Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2005年7月

2005-07-31 | Weblog-Index



即物主義と即心即仏 [文化一般] / 2005-07-30 TB0, COM2
QOLとしての水道水 [アウトドーア・環境] / 2005-07-29 TB0, COM2
波乗りはショートからネットへ [雑感] / 2005-07-28 TB0, COM0
固いものと柔らかいもの [文学・思想] / 2005-07-27 TB0, COM2
御奉仕が座右の銘の女 [女] / 2005-07-26 TB1, COM4
新たな郷土の淡水魚 [アウトドーア・環境] / 2005-07-25 TB0, COM7
バイロイトの打ち水の涼しさ [生活・暦] / 2005-07-24 TB3, COM5
熟成ワイン窟のパラドックス [ワイン] / 2005-07-23 TB2, COM5
更新リストとRSSリーダー [Weblog] / 2005-07-22 TB0, COM4
夏の惣菜 [料理] / 2005-07-21 TB0, COM2
正書法のフェデラリズム [歴史・時事] / 2005-07-20 TB0, COM0
北オランダからはゴウダー [料理] / 2005-07-19 TB0, COM0
亜種ライ麦パン [料理] / 2005-07-18 TB1, COM7
モラル無き時代のオフサイド [歴史・時事] / 2005-07-17 TB5, COM2
ラァウゲンが引っかかる [料理] / 2005-07-16 TB1, COM11
社会資本の換金請負 [歴史・時事] / 2005-07-15 TB1, COM3
袋が香を薫ずる前に [文化一般] / 2005-07-14 TB1, COM5
ジェットストリームの記憶 [生活・暦] / 2005-07-13 TB0, COM2
政治的東西の壁の浸透圧 [歴史・時事] / 2005-07-12 TB0, COM3
トンカツの色の明暗 [文化一般] / 2005-07-11 TB0, COM4
小市民の鈍い感受性 [文化一般] / 2005-07-10 TB0, COM0
世界最古のガレージ [歴史・時事] / 2005-07-09 TB0, COM0
踏み付けられた巨人 [歴史・時事] / 2005-07-08 TB0, COM0
弓矢の先端とその恍惚 [歴史・時事] / 2005-07-07 TB2, COM0
魔除けの見下ろす教会塔[文化一般] / 2005-07-06 TB0, COM0
破壊された偶像[文学・思想] / 2005-07-05 TB0, COM0
聖フランシスの壁画 [歴史・時事] / 2005-07-04 TB3, COM6
暑気の隙間に感傷旅行 [歴史・時事] / 2005-07-03 TB2, COM13
ワインの適温-試飲百景 [ワイン] / 2005-07-02 TB0, COM0
三角測量的アシストとゴール [歴史・時事] / 2005-07-01 TB0, COM2

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即物主義と即心即仏

2005-07-30 | 文化一般
典型的なドイツ語にザッハリッヒという言葉があるが、これを即物的と記すと良くない。事象的、事物に即した、実務的な、要を得た、本質的ななどと解釈すると随分と聞こえが良い。名詞形のザッハリッヒカイトも、実際的、客観性、不偏不党と記されると良いが、即物性となるとあまり良く響かない。

二十世紀の芸術運動ノイエ・ザッハリッヒカイトについては改めて触れるとして、このザッハリッヒ自体は非常に肯定的な言葉である。即物主義と言われると血も涙も無いような無機的な感じがする。唯物や唯心などは所詮哲学ジャルゴンとしてどちらでも良いのだが、これが即物主義と訳されると救いようがない。

この言葉は、文化的に重要である。特にドイツプロテスタントの精神を一言で表したように、合理精神の牙城のような概念である。当然の事ながら、何処まで対象に迫り、客観的な視点を得られるかと言う疑問が噴出してくる事は言うまでも無い。ここで述べたドイツ批判は、全てここに凝縮されてくると言えよう。

二日間とはいえ、今週のように温度が高いとそのザッハリッヒな精神も萎える。それでも乾燥しているので、水に入って木陰にいると気持ちよい。それ程に白昼夢の世界に這入ってしまわないで済むのは、軽い空気のお陰のようである。こうして、詩人のマラルメなどとは違う文化は、その気候から生まれる。何れにせよ、久しぶりに水に入ると、普段の不摂生が祟って足首から足の付け根、上腕から肩まで水を二掻きしただけで壊れてしまった。結局、翌日の暑い午後も水に浸かりたかったのだが筋肉痛で断念した。抵抗の少ない泳ぎを追及しようとしたのが、逆に技術の未熟さを露呈させてしまった。

こうして、技術の練磨を目指して、「畳の上の水練」ならず「長いすの上の水練」をすることとなった。これをドイツ語でトロッケンユーブングと言う。乾いた練習である。前者は無駄な徒労を言い否定的な言葉だが、後者は所謂イメージトレーニングを意味して合理的で肯定的な言葉である。

分析への欲求や対象に迫ろうとする意志が、ザッハリッヒなトロッケンユーブングを可能にする。そういえば、カービンスキーのイメージトレーニングをするのを忘れていた。
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QOLとしての水道水

2005-07-29 | アウトドーア・環境
昨日は摂氏35度近くと暑く湖で水に浸かって来たが、本日は更に暑く35度を優に越えている。湖の情景は改めて記すとして、暑いので水に拘る。欧州は硬水の地域が多いのは知られている。水道の水が典型で、汲み置き水に直ぐに膜が張る。洗剤が溶けないことは、旅行中にでも経験出来るかもしれない。お茶などは直ぐに飲めなくなり、やかんに鍾乳洞のように大きな石が溜まり、水場は白くなって困ることもある。カルク関連の家庭ケミカルが大きな市場を形成している。

ワイン街道も雑色砂岩層なのでこの傾向は強かったが、水道を町の裏山の泉から取水するようになって、殆んど軟水となった。少々の事ではお茶に膜が張ることがなくなり、質が高くなった。

元々持って帰るのが重いので、ミネラルウォーターなどは出来る限り買わないようにしていた。軟水になってからは、生水の方が遥かに美味く、買い替えに行く必要が無いので二年近く空き瓶の箱がそのままになっている。硬水自体以上に炭酸の取りすぎがあまり体に良くないが、炭酸の入っていない水を買うのも馬鹿らしい。

そもそも水道の水が飲み水で無くなり、飲み水を購入しなければいけないような状況は、中世以前の生活水準に戻ったようなもので社会基盤の崩壊と言えるのかもしれない。市民は無駄な水を節約する一方、飲み水を守る事は行政の基本の基本である。

各地で水道からの水をご馳走になるが、チュ-リッヒ市水道のズルツャーゼーの環境ホルモン入りの水も冷たくて悪くはない。一般的な水道料金で、素晴らしいものから危ないものまで様々に楽しめるのが水道の水である。水道の水をがぶがぶと心置きなく飲めるだけでも、欧州の生活水準はそれでもまだ低くないのかもしれない。


写真は、トーマス・マンが1933年から1938年まで豪華なヴィラを取得居住した、クスナハトの町の高台から眺めた5月のズルツャーゼーの水面。この水がオペラ座の前を流れ、町へ流れ込む。チューリッヒ市水道の水源と言う。
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波乗りはショートからネットへ

2005-07-28 | 雑感
先日、ハイデルベルクで日本学を専攻していた方とお話しした。十年前に一年間、上智大学への留学経験があるという。現在は、関係のない職業についているので可なり日本語力は落ちて来ていると言うことだった。それでも旅行会話ぐらいは、問題なく使いこなせそうだ。やはり当時それなりに勉強しているので、「受身」の語彙力も結構ありそうである。喋る方も恐らく女性が若いうちに習得したものは、年取った男性が学んだものとは大きく違うレベルである筈である。所謂、会話をする会などには時々出ているようだが、目的や動機付けがないと上達は難しい。

基本的には、外国語を習得する難しさは変わらないが、昔と較べて随分と環境は好転している。何よりもネットの発達とコンピューターの外国語環境の整備は、計り知れない恩恵である。以前は、生の外国語を聞くためにショートウェーヴの不安定なサーフィンをせねばならなかった。あの不安定な音質は、今考えても子音や抑揚が分かりにくくて、それほど役には立たなかったのではないかと振り返る。現在の衛星放送やリレーは、その口元が見えるだけで、比較出来ないほど学ぶ事が出来る。

外国語学習には、様々なメソッドがあるようだが、成人にとっての方法は限られる。上述の彼女も対象言語文化の幅広い基礎知識があったからこそ、一年という短い滞在期間に多くを学ぶ事が出来たのだろう。今後の世代は、通信基盤の整備からここのようなBLOGに日本語でコメントするような学習者がどんどん出てくる事が予想される。

言葉を忘れない為に書き続ける人間と言葉を覚えようとする人間が、ネットの中で出会っても面白いのではないだろうか。
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固いものと柔らかいもの

2005-07-27 | 文学・思想

日曜日には、ファルチェスフィレという偽物のフィレをローストビーフにした。これは、調べると肩の肉らしい。キロ当たり約8ユーロと、ローストビーフ用の下背の肉と較べると安い。これよりも安いのは、Tボーンステーキに近い胸肉で、BSE騒動後に価格が急落したと見られる。最後にフランス産のローストビーフを食べたのは何時の事か、騒動前は頻繁に食べていた。93年のサンテミリオンを開けて、その力弱さと飲み口の柔らかさを確かめたが、流石に飲んでいるうちに物足りなくなる。

久し振りの牛肉の塊に興奮したのか、夜半に夢とも想像とも付かないエロティックな情景に目が覚めた。若い娘さんが立ったままシャツを捲り、胸元を曝すと、十分に豊かでは無いという批判(肉体的特長の云々ではないので悪しからず。象徴しているものの是非である)に対して、何処からともなく付け乳房を取ってくるというものだ。付け乳房は切断したばかりで血が滴っている。其れをつけてという所で、目が覚めた。

ルートヴィック・フォイヤーバッハは、1849年の書「キリスト教の本質」の中で語っている。実態のある愛を語り、空想や幻想の愛を否定しながら、肉と血の論理的意味づけの中で、「我々の罪業は、我々が抽象的な存在ではなく、肉と血を持った存在である故に許される。」と結論付けている。参考文献として、ルターの説教が挙がる。そして新約聖書の「ヘブライ人への手紙」の五章では、「あなたたちはとうの昔に教師となっているはずなのに、再びだれかに神のことばの初歩的なことを教えてもらわなければならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とするようになっているからです。乳を飲んでいるものはだれでも、幼子ですから、神の御心にかなう生活の教えを理解する事は出来ません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。」。これはまたコリントの信徒への手紙1-3に導かれる。

上の夢想から覚醒してこれを記録したのは、決して18世紀に生きた著名な学者エマヌュエル・スヴェーデンボリではなかった。それにしても高名な法律家パウル・ヨハン・アンセルムの四男として生を受けた哲学者フォイヤーバッハのこの要約には驚かされる。へーゲル学徒として、後には急進的に反ヘーゲルへと進み、後年カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスに影響を与えるだけでなく、最終的にショウペンハウワーに傾倒することになる楽匠リヒャルト・ヴァーグナーとも親交を結ぶ。

なぜフォイヤーバッハかと言うと、先ほど終身刑判決が下った、虐げられたモスリム女性の裸を曝した事でモスリム原理主義者に処刑されたテオ・ファン・ゴッホ殺傷事件と、先日バイエルンやチューリンゲン、ザクセンの警察リストに同性愛者が個人情報としてリストアップされていた事など、開放された現代においても肉欲のそのレアリティーは変わらないからである。前者におけるリベラリズムの限界は幻想的な理想主義そのもので、後者において批判される第三帝國に繋がるような個人情報の処理も本質的な肉欲の暴力性の認知として理解出来るものである。

さて、フィレの形は少し下へ垂れた茄子型の乳房を連想させた訳で、一応一体あの娘は誰だったのかと、実態のある愛を考えさせられるのである。口当たりの良い赤いワインも、貧弱な柔らかいものには相違なくて、その滴りも熱い力強さとは程遠い。



参照:
立ち入り放題のユートピア [ アウトドーア・環境 ] / 2005-04-22
素裸が雄弁に語らないもの [ 文化一般 ] / 2005-04-21
微睡の楽園の響き [ 文学・思想 ] / 2005-02-22
リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
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御奉仕が座右の銘の女

2005-07-26 | 
アンゲラ・メルケル女史が語る、リヒャルト・ヴァーグナーとバイロイトとなると無視出来ない。FAZ紙は、文化欄二面を費やして彼女を丸裸にする。次期首相候補の政治家に、選挙を控えての非常にグロテスクな企画でもあるだけに、独占インタヴューを受けた彼女を評価したい。結論から言うと、これは図らずも共産圏からやって来たプロテスタント牧師の娘の真実の姿を白日の下に曝した。しかし、これがこの政治家の魅力でもある。

例年のように聞かされる、個人的なヴァーグナーの舞台作品に対する見解も良しとしよう。しかし、女史がパルシファルのクンドリーの「奉仕」を是とするのに挑発されて記事を読み進む。それもその三幕の其れを意味するのではなくて、フリードリッヒ大王の其れとなると読み手は思わず体を堅くするだろう。如何も政治戦略を変えて来ている事に気が付く。野生の女は飼い馴らされて、最後には男の足を恍惚のなかに洗礼する。そして女史は、其れを軍国主義や古い美徳の否定的な意味ではなく、プロシア文化の肯定的面と言うと、それがこの政治家の姿勢を語っているとして驚かされる。そして、シュリンゲンジフ演出のパリシファルを行き過ぎたものと捉える時、「若い観衆は、その演出の過剰な情報も容易に処理出来るのだが」と、それと同じようにルフトハンザの搭乗口でのBGMを不愉快と述懐するのは、一人の年老いた女性か。

ヴァーグナー芸術のナチ化を認めると共に、弁証法的な解釈を批判して、これもその芸術の悪用と断定する。1991年からご主人に連れられて通っての経験から、初日と他の公演日の観衆の質の違いを示す。ここでザルツブルクとバーデンバーデンとバイロイトの違いに話題を振られて、更に旧東独の「夏の文化行楽」へ話題が及ぶ。ハリー・クッパーの活躍などを挙げて、東独は他の東欧と違った事を強調する。

さていよいよ補助金を通しての文化政策について、特に連邦によるバイロイト助成の是非を問われると、バイロイトとベルリンの場合とを比較させながら進行する。バイロイトにおける許容を認め、また東独におけるプロイセン遺産の共産党国家による徴収のウンター・デン・リンデンとその他を分ける。つまり現在においては、遷都後も連邦政府の問題でなくてベルリン州の問題であり三歌劇場合弁は経済的問題が先経つとして、最終的な削減消滅の危険性を挙げながらもこれを優先させる意見を言明する。

正書法についての極端な連邦主義を、何処の子供も同じように読める紙面が大事だとして、当新聞を暗示しながら諌める。しかし其れは州の文化政策でもあり多様性を重要視すべきとする。

今年のバイロイトのスキャンダルの可能性について聞かれると、様式への好みがはっきり多様化してきているので、行く・行かない、拍手・ブーイングが初めから決まっているのではないかと、ブルックナー・マーラー・シェ-ンベルグのファン層に喩えて分ける。21世紀にも拘らず、19世紀末の音楽を愛好しているのは滑稽なのだが、ヴァーグナーの同時代と違って現代音楽に問題があるのではないかとする。こうして、どうしてもドイツ啓蒙主義へと視点が流れる。

「屋根のヴァイオリン弾き」を自己の最初の「オペラ」とする女史は、職業教育やE-、U-MUSIKの差異に配慮しながらも、多声のコラールの伝統などがメディアの洪水に流されるのを憂慮する。

ロンドンでのテロを受けて欧州文化の保守を義務付けられていると言い、だからこそ自らの文化を知る必要があると説く。旧東独と違い自由があるにも拘らず、宗教レヴェルにおいても、発言の自由が生き埋めになっていると分析する。

教育(BILDUNG)は、国の使命であり、其れが支出出来るようにしていかねばならないと言う。プロイセンの教育理念をそのまま継承しようとは思わないが、ドイツでは、ドイツ人には高貴な目標であると考える。土地資源のないドイツは、人とアイデアで生きていかなければいけない。詩や神話や節、第四・五節を知らないドイツ人は、持久力のある恒久的な知識に欠けると言うのだ。ユグノー(カルバン)に手を差し伸べたように、自己批判出来たように、プロシア文化は開かれていたので、これをグローバリズムに適用しようと言う。

こうして要約すると分かるように、50年代の教育を受けたという女史は、過去へ其れもプロシア啓蒙主義に視線を向けている。先日の車の中でのラジオの文化波で、左翼はマルクス主義でなくとも理論的ブレーンの人物像が必要になるが、保守派は実務家であれば良いので其れは必要ないという。しかし、「あなた方は、社会主義を知らない」と警告する女史は、60年代の社会変動の影響を受けていない事から、西側の人々とは大きく異なる。こうして扱われると、原理主義者と言われても致し方ない政治理念を明白にして来ており、その政治手法とは異なり、かなり厳しい評価を受けるかもしれない。「物理化学博士のアンゲラさん、あまり難しい話しをすると酷い目に会いますよ」と、自戒を込めて忠告したいのだ。

因みに女史が最も感動した上演は、ハイナー・ミュラー演出の1993年のトリスタンの二幕と言う。ロ-エングリーンのエルザでなくて良かったと言うべきか。



参照:
バイロイトの打ち水の涼しさ [ 生活・暦 ] / 2005-07-24
トンカツの色の明暗 [ 生活・暦 ] / 2005-07-11
正書法のフェデラリズム [ 歴史・時事 ] / 2005-07-20
破壊された偶像 [ 文学・思想 ] / 2005-07-05
黒タイツの女子行員 [ 女 ] / 2005-04-10
伝統という古着と素材の肌触り [ 文化一般 ] / 2004-12-03
デューラーの兎とボイスの兎 [ 文化一般 ] / 2004-12-03
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新たな郷土の淡水魚

2005-07-25 | アウトドーア・環境
ロットアウゲンと言う小魚を食した。コイ科で名が示すように目の光彩が赤い。英語でローチと言うとひょっとすると馴染があるかもしれない。シベリアからピレネーまでのアルプス以北に生息する。スェーデンの西部やノルウエーの北部、アイルランドにはいないという。塩水湖から海抜1000メートル級の流れにいるが、鱒のいるような激しい流れは避けるという。

この魚は最近、プファルツで養殖されていると言うので殆んど郷土料理になりかけているらしい。フリッターにしたものを、びれを外して、手で持ちながら中の骨だけを残すように食す。えらの横の長い小骨から肉を抜くのが難しい。大きな口を開けて、前歯で以って削ぐ事が出来ればよいのだが、歯が届かない。身が締まっており、味も良く癖がないので、しゃぶり付くのも楽しい。

七ユーロもしない皿で食べきれないほどあったので、二匹ほどをお持ち帰りにして、冷えたままワインと再び味わう。なんとしてもこの値段が美味い。
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バイロイトの打ち水の涼しさ

2005-07-24 | マスメディア批評
月曜日から今年のバイロイト祝祭が始まるのに因んで、ヴァーグナーの女性関係を扱ったTV番組やら記事が新聞紙上を賑わしている。一般的な関心が高いと言う事であろう。

例年招待されて訪れる顔ぶれは、殆んど決まっていて、有名政治家からお笑いタレントまでと連邦共和国の片鱗を見せるようなラインナップとなっている。プレス関係を除くと知識人の顔ぶれは不明である。初日の聴衆については、通常の劇場でも天上桟敷に通が居座っている現象と反対に、その審美眼の質についてはあまり多くを語れない。そこに座っている事だけで至上の喜びであるのだから仕方が無い。フラッシュが焚かれる御仁の感想インタヴューなどは見もので、その有名人の文化程度が余すことなく丸裸にされる。車寄せ前にはその彼らを一目見ようとする人だかり。

そのような毎年繰り返される少しばかりの熱狂に冷や水をかけ、先制攻撃をかけるのがホロコースト後の連邦共和国における芸術祭を研究するシュトゥンツ氏である。バイロイト再開後の数年間に行われた引越し公演についてである、特にフランコ政権下でのカタロニア独立機運に便乗したバルセロナでのヴァーグナー芸術祭に言及している。当時のAEG社スペインの取締役・ハンス・ヘラーマンが元ナチのガウライターであって、この公演を実現させた事、また「ヴァーグナー友の会」を中心に、ドイツ企業は商売上のネットをフランコ政権に築いていったことを示唆している。勿論ヴァーグナー家の兄弟は、準備のために度々スペインへ旅行している。これに関しても、パリやナポリ、ブリュッセルに措いて戦後文化外交の材料としてバイロイトの引越し公演を支援したボンやミュンヘンの政府・外交筋の舞台裏が面白い。ヴァーグナー家有限会社はこうして否応無く政治の舞台に引き戻され、その民主的な態度の真相が問われる。

こうした事は、ヴォルグガング・ヴァーグナーの著を紐解こうとも見えて来ない情景である。つまり、祝祭劇場正面バルコンやヴァンフリード亭のテラスから見るのとは違う視点で見てこそ、その現象を報告出来るという事でしかない。初日に玄関前に群がる報道カメラやブルバード誌の記者たちは、今年も例年のように、いったい何を伝えようと言うのだろう?



参照:
伝統という古着と素材の肌触り [ 文化一般 ] / 2004-12-03
デューラーの兎とボイスの兎 [ 文化一般 ] / 2004-12-03
小市民の鈍い感受性 [ 文化一般 ] / 2005-07-10
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熟成ワイン窟のパラドックス

2005-07-23 | ワイン
電解装置によるワイン熟成の記事を読んだ。ワインが熟成するのは果たして良い事なのだろうか?それは聖書に載っている世界の話で、実は熟成というのは必要悪であることを忘れてはいけない。本当は新鮮なものほど美味しい筈なのだ。

しかし、ボルドーワインを代表とするようなタンニン成分の多いワインは、残念ながら渋くて不味くて直ぐには飲めないのである。それでも小さな農家などは、これを美味くミックスして安く容易に熟成するワインを作っている。名門シャトーでも、実際天候によって、ヴィンテージによって配合も変わり容易に熟成するワインを 作 る 事 が 出 来 る。勿論、そこでは一二年の樽での熟成を厭うほどに土地の有効利用を考える必要も無い。

もし、この熟成期間を短縮・調整出来るとしたら如何だろうか?何よりも問題は、その後の瓶での熟成である。これで儲けるロスチャイルド家やそれを取り巻くネゴシアンたちが200年以上営んできた商売の基本に関わるからである。何故ならば抗酸化剤としてのタンニンなどの重合・融合を促進すると言う事は、商品としての価値を下げる事にしかならないからである。

「飲みやすくなり寿命が短くなる」と言うことは、ヴィンテージワインの価値を瓦解させる。「容易に熟成ワインを作ることは、ヴィンテージワインの価値を落とし、熟成ワインの価値を喪失させる。」と言うパラドックスが成立する。

つまり、「新しいぶどう酒を飲めれば、だれも古いものを欲しがらない。『新しいもののほうがよい』と言うのである」とルカによる福音を書き換えなければならない。本当は、飲む事が出来るものならば、新鮮なワインの方が風味もあり美味いのである。これを白の長寿ワインの代名詞であるリースリングワインに当てはめると、新鮮なうちは堅いと言うのが上質ワインの特徴である。これをイオン化装置によって熟成期間に強制的に加齢すると、当然の事ながらその後の瓶での経年変化を制限してしまう。経年変化の楽しみが無くなり、早く飲まなければいけないとなると高級ワインの価値が減少する。

イオン化自体のプロセスは、様々な方法で試せるだろうが、これによる経年変化の違いを観察するとなるとまた数年の年月が必要になる。何れにせよ醸造所での強制的な加齢作業は、ファストフードの典型のようで頂けない。こうしてコストを下げる事によって、美味しいワインが安く流通するのは嬉しいが、経年変化を楽しめないお座成りのワインを飲むぐらいなら、新鮮でプチプチと弾くような新鮮なワインを飲みたいものである。

それともワインを早く加齢させて、年月の変化を愉しむことも無く、見かけ上の人間の寿命を長くしようと言うのだろうか。なにかSFの時間の無い世界へとトリップするようで、これもまた気持ち悪い。



参考:
新しいぶどう酒を - 断食についての問答から [ ワイン ] / 2005-03-01
荒野に生えた葡萄 [ 歴史・時事 ] / 2005-04-29
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更新リストとRSSリーダー

2005-07-22 | SNS・BLOG研究
RSSリーダーを使用する事になったのは既に触れた。その効果は、定期的に訪問出来るBLOGの数の増加に端的に表れる。そのリーダーに登録しているサイト数は、現時点で255件である。それら全ての情報を一時間おきに監視するようにデフォルトで設定されているので、サーヴァーにかける負担は知れよう。

その中には休止状態のサイトや見出しを見るだけで訪問しないサイトも含まれている。しかしマニュアルでそれらの更新間隔を書き換えるのも面倒である。無駄なトラフィックを避ける為には、過去の更新間隔や訪問頻度によって自動的に更新間隔を設定できる機構が欲しい。

そのような理由で、ここに新たなアップした常連コメンテーターさんリストは、以前にも増してブックマークとは似ても否なるものになる。今回も、返り咲きを含む、八件の新たなサイトを登録出来て喜びに耐えない。同様にここには掲載出来なかったがリーダーに登録されているサイトとの再会や新たなサイトの出会いが楽しみである。

リーダーに関して言及すれば、今後各国の報道機関の速報系のニュースサイトを登録して行く予定である。こうしてこちらも直ぐに500件程はリストアップされるだろう。今後は、時々TVを付けてブレーキングニュースが流れているかどうかを確かめる必要も無くなり、CNNよりも早くニュースを知る事が出来そうである。画像が特別に必要な時だけTVを付ける事になるので、情報収集は本格的にネット中心となる。こうなるとネット上で、所謂ポータルサイトを利用する意味は殆んどなくなりそうで、それらが娯楽方面へと力点を置いて来ている理由が良く理解出来る。



参照:暑気の隙間に感傷旅行 [ 歴史・時事 ] / 2005-07-03
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夏の惣菜

2005-07-21 | 料理
ヴュルストザラタと言うのが夏のドイツ料理の代表格である。なんでもない腸詰めの太いのを、ハムの様に薄くスライスして、短冊に切ればよいのである。これにサラダドレッシングをかけて、一時間ほど置いてマリネーにする。それでは、面白くないのでシュヴァールテン・マーゲン*と血で練った腸詰の一種であるロータープレスコップを使ってサラダにする。後者は、脳下垂体か何処かがそのままの形でスライスされているので外科のサンプルのような按配である。

これにベークドポテトを付け合せにすると典型的な夏の食事である。


参照:*夏の森の薬草と珍味 [料理] / 2005-06-28


昨年の夏は
2004 07/13 編集

2003年の辛口リースリングシュペートレーゼをフォルストで飲んだ。ニシンの一口マリネーをマヨネーズで和えたものにベークドポテトを付け合せたものをワインの炭酸割を片手に食べ終えてから、これを注文した。予想に違わずフォルスト・ウンゲホイヤー産のこのワインは、辛口といいながら孟夏を経た遅摘みだけあり糖比重が十分に高かった。立派なデザート飲料である。
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正書法のフェデラリズム

2005-07-20 | 歴史・時事
ドイツ語新正書法の修正が早くも八月一日付けで有効になる。教育は、連邦主義から州独自の政策となる。よって各連邦州は、文化大臣連邦会議の結論にもかかわらず独自の政治を示す事が出来る。二大州であるバイエルン政府とノルトラインヴェストファーレン政府は、最終修正案が出ていないとして修正の効力発効を見送る。

ミュンヘンのシュトイバー首相は、バイエルンに居座ると言いながら保守連合(CDU)が勝利の暁にはベルリンでの内閣入りが予想されている。バイエルンは、その地場政党(CSU)とともに我が道を行く態度を示さなければならない。デュセルドルフも、リュットガース首相(CDU)への政権交代がなければ、足並みを乱だす事は無かったのであろう。

政治の世界の複雑さに較べると、正書法修正箇所の方はそれほど複雑ではない。同じ子音の三つも繋がる合成単語やハイフン、大小文字の使い方などは結果が出ているが、その反対に合成語の分節や単語や記号の結合は、最終案が纏まるまでは一先ずは保留された形でどちらでも良い事になる。

同じような保留された国語の学科採点の経験から、どちらでも良い正書法を採る国語教育へのその幼少時に覚えた不信感を思い起こした。少々優秀な学童にとっては、既に初等教育において、不確かな教育理念に覚醒する機会になるのあろうか。

こうして優秀な成績を修めながら、結合や分節の政治力学を試行錯誤して、頭に立ったり、控えたりしながら、キャピタルに納まるようになる者を一流政治家と言う。

何れにせよ、 最 終 結 論 が出るまでは、シュトイバーバイエルン首相は正しいドイツ語正書法のために、連邦主義を振り翳して戦う意思を示している。しかしこれが、分節法などの扱いで、一筋縄では行かない。



参照:手かせ、口かせ、首かせ [文化一般] / 2005-06-10
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北オランダからはゴウダー

2005-07-19 | 料理
「年代物のチーズを食べる」と言っても、一年ぐらい寝かせただけの特売品だが、思いがけず良かった。北オランダゴウダーとなっていて、色が通常より濃いので寝かせた事も分かる。それにしてもカマンベールなどと並んでこれほどまでにポピュラーなチーズも少ない。

原産地の名前をつけることによって、EUガイドラインとの兼ね合いで、本場産である事を表している。カマンベール・デュ・ノルマンディー等と同じである。

これは、マシーンで薄くスライスするのも難しいほどに脆くて、寝かしてあるので塩が浮いている。通常の若いゴウダーとは違うものなのである。敢えて表現すると酒粕のような味と香りがあり、塩を噛む事も出来る。コルン・ブロットには、理想的である。


フェスパーテラー/Vesperteller
 2004 07/04 編集

この時期のサッカーの大会のTV観戦となると、矢張りビールとピーナッツとかポテトチップを予め準備して一等席に落ち着くのが一般的だ。其の前に夕食も済ましておく向きも多かろう。そこで最も一般的なのか南ドイツでフェスパーテラーなどと呼ばれるコールドフードである。空気乾燥や燻製のハムやソーセージを、チーズや果物、きゅうりのピクルスなどと木のまな板の上に綺麗に並べて食卓の中央にドンと置く。大きな肉塊の仕分けではないが、同じ皿から取り回したり取り渡したりするので、家族でも!すき焼きや鍋的効果を期待出来る。材料からするとホテルの朝食にも近いが、一番の違いは付いてくるパンで、黒パン系の百姓パンなどである。薄切りのパンにバターを塗って、みみの薄い苦味とも旨味ともいえない締まった食感を楽しむ。手巻き寿司ならぬ、セルフのお好みオープンサンドである。もちろんこの様々な肴をアテにして酒にはしる輩もいる。

フェスパーは、ラテン語の夕刻を意味するヴェスペラから来ているようだ。バロック初期の巨匠モンテヴェルディの曲「聖母マリアの夕べの祈り」はなかなか気の利いた訳である。

一方親父達は、最後にサクランボのキリュッシュヴァッサーか梨のヴィリアムスビルネのシュナップスを消化剤と称して口中にほり込み、TVの前へと席を移動するのである。
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亜種ライ麦パン

2005-07-18 | 料理
コルン・ブロットというドイツパンがあるが、これだけで如何いったものか十分に想像出来る人は少ない。黒くて湿ってして酸っぱい味のするものである。湿っている割に名の通り穀物が入っているので、しっとり感からは甚だ遠く、口の中でごろごろさえする。

今でも使うかもしれないが、嘗てはルフトハンザなどは機内でこれを乗客に配り黙らせた。これを持ち帰り、少し試してからゴミ箱に捨てた外国人は多いのではなかろうか。実際、これを珍味と思うようになったのは、初めて口にしてから大分後の事である。本国でもこれの正式名称を知って注文出来る人は少ない。

今回、行きつけのパン屋で、たまたまスライスに切って袋詰めにして籠で売っていたので、新鮮なこれを買う事が出来た。コルン・アン・コルン・イン・ディンケルとここではこれを呼んでいる。

裸麦やライ麦にその穀物をまたひまわりの種や米などを混ぜて焼いた黒パンには違いないが、その穀物が密集して湿っている。今回のは、小袋売りされているものとは違い酸も薄くしっとり感が更に良い。穀物や種が新鮮な感じである。

さて、これを如何して楽しむかと言うと様々な方法がある。バターをつけるか付けないかが一つの分岐点となろう。付ける事により口当たりはよくなり食べやすくなるが風味が落ちる。僅かな酸味があるので、塩気のあるチーズが合う反面、蜂蜜やヌテラが合う事も事実である。夕刻なのでフェスパーテラーとする。ワインを頭に描くとどうしても結論が見えてくる。

新鮮で殆んど酸味のない香ばしいパンに、塩気がきつく脆いチーズを齧りながら、サラミなどをあてがうと、これ以上無いワインのための食事となる。「夕暮れの祈り」を挙げながらワインに舌鼓を打つ。

これはまた伝統的な健康食品であって、それは驚くほど高いたんぱく質の含有量に示される。そして二三週間は全然問題なく保管出来るので、レジャーや旅行のお供にもなる。
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モラル無き時代のオフサイド

2005-07-17 | 歴史・時事
国連改革特に常任理事国再編成で、米国にG4案を否定されてドイツやインドには厳しい状況となっている。今後も鍵を握るアフリカ諸国の支援を得る為に工作すると言う。カリーニングラード*でのシュレダー首相に対するプーティン大統領の全面支持はどうしたことかと訝る。

しかしこの失望は、サッカーで決勝リーグを逃したのとは違うナショナリズム以上の信念を揺さぶるのではないか。赤子も黙る唯一の超巨大国の権力、その胸に頭を下げて入っていかなければならないのは世の常としても。

FAZ新聞は、次の二つの見込み違いを挙げている。ジョン・ケリー候補を次期大統領と嘱望・推測した事、イラク戦争を否定した事で世界中から平和推進者としての美化されたドイツ像が常任理事国に熱望されるとした事。そして国連会費をキッチリ支払っている事!で責任ある立場を遂行出来るにも関わらず、大陸(中)間の妬みが推薦を難しくしているとする。そして理事国でなくても十分に国際協調の理念を持って責任を尽くせると結ぶ。

確かに現在の冷めた独米関係は、保守党政権であれば有り得なかったろうが、独仏関係を中心に据えたEU理念の中では致し方ない。ドイツサッカーにおいてモラルがある程度の成果を結んだのと同じように、希望を持った理念がモラル無き時代を生き抜く糧になる。


*ロシアの飛び地・特区カリーニングラードは、現時点では正式名称。今月G8サミット直前に催された東プロイセンのケーニクスベルク750年祭記念式典に、シラク大統領、シュレーダー首相がプーティン大統領に招待されて、三者による予備会談が開かれている。
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