Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2009年3月

2009-03-31 | Weblog-Index



夏時間の始まりに総括する 2009-03-30 | ワイン  TB0,COM0
上げよ、怒りの雄叫びを! 2009-03-29 | 歴史・時事 TB0,COM0
森の中の社会の重層 2009-03-28 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
口煩く煎茶を吟味する 2009-03-27 | 雑感  TB0,COM0
黒い怨念と恍惚の絶頂感 2009-03-26 | マスメディア批評 TB0,COM0
久しぶりのシュニッツェル 2009-03-25 | 生活  TB0,COM2
定まった天の配剤の絶妙 2009-03-24 | 試飲百景  TB0,COM0
手を出さずにおれない特典 2009-03-23 | 生活  TB0,COM2
寒の戻りの鮭のクリーム煮 2009-03-22 | 料理  TB0,COM2
ハンブルク娘のカムバック 2009-03-21 | 女  TB0,COM0
f高度差によるミクロ気象 2009-03-20 | 暦  TB0,COM2
聴視料徴収に検察権力発動 2009-03-19 | マスメディア批評 TB0,COM0
安息日の無い民族なんて 2009-03-18 | 雑感  TB0,COM2
夜中になにを吟味する? 2009-03-17 | ワイン  TB0,COM4
魔除けの横顔を観察する 2009-03-16 | 生活  TB0,COM0
四旬節に香る春の響き 2009-03-15 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
なんだかんだと僻むだけ 2009-03-14 | ワイン  TB0,COM0
月並みな自己表現の自由 2009-03-13 | マスメディア批評 TB0,COM3
月並みな生劇を広報するTV  2009-03-12 | マスメディア批評 TB0,COM5
ヴェンチュル効果でぼこぼこ 2009-03-11 | BLOG研究 TB0,COM2
米語なんかで話させるな! 2009-03-10 | 雑感  TB0,COM0
ふにゃふにゃしない加齢 2009-03-09 | ワイン  TB0,COM2
世論形成への言論活動の有意 2009-03-08 | マスメディア批評 TB0,COM0
オペルなんかどうでも良い 2009-03-07 | 歴史・時事 TB0,COM2
画竜点睛を欠かさない充実 2009-03-06 | 試飲百景  TB0,COM0
地質学的説明のルート解説 2009-03-05 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
若いとは不均衡の能動性 2009-03-04 | アウトドーア・環境 TB0,COM4
我慢し切れない美味さ? 2009-03-03 | 試飲百景  TB0,COM0
ライム香の清涼感と黒胡椒 2009-03-02 | 試飲百景  TB0,COM4
役目終えたTV放送の私物化 2009-03-01 | マスメディア批評 TB0,COM0
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夏時間の始まりに総括する

2009-03-30 | 試飲百景
昨晩も夕飯時には夏時間への切り替えを祝して九時間前から一時間時間を遅らせて早めに晩酌を始めた、今日は今日で昼から一杯飲む所存である。今頃デュッセルドルフではプロヴァインと呼ばれる新春のワイン博覧会が開かれると思うと落ち着かない。

今までに試した数少ない2008年産リースリングを一望しておいて、上の博覧会で出るような講評の先を越して起きたいと思う。先言ったものが勝ちである。

今週飲んだのはフォン・ブール醸造所の現行のラーゲンヴァイン所謂キャビネットクラスから、ヘアゴットザッカー、ムーゼンハング、キーセルベルク、モイスヘーレに半辛口のラインヘーレである。

既に試していたリッターヴァイン二種とグーツヴァインと呼ばれるものと同じ傾向とは言いながら、更に細かな印象が得られた。

ヘアゴットザッカーは昨年のものと比べると既に出来上がっていて、その色の濃さと芯のある飲み心地は昨年のものよりも優れているが、酸の量感は決して万人向きとは言えない。数値的には8.7グラムほどのようだが、食道に沁みる人もいるだろう。くれぐれも平素の食生活に心がけて潰瘍気味の生活はしたくないものである。こうした美味いリースリングが愉しめなくなるだけでも悲劇であろう。総合的には、昨年の繊細さに対して今年のものは風味の良さといえようか。

ムーゼンハングは更に酸が良く効いて柑橘類を食するほどの豪快な味を愉しめる。全くの健康飲料に違いない。それでも決してこの斜面上部にある地所にありがちな薄っぺらさは皆無で、昨年は隣り合う地所であるウンゲホイヤーのミネラルが感じられたのが、今年は同じように隣り合うペッヒシュタインのミネラルが感じられるからこれまた不思議な自然現象なのである。

キーセルベルクは昨年に比べて出来上がるのが遅いようでまだ飲み頃になっていな独特のミネラルの旨味が酸とバランスを強く取ってくる可能性への予感があって、2007年産よりも期待出来る。もしかすると今年はバッサーマンヨルダンのそれといい勝負をしてくるかもしれない。

モイスヘーレは、先週バッサーマンヨルダンにてこの地所のワインのファンを見つけたが、これまたじっくりと砥石のようなザラットしたミネラル質が美味く出ていて昨年より美味い。

ラインヘーレは、酸の量感とバランスを取るかのような糖が丁度飲み易い感じに仕上げてあって、リッターヴァインのそれで感じたような均衡が取れた半辛口で申し分はない。

総じて論ずると、2008年産のリースリングは、酸の量感が多い分、バランスの秀逸差が要求されるのではないかと思われる。つまり、嘗てのドイツワイン法で言う遅摘みの糖比重が高く且つ葡萄が健康であれば2007年産以上の偉大なグランクリュも出来上がるかも知れないと言う予測である。実際には決して容易ではない収穫の秋であったので、地所や手間のかけ方によって差が途轍もなく出てくる年度である。

2007年は経年変化さえ見込むことが出来れば容易に選択購入出来たが、2008年は可也の見識がそこで活かされるだろう。2007年産の酸ほど鋭くはないが量感がある分新鮮さは保たれるだろうが、分離したような谷を迎える可能性もあるだろうか。

極辛口の糖を落とした作り手であるレーブホルツ氏が「心配」しているほどに酸が強いので、バランスと熟成を美味く進められるワインを作る醸造所には期待出来る。その反面、とても素晴らしい軽めながら芯のあるリースリングを余所より早めに出したフォン・ブール醸造所は、今年本格的に評価批評されるかも知れない。少なくとも、評価本などがあれやこれやと試飲する秋においては大変高品質のリースリングを提供しているに違いない。

このヘアゴットザッカー(AP.Nr.6095)は殆ど漬物臭い味とパイナップル系の味まで出して、昨年の桃系とは異なる濃くとその発展が期待出来る。価格9ユーロはこれまた2007年産のクリストマンのオルツヴァイン・ギメルディンゲンより安く同じように美味い。

先週、フォンバッサーマン醸造所で行なっていたシャンパーナー方式の瓶の回転を録画したものを貼っておこう。今や高級ゼクトはこれぐらいしないと金を取れない。それが伝統と名前で量販されている本場ものとの相違である。



参照:
定まった天の配剤の絶妙 2009-03-24 | 試飲百景
ライム香の清涼感と黒胡椒 2009-03-02 | 試飲百景
デニ ポミエ シャブリ クロワ オー モワンヌ 2005 (ワイン大好き~ラブワインな日々~)
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上げよ、怒りの雄叫びを!

2009-03-29 | 歴史・時事
車のラジオが報じていた。*公的支援反対へのデモンストレーションが**活発になってきたと。当然の事である。フランクフルトでは、二万人を集めての大行進が予定されていたが、結果を知りたいところだ。所謂アウトノーメンなどの極左から左派党など自然環境団体を交えて多くの団体が参加したようだ。レーマーベルクではラフォンテーヌ党首がアピールをすると言うから興味深い。

税金による好い加減な援助は許せないと言う庶民感情は、ロンドンで開かれるG20からオバマ大統領を交えたストラスブールとバーデン・バーデンでのナトの会議へとエスカレートして行くものとみられる。経済の軟着陸とかこまじゃくれたことを言うやつはどこの誰だ!庶民感情はああした経済詐取*には到底納得しないだろう。

先日来、ベルリン政府で突然のようにチァイルドポルノ禁止が再び話題となって、既に過去の事と思っていたので驚かされた。どうもつまらない大臣が選挙戦に向けて自らの人気取りのためにぶちあげたらしい。

今でもネットでは米国を中心に約千のチャイルドポルノサイトが存在するようで半分は商業的に運営されているらしい。大臣女史の主張は、ドイツおいてそれらを観覧できなくフィルターを入れろと言う中共並みの検閲になる恐れもある案件である。

個人的には表現の自由や観覧の自由をそこに持ち出すのは間違いと思われるが、そもそもポルノ映像や表現の商品や創作が悪なのではなくて、政治家も言うように子供の虐待、誘拐、搾取から守ることが重要なので、その結果としてのそうした商品の観覧や制作販売を禁止する事とは本質的には異なる。寧ろそうした制作物があることは犯罪の証明であり、世界中にはそうした性犯罪の被害者は数限りなくいる訳で決して貧困や教育だけで解決される問題ではない。ポルノ観覧や所持の摘発に税金をかけるぐらいなら、子供の福祉のために予算を回すべきであり、あまりにもお粗末な制作をぶち上げる政治家にはあきれ果てる。

キリスト教民主同盟にとっては宿敵の社会主義者でシュトッツガルト選出の議員をチァイルドポルノ観覧所持の罪で、次期選挙戦出馬を見合させたことだけでも価値があるのかも知れないが、あまりにも敵失ばかりを狙っているようでは、第三の政党へとより多くの評が流れてしまうことであろう。



*ベルリンやロンドンでも盛況だったようで、今はこうした一部の活動家が広義行動を行なっているが心情的には広範な市民に広がっている不公平感であり、遡って有効となる法律が成立しない限り、公的資金の援助は世論に受け入れられないであろう。

**利子を付けないで経費だけをとる普通口座とコメルツバンクへの身売りのから政府の支援を受けたドレスナーバンクは九人の重役に対して嘗てない程の百億円以上の退職金を払っている問題は只では済むまい。



参照:
Aus Protest wegen der Finanzkrise, Katharina Iskandar, FAZ vom 28.03.09
[民主主義の危機]《西松=民主・小沢事件》の周縁情報 (toxandoriaの日記)
黒い怨念と恍惚の絶頂感 2009-03-26 | マスメディア批評
聴視料徴収に検察権力発動 2009-03-19 | マスメディア批評
5月並みな自己表現の自由 2009-03-13 | マスメディア批評
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森の中の社会の重層

2009-03-28 | アウトドーア・環境
去る日曜日の遠足に立ち寄った森の小屋は社会主義者の持ち物という。第二次世界大戦中は、ヒットラーがカイザースラウテルンの妊婦達を非難させて助産する施設として使われたようだ。

現在は遠足の途上に立ち寄って食事をしたりとレクレーション施設として使われている。その建物の前で皆で記念撮影をして其処をあとにした。

そこで笑い話を聞いた。プロシア人をミュンヘン人が小ばかにしてザウプライスとからかう言葉があるのだが、それが物売りの囃し立てる声ともじる事で面白い効果と情景を生む。

そこに日本人が現われて、コミュニケーションの成り立たないおかしな光景が見えるのだ。すると、本来は歴史的にプロシア人を揶揄した言葉が日本のそれとなってなかなか重層的な効果を生む。



参照:
タイタニックかあ・・・。 (たるブログ)
文藝春秋4月号には村上春樹のエルサレム賞スピーチが (Mani_Mani)
村上春樹のイスラエル・スピーチの不思議―ある視点 (小林恭子の英国メディア・ウオッチ)
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口煩く煎茶を吟味する

2009-03-27 | 雑感
緑家さんに進物として頂いたなかで、残っているのはお茶だけである。期限切れにそれを愉しんでいる。

京都寺町の一保堂の煎茶である。実は、この老舗のお茶は抹茶以外自分では買わない。理由はいとも簡単で、濃くがある反面味が直ぐに出て仕舞って、二杯目を愉しめないからである。だから、価格も高めで一杯目しか愉しめないとなると大変割高になり、尚且つ濃くがあり過ぎるのである。一袋目は既に一月には飲み干したがそうした傾向が強く、味が強く出る割にあまり愉しめないと言う傾向が再確認された。

更にそれが玉露となるとワインで言えば遅摘みで更に濃くなる。案の定最初の口当たりは甘く、抹茶風の味付けが苦になったが、その葉っぱに多く茎が混じっている「雁ヶ音」所謂かりがねと呼ばれるもので、それが玉露でありながら清涼感を与えているようで思いがけず良かった。

上のような特徴はある意味宇治茶の特徴であるのかも知れないが、その賞味期限の短さと共に、それがここの御茶よりもより清涼感の高い福寿園を用命している理由である。それでも昨年購入した抹茶は悪くはなかったが、最も安価な煎茶の「桃山」と呼ばれるものは流石に旨味が無く飲み飽きた。その上の「銀閣」と呼ばれるものでないと満足出来なくなってきたのも事実で、結局価格もどこも同じぐらいのものとなる。

これもリースリングと同じで、好みの差異とは別に、その新鮮さや濃くと傾向は違えども価値は良く似ていると言う事になるのだろう。

興味深いのはやはりその好みで、ワインにおいても後味の良さを追う者はお茶においてもどうしてもそれが気になるのである。同じようなものにお菓子や果物の甘さもあるだろう。

別な言い方をすれば、ワインを云々言うならやはりお茶についてはなかなか口煩いと言う事になるだろう。



参照:
緑茶に想う影響する土地 2007-10-17 | 雑感
煎茶で深い眠りに落ちろ 2008-06-23 | 女
たとえ試飲が出来なくとも 2008-07-22 | 試飲百景
世界を支配する秩序感 2008-04-22 | アウトドーア・環境
嗜好品のエキス 2004-11-16 | 料理
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黒い怨念と恍惚の絶頂感

2009-03-26 | マスメディア批評
先日の校内外大量殺人事件で狙い撃ちされ銃殺された五人の生徒の親御さんらが共同で抗議文を認めた。加害者の名前や写真をメディアは金輪際出すなと。

その通りである。被害者の氏名や詳細は一切出さないのが罪のない死者の尊厳から当然であるが、加害者のそれも出すべきではない。世界中で流行している所謂劇場型犯罪は、こうしたマスメディアに踊らされて犯罪を犯している。犯罪コンピューターゲームと同罪である。

こうした報道やネットでの扱えさえなければ、自殺志願者の劇場犯罪は成立しないと、社会学者は説く。そしてマスメディアはこれを話題にして商売をして、広告会社はスキャンダルな事件をネタに喜んで広告料を勘定して企業に売りつける。

そもそも三面記事と呼ばれるような社会記事というものは一切無用で社会の害悪なのである。偶々事故や犯罪に巻き込まれた人の不幸は、全く他人事であり誰にも関係がない。そこにどれだけの社会性をみるか、一般性をみるかはまた別な問題である。一体、その広告料や版権からどれほどの金銭が被害者や被害者の家族へと「出演料」として支払われているのだろうか?

被害者家族の「公序良俗に反するような復讐怨念」発言を広報する極東のマスメディアやそれを喜んで権力の行使に活かす司法権力においても、上のような広告料は重要な経済的要因となっている。

それならば、支払能力があれば殺人であろうが如何なる罪も金銭として代償出来るに違いない。もともと、経済故に成立している社会現象は経済的に解決されるのではないか。劇場型犯罪の犯人は必ず考える。「おれを見縊るな。きっと ど で か い 事をやらかして、世界中が俺の事に注目するさ」ととても立派な大志を抱いているのだ。そうした若者を支援育成しているのがマスメディアや厳罰を擁護して誹謗喝采を浴びせる野次馬的同世代の連中に違いない。

厳罰への誘惑は、セバスチャンの恍惚の興奮と同じく、マゾヒズムの黒い炎がむらむらと燃え上がり、三島由紀夫ならずともオーガズムの頂点へと登り詰めるのである。敵討ちの怨念のどす黒い炎と、それが車の両輪となって火花を散らすのである。

知的水準の劣る民族の性的倒錯者よ、そのような経済に荷担するならば、それによって被害者を救済しなさい。


追記:めそめそとしながら、「才能もなにもない私に」と「堀ちえみのスチュワーデス物語」のような事を仰る小沢次期首相候補のVIDEOをみたが、まさにその選挙民に見合った政治家でよいのだろう。それともそれを、日本国の決して乾いていない心情と文化の偉大さの正直な発露と評するのだろうか。



参照:
Sein Name sei nicht mehr genannt, Christian Geyer, FAZ vom 23.03.09
月並みな自己表現の自由 2009-03-13 | マスメディア批評
月並みな生劇を広報するTV 2009-03-12 | マスメディア批評
聴視料徴収に検察権力発動 2009-03-19 | マスメディア批評
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久しぶりのシュニッツェル

2009-03-25 | 生活
日曜日は一日中歩いた。今月はカイザースラウテルンの日本チームがオーストラリアに敗退したあのスタジアムから更に南に17KM歩いて列車で戻って来た。列車でも結構時間が掛かった。先月は雪と氷の上を歩いたのでかなり足が疲れたが、今回も結構疲れた。

出かける前から財布の中身をみて、昼食の予算やら交通費をあれやこれやと気に病んでいたのだが、食事もシュニッツェルメニューとビール半リッターで9ユーロ足らずと切符は5ユーロで予算を下わまり、財布の中に5ユーロ札が残ったままである。腹を減らして、腹一杯食べた。大変安上がりの行楽の一日であった。

行きの列車では検札に引っかかった。何時も気になっているのだが、待ち合わせの駅まで回数券の方割れを持っているのでどうしても煙管乗車をする事になってしまう。更に改札のスタンプが先月から壊れていると文句を言った。

要するに、不正乗車で罰金を取られるところだったが、自己申請で追加料金は払わないといけないかと思ったが、スタンプを押していない回数券を返して貰って、また来月もこれを使える事になる。検札管にも言ったのだが、待ち合わせに切符を買っていく事を予め打ち合わせるのが面倒なのでどうしてもこうした形になってしまうのだ。どうしたものか、困ったものである。帰路は皆で買った切符を渡して貰ってそれを持参するので問題はないのだが、行きは何時も問題となる。きっとこのままでは何処かで高額な罰金を払うことになってしまう。次回から思いきって五人分を買って乗車してしまうのも方法かも知れない。
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定まった天の配剤の絶妙

2009-03-24 | 試飲百景
週末の試飲会は盛り沢山であった。ワインは数種類の2008年産のリースリングが樽試飲として、まだ製品として検査される以前の段階として試飲出来ただけであるが、前年の2007年産のものとの比較は通常はない事なのでとても興味深かった。

それに引き換え山盛りだったのは情報であって、殆ど昔話になるような自らの記憶と重なる部分も多く、ただ客観的に冷静に接する事の出来ないものもあった。

それは何かと言えばやはり名門醸造所フォン・バッサーマン・ヨルダンの身売りへと向う段階の説明であり、ヘルダーリンなどを研究するその当時の娘さんと当時の未亡人の母親の事を思い出し、更に先代のヨルダン博士の面影もそこに重ねるからである。なんとも、ご多分に漏れずあの時ああなっていればもしかしたらとか「歴史」に色々と過去には想像もつかなかった現在からの光を当ててしまうのである。

なんとも他人さんの事とは言え、お隣のフォン・ブール醸造所の貸借などの事なども話題になるにつけ、「見えない将来の放つもの」をどうしてもそこに嗅いでしまうのである。些か落ち着かない不安な気持ちは変わらない。

グラス蓋の事についても厳しい見解が示された。それを独占販売している会社内部の者とも先週話したばかりだが、栓をするのに手動でやるのが最大の難点だとか、十年以内には消滅すると言う見解で、スクリューキャップは外国でのイメージさえ上がれば上級のワインにまで取り入れたいという。事情は、コルクを使うスペインなどに比べて殆ど一ユーロと大変高価な割に質が落ちるものしか手に入らないドイツ事情はやはり深刻なようだ。それならばグランクリュワインでもスクリューキャップの方が良いと言う結論に落ち着く。勿論何年寝かせるかの話である。秘蔵倉庫のワインも、四半世紀に一度の丁度コルク替えの時期に当たっており、何百年も飲めるワインを寝かせて置くのとはどうしても事情が異なる。

更に驚いたのは、既に広大な地下蔵自体が殆ど観光対象の蔵になり果てていて、実際はニーダーキルヘンのヴァインマッハーの方へと拠点が移っていた事で、その農協の施設を借りる事で高級ワインが醸造されている新事実であった。フォン・ブール醸造所が、直系がいなかった為に相続をした親戚筋であり実際はフォン・ブール家でもあるツ・グッテンベルクが、ジャパンマネーを使って近代化して、なるほどステンレスの醸造施設を整えて高級リースリングを醸造すると共にブルグンダー種などは余所で摘み取っている事実と、これまた事情が似ている。

要するにあれだけの量を近代的な手法で醸造しようと思えば合理的な設備の方が使い易いのは間違いなく、熟成のさせ方などワインの哲学に関わる問題でもある。たとえ現在の水準が上回っているとしても、我々先先代のころの味が懐かしく思う古いお客さんがいても可笑しくはないだろう。個人で寝かしてあるあの当時のワインはやはり貴重である。

そのようなある老夫婦の感想は大変興味深かった。なんとキーセルベルクとヘアゴットザッカーに挟まれた谷間の「モイスヘーレが何といっても旨い」と力説する夫婦が現われた。勿論インタヴューさせて貰ったが、あの砥石のような「ミネラル味が堪らない」らしい。

個人的には特に興味深かったのは去年の春以降は目もかけなかった2007年産ヘアゴットザッカーがここに来て急に面白味を増した。改めてAP番号56を確かめたぐらいにワインが開いてきていたのである。個人的にはこれをあまり寝かしたことがなかったので少し驚いた。社長に言わせると、秋から冬場に閉じていたのがこれから開き出すとなる、すると早めに閉じ出して更に第二の樽摘めとなるような商品はまだこれから期待出来るとなる。その一方、ラインヘーレのように今閉じてきたなという感じのワインも出て来て、そうしたものは瓶詰め後二年目つまり来年の今頃第二の頂点を迎えるのだろう。

テロワーの説明として、ホーエンモルゲンの土壌の歴史的な積み重ねに言及されて、盛り土をする時に現在の地層になったことを思い出させた。要するに、擁壁が作られるときに、通常とは逆に、フォルストの玄武岩などが混じったそれが上に重ねられたことから ― 恐らくそれ故に太陽の熱を保存し易いようになっているのだろう ―、 ある意味ニュートラルであって且つフルボディーのリースリングとなる葡萄が育つ用になったのである。その配剤は人工的とも言えるが、それが特別な個性となっているのがまさに絶妙である。

さて2008年リースリングは、味の濃くだけでなくて凝縮感がある。その出方によって、お目当ての土壌の素晴らしいワインとなっているか、それとも癖が強すぎるとなるかは好事家にとって大変な話題となる事であろう。2007年産に比べると明らかにマニアや通向きのヴィンテージとなりそうである。どうせ生産量も比較すると少ないのであり、凝縮されたワインは絞られたマニアに思う存分楽しんで貰えば良いのだろう。それにしても、もっとも安いグーツリースリングもしくはゾンマーリースリングと呼ばれるものからして全く重みはないにも拘らず飲み応えがあるリースリングが提供される。特にリースリングファンにとっては今後とも目を離せないヴィンテージとなった。その前に清澄さが売り物の2007年産も確保しておく物がありそうで大変である。



参照:
どうした?バッサーマン・ヨルダン
雑色砂岩の味
雑色砂岩の上に果実味
飲み方あれこれ
確固たるミネラル味 (新・緑家のリースリング日記)
画竜点睛を欠かさない充実 2009-03-06 | 試飲百景
なんだかんだと僻むだけ 2009-03-14 | ワイン
ふにゃふにゃしない加齢 2009-03-09 | ワイン
我慢し切れない美味さ? 2009-03-03 | 試飲百景
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手を出さずにおれない特典

2009-03-23 | 生活
ネットの買物籠に永く同じCDが入っていた。そこへ期間限定の送料無料の電子メールが入ってきた。お目当ての物の価格なども記憶がないので、もしや売り切れていないか、それとも他に面白い安売りものが見つかるかとサイトを訪問する。

幾つかの新たな特売品が目を引いたが、CD一枚9ユーロが主で、飛びつくほどのものは殆どない。それでも二枚組みでその価格となると、それも些か思い出のあるプロダクションの録音だと思うと食指が動いた。

プッチーニのオペラ「マノンレスコー」である。イタリアオペラにはそれほど熱心ではなく、決してプッチーニファンではないので、いわゆる名演というようなはまった公演よりも故シノポリ指揮などの交響的にも興味を抱かすものが良い。ヴィーンの歌劇場公演が良い思い出となっている。録音は、ヴィーンではなくロンドンでの交響楽団との制作だがなかなか良さそうである。態々高いものを買うことはなかったがこの価格なら取り寄せようと思った。

そうこうして、お目当ての商品と合わせると28ユーロほどになる。これなら送料無料で送ってもらえばお徳かと思って、ふと自動車クラブの機関誌を覗くと注文しようとするドイツ最大のメディア販売業者jpcの割引優待情報が載っているではないか。前からそのようなものを見たような気がするがそこを凝視することはなかった。そして、毎四半期に6ユーロづつ割引券を貰えることが分かった。そして三月も終ろうとしている。

但し、29ユーロ以上の買物に対してのそれである。それならば、6ユーロばかりのCDを探して籠に入れれば只でそれが貰える事になる。早速、安売りのリストを探すと適当な商品が出てきた。バッハファミリーの音楽を集めたゲーベルのムジカ・アンティク・ケルン活動最晩年の録音である。これも声楽を主とした同様の企画のコンラート・ユンクヘーネル指揮の演奏会で売られていたもので、声楽物の録音を補完する形で制作された二枚組みの一つである。売り出し当時の高価そうなCDを覚えているので、只で貰えるとなるとどうしても手が出る。

〆てCD五枚で28,97ユーロ、更に上手く行けばカードの支払いは来月末。兎に角、最終的にこれだけのものがCD一枚当たり6ユーロを割るのだから手を出さない手はない。

さてお目当てのCDは二枚組み18,99ユーロと比較的高価であった。それで躊躇していたのだが、デジタル録音初期のものをリマスターリングしているらしい。つまり当時のPCMマスターから簡単にCD規格へと落としていたものを最近の方法で転換しているのだろう。ネットで視聴してもこれほど鮮烈な録音だったかと驚いた。こうした録音にメディア業界が大金を投資していた最後の時期である。シェーンベルクの未完のオペラ「モーゼとアロン」の録音は手元にもブーレーズ指揮の旧版などがあるが、今回のショルティー指揮シカゴ交響楽団のものが、触りを聞いただけでも、これほど実体感のあるものとは思わなかった。丁度CD導入とLP時代の端境期に発売されていたので、意外に隠れた名録音ではないかと期待している。



参照:
生半可にいかない響き 2008-12-08 | 音
忙しい時はいやに忙しい 2008-11-15 | 生活
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寒の戻りの鮭のクリーム煮

2009-03-22 | 料理
一寸した寒の戻りで、ヒーターを強くかける。それでも陽射しがきついと窓を開けて空気を入れ替えることが出来て気持ち良い。だから散歩に行くとすると襟巻きや手袋こそ要らないが、十分に厚着をしていかないと空気が冷たい。

歩き始は寒いので夕食のほうれん草入りヌードルに鮭のクリームにはオーメドックの赤ワインを開けようと思ったのだが、歩いている内に気が変わった。

咲き揃おうとしているキルヘンシュトュックとイエーズイテンガルテンの間にあるアーモンドの花を愛でて、ゲリュンペルの仕付けの済んだ枝に滴る汁を見たときにはリースリングが欲しくなったのである。

身体も温まったのだが、そのワインの樹を見るとどうしてもそれを合わせて見たくなった。酸が強いゲリュンペルであるが、意外にクリーミーな食事にも合うのを知っている。

想像した通り、燻製鮭の切り身をバターで炒めてクリームソースとして合わせるとなかなか良かった。ワイン自体は、酸の勢いが弱まり掛けて丸くなって来た感じがあるが、今後数年間の変化が期待出来る。

青い藁のような典型的なリースリング香がややもすると安物の枯れたリースリングのように思わせるが、甘露風味などは偉大な花園のように広がる将来を約束していて、2007年産のそれは流石の出来である。
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ハンブルク娘のカムバック

2009-03-21 | 
ジル・ザンダーの記事が文化欄に載っている。若きころのポートレートと共に。東京で仕事をしているというのだ、H&Mに対抗してフランスでも開店したという量販衣料ユニクロのプロジェクトに生地選びから仕上げまで監修して参加しているようだ。

なるほど最近は名前を聞いていなかった訳で長く仕事からはなれていたと言う。口の悪い者は彼女の老けた写真を見て失望しているが、なるほど彼の日本人の奥さんは何処か彼女にも似ていて、もともと彼の好みのタイプであったのだろう。

1973年にデビューしてから1999年に会社を一部プラダに売却して、その後結局最終的に業界から姿を眩ましていた。そして今。

記者会見があった日は、東京がモードの中心地になった一日という。なにせ、H&M、ZARA、ギャップ程度の量販ブランドであるユニクロに、たとえ今までカール・ラガーフェルトやレイ・カワクボは登場したからと言って、トップクラスのデザイナーが参加することなど青天の霹靂であったからだ。

「五時半に仕事場に来て、夜の十一時半に初めてホテルに帰るのよ」とFAZに語っている。

秋コレなどを二週間も観察して、「今日はサーカスに行ったのよ。それで人間観察をしたのよ。どうでしょう、皆に同じ所で受ける大きな中流階層というのがあってね。それがユニクロへの想いかな。」

「それは初めは天地がひっくり返ったような気持ちだったわよ。それで生産工程で改良しなければいけないところを見つけてね。遊びに来たのではないですからね」

誰もが考える、その価格で彼女の腕が見せれるものかとの疑いに、

「それはメーターで200ユーロもする生地は使えないわよ。それでもね。生地選びからプロトタイプの縫製にまで拘って、私はほら裁断に関しては完璧主義だから、その生地が生きるも死ぬも三次元での裁断があってこそなので、形なくして質なしよ」と切りつける。

「事情通として、開発の中心にいる訳だけど、自身驚くのよね。一体幾らするのと訊ねると。29ダラーだって。だから言うのよ、これは五百ユーロ払わなければ買えないものだよって」

昨年までならモードはまだ高級でセクシーなものとして扱われていたが、「今や経済危機で安いノーブランドが劣悪な質という事も許されなくなっている」

「世界は急激に変化して行くものなのよ。民主的に考えていかなきゃ」、「つまり、位置付けと価値なのよ。元々私はひらひらしたものよりもジップのブラウスの方が良いと言っていたでしょ。この分野で私はものにしたいのよね。安ものなんて私は酷いものだと思っているから」

そう言うハンブルク出身の彼女のデザイン自体が、伝統的な中にトレンド感を頂いた奇抜でないデザインであり、昨今のひらひらした華美なまるでホテルのカーテンのようなモードから距離をおいていたのだと書かれる。

私自身ユニクロの噂や実物を見るのは、会合で出会う日本人妻の衣装やその日本旅行報告で知るだけなのだが、その質に関しては何とも評価の仕様がない。ただ、中国生産と言っても質の良い従業員と質の高い品質管理をして居れば決して劣らないものを生産できるのは殆どのドイツ製品が東欧産であるのと変わらない。

こうした記事においてユニクロのドイツ進出も近づいているのだろう。周りにいた独日協会の面々にそれを話すと、H&Mで購入したトレーナーを着た「実用的な衣料で良いのだ」と比較的高級取りの独身女性が答えたが、そうだろうかとも思った。

ジル・サンダーの本格的な衣料革命にも期待して、決して途上国の経済に埋没しない技術力や智恵がやはり世界をリードする姿を見せてもらいたいと思うのは、自動車産業華かりしころに既に時代に向けて既に備えていたオールド産業である繊維産業を少しでも知る者の期待でもある。嘗て製紙部門に従事していたの男は、その当時華やかであったプラスチックなどの塗料部門が今やとても酷い状態である事を語っていた。



参照:
Ich bin ja nicht zum Spiel hergekommen, Ingeborg Harms, FAZ vom 18.03.09
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高度差によるミクロ気象

2009-03-20 | 
「昨日までは暖かったのに、今日はまた寒がもどったね」と散髪の椅子に座って口を切る。

「フォルストではアーモンドの花が咲き出してるけど、アーモンド祭りのあるギメルディンゲンはまだだね」と振ると、流石に地元民である。

「あれはさ、高度が違うからでさあ」

「なるほど、それは気がつかなかった」といたく納得をするのである。

我々市内の高度差が大きな町に生まれ育った者は、少々の高低はたとえそこを歩いていても一向に気がつかない。だからドイツに移り住んだ時は、道を訊ねると殆ど認知できないところで「上がるとか下がるとか」と表現するのでまるで京都の様だと感じたのであった。

「ほら、あの石像がある、チリアクスの」

「ああ、キルヘンシュトュックのね。みたみた、咲いてましたな」

流石に髪結い親仁である。しっかりとそのあたりは目暗闇ではない。去年は咲いていたギメルディンゲンはまだだと言う世間話をまた次ぎのお客さんとすることだろう。

親仁が言うように樹によって早咲きや遅咲きがあるとしても、それにしても、ドイツで最も高価なワインを輩出するグランクリュのミクロ気象をこうも簡単に気がつかされたのには参った。心付けを弾んだのも意味が無くはない。
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聴視料徴収に検察権力発動

2009-03-19 | マスメディア批評
聴視料徴収の話は一度したかと思う。嘗てはややこしい時期もあって変則的な払方をしていたのだが、今はスタンダードな払い方をしている。理由はPCに対しても徴収する姿勢と、自身その聴取料からその内容ばかりか多少なりとも放送権料を回収しているから、これを払わなければ具合が悪い。

TVを観なくても、車を持っている限りラジオを聞いている事になり、払わないのは不可能なのである。それでも、TVを好きで観ながら払わないでおこうとする人はいる。

そうした人の話である。アパートメントに頻繁にパトロールのおじさんが来るのは当然だが、それを永く追っ払っていても、文書による回答をしたしなかったかなどで、今度は「郵便物が盗難にあったかどうか」と警察が訊ねて来ているらしい。その警察官にも応対しなかった事から、起訴するかどうかと脅かされているという。

ある種別件による捜査が用意されている雰囲気である。もちろんTVが室内にあって、それを大きな音を出して視聴していることやケーブル回線料を支払っている事などは近隣や関係者の事情聴取などで証拠を挙げているに違いない。それをして、今度は郵便物の失踪を楯に警察に要請したようで、こうした案件における強制捜査の方法として巧妙な方法が用意されているのである。また過去に遡って徴収出来るのかどうかは判らないが、少なくとも不正申告や虚偽の記載などについては訴追できるのだろう。

些か事大主義に思われるが警察権力や国の権力などはそれが個人に向けられるとき、それが如何なる公人であろうとも私人であろうとも凄まじい圧力として襲い掛かる。為政者だけがその権力構造の頂点にいる事を忘れてはならない。

そうした民主権力を有効に活かして最大公約数的に社会のためにすると言う考え方が社会主義であって、それを悪用する事で独裁主義にも全体主義にもなる。それに対して、個人の権利や保護を優先にした自由主義社会では、なんらかの民主的な摂理や倫理が働かない限る他人の自由を侵さずに個人の自由を最大限に活かすことは難しい。

TVを観ないのは自由である。しかし、公共放送を自らの手においておく事と同時に市場競争とは異なる社会においておく事はなによりも重要である。公共放送に市場論理を持ち込み、その聴視料を強制的に巻き上げることが如何に間違っているかはこれだけ考えても分かるだろう。



参照:
役目終えたTV放送の私物化 2009-03-01 | マスメディア批評
ああ、私の愛しいお父さま 2007-01-27 | 雑感
伝統文化と将来展望 2004-11-13 | 文化一般
綾織の言葉の響き 2005-04-12 | 音
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安息日の無い民族なんて

2009-03-18 | 雑感
日本人との仕事になるととどうも火に油を注ぐような過熱を招く。この十五年ほどは係わりがなかったのでそれが良く分かる。というか思い出した。どうも此方も向こうも反応が良過ぎて抵抗無く回転してしまうのである。自然着火のエンジンが暴走するのと同じで破滅するまで回転し続けるのである。まるでホンダの軽いエンジンのように、いとも簡単に。

中国人や韓国人などに比べると、それが利己的な欲望の燃料が次々と汲まれるのではなくて、どうもなんらかの社会のフライホイールのような、まるで地球の自転のようなものに突き動かされているようにすら感じる。所謂世界観の見通しの欠如が、こうしたところに表れているのだろう。

「安息日は人のために定められているのだ。人が安息日のためにあるのではない。だから(人の子)は安息日の主でもある」 ― マルコスによる福音2.27

「君たちの中に、自分の息子か牛かが井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」 ― ルカスによる福音書14.5

God bless you



参照:
人のためになる経済 [ 文学・思想 ] / 2005-04-11
エロ化した愛の衝動 [ マスメディア批評 ] / 2007-01-04
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夜中になにを吟味する?

2009-03-17 | ワイン
十時過ぎというのに起きていられなくなった。こんなことは特別な時を除いて三十年振りである。特別運動をした訳でも尚の事、頭を使った訳でもない。予想通り夜中に目を醒ます。ここ暫らくこのようなことが多く、再び明け方眠りにつくが、浅い眠りから再び一日が明ける。こうなれば昼寝でもしてやりたいと思うのだがなかなか機会がない。

さて夜中に、飲み残しのワインを冷蔵庫から出して点検する。土曜日に開けた最後一本である2007年産キーセルベルクは流石に香りも飛んで仕舞い、ただただ酸が重く、まるでザールルーヴァーのリースリングのようである。バッサーマン・ヨルダン醸造所の酸に弱いという何人もの人の話が初めて実感できる。飲み頃に飲んでいれば、旨味があって酸などが上手にバランスを取っているようだが、一旦それが崩れると殆どナーへのワインと変わらない。そもそもこうしたワインを瓶詰め一年近くしてまだ空けていないのがいけないのである。現在でも店頭売りされていて、そこではもっとも旨いリースリングの一つではあるが、色が濃くなってきた現在完全に飲み頃は過ぎた。

それに引き換え、昨日開けたレープホルツ醸造所の雑食砂岩キャビネットは予想以上に美味かった。熟れてきた天然酵母が活きたその味は漬物臭いのだが、それが丁度手ごろな味付けとなって、仮借ない辛口を上手に食事に合うワインに仕上げている。若くて良し、少々熟れて良しで、上の夏前にこそ新鮮なキーセルベルクに比べるとここに来て初めて評価が逆転した。

特に前者は人には勧めながらまた進物としながら、一本9ユーロは自らの日常消費には高価であり、自分用には意外に量を購入していない。後者もお試しで数を押さえて購入していた最後の一本であった。双方とも同価格であり、2008年産もこれで期待出来る。

因みに殆ど同価格帯では2007年産A・クリストマン醸造所ギメルディンゲンがあるのだが両者より一銭でも高価である限りこれらに比べて競争力は無いであろう。但し、総合的に言って、バッサーマン・ヨルダン醸造所とレープホルツ醸造所を比較するのがおこがましい行ないであって、つまらない評価本で後者を高評価している者は恥じを知れと言いたい。
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