Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

エポックメーキングなこと

2017-12-02 | 文化一般
3SACDと1DVDのセットが配達された。2014年にドナウエッシンゲンで行われたもののライヴ物で、記録的価値しかないもので、四枚組で20ユーロは決してお得ではない。それでも発注から四週間待ち続けたのは、DVDに入っているステーンアンデルセンのピアノ協奏曲を見たいばかりだったからだ。2016年にフライブルクでの再演を経験して、シェーンベルクのピアノ協奏曲それ自体を含めてそれ以降のこのジャンルにおけるエポックメーキングな作品ではないかと感じたからだ。そもそもその期間にまともにこのジャンルで創作されたことがあるのかどうか疑問であった。それはまさしくそのシェーンベルクの作曲にもそれが示唆されていた。

そもそもこの創作自体がフルクサスのまとめの様なマルティメディアの創作なのだが、その冒頭のピアノ破壊の映像やそのサウンドトラックだけの効果には止まらないサムプリングと映像の組み合わせがあり、言うなれば過去数十年間のそれらが統合された形になっている。

残念ながらコンサートを体験してから主催者のSWRのHPを探したが、こちらが見たい場面は見つからなかった。音楽的な核心部に近いところでもあるが、映像的にもユーモアに溢れてまさしくフルクサス的なそれからは最も遠い世界の場面だった。映像技術的には特別難しいことをしているのではないが、そのサウンドトラックの付け方と全体の音楽構成が並々ならぬ才能を思わせるのだ。

先ずはそのDVDをPCに入れるが映像が開かない。仕方がないので所謂リッピングソフトを使う。綺麗に読み取って、HDDにコピーする ― 簡単に読み取れるようにしておかないから余計に皆がこうしたソフトを使うようになる。今時DVDプレーヤーなどを購入する人がいるのだろうか?このDVDが見れない限り2013年の4枚組SACDと同じ価格で2014年のそれを購入する必要はなかったので、無事にコピー出来てよかった。なによりもピアニストの鏡像の様な親爺の顔に再会出来た喜びに満ちた。

しかし演奏も音質も再演には全く敵わない。演奏も再演で慣れていることにもよるのだろうか、その迫力が全くこれでは伝わらず、音の厳しさが全く違う ― これでは激しいトリルと特殊奏法の後でこちらを向く鏡像のピアニストと二度目のベートーヴェンの調べでこちらを向くときとの対照効果が薄れる。それはあのドウナエッシンゲンの会場とその録音の質とフライブルクのコンサートホールでの実演との差でもあろう。なるほど純器楽曲として同じロート指揮SWRバーデンバーデンで再演した微分音調律した四つのピアノためのハースの曲とは異なり、伝統通りのピアノ協奏曲でもあるのだが、殆どが特殊奏法の手袋を嵌めた打鍵かトリルなのだがまさしくピアノという楽器のための協奏曲である。
Simon Steen-Andersen - Piano Concerto (for piano solo, sampler, video and orchestra) (2014)



どうも来年にはミュンヘンの後継者が決定するようで、恐らくウラディミール・ユロウスキーとセルジュ・ドルニーのコンビになりそうだ。指揮者では、パパーノやネルソンズ、メストとの接触はあったようだが、最初のはコヴェントガーデンからの乗り換えにもあまり興味が無さそうで、最も楽団に人気のあったネルゾンズは他と競合となり、メストは人気もあまりなかったようだ。後者のモルティーエ門下のドルニーの方はドレスデンのティーレマンなどとは合わないのは当然で、ユロウスキーとはグライボーンやロンドンフィルでの協調から二人を組合わせでということになりそうだ。

個人的には、CDや録音などでパパーノのオペラ指揮者としての実力は評価してもその指揮のためにミュンヘンまで行くことは全く考えられなかった。ネルソンズはゲヴァントハウスの管弦楽団で先ずは真面なプログラムで演奏を聞いてみないと、そのオペラでの興味は起こらない。メストがミュンヘンで学びながらヴィーンに拘る理由もあまり理解できないのだが、ミュンヘンではやはり難しいと思う。しかしユロウスキーとドロニーの組み合わせでの企画によっては行きたいと思わないでもない。

寧ろ、ペトレンコ音楽監督体制ではどうしても音楽至上となるので、モルティエー体制であったような劇場としての面白しろさまでには至らなかった ― その点からもキリル・ペトレンコは全く劇場指揮者ではなくコンサート指揮者であることは明らかだ。バーデンバーデンでのスーパーオパーに期待したい理由はそこにもある。その点、ユロウスキーの技能的な秀逸さには疑いなく、一見更に地味乍らとんでもない効果を奈落から引き出してくれそうで、音楽劇場として更なる進展が期待できそうだ。恐らく「伝説的指揮者」が築いた土台を継いで、音楽劇場として開花させるのはこの二人しかいないように感じ出した。



参照:
MACHEN DORNY UND JUROWSKI DAS RENNEN?, IM GESPRÄCH MIT BERNHARD NEUHOFF (BR-Klassik)
広島訪問と米日関係のあや 2016-05-16 | 歴史・時事
逆説の音楽的深層構造 2017-10-04 | マスメディア批評

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クリスマス向きのリスト | トップ | 次世代への改良点 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿