Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2018年12月

2018-12-31 | Weblog-Index


未だ嘗てない年越し 2018-12-31 | 暦
腰を抜かすような響き 2018-12-30 | ワイン
出た!192kHzの高密度 2018-12-29 | 音
仕事納めのその準備 2018-12-28 | 生活
旨さが心配なハードコア 2018-12-27 | ワイン
絞りのフラクタル感 2018-12-26 | 文化一般
少年少女合唱団を推薦 2018-12-25 | 暦
待降節の輝きの時 2018-12-24 | 暦
パーティの王のケーキ 2018-12-23 | 料理
健忘症のミスタービーン 2018-12-22 | 暦
興業師からのご挨拶 2018-12-21 | 文化一般
そろそろ買い納め 2018-12-20 | 生活
バイエルンに寄せる想い 2018-12-19 | 文化一般
先に、劇か歌かの回答 2018-12-18 | 音
初雪の待降節第三主日 2018-12-17 | 暦
影を慕ってハムブルク 2018-12-16 | 文化一般
ハムブルク行の計画 2018-12-15 | 生活
大団円への大芝居 2018-12-14 | 文化一般
許容範囲だろうか 2018-12-13 | 文化一般
大きなレープクーヘン 2018-12-12 | 料理 TB0,COM2
やはりライヴに来て 2018-12-11 | 音
客演のための課題曲 2018-12-10 | 音
しっくりこない感じ 2018-12-09 | 文化一般
不整脈辞退を受けて 2018-12-08 | 文化一般
Wブッキングの逡巡 2018-12-07 | 生活
スカラ座からの初日中継 2018-12-06 | 文化一般
一先ず軽快さを満喫 2018-12-05 | テクニック
思えば遠くに来たもんだ 2018-12-04 | 雑感
PTSD帰還士官のDV 2018-12-03 | 文化一般 TB0,COM2
待降節最初の土日 2018-12-03 | 暦
公平な選り取り見取り 2018-12-01 | 雑感

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未だ嘗てない年越し

2018-12-31 | 
土曜日の朝のラディオは日本のジャンパーのことを伝えていた。今独走しているらしい。珍しいことである。パン屋は大みそかの14時まで開けて、休みに入る。二週間の冬休みだ。八百屋に行きたいのでその足で買い物を済ましたい。走るのはまた改めて考えよう。

年末年始の音楽番組をリサーチする。例年、精々ノイヤースとジルフェスタ―コンツェルトの二つぐらいしか意識がなかったが、今年はなぜか盛りだくさんだ。二重どころでなくて、三重四重に番組が重なる。タイムテーブルを精査しないと欲しいものが見聞きできない。

先ず、30日夜は20時から2016年録音の「トリスタン」が夜更け23時30ほどまで続く。これはラディオを録音すれば十分だ。しかし22時過ぎにゼムパーオパーからのガラコンサートがある。そもそもこの手のものには興味がないのだが、とても気になってきている。一つはメストとシュターツカペレの相性を見たいこと、もう一つはカウフマンを始め、来年ペトレンコと共演するクールマンも見てみたい。要するにこれも録画してしまうかもしれない。殆どカウフマンファンのご婦人方と変わらなくなってきている。既にフィラデルフィアからの放送は始まっているがこれは暮れから元旦に掛けた再放送でも聞ける。

そして大晦日になると、17時にはゲヴァントハウスからの生中継だ。しかしその前に15時にユロウスキーの第九である。前回のを聞いて、四楽章の前に間髪を入れずに置いた「ヴァルシャワの生き残り」が予想以上に効果があった。1978年のフランクフルトでのミヒャエル・ギーレンのモンタージュのアイデアを踏襲して更にマーラー版を用いた。先達がそうしたように今年も違う曲を組み合わせる。演奏された20日に初演された。個人的な興味はペトレンコを継ぐユロウスキーのそのセンスなのだが、とても期待させられる。こうしたプログラミングは必ず後任の支配人ドロニーとの成功をもたらす要素だ。今回は通常の版を演奏するようだ。これも録音である。

問題は映像だ。17時にミュンヘンからの生中継で、病気で休んでいたヤンソンスが出てきて、ゴッチャルクが司会するのでこれも気になる。ランランも出てくるがもうこれは分かっているのでどうでもよい。演奏もどうでもよいので後で見れたらそれで十分だ。

しかし同じ時刻に始めるライプチッヒのゲヴァントハウスの第九は見逃せない。今まで関心がなかったが、シャイー指揮の時も話題になっており、なんといってもネルソンズの指揮が観たい。そしてゲヴァントハウスの響きを堪能したい。本当はラディオでも録りたいところで、終了が17時なので記録して、急いで仕切り直しである。

つまり、録音と録画が回っているうちに18時40分にはフィルハーモニーからのジルフェスタ―コンツェルトが始まる。もうこうなるとARTEのオンデマンドに頼るしかなさそうだ。来年からペトレンコが出てくるとなると、ここはとても厳しくなる。

奇しくもシュターツカペレの指揮者ティーレマンが「ヴィーンの休日」を楽しんでいる間にドイツのメディアでは未だ嘗てないほどの熾烈な放送合戦が行われる。そして、ペトレンコを追いかける頂点に近づくような人たちが集っている。一方にメストやヤンソンスがいるというのは私の知る限り珍しい。やはり次の人たちが出てきているからだろう。特にネルソンズのゲヴァントハウスはペトレンコのベルリンにとっては若しくはお互いに最も意識をする組み合わせになるだろう。少なくとも楽団は双方ともが長所を持っていて、容易に超えられないからだ。

ネルソンズの指揮に関しては、結局迷った挙句、クリーヴランドの二番よりもボストンの三番のマーラーの交響曲を録音した。後者は来る金曜日にプロムスでの再放送もあるが、タングルウッドでの再放送も聞いておきたかった。中々面白かった。特に終楽章のアクセントやトラムペットの強奏などは楽譜を調べる必要を感じた。要するにそう簡単に否定するようなものではなく、またサロネンの指揮などとは表現の奥行きが随分違う。

これで本当に網羅できたかどうかも自信がない。その他のラディオなどは敢えて目を瞑っている。余裕がないのだ。特に来年は生まれて二度目の第九の演奏会が控えていて、今から少しづつ気に留めておかないといけないので、二種類の第九はとても参考になると思う。正直、DCHでラトル指揮の第九を思い出している暇などない。



参照:
大関昇進を目指せ 2018-10-10 | 音
生誕250周年への準備 2018-11-28 | 暦
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腰を抜かすような響き

2018-12-30 | ワイン
プロムスの再放送を聞いた。気が付いていなかったのだが、一時間の時差もあり何とか聞けた。録音も残してあるが、敢えて聞いた。それどころか録音の準備をした。生中継録音も成功していて、これ以上というのもあったが、録音機材も新しくなっていて無駄ももともとで試してみようと思った。

音が出た時から腰が抜けそうになった。生放送よりも音がよいと感じた。機材が変わっているので正確な比較は儘ならないが、音が落ち着いているだけでなく柔らか味と裏がよく聞こえるようになっている。通常は生放送というのは新鮮味があっていいのだが、その副調整室でのミキサーの上げ下げとかその場の判断で必ずしもベストではない。勿論ライヴ放送に出来を求めているのではなく事故がつきものだ。しかし新鮮味はあると信じられている。しかし生放送ラディオの送信経路を考えると必ずしもピューアサウンドにならないことは分かる。

当然のことながら送信事故を考えて副調整室で録音もしている筈だ。恐らくその素材が放送されたのだろう。編集は無くても - それどころか休憩時間のプログラムまでそのまま流されていた -、最も良い音で捉えた録音ならば生放送よりも良い可能性がある。なんとなく休憩プログラムの音が貧弱に聞こえたのはそれゆえか?そして32Bit96kHzのフローティングポイントで録音した。

ガーディアン紙が今年にトップにリストアップしていたが、その前半は今回のツアーの中でも価値のある演奏だったと思う。既にその評価はしていたが、こうして細かなところまでズームアップ出来ると - つまり喧しい音にマスキングされない -、ソロでは聞かせる奏者たちもそのセクションごとのアンサムブルとなるとフィラデルフィアなどの頂点の合奏には追い付かなく荒い。これは総奏の音作りとも共通しているかもしれないが、結局はセクション毎にアンサムブルを締め直して、全体で音を作っていくしかないということだろう。最初から木管群などは業務連絡が盛んだったが、指揮棒の流れに沿って合わせていくことを考えるとやはり時間が掛かることなのかもしれない。つまりキリル・ペトレンコが各々の奏者の出来を把握しないことには詰められない合奏の芸術かもしれない。水曜日にはもう一日の再放送があり、これも聞き逃せなくなった。

「春の祭典」をクリーヴランド管弦楽団がエルプフィルハーモニーで演奏した録音を聞き返した。やはり出だしからして上手い。テムピで分からないところはまだあるのだが、二部のイントロダクションがとても気に入った。こうした精細なリズムを書き込んでいて、我々の知るストラヴィンスキーのイメージとはまた違う洗練が感じられた。ここもブーレーズの演奏と比較してみたい。メストの指揮はどちらかといえばブルックナーをお手本にして作曲されたストラヴィンスキーで、アロイス・ツィムマーマンが模倣したストラヴィンスキーではない。最終の生贄の踊りのリズムが難しい。私は未だに全然乗れていない。期限があるのに大丈夫だろうか、自分が演奏するわけでないのに心配になる。

「影の無い女」の一幕はペトレンコ指揮のストリーミング録音を聞いた。やはり今からすると物足りないところもあって、歌手などの条件が揃えばもう一度最後に再演があってもいいかと思う。若しくはバーデンバーデンでも遠くないうちにやってもらいたい。その意味からするとケントナガノがどのように鳴らしているかが気になってくる。

年末二本目のグローセスゲヴェックスを飲み干した。デキャンタに入れ替えた甲斐はあったが、結局酸が落ちていてミネラルが苦味を出していた。ここがリースリングにおいて重要なところで、高価なリースリングつまり長く寝かして瓶熟成を楽しむようなワインには経年変化で落ちない生物学的熟成による酸が不可欠だ。数年で酸が落ちてしまうようではいけない。つまりこれ以上寝かしておいても素晴らしいバランスとなることはないということだ。最後の時期のフォンブール醸造所のペッヒシュタイングランクリュを試飲していて、「2012年にはそれほどの瓶熟成が期待できるわけでなく比較的早めに開けれそうだ。」と書いている。もう少し早めに開けてしまえばよかった。

昨年のアムステルダムでのクリスマスコンサートを観た。コンセルトヘボーを現代のバッハの伝道師へルヴェッヘが指揮したロ短調ミサである。この指揮者とゲントの団体は我々の伝統のあるフランクフルトのバッハの会では最も今日的なバッハを聞かしてくれた団体だ。だから安売りで彼の指揮する新旧の二種類のロ短調ミサ曲のCDを所持している。その二つの制作や我々の聞いたフランクフルトでのそれとは大分大雑把な感じは免れないがそれでも良かった。近代奏法でのメスト指揮の演奏よりもやはり異なりコンセルトヘボーの管弦楽にとことんやらせている。我々の教会合同的なバッハである。



参照:
一杯引っ掛け風邪予防 2013-09-13 | 試飲百景
19世紀管弦楽の芸術 2018-09-04 | マスメディア批評
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出た!192kHzの高密度

2018-12-29 | 
ベルリンのデジタルコンサートのファイルを聞いた。ハイレゾリューションのファイル群である。以前からシューマンの交響曲全集は重宝していたが、シベリウスも、アーノンクールのシューベルトもあることは知らなかった。一方そうしたファイル類を販売していたことは知っていた。ディスクと一緒に購入可能だ。しかしこうしてネットでアクセス可能とは思わなかった。

理由があって、日本語以外ではリンクが張っていないようだからだ。分からなかった筈だ。勿論プライムシートなどの日本限定のハイレゾ音源提供も知っていた。しかしそれはネットの関係上流すことすら難しい。そこで今回教えて貰ったのは通常にDCHに入ってそこで聞けることだった。但し一楽章づつ除いてあって、通常の一回券では全部は聞けない ー その後全て聞けることが判明した。全て聞こうと思えば購入しなければいけない。当然だろうと思う。兎に角、試してみて購入する価値があるかどうかを自身で判断すればよい。

今まで使っていたシューマンのファイルは96kHzしか出ていなかったので、今回のシベリウスの192kHzはとても良い参考資料になる。そして今回初めてその速度でDACから出力した。初めてではないかと思う。理由は殆ど無線で送り出していたので、キャストとDACの接続の上限が96kHzと定まってそれ以上の信号を送ってもDACに入力不可だったからだ。

もう一つは、DACに有線でLINUXを接続したことから、LINUX経由でDACを制御できるようになり、PCMはそのままDSD変換することなくアナログ出力可能となった。つまりピュア192kHzPCMファイルを楽しめる。DSD処理すると奥行きが増えたりと変化がある。詳しくはマイクのセッティングなどを想像しながら聞かないとどちらがどうとは言えないかもしれない。

改めて感じるのはデジタル録音再生というのは、嘗ての用語であるHiFiつまりハイフェデリティーの原音再生であり、密度を上げればそれだけ原音に近づく意味でしかない。つまりその印象は、凄い音が出るとかではなく、より親密にやわらかな肌触り感が増すということでしかないのである。つまり原音がどのようなものであるかをある程度分かっていれば、密度が上がれば上がるほどズームイン可能にはなるのだが、ざっとした印象はそれほど変わらなく、ハイレゾになればなるほど、ライヴの音はそうだったと再確認するだけのことである。謂わば幾らその密度を上げてもそれはそれで「ああそうそう」と記憶や感覚との比較でしかないということだ。当然である、そこで原音が鳴らない限りはそれが仮想音空間であることには変わらない。そもそも大管弦楽を小さな室内で鳴らすことなどは不可能なのだ。

DCHのコンテンツには最初から飽きているのでこれはとても良かった。今回のペトレンコ二枚DVDにハイレゾ音源を付けていれば考えたかもしれない。少なくともルツェルンの録画が欲しかった。



参照:
なんと、96kHzのキャスト! 2016-10-13 | テクニック
新たに分ったことなど 2018-10-25 | 雑感
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仕事納めのその準備

2018-12-28 | 生活
年末仕事納めになってきた。支払いなどを整理する。何とか金曜日に間に合うか。やるだけやれば後は大みそかから元旦へと適当に流れる。

クリスマス祝日二日目は穏やかな天気だった。夕食に新たにグローセスゲヴェックスを開けた。今度は地元のペッヒシュタイン2012年である。これは飲み頃はまだなのだが、ほかにもある2012年物のパイロットとして開けてみた。少なくとも開栓初日の感じではまだまだ片麻岩のリースリングが開いていない。2013年よりも無難な年だったので余計に開いていない。しっかりしているのでデキャンタに入れ替えた。二三日様子を見ながらのもう。普通の意味ではとても熟れていいワインなのだが、それだけでは物足りないのがこの土壌の潜在力の高さだ。リースリングに合わせて、子牛肉とトリフのザウマーゲンにホウレンソウなどを適当に炒めた。マッシュポテトの付け合わせのあまりにも単純な食事だが、開いていないワインにはこんなものでいい。

英国から冬物バーゲンの知らせが入っていた。Brexitの状況を見て、本当は纏め買いの予定でいたが、三月以降も移行期として通関などは免除されるようだ。だからまだ時間的に余裕があり、急いで購入する必要がないことが分かった。それでも割高で購入した夏物と清算するように安いものが出ていた。半額以下だ。120ポンドのものが50ポンドでものは悪くは無い筈だ。前回購入したシャツに似ているが、この価格ならば邪魔にはならない。本当は異なる色合いが欲しかったが、半年後に買えればそれでよい。

序でにタイも注文しておいた。パープルの色合いで、今持っているリラ系とは少し異なる。これはこれで使いやすいと思う。送料が10ポンド加算されるので、二点半額以下を買えば手頃な価格になる。

就寝前に録画に失敗したラトル指揮のバーデンバーデン復活祭こけら落とし公演から「魔笛」を流した。ペトレンコ指揮のデビューが「フィデリオ」になるならば、やはりこれは参考にしたいと思ったからだ。NHKが金を出していて、ピットの中がよく分かるようなカメラアングルが多い。そして、最後に「パルシファル」で成果を挙げたラトルの最初に戻ってみたかった。演奏は記憶通りとても良かった。オペラ的なことは別に、ペトレンコがこれだけの成果をモーツァルトで上げれるかどうか正直分からない。

タミーノもブレスリクが歌っていて、ナジだけは分かっていたが、幾らかオペラ業界が見えてきた今からすると、中々いい配役になっている。シァーガーというテノールもここで聞いていた。確か本来はジモーネ・ケルメスが夜の女王だった。ホセファンダムも出ていて、可成りのキャスティングで挑んでいたことが分かる。だから大々的にメディア化されたのだった。しかしその後は、「トリスタン」を除いてはむしろ評判が悪く、キャスティングも悪くなっていった。その「トリスタン」のベルリンからのラディオ放送は日曜日の20時から2016年3月31日中継の再放送がある。因みにDCHの収録は4月3日で双方ともベルリンからである。3月19日の初日から28日までの計四回のバーデンバーデンからの中継の希望も存在した。「魔笛」の映像は2013年4月1日の復活祭最終日の収録である。初日23日に出かけたがこうして改めて聞くと中々健闘している。

翌14年は「マノンレスコー」で予測通り低調だったと聞いている。15年の「ばらの騎士」は良かったが、ハルテロスの関係か映像録音とも存在しない。17年の「トスカ」は一番評判が悪かった。どうも祝祭劇場がその他の「ペレアス」や「女狐」などを拒んだのかもしれない。兎に角、ラトル指揮でのオペラの成功は五割ほどしかなかったことになる。



参照:
声楽付き楽劇「トリスタン」 2016-03-22 | 音
苦労して獲得するもの 2015-03-30 | 音
メルヘンから思春期を超えて 2013-03-26 | 音
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旨さが心配なハードコア

2018-12-27 | ワイン
クリスマスには、いつもの栗ザウマーゲンに、レープホルツ醸造所のガンツホルンを開けた。2013年産であるから熟れていて当然なのだが、ドイツで糖を最も落とす醸造所として有名で、そこのワインの瓶熟成には疑問もあった。しかしグローセスゲヴェックスつまりグランクリュの醸造にも経験を積んで、糖の残し方も上手になってきた。

実際に開けてみるととても上手く結びついた旨みを感じ甘露まではいかないがナシの熟成感にも近い。甘い大粒の栗にも合わないわけがない。寧ろ私のような超絶辛口を求める向きには物足りなく、食事にはと思ったのだが、なんといってもおかしな混ざりもの感がない。要するに口の中で邪魔をしない。

恐らく2013年の酸が弱いものだから、旨みの感じが強く出てきたのだと思う。決して残糖感とかがあるわけでは無いのだがそのミネラル風味がハードコアではないのだ。

序でながら、ベルリンのデジタルコンサートホールからはチェックアップしたメディアは既に観ていた。つまりコパチンスカヤのリゲティなどは既に観ていた。そのヴァイオリンの音が正に甘い。我々からするとソフトコアなのだ。パフォーマンスなどは良いとしてもシェーンベルクに合わせるとなると、よほどハードチューンした管弦楽でないと本質がごっそりと抜け落ちてしまわないか?まだベルリンでリハーサルしていないことを既に心配しているのだ。キリル・ペトレンコには絶大の信頼があるのだが、ミュンヘンでの批評などを読んでも、聞いてみるまでは分からない。

就寝前にデジタルコンサートホールから二曲を流した。同じコンサートの最初のシベリウスの曲に続いてリサ・バティシュヴィリが弾くヴァイオリン協奏曲である。ヤルヴィの指揮も予備知識として観ておきたかったが、どうしてもその競演の方は気になる。

フィルハーモニカーの中には同じツュマチュエンコ門下生もいると思うが、彼ら彼女らの表情やその本気の演奏態度が嬉しい。これだけ活躍している奏者となると競演も超一流となるので、こちらも実際に先日のフィラデルフィアとどうしても比較してしまう。

曲はお得意のシベリウスらしいが、私などは先日のチャイコフスキーでのピッチの相違があったのでどうしてもそちらに合して耳を調整しながら聞いてしまう。なるほど中々輝かで申し分ないが、本当のデルジェスの響きは少し違うのではないかと保留するのである。

またもや一楽章の後で拍手が起こっている。チャイコフスキーの場合は仕方がないと思うが、ここはどうも解せない。個人的には会場の騒がしさなどが苦にならないだけの予習と修業を積んでいるが、それとこれはまた別な話だ。「悲愴」の三楽章の後とかとはまた異なる「理解」の問題が係る。センス、要するに趣味の良さということになる。ブラヴィーでもなんでも歌舞伎の掛け声でもなんでも同じだが、知ったかぶりの下種な態度はみっともないだけだ。同様に間延びした演奏には間延びした沈黙だろうか。

それにしてもヤリヴィは集客力という点があったにしてもとてもいいところで呼ばれていて、プログラム面でも得をしている。楽団の方が願っているところでもあり、とてもいい関係に見える。画面はまだよく見ていないが、ベートヴェンの一番のお勉強休みにじっくり見たい。

「春の祭典」が頭に圧し掛かっているが、メディア整理からミュンヘンでの「影の無い女」初日シリーズストリーミングの録音をコピー忘れていたことに気が付いた。昨年の放映時に音声だけを綺麗に録音したからだ。要するに初日の録音は所持しておらず、映像についているMP3では物足りなかったので、音声だけを狙った。探すと残っていたのでコピーしておいた。

再演で聞いた時はスコア席に近かったのが、三幕には最前席に移動。しかしこうして改めると邪魔になっていた幕に入る前の電気的な音声があまり邪魔にならなくなってきた。正直今改めてこの作品の楽譜に当たるのは億劫だったが、もう避けて通れない気持ちになった。スイッチが入ってしまった。我々凡人は、そもそも大部の楽譜を開くのが厄介で、音を聞くぐらいでしかスイッチが入らない。奇しくもその時点でケント・ナガノに関して言及していて、今回もそのナガノの指揮で観劇するとは、因縁をとても感じさせる楽劇である。



参照:
今年も栗入りザウマーゲン 2016-12-27 | 料理
天晴熟成10年産ガンツホルン 2016-08-25 | ワイン
Wブッキングの逡巡 2018-12-07 | 生活
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絞りのフラクタル感

2018-12-26 | 文化一般
金曜日に八百屋でプレゼントに貰って来た鉢の写真だ。いつもハッキリした色の花片を選ぶのだが、二三年の鉢がまだ元気で盛んに花をつけているので、全く異なる淡くチリチリになっているのを貰った。真っ白のを選ぶ人もいたが、このフラクタルな感じに興味を持った。明らかに複雑系で、更に古くなったら余計にボケボケとなりそうなのだが、それがまた面白い。謂わば着物でいえば絞りということになるのだろうか。

快晴になった。屋根裏部屋から降りてきて、事務机に座っている。アムステルダムからの中継が始まった。TV中継の方は生中継では制限が掛かって駄目なのようなのでラディオ放送である。中々綺麗な音のするNPO4放送局で、あまり直截的な音ではない。

クリスマスマティネーと称してコンセルトヘボー会場からの恒例の中継らしい。あまりコンセルトヘボーからの生中継は聞いたことがないので喜ばしい。独自の音響が綺麗に捉えられていると思う。曲目は「くるみ割り人形」である。指揮者のビシュコフはラディオでの紹介にもあったようにラベック姉妹の妹の方の旦那さんらしい。ベルリンのフィルハーモニカーの後任候補にも名前が挙がるように実力者らしいが生どころか放送やメディア等でも殆ど聞いたことがない指揮者である。

ロシア人の指揮者であるがヴィーンの音大の指揮科の教授として君臨していて大物のようである。何よりもキリル・ペトレンコの指揮の先生として著名になった。この教授に言わせると初めから教えることはなかったということになるらしいが、こうしてこの教授がコンセルトヘボーの管弦楽団を振るのを聞くと流石と思わせるものはある。夏に聞いたハイティンク指揮の管弦楽団とは随分と違うアンサムブルである。

前々常任者指揮者のシャイーを批判する向きはいても、この指揮者に関しては批判が難しいのではなかろうか。聞いているだけでそのバトンテクニックの正確さは分かる。しかし鋭角な印象を持たせない。先月放送されたボストンからの「くるみ割り人形」よりも大分上手に弾けている。指揮もネルソンズのものよりも合理的な感じがする。反面、奥行きもあり、瀟洒も損なうことなく、複雑系の音響でもある ― まさしくこの辺りがネルソンズ指揮のボストンでは叶わなくともゲヴァントハウスで可能となるところだ。また前常任指揮者ヤンソンスの及ばない領域でもある ― 同じソヴィエトの教育を受けてもユダヤ文化的背景の有無がものをいうのか。やはりヴィーンの指揮科首席教授となると違うのだろう。この教授も一時はコンサート回数が結構あってその風貌からかあまり面白みがなくて興味がなかったが、バーデンバーデンにも復活祭で再び登場するかもしれない。出来ればヴィーンのノイヤースコンツェルトで喝采される頃に聞いてみたい。

正確さといえば、「春の祭典」お勉強に本命のブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団の新盤の方を鳴らした。やはりとても目が行き届いた指揮をしていて、そのリズム構造への造詣が感じられる。いつものようにサクサクと進めているのだが、しっかりと拍を取っているのでシャカシャカしたところがなく、超一流のそれである。詳しく精査してみなければいけないが、メスト指揮のそれとは大分違う。反面あまりにも流れ過ぎるので若干スタイリッシュに感じられる部分が多くて、いつものように「演奏解釈」としては寂しい。しかしこれほど精査してある録音は他にはないのではなかろうか。そのテムピに関してはよくわからないところもあって、研究してみないといけない。しかし全体像はとてもよく出ていて見事だ。

クリスマスイヴにデジタルコンサートでオープニングコンサートの三曲を流した。やはり初日の演奏はとても固いが、ミスが無い様に正確に進めたのは流石で、翌日のスクエアーでの開花した演奏とのコントラストが甚だしい。その野外での演奏があったゆえにザルツブルクの初日では荒っぽくなっているのは録音で最近確かめた。



参照:
Wブッキングの逡巡 2018-12-07 | 生活
蒼空のグラデーション 2018-09-08 | 音
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少年少女合唱団を推薦

2018-12-25 | 
イヴとなると結構忙しい。パンを取りに行くと下に住んでいたワイン親方が居てあいさつした。隣町までパンを取りに行着続けていることをもう一つ認知していなかった。足に疲れもあるので軽く走ってからあとは先に延ばした。

考えていたのは期限の迫ったデジタルコンサートホールの使い方とハムブルクの計画だ。勿論「春の祭典」に続いて「影の無い女」のお勉強を始めることなど時間計画を立てないと間に合わない。クラフトのティムパニー協奏曲の映像録音はYouTubeにあり、「ウェストサイドストーリー」はどうしようか。

DCHのアーカイヴから先ずはオープニングコンサートの三曲である。ラディオ放送だけは馴染みなのだが映像は部分的にしか知らない。あとはリサ・バティシュヴィリとヤルヴィのシベリウスを見よう。コパンツィンスカヤのリゲティ、ブーレーズのエクラ、それ以上にこれといった演奏会は見つからない。

昨年に続いて、オペラ賞のノミネートした。選んだのは、合唱団をバイエルン国立劇場少年少女合唱団と昨年の本体に続き今年は「オテロ」での素晴らしい活躍に一票。クリスマスの挨拶のヴィデオを見ても子供らしさを残したところがなかなか味のある歌になっている。指導者が偉い。

指揮者は毎年続くが、どんなにラトルの「パルシファル」が良くても、その質だけでなく仕事量でペトレンコを挙げないわけにはいかない。

デザイナーはどちらでもよいのだがバゼリッツを挙げておいた。舞台との関係やそれを差し引いてもやはり芸術の力として圧倒的だったと後になって思う。オペラとはあまり関係ないが場を形成したことには間違いない。

演出家には、フランクフルトのクラウス・グートを外せなかった。勿論完成度からすれば「オテロ」のアメリエ・ニールマイヤーで決まりなのだが、こちらは敢えてニューカムマーで挙げておいた。

女流歌手では、「メリーウィドー」のマルリス・ペーターセンである。その他シュテムメやカムペの素晴らしい歌があったが、主役としての役作りなど秀逸だった。歌の力だけでなくて総合的に金のとれる歌手である。「ルル」の時よりも表現力が優れていた。
Franz Lehár: DIE LUSTIGE WITWE


生涯活動では、「パルシファル」での演出を見てディーター・ドルンを推挙した。評判は良くなかったが上手く力の抜けた表現で、流石だと思った。
"Parsifal" - Festspielhaus Baden-Baden 2018


男性歌手では、フィンレーやカウフマンの可能性もあったがやはり「パルシファル」のゲルハーハーの強い印象を思い出すと選ばずにはおれない。
PARSIFAL: Christian Gerhaher as Amfortas | Conductor: Kirill Petrenko


ニュープロダクションは文句なしで「オテロ」にした。演出などを全て含めて、中々これだけの新制作にはお目に掛かれないと思う。ケチをつけるとすればプログラム冊子をもう少し考えて欲しかった。
OTELLO: Trailer | conducted by Kirill Petrenko


オペラカムパニーには初めてバーデンバーデンの祝祭劇場を推した。復活祭扱いでもよかったが、テーマが不明だったので、今後のことも考えて、オペラ団体として名を出しておいた。
Festspielhaus Baden-Baden


管弦楽団に、ベルリナーフィルハーモニカーにはお預けとしておいて、バイエルン国立管弦楽団で間違いない。



参照:
旨味を引き立てる香味 2017-12-26 | 料理
そのものと見かけの緊張 2018-06-19 | 女
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待降節の輝きの時

2018-12-24 | 
木曜日に行われたチャリティーコンサートの短いニュースフィルムが人気だ。前回は2016年の待降節だったがその節の短いヴィデオはDLしたかもしれないが記憶がない。今回も当日は忘れていたが、土曜日になって初めて気が付いた。そこで歌っている少年少女合唱団は先の「オテロ」の舞台で活躍した座付の合唱団である。とても評判が良かった合唱団である。

「オテロ」の最終日が翌日に迫っている中で、管弦楽団はともかく子供の合唱団をよく使ったものだと思う。それほど曲数がないとしても交換要員がいるとしても連夜の本番になる。管弦楽団も正規のメムバーどころかコンツェルトマイスターから次席まで出ていて、本番の要員と変わらないどころかホルンなどはデングラーが受け持っていて、目的があるとしても100ユーロ以上の料金を取るだけの価値があるようになっている。それにしても数秒に満たない演奏風景の断片で訴えてくるものも少なくない。いい具合にムジツィーレンして、いい具合に温もっていて、それが的確な指揮とともに余計に細やかなとてもいい歌いくちになっている。

感心していたら、自身の予定を思い出した。思わずクリックしてしまったのだ。私はけちな人間だから衝動買いなどはしない。だから待ちかねたように、否、完全に忘れかけた時にオファーのメールを貰って、我慢できなかった。正月早々忙しくなるが、もう一日余分に出かけることにした。上のヴィデオを見て再びスイッチが入ってしまった。

早速久しぶりに開ける「春の祭典」の楽譜を通した。このブージーアンドホークス社楽譜を購入したのはヤマハに違いないが、確か演奏会の準備というよりも当時話題になっていたLPを購入したときぐらいだろうか。アバド指揮のものの前にティルソン・トーマス指揮やら、マゼール盤、メーター盤、更にショルティー盤などが評判になっていた時の少し後だと思う。もしかするとラトルがユース管弦楽団を振ったデビュー盤を獲得した時かもしれない。久しぶりに見てとても読みにくかったのを思い出した。

そして今回初めて出かけるエルプフィルハーモニーでのクリーヴランド管弦楽団の演奏を聞いてみた。これがまた変わった音響でなっていて、よくシステムの各段が聞こえる反面、合奏ということではかなり妙な演奏になっている。最初の難しそうな付点音符なども流石に上手に吹いていても、詳しくはじっくりと楽譜で合してみないといけないと思った。指揮しているメストが、自身の故郷リンツでの初演を聞いていて、後半で出ていくお客がいたと話している。文学的な解釈を心掛けていたようだが、リズムの扱いとアーティキュレーションが少し違うように思った。

今回演奏するのはティーンエイジャーのユース管弦楽団で幾ら繰り返し練習しても正しい音出しだけでも大変だろうなと思うところもあり、ペトレンコがどこまで纏めてくるか興味津々だ。どこをどのような順序でものにしていくかの経過も興味が尽きない。ある意味我々聞く側にとってはその過程をつぶさに見ることが出来るかもしれない。要するに玄人のように誤魔化しに慣れていないだろうから、あの厳しい指揮にどこまで食いつてくるのか、そのためにどこまで丁寧な指揮をしてくるのかなど、好事家には見逃せなくなってくる。

家の新しいシャンデリアの写真を上げておこう。それ以前は何のとりえもない便所の電燈のようなものがついていたのだが、一挙にバージョンアップした。現状では少し明る過ぎるが、電球が切れたり電気代が高騰するとなれば ― そこで話していたノルウェーのおばさんの故郷のようにドイツは裕福ではない ―、電球を落としたり何らかの処置がなされるだろう。しかし今は冬場でありとても喜ばしい輝きだ。



参照:
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パーティの王のケーキ

2018-12-23 | 料理
金曜日の夜は自宅でパーティーだった。自分はやらないが家屋の下から招待状を貰ったのでいかないわけにはいかない。現実的に自宅にいて、下で騒がれて、ゆっくり出来なく、また籠っているとなるとやはり印象が悪い。そもそもパーティーの目的が近所付き合いのためということなら尚更だ。

正直なところ、何か持っていかないわけにもいかないので、その前にワインを試飲購入してきたりとこの忙しい時に時間の都合が必要だった。若干面倒な思いもあるのだが、近所付き合いは困ることもあるだろうから、やはり欠かせない。

結局18時から始めて、就寝したのは25時過ぎだった。悪いアルコールをチャンポンで飲んだが、シカ肉などを食したのでそれほど悪酔いはしなかった。しかし食事のためか下痢症状になった ー 果物と香料のパンチだ。仕方がない。

結局同じ屋根の下に住んでいる者は私を入れて二人だけ参加で、同じスクエアーの別棟の夫婦、ゼクトを持ってもう一人挨拶して直ぐ帰っただけだが、延べ20人ほどは来ただろうか。まあまあ賑やかで、もし私が招待されていなければ文句が出るほど騒がしかった。

興味深い話では難民問題で、難民申請の僅かな部分だけが本物で、それ以外は経済難民だとか、尤もな話で、強制送還よりも刑務所に入る方を選ぶとか、それ自体は全くご尤もな話しもあった。問題はそれらの事実関係を精査して、国の方針としてどのように対処するかだけでしかない。そうした考察の背景に、難民宿舎などの扱いの状況が悪化して、人権問題だとなる - つまりいま日本などがやろうとしている奴隷化への懸念からの議論である。

また興味深かったのはノルウェーからの移民のおばさんが作ってきたアーモンドケーキで、「王のケーキ - Norsk Fyrstekake」と呼ばれるものだった。その人の出身がアルミニウム産業の中心地で、全て水力でやっていたというが、温水プールだけでなく、日本と同じように不夜城だたっという話だった。日本も同じようなことだったと話した。そして一人当たりの生産量世界一のその豊かさはおばさんが驚くほどで、従来の簡単な湖畔の家の後ろにはハリウッドのような豪邸がそこら中に広がっているということだった。だからドイツなどの専門医が移住しているという話だった。

パーティーの前に八百屋で買い物を済ました。次回はクリスマス後の来週の木曜日である。そしてワイン屋に立ち寄ってパーティに持っていくワインを物色した。ヴァッヘンハイマーリースリング2017だった。そのほかにフォルスターリースリング2016の残りを買っておいた。

そして郵便箱に入っていた発注したケーブルを回収して、設置してみた。LANケーブルCat.6の製品だ。繋いでみて驚いた。付属のケーブルがCat.5eでルーターの性能からすればそれで十分の筈だったが、これに比べて送信周波数が250MHzと付属品の100MHzから伸びている。そして実際に使ってみると数値的には必要ない筈なのが、それこそ2倍以上の速度が出ている。つまり最初に使っていたCat.5からすると間違いなく10倍の速度である。これで先ず内臓HDDと同じようにNASが使えるようになった。Audacityの読み込みもあっという間に終わるようになった。これはとても喜ばしい。



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興業師からのご挨拶 2018-12-21 | 文化一般
健忘症のミスタービーン 2018-12-22 | 暦
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健忘症のミスタービーン

2018-12-22 | 
クリスマスプレゼントが例年のように届いた。ミスタービーンではないが、自分で発注したのだが中身が何かを忘れてしまった。理由は序でに発注した三脚ばかりが頭にあったからだ。そして開けてびっくり玉手箱。目覚まし時計だった。これが肝心だったのだ。健忘症まであってビーンよりも徹底している。

冬至である。これから日に日に日が長くなって、春を感じるようになる。ここまで来たらこっちのものである。だから朝が起きられないのも早朝に限る。徐々に早起きになってくる。それでも新しい目覚ましは有難い。開けてみると、手触りは以前のものよりも滑らない。色もマットである。そして形状がまん丸くないので、手に収まりやすい。これはいいと思った。一分毎の音は聞こえるがこれは依然と変わらない。夜中に目を澄ましてみないと分かり難い。しかし全体の音作りは落ち着いている感じである。大きさも小さ過ぎもせず、大き過ぎない。朝起きが楽しみになる。

しばらくの間を費やした。漸くNASが実用になってきた。先週末から困っていたのはその転送速度で、重要な使い道である音楽ファイルが上手く再生出来なくなっていた。最終的なテストで32BitのAudacityまでが物切れになることが判明した。こうなると尋常ではない。

始めはネットで「AudacityをNASから再生する」の検索で調べていた。なぜならば、一度止まりかけるとステレオの左右がずれて再生されるようになったからだ。勿論NASからの伝送が悪いのは分かっていても、そこでキャッシュなどからの反映でずれが出てくるのかなとも思った。しかしMP3でも止まるとなると原因はまた異なると気が付いた。

結局、既にここでも言及したジャムボフレームなどの設定が間違っていたことが分かった。それゆえにNAS自体のCPUの過負荷になっていた。要するに大きなパケットにしてから送り出するための処理がなされていたことになり、大きなパケットを一挙に送り出すとその準備がないと流れの下の方で止まってしまうことになったようだ。デジタル転送技術の詳細は分からなくてもこれは物理現象として明らかだ。

ここまで難しいことになったのも最初から添付されたケーブルを使わなかった罰なのだが - いつもの性分で捨てられずに余っているものを使いこなすことに喜びを感じるのだ -、弄っているうちに全体像が見えてきた。時間を掛けて解決するしか方法はなかった。そもそもNASからの分割ファイルの再生に関しての記載はほとんど見つからなかった。同時に転送速度も自動に戻しておいた。その状態で、写真などのファイルの読み込みもどうやら使いものになる「待ち時間」になった。

さて肝心の32Bit再生であるが、通常の24Bitが問題なく再生可能となったのを試してから、呼び出すと、それ以前は分割されたファイルの読み出しに30分ほど掛かっていたのが二三分で再生準備完了となった。そして再生しても止まらない。通常通りに使える。これで、ハイスピードの長めのケーブルが届いて設置し直せば完璧に使える筈だ。Bluerayの大きさの映像も試してみたが、これは難しく、更に研究の必要がある。しかし何よりも重要なのは、Win8のPCのデータを直接NASの方へ書き込むセッティングになっているので、少なくとも事務作業ぐらいにはストレス無しに動いてもらいたい。小さなSSDディスクPC、大きなNASがシステム構成の基本コンセプトだったからである。またLINUXの方で再生が可能となったから、これで一先ず新システムが完成する筈だ。




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そろそろ買い納め 2018-12-20 | 生活
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興業師からのご挨拶

2018-12-21 | 文化一般
バーデンバーデン祝祭劇場からメールが入った。見出しは、オテロ2019である。最後のシーズンの支配人メルヒ・ツェップハウザー氏からである。氏は話題となっていたザルツブルクの祝祭劇場支配人としてその音楽監督ティーレマンによって推薦されていた人物だ。その支配人が何を書いてきたかは興味をそそる。

「マエストロズビン・メータがベルリナーフィルハーモニカーとのオテロ上演を率います。」とはじまり、「今日の大名指揮者の一人であり、ロバート・ウィルソン演出の新演出ヴェルディオペラをリハーサルして指揮することを承諾して頂いてとても喜ばしく思います。」と一気に書き綴る。

そして、「メディアでご存じのように、ダニエレ・ガッティは、健康上の理由から、この制作を率いる状態にない。」となかなか上手に作文している。言うなれば、「皆知っているでしょ、これ以上は言えませんよ」ということだ。

話したことはないが、小柄な爺さんで、ティーレマンが気に入ったのもその興業師的なセンスだ。楽師さんの息子さんらしいが、その手腕は特に評価したい。金蔓をしかっりと押さえながら、最初の頃にゲルギーエフ一団で安く出し物を調達して、夏の興業の基盤にした。金満層のロシア人湯治客を飽きさせない手腕も見事だった。そしてその後、カラヤン財団との関係や、ベルリナーフィルハーモニカーを連れてくるまで、中興の祖であった。この人無しには基礎は築かれなかった。

だからこの人が後継者に譲るとしても金脈をそのまま握るということは聞いている。後継者がそれを自分のものにするまではどうしてもご意見番の声が大きい。逆に考えると、ザルツブルク州がティーレマンの意見を受け入れて、なぜこの人とのコムビを受け入れなかったかというのが、とても興味深い。

既に言及したようにこの人の金蔓はバーデン地方を中心とするメディアコンツェルンなどの人脈であって、それをザルツブルクに移転するのは難しかった。しかし、この人の興行師としての臭覚は使えたようにも思うのだ。本人が断ったという話も出ていない。結局ティーレマンの戦略というのがその辺りにあって、この人は適当に名前を使われたということもあり得る。そこがティーレマンのお頭の弱いところで、「中ホールも一杯にできないようなシュターツカペレを率いたティーレマンなんて招き猫のランランにも劣る」と考えるのが興業師である。

文面はそのあとにミュンヘンでのメータの長年の活躍などに触れられていて、要するに推薦文章となっている。売れ残っていたティケットを売り払うとても良い機会だった。この人は最後まで営業的に運のいい人だなと思った。

就寝前にネットを見ると、Ethernetケーブルの種類を初めて知った。最近は無線が主力になっていて気が付かなかった。つまり同じように見えてもカテゴリー5と5eがあって、後者は前者の十倍の速度つまり1GBまで出ることを知った。敢えて新NASには古いケーブルを使っていたので、これは調べてみなければいけないと思うと案の定5が付いていた。そこで添付していたケーブルに付け直す。しかしそれでも、改善されたが、10倍の速さは到底出なかった。つまり他に原因があるということだ。しかし、添付していたケーブルは僅か1.2mしか長さがなかったので、早速3mのを発注しておいた。発注したものはカテゴリー6だからケーブルに関してはこれで問題は無い筈だ。更に色々と研究している。Audacityのような分割ファイルを受け渡しするのはある意味映像メディアよりも厳しい条件だ。それでもUSB2で出来ていることが出来ない様な転送速度ではお話にならない。



参照:
釈然としないネット記事 2018-10-03 | マスメディア批評
新支配人選出の政治 2018-11-13 | マスメディア批評
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そろそろ買い納め

2018-12-20 | 生活
肉屋は土曜日までと分かった。注文をまとめなければいけない。しかし年明けは8日からなので僅か二週間の肉類だ。ザウマーゲンも棒を一本でもよいかなとも思う。しかし、トリフ入り子牛肉の500gと栗入りの輪切りを二枚ぐらいか。あとは燻製のシュヴァールテンマーゲン一玉、リースリンクの煮凝り一枚、カモ燻製肉のスライス、シュトラスブールリレッテぐらいでいいか。

それ以外に本年最後の発注もしようかと思う。欲しいのはアナログの目覚まし時計で前回五年ほど前に購入したものは気に入っていたがとうとう壊れてしまった。故障原因は丸くて高級素材がつるつるしていて手に馴染み難く簡単に滑り落としてしまったからだ。それを繰り返していると短針がずれるようになった。これでは全く折角のアナログ表示が使えなくなる。深夜の針音もなく、電子時計なので毎年夏時間の始まりと終わりにも重宝していて一番信用できる時計だった。

後継機が欲しかったのだが、同じものしかフィルターに掛からなかった。しかし今回調べると同じメーカーからよさそうなものが見つかった。なぜか昔の腕時計のように窓が付いていてデジタルの数字が出ている。これが何となく気に食わなかったのだが、読者の批評を読んで製造コンセプトを理解した。なぜかアマゾンの説明には書いていない。秒針のようなものが従来の赤色になっている目覚まし針で、そのデジタル表示は秒だとあった。しかし壊れたものをもう一度点検するとそこにも秒針はなかった、つまり秒のチクタクがない代わりに一分毎に動く音がある。気になるかならないかは慣れであるが、やはり秒針のようには喧しくない。嘗てのデジタル表示も一分毎にカ-ドを捲るような音がしたのを思い出した。

同時に長年所望していた小型三脚を同時発注した。無料配達料金29ユーロを軽く超えてしまったが、木などにも結び付けられるようなタコ足になるのが嬉しい。勿論カメラ以外のマイク等も設置可能となる。これも四つ半星ですこぶる評判が良い。

設置したNASの使い勝手がまだ一つである。転送速度がまだ思うような域に達していない。ジャムボフレームとかも増大させて、IPv6も使えるようにした。実は根拠がなくともケーブルも変えてみようとも思ったが、それはしないでも改善された。しかしまだ一部の32Bit録音などが上手く再生できない。速度だけが足りないと思うのだが、まだ分からない。仕方がないので、従来のUSBの方から読み込んで再生する。CPUが過不可になることもあるようだが、メモリーの方はいつも安定している。転送レートが高品質動画に相当するようだ。この辺りまでは調整で何とかしたい。

掃除以前に溜まった音楽データ類を他所に移す。既にシステムと合わせて60GB占有しているので、出来る限り軽くしてやった方がいい。データを読み出すところが詰まっていては元も子もないのだが、読み込む方も余裕があった方がいい。それでもメモリーを消費している様子はない。固まってしまうほどではないということだ。それでも限がないのでテストファイル以外は先ずは移し替えて空にする。データが流れる流れない以前にAudacityのグラフィックが機能しなくなる。やはりリゾースをそこに集中させたい。




参照:
無いとなると想う有難味 2017-10-14 | 雑感
狙って、使い熟す技能 2015-11-08 | テクニック
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バイエルンに寄せる想い

2018-12-19 | 文化一般
パン屋に行く道に雪が残っていた。一寸山に上がるだけで街道にはない雪が残っている。昨日の雪ならず日曜日から月曜日にかけての雪だ。気温は上がってきたが、ショーツで走ると顔見知りから声がかかった。

パン屋でストーレンを見ると当然のことながら普通の薄っぺらいものしか売っていない。ないとなると先日買ってきて食したダルマイールのそれが懐かしくなる。やはりあれは食べ甲斐があった。

クリーヴランドからのアーカイヴ放送を聞いた。前主席指揮者クリストフ・フォン・ドナーニの最初の演奏会だ。1982年2月の演奏会の実況録音である。得意のバルトークから二つのポートレーツとシュタルケルを迎えたチェロ協奏曲、そしてドヴォルジャークの八番交響曲である。

最初の音からして荒く驚いた。なぜならばこのこの管弦楽団は現在のメスト指揮で格別エレガントな管弦楽団として知られていて、嘗てのブーレーズ指揮の録音でもこのような荒い音は立てない。その間にロリン・マゼールが指揮者として君臨していたが、これほど不味い音は知らなかった。しかし、どこかその散らかし放題の残滓のようなものが感じられて、ソロ奏者からそのような音が聞こえる。

この放送への関心は、現在最もドイツ音楽界で権威と権力を保持しているドナーニ氏の仕事ぶりよりも、ブラインド嘗てのジョージセル逝去後の変遷を知りたかったことにある。両巨匠ならず両巨頭のように君臨するバレンボイム氏の音楽と比較しても、決して評価しないわけでもなくオペラ指揮者として馴染みがあり、決して否定的な認識はないが、本人自身ラディオで語っていたように急逝の「フリチャイ氏とは才能が違う」というその言葉通りに受け取れる仕事ぶりである。やはりマゼール、ドナーニ体制では過去のセル指揮のそれには全く繋がらなかったのを如実に実感した。要するに現在の水準はそれ以降に為されたものであることがはっきりした。

新しいニュースが入ってきた。ザルツブルクの復活祭理事会の報告だ。非公開乍ら幾らかの取材はしているようだ。残されたありようは、新支配人バッハラーがいうように強力な双頭体制で盛り上げていく。つまり片方の音楽監督ティーレマンが最も拒絶している体制だ。つまりティーレマンの辞任は織り込み済みである。そこに至るまでバッハラーがティーレマンを仕返しのように虐めまくるか、先ずはティ―レマンの辞表を待って、シュターツカペレドレスデンだけを維持するかと書かれている。

若しくはベルリナーフィルハーモニカーを連れ戻すかで、これに関してはフィルハーモニカーが「話さない」としたことから、否定ではないのではなかろうかと邪推している。どこまでが誘導のニュースなのか舞台裏をどこまで掌握しているのかは分からない。なぜならば、そもそもバッハラーに任せること自体が先行していた選考経過から、不可思議なティーレマンとの事後交渉などはありえなかったからだ。要するにお払い箱になった。

しかし、そこが最も分からない理事会の意思で、そもそも経済規模が小さなザルツブルクがより良い制作をするためには共同制作しかなく、夏の音楽祭との協調が手っ取り早い。しかし、その傾向にも嘗て以上に発展していない。様々な観点からベルリナーフィルハーモニカーがザルツブルクに戻る合理性は全く無いのだ。理想的にはヴェルサー・メストが音楽監督になってシュターツカペレを指揮する小さな復活祭ということなのだろうが、どうしてこうも複雑なことになっているのか?ベルリナーフィルハーモニカーがノーコメントなのは当然だろう。更にバーデンバーデンに圧力をかける必然性を私も認める。少なくとも現在はまだランランを呼びたがるようなティーレマン推薦の男が支配人にいるからだ。



参照:
敵はバイロイトにあり 2018-11-14 | 文化一般
新支配人選出の政治 2018-11-13 | マスメディア批評
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先に、劇か歌かの回答

2018-12-18 | 
月曜日病である。日曜日の夜にストレスなどを考えて、週明けの処理事項を考えていたら案の定身体が拒絶してしまった。更に天気が悪いとなると手の施しようがない。狸寝入りである。それに、どうでもよいことなのだが、先日の新制作「オテロ」上演の四幕の最後までまだ跡を辿れていない。毎度のことながら最終幕はメモも取れないために、本当は最も印象に残っている筈なのだが、帰路の車の中で反芻するということもあまりない。なぜなのだろうか?

承前)オペラの幕切れは、芝居の幕切れとどこか異なるのか?それとも変わらないのか?音楽の場合はその素材に縛られる。つまり終幕に来て新たな素材を出してきたのでは収まらない、文学以上に限られはしないか。そのように考えると、デズデモーナの「アヴェマリア」はいいとしてもシェークスピアの「柳の歌」がここに入ってくる。

今回の公演のプログラムにはこの件に関しては言及がないが、一幕の愛の二重唱、つまりシェークスピアの原作にはない「ジークリンデとジークムント」と比較される音楽に関して、その調からの逸脱や和声の流れの心理描写への言及がなされている。しかしここでは寧ろそこへ向かうまでの叙唱部分から上手に導かれていて、唐突さを感じさせない。それゆえにか名曲としてあまりにも定まってしまっていて、若干耳にタコ状態になっている。しかし今回の公演では、少なくともデズデモーナの歌としては最も説得力のあったところでもあった。

何よりも言及したその冒頭からの繋がりがとても丁寧に彫塑されていて、なり勝ちなセンティメンタルとは程遠い歌唱が繰り広げられる。丁度一年前の「ジャンニスキッキ」の娘の歌のように何か物足りないと思っていた人ももしかするといるかもしれない ― 管弦楽共々それほど丁寧な歌い込である。そしてデズデモーナの歌に付きまとうドルツェシーモの歌から、「お休み」と来て皆が分かるようなデズデモーナの最後の鶴の一声のような叫びが周到に準備される。だから誰もがそこで構える。場内はひっそりと息を飲む。そして楽譜には珍しくfしかついていない、体を固くしながらその一声を待っているので条件反射的に体が震える。まさしく一撃の棒が下ろされるのだ。

ハルテロスのその声も鋭くこれ以上にはないものだったが、その一撃に敢えて言及しざるを得ないのには、いくつかの理由がある。リコルディ出版に出した手書き楽譜には七つのpまであったという執拗にその音楽的な内容を伝える努力をした作曲家はここでは最高音Aisにfと書き込んでいるに過ぎない。勿論その前に同じように繰り返していて、最上級へと上がっていく準備がされているのだ。

もう一つの側面は、その準備というのが小さな枠の中で二面性を保有しているので、丁度小さなメロドラマ形式にもなっていると気が付く。ドルツェがドルチェッシモになると同時に、二面性が交互に現れる形にもなっている。

そこまで来ると、素材的に収まりの良い「アヴェマリア」から、もはやオテロの登場への音楽を待たないでも予定調和的に劇が先へと進む。要するにシェークスピアの名作に音楽を付けるのであるから、そこを如何に上手に運ぶかが腕の見せ所だったのだろう。

カウフマンのオテロは演技歌共に申し分なかったのだが、声も三日目のストリームイングの時のようには出ておらず、三幕におけるほどの出来ではなかった。正直なもので、幕切れの拍手のタイミングや湧き方も三日目よりは弱く、初日よりは反応が大分良かったぐらいだろうか。意外に一声一動作の存在感がイアーゴのフィンレイにあって、三幕四幕と裏に隠れていたので逆に注意を引いた。

今回の「オテロ」二度目の体験は素晴らしいもので、ドミンゴとクライバー指揮のそれと比較して、優れた点も多く、多くの点で勉強になった。だからと言ってドミンゴの歌などが完全に上塗りされることもなかったというのが正直なところだ。同時に来年の復活祭へのお勉強の傾向と対策をとてもはっきりと与えてくれた。今回以上の舞台や歌が期待できる訳ではないのだが、より細かなヴェルディのダイナミックスを含む筆使いに注目したい。

しかしなによりも満足できたのは、当時体験したストラーレル演出「シモンボッカネグラ」上演において、ヴェルディの上演がとても難しいと感じていた疑問全てに対してのペトレンコ指揮の回答だった。例えばたとえ初期のそれと後期のそれは異なるとしても劇におけるミレッラ・フレーニを代表とする大歌手などが朗々と歌うときの劇性の問題であり、ヴェルディ後期の創作での解決であると同時に、上演のアンサムブルの精度を上げることでの解決と、まさしく第四幕の音楽的な精査が齎した上演実践の秀逸であった。(終わり)



参照:
玄人の話題になる評論 2018-11-27 | マスメディア批評
PTSD帰還士官のDV 2018-12-03 | 文化一般
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