Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2005年8月

2005-08-31 | Weblog-Index



暁に燃えて、荒れ狂う[歴史・時事] / 2005-08-30 TB0, COM0
海の潮は藍より青し[文学・思想] / 2005-08-28 TB0, COM2
新聞の新作オペラ批評 [文化一般] / 2005-08-28 TB0, COM0
モーゼルの2002年晩夏[ワイン] / 2005-08-27 TB0, COM0
明日は晴れだろうか [アウトドーア・環境] / 2005-08-26 TB1, COM0
きっと、今頃はファンダンで[アウトドーア・環境]/2005-08-25 TB0, COM2
ESAの求人情報 [歴史・時事] / 2005-08-24 TB0, COM0
程々に飲める人々[その他アルコール] / 2005-08-23 TB0, COM0
多感な若い才女を娶ると[女] / 2005-08-22 TB0, COM0
第六交響曲 第三楽章 [ 音 ] / 2005-08-21 TB2, COM13
オェツィーと現代の人々 [アウトドーア・環境] / 2005-08-20 TB0, COM0
エゴの覚醒と弁証の喧騒 [アウトドーア・環境]/2005-08-19 TB0, COM6
吐き気を催させる教養と常識 [文化一般] / 2005-08-18 TB0, COM0
他所の食堂に求めるもの[料理] / 2005-08-17 TB0, COM0
懐胎適齢のベビーブーマー [女] / 2005-08-16 TB0, COM0
フランケンタール窯の興亡 [文化一般] / 2005-08-15 TB0, COM2
死んだマンと近代文明 [文学・思想] / 2005-08-14 TB0, COM8
交差する実験予測と命題 [数学・自然科学] / 2005-08-13 TB0, COM5
公約無制限の高速道路事情[アウトドーア・環境]/2005-08-12 TB1
追撃迫る自由競争市場 [歴史・時事] / 2005-08-11 TB2, COM2
無料情報の客観主義 [文化一般] / 2005-08-10 TB0, COM2
車が、金が、酒が廻る[歴史・時事] / 2005-08-09 TB0, COM2
寒冷前線下での昼餉 [ワイン] / 2005-08-08 TB0, COM4
著作権の換金と集金 [文化一般] / 2005-08-07 TB0, COM2
ヒロシマの生き残り [歴史・時事] / 2005-08-06 TB5, COM20
著作権のコピーライト-序章 [文化一般] / 2005-08-05 TB0, COM3
そして鼻の穴が残った [料理] / 2005-08-04 TB0, COM3
王様の耳は豚の耳 [料理] / 2005-08-03 TB0, COM10
符丁に酔って、芥子を落とす[料理] / 2005-08-02 TB0, COM2
ゆく河の流れは絶えずして [ 音 ] / 2005-08-01 TB0, COM6

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暁に燃えて、荒れ狂う

2005-08-30 | 歴史・時事
フランクフルター・アルゲマイネ紙は、当時文化欄でハンス・ウルリッヒ・トライヒェルのリブレット、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェのオペラ「裏切られた海」のフランクフルト初日上演を次のように取上げた。

ハーフパイプを横から見る情景は、北斎の波が弾け落ちる浮世絵を想像させると。枝葉些細な舞台報告に加えて、潮流を人間もろともに音化したため、テキストを聞き取れなくした代価を払ったとみる。弾け、飛び散る音楽は、音色パレットを広げ、燃え、荒れ狂うい宿命的な衝動を代償するという。

荒筋を初日当日の日曜版に書いた評論家女史であるが、どうも書き示すように右翼暴力思想の小説のオペラ化として捕らえているようで、船乗り竜二が最後の船出に向かうシーンの演出では、どうしたことか有名な褌姿の三島の「セバスチャン」の写真が目に浮かんだらしい。

当然のことながら「この用心深い対比(公演)は、ヘンツェの「難しい午後の曳航」において素材とその移植、さらに背景のイデオロギーとその音化の苛々感を排除出来なかった」と結論し、「そもそも海は、解明不能」と結ぶ。何よりも「仏頂面の殺人少年」を、精神分析的に世界透視的な上部構造をもってしか示せないと書くが、これは三島作品をオペラ化する意義と全く矛盾している。

此れを以って、二十一世紀へのパノラマを示したフランクフルト市立歌劇場の18年におよぶ体制は終ったという。このような意欲的なプログラミングにしては、都市過疎化する「土曜日・初日」であるにしても、定期会員以外の聴衆も高齢化していた。初日を18オイロで天井桟敷が直前に買えたのを考えると、これは若い聴衆の近代離れを意味するのかも知れない。

先週初演された武満徹のコンセプトに依るオペラ「マドルガーダ」は、「エレファントマン」で有名な映画監督デェイヴィッド・リンチとの協調が多いバリー・ギファードの台本であった。この二人は、狂気に満ちた母親からの駆け落ち旅行物の「ワイルド・アット・ハート」と云うのでも映画賞を取っている。実際に観てみないと、これらが何を語るのかは分からないが、ギファード氏のHPにメキシコとの国境線を行く短編フィルムがある。ここに、新大陸の消え失せた本来の夢でなく、欺瞞に満ちた希望を見る事になるのだろうか。

上述の音楽劇作品では、ガス室と核の爆風で一世代が消え伏せた後、夢海と名乗る少女が、マキャベリズム国家によって、海へと筏で流され、鯨に助けられる。スペイン語のこのタイトルは、曙を指すらしいが、どこまでも蒼い明けない海をどこか想像させる。



新聞の新作オペラ批評 [ 文化一般 ] / 2005-08-28
海の潮は藍より青し [ 文学・思想 ] / 2005-08-28
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海の潮は藍より青し

2005-08-28 | 文学・思想
「これを壊しちゃいけないぞ。これがこわされるようなら、世界はもうおしまいだ。そうならないために、僕はどんなひどいことでもするだろう」

フランクフルト市立歌劇場で三島由紀夫の「午後の曳航」を素材とした、ゲッツ・フリードリッヒの演出で1990年にベルリン初演された、作曲家ヘンツェのオペラ「裏切られた海」のプリミエーを2002年3月9日に観た。

舞台台本の定まりとして、回想シーンは先に出て、時間の流れに沿うように原作の前後の入れ替えをしてある。オペラ台本は、切りつめて暗喩によって根幹構造に迫ろうとしている。

舞台は、近年の常套であるスクリーンを使い、海の波と航行する船首吃水や夕焼けのカモメ、さらに主人公の十三歳の少年・登が母親房子の寝室の壁の穴を覗く眼が、映像を使って表現された。舞台で印象に残ったのは、登が閉じ込められた鍵を掛けた部屋を、紗のこちら側と向こう側で空間を効果的に分けた紗の正方形の巨大な引き戸である。さらに海の映像に向かってハーフパイプ型の塀にすることで歪んだ空間となった。しかし実際は抽象的な舞台ではなく、船の内部や中学校風の建物を鉄筋やコンクリートの質感の構造物として、物質的で冷たい近代社会の感覚に訴えた。

音楽は繊細かつ雄弁、感性豊かで壮大な心象を描く。冒頭から反行系のような音列を使い、物語が発展していくのではなく、本来あるべきところに収束していくことを予感させる。登場人物である房子と、その愛人で二等航海士の竜二を一定の枠内で描き分ける統一化の構造と、海の波を七種類も書き分けた差異の変化を技術的卓越が楽しませる。

元来三島の小説では、狂人が登場するものは皆無であり、そのような心理描写はもっとも縁遠いもので、現代人のそれであることを思いおこさせる。1926年生まれのハンツ・ヴェルナー・ヘンツェ(三島の一つ下)の書法は、その初演年からすると古色蒼然としているが、この熟した自由な筆は一筋縄ではいかない現代を保守的な舞台芸術で表現することに適している。

リズムは少年の動悸のように細かに刻まれる小さな鼓動からクライマックスまでの推移に、打楽器の繊細な表現は、一幕の夏から休憩を挟んでの二幕の冬までを息付かさない。音楽が大きく叫ぼうとするときは、決して爆発・運命的な出来事が起こるのではない。少年たちの世界も大人の社会と同等以上な価値を持って、壮大な心象風景画が表現される。それは、今日も現実のどこにでもあるような風景で、そこに内蔵する本質的なものに、1970年代の赤軍派を思い起すのか、モスリムの聖戦へ向う若者を想起するかは人其々だろう。

演出で気になったのは幕切れの台本である。結婚を決め陸に上がる船乗りの竜二が登らの少年グループに桟橋に呼び出され殺害されるシーンを、一幕の猫を叩き付けての殺害シーンと対応させたのは良いが、最後に電気鋸を背後から首に叩き付けようとする終止にしたのは、三島の自殺ならびにそのシーンを - コッポラが映画「三島」で同じ事をやった様に - 「避けて通れない宿命」の様に感じさせる。

こうなると、三島が三十八歳でこの原作「午後の曳航」を書き、数年後には死んでいったのは必然におもえてくる。「パパ、人生の目的っていったいあるんですか」と聞く登の少年グループの首領の問いに、大江健三郎氏が「僕は三島さんのようには自殺しません」とちぐはぐに答えているようだ。



新聞の新作オペラ批評 [ 文化一般 ] / 2005-08-28
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暁に燃えて、荒れ狂う[歴史・時事] / 2005-08-28
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新聞の新作オペラ批評

2005-08-28 | 文化一般
シュレスヴィック-ホルシュタイン音楽祭での野平一郎氏作曲、バリー・ギフォード氏のリブレットに依るオペラ「マドルガーダ」の新作初演が行われて、新聞に批評が載っている。それによると、これはリヨンのケント氏からの依頼で武満徹氏の最後の仕事であったのだが、氏の死去に伴い新たに依頼し直されたらしい。

今回初演と相成ったが、総譜が二週間前になって初めて届いたと言う。こうして、ペーター・シュミット氏の演出で半舞台化されて上演されたとある。作曲家ご本人のホームページにあるように、破局が起きてからの夢の時で幕が焼け揚がるようである。この特別なドラマ構造を理解するのを、英語による字幕の無い上演が更に難しくしていたと言う。更にこの映画向きのリブレットでは、不安な悪夢の静的な亡霊劇が演じられ、音楽効果を損じない為に、幕開き前のグロテスクな情景が示される事は無いと言う。演出としては、音楽と協調されて節操を持って使われたプロジェクターが、三面の壁をまるでカフカの「城」のように映した様だ。

特に批判されたのが、終景のヒロインのモノローグで、ヘルマフォロディトスが「リメンバー・ミー」と世界へ向って「愛は人類を救う」と呼びかける時、それは殆んどセンチメンタルを越えてキッチュにしかなっていなかったと手厳しい。

音楽については、オルゲルプンクトで低い弦が長く弾き始まる映画音楽のような夢の情景と、ロックバンドの生のジャズ音響のアクションシーンとある。それに対して、既にケント氏は、今後の上演機会を通してまだまだ良くなると宣言している。



海の潮は藍より青し [ 文学・思想 ] / 2005-08-28
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モーゼルの2002年晩夏

2005-08-27 | ワイン
モーゼル中流域のワインを賞味しながら綴る。2002年産モーゼルワインは、その前年2001年産と比較すると魅力は無い。だからこのワインは、セレクションと謳って、何とか良い葡萄だけを手摘みで選別したのだろう。良い年は10年ぐらい持たせるワインでも、アルコール11,5度の不遇の年のワインを何時までも取っておくわけには行かぬ。

さて、コルクを抜いて感ずる香りは、若干砂糖水のようだが、口当たりは思いの他良かった。当初の堅さはなくなったが、丸くなって角が取れた分だけ物足りない。

モーゼル特有の地面から来る味覚は楽しめても、他の産地にも有り勝ちなワインでもある。色も早くも黄金系へと近づいており、短命な事を視覚的にも確認出来る。モーゼルの瓶の緑色や他の産地の茶色の色素は、ワインを光から守るが、空けてみないと中が確認出来ない様にしている。

鱒の燻製のフィレに合わせて見るが如何だろうか。鱒が、溢れる川に跳ね回る。

水害と聞くと如何しても、モーゼルの谷の事を思い出すが、今回はドナウ河流域であった。珍しい気象条件ゆえにアルザスへの眺望が開け、初めてヴォージェ山地を部屋の窓から確認する事が出来た。ストラスブールは見えないだろうがゲーテの恋人の居たアゲナウの裏山は見えているだろう。
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明日は晴れだろうか

2005-08-26 | アウトドーア・環境
バイオウエザー(BIOWETTER)なるものが、新聞や放送で毎日紹介される。その日の気温・気圧・湿気の変化その他によって人体に与える影響を、天気予報に従って予想するものである。勿論、これに月齢やシーズンなどの大きな変化や花粉・日当たりなどを加味すべきであろう。するとこれはBiometeorologyと云うような複雑なものになりそうである。残念ながらその予想の出し方は、分からなかった。

昨日の予想:
南部-初めは、憂鬱の不機嫌に襲われるが、雲が晴れるにしたがって徐々に気分は好転。

今日の予想:
南部・東部-初めは気候の影響を感じないが、その後、頭痛、関節痛を感じる。怪我や神経痛には堪える。
北部・西部-雨模様で特にセンシティヴになりやすい。天候の影響を受け、睡眠障害・頭痛または精神的に通常以上に神経質になりやすい。

明日の予想:
南部-天候が快復してくるに従って、健康状態は良くなるように感ずる。乾いた涼しい空気は心肺系に好影響し、気分爽快。晴れ間は、愉快に力漲らせる。
北部-先ずは、天候の変化に合わせるのが難しく、落ち着かなく、睡眠を阻害する。低気圧の影響で、関節痛などは幾分悪くなる。天気を望む人々は、小雨に気分が晴れない。

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きっと、今頃はファンダンで

2005-08-25 | アウトドーア・環境
本当ならば今頃は、インテルラーケンで遅い食事を摂り、グリンデルヴァルトの定宿へと戻るところだった。朝早く出て、午前中に宿で荷物を解いて晩夏の高原を歩き、昼飯を見晴台で食べながら軽く飲んで、早めに宿に下りて汗を流して、町へと出かける予定であった。

中部スイスは、雨が振り続き洪水に見舞われた。昨日の時点で、ベルンからシュピーツまたはテューン間の高速道路は水に浸かり、迂回しなければならなかった。更にインテルラーケンの東西は分断され、鉄道の東駅も封鎖された。少し高いところを通っている線路もダイヤはズタズタになっていた。ルツェルン側へも同様で湖畔の一般道路は全面通行止めになっていた。何も通行止めは大きな湖が溢れただけでなく、山沿いの道も多くが封鎖されて、グリンデルヴァルトは線路・道路とも陸の孤島となった。ヘリコプターによる移動を一人120CHFほどで請け負っている。

このような交通事情で旅行を取りやめたが、嘗てこのような状況下で大雪で閉ざされていたグリンデルヴァルトに辿りついた事がある。その時定宿の女将は、「酷かったよ。何日も雪が降って閉じ込められて」と言いながら、誰も居ないホテルの部屋の鍵を渡してくれた。深い轍をチェーン無しで必死で登りついただけの事はあって、明くる日は最高の雪質でスキーを愉しんだ。

夏にも冬にも完全に閉ざされてしまう谷が、世界有数の観光地であるところがスイスらしい。冬はインテルラーケンも船で到達して援助物資を運んだようだったが、今回は反対に増水で船も休止したようである。昔も今も厳しい自然の中で暮らして、観光経済に依存している国である事を改めて認識させてくれる。

ジャガイモのリュスティを食べて白ワインの冷えたファンダンを飲むのは次の機会としよう。幾つかの交通情報を貼り付けて、覚書としておく。


A6 Thun Richtung Bern
Zwischen AS Rubigen und AS Muri gesperrt, Wasser auf der Fahrbahn
23.08.05 09:10

A6 Bern Richtung Thun
Zwischen AS Muri und AS Kiesen gesperrt, Verkehrsbehinderung durch Überschwemmung
23.08.05 04:16

H6 Hauptstrasse rechte Brienzerseeseite: Meiringen - Interlaken
Zwischen Ebligen und Interlaken in beiden Richtungen gesperrt, Sturmschäden
22.08.05 12:16

A8
Spiez - Brienz 23. August 2005 15:01
Zwischen Autobahndreieck Verzweigung Interlaken-West und Autobahndreieck Verzweigung Interlaken Ost in beiden Richtungen gesperrt, Verkehrsbehinderung durch Hochwasser

H11
Hauptstrasse Simmental: Spiez - Saanen 23. August 2005 15:01
Zwischen Wimmis und Boltigen in beiden Richtungen gesperrt, Verkehrsbehinderung durch Hochwasser

Hauptstrasse: Spiez - Kandersteg
Zwischen AS Autobahnanschluss Spiez-Hondrich und Kandersteg in beiden Richtungen gesperrt, Sturmschäden
23.08.05 12:30

アルプス周辺の洪水地域図


参照:スイススキー事情 [ アウトドーア・環境 ] / 2004-12-16
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ESAの求人情報

2005-08-24 | 歴史・時事
ダルムシュタットに在るESOCの求人情報が出ていた。先のホイヘンスの記者会見などで一挙に世界の注目を浴びた機関である。米国のNASAに相当する欧州のESAの組織が、マネージメントのパリ、分析のイタリア、スペイン、製造のオランダ、宇宙飛行士研修のケルンと分かれている中での管制を担当する局である。

ここでは絶えず14の衛星が監視され制御される。120人の専門家が二交代で24時間常置する。ここの八割は、其々の専門領域で個別に働く、数学屋、物理屋、航空技師、電気技師、情報工学技師などである。

昔の子供の夢が機関車の運転手ならば、現在の夢は遥か遠くから宇宙船を制御する事ではないかと。国籍別では、地元ドイツ人が30%と比較的高いが、女性はまだまだ少ないので就職のチャンスが大きいと云う。

三列になった60のモニターでの作業は任務の一部で、人工衛星の設計からプロジェクトに関わる開発の面白さもあり、途中退職率は少ないようだ。



参照:生命の起源に迫る [ 数学・自然科学 ] / 2005-01-16
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程々に飲める人々

2005-08-23 | その他アルコール
 2004 09/22 編集


アセトアルデヒド分解酵素の遺伝子による活性の違いと病歴の記事を読んで、いつもながら不思議に思う。アルコールが分解されない人、分解され難い人とに分けて、そのような遺伝子はモンゴロイド以外には皆無と、いつもの事ながら記されている。欧州の酒場での経験則からしてこれは不思議である。

疑問なのは、中間の「程々に飲める人」カテゴリーに含まれる体質である。酒場で「うだをあげてる」親父達は、大抵このタイプに入ると思うからだ。ゆっくりのペースで店仕舞いまで、醒めずにチビチビと飲んで、口角流沫して、帰りには千鳥足となる。其れを酩酊初期とすれば、多くともビール2リッターかワイン0.75リッターにシュナップス引っかけた程度である。決して大酒飲みは多くない。この量を超えた場合は、大抵酩酊もしくは、酔っ払いがハッキリとする。

昔、英国国鉄車内で見た酔っ払いが忘れられない。英国人としてはかなり長身で、痩身ながら1.90メートル以上もある30代のスーツ姿の紳士、職場から帰宅途上ロンドン郊外のパブで大分飲んだのであろう。膝から下に長い足を絡ませ、上体を大きくふらふらとさせて一等席に乗り込む。頭が全く定まらず殆ど意識が朦朧としている。それでも右へ左へとよろめき乍、空いた席に腰を下ろす。これほどに泥酔しても確りと意志をもった人間を初めて見て感動した。細いながらも彼の体格から察して、80キログラム以上はあった筈だ。その彼がスコッチを一気飲みしたとも思えない。飲んでいるうちにいつの間にか回ってきていた様子であった。

またある北ドイツ出身の男性は、1.60メートル前半と小柄だが、体格は良くサッカーもするスポーツマンである。仕事帰りに一杯引掻けるような 飲酒癖がある割には、いつも比較的早く酩酊する。さてこれらの人々は、上の遺伝子の特徴から「アルコールに強い人」となるが、実際は明らかに「程々に飲める人」であり上の定理に矛盾する。

さらに体格の良い100キログラムを優に超える南ドイツの男性は、明らかに「強い人」でワインフェストで3リットル近くも飲んだが、さすがにあくる日は朦朧として夕方まで頭痛に苦しんだ。

反対に日本人で「飲めない人」は多くとも、「程々に飲める人」は個人的に余り知らない。大抵は100キログラム以下の体格からすると、ワイン1.5リッターもしくはビール3リッター以上を3時間以内に飲んで堪えない人は少ないのが当然であろう。

大きな違いは、泥酔して立てなくなったり意志が示せなくなるかどうかということだろうか。自意識の強さの相違と感じていたが、実はこれが体質の違いということになる。いつの間にか寝てしまう「弱い人」は知っているが、意識の無くなった人と酌を交わしたことは無いのでこれも定かではない。



参照:交差する実験予測と命題 [数学・自然科学] / 2005-08-13
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多感な若い才女を娶ると

2005-08-22 | 
「亡き子を偲ぶ歌」交響曲集作曲の数年前に作曲家は、二十一歳年下の画家の娘アルマと結婚した。そのアルマ・ヴェルヘル・マーラーの著書「グスタフ・マーラーの想い出」の中で、第六交響曲の創作時期に不吉なリュッケルト詩による歌曲集「亡き子を偲ぶ歌」の三曲を新たに作曲した夫に言葉が投げかけられている。その言葉は、作曲家が好んだ「SPLENDID ISOLATION」と云う英語から名付けられた章に記されている。

「めっそうもない!そんな魔のさす様なまねをして!」

実際、作曲家が木陰で若々しい気持ちで遊んでいた二人の子供の内の長女を、数年後の1907年に病気で亡くしている。この曲の悲劇的の名は決してこのような運命からのみ来ているのではないが、この曲のモットーとされるイ長調からイ短調へのハンマーの一撃ですら視点を変えると、違うように聞こえる。

このフィナーレを聞くと経験するのだが、寧ろそのモットーへ運ぶまでの準備に不安の心理が増幅されている。一体この心理は、どこから来ているのだろうか?

マーラーは森から帰って来て、「僕は主題の中に君を引き止めたよ。巧く行ったかどうかは分からないけど、もうどうしても気に入って貰わなきゃ」。

アルマ・マーラーは、この時期には既にお互いに嫉妬が生まれ、自分の将来の様を暗示していたと述懐している。

1906年5月にトンキュンストラーフェストの催されているエッセンでの、第六交響曲初演のリハーサルの様子が描かれている。リハーサル中に楽屋に行ったり来たりして、手を揉み合わせて咽び泣く作曲家。そして巧くいかなかったという本番には、指揮者のメンゲルベルクも駆けつけ、またシュトラウスがアルマにフィナーレについて批評したとある。

「どうして最後になって、力を抜くのか分からんね。初めのハンマー打ちが最も強くて、二回目、三回目とだんだんと弱くなるなんてね」。

フィナーレ導入部での教会やコラールの響きは、森の仕事部屋の空間をだんだんと広い宇宙的世界へと拡大拡張して行く。そして打ち下ろされるハンマーの響きと共に破局を迎える。グスタフ・マーラーは、これをして「英雄は、まるで樵が木を切り倒すように、一度、二度、三度目に終に打ち倒される」としている。

創作中の避暑地マイエルニックでは、出来上がった曲を試し弾きして悲しくて二人で泣き合った。フィナーレの再現部で示される慰めは今しばらく続くのだが、幸せの日々は過ぎて行く。自分たちでは決して変えることの出来ない、運命と云う、環境に打ちのめされるのを二人して感じ取っていた。この心理こそが、この交響曲の核であり、この作曲家のエゴイズムを反映している。



第六交響曲 第三楽章 [ 音 ] / 2005-08-21
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第六交響曲 第三楽章

2005-08-21 | 
映画「ヴェニスに死す」でのマーラーの第五交響曲アダージェットは殊に有名である。あの映画の影響は大きく、常にこの楽章に「死」が付き纏う事になる。その後それを否定する論文などが紹介されて、決してアダージョではない「愛」がこの有名な音楽に強調されるようになった。第六交響曲・第七交響曲と共に「亡き子を偲ぶ歌」交響曲集に含まれ、更に直に結婚へと発展するアルマ・シントラーとの出会いが 濃 く 影 を 落 と し て いる。

ここでは常に出来る限り音楽を、文化記号の鍵を解きながら耳を傾けているのだが、マーラーの交響曲の中でも最も純音楽的な第六交響曲は、その緻密で古典的な完成度でこれを難しくしている。全く違う意味で、第四交響曲が取り扱いにくいのと双璧に思う。

今回、この名作の中間2楽章を入れ替えた修正が最近受け入れられていると知って、俄然興味を持った。この四楽章構成には隙などが無くてとの先入観念を取り去ってくれたので、少し遊んでみた。残念ながら手元には修正版への資料もその音源も無いので、手っ取り早くCDやLPで順番を入れ替えて聞いてみた。

学術的な見解は別にして、作曲家が珍しく先人ブルックナーのように躊躇した軌跡も幾らか知れた。気が付くのは、まるでブラームスのようにぎっしりと書き込まれたスケルツォの居心地の悪さや正反対にアンダンテの希薄な一体感である。

アンダンテを第二楽章とした場合、その主題の変ホ長調「亡き子を偲ぶ歌 - あの子たちは一寸出かけただけなのよ」のキャラクターだけでなく、特にアルマの主題とされる第一楽章の三つ目のへ長調主題とこの楽章主題との親近性が薄っすらと浮かび揚がる。そしてこのように捉えると、この楽章は第五交響曲のアダージェットより遥かに具体的でエロティックに響く。そして、仕事小屋への往復の森の風景にも、静かで親密な夜の情景にも事欠かない。

しかし途中にスケルツォが先に挟まれると、アルマの動機は既に抽象的に一旦分解されてしまっているのでこの印象を更に次の楽章へと橋渡しするようなことはない。そしてアンダンテの後に置かれたスケルツォのトリオが、毎日山小屋へ作曲に通う作曲家を追掛けたであろう、二人の娘の乾いた砂の上のヨチヨチ歩きを表すとすると、リヒャルト・シュトラウスに勝るとも劣らない「家庭交響曲」の様相を呈する。

予断だが、リヒャルト・シュトラウスとグスタフ・マーラーは、ベートヴェンについて語り合っていたと記されている。前者は初期の作曲を、後者は後期の作曲を評価していたとある。

決して、なにもここで新ヴィーン楽派の後輩作曲家やアドルノが指すような自立的で構造的な抽象性を否定するのではない事は、改めて断る必要も無いだろう。しかし、上のように考えてもこのスケルツォ楽章に含まれるアイロニーやユーモワをなんと表現すれば良いのだろうか?



多感な若い才女を娶ると [ 女 ] / 2005-08-22
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オェツィーと現代の人々

2005-08-20 | アウトドーア・環境
昨年は今頃は、オーストリアのオェツタールに行く準備をしていた。一週間ほどそこに滞在して、山小屋から山小屋へと動いた。7人ほどの隊で技量も様々で思うような目標には迫れなかったが、継続した運動は健康的な思い出である。本年も同じような顔ぶれで一月前の7月に行われたが、目標について唾を飛ばして議論するのも馬鹿らしいので今回は遠慮させてもらった。一月早く行ったのは正しく、昨年は最終日に寒冷前線で積雪を見たが、今頃は断続的な降雪があるのではないだろうか。

写真は、オェツィーが見付かった小さな氷河を歩く現代の人々。そう言えば、DJ OETZI「Hey baby」が大ブレークしてからどれぐらい経つだろう。



6000年前の嗜好品
2004 09/02 編集

約6000年前の死体が雪の中から見つかったオッツタールの発見場所へと向かった。オーストリアからイタリアへの国境線を臨みながら小さな氷河を尾根を目指して登って行く。稜線の鞍部には、発見を記念した塔が立っている。実際に見つかったのは登ってきた氷河の上端で、両国間で帰属が議論となった。結局遺体は、インスブルックに運ばれて保存されている。オッツィーと名づけられたこの人物には槍の傷跡が残っていることなどから追われていたとする説もあり、この峠を越えようとしていた理由が様々に推測されている。何れにせよ可也薄い氷河の淵で見つかった。氷河の衰退が過去6000年以上嘗てなかったレベルに達しているのだろう。オッツィー君が恐らく南の谷へと目指した鞍部から500メートルほど離れた山小屋で、我々はワインリストを吟味する。南チロルのカルテラーゼーワインをはじめ軽めの赤ワインが並ぶ中で、同行者の一人は特別な白ワインが見つからないと愚痴る。咽喉を潤すだけでは、決して満ち足りない。オッツィー君の体内からも薬草かなんかの興奮剤が発見されたということである。



参照:
逃げた魚は大きいか [ アウトドーア・環境 ] / 2005-02-28
ハーブティーのミックス [ 料理 ] / 2004-12-04
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エゴの覚醒と弁証の喧騒

2005-08-19 | アウトドーア・環境
昨日の夕刻、ニュースをリーダーで見ていると登山家メスナーの弟ギュンター・メスナーの遺体が25年ぶりに見付かったというのが出ていた。第二報も読むと、今月になって8000メートル峰ナンガパルバットで登山者によって見付かっていたものをメスナー氏が現地で確認したらしい。何れにせよ所持品で確認したというから、凍っているとはいえ以前エヴェレストで見付かったマロリーの死体のように原形を留めていないのだろう。

1970年のナンガパルバット遠征隊の後続ザイルパーティーがメスナー兄弟を救助せずにすれ違いに頂上へ向った事の真相が、70年代の法廷闘争に続いて、三年前ほど前に再び争われた。何故ならば、新しく下肢の人骨が一帯から見付かったからである。それをインスブルックの大学でDNA鑑定した結果、弟の物である高い可能性を示したという。双方とも其々の書籍によって、お互いに非難し合った。このミステリーを詳しく知るには、メスナー氏の本かそれともすれ違いに頂上へ向った遠征隊仲間の本を読まなければいけない。

つまり、今回この骸が稜線から脱出の道を求めて一般ルートへと「強引に下った途上、雪崩に巻き込まれたとする弟」の物であるとすると、それを根拠としてメスナー氏は、「メスナーは、野心に逸って弟を置き去りにした」とする上の後続パーティー仲間二人を名誉毀損で訴えるとしている。

当時の状況はメスナー氏の本に、高所での極限状態から最終的に幻視・幻聴の世界へと這入って行くのが良く描かれている。メスナー氏は、1978年には、法廷闘争中であるにも臆せずナンガパルバットでの何回かの試みの後、麓から頂上までを一人で一気に登って降りてくるアルプス式の登山を成功させている。その後2000年には、56歳の欧州議員の登山家は、久ぶりに8000メートル峰へと戻る。ストラスブールの暗い議会場でも夢見ていたらしい。

そこで彼が見たのは、20年前に死に物狂いで谷へと降りて来た別世界から現れたような朽ち果てた登山家が見た荒涼とした深い谷とそこで暮らす素朴な牧童の村ではなくて、トレッキングや登山者の大時代的なベースキャンプの喧騒であったようだ。50年前の大登山家ヘルマン・ブールの偉業や20年前の悲劇の残像を携えて、頂上稜線で雪の大いなる抵抗に遭遇して退却する。この壮年登山チームは、携帯電話などを持参しなかったという。

110年前の最初の試みであった、マッターホルンのツムット稜の初登攀者マメリーが最初の行方不明になってからここでの犠牲者は絶えない。1934年の遠征隊の行方不明者ヴィリー・メルクルは、1938年の遠征隊によって死体として発見されナチの宣伝に使われる。この間二桁の死者を出してドイツ宿命の山と呼ばれる。1939年にはハインリッヒ・ハラーが参加して、帰路戦争勃発で捕虜になり、その後ダライラマと親交を結ぶのはハリウッド映画で御馴染である。戦後メルクルの弟ヘアリッコッファー率いる隊で、ヘルマン・ブールが指示を無視しての単独初登頂に41時間の死闘を繰り広げる。このヘアリッコッファーは、再びメスナー兄弟が参加する新ルート開拓遠征の時の登山隊長となり、上述の事故後1970年代に管理責任を裁判で訴えられる。

第三報:メスナー氏の代理人は、頭蓋骨は未発見であるとした。更にこの問題の人骨は、4600M付近のディアミールサイドのベースキャンプで見付かったとされている。7000M付近からの雪崩で流されたとしている。一方、争っているハンス・ザーラー氏は、遠征先のボルヴィアから代理人を通じて「馬鹿馬鹿しい証明」と言う。何故ならば、このサイドで若し遺体が見付かったとしても「功名心奔れて頂上へと向ったラインホルトに一人残されたギュンターが下降途中に尾根の反対方向に落ちる可能性はある」からだとしている。



参照:涅槃への道 [ 文学・思想 ] / 2004-11-23
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吐き気を催させる教養と常識

2005-08-18 | 文化一般
他人の家庭の内情を見るほど鬱陶しい話も無い、またその好奇の目線ほどムカムカさせるものも無い。数年前に好評の内に終えた独第一放送のドラマ「マン家の人々」の余波を受けてか、クリスチャン・ブーデンブロックこと通称フリーデル伯父さんまでが研究対象となっているとなると、尚更鬱陶しい。「何もかも吐き気がする様に日記にも吐き気がする。」と、その日記の内容が最も話題となっている作家トーマス・マン本人のように。

このような「 文 学 研究」が進むと、どうしても第二文学と云う何処か懐かしい言葉が聞こえるようになる。これが、また研究の質を阻害するという。娯楽音楽(U- MUSIK)と第二文学と云うような古くて新しい言葉が語る憂慮を、研究者の口から聞くとなると、余計頭が痛い。なんでもない、我々はその憂慮を研究して欲しいのである。

ドイツで最も高名な音楽評論家ヨハヒム・カイザー教授の著書「私の大切なもの」に、マンの日記が触れられている。そこで特に面白いと思ったのが、マンの日記に書き込まれていた音楽愛好を指してか、マンの音楽への造詣をアマチュアとして定義している。そして、これが小説「ファウスト博士」では馬脚を露しているが、若しこれがアドルノの様に教育を受けたプロフェッショナルだとすれば、遥かに危険な状況に陥っていただろうと推測する。

マン自身が死後の日記の公表に期限をつけたことと並んで、ドイツ文学のガリオン像になる事を避けようとした遺志は、作曲家ヒンデミットなどの意志にも通じる。

我々が様々な経験から知っているのは、同時代の像から次世代は衣を剥いで、そしてその像は叩かれ撫でられ傷つきながらも我々の手元に引き摺り下ろされる。この過程を、時間を置いた客観化と云うことが出来る。そして歴史の中で、この手垢で汚れ、または剥げた像を修復したり掃除しながら扱う事になる。

リヒャルト・ヴァーグナーの作品は、妻コジマや本人が何を書こうがアンチセミティズムを代弁していないのと同様に、トーマス・マンの作品は、本人の言葉を借りれば「私の書物が在る所にこそに私が居るのです。それらは、なんと言っても蒸留された私の最高の物です。」となる。

それで現状のような作品を取り巻く全てが、認知される過程は-人類の「真実(ステレオタイプの常識・教養)」となる過程は-、本人によって日記の封印の束の上に次のように書き指示されている。:

<Daily Notes from 33-51. Without literary value, but not to open by anybody before 20 Years after my death.>

ここにも、誤訳されたファストフード風村上春樹文学をエロ文学として寵愛し、夏休みをザルツブルクの古城で愉しむマルセ・ライヒ・ライニツキ氏が娯楽小説として評した「トーマス・マン文学」の真髄を再確認出来るのでは無いだろうか。



参照:
死んだマンと近代文明 [ 文学・思想 ] / 2005-08-14
否定の中で-モーゼとアロン(1) [文学・思想]/2005-05-02
マイン河畔の知識人の20世紀 [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
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他所の食堂に求めるもの

2005-08-17 | 料理
今まで前を通っていただけのワイン蔵出しレストランに入ってみた。と言うのも、友人が 推 薦 し な い レストランだったので余計に興味があった。何故ならば、彼の評価の偏向を良く知っているからである。予想通り、思わず嬉しくなるほどに、満足出来る夕食を楽しめた。

なんといっても満席に近い広い食堂は、日曜日の夕餉時としては珍しい。それだけでも十分に期待出来る。案の定、品揃いも、安い料理から栄養一杯の料理まで魚を除けば多様で、そのうえ日代わりメニューまである。

料理の傾向を言うのは容易くない。家庭料理としても月並みで、出来合いのソースなどを使って作るのも面倒なドイツ料理や地方風料理が、蔵出しワインに合う様に調理されて提供される品書きである。ワインに舌鼓を打つ大人が嬉しいだけでなく、子供や若人にはご馳走に映る品書きである。ワインレストランでも樽ビールがあることもレストランとしての質を示しており、大食堂の体が嬉しい。

それでは、何処に友人との見解の相違があるかと言うと、彼はこういう食事を家庭ではそれ程に与らないにも拘らず、レストランでは少し違うものを食べたいのである。つまりそれは、家では煮れない煮豚頭でワインを飲むとか、もしくは家では与らない獲れたての鱒を食べるとか、そのような特別な料理を望む。するとどうしても細々とやっているワイン農家の蔵出し食堂とか谷間の行き着けレストランとか、食べ残しを家で楽しみにビニール袋で持ち帰りの大食いの店とかギリシャ料理など異国料理が彼の好みという事になる。だから上述のような大食堂や美味いワインの飲める蔵出し酒場もワインレストランも、彼にはあまり好まれない。

大食堂の料理は、レシピーが確りしていて流れ作業になる、するとどうしても万人向けの味付けになる。平素から万人向けの味に慣れていると、外食ではこれを避けるようになるのだろう。逆に平素から余りそのような味付けやソース類を口にしていないと、安く美味いものを時々口にするだけで十分に満足して、雰囲気よりも味には無頓着になる。簡単な外食で繊細で美味い料理と酒を飲むことは、端から不可能と考えると、それ以外の要素の方が重要となる。それでもそのような大食堂で客の回転の利を生かした品書きに、普通では与らない様な珍しく美味い料理が見付かると得をしたような気になる。



参照:小市民の鈍い感受性 [文化一般] / 2005-07-10
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