Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2021年1月

2021-01-31 | Weblog-Index


自慢のエネルギー源 2021-01-31 | 暦
とても味わい深い残響 2021-01-30 | 音
75周年記念番組を聴く 2021-01-29 | 生活
厳しい二月を前にして 2021-01-28 | 暦
ニキシュ指輪四十年 2021-01-27 | 音
ハンザからの初生中継 2021-01-26 | 女
二枚重ねの効用実践 2021-01-25 | 生活
とても混濁していた記憶 2021-01-24 | マスメディア批評
バカもコロナも高みへ 2021-01-23 | 文化一般
ストッキングを被る男 2021-01-22 | 雑感
復活祭へと希望を繋ぐ 2021-01-21 | 暦
二つも三つも程度が異なる 2021-01-20 | 雑感
二カ月で潮を吹く 2021-01-19 | 雑感
髭剃って書き替えよ 2021-01-18 | 音
生でのキッチンワイン 2021-01-17 | ワイン  
とても革新的な響き 2021-01-16 | 音
引き延ばされる冬 2021-01-15 | 暦
禁じられたあそび 2021-01-14 | 雑感
儚くなって来る期待 2021-01-13 | 生活
先が見えぬ今日この頃 2021-01-12 | 歴史・時事  
敵失で決定のカラヤン 2021-01-11 | 音
曙からの伝統の継続 2021-01-10 | マスメディア批評
40度から60度のエコ 2021-01-09 | 生活
テニス腕になったこと 2021-01-08 | 音  
持続性を考えて判断 2021-01-07 | 歴史・時事
15㎞圏内での日常生活 2021-01-06 | 生活
ロックダウンの延長 2021-01-05 | 生活
間隔の合奏への影響 2021-01-04 | マスメディア批評
日本旅行での自主隔離有無 2021-01-03 | 文化一般
大演奏旅行は控えめに 2021-01-02 | マスメディア批評
想いが詰まった演奏会 2021-01-01 | 音
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自慢のエネルギー源

2021-01-31 | 
電気料金の精算が来た。使用料は一昨年の1893kWhに対して1934kWhと増えていた。コロナ期の影響があるかどうかは分からないが、電化製品をチェックする。一昨年11月と昨年6月に導入したのがスマートプラグで、これはネットスタンバイをする代わり通電時間を短くしている。特に冬季のベット灯はこれで大分電気量が減った筈だ。更に変電器をシャットアウトした。反対に使用量が増えた可能性はオーヴンの使用ぐらいか。

今年から減る可能性があるのは先ずは洗濯機である。その一方使用料金が1kWh あたり1.5Ct上がるので、ざっと計算すると昨年と同じ使用量で29ユーロ高くなる。因みに今年の清算は65セント戻る。

先払い料金は60ユーロと上がるのでこの追加で払わないで良いならば合格で、出来れば落としたい。洗濯機に掛けてしまうしかないのか。

値上がりはしても、その電源の源を見れば安いと思う。なんと0.4%の天然ガスを除いて全て再生産可能エネルギーである。これだけにでも金を払ってもいいぐらいである。なるほど安いエネルギーを使えば安くなるのかもしれないが、原子力発電所が廃炉になったあとではこれ以外にはないと思う。

我が市の柔らかい湧水水道とこのエネルギー源は自慢してもいいものだ。グラフに色分けしてある。右側がドイツ全体での内訳で、左側が我が市のグリーンエネルギーである。

朝起きして、雨の止み間に何とかお勤めを果たした。ライヴァルの婆さんと重なったが、準備体操をしている中に峠の反対側を大分進んでいたようで、峠を反対側において漸く追いついた。ゆっくり走っているから仕方が無いのだが、二日続けて走ると走行距離が総計10㎞程でも疲れを感じた。夜に入浴でもしたい。体重は73kgとやっと1kg痩せたぐらいで、まだまだベストには遠い。

帰りに肉屋に立ち寄ると、マスクの事を丁寧に「知ってるよね」と親切に言われた。最初のカモだった、下のマスクを少し見せてあげた。僅かばかりの抵抗運動である。しかし気温が高い時に汗を掻いてネックウォマーすると暑い。

昨晩はロンドンで一年前に演奏されたサイモン・ラトル指揮の演奏会中継を録音した。ドイツツアーもあって、ペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーの最初の国内ツアーの前後で各地で続けて公演された。こちらは国内ツアーに三回も出かけたので、中々都合がつかなかったこともあって出かけなかった。ベートーヴェンの「オイルベルクのキリスト」は珍しい曲なので出かけてもいいと思っていたが、前半のリサ・バティシュヴィリとの共演は出来るだけ避けたいと思っていた。初夏に室内楽で聴く予定だったこともあるが、復活祭での映像を観てもどうも相性が悪い。今回もまるで練習曲を通したような演奏をしていて、彼女らしい演奏が出来ていない。なるほどラトルも興味深い音響を奏でているのだが、それがベルリオーズなどを振る時以上に興味深いとは思われないのだ。

偶々、カラヤン指揮の1985年のアモワイヤルを迎えての実況録音を教えて貰ったので聴いた。翌年はチェルノブイリ禍の年で第九を取り上げていたのは覚えている。流石に完売していたが興味が無かったので聴かなかった。カラヤンはそれ以前に出していた新ヴィーン楽派曲集にはこの曲は入っていなかったが、「ルル」などに近い響きをここでも出している。その演奏はそうした情緒は立派な反面、リズム的な格子も無くただの繋ぎのような演奏になっていて、その甘さは当時のベルリナーフィルハーモニカーの特徴でもあった。
Berg Violin Concerto - Amoyal - Karajan - BPO (live 1985)


ラトル指揮の流れてしまう音楽が結構似ていると思っていたがその意味からは全く異なっていた。後半のベートーヴェンは、エルサ・トライシークの声も良くて、予想以上の出来だった。第二交響曲とフィデリオを繋ぐ作品と自ら解説している。ラトルが声楽に合わせる時の指揮は嫌というほどに体験したから分かっているのだが、若い歌手にはベースを作ってくれるので関わり無しに自分の歌を歌えば良いので楽なのだろう。勿論この歌手を意識したのは昨夏の「コシファンテュッテ」だったので、彼女が歌っていたとは昨晩まで気が付かなかった。
Sir Simon Rattle - über Christus am Ölberge




参照:
ハンザからの初生中継 2021-01-26 | 女
尽きそうな節電の可能性 2018-02-08 | 生活
省エネ電気使用通信簿 2019-02-06 | アウトドーア・環境
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とても味わい深い残響

2021-01-30 | 
ミュンヘンのメータ指揮、二度目も満足した。昨年秋のミラノでの復帰時期の指揮を聴いて駄目かと思っていたのだが、勘が戻ったのが、日本旅行の頃よりも良くなっているのではなかろうか。昨年二月のベルリンでの「ばらの騎士」が大きな成果だった。その五月にはヴィーナーフィルハーモニカーとのツアーで聴くのを楽しみにしていたがキャンセルになった。そして一月にはガスタイクで聴く予定にしていたのだが流れた。

今回も土曜日のミュンヒナーフィルハーモニカーとの演奏会も含めて三晩の無観客演奏会が中継される。今回はラディオ放送だけだったが、ヘラクレスザールの響きが美しかった。この放送交響楽団との関係は僅か十年程のようなのだが流石に立派に振っていて、メータ指揮のバランスで管弦楽が鳴っている。流石に座付とは違って音は外さないので余計に出来ないところも目立つ。音響的には指揮者自身が語っていたように聴衆がいない為の素晴らしい残響で、管弦楽団の粗をブルックナーザールだというほど美しい響きが隠していた。

そのインタヴューで、テムピは変わっていないと保証するときっぱり、英雄やト短調交響曲は全く一緒だと例も挙げていた。恐らく自身で録音からも確認しているに違いない。年老いてブロムシュテットの様に走って仕舞ってもう止まらない例も珍しいが、一般的には遅くなる。そして演奏解釈が変わっていたとしたら管弦楽団の違いだと言い切った。中々含蓄がある言葉である。

最初の合唱曲は所属の合唱団に仕事を与えて感染予防の為に別枠でヴェルディの聖歌四編は録音したようで、これがまた素晴らしかった。ハイドンもシューベルトもとても良い味を出していて、やはり若い時とはそのリズムの襞が異なるとは思った。ここ暫くの中継はどれも素晴らしい。土曜日からのオンデマンドも楽しみである。

朝の雨の合間に走れた。前夜からジャガイモを食して備えた甲斐があった。天気予報ではその雨雲の間までは分かっていなかった。通常は木曜日に走る沢往復を果たした。月曜日以来でやはり鈍った感じがした。時間を掛けていても結構負荷が掛かった。風が強く気温が摂氏10度に近かったので変な汗も掻いた。

土曜日の早朝も合間がありそうなので狙います。パン屋では再訪するかどうか分からない感じで購入していたが、二日続けて出かけることになる。運動不足が最も身体に堪える。運動し過ぎでも疲れるが病的にはならない。その違いは大きい。



参照:
ニキシュ指輪四十年 2021-01-27 | 音
なんとも有り難い再臨 2020-02-12 | 文化一般

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75周年記念番組を聴く

2021-01-29 | 生活
アマゾンプライムを使い切ろうとしている。最後の日まで発注してやろうと思っている。一つはスタムプのゴム印のインクパットが四半世紀で発色が薄くなってきたので新たに発注した。二つ組なので後半世紀近くはもつであろう。6ユーロだ。オーストリア製で最初は彫って貰ったりしたのだがここまでもつとは思わなかった。

もう一つ気になっていたのが便器のブラシで、これも三十年程経つと歯ブラシと同じで先が丸くなってきて綺麗に磨けなくなっている。実質的には二本を使っていたので十五年使用である。近所の店を探せばあるかもしれないが時期柄要らぬところには出向かない。更にブラシを抱えて帰って来るのも恰好が良くないのでプライムで発注。設置桶にしっかり嵌れば完璧だ。

その前に発注していたフックが届いた。これは10本組で14ユーロと大変高価なのだが、評判は頗るよい。元々の用途はバスにあるようなヒーターのフィンに引っ掛けて、タオルなどを吊っておくと直ぐに乾くというものだ。生憎そのようなヒーターではないので使えないのだが、欲しかったのは足拭きを吊っておくところで、長くシャワーの横に吊ったりしていたのだが、その後ろが黴が生え易くなったので止めた。その後は洗濯機の横の蛇口にも吊っておいた。それも新たな洗濯機の取水口の関係であまり吊りたくなくなった。

適当な場所はシャワーのカーテンを開けている時のそこである。乾き易く、誰がシャワーを浴びるにしても足拭きと分かり易い。ホテルなどでは足元に置いてあるが、あれだと乾かない。カーテンレールは結構太いので探したら上のフックが見つかった。28㎝と23㎝と反対側と大きさを変えている。太い方が綺麗に掛かることが分かった。

それで濡れた足拭きを直接掛けるには高過ぎて、風呂上りには不愉快なので連結することにした。四連続である程度使えるような感じである。先ずは両面テープで貼り付けることにした。使い易くて強度が足りなければ接着すればよい。又実用的でないならば、他の所でも使い易い。ハンガーが無くても、洗濯干しにでも、どこにでも吊っておける。紫外線さえ避ければある程度の年数は使えるだろう。高価だけのことは期待したい。

こうしたフックハーケンを見るとどうしても思い出してしまうのは、ヴァイマールのブッヘンヴァルト収容所で死体を吊るしたであろうハーケンだ。獲物や食肉類に使うような先が尖った鉄のものである。

アウシュヴィッツ解放で方々の鐘も鳴っていたように思うが、水曜日にバムベルガージムフォニカー75周年記念番組で放送されたホルスト・シュタイン指揮の1994年の演奏が感嘆深かった。先ずはシェーンベルクの「ヴァルシャワの生き残り」そしてアタッカで「ドイツェスレクイエム」と続くプログラムだった。二三年前にベルリンでユロスキーが第九の第三第四の間に挟んだのもあったが、これも独自性があった。ヘルマン・プライが語りから歌えと繋がるのも興味深い。

しかし何よりもやはりシュタインの棒捌きは見事である。この人の時代が一番良かったのだろうか。初代のカイルベルトに匹敵するカペルマイスターであったが、この演奏でもその力を発揮しているようだ。客演のシノポリ指揮ではこの交響楽団のブルックナーの八番を聴いているがそれ以外はあまり覚えが無い。

その後にもカペルマイスターとか呼ばれる指揮者はいるが、シュタインとその一人マンハイムの後継でもあったアダム・フィッシャーの音楽を比べてみれば流石に誰でもその腕の差は分かる筈だ。今更かもしれないが、恐らくシュタインはバイロイトの「パルシファル」でも立派な指揮をしているに違いない。

早朝から雨で、余程早くなければ走ることは出来なかった。更に体調を壊しそうだ。こうなればなんとか金曜日にでも借りを返しておきたい。土曜日も駄目な様で河川の氾濫が迫るような水量になるかもしれない。要するに上の雪が解けて一気に流れとなる。



参照:
強制収容所の現実 [ 歴史・時事 ] / 2005-01-26
独精神についての疑問視 2007-10-13 | 音
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厳しい二月を前にして

2021-01-28 | 
風邪が長引いている。太ももから下が冷たい。特に足が冷える。厚手の靴下がいるかとも思う。あまり経験したことが無かったが、微熱があるのかもしれない。午後になると、特に早朝走った日は倒れる程に睡魔に襲われる。短く午睡するととても快調になった。何時も叶う訳ではないのでこれも厳しい。

週末までに片づけてしまいたいこともあるのだが、このような塩梅であるから仕事が進まない。何時の間にか肩まで凝っていた。全身に要らぬ力が入っているのだろう。

バーデンヴュルテムベルクは感染が収まってきていて、その新陽性者指数も89とブレ―メンに続いてニーダーザクセンと並んでいる。そこで学校等を月初めから開ける計画をしていたが、保育所等で新型変異による感染が広がっていることから延期になった。子供が感染源になるとなると最早学校等は無理である。

政治的には大きな敗北で、もはやなすすべがない。マスクなどで遊んでいる時ではなくなってきている。丁度北海道の保険所がマスクの指導として、サージカルマスクをしていたら濃厚接触としないという事で、恐らく中央官庁からお達しでもあったのだろう。それで何が起こるかと言えば、クラスタも発生しないことになって、PCR検査の数も減らせて、同時に陽性率も減らせることになる。まさしくマスクが政治の道具化されているということそのものである。

防護マスクが必要なのは、不可抗力として密な空間に集まったり近くによったりする状況でも、感染の危険性を出来る限り小さくすることにある。そして政治家はマスクを強制することで政策の実施とすることが出来る。要するに感染を抑えることが第一義的にあるのではない。

今度は日本の様にそれを逆手にとって、マスクをすることで感染を防げるという非科学的な方針で日常生活を出来ているかのように仮装する事が生じる。感染の有無は二の次であり、政策のアリバイを作ることに重きが置かれている。

既にミュンヘンの二月のマーラー交響曲第九の演奏会はキャンセルになっていて、無観客でも行われる様子はない。勿論その前に催される筈だったフォアアールベルクでの演奏会の開催も目処が付かない。

一方バーデンバーデンはなんと指数30.8へと低下していて、クラスター潰しで壊滅へと向かえる体制にもなってきている。州全体が逸早く50以下へと向かうとすれば、三月へと大きな可能性が生じてくるだろう。

またEU一貫しての旅行禁止や飛行禁止が議論されようとしている。新たな大感染を防ぐためには旅行の自由は制限されなければならない。それで防げるかどうかは分からないが、恐らくワクチン接種がある程度終了しなければ観光目的の旅行などは出来ないだろう。

ワイン街道が初めて本格的な雪模様になった。雪はこれからで、寒さも二月である。しかし日の出はは8時6分になった。曙も7時31分で朝走るのが楽になって来た。



参照:
深刻に受けとめられる 2020-11-03 | 文化一般
シュヴェツィンゲンから中継 2020-10-25 | 音
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ニキシュ指輪四十年

2021-01-27 | 
ミュンヘンからの生放送は素晴らしかった。指揮者ズビン・メータが古巣の座付管弦楽団を振るコンサート中継だった。曲展開の時に切れ目があったので、現実には当日に収録されて放映されたものだと分かった。しかし沢山の直したいところは其の侭の時差生中継だった。制作にレーベルのファラオが入っていたので編集し直す素材はあるのかもしれない。無観客だからやろうと思えば制作品並の編集が出来るがそのような上等なレーベルではないので期待はできない。

最初にリヒャルト・シュトラウスの「最後の四つの歌」が演奏された。歌はこの曲でイタリアから一緒に回ってきているニールンドで昨年二月のベルリンでの「ばらの騎士」共演でとても高く評価された。声のまろやかな発声に人気もあるが、中継されたものを聴いても技術的には決して安定していなかった。ベルリン以来一番良かったのはスカラ座のガラ中継でのジークリンデの歌唱で、シュトラウスよりもヴァークナーの軽い役の方がふっくらと発声するので良いのではないかと思った。METをはじめ世界中で歌っている一流歌手には違いないので、今回も大舞台でしっかりと押さえてきたのは立派だった。楽劇なら息切れするかもしれないが短い曲なので精一杯歌っていたと思う。

そして何よりも嘗ての音楽監督指揮の下での座付楽団が取り分け素晴らしかった。やはりシュトラウスになるとドレスデンやヴィーンのそれとは一級上の演奏をする。なによりも音色が素晴らしく、渋みのある音色は比較しようもない本物である。メータ指揮の十八番であるその管弦楽バランスは絶妙で、思い残すことが無いだろうという演奏であった。

なるほどペトレンコ指揮のディアナ・ダマロウの歌唱のような精緻さは無いのだが、メータの音楽と相まっての微妙さはペトレンコが今描くそれとは大分違う。こういう指揮を観ると改めてカール・ベームがニキシュ指輪を授けたのが1981年で、流石にヴィーンの音楽の正統的な後継者に渡したものだと感心する。

後半にはシューベルトの大ハ長調交響曲が演奏されたが、これがまた、如何なる管弦楽団の傷があったにしても、名演だった。二年ほど前に所縁のハンガリーの血を引くドホナーニ指揮で聴いたものと比較しても更に音楽の起源のセマンティックな意味付けがハッキリと描かれていて、特に三楽章のレントラーなどはそのベーム指揮のヴィーナーフィルハーモニカーの演奏よりも優れていた。先週もミュンヘンでメータ指揮を聴く予定にしていたが、良い管弦楽団を振る時は、無理してでも追っかけたいような名指揮を披露している。

木曜日は再び場所を劇場から裏のザールに場所を変えて放送交響楽団を振る。座付管弦楽団の様に格別な音は聴けないかもしれないが、最近は良く振っているのでそこでも期待したい。

アマゾンに復帰した。あまりに喧しく連絡してきたので、覗きに行った。殆どフィッシング詐欺と変わらない。そして分かったのはプライム契約は既に解消されていたが、まだ使えることが分かったので発注しようと思っていたものを注文しておいた。本当に腹立たしい。1999年からの顧客で、仕事でも使っていたので百万円程は売り上げに貢献しているのは間違いない。

急いで欲しかったのは車のラムプが切れていたのでそれと、爪切りなどで、良い靴クリームを見つけたのでそれも発注した。小物ばかりで45ユーロも発注した。



参照:
曙からの伝統の継続 2021-01-10 | マスメディア批評
コロナ聖火台を仰ぐ 2020-03-23 | 雑感
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ハンザからの初生中継

2021-01-26 | 
日曜日の夜はハムブルクからの中継を流していた。ドイツのオペラ劇場からの生中継だった。勿論閉鎖中であるが、新制作「マノン」を無観客で中継した。タイトルロールのエルサ・トライシークは昨夏のザルツブルクのフィオルデリージとして世界中に紹介された。声も魅力的で芝居が巧い以上にキャラクターも立っていて人気者で、ベルリンなどではスターだったらしい。過去のヴィデオなどを見ると技術的にももう一つなのだが、どこの地方劇場にいる人気者とはやはり違うかなと思っていた。

今回の演出がミュンヘンで「マイスタージンガー」を演出したダーヴィット・ボェッシュで、その話しと共に楽しませてくれる音楽劇場を創造できる人である。そのトライジークのキャラを上手に使っていてざっと見た限り満足した。勿論ティームが同じで、舞台美術もミュンヘンと同じようで、プロジェクターの作り方も同じだ。しかしそれでも劇場的空間や演技の緊迫感も手堅く作っている。

先ずタイトルロールに関しては幕間のインタヴューでもご本人が語っていたようにプッチーニとかでは無くて声が駄目になるということは無いが出っ放しなので総稽古の後にこうして話せるのが嬉しいと、その力配分や聞かせ所などもフランクに語っていてとてもいい感じである。実際に全体を流してまだ二十歳代なのに想定以上に立派だった。やはり地方の人気者とは違った。そして歌声もフランス語歌唱もとても素直で素晴らしかった。デンマークとフランスの混血で、こうしてドイツでフランス歌唱を披露して貰えればまだまだ期待が膨らむ。
Trailer: Jules Massenet – Manon

Jules Massenet – Manon


そしてフランス人指揮者のセバスティアン・ローウランも熱意もあって全然悪くなかった。合唱はバルコニーを使って歌わせて、奈落は新たに小さく編曲した様だったが、殆ど遜色がないどころかテクスチャーが聞こえてよかった。同様の経験は昨秋のフランクフルトでも経験したが、ハムブルクの座付管弦楽団はなにも監督のケントナガノが振らないでもとても綺麗に鳴る。ドイツ語圏では珍しいもので、丁度東京の東フィルに比較できるような交響的な鳴りが客演指揮者からも聞こえて吃驚した。こういう個性は会場や交響楽演奏会を頻繁にやっているというのとはまた異なる伝統だと思う。

五幕あるので幕間と場面展開でNDRの親しみのあるおばさんが司会していたが、これもインタヴューを含めて中々いい感じを出していた。ハムブルクとしては初めての試みだった様だが、水、木、金曜日とオンデマンドで観れるので価値があると思う。話しはプッチーニの「マノンレスコー」と同じなのだが、決して悪くないマスネーのメロドラマ音楽作品だ。最後が砂漠でなくて雪の中での道行きも中々いいフィナーレだった。

オペラをモニターで観るのも苦手なのだが、なによりもその歌声の魅力もあって、又演出の楽しさもあって最後まで流して、結構引き込まれた。やはり管弦楽が美しい音楽を奏でるのが肝要である。確かにハムブルクの歌劇場は独語圏では一プラス五傑には入るだろう。ストリーミングでもハムブルクへの誘いになっていたが、エルフィーよりもやはりここは価値がある。大成功の試みだった。



参照:
表情のヴィヴラート 2020-08-16 | 女
最後のエルフィー訪問 2020-02-19 | 文化一般


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二枚重ねの効用実践

2021-01-25 | 生活
夜中の寝室の暖房を切った。夜中に録音も動いていたりで目が覚めて、結局風邪が胸に来た。コロナの時の様に胸がすかすかとする。頭痛もあり、再び足元も冷えて、微熱があるかもしれない。再び外気温零下で一っ走りしてショック療法で過ごすしかない。

調子が万全でないのは、耳鳴りの圧迫感や喉の不調の空咳などだけでなく、習慣ついている運動した後の筋肉への疲労感などに表れていて、乳酸の分解などが上手くいかないのだろうと思う。

フランクフルトの指数は下がる一方で十万人中82人の新陽性者数まで落ちた。同様の大都市部もミュンヘン79.9、シュツットガルト88.7、ケルン92.4、ハムブルク82と軒並み50へと近づいている。

但し、ベルリンは123と明らかに乗り遅れている。大都市部で感染が拡大した都会型の感染流行が落ちてきたのは、昼間の繁華街から人が去って、住人はホームオフィースの若い層と年金生活者に限られるからだろう。その点都会であり且つ田舎と自称するベルリンは多様多種の人が住んでいるので中々落ちない。因みに東京は65まで落ちてきているが、どちらかというとベルリン型なので時間は掛かるかもしれない。

ドイツでは医療用マスク着用義務となった。これからはサボータ―ジュの様にレジスタンスの時期である。先ずはフェークマスクを試みる。今まで使っていたネックウォーマーを其の侭に下にサージカルマスクを隠しているというやり方だ。同じようなことを考える人はあるようで、二枚重ねの推奨は結構見つかる。

既に述べたように息使いはよく成った。装着が若干面倒だが、仮止めでなくて縫い込むことも出来ないので仕方がない。それでもマスクを着脱したり、ネックウェーマーをその上からというよりは二度手間にならないので早い。問題点は汗を掻いた時の着脱の面倒と鬱陶しさだが、少なくとも二月の厳寒気には問題が無いと思う。先ずはマスク規制を外させることの方が重要である。

夜中にボストンからの放送を録音していた。2016年のミュンヘンの後任音楽監督ユロスキーの二度目の客演で、ヴァイオリンのイブラギモーヴァのデビューだった様だ。本来ならば昨年ザルツブルクでデビューする筈だった女性ヴァイオリニストである。

全般に管弦楽団の良さは引き出していると思う。その意味では現在の音楽監督ネルソンスよりいいと思う。但し客演だから限界がある。ミュンヘンでどれぐらいやれるかは未知なのだが、今回の放送は肯定的な印象を残した。

その意味では前任者のキリル・ペトレンコでもベルリン時代は人気はあってもその評価は限定的だったが、ミュンヘンでは玄人筋の評価が圧倒的になるのに殆ど時間が掛からなかった。バイロイトでの成功も同時に起爆剤になった。ミュンヘンの音楽監督がキャリアアップするというのは超一流交響楽団でのポストしかないので殆ど限られる。

ヴァイオリンのイブラギモーヴァはレパートリーとかに恵まれると時間は掛かってもまだまだ出てくると思われるが、一昨年初めて聴いた時は大分重量級になっていて、見栄えが余りにもになっているので売れる要素が無くなってしまっていた。若い時の写真だけで売って行けるわけではないので中々難しいところである。音楽が暑苦しくて見栄えもでは夏の音楽祭は厳しい。



参照:
メンデルスゾーンの響き 2019-11-16 | 音
ワクワクの集積オペラ 2020-12-16 | 音
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とても混濁していた記憶

2021-01-24 | マスメディア批評
昔の半券の束を捲っていたら、思わないことに気が付いた。シカゴ交響楽団初訪日時の大阪公演を二晩通っていたことだ。一晩はマーラーの交響曲五番が圧倒的で、大管弦楽演奏の歴史的な頂点だったので記憶に生々しく、その前の大管弦楽団での「ジュピター」も今後とも機会の無いものだった。ムラヴィンスキー指揮のモーツァルトともに忘れがたい。

しかしもう一晩が全く記憶になかった。調べてみると、ドビュッシーの「海」で始まって「幻想交響曲」だった様だ。確かに「海」は、コンセルトヘボー管弦楽団の演奏と共に記憶にある。ベルリオーズの方がその後に購入していたLPと記憶が混濁していたようだ。それ程マーラーが圧倒的で「怒り心頭」だったのだが、前々日の演奏はとても良かったのだと思う。しかし記憶から消えてしまっていた。

フランクフルターアルゲマイネ紙のカタリーナ・ヴァークナーへのインタヴューが興味深い。新事実はそれ程出てきていないが、コンサートを三回やって当初の計画よりも増えて全公演25回ぐらいになるようだ。また子供の為の「トリスタン」は大人が羨むキャスティングということでアンニャ・カムペぐらいが歌うのだろうか。またアティリオ・グラサーと言うテノールが登場して、どうも三回の「ヴァルキューレ」のヴォ―タンはグロイスボェックが歌うようだ。

合唱団は、練習場で歌うのか一部を舞台でかなどは、状況次第でどうにでもなるようにしているということだ。奈落の管弦楽団は二つに別けて、万が一陽性が出た時は入れ替えるとしている。要するに問題なく入れるということだろう。

ティーレマン問題に関してはそのタイトルや任務だけでなくとても複雑な契約になるので時間を掛けるとしていて、「今後も一緒にやりたいと思っている」とここでも敢えて語っている。そしてグリュッタース文化相の放った構造改革に関しても質問している。問題点は、私的なファミリーの財団の不動産の維持修理に多額の税金が使われることに対しての形を整えるということが表にあって、更に質問としてはヴァークナー家のアーカイヴの扱いに研究者から不満があり、遠い親戚筋の相続遺産に関することなので強制することが出来ないと答えている。

見落として気が付かなかったことが更に回答されている。それはバイロイト音楽祭のストリーミングをベルリナーフィルハーモニカーのデジタルコンサートホールが請け負うという事が検討されたことで、二年ほど前に拒絶されたとある。なるほどそこでも鍔競り合いがあったことは知らなかった。つまりバイエルンの放送協会でやれないところをどうするかで、2023年には新たなプラットホームが出来上るとしている。

先日初めて食したココナッツの焼いたものが美味かった。一つ1.5ユーロもするので可成り高価で、普段は置いていないが、又食したい。底のチョコ―レートともバランスが取れていて、甘いものであるがアルコールにも合いそうなとても上質な風味だった。



参照:
Wir planen schon jetzt mit zwei Orchestern, JAN BRACHMANN, FAZ vom 22.01.2021
音楽監督ティーレマンの去就 2020-12-29 | マスメディア批評
紐付きを嫌がる人々 2020-12-24 | マスメディア批評



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バカもコロナも高みへ

2021-01-23 | 文化一般
体調が悪くなった。夜中に足に筋肉痛のような重さを感じた。前日に特に無理に走った訳でもなく、距離を伸ばした訳でもない。敢えて言えば肉屋で購入したものを忘れて取りに帰ったぐらいだ。要するに注意力は落ちていた。しかし汗が冷えるような印象は無く、暑さを感じていた。恐らく体温調整が上手くいかなかったのだろう。喉の調子も悪く風邪症状である。更に鼻がもぞもぞしてコロナ罹患以来初めて一年ぶりに風邪をひいた。若干インフルエンザに近いかもしれない。コロナ症状が無くなってから四カ月ほど経ってようやく風邪引きで、通常に戻った感じさえする。

鼻のぐずぐず感とか片頭痛感とか耳への圧力とかはコロナとかけ離れたものでインフルエンザに近い。足元が冷えたりもコロナとは大分異なる。

そもそも数年前まではこの時期はいつも風邪を引いていたので調子が戻った。ここの所の寒暖差が大きく風邪を引き易い気候だった。

バーデンバーデンの祝祭劇場にバーディシェノイエステナハリヒテンが取材をしている。我々が気になっている初日の新制作「マゼッパ」が公演可能かどうかという問いである。スタムパ支配人の答えは、復活祭に文化的なルネッサンスを示したいである。具体的には分からないが、プランBやプランCを考慮する中での準備で、少なくとも復活祭卵にドキドキさせるという事だ。

一番問題になるのは、合唱と奈落での管弦楽団演奏だが、少なくともロシアからなどの歌手、プラハからの合唱団の隔離期間、チェルニコフの演出など全てが計画されているので、何とか解決するという事だろう。

この二つは、フランクフルトでは合唱を上部でマスクを受けて歌わせて、奈落では室内楽に絞っていた。昨年のザルツブルクのシステムを取ればある程度は解決可能かもしれないが、さてどうなるか。演出の工夫は必要になるだろうが、チュッリッヒのような別な場所でというのは難しいだろう。作品を研究してみないと解決方法もさっぱり分からない。

もう一つは500人以上の入場は期待出来ないことで、やはり一度払い戻しとなるのだろう。それゆえに三月初めに最終判断を出しても、周辺に十分な観客層が居るので、問題なく短期に券は捌けるという利点を語っている。確かにミュンヘンなどは別にするとザルツブルクやルツェルンなどとは全く異なる環境がある。そのことをあり得るとしたら三月初めのドミンゴ出演のガラコンサートで満員に出来ると見込んでいる。

一方、記事では、殆ど売り切れはハルトマン作曲室内オペラ三晩とモーツァルトのレクイエム二晩以外はまだ余裕があるとしているのは若干逆説的である。

昨秋と同じ500人規模で催されればプランAでも最も理想的な場合だが、250人とかになれば、やはりネットストリーミングが重要になると思う。少なくとも現在ティケットを持っている人には返金云々を問わずに其の侭見せるべきだろう。

祝祭劇場はHPで更なる情報を提示した。先ずは先日演出のチェルニコフが大劇場を現地視察して、二月末からの演出チームの舞台作りの準備をしたという事と、全芸術家は用意をして待ち構えているという事を伝える。

更に重要な空調とその見解に関して、昨秋のドルトムントでの実験が環境当局が協調していて、その結果は公的に扱われるという事で、空気感染などを考えた場合の今後の各劇場やホールでの大きな基準作りになるという事だ。

つまり、空調が整い体積が大きく、天井が高ければ安全な公演が可能な事。具体的にはドルトムントでは17000立方mの17m高に対して、バーデンバーデンは23000立方mの23m高で、空調は一席当たり一時間138立方の能力があるので、通常の呼吸量30立方の四倍以上となる。

ドルトムントの結果としてマスクをして出入りさえ解決すれば満席収容は可能だが、実際には格子状に50%を安全とした。バーデンバーデン祝祭劇場の昨秋の扱いは25%収容としたとしている。そこからすれば、現在の市中感染が高まった時点でも秋並の500人収容は可能という結論が出るであろう。



参照:
復活祭へと希望を繋ぐ 2021-01-21 | 暦
やっぱりガダニーニだ 2020-06-22 | 女
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ストッキングを被る男

2021-01-22 | 雑感
デジタルコンサートホールにあるフィルムに眼が行った。カラヤン関係は下手な作り物の様で観ていられないが、カルロス・クライバーのドキュメンタリーを観た。登場者がザヴァリッシュやらミュンヘンの座付楽団や劇場、又歌手のコトバシュとかムーティが面白かったからだ。

特に目を引いたのはシュトッツガルトの劇場での「ばらの騎士」本番風景で、これで重要な三カ所での同作品の指揮を知ることになる。最後のものは日本で指揮した様だが、その丁度バブル期の日本の聴衆の狂い方が紙資料としてまた談話として記録されている。法外な報酬とその神のような扱いだけでなく、サヴァリッシュに言わせると家庭よりも遠くに離れたかったのだろうと皮肉めいたことを話している。サヴァリッシュの映像も知っている限り最後のもので、それ以降はラディオ番組で声を聴いたぐらいしか覚えていない。あれは確か劇場でなにかがあった時の感想だったがよく覚えていない。

ピアノも充分に弾けなくて最初から同僚のコレプティチューアの横で指揮棒を振っていたというから面白い。指揮者の同じようにユダヤ人を母親として、南米亡命ドイツ人家庭のミヒャエル・ギーレンは、父親エーリッヒ・クライバーのコムプレックスから抜け出せずにレパートリーを広げられなかったことが残念だったと語っていた。楽譜の書き込みを大事にしていたというのもある意味その父親像の大きさとは異なるかもしれないが、現ヴィーンの国立劇場の音楽監督ヨルダンなどにも言える共通した二世の仕事ぶりだろう。その運弓への指示などはミラノスカラ座の初訪日公演での「オテロ」の低弦の楽譜を思い起こす。

ネックウォーマーにサージカルマスクを付けてフェークマスクとして試してみた。着脱に若干気を使うが一度被ってしまうとマスクの鼻当てもあり口元にスペースが出来て喋り易くなった。マスクだけよりも喋りやすい感じがする。つまり眼鏡の曇りも少なくなるようだ。

ネックウォーマーが伸び縮みが大きく、生地が薄いので丁度パンティーストッキングを被って銀行強盗をするように喋りづらかったのが改良されたのである。そこにマスクを固定しても外れてしまいそうなのだが、暫く試してみなければいけない。偶々暖かく気温が二桁へと届いていたので走って汗を掻いた後は若干暑苦しかった。

どうしても今後の音楽会やオペラの事が気になる。早めにマスク全廃になって欲しいものである。しかし少なくともバイエルン州を除いてはサージカルでも可能なので助かっている。同時にバイエルン州では予想通りFFP2マスクはコッホ研究所でも「一般的な利用には適さないとされている」ためにその着用義務に疑問を呈して行政裁判所に六件の訴えがなされたようだ。バイエルン州政府は敗訴する可能性もある。一つ一つ政治の道具化されているマスク信仰を潰していくのが良い。



参照:
注目する親子関係 2020-07-07 | 文化一般
貴族的抗議活動の素材 2020-10-19 | 生活
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復活祭へと希望を繋ぐ

2021-01-21 | 
バーデンバーデンからDPA通信が一斉に世界中に打たれた。復活祭の準備を始めるという事だ。祝祭劇場のスタムパ支配人が語った内容としての通信文である。

自己のアンサムブルが無い劇場であって、いつでも再開できて、自主的に早く準備も可能だとしている。そして復活祭をその再開としていて、3月27日から4月7日が明記されて、「ロシアから愛を込めて」のモットーの下にコンサートや複数のオペラが催されるとある。

先ずここにも注目したい。オペラは室内オペラと「マゼッパ」の二種類が本格的な上演としてあって、新制作として行われる予定だ。要するに現時点ではどうもコンサート形式という事ではなさそうなのだ。奈落での演奏や合唱などが可能なのかどうかは全く分からないが、現時点で変更しているならばこのような伝え方は無いであろう。

新制作の肝心の演出家チェルニコフは、六月のパリでの「スペードの女王」演出が無くなったようで、また四月のケントナガノ指揮の「エレクトラ」もキャンセル、二月のミュンヘンでの「魔弾の射手」もキャンセルとなっている ― 新たな情報では無観客で2月13日に公演するようだ。三月に新制作が叶うのかどうか?

またそれ以前にロシアからの歌手陣などを隔離する検討に入っているという事で、計画は進んでいるようだ。三月一杯は下稽古の場所となるベルリンのフィルハーモニーも閉鎖されていて、集中した稽古は可能となる筈だが、舞台に関してはバーデンバーデンで為されるので、「隔離」をスタムパ氏が言及したという事は舞台上演をやるという事だ。さもなければベルリンからやって来て、舞台上で歌うだけで済む。

そして、レストランや小売りが再開されるとき、催し物が再開されるべきことを政治家に期待していると語っている。これも大きなアピールとなっている。それは二月中に何らかの再開への工程表が出ることになっているので、先ずはそれを待って最終決定される。

先ずは開催される事、そしてプログラムが大きな変更なく実施されて、更に出来る限り既に配券された枠組みの中で調整して行くことで多くの人が入場できるようになれば一番いいだろう。ArteとSWRの無料とストリーミングの有料の中継で補われるのも一つの方法であると思う。

今回のロックダウンの延長には英国株の首位的な動きが無ければ二月には指数100を下回るところが多くなっていて、バーデンヴュルテムベルクでも現在の112から50へと近づけるだろう。50以下は無いが200以上も無いのでハイルブロンなど集中的に落とすと平均は下がる。バーデンバーデンも63で11月よりもよくなっている。

ワクチン接種の影響は先日の報道では、四割の接種率で感染予防への影響があるとあった。七割で集団免疫として制圧なのだろうが、四割で患者が増えないという事だろうと思う。患者が増えなければ対策の必要もなくなるただの風邪だ。



参照:
毎日が航空機墜落事故 2020-11-28 | 生活
引き延ばされる冬 2021-01-15 | 暦
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二つも三つも程度が異なる

2021-01-20 | 雑感
サイモン・ラトルの誕生日に因んで古い録音が流された。2003年9月28日のラディオ放送中継録音である。就任して二年目の開幕から次のプログラムとなるだろうか。デジタルコンサートホールのアーカイヴにはこれも残っていないが、開幕のプログラムも残っていないので分からない。

翌年のカラヤン音楽賞をベルリナーフィルハーモニカーとラトルが受賞して、その授与式典でブルックナーの交響曲四番を指揮したのをバーデンバーデンで聴いた。2004年5月7日だった。当時の州知事エルヴィン・トイフェルに続きヴォルフガンク・リームが祝辞を述べたので日本でも話題になっていた。

その前のプログラムは印象が薄かったのだが調べてみるとドヴォルザークだった。兎に角祝辞に違わない立派な演奏をブルックナーでしたのを覚えていて、この組み合わせでの交響曲演奏では一番良かった演奏だと思う。その後もいい演奏としてはベルリオーズの「ファウストの劫罰」が素晴らしかった。

さて放送のハイドンは得意なレパートリーで古楽合奏団など方々で指揮していると紹介があった。ここでも独壇場の指揮をしていて、勿論楽団との関係も悪くは無かったであろう。当時のコンツェルトマイスターは、ブラウンシュタイン、スタブラーヴァ、安永だった様だ。印象からすると安永かも知れない。全体の印象としてもファウストなどがヴィオラにいてアバド時代の響きがある。

ベルリナーフィルハーモニカーの歴史を観ていて、そこでカラヤン時代の面々が、「我々が弾いていた時と今では二つも三つもランクが異なる」と話していたが、クスマウルなどを増強したアバド初期の程度はとても低かった。そしてこうしてラトル時代の初期も今からするとランクが異なっていた。当時のビッグファイヴなどとは比較にならなかったであろう。逆にその後ラトルが乗り上げて仕舞った背景もそこにあっただろう。

ベルリンでの攻防はかなり激しかったようだ。先ずはメルケル四人組の副首相シュルツ、ベルリン市長ミュラー、バイエルンのゾーダー知事を如何に他所の州と取り持つかで、SPD州は一致してそこにヘッセンのビュフェッル知事が固まり、更に感染度の低い北のシュレズヴィッヒホルシュタイン州とニーダーザクセン州、そしまたノルトラインヴェストファーレンのラシェットが反ロックダウン強化延長となると最早纏まらない。

出てきたのは、ホームオフィースの徹底で詳細は州毎にまとまり、職場でのFFP2マスクの準備や着用義務、また交通機関の定員三分の一化、乗客の医療マスクの着用義務などである。マスクはバイエルン州の様にFFP2義務化とはならずにサージカルでも可とされた。

夜間外出禁止や行動範囲の制限も見送られて、マスクを含め独り善がりのバイエルン州の突出が目立つ形になって、何が何でも指数50以下に逸早く落ち着かない事にはゾーダーはベルリンへと移ることは無くなるだろう。

買い物におけるサージカルも義務化されると今迄の手作りマスク等は事実上使用禁止になる。個人的にはパン屋と肉屋だけは面倒なのでサージカルをしていなかったので、先ずはネットウォーマーの中に張り付けて、していてもいなくても分からない様にフェークマスクにしようと思っている。

学校等は二月から始めたといういう事だが、指数50以下に下がらなければ繰級になる可能性が出てきている。要するに今回の継ぎ接ぎのような処置で目標に達すると考えているようで、四月まで床屋も学校も開かないという訳にはいかないとなっている。その点でエルヴィン・ラシェット知事の意見は正しいが、英国株が出てきたらそれはそれで手に負えなくなる。官邸が好きな専門家しか呼ばなくなっているなど、メルケル首相の指導力はもう失せている。そして50以下になったところで二月にロックダウン解放手順を明らかにするという事らしい。マスクぐらいで数字が下がるなら心配はいらない。



参照:
文化の「博物館化」 2004-11-13 | 文化一般
思ったよりも早く失せる 2016-02-07 | 雑感
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二カ月で潮を吹く

2021-01-19 | 雑感
昨年購入した電池が潮を吹いた。マウスの調子がおかしくて見ると、ターミナルが錆びていた。綺麗にして暫く使うとまたおかしくなった。電池がおかしかったので、取り換えようと思うと同時に購入した電池が一斉に潮を吹いていた。

使用期限は2025年11月である。たとえスーパーの独自ブランド廉価品としてもこれは有り得ない。苦情することにした。新品と交換して貰っても手間が合わないが、写真を何枚かとってメールする。どのような対応をするか見てやる。どうせ製造は中共だろう。ロット番号で同様の苦情は既に出ている筈だ。保存方法は完璧に近く、どうも購入は11月のようだ。二月ももたない電池は初めてである。

火曜日の発表に先駆けて招待された専門家の今後のハードロックダウンの忠言内容がシュピーゲル誌に載っている。マコン大統領にも進言した英国にある欧州バイオ情報研究所の所長アプヴァイラーは英国の新株への注意を強調した様だ。英国のロックダウンの一月間に二倍から四倍の量になり従来のウイルスは半減していたとある。つまり通常の対策で半減しても新株が四倍になると新感染者数は中々減らない。そうなると2021年は昨年よりも状況が悪くなるとしている。だから早めに抑えて、目標の指数50では無く制圧しないと駄目なのだと主張する。

既にSPD知事団は2月14日までの延長で一致したので期間はそのようになるだろう。薔薇の月曜日が15日なので、そこから48日が復活祭日曜日となる。因みにバーデンバーデンの復活祭42日前に決定としているのでまさしく暦通りとなっている。

上の忠告から学校休校は其の侭続く。FFP2マスクに絡めては学校再開にはそのマスクしかないとするとほとんど不可能となりそうだ。そして仕事場でのFFP2マスクの推薦は合理的な判断だろう。公共交通機関は乗らない方がいい。その他はホームオフィースの義務化である。

ドイツもセクエンスの調査を急いで拡大するらしい。ミュンヘンのガルミッシュパルテンガルテンの病院で72人の未知の新株でのクラスターが発生した。英国やブラジルのそれはあまり見付かっていない。日本の方が多いように思えるが、今後の感染拡大にも影響するかもしれない。日本は気候的にも2月は厳しくなると予想される。受験シーズンなども吹っ飛ぶ可能性もあるだろう。それ以上に医療崩壊が厳しいようで感染の数値よりも早めにシャットダウンとなるかもしれない。



参照:
明日から完全ロックダウン 2020-12-12 | 生活
「音楽の都」の現代音楽祭 2020-11-09 | 女

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髭剃って書き替えよ

2021-01-18 | 
土曜日の生放送の再放送を聴いた。ベルリンからのストリーミングで復活祭日曜日のプログラムで有り得ると思って熱心に聴く。特に最初のチャイコフスキー「ロメオとジュリエット」幻想曲は前日にリピートが掛かったりしてまともに聴けなかった。改めて楽譜も用意して聴いて、漸く分かった。

この曲の演奏で最も印象に残っているのは小澤征爾指揮だと思うが、そのフレージングの良さ以上にアーティキュレションの正確さは瞠目である。ベルリナーフィルハーモニカーはフルトヴェングラー時代からチャイコフスキーも得意にしていたが、こうした本格的な歌いまわしは今まで出来たことが無いと思う。

「死の島」は、五拍子などになると、彼のストラヴィンスキーの変拍子の分析ではないが、ただ単に民族的な特徴や動機内での対句としてではなくて殆ど復律動のような感じがした。オーヴァーラップしているというか二つの時限が重ねられているような塩梅である。それはロシア風の若しくはペトレンコの得意なグルーヴ感というよりも遥かに精妙なもので、ベルリナーフィルハーモニカーがここまで弾くとは思っていなかった。ムラヴィンスキー指揮のレニングラードフィルでも出来なかったような厳しい演奏をしている。

先日のアルフレード・ブレンデルの話しではないが、ラフマニノフがそこまでの創作をしているのかどうかはそのピアノ曲を熟知していないと分からないのかもしれない。ペトレンコ本人にとって特別に大きな存在である以上にこうなると本当に無視が出来ない創作となる。恐らく本年の11月の日本公演でラフマニノフの何かが演奏されると思う。

この三曲がそのまま復活祭第一の祭日に演奏されるかどうかはまだ分からないが、まだ時間があるのでもう少し詳しく見て行かないといけない。特に三曲目の「ディリミーニ」は今回初めて知った曲だ。勿論復活祭迄には細かなところはもう少し上手に演奏できるだろう。そこで最終的に録画されるとよい。

そう思って一月終わりのデジタルコンサート中継予定を見るとこれまたプログラムが変更になっている。元々は三曲目にコルンコールトの交響曲嬰ヘ長調があったのだが、これが昨年夏に変更になって演奏されなかったスークの管弦楽曲二曲に変わっている。

それだけなら気にならないのだが、その交響曲は夏のツアーの裏のプログラムで、プロコフィエフの協奏曲の前に「死の島」のプログラムとなっている。裏プログラムは既に出来上がっている作品を持ってツアーに出るゆえに、交響曲は演奏されなくなる可能性も出てくるが、復活祭辺りで機会があるのかどうかもよく分からない。夏のツアーにスーク二曲では難しいだろう。昨年のアスラエル交響曲なら問題が無いだろうが。

オーストリアでは新たなロックダウンへの方針が発表された。マスクに関してもバイエルン州に準拠している。その問題はドイツでは火曜日までに決まる一つの話題だ。そこで独第一放送がFFP2基準のマスクの使い方などを纏めている。所謂防護マスクでN95とかウイルスを吸わないようにするものだ。既に65歳以上の人々には無料で配布されている。

その目的からして労働上の規制が記されていて、最長75分までの使用が推奨されていて、30分休憩して、再び着用が健康の為に奨められる。要するに正確に着用すればそれ以上は呼吸困難や酸素不足などの可能性が危惧されて健康に悪いのである。

そして総計8時間迄しか使用できないとなっていて、更に乾燥の仕方などにも触れられている。これでけでも如何にこのマスク着用を義務化するという事の難しさを示していて、規制反対運動の所の騒ぎではない。

それならばなぜ教育程度も平均して低い南部のカトリック地域でそうした難しい規制がなされるかである。ポピュリスト政治家たちが指示を出して何かをやっている声を挙げたいからでしかない。要するに政治の無力を示しているに過ぎない。マスクを着けろとされている近郊交通機関を使わないといけないのも街づくりが出来ていない証拠でしかない。バイエルン知事ゾーダーは、「人を守る為では無く自分を守るためのマスク」としたが、手前の勝手だろうという事になる。

そして、気密性が高くなるだけに横から空気が入りやすいので、髭は剃るべきだとなっている。



参照:
生でのキッチンワイン 2021-01-17 | ワイン
FFP2のパン屋さん 2020-12-22 | 暦
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