Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2008年2月

2008-02-29 | Weblog-Index



まま燃えさせておこう [ 生活 ] / 2008-02-29 TB0,COM0
午前一時の騒々しい夜 [ 生活 ] / 2008-02-28 TB0,COM0
西洋酸塊の棘にやられる [ 試飲百景 ] / 2008-02-27 TB0,COM0
掛け値無しのLA大舞台 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-26 TB0,COM4
計画後のルーティン行動 [ 生活 ] / 2008-02-25 TB0,COM4
裁判所の裏のマンホール [ ワイン ] / 2008-02-24 TB0,COM4
格差是正への熱い圧力 [ 雑感 ] / 2008-02-23 TB0,COM2
場所を定める比較対照 [ ワイン ] / 2008-02-22 TB0,COM2
楽天主義が支配する時代 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-21 TB0,COM2
68年への総括の道程 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-20 TB0,COM2
西日のあたる森の開花 [ 暦 ] / 2008-02-19 TB0,COM2
裏町のパブリックな対応 [ 試飲百景 ] / 2008-02-18 TB0,COM2
松陰の記憶のカーペット [ BLOG研究 ] / 2008-02-17 TB0,COM2
似て非なる地方の名物 [ 料理 ] / 2008-02-16 TB0,COM2
北から張り出してくる寒気 [ 暦 ] / 2008-02-15 TB0,COM0
出稼ぎ文化コメディー映画 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-02-14 TB0,COM2
反面教師にみる立ち位置 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-13 TB0,COM7
牛褒め上手の子を褒める [ 生活 ] / 2008-02-12 TB0,COM0
月謝先払いする酔狂かな [ ワイン ] / 2008-02-11 TB0,COM2
安全保障に反する支援 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-10 TB0,COM0
熱い猜疑心の過熱と着火 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-09 TB0,COM2
模範的オルツヴァイン [ ワイン ] / 2008-02-08 TB0,COM0
ブレッツェルピーの脚質 [ 生活 ] / 2008-02-07 TB0,COM10
謝肉祭の熟れた火曜日 [ 試飲百景 ] / 2008-02-06 TB0,COM4
硬くクネーデルンする [ 料理 ] / 2008-02-05 TB0,COM2
誠心誠意批判するとは [ ワイン ] / 2008-02-04 TB0,COM2
引き出しのグラフ配列 [ BLOG研究 ] / 2008-02-03 TB0,COM2
誕生日ワイン会の計画 [ 生活 ] / 2008-02-02 TB0,COM2
袋を抱えた渡り学生寮 [ 生活 ] / 2008-02-01 TB0,COM6
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まま燃えさせておこう

2008-02-29 | 生活
発生の2003年を2004年と訂正して、その時の火事の記録にリンクを張る。VIDEOを撮影していたのだが、流石に今まで公開出来なかった。

YOUTUBEになど公開するつもりはないが、あの不思議な間隙を伝えているVIDEOを今ここに公開する。既に燃えた家は、そのまま改装されている。

それにしても、あの熱気と木材などが燃えて弾ける音は今でも生々しく想う。燃え盛るままに静まっていた町は不気味ですらある。

愉快犯の放火が、病的な傾向をもって、火を放つのも、こうして経験すると、なるほどと分かるような気がするのである。燃えるまま燃えさせておこう。



参照:
子供提灯行列 [ 暦 ] / 2004-11-12
魔に憑かれたような時間 [ 生活 ] / 2005-05-30
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午前一時の騒々しい夜

2008-02-28 | 生活
二日続けて夜中に目が覚めた。前日は食事の時刻や飲酒の仕方が浅い睡眠を齎したので自業自得でしかたない。しかし昨晩は、八台以上の消防車のサイレンで一時ごろに深い眠りから叩き起こされた。


騙し騙し、近くはないと思っていると、青いちかちかとした非常灯が目に入って起きざるを得なかった。窓から覗くと既に白い水蒸気状の煙が黙々と上がっている。

眠い目を擦り、眼鏡をかけガウンを羽織、再び窓を開けると幾らか煤臭い匂いが強い風に吹かれて感じられた。駆けつける消防車が路地を曲がるときに路上駐車の車を壊す破壊音が聞こえ、更に数台の消防車が駆けつける。

百五十メートルほど先の現場は明るく投光器に照らされているが、煙も少なく、火の手も見えない。鎮火のようだが、シャンペン工場の出荷倉庫からシャンペンの瓶が大量に動かされる甲高い音が続く。

その音を聞きながら風に吹かれていると流石に完全に目が覚めた。結局一時間ほどシャンペンの瓶の音が辺りに鳴りひびき、そして元の静寂に戻っていった。

前回の火事は2004年5月のことであった。今回は小火とは言いながら、こんな小さな町の割には比較的多く火事騒ぎを経験している。さて、ルートヴィヒスハーフェンの九人死亡の火事原因はどうなるのだろう。

結局再び寝付いたのは、夜中の三時過ぎで、朝八時には国際電話を掛けなければいけなかった。本日はグッスリと寝させてもらえるだろうか?
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西洋酸塊の棘にやられる

2008-02-27 | 試飲百景
またしても、失敗をやらかした。被害は無いと言えば無いが、集中力がなによりも欠けているのである。

今日も色々なことをいっぺんに片付けようとして、頭に行動を描いて出かけたのである。

なにも緊張することのないルーティンな用件を予定通りにこなして、またまた試飲室にやってきた。

そして連絡を受けていたお目当てのソーヴィニオン・ブランを試飲する。スグリの香りが漂い、外の天気がもうひとつなのが恨めしいほど、気持ち良い初夏の太陽を感じる。もう四週間ほどすれば尚素晴らしくなると言う。瓶詰めから既に四週間、そして更に四週間、すると春たけなわである。

昨年は四月に電撃的に販売されて、瞬く間に売りきれた。今年はまだ暫らく入手可能の様である。

それから、膨らみがありながら清潔なフォルスター・シュティフト、苦味があって構築性のあるエルスター、少し甘みの勝つファインヘルプのヴァッヘンハイマー・オルツヴァイン、どれも2006年度産より良さそうである。

しかし、評価を下すのはまだ早いと諌められ、エルスターが最も既に落ち着いているが、シュティフトなどは早過ぎると言う。

先回に購入したミュラー・テュルガウがイタリア料理などにはかなり良かったので、ソーヴィニオン・ブランにそれを二本ほど混ぜる。

さて、想いは叶い、試飲などをしている内に、頭の計画図がぼやけてくるのである。大型トラックの後ろに付いて路上駐車の車を避けている内に最後の目的地の床屋を通り過ぎていた。

入店前に財布を確かめ細かなコインを見る。ほろ酔いでもないのに、床屋の回転イスの上で喋り尽くして、支払いを済ませようとすると、コインを見間違えしていて、40セント不足していた。

「次の機会でええよ、態々来ないで良いから」と、またしてしくじりでこうして一日が終わった。



参照:
計画後のルーティン行動 [ 生活 ] / 2008-02-25
裁判所の裏のマンホール [ ワイン ] / 2008-02-24
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掛け値無しのLA大舞台

2008-02-26 | マスメディア批評
AP通信が三浦さんのことを世界に流している。雄一郎よりも和義の方が遥かに報道価値があるに違いない。後者の独特のキャラクターを改めてアーカイヴVIDEOにみると、これから恐らく始まるであろうロスアンジェルスでの大舞台での裁判劇は、日本では当然のことながら、LAから暫らくは世界に話題を振りまくに違いない。

CNNにおいてもシンプソン騒動の時に、ライヴの法廷劇が流れっぱなしになっていたが、所謂ロス疑惑での日本のマスメディアの過熱振りは当時を知る者には忘れ難い。ネットには、当時の状況を振り返ってその国民心理のようなものを非難しているものもあったが、さてどうだろうか?

今改めて、最初にTV視聴者が三浦さんを見かけた病室や事件現場でのインタヴューや米軍のヘリコプターを迎えて駆け寄る姿を繰り返しみると、その声を微妙に上ずらせての大変オーヴァーな言動はどうして大変興味深い。それが殆どの人に不審を抱かせる映像だったのは間違いないが、一方表向きは気の毒な被害者として迎えられたと現在でも記述されている。

当時の日本のマスメディアのパパラッチ振りを思い出して、編集されているとは言いいながらも、その後の会見の表情や昨年の窃盗の現場VIDEOなどを見れば、なるほどこれほどメディアにとっては商売のネタになる人物もないと思い知らされる。最も近頃は同姓同名のサッカー選手の方が有名と書かれてはいる。

昔話の「狼少年」の如く、人の注目を集めるための狂言癖や盗癖などというかなり本質的な人間性が、マスメディアを使う愉快犯であり同時に冷血な人間性を加味しているとすると、マスメディアにとってはそれほど面白い対象もないであろう。

そうした人の好奇心を刺激して発行部数や視聴率を上げるべく面白おかしく扱うのが、ブルーヴァード紙や三面記事新聞であり、今や速報性の機能等をネットに奪われたCM収入で息を繋ぐTVでしかないありえない。

しかし、一方でこうした特異な人間の行動を社会性のある事件として扱うなど、「自ら報道と呼ぶ狂言」を演じるマスメディアが存在して、エンターティメントを社会的事件として扱う大衆新聞などがあることに留意したい。

そうしたメディアは、生まれてこのかた、その商業的な機構によって資質が定められているのであり、如何に批判されようが、倫理に反しようが、なんら苦にかけないのである。これをして、消滅するまで変わりようがないマスメディアの犯罪癖と呼べるのではないだろうか?



参照:
ロス疑惑 時効の壁も問われている - 産経新聞 (2008年2月26日)
三浦元社長逮捕 偏見なく見守りたい - 中日新聞 (2008年2月25日)
ロス疑惑 2国間捜査のルールを明確に - 毎日新聞 (2008年2月25日)
ロス疑惑 27年前の事件に米当局が動いた - 読売新聞 (2008年2月25日)
投資家の手に落ちる報道 [ マスメディア批評 ] / 2007-06-01
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計画後のルーティン行動

2008-02-25 | 生活
初めてクレジットカードを紛失した。無くなっていたのは微かに気がついていたが、確かめずに二三日放って置いた。最後に使った場所は判っている。買い物のついでに気がついて直ぐにそのガソリンスタンドへと走った。

そこで確かめると、カウンターの前の喉飴の中に落ちていて、直ぐにカード会社に電話して停止して切り刻んだと言うことであった。そのまま返してもらっても良かったのだが、模範的な対応だったので感謝するしかなかった。

それからカード会社に電話して、早急に再発行して貰うように依頼した。電話の相手に状況を手短に説明すると、幾らか強圧的に響くスラブ訛りのRの発音で所定の事を尋ねられ、すんなりと要を得た。

店の者は、名前やサインではなかなか判定出来なく、写真が付いているといっても他人が使えてしまう可能性は高いと言う。

一日に幾つかの要件が重なっただけでしくじりをやらかしてしまう。ルーティンとなる場合は問題がないのだろうが、最初から最後までが多くの新たな事象に遭遇するとなると、何処かで誤りを犯すことがあまりにも多すぎる。以前あったチューリッヒの一日の車の鍵の閉じ込めもそうであった。

それも今回は帰りにいつものように燃料が底につきかけていることが判っていての、緊張アウトバーン走行で、給油後に店の者と燃料代のことを話していて余計に気が解れて仕舞っていたようである。



参照:
あぶら汗掻く暖かい午後 [ 生活 ] / 2007-02-02
困った時の時計職人の技 [ 雑感 ] / 2005-04-07
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裁判所の裏のマンホール

2008-02-24 | ワイン
先日二時間ほどかけてセントゲリヒトと呼ばれる地所を歩いた。もともと、裁判所の建物を囲むように、二十世紀の初頭ダルムシュタット公がワイン作りに、新種の種をここで栽培したようである。

土壌的には特に特徴があるとは思わないが、そのような按配で適度な傾斜や西日の当たる地形は植物にとって好都合なのであろう。それに夜間の冷えも充分に期待できそうなのである。

下から見ると上部のシュテムラーやシュタインコップも一望出来るのだが、とそこを歩き出すと位置が分かりにくくなるのである。

さてそこで2006年に収穫されたリースリングを試してみる。第一印象は、赤ワインとも共通するあまり愉快ではないマティニーのベルモットのような土壌の味であるが、酸味がスモモの甘露煮風に甘みをもってひろがる。そして、口の脇に残る酸に再び舌や口蓋につく味に土壌の特徴が出るという感じである。

食事も燻製類などが合いそうである。飲み残しを飲むと上の特徴が強調される以外に、へこたれ方も比較的早い様子で価格6ユーロ60セント相当である。

山を一回りしてきて下から写真を取ろうとして、マンホールの上に乗り移ると、マンホールの蓋が見事にひっくり返る、その中に落下した、カメラを握りながら、何かにつかまると葡萄の棚の針金で手の甲の親指と人差し指の間に5センチ以上の擦り傷を負った。落ちた右足の脛を強く打ち、左足の片膝を立てると、下は十メートルほど深かった。幸い、何もそこに落とす事はなかったが、大変危険な撮影であったのだ。

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格差是正への熱い圧力

2008-02-23 | 雑感
先日ある会合でケーラー大統領を褒める者がいた。選出時の政治的な不信感に関わらず思いのほか良い大統領になったと言う意見であった。ここでもエリート教育問題を移民問題に絡めてそのインタヴューを紹介した。

そして今週も様々な時事問題がニュースとして流れた。コソヴォ独立やトルコのイラク侵攻などは限定的とは言え世界情勢をよく示しているようにも思える。

相変わらず、新聞の片隅にはHASS(嫌悪)と大書きされたトルコ人住居の不審火などが小さく報じられている一方、先日のルートヴィヒスハーフェンでの調査結果が来週にでも発表されるようである。

もし、政治的な放火が確認されれば、一大政治問題となり、ドイツ社会が新たに熱せられるに違いない。ゾーリンゲンでの放火事件の際も市民によるキャンドルの輪などがこの町でも呼び掛けられたが、今回は近隣のことであり、「犯人探し」と共に前回以上の運動にならなければ不思議なのである。勿論当時の社会状況とは打って変わって、こうした反社会的な行動が政治的な基盤となる様相は皆無なので、その「本当の犯人」を追求するのはむしろ困難を極め、市民の態度も自らに働きかけるよりもトルコ系市民等との連帯を示唆して、最終的にはヘッセンで下されたような政治的な判断を示すしかないであろう。結果を固唾を飲んでいると言っても良いかもしれない。

最も新しい政治意識調査では、左派党の躍進が引き続き確認されて、東ドイツでは30%と堂々の第一党となっている。更に、ヘッセンの選挙などで確認されたように西ドイツでも社会の不公平是正を訴えたその声は強く受け止められて、8%と勃興している。

連邦共和国全体でも第三党を狙う勢いで得票率11%辺りを自由党FDPと争そっている。それに引き換え28%と伝統的国民政党社会民主党SPDの凋落傾向は止まらず、シュレーダー政権でその伝統に終止符を打ったような感すらある。その理論的な政策も実際の支持組織も双方とも時代遅れの感さえあって、EU内で共通しているように見えるがどうだろう。

ヘッセン州議会も再選挙の可能性もある不安定な政治地図は、総合して左翼勢力の増大とキリスト教民主連合の国民政党としての貧弱さから、今後とも当分は選挙の度に繰り返される様相となりそうである。

G8などで国際ファンドの規制などが協議されていてもその効果が表れないうちは現在の左派党の躍進は止まらず、強い野党として立場を誇示するように思われる。それほどに、グローバリスムの新自由主義は嫌悪されているに関わらず、未だに効果ある政策や秩序を取り返せない保守政党は、今後メルケル首相が候補の時のように再び左派と対決する形で自由経済主義を謳うのは不可能に思われるがどうであろう。その分、自由党が今後も支持を拡大させそうである。

反対に、35%の得票率のキリスト教民主同盟CDUが「真ん中」に位置して、国民政党として政権をになうためには、現在のベルリンの大連合下のメルケル首相が行うような舵取りが今後とも要求されそうである。要するに自由党よりは遥かに社会主義を貫いて行く必要が生じる。その場合、外交的にはパートナーであるバイエルンのキリスト教社会同盟やローラント・コッホのような発想は押さえていかなければ、広い支持層を獲得出来ないに違いない。

そのような意味合いからもSPDは、先ずは左派党との間の境界線を整えて差別化しなければいけなく、現在の大連立第二党の立場ではあまりにも困難でしかないだろう。



参照:
Die Sogwirkung der Linkspartei, Professor Renate Köcher
得票率グラフ表示, FAZ vom 20.2.2008
脱思想・脱原発・脱体制 [ 歴史・時事 ] / 2008-01-29
ローランド・コッホ負ける [ 生活 ] / 2008-01-28
反面教師にみる立ち位置 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-13
保守的な社会民主主義 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-13
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場所を定める比較対照

2008-02-22 | ワイン
歩いたワインの地所の印象を残しながら赤ワインを試飲する。ピノノワールもしくはシュペートブルグンダーは赤ワインとは言いながら土壌の味が最もワインに出易い。

既に書いたようにオーデンヴァルトの盛り上がりは、貝殻層に砂や泥のローム層が乗っていて、ワイン土壌としては一般的にはつまらない。ダルムシュタット周辺では火山性の隆起もあるようだが基本的には、石灰質が上に出るぐらいの単調な土壌である。

そのような理由からシュペートブルグンダーは、リースリングとも代わり映えしないが、それはそれなりに特徴がある。推測するに砂地層がこの葡萄の生育に寄与しているものが多いのだろう。

細かくは確認出来なかったがセントゲリヒトの斜面の中には乾いて白っぽい珪素の比較的多い土壌が乗っている場所もあり、こうした土壌がベルクシュトラーセに散在する限り同様な特徴を持つ赤ワインが期待出来るのである。

今回開けた2005年産のシュペートブルグンダーは、少量の飲料でも腸が痺れる程のタンニンが強く利いているが、アルコール臭さにベリーの香りが旨く隠れていて、甘さを全く感じさせないのが良い。

実はこれを書きながら同じ地所のリースリング・キャビネットを開けた。それについては改めて記すとしても、やはり土壌の味が顕著にそして微細に出るのはリースリングワインであり、その味を参考にして再びピノノワールを吟味するとその特徴が浮かび上がってくる。

要約すると、ミネラル質の味のきらめきが薄い分、果実風味などがそれに変わって表に出てくるとどうしても甘みを感じるのだが、これらのワインにはそうした柔な味はなくて、あくまでも土壌の味が深く潜んでいるのである。

その味は、モーゼルのスレートでもラインガウの花崗岩質でも、ナーへの火山性でもプファルツの雑食砂岩でもないどんよりとした灰色っぽい味なのである。それでも最も一番近いのは、ラインガウだろうか。

翌日になって、古くなったバナナの香りが出てくる一方、新鮮な香りが消えると、些かとっつきが悪く仏頂面のワインとなる。これに更に旨味をつけるとザクセン地方のシュペートブルグンダーにも似ている。

だから、このシュペートブルグンダーは、味の強い鹿料理やイノシシ料理にはもってこいであり、肉の苦味をすっきり消してくれるのである。バーデン地方のカイザーシュテュールの火山性の土壌の赤ワインも捨てがたいが、食事をもっとも楽しませてくれて、赤ワイン独特の胸が一杯になるような重さを感じさせず且つタンニン豊富で深みのあるベルクシュトラーセのシュペートレーゼは最もブルゴーニュに近い食事に嬉しいドイツの赤ワインではないかと考えている。



参照:
裏町のパブリックな対応 [ 試飲百景 ] / 2008-02-18
西日のあたる森の開花 [ 暦 ] / 2008-02-19
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楽天主義が支配する時代

2008-02-21 | 歴史・時事
承前)新聞記事を読んで要約を書きながら、いつまでも気になることがある。マン事件からその後の1968年紛争への問題もあまりにも多様で、なかなか手がつけられなかったばかりか、次から次へと気になることが出てくる話題である。

1933年の楽天主義に関しても、frostcircusさんからコメントで、指摘されたのでこれも上の記事に戻って、そこから逸脱しない範囲で書き逃していたことを要約する。

ラインラント・ボンは、そもそもプロイセンの帝国の地方として、また第一次世界大戦の敗戦によるヴェルサイユ条約で非武装緩衝帯にあり、国家社会主義が支持され易い地盤にあった。だから自治の大学と言えどもこの影響は受けていたと考えられる。

さらに1933年になってのプロイセン文部省の再編成に伴う予算の削減が、ボンの哲学学部を直撃した背景がそこにあるようだ。1935年の学部長選挙は否定され、1937年には文部省から派遣されたナチ親衛隊のシンパであるカール・ユスティス・オベナウワーが学部長に全会一致で着任している。

その間の1936年12月19日付けでトーマス・マンの名誉博士号の剥奪が決定されているのである。表向きは、既にチェコの市民権を獲得していたマンがドイツ国籍に相当しないという説明が付け加えられている。

そうした亡命を含む多くの関係者は、既に戦後直ぐの1945年、1946年にはあらゆる名誉回復が試みられていたのであるが、1960年代にはそれが既に忘れ去られていたとされる。

同時に、1958年に提議された非常事態法が、社会学的にヴェルナー・マイホファー、トーマス・エルヴィン、ユルゲン・ハーバーマスなどの専門家の強い反発を招いて、1965年5月にボン大学に1100人を集めて「非常事態における民主主義会議」が開かれる社会情勢を加味しておかなければいけないだろう。

これを以って、1933年と1945年に蔓延した楽天主義の様相の一部を垣間見得たのではないだろうか。

Change, we can believe in!



参照:
安全保障に反する支援 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-10
脱構造の日の丸の紅色 [ マスメディア批評 ] / 2007-12-12
希望へ誘うオバマ候補 [ 雑感 ] / 2008-01-15
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68年への総括の道程

2008-02-20 | 歴史・時事
68年問題の一つの考え方がここにある。FAZの記事として彼此二月も前に載っていた記事である。戦前のトーマス・マン事件に対するボン大学の総括を巡っての議論である。

その詳しい状況は何冊も本を漁らなければ判らないが、幾つかの重要な現象を追うことも出来、尚且つ68年の学生運動へ向けての核心をそこに見る事も出来るようである。

戦後のドイツの歴史を見るときには、復興期のアデナウワー保守政権とシュピーゲルスキャンダルというような防衛機密漏洩の反逆罪に問われた多くのジャーナリストの「報道の自由」を護った強い意思を抜きにしては語れない。それは同時に所謂学術文化における連邦共和国の実力を象徴しているかのようである。

そのようにこの名誉博士号を剥奪されたマン事件の総括は、なにも中世からの長い歴史を持つ大学府の自治権問題のみならず、大衆化への流れにあった高等教育の場でのエリートの使命でもあったと言えるだろう。

ボン大学の校風が他の南や北ドイツのそれとは異なり、近隣の中央党支持者の多いカトリック圏ケルンのそれとも異なっていたのは想像し易い。そうした中で、1933年から1945年にかけて大学を去ったユダヤ人学者やカトリックの物理学者ハンリッヒ・コーネン、またバーゼルへと追いやられたプロテスタントのカール・バルトなどが、ナチスを認めずに反体制派の学者となる一方、ナチスの旗を掲げハイル・ヒットラーと挙手をして大学に残った学者がいたのである。

彼らは、多くの公務員がそうであったように戦後も居続けていたのであるが、1964年10月のツァイト紙の告発によって、新たに学長となったゲルマニストのフーゴ・モーザーが先ず槍玉に挙げられた。そしてドミノ崩し的に連鎖して過去が暴かれる事となったのである。

学内での様々な議論と声明から一旦終結に向ったようだが、それを「ナチス時代のあらゆる学術的な研究の責任を解除する行為」としてロマン学者ハリー・マイヤーが批判したことから再び火の手は昇った。1865年以後ボンの哲学学部において最悪の時とする批判から、本来あるべきヒューマニズムの牙城としての大学が強調され、教職陣のナチ協調の責任が再び指摘される事となる。

こうした議論は、最終的に学術的には非常事態における立法議論に導かれるのは予想通りであり、それは非常事態における執行力の崩壊の可能性を連邦共和国においても顕著化させる。こうして上のシュピーゲル・スキャンダルの法治国において、ボン大学の63人の教授陣は厳しく批判されることになる。

そうした反応の中で、1966年には当事者のヒュービンガーによってトーマス・マン事件が纏められて、ボンにおける特異性が明らかにされるようだが、そこではトーマス・マンの、プロイセン帝国で好んで読まれた第一次世界大戦後の「ブーデンブロック」を非政治的に扱い、やはりボン大学長の子息クルト・ヴォルフが同時期に出版した「ウンテルタン」を著した兄のハインリッヒとの諍いが強調されている。

その報告書の後書きにて、ボン大学の哲学部の「罪」ではなく事件を導いた「責任」が指摘されるのみとなっているようである。こうした1964年から1966年にかけての執行猶予の事態が、来る1967年から1968年のさらに大きな紛争を招いた状況が示されている。

1933年と同じように1945年のオプティミズムが支配していると、ハリー・マイヤーが指摘したようだ。当時若きユルゲン・ハーバーマスは、この騒動に直接関与しているようである。


追記:楽天主義が支配する時代 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-21



参照:
Thomas Mann und der Fall der Universität Bonn,
Matthias Pape, FAZ vom 15.12.07
「実録・連合赤軍―あさま山荘への道程」 (ベルリン中央駅)
異端への法的社会正義 [ 女 ] / 2007-02-20
疑似体験のセーラー服 [ 歴史・時事 ] / 2005-06-12
ポスト儒教へ極東の品格 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-05
痴漢といふ愛国行為 [ 雑感 ] / 2007-11-26
死んだ方が良い法秩序  [ 歴史・時事 ] / 2007-11-21
天皇陛下のための硫黄島 [ マスメディア批評 ] / 2007-02-23
野蛮で偉大な時の浪費 [ 歴史・時事 ] / 2006-12-06
福音師の鬼征伐 [ 文学・思想 ] / 2006-10-14
投資家の手に落ちる報道 [ マスメディア批評 ] / 2007-06-01
近代物理教の使徒の死 [ 文化一般 ] / 2007-05-02
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西日のあたる森の開花

2008-02-19 | 
土曜日には既にこうして開花していた。オーデンヴァルトのヘッペンハイムにあるワイン地所セントゲリヒトで写した。日陰は、水で路上が凍結しているに係わらずである。

朝晩は、零下の日々が続いているが、日差しが強く、サンルームなら気持ち良く裸で日光浴が出来そうである。

オーデンヴァルトは、プフェルツァーヴァルトとライン平野を挟んで向きあって、南北に伸びている。ライン河の右岸がバーデンヴュルテンべルク州からヘッセン州へとヴァインハイムからヘッパンハイムへと跨る。

反対の左岸がプファルツで、両世界大戦後にフランスに編入されたり、管轄を受けた地域である。先日遊びに来た子供も、ジャンと名付けられていて、フランス綴りであるが、プファルツの名前として役所でも認められているという。

アルペン協会でブルゴーニュ・マコンとの姉妹提携があり、フランス語の話を市民大学の人と話したときに、今でもこの地域ではルートヴィヒスハーフェンなどの都市部と比べて比較出来ないほどフランス語学習熱は強いと聞いた。

しかし、町中ではフランス語はおろか外国語に堪能どころか標準ドイツ語もめったに耳にすることが出来ないこの地域なので大変不思議に今でも思っている。個人的には、地元出身の者でフランス語堪能な人間は一人しか知らない。一体他に何処にいるのだろうか?

何れにせよ、地質学にも左右の盛り上がりは異なり、何よりも気候が違う。それは、朝日が当たるのと夕日が当たる相違だけでも大きい。つまり、春夏秋冬穏やかな気候はプファルツのワイン街道の特徴であるが、オーデンヴァルトの麓のベルクシュトラーセは熱も持ちやすく朝晩の冷えは強いかもしれない。

ワインも、土壌の特徴を無視すれば、プファルツのワインは果実風味が豊かで、ベルクシュトラーセのワインは酸も強く、アイスヴァインなどの収穫にも適している。因みにこちらでは、まだ蕾を見る季節ではない。陽射しもハイデルベルクなどの谷間を除くとベルクシュトラーセの方が強く感じる。
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裏町のパブリックな対応

2008-02-18 | 試飲百景
町裏にある醸造所を訪ねる。昔からのワイン醸造所や業者が居並ぶようなその道は嘗て散策したことがあるのだが、今回初めての訪問となる。ネットで幾つかの情報を集めて、夜ハイデルベルクに行くまでの時間に試飲をして、ワインの地所を歩く事にする。

お昼十三時まで開いていることから、十二時前に到着して、三台分のある駐車場に車を停める。最近は、ドイツ国内では初めて訪問の醸造所へ行くことは少なく、前調べのみならずラインガウにあるヘッセン州立の醸造所の姉妹醸造所なので事情は知れ、凡の検討がついているながら、少し期待が高まるのである。

試飲の対応をしてくれるのは予想通りの女性で、ワインのみならず試飲後に散策する地所や組織機構について訊ねても、充分な情報が提供出来るようになっているのは流石である。

そのような前口上に続いて、辛口のリースリングを中心に試飲グラスが並べられる。先ずはリッターヴァイン、シェーンベルガー・ヘーレンヴィンゲルトと呼ばれる地所の二割かたグラウブルグンダーの交じるリースリングである。2007年産なので新鮮なのは良いが、やはり混ぜものをする利点は感じられない。両方の葡萄の種の味が分かる者にとっては、度の違う眼鏡を覗くように落ち着かなく、気持ちが悪い。しかし、なにも考えない愛飲家にとって旨いのかどうか?二つ目は、ラインガウのように「クラッシック」と呼ばれる辛口でも半辛口でもないリースリングで、地所は明記されていない。2006年産の物であったが味が充分に凝縮していない。

三つ目はシェーンベルガー・ヘーレンヴィンゲルトのリースリングであるが2006年産でここのラインガウのワインにもあるような個性の無さが、ベルクシュトラーセのリースリングの味の特徴と相俟って逆に個性となっている。さて、そこで出されたのが、ベンスハイマーのカルクガッセと石灰の名が入っている地所である。そこは、ヘーレンヴィンゲルトとともに、かつて散策したこともあり想像しながら楽しむ。その横に五つ目のヘッペンハイマーツェントゲリヒトをおいてくれて、2006年産のこの二つを比べるように勧めてもらう。

なるほど前者がカルクを少し交えた土壌で単調なベルクシュトラーセリースリングとしては充分に土壌の個性が出ている。そのためか口当たりが甘く感じるのだが、さらっとして薄っぺらいのがまた面白い。そして後者こそが典型的なこの地方の殺風景なリースリングを凝縮したような味でそれなりに味が濃くボディーがあるのだ。なかなか良いリースリングである。

それを更にシュペートレーゼとして濃くしたのがヘッペンハイマーのシュタインコップのシュペートレーゼである。アルコール12.5度の2006年産のワインは、この醸造所の実力を示していて、尚且つ8.5ユーロの公共性をもった価格に感動させられるのである。私立ならばこの価格では決して売らないであろう。

試飲している間、一件は試飲無しに特定のワインを取りに来て、そして子供づれでこれまた試飲無しでワインを取りに来る父親などがいたが、始めにヴィノテークに入った時にいたお客さんが赤ワインを試飲していたのをみて、ベルクシュトラーセのシュペートブルグンダーを思い出す。そこでこれも一通り試飲させてもらう。

先ずはリッターヴァインである。アルコール度13.5%は魅力であるが、単純な赤ワインにありがちな甘みがあり、決して価格6.3ユーロのCPは悪くないのだが、態々買う必要は感じない。二本目はヘッペンハイマー・ツェントゲリヒトで、これは2005年産でもまだタンニンが利いていて、充分な力強さがある。13%のアルコール度と酸は流石に2006年度の銀賞に輝くだけのことはある。また8ユーロの価格は大変嬉しい。

同じ地所の同じヴィンテージのシュペートレーゼは、上のものを更に強くしたもので、通常はレストランなどで飲むことが出来ない質のシュペートブルグンダーである。まだ十年ほどは置けると同時に今飲んでも14度のアルコール度はどんな肉料理にも負けないだろう。ワイン街道においても南の方ではアルコール度の高いこうしたワインが作られているのであるが、土壌の味からどちらに軍配が上がるか、またバーデンのカーザーシュテュール周辺のものと比べてどうかなど、興味は尽きないのである。明確に言えるのは、ワイン街道のハールトの土壌は、こうした素っ気無い味のピノノワールを栽培するには果実風味があって旨すぎると言うことではないか、などと考えながら、このワインを贈り物の一本として選ぶ。兎に角、10.5ユーロはお買い得商品に違いない。

最後に試したQbAのバリックは、上手に木樽の味を付けているがそれ以上のものではなかった。

そして国内に進物として送りたいと相談をしにくる高齢のオヤジさんへの懇切丁寧な対応を見ていると、州立醸造所のベルクシュトラーセの支店は民生委員を兼ねている感じするぐらい、パブリックなものであるのが知れるのである。



写真:先日の州議会選挙で争点となったビブリスの原子力発電所を名うての地所キルヒベルクから望む。管制塔やタービンなどを見学してあそこの従業員食堂に招かれたのは良い思い出である。老朽化で取り壊しの早い施設であるが、この辺りにはフィリップスブルクとビブリスの両原子力発電所を望める地点が多くあるようだ。



参照:
ドイツ旅行記第2日目(8/18)その2(DTDな日々)
地所の名前で真剣勝負 [ 試飲百景 ] / 2006-02-06
葡萄の地所の名前 [ ワイン ] / 2006-01-21
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松陰の記憶のカーペット

2008-02-17 | SNS・BLOG研究
大学の町マールブルクは古い町並みが保存されている。その家並みは太陽熱発電が義務付けられて、改築には最低5000ユーロの費用が必要になるという。条例に反して太陽発電を設置しなければ8000ユーロの罰金が処せられるようになるようだ。

幾つか情報が偶然に重なってある人のことを思い出した。あまりここでは個人的な思い出などは、興味をもって読む人も居まいと、書かないのだが、あまりにもネットの検索で引っかからないので、少しだけ触れておこう。思い出したが吉日である。

亡くなって三十年ほど経つのだろうか?有名なレコード屋のご主人であった増田豊太郎さんの思い出である。戦前戦後のこともよく語っておられたが、最後まで店を出されていた三宮駅北側の対面販売の狭いマスダ名曲堂のカウンターに腰掛けて聞いた色々な話を少しづつ思い起すと無性に懐かしい。

数少ないネットでの言及のみならず氏の描いた絵をみる事が出来て、記憶の片隅にあった情報を結び付けたりしている。帝展については良く聞いていたので、ご本人が応募したような話としてしか覚えていなかったが、ネットで見ると師匠の鈴木清一が「何回も入賞していた」ことについて語っていたようだった。

その長男鈴木藍作がブライスガウのフライブルクに近い国境の町ブライザッハ在住の陶芸家と知って驚く。あの国境の町に最後に出かけたのは確か2001年9月11日だったと思う。記憶の中に多くのことが沈んでいる。

増田豊太郎の絵を見て思い出した。「僕はな、手入れされている庭よりもな、雑草の生えた自然が好きなんや」と妙なことを言うと強く同意は出来ずに思っていたが、この絵を見て当時見せて貰った絵を微かに思い出して、その気持ちが幾らかは分かるような気がする。

絵は戦前の須磨の月見山周辺の赤松林の下の緑のカーペットのようだが、確かにああいう光景は、戦後の神戸では作者が確か移り住まれた鈴蘭台方面など限られた新興市街地域にしか見られなくなったかもしれない。空き地などの余地が都市部では殆どなくなり、埋立によって海岸の松林は無くなって行った。



参照:
マスダ名曲堂の思い出(スーさんの熱血うなとろ日記)
いのちの曲(ニコニコ堂)
マスダ名曲堂(宝塚の風日記)
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似て非なる地方の名物

2008-02-16 | 料理
レンズ豆のヌードルを久しぶりにお呼ばれした。シュヴェービッシュ料理で、その他の地域ではあまり知られていない。一度ご馳走になってから、数え切れないほど作ったが、何時の間にか似てもにつかぬ料理になっていた。

明治時代に入った洋食が日本の伝統と合体したような変容を、いとも容易に遂げていたのには驚いた。シュヴァーベンの人にこれでもてなすことがないのは当然とはいいながら、今まで気がつかずにいたのには驚く。レストラン等でもこの料理を食べるには地元に行かなければならないから、こうして本物を食する機会がないとその変容に気がつかなくなる。

同じ地方料理のマウルタッシェもアジアの餃子とは大分異なるのは当然であるが、比較的似ているのが逆に不思議に思える。

さて、本物と偽物の違いは写真を一目見て比べれば直ぐに判るように、本物は、汁気がたっぷりとあるので、豆の皮が破れ崩れべとべとにならずに、いつまでも美味しい。

ワインは予め持ちこむことにしてした。この料理を食することを知っていたので軽めのリースリングを選ぶ。豆とシュペッツェレではどうしても喉越しを綺麗にすっきりとさせたいのである。だから、あまり引っかからずにスッキリとするリースリングが良い。ヌードルだからと言って甘みが喉に残るようなものなら駄目である。

そこで、時期的にも飲んでおきたい一本として、フォン・ブール醸造所のヘアゴットザッカーを選んだ。この選択は容易で、今でも他に適当なものは思い出せない。喉越しである。これは間違いなく飲むとして、その他にもう一本お土産に選ぶのは難しかった。あまり古いワインであると、現在の状態が判らなく、もしかすると続けて開ける可能性を考えると、なかなか難しい。2007年度産の一部はもう少し寝かせて置きたいものが殆どで、今飲めるリースリングは、先日試飲したフォン・バッサーマン・ヨルダン醸造所のこれまたダイデスハイムのヘアゴットザッカーなのである。既に昨年の11月末に瓶詰めされていることから、非常に落ち着いた新酒である。

前者は、炭酸が残っており、ステンレスの醸造の問題を説明する必要があったが、味の方は昨年秋に飲んだときとは大きく変化して、完全に上手く熟れたワインとなっていた。炭酸が清涼感を補いつつまろやかさが出ていたので、料理には予想通り文句無しの取り合わせとなった。

食事後に後者を開けることになり、どうだろうかと思ったが、これまた炭酸も皆無に落ち着いていて尚且つベリーの味が指摘された。そして、二つを比べてもらうと、やはりこの地所を名物にしている前者の方に軍配が上がるという至極当然の結果となった。後者には、バッサーマンの旨さであり、2007年の特徴のような少し甘さが感じられて、食後ワインとしては良かったのだが、こうして両者がヴィンテージは異なっても直接比較される事となった。



参照:
シュペツレ好きの麺類 [ 料理 ] / 2005-10-06
倹約のレンズマメ [ 料理 ] / 2005-09-26
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