Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

天使が下りてくる歌劇

2020-09-29 | 
毎年発表の「オペルンヴェルト」誌のシーズンの表彰が発表された。先ずは、「本年の歌劇場」にはフランクフルト市立歌劇場とジュネーヴの劇場が選ばれた。

そして、「本年の歌手」にはマルリス・ペーターセンが四度目の受賞である。女声では、アスミク・グリゴーリアンとペーターセンが毎年別け合うような状況はしばらく続くだろう。男声はカウンターテノールのヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキーが選ばれた。前者の対象は、昨年秋のミュンヘンでの「死の街」のマリエッタとマリーの歌唱で文句の無いものだ。同時にヴィーンでの「サロメ」も対象となっている。後者はカールツルーヘのヘンデルフェストでの歌唱の様で、昨年のフランクフルトでも側転し乍ら歌う実力は掛け値の無いものだった。

そして座付楽団としてミュンヘンのシュターツオーケストラが九度目の受賞で、その音楽監督キリル・ペトレンコも「本年の指揮者」に選ばれた。同時にティテュス・エンゲルが同じ賞を受賞した様で魂消た。

彼からは先々週ぐらいにメールが入っていて、どうしたのかと思っていた。暫くご無沙汰していて、二十年近く会っていない。だからヴィデオなどで活躍を見て頭髪だけが気になっていた。最近はシュトッツガルトの劇場だけでなくSWR交響楽団も定期的に振っているようで、予定されていたクレンツィスは出なくなったがドナウエッシュンゲン音楽祭で指揮することになっている。将来的にも彼がそこの主になるのではなかろうか。とは言っても最近は、お誘いのプログラムなどはそれとなく送られて来ていたが、長くその指揮を聴いていない。こちらもこの間に色々とお勉強した事であり新たにその音楽に接してみたいと思っている。少なくともとても難しい活動分野で賞を取る位だから余程いいのだろう。少なくとも2018年の小さなフランクフルタールントシャウの批評だけは眼を通していた。

それどころか、偶々であるがその時に彼が振った「青髭公の城」の批評を切り出して、同じ文章にあったキリル・ペトレンコの記事とくっつけて二人の名前を並べて表示していたのは、何を隠そう私である。まさかこうしてキリル・ペトレンコの横にティテュス・エンゲルの名前が活字になるとは!本人も喜んでいると思うが、一度彼のチューリッヒの自宅に電話した時に話したお母さんも喜んでいることだろう。こうした一寸した広報が深層心理的に効いているかもしれないと思うと私も嬉しい。

再度調べてみると、同じ記事に出るようになるのを取り持ったのは歌手のクラウディア・マーンケだと彼女は言うだろう。ペトレンコ指揮の千人の交響曲に続いてエンゲル指揮の「青髭のユーディット」を歌ったからだった。

二週間前のメールは、ベルルーシの反政府運動家マリア・カリスニコヴァが連行されたことに関する解放へのアピール署名へのお誘いだった。そこの口掛け人に名前を出していた。直ぐに署名を二筆しておいた。こちらも当時からすると指揮者に関する審美眼が可成り厳しくなっているので、どのような評価で受賞に至ったのかの真意を確かめたい。

車中のニュースでは、ラインラントプファルツ州知事トライヤーは、全国会議でメルケルらに提言するとあった。それは、現在の新感染者指数50で問題にしていたら遅いのでその前の35ぐらいで規制を自動的に始めるというものだ。それを超えた地域は公共の場ではマスクとなるが、逆にそうでない地域には必要ないと当然の事である。問題は数字が出たところは買い物客も逃げるという事になる。

祝祭祝杯の人数制限は当然で、これは最も手っ取り早い対策だろう。勿論街中のマスクは役に立たないが少なくとも人出を散らす効果はある。あとは追跡に人員不足などがあるようだが、35ぐらいがその調査の限界であることも背後にあるだろう。要するに50にもなったらお手上げで、やれることはロックダウンしかないという事だろう。



参照:
音楽劇場としての条件 2019-11-22 | 音
難民の是非を問わない 2019-10-28 | 文化一般

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