Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2011年9月

2011-09-30 | Weblog-Index


ミイラになる不思議な所縁 2011-09-30 | 雑感 TB0,COM0
十月に掛かる記録的残暑 2011-09-29 | 暦 TB0,COM0
秋の健康的な夏太り 2011-09-28 | 生活 TB0,COM0
お誕生日祝いを考える 2011-09-27 | 女 TB0,COM0
肌で感じていた核の恐怖 2011-09-26 | 文学・思想 TB0,COM0
只管上へ上へと攀じる日々 2011-09-25 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
トロピカルかパッションか 2011-09-23 | 試飲百景 TB0,COM0
漬物味のハウスワイン 2011-09-22 | 試飲百景 TB0,COM0
価値あるグランクリュ 2011-09-21 | 試飲百景 TB0,COM0
さようならは言わないで 2011-09-20 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
何が必要かが問われる 2011-09-19 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
福島を目のあたりにして 2011-09-18 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
福島後の反原発への違和感 2011-09-17 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
喧嘩を売買する報道姿勢 2011-09-16 | マスメディア批評 TB0,COM2
切れが良いだけでは駄目 2011-09-15 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
引き継がれるとても重い遺産 2011-09-14 | マスメディア批評 TB0,COM0
没落への日本近代史を読む 2011-09-13 | 歴史・時事 TB0,COM0
懲りないゾンビの死のむら 2011-09-12 | 歴史・時事 TB0,COM2
金じゃない営みの表現をする 2011-09-11 | マスメディア批評 TB0,COM0
狂人集団テプコの大罪 2011-09-10 | 歴史・時事 TB0,COM0
無知で偽善な社会的大罪 2011-09-09 | 雑感 TB0,COM0
月が丸いのも東電が悪い 2011-09-08 | マスメディア批評 TB0,COM2
無駄が聞こえない環境作り 2011-09-07 | テクニック TB0,COM0
フモーアー満ち溢れた環境 2011-09-06 | 文化一般 TB0,COM0
目が黒いうちに食いてぇ秋刀魚 2011-09-05 | 歴史・時事 TB0,COM0
九月一日はグランクリュ解禁日 2011-09-04 | 暦 TB0,COM0
漸く歩みだした廃炉への道 2011-09-03 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
奴らのとんでもない口を塞げ! 2011-09-02 | マスメディア批評 TB0,COM2
あの時の気立ての良い娘 2011-09-02 | 女 TB0,COM0
横腹の脂肪の切り落とし 2011-09-01 | 生活 TB0,COM0
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ミイラになる不思議な所縁

2011-09-30 | 雑感
オェッツタールの氷河で見つかったアイスマン・オェツィーを取り巻く人がまた亡くなった。氷河で発見したドイツ人のハイカーは2004年に山で遭難していて、検査を担当した法医学の医師は交通事故で、発掘作業をフィルム化したカメラマンは脳腫瘍で既に故人となってしまっている。ある程度の年齢に達していて、変死出なければなんでもないことで、今回死亡した発掘作業を指導した名山岳ガイドも決して若くはなく、孫娘が賄っている三千メートル上の山小屋の自室でのガイド中の心臓発作が死因のようである。

前夜に山小屋の自室へ戻って、朝食の時に表れなかったので、探してみるとベットに横たわっていたのが九月十日、ヘリコプターでオェツィーと同じようにインスブルックに運ばれて、亡くなったのが九月十九日で、丁度アイスマンが発見されてから二十年のその日に当たるということである。

享年74歳は、陰謀家にとっても微妙な年齢であるが、不思議なこともあるものだ。そのように考えれば、我々がその氷河を訪れて、発見の不思議さに思いを馳せた時の登山グループのリーダーもありえないような不幸な交通事故で亡くなってしまっている。

本日の朝食前ランニングは久しぶりに5キロコースを辿った。ひぃひぃ言いながら、19分で峠、14分で下降なので標準タイムであった。一体何時になったらこのプラトー現象から抜け出すのだろう。殆ど心肺能力がこのタイムを決めてしまっているようで、全くお先が見えない。



参照:
Ötzi machte ihn bekannt, FAZ vom 21.9.2011
進化しないオェッツィー 2007-06-17 | 雑感
オェツィーと現代の人々 2005-08-20 | アウトドーア・環境
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十月に掛かる記録的残暑

2011-09-29 | 
季節外れの残暑が続いている。次の雨まで葡萄を下げておくだけで素晴らしい酸の分解が進むだろう。予想に反して、今まで手入れを行って風通しを良くして腐りない地所で品質のリースリングが摘み取られるだろう。完全に量で2008年に近づきひょっとすると品質でも2009年を超えるかもしれない。

十月に入ってもこのまま続くようで記録に残るような九月や十月となりそうである。兎に角乾燥していて、霧が深く降りるまでは葡萄は健康に熟成し続ける。

人間の方も汗を掻きながらも、戸外での最後のスポーツ的な燃焼と成長が期待出来る秋なので、この気象条件を利用しないわけには行かない。金曜日から十月三日の祝日迄、様々なお誘いやアイデアがあるのだが、出来る限り有効に使いたいものである。

冬は長いので、ここで出来る限り太陽の熱と、その温度の中で体を使い切りたいものである。車の温度計が摂氏28度を指していたのには驚いた。
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秋の健康的な夏太り

2011-09-28 | 生活
どうも夏太りのようである。先日も書いたがお腹が出てきた。毎年夏は太るのだが、今年はそれ程暑くはなく、運動量も少なくはなかったのに太った。

昨晩も長い距離の岩登りを終えて痩せたかと尋ねられたが、太ったと答えた。食事量もアルコール量も増える一方で、運動をすればするほど食欲が増進される。

なるほどテント場では車道の騒音もあって目覚めが早かったが、秋になって睡眠時間も増える傾向にある。

丁度菜食並びにダイエットから自重が軽くなったときと正反対で、筋肉質になって自重が重くなってきているのだろう。ある程度は重みが増すが運動を続ける経過でどこかでバランスが取れる状態になる。膝など関節を痛めるとか怪我をしない限りは、筋肉がついて自重が大きくなった方が絶対的な運度能力は伸びる。

少なくとも胃下垂気味に食事が細くなるとか、眠りが浅くなるとかよりは、体重を増やした方が健康的な生活を送れる事は間違いない。さて何処まで体重が増えることだろう。日頃の運動量が多ければ多いほど筋肉がついてくる。所謂メタボリックな傾向から今ほど隔たっていたことはないだろう。90KGほど体重があったときは完全に肥満で、65KGほどだったときはまだまだ運動量が足りなかった。

最後の晩夏風の秋空を楽しんでいる。先週日焼けしてためか、暑い感じがとても強い。



参照:
現代人の断食 2005-02-11 | 数学・自然科学
対老化筋力トレーニング 2006-04-11 | アウトドーア・環境
頭脳ダイエットの勧め 2007-11-14 | 女
飽きない気持ち良い生活 2008-05-18 | ワイン
食後の雨上りの散歩 2008-06-13 | 暦
食が太くなる今日この頃 2008-10-01 | 生活
弾けた太鼓腹の皮の行方 2009-06-05 | 生活
ぱりぱりとした朝飯前の運動 2010-06-07 | アウトドーア・環境
幸福と感じるライフスタイル 2011-02-06 | 生活
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お誕生日祝いを考える

2011-09-27 | 
土曜日にお誕生日会に呼ばれた。女性であるが、残念ながら山仲間の若夫婦である。そしてマイホーム祝いも兼ねているようだ。誕生日祝いに何を持っていくのか?新居祝いに何をするのかと、どうしても考えてしまう。

彼女自身はラインヘッセンのワイン農家の出身である。

旦那の料理の腕は玄人はだしなので、料理に合わせたワインの選択などをさせて貰おうかとも考えているが、相談してみなければいけない。そして何人が集うのかも重要である。そして新居祝いと誕生祝は別に考えなければいけない。

お隣のワイン農家で赤ワインとなるドルンフェルダーの葡萄を一房買った。二十セント聞いてもぴんとこなかった。二十ユーロと直ぐに取り違えてしまうのだ。今時、二十セントでなにか買えるとは思っていなかったからだ。

来週の月曜日はドイツ統一の日で連邦共和国としては珍しい国の祝日である。祝日を取りやめの話も度々連邦議会で取り上げられるが、祝日のままである。どこかの国のように祝日で国の統一を示唆しなければいけないような共和国ではないのである。
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肌で感じていた核の恐怖

2011-09-26 | 文学・思想
今朝の車中のラジオで日曜の朝の番組を聴いた。パンを取りに行くときに耳にしただけなので誰が何の時間帯で話していたかは知らない。しかし、話題は福島の前後の対応からその文化の相違を見る内容であった。

福島以前の富国強兵から関東大震災への流れを、西洋的建築と日本古来の建築との融合や技術的な進化、そしてそれに及ばなかった政治に見て、つまり当時の日本国民の民意の低さが語られる。

それに対応して、欧州の造られた自然への示唆が導かれて、西欧には手付かずの自然などは全くなく、自然公園として保護されているものが、全て少なくとも中世からの人々の営みで造られてきたものであることが改めて強調される。

そして、福島後にとった殆ど過剰反応とも思われる連邦市民のそしてメルケル首相の判断は、なによりも脱原発以上に反核であったというのである。つまり連邦共和国市民が戦後に味わった二つの陣営の狭間での戦略核への恐怖感が、緑の党の基礎となり、今回の逸早い脱原発への動きとなったのであると。

造られた自然との絡みは、聞き逃したが、それを文明論として若干考察すれば何一つ改めてここに付け加えることではないであろう。

日本では自然エネルギーとか、さようなら原発とか言うような標語が蔓延っているようだが、もう少し文化・知識人といわれるようなオピニオンリーダーが、文明論を展開出来るようでなければ民意は一向に上がらない。



参照:
抑止力の世界観が呼び起こす祈り 2010-03-23 | 雑感
没落への日本近代史を読む 2011-09-13 | 歴史・時事
フモーアー満ち溢れた環境 2011-09-06 | 文化一般
福島を目のあたりにして 2011-09-18 | アウトドーア・環境
再生不可能な科学的教養 2011-08-09 | 文化一般
福島の最終作戦に固唾を呑む 2011-03-12 | アウトドーア・環境
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只管上へ上へと攀じる日々

2011-09-25 | アウトドーア・環境
ティチーノの陽射しは強かった。長さ十七キロほどのゴッタルダトンネルを抜けた。南欧の山の上にも先日の新雪が残っていた。それが日に日に融けていった。

活動三日目に再びゴッタルダトンネルの手前まで車で戻ってきた。今回の旅行のメインイヴェントであるティチーノで最も容易で最も長いルートを登攀した。そして足が焼け付いてしまった。過酷ではなかったが、24ピッチ、九時間以上岩壁を只管攀じ登った。クレッターシューのゴムに強く射す太陽光が足を引き締めて、喘ぎとなった。

一度そのようになると靴を脱いでも、履き直して爪先で登るのがとても苦痛で億劫になるのであった。爪先で登れなければ十分に容易な岩壁でも階段がある訳ではなく、辛いのである。本来ならば最後まで使いたくない上体を駆使するなどして、足に負担を掛けないようにするしかないのである。

当日は暗闇のテントの中から起き出して、アスコーナのキャンプ場からゴッタールダ峠を目指した。そして九時前には沢へ落ちる乾いた滝つぼのようなところから登り始めて、再びキャンプ場に戻ったときには日が暮れた八時前であったのだ。

木曜日に挙行日を定めて、火曜日、水曜日と十分に難しい摩擦登攀で感覚を掴んでいたので、技術的には十分に容易であり、十二分に早く登れたのであるが、それでも途中の休みや、登攀路の間違い、ザイルのサラダとの戦いなどで、それだけの時間を費やした。

上へ上へと只管登れば、大分の高度を稼げる筈なのだが、一日中掛けて僅か500Mほど高度を上げただけだった。その意味では、日本の谷から突きあがる黒部渓谷や谷川岳などよりも効率が悪い。反面、樹林帯に岩壁があるので、比較的日本のそれに似ているが、手掛かりが無いどころか、そうした場所では、手を岩場に置くだけでも何処からか積もっている針葉樹のとげが指に刺さるので、無闇に手を掛けることが出来ないところも部分的に存在した。また確保場所でも蟻が足を這い上がって来ることも少なくなかった。また拳大の水晶の塊などもあって見事であった。

一年前から目安としていた体力技術的な成果は達成できた。その反面、前日に摩擦登攀で登った難易度5cでも一気に50M以上登るとなると可也の限界域に近づく。ザイルの長さは60Mどころか70Mもしくは80Mと長くなってきていて、益々それに対応できるような体力が必要とされるようになってきている。その意味からは、難易度6もしくは5.10あるいは七級を60M連続して登れなければスポーツクライマーとしては駄目である。その為にはやはり先ず下肢の鍛錬と適切なクレッターシューが必要である。



参照:
横腹の脂肪の切り落とし 2011-09-01 | 生活
制御出来ないからこその環境 2011-08-28 | アウトドーア・環境
腰痛に、その原因を想いながら 2011-03-06 | 雑感
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トロピカルかパッションか

2011-09-23 | 試飲百景
一週間前の土曜日に、例年ならば春にイングリッシュガーデンで催される試飲会がビュルクリン・ヴォルフ醸造所で開かれた。今年は招待を受けていたので、受けていなくてもであるがいつもの様に財布も持たずに出向いた。

招待のお礼などを申し上げてから、早速2010年産のグローセスゲヴェックスに張り付く。既に売り切れている地所キルヘンシュテュックやイエズイーテンガルテンからのリースリングを除く、前予約していたウンゲホイヤー、ペッヒシュタイン、カルクオーフェンとガイスボュールとホーヘンモルゲンを二度三度と試飲した。

予想通り例年ならば重みがややもするとあるかもしれないガイスボェールが軽やかで、まるで2007年産を髣髴させるほどの出来である。更にボディー感のあるホーヘンモルゲンは当たりがトロピカルフルーツで、これははじめての経験である。恐らく二十年後も現在十年経った2001年産ホーヘンモルゲンの現状よりも遥かに新鮮である筈だ。もはやこうしたリースリングにはペトロールの香りが漂う老成などはありえない。横では1999年産のホーヘンモルゲンが開けられて試飲が出来たのだが、流石にこれは二年ほど前に飲んだときよりも腰がふら付いてきている。

ペッヒシュタインの酸がまた強烈で、現時点ではこれを飲み干そうと思う者はいないであろうと感じたが、顔見知りのワイン愛好家に出会うと、「これが一番良い」などと感想を漏らされるのだから、それはそれで美味しいのだろう。しかし、その老夫婦にも説明したのだが、本当の味が出るには最低二年、このワインの価値が本当に分るには二十年以上もしくは四半世紀の時が必要なのである。そのときはこうして語っている皆が生きている訳ではないのである。

さて期待のウンゲホイヤーは流石に聖水のような透明なミネラルに、スパイシーさが酸に隠れている。とても複雑さがある反面、将来の安定感は抜群ではないかと思わせる。先行予約して間違いなかった。

それでも当日は特別に予約価格で入手が可能となったので、予約をしていなかったホーヘンモルゲンに手をつけてしまった。

カルクオーフェンは、バッサーマンヨルダン醸造所のものと比較的似ていて、例年ならばパッションフルーツ味が快いのだが、今年はより複雑でバランスが満たされるには若干時間が必要そうである。

1999年産の熟成ワインでは、意外にも良かったのがレッヒベッヒャエルで、その新鮮さはランゲンモルゲンやホーヘブルクの比ではなかった。ライタープファードもアルコール度も高く力強い。

2010年産も天然酵母と木樽の組み合わせが成功していて、その酸の激しさから歯がぼろぼろになるのだが、将来にはなんら心配の無いどころか大きな期待の出来る最長寿のグローセスゲヴェックスの一つとなりそうである。

2001年産が二十年保つと確認されたとき、2010年産は間違いなく三十年は新鮮なままであろう。ひょっとすると、2010年産の今後の熟成如何ではフランスの白ワインをその市場価値で完全に打破してしまうかもしれない。
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漬物味のハウスワイン

2011-09-22 | 試飲百景
南ワイン街道にあるレープホルツ醸造所へ予約していたグランクリュを取りに行った。昨年は、疎らな開花から収穫が少なく、更に南の方の地所では雹被害で殆どやられてしまったので、予約していたグランクリュは特別に貴重なものとなった。

激しい酸を我慢して酸が分解するまでぶら下げておいた価値があったのだろう。その傾向は同じ遅摘みのリースリングにも表れていたが、雑食砂岩土壌からのリースリングを流石に見事に造り上げていた。

2009年産のように生一本のミネラル風味は現時点では酸の後ろに隠れてしまっている。しかし将来性では十年以上経っても新鮮さは変わらないであろう。ただし、そこまで楽しみを先に延ばして購入する者は余程の数寄者であり、酸が丸くなる寧ろ雹の被害を一部受けたであろうロートリーゲンス土壌のものや石灰交じりの土壌からのリースリングの方が受け入れられる余地は大きかったであろう。

しかし、我々からすれば二十年に一度も無いこうした酸の年のそれは只美味い不味いの飲み心地の範疇で選択できないのである。それでも試飲会は天気が今一つに限らず大盛況であった。

実は遅摘みのリースリングのリースリングを確保しておこうと思ったのだが、試飲してみるとやはりまだ楽しむには早いことが分ったのである。最低二年は待たなければ本当の味は出ないので、先行投資ならばある程度確保してあるリースリングがあるので先ずは断念した。そして、最も単純なハウスワインである雑食砂岩からのリースリングを買い足した。

初めの頃から漬物のようなおかしな味が2010年独自の酢酸のような酸に包み込まれていたが、だんだんと開いてきてワインらしくなってきているのであった。今年最も消費している私のスタンダードワインである。
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価値あるグランクリュ

2011-09-21 | 試飲百景
2010年のグランクリュリースリングつまりグローセスゲヴェックスの試飲結果を纏めておこう。

先ず最初に試したのがダイデスハイムのフォン・ブール醸造所のリースリングであった。その次となったバッサーマンヨルダン醸造所で二種類を試飲した。

本来ならば、キルヘンシュテュックを筆頭に、イエズイテンガルテン、ホーヘンモルゲン、カルクオーフェンそして非売品のフロインドシュトュックが各々の土壌を生かして醸造されているのだが、今年はキルヘンシュトュックも非売品である。さらに売り切れのためそこから試飲できるのは僅かイエズイーテンガルテンとカルクオーフェンとなった。

更に驚くことにはこの醸造所のラーゲンヴァインつまり名有る地所からのワインも全て売り切れていたのである。例年に比べて半分以下の収穫量は疎らな開花の時期のずれによるのだが、今までこうした現象はあまり記憶が無い。近辺では2006年産が腐りのためビュルクリン・ヴォルフ醸造所で三分の一以下になったときも、ダイデスハイムの地所を主力にするこの醸造所ではそのようなことは無かったのである。もはや、新年までは購入できるリースルングは殆どなくなったので、買い取った葡萄で造った2009年産のリースリングをアルテレーベンとして販売しているぐらいなのである。単純なカビネットリースリングは、酸と残糖感が綯い交ぜになって今ひとつである。

だからといって、手の掛かったグローセスゲヴェックスが悪い訳ではない。寧ろ大成功しているような気がするのは、酸が激しく、いつもの重い酸の印象よりも強い酸を感じさせる仕上がりとなっているからである。

予想として、石灰質の土壌ゆえに角が落ちてしまうカルクオーフェンが買いだと思っていたが、その傾向は間違っていなかったが、2009年の完成度からすると若干イガイガ感がある。その点で予想以上に良かったのはイエズイーテンガルテンであり、長く寝かせても全く心配のいらないワインである。早めに飲もうとすればやはり前者の方が良いかもしれない。徐々に透明度でビュルクリン・ヴォルフのそれに近づいてきている。

今回は試飲出来なかったが、ペッヒシュタインも大変楽しみである。8月14日に書いた記事「自主避難の自主判断基準」のように2008年産を試してから予約注文をしたのだった。「2002年産が最近素晴らしかった」と聞くと、今年のこれもなんら心配なく寝かせておける。

もう一つ予約注文していたホーヘンモルゲンであるが、これも全く問題ないことは分っている。今年のバッサーマンヨルダン醸造所のグローセスゲヴェックスは、長く価値が出るように思われる。
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さようならは言わないで

2011-09-20 | アウトドーア・環境
承前)もはや原発に将来を見る日本人はいないだろう。しかし、原発を即停止しようという具体的な案は聞かない。あるのは再稼動を断念して、来年には全ての原発が止まる話しだけである。ドイツなどの真似をしてこの先十年以上も再操業させているうちに再び地震が起こって更に酷い原発事故が起きる可能性は可也高い。それでもひやひやとした環境で日々を生き続けるつもりだろうか?

反核運動とは、核兵器廃絶運動であり、核の傘の保護から開放されたいと希求する運動である。広島・長崎の運動はこれを象徴するものである。そして、平和利用である原発開発もその核支配と表裏一体であることを福島後に皆が気づいてしまった。その状況からIAEAやWHOの核汚染に対する基準が全てその影に寄り添っていることを主張する専門家も少なくない。その意味からは福島が連邦共和国に与えた影響も大きい。

同時に、福島の影響は、広島・長崎以降使われていない核兵器とは異なり、原発事故の環境への影響が放射線物質の多大な放出に特長つけられるのを知らしめた結果であろう。なるほど福島においては現時点では放射能による疾病や死者は未だに確定されていない。しかし、癌発生率、要するに五年以内の生存率もしくは五年以降の再発と死亡率などは明確に示されていて、要するにそれらを合わせた癌死亡率はしかるべき役所や保険会社などでは全て織り込み済みとなっている。知らないのは被曝した本人だけでしかないかもしれない。

核の傘は、政治であり曲がりなりにもその世界秩序であるから、人類が廃絶を必要とすれば必ず非核化できる筈なのであり、同時に現実政治においては迎撃システムによる核の傘の無効化や更に強力で有効な兵器が発見されない限り、それが不可能という認知があるから反核運動は願いでしかないのである。それだからといって声を上げない限りなにもはじまらない。

同じように脱原発を考察するときに、どうしても代替エネルギーだとか、安定したエネルギーの供給とかいう問題が立ちはだかり、ややもすると脱原発が理想主義のように響くかもしれない。しかし、それは決断でしかない。もはや日本や先進工業国などの老人大国がエネルギーを大量に消費して物を生産する急激な成長ということはありえないのだから、構造改革というような言葉で表わされるように先へと決断していかなければいけないのである。

さようならをするのは、決して原発なんかではないのである。さようならをするのは、ライフスタイルであるかもしれない、それともなになのか?それを考えてみること、そこで初めて自らが生きている環境が見えてくるだろう。(終わり)
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何が必要かが問われる

2011-09-19 | アウトドーア・環境
日曜日に朝から車を動かした。ジーメンス社が原発業務から降りることがラジオで伝えられた。自国市場だけでなく将来性の無い原子力発電施設から手を引くのは当然であるが、その背後には高度な技術を駆使してそして自国市場があるフランスの企業体と対抗する価値がないということらしい。なるほど今後もアジアやアフリカでは原発を建設したい発展途上国はあるだろうが、必ずしもそれが必要かどうかが問われるだろう。

シャンペンを間違えて渡されたので、パン屋の帰りに、取替えに行ったのである。フォン・ブールでは外回りの責任者セバスチァン氏がなにかを話していた。シャンペンの方は、購入した筈の2007年産ペッヒシュタインの最後の八本の中の三本を購入したつもりが、2008年産を掴まされて交換に行ったのだが、最後の二本しか手に入らなかった。今年になって初めてデゴルジュマンされたブリュットである。

2007年産のペッヒシュタインは繊細を極めて、今後とも期待の出来るグランクリュワインであるが、その先落としだろうワインを使ったシャンパンを試飲して、どうしてでも確保しておきたかったのである。もちろん2008年産も悪くは無いだろうが、比較にはならないことは分っている。

特に甲殻類のオードブルに相伴させれば、これ以上のシャンパーニュがどれぐらいあるかと思われる。そもそもそのワインの質で、これほどのミネラルを兼ね備えたフランスの白ワインなどは存在しないだろう。

さて、そのペッヒシュタインの地所や、イエズイーテンガルテンやキルヘンシュトック、ウンゲホイヤーの名うての地所を見て回った。葡萄が山なりにぶら下げられているのはいつもの如くフォン・ブール醸造所である。そして今年は秋雨に痛みかけているのである。

当然のことながら十分な分量があるので、そこから選別していくことでまだまだ素晴らしい2011年産のグランクリュが出来上がることは分っているが、葡萄を先んじて落として折らず、葉っぱ類も落としていないことから、選別作業の出来が重要な品質となる。

どの時点で労働力を集中させるかで、その手間と効果の兼ね合いが変わってくると思われるが、少なくとも無駄に腐らして垂れ下げておくのは、労働力を倹約して質を下げることでしかないのである。

他の並び醸造所の地所の葡萄を見ればその差異は明らかで、ビュルクリン・ヴォルフ醸造所やバッサーマン・ヨルダン醸造所との葡萄の品質の差異は一目瞭然である。もちろん農協やその他の醸造所と比較すればその実りの豊かさは立派なものであるが、2011年の出来上がりの差はそうしたところにあり、既に一年後の出来の差がかなり予想できるのである。
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福島を目のあたりにして

2011-09-18 | アウトドーア・環境
承前)脱原発とは、反核とは、さよなら原発とはなにか?と感じたのには、反原発運動というものには若干違和感があるからだ。

そこで福島後に自らの心境の変化がそこにあるのか、それともないのかを改めて考えてみる。基本的には原発への考え方は変わっていない。逆に変わった点は、福島の事故を目の当たりにして、その原発事故の広がりの大きさを再認識したことである。

具体的には、事故の恐怖は遥かに抽象的な破局への慄きであったのだった。それはチェルノブイリの事故とその後を考慮しても限定的であり、原発反対は地域エゴでよいという考え方であった。しかしその考え方は間違いだと、福島の被害を見て気が付いたのである。チェルノブイリは所詮ドイツからでも二千キロメートル彼方の出来事で、高層に塵が巻き上げられたから遠くまで汚染されたのである。しかし、数百キロ圏内の生存圏が犯される致命的な汚染を考えると、必ずしもドイツの原発が停止したとしても、フランスやチェコやポーランドのその被害から逃れることが出来ないと気が付いたのである。

少なくともアルザスのフッセンハイムや、風向きからセーヌ流域の原発などはパリがやられるぐらいにこちらにも被害が及ぶことが知れた。なるほど欧州の原発は、地震国のものよりも、たとえもしかすると明日事故が起こるかもしれないが、遥かに安全である。だから停止への時間を掛けて脱原発を考えればよい。

福島以前から変わっていない反原発意識への根拠は、その経済性であり、核廃棄物の死の灰の処理問題であることは言うまでもない。これに関してだけでも反原発を主張しなければいけなかったのである。それは、ビブリスの原発見学で、そこの食堂の良さなどの全てに満足すればするほど、隠されている汚物である恥部としてよく見えてきたのであった。

その意味からは、CO2対応として原発推進に福島直前まで動いていた日本社会を幾ら非難しても足りないのであるが、同時に社民党を除く反核運動団体や九条護持団体がなぜ福島以前から反原発を強く訴えていなかったかが不思議なのである。共産主義が原発にユートピアを求めていたことは今更繰り返すまでも無い。

大江さんは講演で語る、この歳になってなんと情けない一生を終えることかと。それはそうだろう彼らは今も善良な市民を騙そうとしている。菅政権よりも性質が悪い。私が日本をあとにしたときの彼らが片棒を担いでいた終焉の五十年体制などはもはやないのである。何を今更語るのだろう。

山田洋次監督は、嘗ての労働運動や学生運動の時を回想して、セクト化してお互いに血を流し合った過激派達のことを反面教師として、高級官僚から寅さんまでが一緒になって行動をするべきだと語る。落合恵子がとれない権力を夢見る。理想主義の指す再生可能エネルギーとは、武田氏が語る永久機関と同じに違いない。しかも誰も当時の現実とか状況とかを「環境」と表現できない人達である。懲りない人達である。どこまで人を欺くのか。イデオロギーに侵されていて、自らのおかれている環境の見えていない人達である。残念ながら彼ら彼女らが文化的なオピニオンリーダーならば、日本文化などは一刻も早く朽ちて滅びた方が良い。福島後に帰化したばかりのキーン教授らと共に。馬鹿者!(続く)



参照:
大江健三郎さん、鎌田慧さん~講演会「さようなら原発」
山田洋次さん、落合恵子さん、内橋克人さん~講演会「さようなら原発」 (YOUTUBE)
没落への日本近代史を読む 2011-09-13 | 歴史・時事
78歳の夏、グラスの一石 2006-08-15 | 歴史・時事
正当化の独逸的悔悟 2006-08-13 | マスメディア批評
海の潮は藍より青し 2005-08-28 | 文学・思想
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福島後の反原発への違和感

2011-09-17 | アウトドーア・環境
2005年2月に書いた「デジャブからカタストロフへ」を久しぶりに読み返した。ビブリスの原発見学のことを書いた最初の記事である。二十年ほど前のそのことを思いだそうとしてもなかなか記憶が薄らいでしまっているからだ。

原子炉建屋に併設された司令室に入ったのはビブリスBの方のようだ。出力は1200MW程度で標準的な加圧水型原子炉である。その記事に書いてあるように、管制室のモニターが制御棒の上げ下げを映し出していたとすると、停止中だったのだろう。それならばタービン建屋でも激しい機械音が無かったのは当然なのかもしれない。

他の人の見学記を読むと、2001年以降なので当然とはいえ、原子炉建屋への出入りは更に厳しい個人照会が必要となっている。そして管制室には安全上十八歳以上が立ち入り許可されて、見学には絶えず拳銃を持った保安員が同行とある。

二十年前は保安員はいなかった。ヘルメット以外に現在の福島の作業員のような腐食布の防御服を着せられたのかどうかも記憶に無い。しかし、原子炉建屋に踏み込んだ記憶はあって、格納容器の胴ぐらいの場所を身近で見たのだろうか。

兎に角、様々な工場を見学しているが、原子力発電所ほど静かで整然として清潔な工場は知らない。精密加工のライカの工場でもがたがたしていて話にならない。ダイムラーのプレス工場も音は甚だしくも大変清潔であったが、ステンレスの釜を作るような機械工場も清潔であったが、原発の車両が入るようなことの無いフロアーの綺麗さは格別であった。

さて、こうしたとても古い原子力発電所を見学しての好印象が、決して身近の原発への信頼には結びつくことは無かったのはなぜなのか?今、日本で脱原発運動が盛んだと知ると、どうしてもそこを振り返って考えてみなければいけない。

一体、脱原発とは、反核とは、さよなら原発とはなにか。(続く
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喧嘩を売買する報道姿勢

2011-09-16 | マスメディア批評
ARDが落ち着いた調子で9月11日を伝えている。東京でのイヴェント風景である。ネットでは分らなかったがその客観報道の映像を見て驚いたのは、警察官の数と交通規制していない馬鹿らしさである。あれだけ警官を配備するならば部分的な交通規制を引いて、もしくは歩行者天国などを開放もしくは設置して行進をさせればよいのである。群集を狭いところに押し込むと、熱を持つ粒子と同じようにどうしても圧が高まる。それにしても若い参加者が多く、ラヴパレードのような雰囲気で、更に今後こうしたパレードが大きく増えるに違いない。大変結構なことである。

ZDFは、制作番組「フロンタル21」の日本からの反響が大きくて大変満足しているようである。そのように刺激的な番組作りをしているから当然の姿勢なのだろうが、その反響を伝えて駄目押しするような番組を流しているのには流石に参った。

特に、日本で問題となっていた、農業の大沢さんの居場所を中通りの本宮町と明白にして、それどころか大沢さんの所の水田の汚染がセシウム137キロ当たり35000Bqで基準値の七倍、野菜も全て汚染されているとして、避難すべき地域とする検査結果が出たと繰り返す。伊達市のしいたけが核廃棄物でしかないのは当然である。今年だけでなくこの先少なくとも三十年、関東から東北にかけての茸類は猛毒であり続けるのは分っている。しかし、日本政府は会津のものを国民に食べさせようとしているからこれだけでも国際的な重犯罪である。

まさに、自らの検証番組で、八王子で線量計を持って歩く親子を映し、政府の発表を国民の八割が信じていないとして、ZDFのこうした報道姿勢が日本国民に真実を伝えるのに大きな貢献をしていると手前味噌で鼻高々である。なるほどテプコに「環境モニターリングや食料汚染や除染にはアドヴァイスを与えるが所詮は共同体の問題だ」ととんでもないことを語らせて、観る者を煽り激怒させるが、これが制作意図であり成功している。最終的には表現の質と好き嫌いの問題であろう。日本の官僚と同じで嘘はついていないのである。基本的にZDFは、朝日新聞と同じで反権力を 標 榜 する大権力組織なのである。



参照:
Japan: Proteste gegen Atomkraft  (ARD)
Verstrahlt: Lebensmittel in Japan,
nachgehakt vom 13. September 2011 (ZDF)
金じゃない営みの表現をする 2011-09-11 | マスメディア批評
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