Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2022年04月

2022-04-30 | Weblog-Index


青と黄色のこちら側 2022-04-30 | 文化一般
ローマ人からの心掛け 2022-04-29 | 生活
多くの人が気にすること 2022-04-28 | 生活
黄色と青の衣装で参戦 2022-04-27 | 文化一般
徴兵免除の音楽宣伝活動 2022-04-26 | 料理
大統領の椅子のような 2022-04-25 | 生活
ブラームスが歩いた風景 2022-04-24 | アウトドーア・環境
チャイコフスキーの音楽構造 2022-04-23 | マスメディア批評
今後の指針盤となる為 2022-04-22 | マスメディア批評
暗闇から光彩への二日間 2022-04-21 | 暦
2025年以降の復活祭へ 2022-04-20 | 文化一般
本格的芸術祭への道 2022-04-19 | 文化一般
日常茶飯に出合う芸術祭 2022-04-17 | 文化一般
まるで座付き管弦楽団 2022-04-16 | 文化一般
ウクライナ救済をうたう 2022-04-15 | 文化一般
新制作二日目の狙い 2022-04-14 | 文化一般
「スペードの女王」初日批評 2022-04-13 | 文化一般
大向こうから掛かる声 2022-04-12 | 雑感
ラウンジ周辺の雰囲気 2022-04-11 | 文化一般
雪にロシアンオペラ 2022-04-10 | アウトドーア・環境
舞台を向くダミーヘッド 2022-04-09 | 音
集中や誇張のアクセント 2022-04-08 | 文化一般
和解などない露宇兄弟 2022-04-07 | 料理
ロシアンニヒリズムを想う 2022-04-06 | 文化一般
マスク無しゲマインシャフト 2022-04-05 | 雑感
所謂カジノ構想というもの 2022-04-04 | 文化一般
全てを賭ける芸術表現 2022-04-03 | 文化一般
ゾクゾクする奈落からの音 2022-04-02 | 音
最高峰から削ぎ落された祭 2022-04-01 | 文化一般
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青と黄色のこちら側

2022-04-30 | 文化一般
ヴィ―スバーデンから帰宅すると23時半を回っていた。往路もアウトバーンからマインツからマイン河を渡るシーアシュタインブリュッケが未だに通れずに、上流まで回って対岸のヴィ―スバーデンに入った。ワイン街道から104KMはバーデンバーデンよりも遠い。ラインガウへはフェリーの渡しを使う方が早くなるぐらいだ。

燃料は余裕を以てゆっくり走ったので然程消費しなかったようだが、往復で40ユーロ近くは必要だった。駐車料はカジノの下に停めたので3時間30分で12ユーロとなった。キーウ交響楽団ドイツツアーのプログラムは無料で、余ったのと合わせて二部貰い、オーケストラの冊子も貰った。ミネラル水は3.5ユーロ、〆て85ユーロぐらい必要だった。

また更に、この一連のツアーでスター指揮者アクサーナ・リニヴのウクライナユース管弦楽団のドイツ招聘の寄付活動を支援しているとある。現在は安全なスロヴァキアをベースにしていると報告があった。そちらにも関心があるので比較的高額のティケットながら幾らかでも寄与したならばとは思う。

さて、それだけの価値があったかどうか。出かける前の想定を越えて得られたものは?全行動、先ずはマスク無しで通した。マスクをしている人も少なくはなかったがスーパーよりも外している人は多く、気温も高かったので当然かもしれない。帰路の車中のラディオでは陽性時の隔離を十日から五日に短縮になった。背景には集団免疫が確立されてきたからとの説明があった。五日後に無料で検査を受けて陰性ならばそれで終わりとなる。毎日200人ぐらいが死亡し続けているが、これはもう致し方がないという事らしい。個人的にも残り一月ほどで接種の有効期限が切れるので進展の様子を見る。

公演は、既に書いたようにウクライナの国防省などにゲーテインスティテュートが後援、KDシュミットのマネージメントで執り行われている様だった。なぜかヴァルシャワフィルが関与している。恐らく仮のベースになっているのだろう。金のないポーランドがそこまでやるのは反ロシアの心意気でしかないだろう。

ヴィ―スバーデンでも最初に政治家の挨拶があってEUのおえらさんが、ウクライナがEUのこちら側であることを文化的にデモンストレートすると話したら躊躇した拍手しか起こらなかった。勿論、こちら側あちら側二元論への反発と、EU加盟とは遠いという皆の気持ちがあるからだ。

ウクライナの難民も一角に更にフランクフルト領事も来賓としてと来ていると紹介もあった。当然の事乍らウクライナ関係者も認識しただろう。指揮をしているイタリア人が、今回のツアーに関して語っている。

「この戦争の発端にはプーティンがウクライナは存在しないとしたことがある。しかし、その芸術や歴史や音楽を知ると、そのレパートリーを見ると独自のアイデンティティーを持っていて、多くのところでヨーロッパの文化に接している。それは考えている以上のもので、そのことを今回のツアーで強調したい。」

今回のコンサートのプログラムで強調したそれは具体的にどうだったのか。(続く)



参照:
黄色と青の衣装で参戦 2022-04-27 | 文化一般
徴兵免除の音楽宣伝活動 2022-04-26 | 料理
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ローマ人からの心掛け

2022-04-29 | 生活
夕方頂上攻撃とした。出かける前に前の街道筋で一部工事のパイルが置いてあったので不思議に思っていた。帰ってくると封鎖して穴を掘っていた。まわりまわって策を除けて車を入れた。そして水が出ないことに気が付いた。緊急の工事だったようで二時間程は汗を流せなかった。流しに貯めてあった水と車のトランクの水を合わせて手を洗ったぐらいだ。

それでも喉が渇いたので、先ずはヴァイツェンビーアを飲み干して食事の準備をする。整ったことに水が出たので急いでシャムプーまでしてさっぱりする。そこで食事にはもう一本開けたので自宅では珍しく二缶も空けてしまった。緊急の断水の場合はやはり水気が重要だと改めて認識。なぜローマ人が居住するときには先ずワインを造ったかが知れる。雨が降らなくても最低ワインの水気は摂れたからだ。

頂上攻撃の方が前回は腑抜けになっていた左足が最初から違和感がなかった。驚いたことにこの時計にしてからのレコードになっている。タイムからすると20分近く遅いのだが最高速が下りに時速14.5キロ出ているのでそのことだろう。心拍数も168まで上がっていた。

ヴィ―スバーデンでのキーフ交響楽団演奏会の為に少しお勉強をした。なによりも国歌の為に起立しに行くような物見遊山にはなりたくないからだ。ベルリンなどでは難民が招待されていたようだが、確かにヴィ―スバーデンのいい席も不売にしてある。そこに入るのかもしれない。しかし問題はその他の大多数の聴衆である。その核がなければ音楽会などは成立しない。

今回のプログラムの少なくとも二曲は楽譜もダウンロード出来た。探せばネットで全部見つかるだろう。しかしその必要がないほどプログラミングの出来と演奏への姿勢は確認可能となった。その結果は体験してから書きたいと思う。先日の生中継からここまでどんどんとその期待感は高まっている。

楽譜に目を通したり資料を読んだりすることもその人の読譜力などで様々な意味合いがあるだろうが、いつか放送でどこかの地方新聞の音楽評を書くジャーナリストが先人から「少なくとも楽譜ぐらいは目を通しておけと習った」と話していたのを思い起こす。

個人的には、よく知っていると思い込んでいる曲はそのようなお勉強はしていなかった。しかしその話を聞いてから出来る限り文字通り目を通すことぐらいは最低のお勉強となった。もう一つのオペラや演奏会前にはアルコールを入れないことと並んでとても価値があると思っている。

そこにペトレンコの指揮が現れたものだから、明らかな名曲をも目を通すことで名前演奏においても如何に正しく鳴らすことに工夫しているかが分かる様になった。これはまた録音などでのテークを重ねて理想に近づける方法とは異なる技能がそこにある。

つまり、生演奏がどのように為されて、聴衆はどのように反応して、それがフィードバックされる形で演奏に影響するか、中期的にはそこで為される批評が音楽作りにおいて如何に重要であるかの循環の姿である。



参照:
黄色と青の衣装で参戦 2022-04-27 | 文化一般
ローマ人の醸造所跡に立つ 2009-11-10 | 雑感
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多くの人が気にすること

2022-04-28 | 生活
発注した椅子が届いた。中共製なので細かな製造上の傷はある。糸の縫い目処理二箇所である。写真を撮ったので、どこかでアマゾンで批評するかどうか考慮する。取り替えてくれという気持ちはない。それぐらいのエンドコントロールだと思う。決して安くはないのだが、機能からすれば綻びたりしなければ構わない。

想像以上に背凭れが高く、大統領の椅子と異なるのはスリムなだけで、座る面積は私のような腰太にも十分だ。結構気になる肘掛けは細くメッキながらも皮のパッドが丁度いい。誰かが二年で壊れたので無料交換して貰ったとあったが、材質さえよければ問題にならない筈だ。個人的には机に肘掛ける方が多いのであまり消耗しない。

但し気になるのは多くの人が気にしていた最低高の49CMだかが問題になっていた。ある人は身長165CM以上の方がいいとか、女性でも大丈夫だとか、息子に古いのを使わしているが問題がないとか様々。足の長さにもよるのだろう。実際に深く腰かけても問題はないのだが今迄も一番傷みやすかったエッジがどうなるか心配だ。丸く裁縫してあるので下の方で割れてこないかどうかである。ある程度乾いてきたらクリームを塗った方がいいかもしれない。

上の三つの条件から机に入れて使うと使い易いのだが、ジーンズは邪魔になるかもしれない。謳い文句にはショーツでも座り易いとあったがさてどうか。同時にバルコンに背中を向けているので、陽射しがモニターに反射する。背凭れの高さが日影を作ると同時にそれを若干上方から観ることになって、使い易くなった。

なによりも高さ調整が壊れていた椅子でクッションを置いて高さを稼いでいたので、あまり前に乗り出すことが出来なかった。その分眼鏡を拵えるまででも仕事効率は上がる。深く座り込んで深く机に入ってという椅子だろう。

ベルリナーフィルハーモニカーのアメリカ公演の概要が分かってきた。先ずは7日にフランクフルトの壮行演奏会でマーラー七番その後10日から三日間はニューヨークカーネギーホール演奏会。二日はマーラーでもう一つのメインはコルンゴールト交響曲だった。来年に備えてリヒャルトシュトラウスだと思ったが外れた。コロナで潰れた企画だった。ノーマンの新曲は既にドイツで初演をしている。

16日がシカゴなのでその間にボストンだろうか。そのあとにミシガンの岸向こうの大学で19日まで二晩の演奏会のようだ。コルンゴールトの演奏も聴きたかったが、少なくともベルリンのフェストシュピーレに出かけなければいけないだろう。

マーラーの七番は、夏のツアーの最後にロンドンのプロミスで、ショスタコーヴィッチなどと演奏中継されるので、最終的には十回ほどの本番を経ることになるだろう。これは間違いなく2023年のシェーンベルクの変奏曲の前練習になる。

2024年9月13日は作曲家生誕150年記念となるので、ベートーヴェンでもそうだったように、これでドイツを代表する作曲家となって市場を席捲するかどうか。楽聖も生誕200年までがその市場の限界だった。2025年には復活祭で未完の「モーゼとアロン」の上演を期待したくなるところである。



参照:
大統領の椅子のような 2022-04-25 | 生活
この間の経過を追想 2022-01-18 | 生活
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黄色と青の衣装で参戦

2022-04-27 | 文化一般
ウクライナ政府のプロパガンダに参戦することにした。戦う訳ではないが、ドレスデンからの中継を観て判断した。食事をしながら流しただけだが、想定以上に真面な演奏会だった。指揮者の意思もあるだろうが、主催のドレスナーフィルハーモニの思惑も見えた。つまり国旗などを掲げることもなく、最初にウクライナ語での通訳のある挨拶があっただけで、国歌も演奏されずにとても気持ちよかった。そこのフィルハーモニカーはヤノフスキ―などの指揮者で絨毯爆撃祈念演奏会など右翼的な催しもあって注意していたのだが、楽団同士の挨拶の形をとっていて、最後に「再度の訪問ではなく、逸早くホームのキーヴに還って演奏会が出来ることを祈る。」として中々微妙な言い回しで感心した。音楽でも何でも同じだが表現者のセンスがこうしたところに表れる。

先ずプログラムが気が利いている。ベレゾフスキーは1845年ウクライナ生まれで、モーツァルト世代であるが同じように早世で、また同様に死因が不可解で小説化されているらしい。現在の北東国境線に近いフルヒフ出身らしい。ハ長調交響曲が演奏される。そしてショーソンの「ポエーム」はドレスデンとは異なりヴィ―スバーデンではゼメネンコというオデッサ出身の若いタレントが弾く。HPを見ると結構期待の出来感じでバシュメットにも習っていてスピヴァコフ指揮で演奏もしている。ロシア楽派だろうか。アンコールにスコーリックの「メロディ」が入っていて、二年ほど前に亡くなった作曲家で、ルヴィヴ出身ながらヴィーンで学んだ両親は1945年にシベリア送りで死亡している。カバレフスキーに作曲を習っているようだ。

後半が1895年生まれのリャトシンスキーの交響曲三番でソヴィエトの作曲家としても重鎮だったようだ。キエフよりも西寄りのジトミールという町の生まれのようで、地理的にも興味が尽きない。もうこれだけで十分な文化的な宣伝になっている。

そして交響楽団も特別編成ではないと思うが平均年齢は若くて、こうした無期限のツアーでいい指導者に恵まれれば上手くなりそうな雰囲気で、少なくとも徹底的にプログラムを練れるので政治的なおかしな圧力が掛からなければいい演奏をすると思う。だから政治的にも壁になれるような指揮者の手腕が問われる。演奏風景を観ている限りは音楽的に集中できるだけの環境や雰囲気は感じられるので、実際にどうなのか楽しみとなる。

ヘッセンの州都ヴィ―スバーデンで開かれる演奏会の主催は州知事と市長になっているので出てくる可能性もある。コロナ前のネルソンズ指揮ブルックナー八番よりも売れていて悪い席でも30ユーロもするので躊躇していたのは、ただの政治的な催し物かどうかを見極めたかったからだ。それで直前になったのでネットでは買えず、電話して席を押さえた。午後に再び見ると前列が空いていたので席替えして貰った。後列で起立の儘国歌迄と思っていたが、その額を払えば座っていて演奏者がよく見える席の方がやはりいい。

ドレスデンでは如何にもこの手のコンサートに慣れていない人たちが一楽章ごとに拍手していたが、ヴィ―スバーデンではどうなるか。宣伝の仕方などで変わる。ラインガウワー音楽祭が一般発売を引き受けているなど興行主の三団体の常連さんを主に公報で集まった人も少なくはないであろう。式次第からして見ものである。

黄色と青の衣装で出かけるぞ。



参照:
「スペードの女王」初日批評 2022-04-13 | 文化一般
外国国歌を起立して歌う馬鹿 2022-03-15 | 文化一般
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徴兵免除の音楽宣伝活動

2022-04-26 | 料理
キエフの交響楽団のドイツツアーが始まる。キエフ陥落を目前に広場での演奏が生中継されていた楽団の本体である。イタリア公演中に侵攻勃発で帰国不可能となった。するとキエフで演奏していたのは参加しなかったメムバーと昔のインテリ指揮者だったのか。冴えない音しか鳴っていなかった。

兎に角、首席指揮者ガッジェーロはフランクフルトターアルゲマイネ新聞によるとイタリア出身でドイツで学んでフランスでも教鞭をとっている。

先ずテークオフとしてドレスデンの文化宮殿からのコンサートがYouTubeのドイチェヴェレチャンネルで生中継される。一月の公演からのヴィデオもあるのでそれも参考にしてみたいが、その腕を観たい。

インタヴューではなかなかいいことを語っていて、ウクライナで指揮するようになって、その姿勢から演奏の都度学ぶことがあると語っている。基本的には欧州の中での文化の芸術の音楽の在り方を体得してもらい、それは同時にヨーロッパ人として共通の文化地盤という事であるらしい。同時にその音楽は、民族主義的なものから欧州的なものへそして世界的な普遍的な文化であるということでもあるらしい。

つまり同時にインタヴューに答えているウクライナの若いヴァイオリニストは、現時点ではロシア音楽を、それも西ウクライナ出身のプロコフィエフも演奏などすればロシアのプロバガンダに寄与することでしかないとするが、それは最終的には各々の判断だとしている。幾らかは西欧で学んだ気配を感じさせるが、この楽団の無期限延長ツアーは、ウクライナの文化省だけでなく国防省の後援を受けているという。つまり、男性の楽団員も兵役を公式に免除されているという事になる。更に情報省にも公認されているのでそのものプロバガンダ楽団として活躍している。

それならば滞在費等は公的な支援を受けていることになる。同時にこの楽団のツアーの収益はユニセフに寄付されるとある。またオクサーナ・リニヴが率いるユース楽団ツアー実施への寄付活動も支援するとある。
Kyiv Symphony Orchestra, Luigi Gaggero & Diana Tishchenko (violin) | Kulturpalast Dresden


一週間前にパリ風棒々鶏を夜食に作ったスープが残っていたので、鶏の入っていない味飯につかった。温めて見て味の変化がなかったのを確認して蒸発させて量を半分以下にして使った。未だにおかしくはなっていない。大丈夫であった。味も悪くはなかった。再びリースリングに合わせた。その時はラインガウのグランクリュ2016年産グレーフェンベルクだったが、今回は一本余った2018年産フォルスターで尚よかった。

特製ソースも素晴らしかったのだが、なによりも数分で火を消して蓋をしておいておくことで味が出てしまうことなく棒々鶏を愉しめた分、今度はスー^プの味は薄めだった。だから凝縮した価値があった。結局二度の料理で火を使う時間はそれほど変わらないことになる。



参照:
大統領の椅子のような 2022-04-25 | 生活
ワインに合うパリ風棒々鶏 2016-05-24 | 料理
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大統領の椅子のような

2022-04-25 | 生活
新シーズンの予定等をそろそろ書き入れる。夏のルツェルンフェスティヴァルが九月迄掛かっていて、オーヴァーラップしている。新シーズンの予定が出てくるとそれに重なる様になると思われて、一部は既に日程が埋まってしまっていると思う。要するに2022年秋からの新年度計画表を待っている。幾つかのもので引っ掛かるもので出てきそうだからだ。

本日初めて降雨があった。前回の降雪以来だから二週間以上かんから照りだったことになる。五月には珍しくないが四月には珍しい積雪と晴天がコントラストを作った。まるでチャイコフスキーのオペラのような天候だった。農業では困っていたようだが、観天望気によると生産量が落ちることになる。ワインに関しては量が落ちるのは価格高騰になるが質は悪くない筈だ。

復活祭週間に事務用椅子の支えが壊れた。現在はその前に使っていた足と取り換えて誤魔化している。その前の椅子は皮張りが破れたこともあるが足も一本折れているので、場合によってはひっくり返る。落語の道具屋の壁に立てかけないと立っていられない人形の様である。早速ネットで後継のものを知らべた。

長い時間座り続けていることも多いので、幅が狭いものは使い難い。だから幅広で痛み難い革張りが欲しい。更に肘宛が広めの方が使い易い。その前提で検索するとそれ程オファーは多くはなく、大統領の椅子並みの高級なものが出てくる。現在の事務机周りの使い道からはそこ迄は不要で、ルヴィンスキーのような秘書もいない。すると適当な価格帯で使えるものを選び出すだけだ。

今まで使ったものは皆同じように左足の太ももで押さえた箇所の前が凹みその皴で割れてきた。次回も同じようになるかもしれないが、そこが柔軟であればひび割れし難い。しかしアマゾンの評価などでは今回のものは肘宛が同じように割れてきていた。取り換えが効いたというのだが、さてどうなるか。今回の椅子は二十年ほど使えたと思うので十五年ぐらいは期待したい。

リクライニングとか硬さ調整とかは端からあまり期待していない。今迄使えたためしがないからで、重要なのは高さ調整とそのエアーが抜けないようなシステムかどうかである。抜けてしまうと下がってしまうので、クッションを置いて誤魔化しているのが現状だ。あとは皮の鞣しの風合いとか丈夫さ。色は今まで黒を使っていたが、少々茶でも全く構わない。

組み合わせて今使っている椅子も自分PC用には使えそうだが、それこそ壁に立てかけておかないと誰かがひっくり返って頭を打つかもしれない。足が四本もあると五本必要だと気が付かないのがふつうである。

復活祭期間中に開けたマグナム瓶を記念撮影。敢えて二日に分けてゆっくり味わったが、やはりデキャンタして置くと二日目に広がって来ていた。白い花系の香りなど玄武岩土壌の2014年産フォルスターヴィラージュだった。2014年のリースリングの出来の良さと通常瓶の出来の良さで購入しておいた。これと比較すると更にマグナムを購入した2018年産は酸も薄く、出来が悪いのだが、取り柄はイエズイーテンガルテンの植え替えた若い株の葡萄が入っているお得感である。



参照:
長過ぎる買い物・出費リスト 2011-01-03 | 生活
2016年産の果実風味への期待 2017-05-04 | ワイン
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ブラームスが歩いた風景

2022-04-24 | アウトドーア・環境
身の回りが片付いた。これでゆっくりと今年の復活祭フェストシュピーレを振り返り、来年を予想しながら、五月からの準備を進めていく。同時に疲れも出てきた。水曜日に走って金曜日にも走ったので、週のノルマは果たせた。この間、先週の頂上アタックが短いコースになって、もう一度短いコースが抜けたので週に3kmしか走れなかった。その分1986年以来再びバーデンバーデンのアルテスシュロースの山城に上った。当時は旅行中だったので真夏に街から歩いて山を上がっていったのだった。そこで岩場も見学したのも覚えている。

一張羅の靴も点検したが山城を歩いた時の傷は最小で、大きな損失はなかった。フランスのスーパーで購入した2014年産マルサネも開けてみたが、想定内のいい出来で、価格22ユーロの割に合うものだ。五月には再訪するのでまた違うのを狙いたい。2020年とか2019年産のブルゴーニュがあった。

やはリ久しぶりにブラームスの住んでいたリヒテンタールも目指したが、そこでシュヴァルツヴァルトらしい風景の中でピクニックが出来たのもよかった。ブラームスシュトラーセとなっているだけに、毎日のように散策していた筈で、見ていた風景其の儘に近いだろう。早起きの価値があった。序にムルクタールへと向かう峠道を走って、森の中の食事処も見つけておいた。

昨秋の朝の練習から本番までの間に寝ていた反対側の谷の峰沿いになる。あの辺りは国道500号の本稜線から離れているので地元の人が殆どで隠れ谷の感じがよい。恐らくベルリナーフィルハーモニカーの自転車好きが毎年目指しているようなワインディングロードに違いない。今後とも宿泊無しで通う事も少なくなく、更に朝の催し物や練習などを覗くとどうしても静かに森の中で時間を潰す事が多くなるので、土地勘が増えると今後の蓄積になる。嘗てはザルツブルク周辺でも様々な峠の脇道を試みたのだった。

今年もフランス語やロシア語だけでなくイタリア語なども聞こえたが、来年は更に海外からだけでなくドイツ国内からの聴衆も増えるのは間違いないだろう。個人的にも音楽祭らしい雰囲気が益して来ている。少なくともフェスティヴァルラウンジの開催は今迄の他所での時間限定のところよりも価値が高まり、惜しむらくはクーアハウスの高額の駐車料金が問題となる。祝祭劇場の駐車場の利用方法などももう少し工夫するといいかもしれない。

五月は27日~29日がワイン試飲の本番になりそうだ。現在のところ28日土曜日にSWR交響楽団演奏マーラーの第七交響曲の予定がある。金曜日と日曜日に出かけるしかないだろうか。醸造所によっては接種に関係なく陰性証明書を出せという突飛圧しもないところもあって、まだ本格的な試飲会とはならない。しかしその他は着席でとか工夫はしているようで、それはそれで落ち着いて試飲が可能かもしれない。こちらの方もぼちぼちと予定を練っておかないといけない。

劇場はフランクフルトへ一回、ミュンヘンへ一回の予定だ。演奏会は上のバーデンバーデン以外は現在のところ開けてある。



参照:
チャイコフスキーの音楽構造 2022-04-23 | マスメディア批評
2018年産最初の試飲会 2019-05-05 | 試飲百景
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チャイコフスキーの音楽構造

2022-04-23 | マスメディア批評
フランクフルターアルゲマイネ紙の「イオランタ」批評は、ペトレンコに単独インタヴューしていた筆者乍、「スペードの女王」では書き切れていなかった音楽について少し踏み込んでいる。

ペトレンコの指揮したチャイコフスキーの集中した壮麗さと感受的なエレガントを一度でも、その音楽的構造とバランスを意味合いを体験した者にとっては、そのようないい加減な評価に怒りと恥を感じるものでしかないと書いている。

要するにロシア音楽嫌い若しくは苦手な者にとっては漸く正しい評価の切っ掛けとなるのがペトレンコ指揮のチャイコフスキーの体験でしかないとなるだろう。

そうした意味のあるチャイコフスキー指揮者としてムラヴィンスキーなどが有名であったが、残るバレー音楽の録音などにも欠けるのはペトレンコにおけるエレガントであり、その柔軟性ではなかろうか。

ベルリンへ戻ってのコンサート形式での批評では、ゲルギーエフやヤンソンス指揮のチャイコフスキーを超えて嘗てない最高の体験だったとされているのだが、まさしく西欧の視線のみならず本物志向においても到底及ばないのがそこにおける構造感とバランスで表現されようとしているものかもしれない。

因みに上で批判対象となっているのが1948年のアルフレード・アインシュタインが「音楽におけるロマンティック」において、チャイコフスキーは中程度の作曲家であるとしていることに準拠する。

上記の集中というのは、声楽に付き添う管弦楽の心理的音色的な濃さであり、その管弦楽が舞台の上にあるにも関わらず、必要ないところでは轟くこともないベルリナーフィルハーモニカーとしているところである。彼らは、それ以上に狙いの定まった大きなフレージングと精密なアーティキュレーションでそれを為していたのは、歌唱上これ以上求めようのなかった「スペードの女王」で示されていたものだと後出しで今頃書いている。

例えばこれと1986年における大成功したカラヤン指揮「ドンカルロス」の録音とその復活祭でのベルリナーフィルハーモニカーを指揮した映像、並びに夏のヴィーナーフィルハーモニカーを指揮した映像などを比較すれば、少なくともカラヤンにはなかったペトレンコの天才性が確認できるだろう。なるほどその頃のカラヤンは、マイヤー騒動後で最早それだけ音楽芸術的な制御が効かなかったのは事実であり、そこ迄の意義をそもそもヴェルディのオペラや音楽に感じていなかったのであろう。

ベルリンでは、バーデンバーデンの千秋楽に明らかに嵌まったヘルマン役のアルセン・ソゴモーニヤンが大絶賛されていて、今まで聴いた一番大きな声とされた。メータ指揮の「オテロ」をスケルトンに代わってベルリンで歌っていたのでお馴染みのようだが、これでアスミク・グリゴーリアンが歌っていたらどうなっていただろうと思う。主役の次にペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーがいたとされて、舞台がない演奏では他のドラマが吹っ飛んでしまっていた様だった。
Agnes Baltsa - Ich bin ein Sorbas - Portrait ZDF cf.15m

Verdi: Don Carlo - "Nel giardin del bello", Agnes Baltsa, 1986

Don Carlo Karajan 1986




参照:
Ein wahres Himmelsgeschenk, JAN BRACHMANN, FAZ vom 21.4.2022
今後の指針盤となる為 2022-04-22 | マスメディア批評
2025年以降の復活祭へ 2022-04-20 | 文化一般
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今後の指針盤となる為

2022-04-22 | マスメディア批評
久しぶりに頂上アタックをした。日没までの時間を使った。4月6日以来で二週間ぶりとなった。この間、9回バーデンバーデン往復をして1800km以上車で走った。不順な食生活だったが、体重はそれほど増えていなかったようだ。但し走り始めから左足が全く蹴れなかった。結局それで時間を掛けて往復した。左足のケガは忘れていたのだが、これで殆ど治った感じもある。それ程仕えていなかった筋力があって、それが不自然な走りになったのだろう。足をあまりコントロールできなかった。

この間の復活祭での批評に改めて目を通す。特に新制作「スペードの女王」は今後のフェストシュピーレにおいて指針盤となるのでとても重要である。一番核心に触れているのは南ドイツ新聞の批評かもしれない。

そこでは金即ち権力と愛との葛藤が描かれた作品「ポッペア」、「フィガロ」、「トラヴィアータ」、「指輪」と来て、チャイコフスキーの最後の大作「スペードの女王」でその頂点に達した。大詩人プーシキンのシェークスピアを黒いロマン、社会分析、愛の心理学で洗練させた原作が作曲家を不可抗力の深層心理の音楽へとインスプレーションさせた。それが民謡であったり、モーツァルトのパロディーや、教会音楽やベルカントで、パトスとか、不安や出任せや深層心理やロマンティックな断章などの様に認知される。

バーデンバーデンにおいては、キリル・ペトレンコの指揮とベルリナーフィルハーモニカーがそれらの一瞬一瞬を正確に描こうとした。音の強弱における細分化、アゴーギク、音色においてその楽譜は殆ど悲愴に多くを学んだマーラーにおける精査に近づいていたとしている。

このことは最終日のカールスルーへのモェシュ博士の話しで出てきた、この曲をメトで初演したのはそのマーラーであって、実際に今回の舞台の背景で軍楽の響くシーンなどはまさしくマーラー交響曲における同種のコラージュ手法であって、同様の内容の「ヴォツェック」に引き継がれている。

ペトレンコは、総譜に息吹を吹き込み、まるでゴーレムを生き返すように、そのあまりに違和感のある独特な強調されたものを、一切の平均化や茶化したり、スマートにすることなく全てを納得可能とした。こうした細部へや近代的な響きに対する拘りと同時にペトレンコは、何ら無理ない静まり切った蠢きから鞭入れられた轟迄を、狂いまくる情熱を、長く紡がれたカンティーネを、暗黒の音響的縁迄を組み合わせた。そこに、何でもない、全てがあった。彼は、歌手やスロヴァキアの合唱団に殆ど手を携えているようなものだった。

指揮者への音楽的な評価として、この天才指揮者に対してこれ以上適格な批評は無かろう。そして、満席に入っていない聴衆がペトレンコとフィルハーモニカーを熱狂的に喝采するのは不思議でも何でもない。

そして祝祭劇場だけでなくて、今の世界でロシア音楽を排除できる筈などがないとも綴っている。



参照:
Spielball der Lüste, Reinhard J. Brembeck, SZ vom 10.4.2022
2025年以降の復活祭へ 2022-04-20 | 文化一般
「スペードの女王」初日批評 2022-04-13 | 文化一般
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暗闇から光彩への二日間

2022-04-21 | 
復活祭日曜日にチャイコフスキーの最後のオペラ「イオランテ」がコンサート形式で上演された。既に二月にベルリンで健康を害した題名役を十八番にしているヨンチェヴァに代わってアスミク・グリゴーリアンが初共演した。今回も十日ほど前にコロナ陽性になって心配された。なるほど若干声が本調子でなかったようだが表現的にはグリゴーリアンよりも熟れていたかもしれない。声がある人が歌うとどうしても役柄が表に出過ぎるきらいがある。特にこの曲の場合はやはりデンマークの原作の童話性が欲しい。衣装も化粧もその点ヨンチェヴァはよく考えていた。

当日のレクチャーまでは気が付かなかったのは、その舞台がバーデンバーデンの河向こうのフォーゲゼン山脈で、ワイン街道のプフェルツァーヴァルトに繋がりバーデンバーデンの通り道の山の向こうになる。しかし岩の描写などがあるのでコルマーに近いロートリンゲンだろう。だからブルグンダーの二人の騎士が登場する。バーデンバーデンからすれば殆どお当地ものだった。

生まれつき眼の見えない姫が、色や光の存在に気が付き、神々しさを以て開眼する話で、チャイコフスキー最後のオペラとして信仰的な思いが満ち溢れた後期ロマン派の楽曲となっている。復活祭初日に相応しい演奏であった。ベルリンよりも既に声に合わせる柔軟な演奏が可能となっていた。

翌朝11時からブンデスユーゲント管弦楽団の演奏会があったので、コルマーの花崗岩土壌ではない世界的にも珍しい玄武岩土壌のワイン地所フォルストのヴィラージュを開けたが、デキャンターして半分を残した。この演奏会は親御さんなどの影響もあるのかもしれないがアナネトレブコとペトレンコとの初共演に続いて売り切れていた演奏会だった。会場が数百人規模のベナツェットザールであることもあったが、プログラムが無くなるほど満席だった。

とてもデットなホールなのだが、ここで最初に演奏された「運命」は前夜の暗闇から光への「イオランテ」を繋ぐ復活祭の二日に相応しい出しものだった。個人的には「運命」交響曲はベーム指揮ヴィーナーフィルハーモニカー演奏以来で感動した。最初から様々な工夫もあって、その音響とともにトスカニーニ指揮を思い起こせながら第九でも見せた新鮮な奏法など新校訂版に沿ったものでダイシンの指導が入っていたのが伺えた。座った位置からのアメリカン配置の低減の対抗や表現も雄弁で、その点でも、それが終楽章へとなるとヴィーナーフィルハーモニカーの演奏を超えていた。なるほど晩年のベーム指揮という事もあって「田園」に続いての「運命」の終楽章がアタックからそこに入る所が頂点であとは常動曲のように流れてしまっていた。それに比較して最後の反復からコーダへももう一つの山を築いていた。失念していたが、もう一度だけサロネンが日本デビューして指揮棒を投げ飛ばしていた「運命」は黒歴史以外の何ものでもなくなって仕舞った。

ティーンエイジャーの瞬発力や一心不乱な姿勢には到底対抗できない。それを朝一発目に持ってきたペトレンコの狙いは明らかで、会場も圧倒的に湧いた。今後ベルリンでも同曲を指揮することもあるかもしれないが、この曲の体験としてはこれが生涯最高のものになる可能性が強い「運命」だった。

後半は、来シーズンに合わせて「ティルオイレンシュピーゲル」指揮が予定されていて作曲家の映像などでお勉強していたのだが、ウクライナ騒動でフィンランディアに代わってしまって、その点では残念だった。



参照:
意表を突かれた気持ち 2019-01-13 | 音
指揮芸術とはこれいかに 2019-01-08 | 音
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2025年以降の復活祭へ

2022-04-20 | 文化一般
バーデンバーデン祝祭劇場とベルリナーフィルハーモニカーが祝祭後に会見した。そこで既に契約上決定していた2024年を超えて2025年の開催も調印された。過去のブログを調べてみると2018年復活祭「パルジファル」上演後に2024年までの調印がなされていたようだ。つまりその頃は2024年までの計画しかペトレンコとの間で為されていなかった事になる。

その後メータ指揮「オテロ」を挟んで、「フィデリオ」、「マゼッパ」が中止になり、後者は昨秋コンサート形式で上演された。するとリヒャルト・シュトラウスの後に何が来るだろうか?同時に今後のオプションでの延長が具体的に模索される筈だ。

少なくともヴァ―クナー上演に関しては、今後のバイロイトでの動きとも連動するかもしれない。今回もフィルハーモニカーのツェッチマン支配人は、「バーデンバーデンの復活祭は、今後もペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーが舞台のついた奈落で演奏するただ唯一のフェスティヴァルであり続ける。」としていて一歩踏み込んでいる。

恐らく最終日には、支配人も会場にいただろうが、「今後もスタムパ支配人の祝祭劇場のチームと活動することを楽しみにして、既に為したことに感謝している。」と思ったのは真実だろう。

そのスタムパ支配人も「2022年復活祭は、芸術的にも経済的にも大成功だった。」としていて、「二年間のパンデミーと海外からの訪問者無しで80%の占有率は四週間前には予想していなかったことで、最後の目覚ましい滑り込み売りがあったとしている。なるほど個人的にも一席学生券を10ユーロで購入して貰った。

ウクライナ侵攻に関しても、開催前のやりようによっては大きな波紋や飛沫を浴びる所であったが、支配人の人物にもよるのかあまり攻撃的にはならずに受け身ながら明白な防衛線を堅持した戦術は成功した。恐らく政界の重鎮ショイブレ博士の力を借りることなくリップ博士などのアドヴァイスで老獪に処理したと思う。ロシアの歌手も祝祭劇場が保障すると守ることで点数を上げた。

特に主役のヘルマンを歌ったアルメニア人のソグニヤンの他ロシアの第一線級の歌手などは今回の祝祭劇場での扱いに感謝しているに違いない。主役は同じようにセルシのイヤーゴとハルテロスのデズネモーナでミュンヘンでオテロを歌う。最終日は見事に難しいところも歌い切った。

従来のコンサートや今回も大きな話題となった連邦ユース管弦楽団演奏会や室内楽演奏会に加えて、ベルリナーフィルハーモニカーも参画するプロジェクトも上げていて、以前のアカデミーとのオペラ公演なども集約されてくるのではなかろうか。

ベルリナーフィルハモニカ―も18日程滞在して、ペトレンコらも数週間滞在するバーデンバーデンでの芸術キャムプは今後充実していくと思われる。本来はネトレブコらもエアロビクスなどの時間を提供する予定だった。



参照:
本格的芸術祭への道 2022-04-19 | 文化一般
バーデンバーデンの調印 2018-03-29 | 文化一般
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本格的芸術祭への道

2022-04-19 | 文化一般
バーデンバーデンの復活祭が幕を閉じた。紆余曲折があったものの最終的にはその音楽的な成果は計り知れないものがあった。先ずは昨年のミュンヘンでの最終日以降初めてキリル・ペトレンコが奈落で指揮することから期待されたベルリナーフィルハーモニカーにより新たな音楽表現の可能性の天井が開いたことだ。

今回の演奏が来年以降のバーデンバーデンでの音楽活動の大きな株となることは間違いなく、それどころか次の定期演奏からの表現力の拡大に繋がる。一部ビックファイヴのそれに決して引けを取らないような弾力性と柔軟さが備わることになる。その一方で嘗てカラヤンが築いたような楽器間の有機的な繋がりを千秋楽には披露していた。その「スペードの女王」の四日目の演奏に関しては改めて纏めるとしても、バーデンバーデンの耳の肥えた聴衆にも新たな音楽的な可能性への示唆した。

そして芸術的な成果も吟味される。先ずは前記のオペラ公演の音楽劇場芸術の価値を吟味すると同時に指揮者ペトレンコが事実上の音楽監督であるオペラ上演を含む全体のプログラミングに関する評価も必要となる。

抑々この祝祭劇場が黒い森の北端の湯治場に立てられた意味も地域文化の穴を埋めるという公的な使命が課されたことであり、この復活祭を通してそれが為されるかどうかが問われる。

千秋楽「スペードの女王」のレクチャーで最寄りの高等音楽学校カールツルーエのシュテファン・メッシュ教授が時間の無いところで改めて付け加えたのは、なんとキリル・ペトレンコの指揮者としてのユニークさについてだった。この件は、他でも今回改めて扱われていて、追放されたゲルギーエフにおける従来的な指揮者の権威やそうした社会性との対照として挙げられることになっている。

それに留まらず、楽曲に奉仕するようなしかし決して衒学的とはならず妥協のない徹底したその音楽的な姿勢としてこの天才指揮者を定義した。それが芸術監督としての評価ともなるのか?

今回の復活祭フェストシュピーレのそうした包括的な文化的意味づけには、コロナ禍を超えての開催、そしてウクライナ騒動を通してのキャンセル文化とその影響を挙げずには要られない。

大きな意味では、それは価値観の確認ともなり、こうした芸術祭においては核心でもある。既に言及したように演奏者においても殆ど練成会の様にというのは啓蒙思想におけるこうした活動の原点にあるべき姿であり、その枠組みにおいてキャンセル文化を否定したのも支持を得られた。反対に南西ドイツ放送の前支配人フォス氏は地元紙でゲルギーエフ排除に関して批判しているようだ。勿論これは我々も排除へと動いたのでボイコット運動などへと繋がっていたことである。

総じて、嘗てのモルティエ時代のザルツブルク音楽祭におけるオーストリア国内の右翼政権とベルギー間の外交問題化やそこに集う聴衆や支持者など、巷での議論以前に政治的な解決がなされたことを考えれば、プライヴェートな音楽祭として十分な関心と議論が展開するだけの空気感が感じられて、その点でも本格的な芸術祭へと大きな歩みとなった。



参照;
日常茶飯に出合う芸術祭 2022-04-17 | 文化一般
ラウンジ周辺の雰囲気 2022-04-11 | 文化一般
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日常茶飯に出合う芸術祭

2022-04-17 | 文化一般
聖金曜日は朝から出かけた。先ずは11時からラウンジで「スペードの女王」のガイダンスがあり、14時からは同じクアーハウス内のヴァインブレンナーザールで室内楽演奏会があった。

復活祭中に数々のベルリナーフィルハーモニカーによる室内楽が催されているがその中の一つである。今回はただ一回だけ出かけたのがこのグリンカのトリオニ短調とコルサコフのロ長調五重奏曲の二曲を演奏する会である。パユ、フックス、ドール、シュヴァゲルト、ピアノのアイディンが演奏した。会は盛況で、当日も売れて9割ほどの入りだった。

ドールの進行も場に適ったもので、穏やかで気持ちの良い金曜日の地元と滞在客の双方で埋まった客席を和ますだけのコミュケートがあって、その響く音楽の質を期待させるだけのものであった。

この室内楽シリーズは、ラトル時代から行われていたものではあるのだが、訪問するのは初めてだった。コロナ禍でこれまた流れて仕舞ったのだった。これはフェストシュピール全体の雰囲気にも関わるものなのだが、やはり全然変わったのではないか。ラトル自体のキャラクターは決して悪いものではなかったのだが、あのオペラを演奏するフィルハーモニカーの立場を考えると、より真剣なタイトで練成会的な感じがペトレンコ体制ではあるのではないかと思う。

そうした意味合いからもこうしたラウンジや室内楽で客の入りやその反応をその期待される内容とともに知りたかった。親密な感じだけでなくて、それなりな芸術的な香りを感じる時に、歴史的にそこのクアーハウスでフルトヴェングラーが指揮した「指輪」やその昔には、ヨハン・シュトラウスやリストなどの面影を追う事になる。

そうしたサローン文化との兼ね合いがまさしく上の「スペードの女王」の中身であり、真実も偽物もごちゃまぜにされている秘宝館とされるものであった。そこで顧みられるロココは当然の事乍らネオロココとされるものであり、そこで展開される風景も復古主義的な彩から、前現代へと、即ち完成した閉じた芸術ではない開かれた芸術へと、ごちゃまぜのカオスが想像される。

それはチャイコフスキーのオペラにおいて重要な意味を持つロマンツェはどの登場人物が歌う事になっても構わないものとすらなる。それだけ登場人物のキャラクターが明確に描き切られることとはならないのである。つまり取り替え可能とさえもなる。

これらはただの美学的な見解であるかもしれないが、今日において、ロシアの帝政からの歴史、そのサローン文化、そこにおけるフェークやお膳立て、そうした日常茶飯なものに出合うようになれば芸術祭も本物ではなかろうか。確かにモルティア時代のザルツブルクにはそれがあった。バーデンバーデンももう一息ではなかろうか。



参照:
ラウンジ周辺の雰囲気 2022-04-11 | 文化一般
大向こうから掛かる声 2022-04-12 | 雑感
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まるで座付き管弦楽団

2022-04-16 | 文化一般
新制作「スペードの女王」第三回公演は大成功だった。演出、演奏共に修正が加わりどんどんと進化し続けている。カメラは回り続けているが、千秋楽での決定版を想像するしかない。

演出は特に飛び込みのリザ役の所作が明白になるだけでなく、全てに意味するところが分かり易くなっていた。特にマスの中に隠れていた動きが目に留まるようになってきた。これは高級娼婦の館での場面での批判に応えるだけの感じもあり、修景での長机での動きもよりハイライトを浴びるような効果を出してきた。元々この演出家グループのそうした扱いが若干散漫だったことにも気が付いた。初日と千秋楽など二度の訪問はあっても、続けて通うのは初めてで、そもそも通常は演出家が付きっきりという事はあり得ないのであまりないことなのだろう。

それどころか終幕の上半部迄幕を開けてのポリーの部屋は付け加えられていた。下半部だけでは圧迫された印象を与えたのだが、上を開くことで視座が広がった。それで「ヴォツェック」に若干「ルル」的効果が加わっただろうか。

演奏面では、なによりも二日目の緩い演奏から、ここ一瞬の歌の山に反応する緊迫感が加わった。即ちベルリナーフィルハーモニカー特有のゴリゴリピンピンのそれがまるで座付き楽団の様にふんわりと流せる感じに付ける巧さが加わっていて、一体どうしたのという感想だ。その為に二日目に抜く指揮をしていたのかもしれないが、最初の景では若干締まらなかったのだが、ピアノの景から急に引き締まってきた。

この交響楽団をこんな座付き楽団にしてしまうなんて、もう天才指揮者以外の何ものでもない。下り番のチェロのフランス人などもバルコン空き席に家族と入っていて、どう思ってみていただろうか?

あの流した感じと声を盛り立てる奈落が劇場感そのものであれがないと音楽劇場にならない。まさしくフォンカラヤンでさえできていなかったものだ。もうこれだけで音楽監督ペトレンコの復活祭は大成功したようなものである。

そして三日目は初めから会場の雰囲気が違った。やはりミュンヘン通っていたような通が沢山入っていると、ペトレンコ登場の時の歓声からして分かった。それでも緩く入って、愈々感じが出てくると、会場の雰囲気が変わったことを感じた。それでも手綱を絞めて適格に運ぶのがミュンヘンの前音楽監督であり、後半にそれも最後の景に山場を持ってきた。

なによりも進化は、最後のユースのメムバーも加えた喝采と、復活祭では初めてベルリナーフィルハーモニカーが退席してから、もう一度幕を上げさせたことではないか。当然の事乍ら最終日にはもう一つの名演とその反応を期待させるには十分であるが、さて休暇最終日という事でどこまで援軍無しに為せるだろうか。矢張り最終的には上演の盛り上がり以外の何ものでもないと思う。

しかしベルリナーフィルハーモニカーがこうした技を身につけるとどえらいことになりますよ。



参照:
新制作二日目の狙い 2022-04-14 | 文化一般
「スペードの女王」初日批評 2022-04-13 | 文化一般
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