思いやりのある発言が多い。このような環境はまさに「後ろ姿」であり「しんがり」の現実版であろう。若鯉の1人1人は、自ら考えながら能力を発揮して、残り試合を突っ走ってくれるに違いない。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

黒田の反骨心(普遍)

2016年07月24日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 今日の話題といえばこれしかないでしょう。41歳、広島カープ・黒田投手です。

 昨日(7月23日)、阪神戦に先発し、7回無失点で今季7勝目を挙げ、日米通算200勝(日本121勝、米国79勝)を達成した。日米での大台到達は、2005年の野茂英雄以来、日本人では2人目の快挙である。


 この日、真っ赤に染まったスタンドは、黒田投手を祝福するために大きく揺れた。試合後、新井選手からレリーフを受け取り、マウンドの中央で割れんばかりの大歓声を浴びた。高校時代は3番手。座右の銘、西郷隆盛が詠んだ漢詩の一節「雪に耐えて梅花(ばいか)麗(うるわ)し」(苦しまずして栄光なしの意)を胸に、反骨心を力に変えてのし上がったという。

 1人の人間が、自分が描く高い目標を達成しようとするとき、それへ向けて突き動かすエネルギーの源泉には、人それぞれ色々なものがあろう。黒田投手の場合には、それは「反骨心」であったことを知った。

 「反骨心」とは、「世間的な権力や慣わしに対して抗う気持ち」とある。では抗う気持ちはどんなことから湧き出てくるのか。ハングリー精神、雑草根性、のし上がる気持ち、屈辱、逆境、渇望、不屈の精神、鉄の意志などがあげられる。

 黒田選手の場合には、高校・大学時代にはエースではなく、3番手として後塵を拝していた。そんな屈辱から這い上がるために、それこそ人知れず、身体作りと技術の向上に努力に努力を重ねて今日の地位を築きあげた。

 そんな過程で築かれたものは身体と技術だけではない。人として生きる上で最も大切な人間性・人間力であった。チームメイトの誰からも親しまれ、信頼され、尊敬される男であることは、この日の祝福のされ方を見ればよく分る。

 偉業を達成したこの日の言葉は「
 
いつ最後になってもいいと思ってマウンドに上がっている。201勝を目指して、明日からしっかり準備して大きな目標のために頑張っていきたい」と殊勝である。「今秋、カープを25年ぶりの頂点に導いた時、黒田博樹の男気ストーリーは完結する」と野球評論家のひとりが言っていた。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

数独健康説(話題)

2016年07月23日 | 生活・ニュース

 毎週土曜日の日経新聞には、「プラス1」といって12ページの別紙が本紙と共に配達される。旅の情報、季節のファッション、グルメや料理、生活用品、健康情報、子どもへの知識など、どんな世代の誰が読んでもためになる記事が満載で、土曜日が来るのを楽しみにしている。

 中でも私が一番楽しみにしているものは、「健康」のページの隅にある「ナンバープレース」で、数独ともいわれる数字遊びである。毎週、難易度のレベルを表示した問題が1問掲載される。今朝の問題は「超難問」と書いてある。朝、起きがけの頭で早速この問題に挑戦を始めた。

 5分、10分、15分経った頃、間違えたところがあるのが分かった時、朝食の時間となった。その後しばらく放っておき、新聞を読んでいたが、問題を解き終わっていないことが気になってしようがない。再び鉛筆を握って初めからやり直すことにした。

 また5分、10分、15分が過ぎたがなかなか解けない。30分が経とうとしたときにやっと解くことが出来た。「超難問」と書いてあるだけあって、結構難しかったが、「超」がつく程でもないなと思っていると、問題の下に細かな字で何やら書いてあるのに気がついた。

 「*解くのに30分超;まだ初心者ですね *30分以内;中級者 *15分以内;キレキレ!さすが上級者」と書いてある。これでいくと、30分かけて解いた私は、超難問を解いたとはいえ初心者扱い。これはどう解釈すればいいのか。「超難問」を解くことが出来たのだから上級者ではないのか。それなのに初心者とはこれ如何に……

 そんな疑問はあるにしても、週に1回、朝からこのナンバープレースに挑戦することが最近の数少ない楽しみになっている。朝解けなかった時には昼に再挑戦する。それでも解けない時には夕方また挑戦してみる。解けないで放っておいた日には、宿題をやり残しているような気がして1日中落ち着かないが、この数独、「健康」のページに載っているからには、健康にいいということだろう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

梅雨明け十日(話題)

2016年07月22日 | 季節・自然・植物

 今年の中国地方の梅雨明けは7月18日で、平年より3日、昨年よりは6日早かったという。明けて今日で丸4日が経とうとしているが、昨日までと違って今日は朝から薄曇りで、凌ぎやすい1日のようである。

 梅雨が明けたというと「梅雨明け十日」という言葉を思いだす。梅雨明け直後のしばらくの間は、太平洋高気圧の勢力が大きくなり日本列島全体を覆って安定した天候が続き、よい天気が十日ぐらいは続くという言い伝えがある。

 インターネットで向こう1週間の天気予報を調べてみると、28日までは「晴れ時々曇り」で「梅雨明け十日」というがごとく、まずは晴れの日が続く。そんな今日7月22日は、24節気の「大暑」である。暦では1年で最も暑い日が始まる頃であり、立秋までの15日間をいう。

 こんなことを書きながら、ふとウッドデッキを見ると、薄い雲を貫いて明るい陽が差し込んでいる。この分では凌ぎやすいどころか、今日も暑い1日となりそうだ。早朝聞こえていたセミの声も、今は申し合わせたかのように一声も聞こえてこない。時計を見ると10時過ぎ。ひと仕事を終えて、休み時間に入ったのか、それとも数が少なくなったのか。

 休みといえば、子どもたちは夏休みに入ったばかり。聞こえなくなったセミの声に似て、最近は遊ぶ子どもの声も久しく聞くことがない。まるで絶滅危惧種のような存在にも思える。夏休みに辛うじて間にあった今年の梅雨明け。子どもたちは大暑に負けず、思う存分体を鍛えてたくましくなって欲しいと、近頃めっきり足腰が弱ってきた爺さんの願いである。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

無人レジ(話題)

2016年07月18日 | 生活・ニュース

 毎日の食料品の買い出しには、いつも品数の豊富な最寄りのスーパーに行っている。先日、奥さんと車で出かけた帰り道、隣町にある行ったことのないスーパーに立ち寄って買い物をした。

 店内を1周したところに5台のレジカウンターがあり、それぞれに3、4人の客が列を作って並んでいた。端に置いてあるレジを見ると、見慣れない形のレジが5台まとめて置いてあるが、そこにはレジを打つ店員はいないし、並んでいる客もいない。近づいてみると「無人レジ」と書いてある。
客が自分で精算できるセルフチェックの無人レジ機であり、使い方の説明書きがしてある。

 案内専門の店員が立っていたので使い方を聞いてみた。「まず、商品を入れたカゴをレジの右手にある台に乗せる。商品のバーコードを1個ずつスキャナーに当てると、商品名や価格が表示される。スキャンした商品は、左手にある台の空のカゴに入れていく。同じ操作を買った商品の全てで行うと、合計金額が表示されるので、お金を支払えばよいというシステムとなっている」という。

 ひとつ質問をしてみた。「商品を間違ってカウンターを通さずに左のカゴに入れた時はどうなるのですか?」と聞くと、「台には重量計が組み込んであり、スキャンしていない商品を乗せるとディスプレイに『スキャンしてください』と警告が出る」という。詳しい理屈は分からないが、間違った操作や防犯対策はきちんとできているシステムとなっているようで安心した。

 この無人レジは、
店員を削減できるほか、イライラするレジの待ち時間も減らせる。その時間帯には、スマホなどの電子機器の扱いに慣れた若い世代の客は少なく、中高年の客が多かったので、残念ながら無人レジに並ぶ客は皆無であった。中高年のお客さんに使ってもらえるには、今しばらく時間がかかりそうに見えた。

 今話題となっている自動運転車や無人回転寿司屋、ロボット介護士など、今まででは考えられなかったところまで、世は「人」が介在しなくてもいいシステムに変わりつつある。その内、奥さんまでもロボットになって、何でも言うことを聞いてくれるようになるかもしれませんね。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

隣りとの関係(意見)

2016年07月17日 | 生活・ニュース

 つい先日、自治会の班長をやっていることがきっかけで、70代の一人住まいの男性が、家の中でひっそりと亡くなっているのが見つかった。亡くなってから10日ばかりが経っていた。

 退職後、民生委員を拝命していた時にも、このようなことに2度も出くわした。当時、仲間と色々話しあったが、異常事態の早期発見は、1人が100世帯ばかりを担当する民生委員だけでは対応しきれるはずはなかった。

 隣りの家の様子は、やはり隣の家の人が一番詳しい。たとえ遠くに親しくしている知人や親せきがいても、日々の変化は、毎日とは言わないまでも顔を合わせる機会の多い隣人がよく知っている。こんな状態が、古き良き時代の日本にはあった。私が子どものころには、年末には一緒に餅をついたり、珍しいものが手に入ればおすそ分けをしたり、夕飯の支度をしているとき醤油が切れていたら借りに行ったりというような、いい関係が保たれていた。

 時は流れ、新しい世代に代わるにつれ、そんな関係は大きく変わっていった。葬儀や頼母子講、盆踊りなど、地域住民が一体となってやる行事はなくなり、自分の家のことは近所の人の手伝いに頼るようなこともなく、全て自分でやれるように社会のシステムも整っていった。

 こうなると、隣りの家のことに全く無関心でも生きていける。田舎にいても都会のマンション住まいのように「隣りは何をする人ぞ」的な生活となっている。隣りとの接点といえば、ゴミ出しやペットがらみの、ほんの些細なトラブルで諍いを起こした時に顔を合わせるだけのようなこととなる。

 こんな関係では、いけない。自治会の班単位くらいの小さな地域集団で、1人暮らしの人を重点的に見守ることくらいなら、ちょっとした工夫やボランティア精神を発揮すればできる。お隣さんとはいがみ合うことなく、お互い努力していい関係を保って置かないと、思いもかけないことが、いつかは我が身のこととなって降りかかって来ることになりかねない。

 それにしても、日本という国のお隣さんには苦労しますね。優しくにこにこして見守っているだけではどうも解決しないようです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ブログの主旨(意見)

2016年07月15日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 サラリーマン現役のころ、社内の関係各所に何らかの文書を出すことがあった。そんな時、「○○の件」とタイトルを書いた後にかっこ書きで、(通知)とか(案内)とか(報告)とか(連絡)とか、その文書の主旨を書いておくようなことをしていた。

 こうしておけば、その文書を受け取った人は、「一体何を書いている書類なのか?」など思うことなく、読む前から主旨が分かっているので、ポイントだけ読めば理解出来て時間の節約が出来るという利点があった。

 こういった社内文書とは異なるが、今書いているブログについても似たようなことが言えるのではないかと思い、タイトルの後にかっこ書きでブログの主旨を書き始めてみた。気分に任せてブログを書いているが、書き終わった後「一体このブログは何を書いたものだろう」と思うことが時々あった。

 ブログとは、広義には作者の個人的な体験や日記、特定のトピックに関する話題などを書き記したものと説明してあるが、見も知らぬ個人が書いた日記など、ほとんど誰も興味は持ってくれない。ではどんなことを書けば読んでもらえるブログになるのかを近藤勝重さんが「必ず書ける文章術」で書いている。

 1.「ねえ、ねえ、聞いてよ」と、会った人に話してあげたいような、面白い話、珍しい出来事、教訓的な出来事。(話題) 2.人にぜひ紹介したい情報。食べ物やおいしいレストランなどのグルメ、観光地・史跡・自然、趣味や特技を持った人物など。(紹介) 3.ある出来事や時事に関しての自分の考え方や意見・提言・考察の披歴。新聞への投稿の類。(意見・提言) 4.自ら体験したことから気付いたことを通して、社会と通じる意味合いを持たせた話。(普遍) 5.書くことが何もない日には、メモ代わりの単なる日記(日記)。

 出来るだけ日記とならないようなものを書いて行きたいが、書いたものが以上5分類の内、「果たして今日のブログはどの分類に入るのか」を認識するために、タイトルのあとに分類を書いてみることにした。さて、今日のこのブログはどんな分類となるか。(意見)というところか。

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

第1問題提起者(話題)

2016年07月14日 | 生活・ニュース

 今年の上期は、自治会の班長を拝命している。班内の世帯数は、国道2号線の向こう側にある2世帯を入れて合計25世帯もある。主な仕事としては、月に2回岩国市報を配ることと、回覧板を回すことである。

 昨日の午後3時半に市報を配るために家を出た。手押しの信号を押して国道の向こう側にあるkさんの家の玄関の前に立った。玄関の引き戸に付いている郵便受けに市報を差し込もうとしたが、数通の郵便物やダイレクトメールが突っ込まれていて、市報を差し込む余地がない。

 足元を見ると、私が10日前に回し始めた回覧板が引き戸に立てかけて置きっぱなしになっている。kさんは10年ばかり前に退職して故郷に帰って来た70歳代の1人暮らしの男。身体の調子はあまり良くないと本人から聞いていた。隣近所との付き合いは全くない。私も私的な付き合いはしていない。

 郵便受けの様子を見た時、「あれっ、ちょっとおかしいな」と感じ、家に帰り地区の民生委員へ電話をしておいた。夕方、少し涼しくなったころを見計らって残り半分の市報を配って歩いている時、民生委員とばったり出会った。「どうだった?」と聞くと「訪ねてみても鍵が開かないので警察に連絡して一緒に入ってみると、亡くなっていました」と言う。

 民生委員に連れられてKさんの家の前にいった。警察車両と救急車が止まっている。「この方が通報者です」と紹介されると、若い刑事が「事件性はないんですが……」と言いながら、回覧板を回し始めた日、市報を配りに来た時間などいくつかの質問をしてきた。考えてみればこの1件、私は第1発見者とはいえないが、第1問題提起者ではある。

 10年前、民生委員を拝命していた時も、こんな場面に2回遭遇したことがある。高齢者の1人暮らしが増えている。地域住民との付き合いが希薄な人もいる。今回のようなことはこれからも起きるであろう。人の一生が、誰にも看取られず終わるばかりか、何日間も発見されることなく過ぎていた。蒸し暑く気分のすぐれない夜であった。夜遅く「身内に連絡がつきました」という電話が民生委員から入ってきた。
 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加