Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

あまり信用出来ない人々

2020-10-13 | 雑感
オーストリアから手紙が来た。入場券が入っていると思ったら入っていなかった。ネットと同じ延期になる通知で、最低公演日前には知らせるべきものだろう。しかし電子メールでの通知にしなかった理由は分からない。そして間に合うように新たなティケットを送ると書いてある。

更にネットと同じ延期情報と共に断り書きが付いている。それによると再び若しくはこのまま250人体制が続いた時の非常処置としてプランBを既に練っているという。そして言及のあった全てをブレゲンツの祝祭劇場で行うとある。それが謎だったのだが、大ホールを越えて演奏されるとある。更に最終日日曜日の都合を開けておいてくれと書いてある。一体どういうことだ。

有り得るのは、大ホールで演奏して他の空間へ中継される若しくは野外劇場を使うという事になる。それならば会場に250人、更に野外に500人その他の部屋に入れて900人程は可能だろうか?しかしこの寒い雪が降ろうという時に野外は座るだけでも無理だろう。一体どのように席分けする心算かは知らないが、この人達を全く信用できなくなってきた。面倒で、有料になるが電話しなければいけなさそうだ。

昨晩も考えていたのだが、48時間ルールを適用すれば通常のお客さんは危険地帯でも入って48時間以内に引き返せば問題が無い。指揮者はオーストリアのパスで滞在してもPCR検査を五日ぐらい後にすれば構わないのだが、その間は動けない。

キリル・ペトレンコ指揮CDボックスを再び最初から聞き始めて、再び比較してみたくなった。先ずはSACDの「悲愴」である。やはり音がけばけばしく喧しくてあまり聴いていられない。なるほど音質は悪くはないのだが、なぜか嘗てのサイモン・ラトル指揮のハイレゾの音にも似ていて喧しい。SACDのグラスマスターと今回のCDが異なるのは当然として、それならば当時DL出来た192kHzハイレゾファイルを再びPCで流した。つまりSACDマスター作業で何かが変わったのかどうか?

結果は当時DLしたマスターとされるハイレゾファイルとの差はDSD変換しないでも殆ど無かった。音の傾向は喧しい。それならばという事で大きさも編集も全く同じように思われる新たなファイルを聴いてみた。やはりこれが音楽的で深みがある。

つまり今もDL可能だろう「悲愴」192kHzのマスターとされるファイルは見かけ上は同じだが二種類存在することになる。殆どイコライザーを弄ったような差があってどのように差が付いたのかはよく分からない。

所謂編集作業のポストプロダクションをやり直せばマイクのミキシング等も変えられるが、そこまですると最初から傷等の編集のやり直しになるので有り得ないだろう。有り得るとすればCD五枚を揃えるための音量などの調整となる。あまり故意の調整は考えにくいので、あるとすれば、以前の「悲愴」のマスターリングのファイルのコピーなどが煩雑に扱われていて、今回は時間を掛けて行われたことぐらいしか考えられない。兎に角、音質は遥かに良くなっていて、実演でも問題になっていた総奏での「潰れ方」も良く聴き分けられる。ダイナミックスレンジは下の方に拡がっていて静かな落ち着いた音響となっている。とても満足だ。

月曜から一っ走りしておいた。予想に反して雨が残ったので、鬱陶しかったが、火曜日以降の都合などを考えると中々出かけられないので、なんとか済ました。これで先週の月曜日から五日走ったことになり体調を保てそうである。

ショスタコーヴィッチの第9と「メタモルフォーゼン」の楽譜を何とか準備した。前者は初めてお勉強する曲で生では聴いたことが無い。ショスタコーヴィッチの交響曲は4番と8番と11番しか聴いたことが無いと思う。5番と6番は、不明で、記憶にない。「メタモルフォーゼン」も記憶にない。シェンベルクの「浄夜」も楽譜を見た覚えが無いので先ずはダウンロードしておく。



参照:
千人収容の夢物語 2020-09-27 | 雑感
強制退去のつがい 2020-10-09 | 雑感
コメント
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