Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2012年9月

2012-09-30 | Weblog-Index


朽ちる第一報を耳にする 2012-09-29 | 文化一般 TB0,COM0
帝国陸軍一兵卒の気持ち 2012-09-29 | 女 TB0,COM0
孤立へと逃げ込む小日本 2012-09-28 | マスメディア批評 TB0,COM0
「先ずは心の準備」の価値 2012-09-27 | 生活 TB0,COM0
容易な人種主義の程度 2012-09-26 | BLOG研究 TB0,COM0
少し寄り添ってみたい女性 2012-09-25 | 女 TB0,COM0
衣装替え無しに汗滴る 2012-09-24 | 暦 TB0,COM2
自爆とはならない辛抱力 2012-09-23 | 生活 TB0,COM0
我武者羅に登る一ヶ月 2012-09-22 | 生活 TB0,COM0
夕焼けの横の虹を見る 2012-09-21 | 生活 TB0,COM0
今日も今日とて岩登り 2012-09-20 | 暦 TB0,COM0
センチメンタルな恋心? 2012-09-19 | 暦 TB0,COM0
先週末の雪の余韻など 2012-09-18 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
自主練成の方向性の正しさ 2012-09-17 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
甘みをぐっと落としてアルコール 2012-09-15 | 試飲百景 TB0,COM0
平静を装う日本の支配層 2012-09-14 | マスメディア批評
グランクリュ試飲会週末 2012-09-13 | 試飲百景 TB0,COM0
素晴らしいクライミング日和 2012-09-12 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
素晴らしい投資相応の価格 2012-09-11 | 試飲百景 TB0,COM0
原子力非常事態宣言発令中  2012-09-10 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
おおきにハラショー 2012-09-09 | 生活 TB0,COM0
青赤つける山の明確さ 2012-09-08 | 試飲百景 TB0,COM0
放射線の照射の威力 2012-09-07 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
アルプスの森の凶悪殺人事件 2012-09-06 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
Aha、ジョン・ケージ生誕百年 2012-09-05 | 音 TB0,COM0
初秋のメランコリーに酔う 2012-09-04 | 暦 TB0,COM0
グローセスゲヴェックス解禁日 2012-09-03 | 試飲百景 TB0,COM0
スタート地点に戻ってみる 2012-09-02 | 雑感 TB0,COM2
ポピュリズムにもならない遺物 2012-09-01 | 歴史・時事 TB0,COM0
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朽ちる第一報を耳にする

2012-09-29 | 文化一般
石切り場に行く車中のラジオが第一報を伝えていた。一つ目はニュルブルンリンク破綻の責任で ― 公式には膵臓炎症のための引退 ― クルト・ベック知事が任を辞することで、社会民主党はシュタインブリュックが次期総裁候補となることである。二つ目は、議論に上っていたSWRの二つの放送交響楽団が合併することに決まったことである。

どのような形での合弁でも、二十世紀を代表するバーデン・バーデンの交響楽団が消滅することに他ならない。その初演レパートリーの中には今後の交響楽曲の代表的な作品も含まれていることは間違いないので、文化的に大きな損失に他ならない。

その一方、交響楽団という音楽の形態が見直されて、より時代にあった音楽のあり方へと一歩踏み出す契機になるのではないかと思われる。要するに連邦共和国においてもはや文化的な意味合いを保持する交響楽活動は非常に限られたものになるであろうということで、今更若い聴衆がこうした交響楽団の定期会員になるとは考えられないのである。朽ちていく形態ということだ。



参照:
文化的な話題と三面記事 2012-06-16 | 文化一般
無知蒙昧の大鉈の前に 2012-02-23 | マスメディア批評
容易な人種主義の程度 2012-09-26 | BLOG研究
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帝国陸軍一兵卒の気持ち

2012-09-29 | 
昨晩入浴した。寒気があり、節々が不調だったからである。すると直に喉が不調になり、軽い風邪状態がベットで表れた。先日、ある女性から遷されたものに違いない。直接のコンタクトは無くても、二時間以上も同じ空気を吸っていると、くしゃみやら何やらで直ぐに感染してしまう。丁度マインツではインフルエンザが流行りつつあると目にしたところだった。

流石に半袖を脱ぎ捨てて、今日からは長袖にした。それにしても週末に予定される逢瀬を前になんということだろうか?一体全体恨みを買うようなことはしていない筈なのであるが。

幸運にも週末は再び太陽を浴びることが出来そうで、雨も降らず最高気温も摂氏20度近くまで期待出来る。しかし、朝晩の最低気温は一ケタ台なので体調管理に気をつけないといけない。風邪気味などといういいわけなどは存在しない。

今晩の石切り場での岩登りも温もりがあるうちに早めに切り上げて、明日の早朝に備えなければいけない。何と言っても先方から提案された逢引の時刻が朝の八時半である。まるで練炭自殺に見せかけて殺られる中高年男性被害者のような気分である。そのような時間から丸一日かけて本当に口説けるのだろうか?段々と自信がなくなってくるのである。

「男はつらいよ」のフーテンの寅さんならば、丁度書き置きをして突然出て行く頃のような按配である。振り返って考えてみると、なるほど先週末以前にもそれに似たような示唆があったのだが、全く気がつかずに放っておいたお陰で試験されるよな酷い目にあったのだった。

もはや敵前逃亡は許されない状況になってきている。先方はというと、昨晩のメールで、臨戦態勢の意気揚々とした様子を伝えてきているのだ。もはや匍匐前進などはないのである。「天皇陛下万歳」と叫びながら敵の銃口を目指して突進する大日本帝国陸軍の一兵卒のような気持ちなのである。



参照:
「先ずは心の準備」の価値 2012-09-27 | 生活
少し寄り添ってみたい女性 2012-09-25 | 女
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孤立へと逃げ込む小日本

2012-09-28 | マスメディア批評
孤立する日本の行方について大きな記事が新聞を飾っている。現在話題となっている中国との魚釣島問題であり、韓国との竹島問題に見るように世界で孤立を深めかねない日本の民族主義者の勃興に関する歴史的な説明である。

しかしここでは合衆国が背後にいることや、そしてその戦後処理と現在の合衆国との関係などは間接的にしか触れられていない。要するに、現時点における歴史的な解釈について述べられているに過ぎない。

尖閣列島の国有化に発した今回の事件の背後関係は徐々に明らかになっていくのかもしれないが、それ以前の前提として近隣諸国と日本政府もしくは日本人の間にある歴史解釈の齟齬を説明しているのである。

中国や朝鮮は日本の侵略行為を帝国主義的なそれであるとしか見ていないのに対して、日本では西洋列強からの亜細亜の開放と共栄圏の確立にあった訳で、西欧の者は驚くかもしれないが実際にビルマのアンサンスーチーの父親やインドのチァンドラ・ボースは一時は大日本帝国と協力関係にあったというのは事実であると記す。

それ以前に、第一次世界大戦で日英同盟や合衆国の調停に終わった日露戦争から引き続く富国強兵を世界に示すことに為ったに拘らず、その結果が十分に報われなかったとするのが、近隣諸国とは異なり植民地化することなく開国と近代化の道を歩んできた唯一の亜細亜の国の不満であった。列強の仲間入りしたことで、「人種的平等」をもヴェルサイユ条約での条文として提案したに拘らず白人列強に否定された事実をして、その後のこの種の日本の民族主義者の本質を上手く浮かび上がらせている。

余談であるが、フランスのルペン女史が「フランス共和国内の白人差別」を掲げて、運動を行っているのと同じように、明治以来人種差別を為政者が上手に使ってきたのが伺える。今回の都知事の合衆国での買取の発表やその他の状況から如何にこれらの民族主義者が実はその背後の金だけで動いているかが良く分るのである。そもそも、現在においては当然のことヴェルサイユ条約の時点においても人種差別撤廃条項を提唱している日本人がそれほど純粋に理想主義的な課題に素朴に取り込んでいるとは思われないのである。遥かに強かな筈である。

今回の一連の騒動で大都市の駅前には右翼の宣伝カーが多くの一般市民を引きつけて一般市民を高揚させたとあるが、残念ながらIWJなどでは放送されていなかったので全くその感覚は実感していない。更にユニクロの「張り紙問題」で、大規模な不買運動が起きていたことも新聞にはあるが、全く気がつかなかった。釈明があったにしても国内市場での業績が落ちるほどにその運動の影響が出るのかでないのか注目される。

「先軍政治」となった大日本帝国にもそれなりの大義名分があったことは確かであり、大東亜共栄圏への道を進めたにせよ、不公平条約の影が日本のエリートにコムプレックスとして残ったのは現在の中国のそれと同じであるとする。そして、荒唐無稽の天皇の国体思想が西洋とキリスト教社会と大きく分けた点であるとする。そして、時期の総理とされる安倍元首相が復活してきたのも決して偶然ではなく、大阪の橋下の勃興における民族主義的な流れとして捉えられる。教員に国旗斉唱を義務付けた意思と、慰安婦を真っ向から否定する意思は全く同一のものであって、その背景にはドイツとは異なり継続する天皇制を残した戦後処理があったとするのが、対外的な分析であるのは間違いない。

永い幕府の鎖国から、開国、そして不平等条約、見かけだけの近代化の裏には封建的な文化が隠れていて、その社会的な関係から生み出される困難な言語を用いて、島国根性から敢えて孤立の道へと歩む日本の姿が分析されている。



参照:
Hüter der Nation, Peter Sturm,
Die langen Schatten, Carsten Germis, FAZ vom 22.9.2012
容易な人種主義の程度 2012-09-26 | BLOG研究
知性に劣る民を卑下する美徳 2009-04-06 | マスメディア批評
文明のシナ化への警告 2008-10-26 | 文学・思想
理性を超える人種主義 2006-10-13 | 文学・思想
「黄禍」の真意 2006-10-12 | 文学・思想
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「先ずは心の準備」の価値

2012-09-27 | 生活
散髪屋に行ってきた。前回はどうも七月末で二月ほど伸ばしていたことになる。後髪が喧しくなってきったのも頷ける。山に出かける前に行っていなかったのも驚いたが、それほど暑い状況ではなかったということだろう。今年の夏はそのような夏であった。

世界最大のワイン祭りヴュルストマルクトの話や摘み取りの話になった。髪結い親爺がそこで愉しんできた様子が知れてよかったが、そこのワインで満足できるのがある意味幸せなのだ。反面高価なワインには誰でもが手が出ないのは当然で、まさにライフスタイルの相違でしかない。

しかし親爺が言うのは正しくて、安いワインでも美味いのは間違いない。しかしその裏事情を知ってしまうと、どうしたらその味が出てくるのか、何をどのように調整しているかが見えてくると、手落ちの無い化粧が煩わしく見えてくるのである。

全く女性とワインは似ているところがあって、幾らでも美しい女性も美味いワインも世界中に事欠かない。しかし、その先に拘り始めるともうどうしようもなく引き返せない迷路のようなところに落ち込んでしまうのだ。

それは好みとかそういったものとは一線を画している質というものであり、価値というものなのであろう。

そういえば、親爺は新しいワインよりも寝かして飲むのが好ましくなったと語った。今2009年産を好ましく飲んでいるようだが、量を買いそびれたという。なるほど甘みあり口当たりの良い年度である。今年の暮れに掛けて開けたいと話した。そろそろ試してみるのも良いかもしれない。

色々と書かなければいけないことが山済みしているのだが、仕事を片付ける一方色事に取り込んでいるともはや殆ど時間が無くなって来ている。これで天気が良くなると更に忙しくなってくる。シャワーのような秋雨が続くうちは岩場が濡れていて出かける暇がないのである。

そのような恋愛ごっこの調子で週末のランデブーが話題となっているが、土曜日の天候次第とか、鎌をかけられている。その一方で「それまで先ずは心の準備するわね」と。



参照:
少し寄り添ってみたい女性 2012-09-25 | 女
センチメンタルな恋心? 2012-09-19 | 暦
初秋のメランコリーに酔う 2012-09-04 | 暦
取り敢えずのフットワーク 2012-08-21 | 女
ダイデスハイムの盛夏の話題 2012-07-25 | 生活
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容易な人種主義の程度

2012-09-26 | SNS・BLOG研究
BLOG「あるホルン吹きによる音楽の部屋」で面白い話題の記事が紹介されていた。「ドイツの管弦楽団と人種差別」と題するヴェルト紙の記事である。その内容自体は特別に新しいものではないが、今またこうしたことが繰り返し記事になる状況が興味を引いた。

管弦楽楽団員の市場は小さくなるばかりで、その芸術的な意味も益々限定的に縮小して行く社会状況の中で、アジア人と呼ばれる極東からの楽師予備隊の進攻が止まらないからの記事であろう。嘗ては日本人に混じって僅かばかりの極東からの訪問者だったのが、今は音楽際などでも日本人が中心とは限らない様にである。

ベルリンのヴィオラ奏者土屋氏が「余り日本人の顔が増えるのは喜ばれない」と、彼の同僚に日本人が増えるのを危惧していた発言をNHKでしていたのは1970年前半のことだったろうか?それからコンツェルトマイスターも日本人になって、更に朝鮮人などの団員の顔が目立つようになり、そのような穿った見方は否定されてしまったのである。

カーテンの向こうでのオーディションなどの状況を様々に聞き、間近でも優秀な日本の音楽家はそうした壁を軽々と越えて行くのを何件も見ている者にとっては今更何事をとは思わないでも無い。職人的な技能的な能力と俗に言われる音楽性というのは容易に峻別出来るものではないのであるが、そういう文化的な背景を背負っているものがあるからこその文化であり、万が一個人的に知っているようなドレスデンの若い弦楽奏者とシナから来て数年間無料でドイツの音楽学校で修行したものとの差が無いぐらいならば、そのような文化は即破棄してしまった方が良いぐらいである。

非常に微妙な事柄であるのは承知のうえで放言してしまうならば、そうした文化的な価値を含めてずばぬけていることが求められるわけで、自らの文化的な背景をもそこに投影させることが出来ないぐらいものは芸術と呼ぶのもおこがましい。現に放送交響楽団のクスマウル門下の欧州出身の若い女性コンツェルトマイスターリンを辞退した実力は身近でみていても大したものなのである。

本質的な意味で、先ずは自らを鏡でじっくりと見つめるべきなのである。なるほど、一流の芸術家と楽師とはその文化の意味が異なるのかもしれないが、求められているのは芸術性であることに他ならない。

寧ろ、我々納税者にとって気になるのは、そうした無駄な教育システムへの予算の投資と、芸術活動への投資である。管弦楽団などは経済的に全く重要な労働市場ではないので、本当は傭兵のように外国人がその任を負っていてもなんら社会的な影響はない筈である。しかし、管弦楽団とは言えども芸術文化的な継承の意味合いがあるからこそそこに慎重な議論が欠かせないのである。

記事にも出てくるように、「アジア人の予備隊が本気でプロの楽師になる覚悟が出来ているとは思われない」とする意見は正論であり、そもそもこの記事のように人種主義を出せば人の目を引くと思われるような新聞編集の程度が低い。



参照:
Deutsche Orchester und ihr Rassismus-Problem (Die Welt)
文化的な話題と三面記事 2012-06-16 | 文化一般
つまらないには短過ぎる人生 2012-03-19 | 雑感
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少し寄り添ってみたい女性

2012-09-25 | 
正直土曜日は辛かった。どうしても、様々な感情から周辺からノイズが湧き上がってくるようになると、肝心な声が聞こえにくくなる。あまり熟睡できなかった。しかし、日曜日の朝一時間近く走って、積極的な気持ちに為った。

書かなければいけない電子メールを二つほど書いて、完全に気持ちが晴れた。走って身体を使って、血の巡りが良くなって。全てを肯定的に考えられるようになると、人への語りかけも全く変わって来る。

肯定的な気持ちを相手にも伝えられれば、それだけで例え相手が肯定的な反応をしなくても、それはそれで決して悪くは無い。

若い女性の方からは肯定的な気分の返事があった。まさしく、短く書記した電子メールにストライクに答えてくれたのである。その背景には性的な親和性などがあるとしても太陽へと顔を向ける女性はやはり素晴らしい。

決してイケイケであることが良いというのではなくて、個人の性格の問題なのだろう。冷静に考えるとなにか女性に試されていたようなもので、結果的には合格点を頂いたようである。

当然ながら環境における同じ事象に対してどのようにその障害を乗り越えていくかという意味では、アルピニズムにおける困難と全く同じであり、そこで激しく障害と戦えるかどうかは、それ以前に動機付けが十分に出来るかどうかに拠るのである。

肯定的に物事に対処するということはそのもの同じ方向を向いて歩むということであり、パートナーとしてはやはり適当なのである。兎に角、少しは寄り添ってみたい女性である。ホフマンスタールのオペラ「アラベラ」の状況を髣髴させる文化的なマニエールにとても関心がある。色事を楽しむとは、その社会・文化的な背景もろとも味わい尽くすことに他ならない。



参照:
衣装替え無しに汗滴る 2012-09-24 | 暦
自爆とはならない辛抱力 2012-09-23 | 生活
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衣装替え無しに汗滴る

2012-09-24 | 
二三日前に布団カヴァーを替えた。半袖半パンから長袖長ズボンのパジャマに替えた。その前の数日間はなぜか頭が痛くなっていたのだが、それで暖かく眠れるようになった。場所によっては霜が下りていたようだが、これで急に冬支度となる。

栗も大分落ちてきているので、栗拾いをするならばここ数日が山だろう。暖房を入れている家庭もあると聞くとなんていうことだろうとは思うのだが、陽があまりささない日となると急に冬のような気配だから仕方が無い。

幸運にもあまり雨量も多くなく、まだ暫くこのような気候が楽しめそうである。それでも夏時間が五週間しかないとなると焦ってしまう。

パンを取りに行ってから、昨日の疲れやもやもやした気持ちを吹っ飛ばしに走った。久しぶりの八キロコースである。沢沿いの道の終わりまで12分、1200歩は先ず先ずである。最近爪先走りにしてから平地が走り難くなったのはどうしてだろうか。それでも先週最後に走ったときよりは良いペースであった。

ぎりぎり二ケタ台の外気温であったが、Tシャツ一枚であると肌寒いのだが、橋って降りてくると汗でびしょびしょになっていた。予定通り、もやもやとした気持ちも晴れて心理的にも大分余裕が出来るのだからとても有り難い。



参照:
嵐の中での中身の熟成 2012-07-15 | 暦
先週末の雪の余韻など 2012-09-18 | アウトドーア・環境
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自爆とはならない辛抱力

2012-09-23 | 生活
土曜日は子供を交えての岩登りだった。お相手しないといけないかと思っていた状況とは異なって、先週末に一緒だった眼鏡親方とその子供のお相手に時間を割いた。子供を引っ張り上げるのは力が要るが、それよりも親爺の面倒に手を焼く。

先週末も壁の中で途中で降りてくるものだから急遽かわって先行したのだが、引き返し癖がとんでもなくついている。だから子供を真ん中に入れた三人パーティーで引っ張り上げるのに手を貸すだけでなくて、今回も四箇所とも結局子供を引っ張り上げるのは親爺でなく私の仕事となってしまった。

ここ一年ほど熱心に練習してきたのは分っているのだが、自ら「やればやるほど悪くなる」と毒づくように、明らかに不調の程は甚だしい。無理をせずに大人しくザイルを後続して登っていれば良いのであるが、自らは登れる困難度の範疇を些か誤解しているようである。

アルプスの経験も浅く、クライミングの実力もスポーツクライミングの域に達していないのでは、大きな壁などのルートで自らが考えている困難度の場所も登れないのは当然であり、精神的なものというよりも実力の問題としか思われない。

要するに「家で」は可也登れていないと、自らが思う程度の場所は登りきれないのは当然であって、眼鏡の視力とその補正強度のような単純なものではないのである。具体的なアドヴァイスをしてあげようとは思うが、さて何処まで真意を理解して貰えるだろうか?

義理の親爺さんが元のクライミング養成担当であったことが逆に災いしているようで、そもそも当時のスポ-ツクライミングの域に入らない先生についていっていたものであるから、移動式支点の設置や確保技術などは見事なのであるが、なかなかその壁を破れないのである。

連日のクライミング週間の最後であったが様々なことがぎっしり詰まっていて、必ずしも開放された気分とはならず、複雑な気分に取り憑かれるのだが、人と深く関わるようになるとそれはそれで仕方ないのであろう。

十年以上前ならば、簡単に短気を起こして自爆してしまうような状況であるが、決して修羅場を越えるというような生活を営んでいなくとも、そこは何らかの経験の裏づけがあって、ぐっと堪えることも身についてきている。

特に二十歳近くも若い人と比べれば耐久力が強いのはなにも被曝に対するものではなくてありとあらゆるものに対してであるのは当然であろうか。我ながら堪え力が知らぬうちについてきたものと感心するのである。それでも対人でなくてクライミングなどになるともう一つ短気で辛抱が出来ないところに気がつくのである。



参照:
我武者羅に登る一ヶ月 2012-09-22 | 生活
センチメンタルな恋心? 2012-09-19 | 暦
先週末の雪の余韻など 2012-09-18 | アウトドーア・環境
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我武者羅に登る一ヶ月

2012-09-22 | 生活
石切り場で登った。約束の五時に行く予定をしていたら電話が掛かってきて、更に急いで出かけた。

今までトップロープでしか登っていないルートを始めてロープをリードしてみた。最初ハーケンまでの箇所が小ぶりな人間にはとても届かない。そこで左の面にある穴を使って登ると辿り着いた。そこからは次のハーケンまでは手を一杯に伸ばしてカラビナを掛けるまでだ。

トップロープで厭な箇所がこうして登ってみると少しの身長差などの微妙な問題で、意外に上手く行くことも分り、今後は気楽に完璧に登れることが判明した。やはり本気で登ってみないと一向に分らない。

相棒の医者が、アルゴイの余韻が残っているのか他の初心者への対抗意識か火達磨になって登っていたので、彼にとって最も高い難度をリードした。先のルートとは六級と六級マイナスの難易度で僅か半ポイントの差なのだが、十分にその差を示してくれたのは面白かった。

冬シーズンに入るまでまだ一月以上ある。我武者羅に登ることが出来れば自己の限界を半ポイントほど上げることが出来るに違いない。何と言っても汗の掻き方も違い、手のグリップがとてもよい。そして今日は石切り場の開拓者に久しぶりに会い。近況報告をした。一時太っていたが再び痩せたようで、少し窶れ気味なのは気になったが、離婚後再び活動的に為ったようで喜ばしい。

大分の雨が降りそうだが、さて明日はどうなることだろう?



参照:
今日も今日とて岩登り 2012-09-20 | 暦
夕焼けの横の虹を見る 2012-09-21 | 生活
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夕焼けの横の虹を見る

2012-09-21 | 生活
五時半前に登り始めて、日没の七時半前には懸垂下降で下りた。量は足りなかったがそれなりに練習になった。

先ず登り始めたところが困難度で七級マイナスであるとは後で気がついたが、なるほど最初の中間支点を取るのに力尽きた筈だ。それが上手く行っていたら登ってしまっていただろう。

六月にそこを訪れたときとは大分印象が異なり、なによりも大きさにのまれることがなかったのは先週末に大きな場所を登っていたからかもしれない。逆に何処でも登れそうな感覚になるのは恐ろしく、移動式の中間支点の設置を更に練習していかなければいけない必要性を感じた。

設置した支点の数は、全部で10箇所ぐらいかもしれないが確実に落下を止められるものは半数以下であった。

岩頭からの日没は、夕焼けの横に虹が出ているような少し天候悪化を示す不気味なものであった。残念ながら予定していたピクニックとはあいならなかった。

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今日も今日とて岩登り

2012-09-20 | 
五時に登り始めて、日没の七時半まで登った。途中雨がばらつくことはあったが、十分な陽射しを浴びて気持ち良かった。それでも汗を掻くことも無く、肌寒かった。日没後は急に冷えるのでヤッケを羽織る必要があった。

相棒が言うように腹が空き易い。食欲の秋である。その時間に五本も登れたのは、相棒がアルゴイで習ったものによるものが大きい。ザイルを手早く整理して、次の行動に備えるなど、動きに無駄が無く、ルーティン化してきていることがそれを端的に物語っている。

少なくともいつまでもトーシローを連れて歩くのも疲れたので助かる。さて明日は明日でまた違う人を連れ歩く。流石に季節がら毎日のようにクライミングに出かける者がとても多いようだ。

兎に角、手に汗をかかないだけでもチョークもなにも無しにしっかりと岩肌にグリップしてくれる。それだけでも楽しい。



参照:
秋へのスパートが楽しみ 2012-08-12 | アウトドーア・環境
先週末の雪の余韻など 2012-09-18 | アウトドーア・環境
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センチメンタルな恋心?

2012-09-19 | 
今シーズン最初の玉葱ケーキである。涼しくなって、熱々の玉葱が、新酒濁酒ワインにあう。世界最大のワイン祭りにも日本人も訪れていたようだが、それも終わると摘み取りが本格的になる。

そういえば週末一緒にいた眼鏡の親方が、玉葱も大蒜も全く駄目だといっていた。我々がそれを食すると、その臭いだけで一緒にはねられないと言い出したぐらいである。よくよく聞いてみると、玉葱のあの生の要素が駄目なのと同じように、大蒜にもそれがあるようで、完全にアレルギー症状があるのだろう。玉葱のあれで想像するしかないのだが、初めてそういう人に出会った。

天候は安定しているので、今晩当たりの雨が最初となるのだろう。ここからが勝負である。明日からは温度が下がってくるようで、乾いていればそれはそれで葡萄にも岩登りにも好都合である。

ややセンチメンタルな気持ちに為りながら秋が深まっていくのを満喫したい。日本においては最も好きなシーズンであったが、こちらで過ごすようになってから急に春に憧れを持つようになった。それでもなぜか今年は胸がキュンとする秋が楽しめている。



参照:
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先週末の雪の余韻など

2012-09-18 | アウトドーア・環境
秋が少しづつ深まりつつある気配だ。晩夏と初秋の天候を繰り返しながらの朝晩の冷え込みが嬉しい。

先週山に降った雪はもう消えただろうか?ドイツ語には「昨日の雪」という言い方があるが、時は流れていって済んだことにはもはや関心が無くなっていく。同時に新たな刺激が欲しくなる。

それとは反対に余韻というものもある。身近な週末旅行であったが、ここ一年ほどは高い山に上がっていなかったので、2000M級でもそれなりの高度に上がると清々しい高度順応の感覚を感じた。

パンを取りに行く序に沢沿いの道を走ったが、往復17分ほど掛かったどころか、平地が坂道に見えるほど調子は悪かった。

旅行の初日はなぜか車の中でも腸の調子が今一つで、小屋に上がるのも日差しが強く暑く可也汗を掻いた。それでも当日午後の容易な岩尾根のルートでは全く疲れは無く、その後の二日目も体調は良く、核心部超えと頂上稜線に出てからの一部で若干息が激しくなっただけである。そうした体調だからか、肉体への負担が少なかったのか、懸案の三日目の調子も若干の疲れを感じただけで、壁の上部の核心部でも全く息が上がらなかった。

やはり平素の鍛錬成果が出ているのだろうが、来年は更に高い場所で更に難しいルートを登るためには、最近始めた爪先ジョギングとクライミングの練習が欠かせないだろう。

今回期待されていた若い仲間が、結局は小柄で体力もまだ弱く、更にクライミングの技術上の余裕が無いので、十分に登りきれていなかったことをみれば分るように、特別体力があるか、クライミング技術的に訓練を積んでいないと、難易度でかつかつのルートを登れないと言うことでもある。

体力と技術を自分自身において考えると、どちらも特に優れている訳ではなく、比較的中庸なので、どちらも底上げが必要ということである。また今回は、60Mのハーフロープを使ったので、懸垂下降は比較的上手く進行した。しかし、嘗てのドッペルザイルテクニックとは異なり、微妙な壁ではその扱いなどは若干不利で、その重量を含めてどれほど微妙な場所を登るかに依るだろう。


写真:頂上付近から眺めるフッセン郊外ノイシュヴァンシュタインの湖



参照:
自主練成の方向性の正しさ 2012-09-17 | アウトドーア・環境
永いフィットネスの精華 2009-07-17 | 生活
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自主練成の方向性の正しさ

2012-09-17 | アウトドーア・環境
週末はアルゴイの山で過ごした。厳密にはオーストリアであるが、国境に近い。その分、アルプス地方でもまだ標高も低く、2000M級なので日本アルプスに似ている。

日本の山で比較すると、北アルプスの穂高岳群であろうか。前日まで気温が低く雪が積もっていたが、気温が上がり大分消えていたお陰で、クライミングを楽しめた。

それでも石灰岩特有の滝場のような場所は乾いてはいても、陽があまり当たらなくて指先が冷たかった。特に土曜日の午前中はガスが掛かって久しぶりにアルピニズム的なクライミングとなった。

経験の足りない仲間が梃子摺ったのも理解出来る。天候の関係からリュックサックも担いでいたので、特にチムニー登りなどは総合力が要求される以上に、石灰特有のルート取りを知らないと不安で堪らないだろう。

今回は予定されてたライヴァルが不参加となったのでとても残念だったのだが、クライミングではなくアルプス登山の経験のある者と初めてザイルを組めて面白かった。細かな技術的なことには色々と注文を付けたいところであるが、無駄な力を使うことなく勇敢に登っていく姿はとても清々しかった。そしてなによりも体力があるので、危なげが無いのが素晴らしい。

自分のことを考えると、日曜日はコムパクトなルートを登ったが、天気が良く懸垂下降するので靴も水も持たずに、技術的には出来る限り省エネ登攀を心掛けて上部の核心部に備えたが、少し肩透かしであった。

同じような経験を積み重ねながら、三日目でありながら疲れなく登ることが出来て明らかに底上げが確認できてよかった。この一年間の訓練が実を結んできていることは明らかで、方向性の正しさを実感したのであった。



参照:
永いフィットネスの精華 2009-07-17 | 生活
観光資源の無かった田舎の村 2009-07-18 | アウトドーア・環境
草臥れ果てた一日の成果 2012-08-09 | 生活
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