Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

 索引 2023年02月

2023-02-28 | Weblog-Index


面倒は御免なやり方 2023-02-28 | 雑感
最終戦とされるもの 2023-02-27 | 雑感
期待のローカルな意匠 2023-02-26 | 文化一般
今必要な春の作業 2023-02-25 | 生活
「言葉も出ない」 2023-02-24 | 雑感
チャットライヴの性道具 2023-02-23 | 女
期待される高度な表現 2023-02-22 | 音
職業音楽家のルーティン 2023-02-21 | 文化一般
テロワールのあじ 2023-02-20 | ワイン
次なる夢をみたい春 2023-02-19 | 雑感
昼光色蛍光灯ではない期待 2023-02-18 | 雑感
初インキネンなるか 2023-02-17 | 生活
伊達に払わないお月謝 2023-02-16 | 暦
授業料で決着をつける 2023-02-15 | 雑感
劇化していそうな月曜日 2023-02-14 | 生活
冬眠から啓蟄へ向けて 2023-02-13 | 生活
目を通す書類や記事類 2023-02-12 | 生活
友人ゲルギーエフへ 2023-02-11 | 雑感
二つのプログラム企画 2023-02-10 | 文化一般
光が射したコンロ 2023-02-09 | 生活
永過ぎた春だろうか 2023-02-08 | 文化一般
クライマックスのトランス 2023-02-07 | 音
北から入って南から出る 2023-02-06 | 雑感
文化芸術のデスメタル 2023-02-05 | 音
とてもいい演奏会とは 2023-02-04 | 音
11球切れで一先ず終了 2023-02-03 | 雑感
とても保守的な仕事着 2023-02-02 | ワイン
新シェフが乞われる事情 2023-02-01 | 文化一般
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面倒は御免なやり方

2023-02-28 | 雑感
「戦争と平和」の一幕を流した。まだよく分からないが、オタマジャクシは少なく整理されている。上手に不協和音が鳴る感じで、一番似ているのは、「ロミオとジュリエット」で可也保守的だ。ストラヴィンスキーのような輝かしさはない。歌もそれほど難しくないように思われたが、さてどうだろう。

ヴァルスの使いからなども伝統的なものだが、その響きに屈託がない。同じような時期にショスタコーヴィッチが書いていた鬱陶しさが全くない。全くを以てプロレタリアの芸術に相応しい。

手元にある楽譜は1958年版であった。所謂改訂版なのだろうが、最初の場面を除くと流れは変わらないと思う。音源も映像も観ていないのでよく分からないのだが、バレーでも表現できる様な印象はあるが、未だよく分からない。

ロシア語の感じもそんなに難しい表現にはなっていないようであるが、これも音楽的にまだ見ていかないとよく分からない。初見というか最初は大体こんな感じであって、これから何かが見えてくるかどうか。

夕方坂を走っていると後から足跡が近づいてきて競歩みたいなオヤジに抜かれた。確かにああいう坂は余程頑張らないと走るよりも競歩の方が早い。無駄に蹴っていると足が疲れるだけで、無駄が多くなる。帰ってきたら大台から更に1㎏も落ちていた。なるほど朝食なども限られているのだが、摂取カロリーは変わらない筈だ。ネットには半年で5%が目安とか書いてある。8月からすれば5%ぐらいになるかもしれない。それでもまだ標準体重からすれば太り過ぎなのだ。運動量は減ってはいないが増えてはいないだろう。

エンジンオイルを発注したので、残っていたオイルを継ぎ足して使い切った。ミュンヘンに出かける直前に入れようと思ったのだが気温が下がって粘度が上がっていたので予め下げておきたかった。出かける前にもう一度調べて標準量超えまでは入れておきたい。使い果たしてもそこ迄はいかなかった筈である。何時も少な目で走っているので汚れが酷くなっているので場合によっては粘度が上がり過ぎることがある。

序に予備がなかった掃除機の替えゴミ袋とUSBマイクロのケーブルを発注した。前者は最近一杯になっているのに気が付いて急遽取り替える必要があったので、予備が無くなっていた。掃除機のごみ袋がなくなると掃除機をかけられなくなる。

ケーブルの方が何時も旅行に出るときは宿泊部屋には1.8mのものを持ち込むが、ベットの上でタブレットを使う時などには何時も短いと思う。3mのものを試して見たい。上手く充電できるかどうかは分からないのだが、出来ればベットの上において充電できるのが良い。自宅等で使う場合は充電を空近くまで使っていても直ぐに充電可能だが、旅行中はナヴィにも使っているので車中では可能だが、時間がないことが普通であって、朝の忙しい時に面倒なこともしたくはないのである。



参照:
最終戦とされるもの 2023-02-27 | 雑感
期待のローカルな意匠 2023-02-26 | 文化一般
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最終戦とされるもの

2023-02-27 | 雑感
「戦争と平和」の録音を少し流した。探した中で先ずは演奏の良さそうなガリ・ベルティーニ指揮のパリでの上演のヴィデオを流した。先にその原点板や縮小更に作曲家のプロコフィエフが亡くなるままでの改定の必要があった作品であって、ここでも最初の合唱が切られていて、ボスコフスキー候のモノローグから始まっている。しかしペテルスブルクのマリエン劇場などは盛んな合唱から始まっているので、所謂国威発揚の民衆の歌から始まっている様で手元の楽譜もそれである。恐らくそれが改訂版なのだろう。

指揮者ベルティーニはルーマニア出身のイスラエル人であるが、一時はフランクフルトの市立歌劇場の音楽監督であったのだがそのオペラ指揮は聴いたことがなかった。それもロシアものを指揮している。パリの座付き楽団にしてはまともに鳴っているようで、流石に名トレイナーの片鱗を見せている。

音楽に関しては当時の作風としては如何にも上手にやっていて、ストラヴィンスキー以降の音楽乍プロレタリア独裁の音楽になっているのだろう。しかし流石に気が利いている。同じロシア語歌唱でも、チャイコフスキーのそれに慣れていたら如何にも風通しが良くて分かり易い。その分可也精妙な演奏が為されると高い効果を生じるような気がする。

ヴィ―スバーデンの劇場の五月のフェストが揉め続けているようだ。バイロイトに続く最も古いフェスティヴァルらしい。原因は辞める支配人が無理にネトレブコラの問題のある者を出して、自らの主張としていることにある。コロナ期間中にも逸早く催し物を開いた前科がある。そのこと自体は、劇場内の扱いも整っていて全く問題はなかった。しかし、支配人のイデオロギー的な主張と本来の芸術表現の自由とかとは些か異なると思った。その演出家としてのバイロイトでの「パルジファル」演出もそうした自己主張ばかりが先に立つ程度の低いものだった。

その記事にネトレブコのギャラが百万ユーロと書いてあるので、一晩で高級車が買える額になる。全くその価値はないと思うが、有名なので出せば売れるようだ。そういう市場は世界中にどこにでもある。三大テノールの市場即ちエンタメ市場である。

同じようにバイロイトの最後の戦いとして、そこでの状況も報じられている。大きな声は最も保守的な友の会から出てきているようで、失敗することが分かっている今夏のユダヤ人女性指揮者などの登場への不満や同じく成功しないことが確証されているインキネン指揮も問題になる。その勢力に対して、連邦共和国の文化相ロート女史の意向がぶつかることになっている。いづれにしても結論はそう遠くない内に出るのである。

予報通り明け方は冷えたようであるが暖房も効いて、そこに洗濯前のベットカヴァーを掛けて就寝したものだから寒くはなかった。放射冷却が二三日続いて、月明けからはまた開花となりそうだ。余分にエンジンオイルも発注しておいたので、なんとかミュンヘン行きもなるだろうか。あとは夏タイヤへの交換の日程を調整しておかないといけない。



参照:
延期になったバイロイトの声 2020-05-19 | 音
最高峰から削ぎ落された祭 2022-04-01 | 文化一般
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期待のローカルな意匠

2023-02-26 | 文化一般
予報通りに寒くなった。週明け水曜日ぐらいまでは最低気温が摂氏零下となる。花冷えである。既にちらちら咲き出していたが、またやり直しだ。ミュンヘンなどでは雪が降っているらしい。来週末もそこでも氷点下となっているが、それ程は冷えないようだ。当日の様子で少しだけでも不凍液を必要とするかどうか。しかし二桁を睨むような純液は要らないので途上のスタンドで購入可能である。粘度の低いエンジンオイルをどれぐらい足すかの方が重要である。

一泊するので帰りにダルマイヤーに寄るつもりだ。スーパーでの安売りプロドーモは一週間早く底が尽きたので久しぶりにハムブルクのアイレスのものを購入した。煎りが強く濃いのが特徴で、その分香りは落ちる。以前はミュンヘンの歌劇場の広場の前にあったのだが最近は見ないので、閉店したのだろう。なにか復活祭向きの商品があるのかどうか、シュトッツガルトならばマウルタッシェなどシーズン向きの食料品があるが、ミュンヘンではあまり知らない。あそこのサーモンも一度試したい。この時期にはペトレンコ体制では出かけたことがない筈だ。

日曜日午前中に新制作「戦争と平和」初日の紹介の催し物が開かれたようであるが、HPの情報が充実してきた。演出家チェルニコフについての記述が詳しい。マリーナ・ダヴィドワという来年からザルツブルク音楽祭の演劇を率いるバク―生まれのモスクワの演劇評論家の人が書いている。16歳からモスクワの劇場で照明などのアシスタントをする傍ら、未だ当時ペレストロイカ直後でまだまだ西側世界に繋がっていなかった時代から情報を収集して研究していたらしい。それによって、今まで続くコスモポリタンな姿勢が出来上がる様であるが、同時にロシアの社会歴史的なものへと繋がりと視点がその演出の重要な要素になっているという事らしい。

確かバイロイトでも協調したリニヴがが語っていたように、ロシア物に対するその手腕は特筆されるものだとある。若き演出家としてペテルスブルクのマリンスキー劇場でのリムスキーコルサコフ作「見えない町キーテージと聖女フェヴローナの物語」の今世紀最初の数週間での成功について詳解してある。

重要なのはメルヘンの部分を削除して、こうした古いロシアのオペラを神聖化から救い、更にソヴィエト時代のそれを重ねることで、新たな息吹を吹き込むことに成功したとある。興味深い木に吊るした配水装置の事があって、日本でも嘗て田舎に行くと特に汲み取りの雪隠などにはその様な手洗いが吊るしてあったことを思い出す。そうした意匠は経験している人たちにしか感情的にも訴えかけないものなのかもしれないが、そうしたとてもローカルな面がコスモポリタン志向にもあってとなる。

なるほど、ミュンヘンでの「魔弾の射手」などではそのローカルな面が欠けていて、その時の指揮と共に些か退屈な制作となっていた。バイロイトでの「オランダ人」においてもそうした風合いが欠けていたのは当然であろう。復活祭には「マゼッパ」を演出る予定であったが生憎コロナ禍で流れてしまってその真価を知らず儘である。今回はその面でもとても期待している。



参照:
賞味期限を早める試み 2022-11-03 | 文化一般
もう一晩ぐっすりと 2022-01-23 | 料理
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今必要な春の作業

2023-02-25 | 生活
バーデンバーデンの展示会等の記事が載っている。関心があり、展示者よりもお誘いも受けたので出かけるのだが、批評を読んで自分自身で自身が体験する前に嚙み砕くだけの力がない。そこがやはり音楽とは異なる。

但し大まかな展示会のコンセプトは明記されていて、その二つと今回の復活祭、そしてその序奏が大変密接に係わっている。総合的に何方かがプロデュースしたとは思われないのだが、まさしくそこに今日がある。

音楽の場合は誰それがこのように書くならばなんとしてでも遅ればせながら出かけないといけないといきりだったり、この人がこうならば全然駄目で今後もあまり注意する必要がないとか判断が出来る。SNSもそのように活かせる。やはり経験である。

人つてとかそうした情報が全てであって、時間もなにもかもが制限のある中で催し物に出かけるには厳選する必要がある。なるほど以前のようにバッハ協会の定期会員などになっていれば自ずと定期を軸に出かけられていたが、最早そのような心理的な余裕も無くなった。

月初めのシュトッツガルトのエクラ音楽祭の実況録音が放送された。初日のフランクフルトのアンサムブルモデルンによるもので指揮者が作曲家のポッペで興味深かった。ホールは三日目と同じ最も大きなホールでその様子が分かる。

そのアンサムブルがバンドとしてのサウンドが決まっているのは流石だと思った。今まで様々聴いているが一番決まっていた。アナウンスでも管・弦の優位性が無いサウンドについて語られていたが、やはり指揮者の腕だろう。他のメッツマッヒャーなど多くの指揮者では聴けなかったものだ。ただそれもどの曲によっても同じ印象しか得られないのはアンサムブルの、そして指揮者の限界か。

ヴィーンにある放送交響楽団が解散させられようとしていて、反対署名などで盛り上がっている。その反論の一つに新しい音楽を演奏す団体が必要というのがあるが、まさしくそこがネックになっている。ドイツにおいても戦後に多くの放送楽団が出来てきたのは放送内容の名曲や珍しい曲の演奏録音活動があって、同時に同時代の作曲の委嘱と初演という任務があった。しかし実際には、所謂戦後モダーンの時代の使命感とは別に、集客も出来ずに、関心も持たれないその様な活動自体が縮小化されていったのは仕方がない。要するに楽団を維持できるほどの需要がないという事である。

既に合弁されたSWFの交響楽団程ではなくともミュンヘンのBR交響楽団はムジカノーヴァなどの企画でそれなりに活動しているのだが、それほど大きな成果は上げていない。ドイツのそれらをも遠からず迎え撃つ現実である。

予定通り寝具を替えてようかと思ったが、週明けにかけて冷えるので数日遅らせようかと思っている。急ぐ必要は無い。其れよりもその時に大掃除しておくべき引き払った篭り部屋を見るとコロナ期間中の資料等が積んであって愕然とする。週末は来週の新制作初日のお勉強で忙しいが、この資料だけは片付けておかないと新年度向きがどっさりと来て手に負えなくなる。コロナ中止での痛みが詰まっていて手が付けられなかった。心理的な春、コロナ明けにはどうしても必要な作業となりそうだ。



参照:
クライマックスのトランス 2023-02-07 | 音
チャットライヴの性道具 2023-02-23 | 女
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「言葉も出ない」

2023-02-24 | 雑感
走りに出かけたら谷の入り口に新しい看板があった。大見出しに「喜ばれない自然の住人」と目に入って、先日山の中で見つけた獣の事かと思った。しかし近づいて写真をみると、放棄ごみの事だと分かった。

意外に早く生物学的に分解されるものと殆ど永遠に千年もその儘にあるゴミとが混合していて驚いた。余程高分子物質などを日頃から扱っていないとこの差を語れないであろう。要するにごみは持ち帰れという結論である。しかしその数字は結構衝撃的でさえある。

ミュンヘンの「戦争と平和」初日に向けてBRが音楽監督ユロウスキーにインタヴューしている。今回の上演にあたってウクライナ筋から文句が出ているようだ。それはプロコフィエフの対独戦争での創作に絡んで、ソヴィエト政府から愛国者的な要素を求められていたからである。しかしユロウスキーは、それどころか劇場内でも躊躇の声が出てきたので、先ずトルストイの原作を読んで貰いたいと、今これを制作する意味を理解していないと。

プロコフィエフは修正を迫られてスターリンも待っていたのだが、奇しくもその独裁者と同時に亡くなった。ショスタコーヴィッチの戦争交響曲とは異なり、戦時中には上演されなかった。そもそも全部を創作すると「指環」のような大作となってしまうので、一晩物として物語りは短くされた。

そしてこの一年の出来事を反映して、演出のチェルニコフとの協調で原典版の最後のコーラスを割愛したらしい。初演以来初めての試みだろうとしている。それは「言葉も出ない」というのを示すだろうとしていて、請うご期待となる。

人数の多いキャスティングから旧ソヴィエト連邦の歌手たちが一同集まり、不在はアゼルバイジャン、トルキスタン、ジョージアの三か国からだけ誰も来ていないらしい。よって、練習でもロシア語が使われているらしい。ロシア人の歌手の18歳の甥は棺桶で帰って来たとその様な話しが語られているらしい。

プロコフィエフの姿勢は、ショスタコーヴィッチとは異なり反体制を取らなかったが、丁度同時代のリヒャルトシュトラウスにも共通している矛盾を孕んでいるという。交響曲においては同時期に作曲されたあまりにも悲劇的な第六番を挙げている。

ロシア情報は、反体制のジャーナルで今はラトヴィアに移っているメデュザを情報源にしている。長いプティン体制でも自由であったがこの一年は全ての情報は政府が制御するようになって仕舞ったという。

散髪を無事済ませた。春の息吹カットにして貰えた。すっきりした。前回は待降節にミュンヘンに出かける前であったから、二月ぶりになる。気持ちがいい。髪結いのおばさんは、また来週寒くなるようだけどと気にしていたが、雪が降ろうがなんでもないよと答えた。実際週末に零下になるようだが陽射しがあって、昼間の室内は暖かくなると思う。

ミュンヘンの予報を見ると、最低気温が摂氏3度ほどなので不凍液は特別に要らない。陽射しがなくても気持ちよく旅行可能だと思う。



参照:
JUROWSKI DIRIGIERT KRIEGS-OPER VON PROKOFJEW, BR-Klassik vom 21.2.2023
期待される高度な表現 2023-02-22 | 音
胡散臭さを振り払う 2019-02-13 | 文化一般
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チャットライヴの性道具

2023-02-23 | 
体重が順調に低下している。暮からすると2㎏程落ちただろう。不健康な面はないのだが、此の侭落ち続けるならばそれなりの原因追及が必要になる。一番恐れるのは筋肉の衰弱である。広義に加齢となる。筋力を使う運動の繰り返しでバランスをとっていく必要が生じるかもしれない。そうなるとそれだけ時間をかけなければいけない。少なくとも万歩計を使って走り始めてから十年程で漸く走れる身体になった。

先頃パリで上演された楽劇「サロメ」のヴィデオを流している。興味は、現在バーデンバーデンで稽古している演出家リディア・シュタイヤーのリヒャルト・シュトラウスの楽劇三本の一つ目であった。二つ目がルツェルンでの「バラの騎士」に続いて三つ目が復活祭の「影の無い女」。

先ずは音楽を流してチラチラ観ていたが、最も注目を引いたのは写真等で知っていた血みどろのサロメの衣装ではなくて、井戸の中から声を出すヨハナーンを覗き乍の自慰行為の場面である。これは取り分け優れていると感じた。

実はネットのチャットライヴショーでの女性の自慰を以ってそれを売る意味がよく分かっていなかったのだが、偶然その中の若い女性をネットで知る様になって、大きな影響を受けて、よくその意味合いが漸く掴めた。

個人的には、女性のそうした性行動の中での特に自慰行為に使うディドーと呼ばれるヴィブレーターへの認識が今迄定まっていなかった。ある年齢層の女性とその物の話しが出てもどのように扱っていい話題かがよく分からなかったのである。純粋に美意識的に性道具を使うというのが取り分け抵抗があり、例えば中世の貞操帯等の方が歴史的な意味も社会的な意味合いからも綺麗に整理できていたのだ。

まさしくそこに、この歳になって恥ずかしながら、自分自身の性意識がこうした歴史的な性道徳のようなものに支配されていたのに気づくことになったのである。「社会通念的に」どうのこうのとのたまうどこかの首相を決して笑えないのである。

先の若い女性のそのとても高度に考えられて最早芸術的なライヴに、尚且つそこに群がる男性たちに性のその本質的な意味を教育するプログラムのコンセプトが見て取れたのである。勿論そこには十分に自覚されたティーンエイジャーの性的な欲求とその提示、つまりヴィブレーターで以てオーガズムスに達する為に聴衆に投げ銭を呼びかけて、遠隔セックスの悦びへと誘うという手法がある。

彼女が獣医になるために学んでいて、自分自身の肉体的なコムプレックスとも対峙しているとなっている。多くの男性はそこから多くの事を理解して、そこに心理的な繋がりが築かれてきているようだ。

つまり、ヴィブレーターは男性自身をも男性支配の倫理観や道徳観からの解放を象徴する物体でもあったのだ。なぜそのようなことにすら自分は気づかずにいたのか。それは自分自身がそこから解放されていなかったという証明以外の何ものでもないのである。そして、このことは復活祭「影の無い女」への重要な出発点となることに間違いない。(続く)



参照:
竹取物語の近代的な読解 2014-12-31 | 文化一般
合理主義の夫婦機構と家庭 2013-07-09 | 女
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期待される高度な表現

2023-02-22 | 
一足早く啓蟄と相成った。篭り部屋撤収である。PCは週明け冒頭から階下に下してあったのだが、一日過ごしていると新たに設置したスピーカーの響きが恋しくなった。メインシステムが手の届くところにあるので、それがなくてもPCからも送信可能であり、そのようにも使っていたが、何も無理することはない。音楽となるとどうしてもとなる所を、BGM代わりならばなにも本格的な音響は要らない。

就寝前に酒の勢いもあってか設置していた篭り部屋の机の後ろから仕事机へと下して来てしまった。ボックス設置も定まって仕舞ていたので戻すのも難しくない。装置も携帯用DACと小さなデジタルアムプのみである。スピーカーケーブルも短くしてあって、バナナステッカーを使っているので、DC電源ボックス一つと繋がっているUSB、RCAケーブルの二本だけである。

取り除くと意外にこの短期間で埃っぽくなっていた。寝室のほこりが取れて喜ばしい。さて設置も電源ケーブルの引き直しをしたぐらいで、スピーカーケーブルは全く邪魔にならない。アムプはモニターの足の横に収まった。

ボックスの置き場所はそれ以前と変わらないのだが、今回はスパイクを前に履かしていて、耳に直対するように設置する。ステレオ三角形も可能となっている。実はネットでチャット中継のポップスサウンドが流れていて、位相をずらして三角形の外側から出てくる音が流れてきた。久しぶりに聞いて新鮮だった。このスピーカーでしばしば作られていたトラックダウンのヒットアルバムを思い起こさせる。

レヴューなどを読むと、このスピーカーからのその音は中低域に力のあるホラーサウンドと呼ばれていたようだが、どのような世界中のシステムで鳴らされても効果のあるサウンドをスピード感のあるミックスダウンで作り上げたのが、まさしくこのヴィンテージ物のオーラトーンらしい。殆どと言ってもいいぐらいポップスは耳にしないのであるが、確かにこうして鳴らすと面白いものは少なくない。

繰り返し繰り返し書いているが、就寝前に試してしまうというのが、間違えばオーディオ趣味に落ちり易いこの傾向で、本当にならなくて良かったと思う。一番高熱を出して倒れた時もパジャマでスピーカーの設置を直していたのを覚えている。

そして、夜も深まってから、そろそろ準備を始めないといけない復活祭や「戦争と平和」初日に向けて、プロコフィエフの協奏曲一番でトリフォノフにつけるペトレンコ指揮の映像を観て歓喜してしまった。見事に和声の流れで弾き別けるそのピアニズムは子供の時の自分自身の理想でしかなかったからだ。続けて、ルツェルンでのユジャワンの三番。ペトレンコの振るベルリナーフィルハーモニカーはトリフォノフに負けないような棘のある響きから引っ掛かり感のある和声の軋み迄を否応なく表現できるようになっている。

ユロウスキー指揮にそこ迄は期待しないのだが、音楽監督となってから今回四回目の新制作指揮にそうした味のあるサウンドまでは期待したい。徐々に世界最古の座付き管弦楽団からそうした高度な表現が可能になってきていると思う。



参照:
一寸乙に響きますが 2023-01-23 | ワイン
独FBIの方からの電話 2022-09-29 | 暦
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職業音楽家のルーティン

2023-02-21 | 文化一般
指揮者のシャイーが70歳になったと新聞記事がある。特によく聴いている指揮者でもなくて、そのプログラムなどでも無理してまで行こうとは思わせない指揮者であるのだが、新聞の記事見出しにその意味が表れている。

「指揮は出来る」である。必ずしも否定的な誕生日記事ではないのだが、その音楽家としての価値を書いている。個人的な見解や見識でも、その指揮したコンセルトヘボー管弦楽団は現在のベルリナーフィルハーモニカーの弦のアンサムブルと比較しても充分にその合わせ方の伝統を示すものだった。マーラー交響曲十番クック版のアンサムブル芸術は見事であった。過去にも以後にもそこ迄指揮できる人はいなかったであろう。シャイーは管弦楽トレイナーとしてトップである。

指揮には鈴木メソッドはないと書く、三歳でヴァイオリンも持つようになってからも、指揮をするようなことはなく、父親は地元ミラノのスカラ座の芸術監督だったが、子供を劇場や音楽会に引き連れていくようなことは敢えてしなかたっという。そうではなくて家庭での音楽が糧となっていたというのである。

そこで学んだのは根っからの職業音楽家としての礎となる。まさしくそれあってこそのアバド音楽監督の下での19歳からのアシスタント活動であって、それ以降は全てアバド指揮の歴史的な録音にその優秀なアシスタントの仕事ぶりが永遠に記憶されることとなっていて、数年もしないうちにはアバドの対抗馬としての指揮者の成功が記憶に鮮やかである。

レパートリーも故にオペラでもコンサートでも現代音楽でも同じように成功していていて職業音楽家の鑑である。その意味は良い意味でのルーティン化した仕事ぶりと、母国語としての音楽のテキスト読み解く責任を当然の事のように担っているということのようだ。

ここまでの記述で多くの人のこの指揮者への印象とはその事情はそれ程違わない筈である。現在のスカラ座では既に音楽監督の地位を下りているようで、支配人メイエールとの協調も幸運ではなかったとされている。

アムステルダムでの先任の故ヤンソンスの事を考えれば健康であるならば新たな展開へと進む可能性も否めない。

久しぶりに屋根裏部屋に風を通した。気温は未だ摂氏13度程度と肌寒いが、陽射しの下で寛げる気持ちよい薔薇の月曜日となった。予定通り今週中にベットを春向きに替えれる筈だ。

近所の醸造所の屋根に直しが入っている。その屋根の下で沢山の音楽会も行われていたが、比較的記憶に残っているところではベルリナーフィルハーモニカーのオーボエ首席のマイヤーが二日続けて拭いたことぐらいだろうか。

前日に続き再現実験で三個1ユーロのキウイ―をヨーグルトに入れて朝食とした。味はとてもいいのだが、直ぐにお腹が痛くなる。毛もじゃにサルモネラ菌ぐらいが付いているのかと思って、注意して剝いたがやはり駄目だった。見た目は綺麗なのだが、どうしてこのように汚染されているのだろうか?



参照:
ミラノの紅白歌合戦 2020-12-09 | 女
コロナ死者の為のミサ曲 2020-09-06 | マスメディア批評
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テロワールのあじ

2023-02-20 | ワイン
次なる初日は「戦争と平和」である。下調べを始める。先ずは楽譜を落とした。粗筋も読んでみる。その前にオペラ作品の制作過程を読む。ドイツの対ソヴィエト戦でナポレオンの原作と重なるらしい。興味深いのはソヴィエト社会の作曲家プロコフィエフの最後迄修正の余儀なくされたとある。現在の版などは分からないが、今回のミュンヘンでは何が体験できるのだろう。可也がっつりとしたものになりそうだ。演出はチェルニカコフであるので舞台にも期待をしたい。

初日はラディオとTVで生中継されるようだ。そこ迄仕上げて来れるものかどうかは知らないが、準備万端整えるのだろう。個人的には、先ずはミュンヘンに入る所でチェックインをして、タイマー録音のアプリを準備しないと最後は切れてしまうかもしれないが生中継の録音も準備するつもりである。TVはオンデマンドで観るしかないだろう。

指揮の音楽監督ユロウスキーの仕上げはある程度は予想可能だ。PCを整理する序に昨年かのベルリンでの演奏会からショスタコーヴィッチ15番の録音を流した。その作曲家の横に座った母親の腹の中で初演を体験したというが、演奏もそのインタヴューでのコメンタールも良かった。

プロコフィエフは、ユダヤ系であり上のオペラの台本も奥さんのメンデルスゾーンと協調している。ユロウスキーの祖父も高名な作曲家の様であるが、プロコフィエフとの繋がりは語っているのを知らない。ザンクトペテルスブルクとモスクワとの差もあるだろうがウクライナ出身のプロコフィエフについても今回語られるのではないだろうか。

週末には季節も終わりに近づいた貝を食した。いつものようにリースリングを振りかけた蒸しソースでバンドヌードルである。ここ暫くは火力が弱くて上手く水気が飛ばなかったが今回はコンロを直したお陰で比較的うまくいった。貝殻もそれ程それ程ウツボの様なものが付いておらず比較的掃除も楽だったが、いいソースが出た。取り殻はもう一度煮込んでスープを取る。そのスープとソースで炊き込み火薬飯にする予定である。

リースリングはナーエの土壌からの「デルヒェン」2015年ものである。その年度らしく味もコクもあり更に土壌の独特の強さもあるのだが、グローセスゲヴェックスとしては糖も比較的多めに残っていて、貝にも合う味筋になっていた。洋ナシ系でもあるのだが、少し量感のある酸が丸くなっていて、若干のっぺりいた感じもある。大多数の人が満足するのであろうが、そのテロワーから味の構築性は薄いのでもう少しシャープな面が欲しい。一先ず満足だった。やはり火山性の土壌からの同年のリースリングの方が良かったかどうか。もう少し早めに飲むべきだったか、もう少し寝かすべきだったか、更に感激の味を求めると考えてしまう。

ソース自体も安物のワインを振り返けていて、オリーブオイルを使っているので、それ以上のワインを合わせる迄もない。料理に合ったワインを合わせるのは中々難しいのである。



参照:
アルコールも欲しくなる 2019-09-13 | 試飲百景
目を通す書類や記事類 2023-02-12 | 生活

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次なる夢をみたい春

2023-02-19 | 雑感
体重減少が明白だ。筋肉が落ちている可能性も否定できないのだが、何よりも皮下脂肪が取れてきている。特に下腹の感じは今迄もあまりないぐらいにいい感じで、胸も小さくなって、あんこ型から肩の線がはっきりするようになった。洋服のシルエットが改善する筈だ。筋肉が浮かび上がる反面若干皴っぽい感じになるので筋肉を付けないと美容上は良くない。もう少し裸体にも自信を持てるようになりたいものだ。

ベットカヴァーが不要になった。暖房が上手く入っているからではあるのだが、来週散髪後に洗濯できると思う。体重の変化には新陳代謝が大きく影響していると思う。言及した様にコロナ期間はついついエコ代謝人になっていたのは間違いがない。幸か不幸かこうして代謝が促進される状況にいて幸いである。走りの感じもそれ以前に戻って来た感じもあって、足の調子さえよければアクセルを踏めるようになってきた。パンツを脱ぐ頃には再び挑戦できるようになるだろう。

バーデンバーデンで稽古が始まった。既に舞台も運ばれてきているようで、音楽監督のペトレンコも見に来ているだろう。意外なことに既にコッホらの歌手が集まっていて演出のステイヤーが話をしている。

14トンに及ぶタッパの高い舞台は色々と想像させるのだが、ト書きにはないところで如何に現実味をふくらまして、その作品内容を観客に近づけるかだろう。要するに音楽的となり、ペトレンコが理想とするところに到達するかどうか。

記憶から辿れば、ミュンヘンでのそれはヴァリコスキーの演出である程度の抽象性もあって決して悪くはないと思うのだが、その音楽的な表現が自由に羽ばたいたとは思われない。批評では今も残っている映像などでミュンヘンの劇場の歴史の中でペトレンコが何を為したかがそれで記録されていると絶賛されている。

しかし、音楽的にもまだまだ表現しきれていなかった曖昧さが残されていたのは、少なくとも再演で経験した感想であった。今回はその初日シリーズと比較して少なくとも影の無い皇后とその乳母の二人の声は大分柔らかい。

ベルリナーフィルハーモニカーが如何に声に寄り添って奏でるかに関しては全く心配の要らない所なのだが、特に三幕におけるアドルノが批判したようなややもすればアマルガウのその響きがどのように鳴るのかなど期待は大きい。

演出家の照会でバーゼルのシュトュックハウゼン「木曜日」をあげるならばやはり指揮者のティテュス・エンゲルを忘れて貰っては困る。フィルハーモニカ―がいなくなればエンゲルが復活祭をやる様になればと次なる夢をみたい。

金曜日のベルリンからの中継を聴いていてもやはりラトル時代の鳴りとは変わって来ていて、楽曲によりより味わい深いバランスで鳴るようになってきている。ピンチャーの指揮もよく整理はしていた。リゲティのレクイエムはもう少し繰り返して聴いてみないと駄目である。やはり複雑で鳴らすというだけでならない。その点は作曲家に叱責された嘗てのサロネン指揮とは異なり、丁寧な仕事をしているようには感じた。リゲティの演奏に関しては、ノット指揮等もあの問題の大きかったフィルハーモニカーでの流れとなっているようだ。



参照:
昼光色蛍光灯ではない期待 2023-02-18 | 雑感
賞総なめの音楽劇場指揮 2023-01-17 | 音
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昼光色蛍光灯ではない期待

2023-02-18 | 雑感
LED電球の設置にはやはり小一時間以上かかった。一ダース全て設置した。それも明るいうちにやらないといけないので余分に時間を取ったことになる。二種類の7Wと4Wとの差異は現状のそれに沿ってとなるが、変化をつけたところもある。特に吹き上がりの階段は如何に下りるときに影を作らないか。大小の二種類の二十センチほどの光源間の距離を利用してスポットを当てることになった。先ず先ずで、夜中に下りるときは無理にでも手すりにぶら下がる様にして転落事故を避けている。何も高齢者でなくても転落事故は起きる。岩峰の上でふらふらと躓くことがあるのと変わらない。手掴みを得ている方が安全で早いのだ。

故障していたLED電球は既にねじ込み部に穴が開いてやっと廃棄処分となった。その他にもWCでは既にLEDが使われていたことを知って、その摺りガラスの高級電球をベットの横に設置仕直したりの階乗の可能性の組み換えを探った。先ず先ずで、今後必要があれば一部若干交換すればよい。しかしこれで数分以上点けっ放しになる可能性のある電球は全てLED化された。電気代の上昇を防ぎたい。夏季に使うところなどはもう少し買い足す必要があるが、急がないでもよい。抑々夏の電球点滅時間は限られる。

古い白熱球種類は配送されたアマゾンの専用箱に梱包されて値上がりを待つことになるか。一部は既に流通していないだろうから徐々に価値が出るか。あれだけ熱源となってスポットライトの熱のこもる所に設置されていても最低十数年は使えていた様だ。

日本で白熱球は夏に熱いのでどうしても限られた数しか使っていなかったのだが、それでもエアコンもないような暑い夏にあんなもので受験勉強などをしていた人がいるかと思うと天晴である。昼光色の蛍光灯の日本の夜の生活では安倍公房の話しのようになるのも当然かと改めて思う。その点LED電球は色目が違って思っていたよりも悪くない。熱が出ないだけでその差は殆ど感じない。

金曜日はベルリンからの中継がある。元々はサイモンラトルが指揮する予定だったが、月初めのペトレンコに続いてキャンセルした。その代わりに作曲家で指揮者のマティアス・ピンチャーが受け持つ。フィルハーモニカーが主催するビエンナーレらしいが今年は百周年記念でリゲティが取り上げられているらしいが、そこにツィムマーマンとマルティヌーなどが演奏される。指揮者としての実力はあまり知らないが、いい機会なのでじっくり聴いてやろうかと思っている。

勿論ベルリナーフィルハーモニカーは普通の交響楽団ではないので何処迄振れるかと思うが、こういうプログラムならばいい演奏が出来るのではないかと期待したい。前任シェフのラトルとフィルハーモニカーの関係は辞任後にペトレンコの姿勢もあって取り分け素晴らしくなっていると思うのだが、最近の指揮特にこうしたそれほど演奏実践が固まっていない楽曲においてはいい加減さが目立つのでへきへきしている。恐らく技術的な細部に至っても慣れ以上の指揮は出来なかったと思う。その点、こうした指揮者の方が悪戦苦闘ぶりも含めて面白いのではなかろうか。楽員に対しても新たな要求が為されるだろうか。



参照:
授業料で決着をつける 2023-02-15 | 雑感
氷点下で陽射しが温かい 2019-12-29 | 生活
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初インキネンなるか

2023-02-17 | 生活
バイロイトで真面なデビューをさせて貰えなかった指揮者インキネン、東京でと同時にご近所の放送管弦楽団の指揮者である。最も身近で定期的に演奏する地元大管弦楽団が昨日紹介の州立管弦楽団であるが、ザールランドの放送交響楽団とSWRの管弦楽団が合弁したことから、距離的にはルートヴィヒスハーフェンと変わらないカイザースラウテルンもこの交響楽団のセカンドホームとなっている。36kmほどのSWRのスタディオでお昼の中継コンサートをしている。昨年は日本で有名な女性指揮者沖澤等もデビューしてそこでも振っていた。残念乍らコロナ期間中で公開放送が中止になったりして行けなかった。

インキネンも日フィル欧州公演の映像を観たが、御多分に漏れずフィンランド流派の一人でバイロイトでの失敗は最初から分かっていた。その流派の指揮者を生で聴いたのは踊る棒振りサロネンぐらいしか知らないので、三月には最も若手を聴きに行く予定もあり、その前にこの中堅を聴いてみたいと思った。

昨年末のヴィーンのピアニストブッフビンダーとの共演は忙しくてチケットの買い時を逃してしまったのだが、今回は四月にもあったのだが、三月にも「サガ」と題してシベリウスを指揮する。シベリウスの作品も生での体験は限られているので本場ものを買い物のついでに聴いて来るのも悪くはない。

そのスタディオは仕事の関係で出かけたことがあるのだが、催し物には初めて出かける。適当に良さそうで安い14ユーロの席を購入した。ランチコンサートだからこんなものだろうが、ヴァイオリン協奏曲とそのタイトルの交響詩が演奏される。交通費が山越えで上り下りするだけだから10リットル即ち17ユーロ程となり全て込みで30ユーロ程で聴いて来れるだろうか。少しお勉強しておかないといけないと思う。どうもシベリウスを集中的に演奏するようで、録音選集企画が通ったのではなかろうか。全く評判の立っていないインキネン指揮楽団なので、契約延長などは無いだろうから、その記念の企画となるのだろうか。

予想通り電動歯ブラシはLED電球と同時に予定よりも一日早く届けられた。今迄使っていた旧製品との差異は調べていないのだが、同じブラシを使っても明らかに振動が早い感じで一寸歯に充てるだけで綺麗に磨けている。最初だから注意深く歯に充ててもいるが、なぜか二分の制限時間が短く感じる。あまり圧を掛けないような制御が入っているようでその影響なのかどうか。とても効果がありそうで、これが後々も続くなら嬉しい。今迄のものも最初はそれなりに良かったのだが、これほど快適に磨かれていた覚えはない。その差異が価格差25ユーロなら評価するかどうか。付属替えブラシが二本で初夏までは凌げる。

来週は薔薇の月曜日で謝肉祭である。それで冬は終わる。散髪を予約した。車のフロントグラス洗浄液がそろそろ底をついてきた。さて、注水して設定温度を少し上げてやるかどうか。現在の設定はほぼ零下17度ぐらいにしてあるが、三月初めのミュンヘンで何処迄見積もるか。零下8度ぐらいまで薄めて、同日の様子で緊急に適当な不凍液を足すかどうか。スキーの為に数晩駐車していて破裂させたときの被害総額は可也大きかったので、どうしても慎重になる。

そう言えばテールラムプを壊したオヤジのヴォルヴォはまだ修理していなかったようだが、数十ユーロでもなぜ早く徴収しない。幾ら頑張っても謂れの無い損害は取れない。あと一月少しで時効になってしまうのではないか。



参照:
真夏の朝の騒がしさ 2019-07-26 | アウトドーア・環境
39.99ユーロという額 2017-07-30 | 生
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伊達に払わないお月謝

2023-02-16 | 
いいヴァレンタインデイを過ごせた。何もプレゼントしたりでも何でもないのだが、一般的な祝福を交わすだけでもとても意味がある。そうした愛情表現は苦手なのである。文学や舞台や、オペラなどでも劇進行が止まるのでかったるくなるというのはよくあることだと思う。その背景にある心理や感覚的なものの表現が中心主題であり乍ら意外にとても難しいのと同じことであろう。

情を交わすとか様々な表現があるのだが、当日のバイエルン放送協会では様々なオペラの場面を挙げていた。「ラボエーム」や「カルメン」、「アラベラ」など様々をである。要するにそれがキッチィクになるかどうかという場面である。

やはり忘れてはいけないのは「コシファンテュッテ」であり、音楽ゆえの芝居ゆえの最高に洗練された表現がそこあるだろう。荒唐無稽な舞台設定にコケットでとてもエロティックな音楽がそこにある。流石に音楽劇場の最上質の表現を様々に体験してくると、その洗練がよく分かるようになる。伊達にお月謝を払っていないのである。

再演「ジュディッタ」の劇場の呟きに、「この制作は国立劇場向きではなく、絶対ガルテナープラッツ劇場向きではない。趣味が悪い。」と書き込んでいるおばさんがいた。実際に観たのかと問われて、初日は全部通っていると書いている。要するに常連さんなのだが、マルターラー演出には全く不理解のようで面白くなかったのだろう。やはりレハールのオペレッタに期待するところが違っていたに違いない。今回改めて新聞評などが出ると嬉しい。68年世代のマルタ―ラーファンも少なくないだけでなく、反戦テーマの明確化は決して現在場違いな感じがしない筈だからで、そして様々に挿入された音楽も効果満点な筈なのだが。

車中でドイツの管弦楽団の中でコロナ期間を越えて最大の成功をした楽団の話しがなされた。それ以前から二割も定期会員が増えたという異例の楽団である。ラインラントプファルツの州立管弦楽団である。原因は幾つもあるようだが、支配人はコロナ期間にご挨拶を送った。そこには地面に差し込めば芽が出るという棒が入っていて、その都度が皆が繋がりを思い出すという。その他幾つもの工夫が実ったらしい。キーワードは繋がりらしい。プログラムにおいてもなにも解説などで説明し過ぎるというよりも、その繋がりを大切にして、人の繋がりへとなるようだ。

ある一連の事に対して人によってその見える繋がりも変わるであろう。例えば上のマルタ―ラー制作「ジュディッタ」においては、作曲家のその社会的な視線から反戦の文学を繋げて、更にその当時の音楽へとレハールのオペッレッタの位置づけを見せた。しかし人によってはそのオペレッタはそれでしかない人もいるであろう。エンターティメントを享受する人もコロナ期間に引いた大きな客層である。しかしそれが大劇場で催される謂れはないのである。そもそもそれは30年代のヴィーンの国立劇場で初演された謂れでもあった。

恐らくこれらをして上の趣味が悪いと感じた女性は、「ボエーム」のミミが鍵を開ける時に突然蝋燭が吹き消されてしまうところはキッチュとは感じないのであろう。そういう趣味の相違というのは必ずある。そいうところを面白いと思うかどうかであって、多かれ少なかれ音楽劇場作品の創作や制作というのはそうした視線がないと成立しない。



参照:
賞味期限を早める試み 2022-11-03 | 文化一般
音楽劇場を担う幸福の手 2023-01-12 | 音
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授業料で決着をつける

2023-02-15 | 雑感
決着はついた。78ユーロか何かは数日中にマルタ島から戻って来そうである。授業料は20ユーロしないならば情報量からしても価値はあった。これで新たにビットコインが使えて、購入できたならば、今後も使っていたと思う。先方が何かしてくるまでにの速攻である。ヴィデオや証明書付きの人定も非常識な口座オンライン情報ももっての外である。こういう情報をスイスの会社と共に求めてくるのは異常だ。

序にスイスでは国外で違法となることもつまり単純な寸借詐欺から口座閉鎖までスイス国外への出金を止める方法は全て合法となる。要するに詐欺も非人道的なユダヤ人からの略奪したナチの財源も民主的な共同体の為には全て正義とな利スイスの国内では違法とはならないのである。この論理を知らなければスイスで仕事をしたり取引をすることは不可能となる。

先の二度目のペイパルからの送金もやはりこちらで認証していなかったということでペイパル側で嫌疑になっているようだ。それもそっくり返してもらうと、こちらが20ユーロ程儲かってしまう。そんなこともあってもいいとは思うけど。

先日呟きで話題になっていたようだが、その有名管弦楽団のチェコも近隣の諸国からせこくて狡い国だと有名であるが、またオーストリアの机の下での決定なども有名であるが、スイスはとても合理的である。勿論許可を得るために合意のチェックを求められてざっと開いてみたが二三枚のあれを読み通す人はいないだろう。流石に入った銀行口座の全てを委任しますとは書いていなかっただろうが、何々等契約違反の必要があれば送金を強制的にする権利を有するとか書いてあったのだろう。いざとなれば何をされるか分からない。

デスクラムプが届きそうなので机の上を掃除しておいた。場所はある筈だが、何処に置けば一番使い易いか。右利きなのでどうしても中央よりも向かって左側に、即ちモニターの左側から何処迄照らすかである。そもそもその光の射し方が分からないので配送されてつけてみないと何とも言えない。

隣のワイン処の村では氷点化注意報が出ている。事情は分かる。暖かくはなってきたのだが、急に冷えて朝から霧が出た。空気が冷却されての霧なので寒くはないが暖かくはない。隣のワインどころは裏側のワイン地所斜面地への街の壁が多くあって、そこに上部の私がは走っているような谷からの寒気が一挙に流れ込んでいて冷気が溜まる。

新聞に暫く休んでいたアルゲリッチが地元のルツェルンの音楽祭でリサイタルを開いてとても大金評判になっているようだ。我々の仲間でもあるニフラー氏が書いている。先ずはその大きな写真が目に入った。

LEDラムプを設置すると、目に光が入らないそしてモニターなどにも写り込まない設置が可能だった。間接照明には頭が回らないので無理であるが、デザイン的にも邪魔にならなく悪くはない。光色の調整は二通りの色を三通りに使って行う。その為に真ん中の色は両方とも点けるので同じ位置では最も明るく、赤目は数も少ないので最も暗くなる。細かな仕事向きには真っ白で真ん中の明るさとなる。各々が六段階で調整可能となる。



参照:
目を通す書類や記事類 2023-02-12 | 生活
劇化していそうな月曜日 2023-02-14 | 生活

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