Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

聖土曜日の準備へと

2019-04-19 | 
聖週間に花が飾られていた。いつもの駐車場で、そこに地元のヴァンダルンククラヴが建てた建物の前である。丁度植樹がされていたその根元である。

週末は気温も更に上昇しそうで空気は冷たいもののバーデンバーデンは摂氏25度まであがる。一週間前は寒かったので敢えて分厚いシャツを着たが、さてどうしたものか。月末のルクセムブルクや五月のブレゲンツ行きを考えて判断しよう。

肩が凝った。洗濯する為に普段着のシャツの代わりに次に下ろすシャツを着ていたら首元の動きが悪かったのか辛くなった。夏になればTシャツで関係が無いが、この時期はまだ袖も襟裳もいる。普段着の方も洗濯屋に出さなくなってから10回以上は洗濯していて襟元内側の生地が剥がれかかっているのだが中々ごみ箱行にならない。流石に公道に出るのは憚られるが自分の地所では誰も訪問者がいない限り着ている。このシーズンで終わりだと思うが、本当に何時靴磨き布になるのだろうか。そのために下ろした筈の次のシャツをもう一度洗濯屋に出す気持ちに傾いてきた。こちらは近所のスーパーに行くぐらいには全く問題が無い。勿論嫌だとは思いながら気が向けばどこにでも着て行ける。

さてヴェルディの「レクイエム」の準備は?土曜日の留守録音はそれほど問題が無いだろう。日曜日の本番とその前のGPの時の写真を見ると両方ともしっかり録音されていたので、雑音などが修正されているのだろう。ある意味ライヴ制作録音となっているようだ。重要な録音となろう。映像は撮っているのかどうか分からない。

自分自身は一週間前と同じく14時頃に出てスーパーに行く。だからその前にタイマーを掛ける。SWR2は、MP3も用意されているが、いつものようにAudacityを使う。問題になるのは放送が中断になって、音が流れていないことがあるのだが、SWR2では経験が無い。通常の通り生中継を流しっ放しにしておけば問題なくタイマーで録音できる筈だ。中々いいのが、番組の後半がパウのリサイタルに充てられていて、無駄に22時まで回すことが無いと思っていると、既に放送の録音がネットで落とせるようになっている。これはこれで生放送を録音することになる。



参照:
幾つもの山が当たる 2019-04-18 | 文化一般
ポートレートの色合い 2019-04-11 | マスメディア批評
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肌理の粗いザラザラ感

2019-03-02 | 
日が陰ると気温が下がって辛い。謝肉祭でドーナツ類が出て回る。それにしても先日中の陽射しはきつかった。

徐々に2018年収穫のワインのお知らせがある。ここ暫く遅くなる傾向にあったが、昨年は収穫も早く、出来上がりも早かったのだろう。四月にルクセムブルクに出かける予定になっていて、昨年度並みならばザール地域で2017年の売れ残りをあさるだけだったが、これで新酒を試飲できる可能性が出てきた。それどころか購入できそうだ。こうなれば早めに宿をとっておいて、コンサートの翌日にゆっくりしたい。平日だからいい宿がまだ見つかるだろう。

プラハからの放送を流している。サイモン・ラトルが初めて同地のフィルハーモニーで振るという実況中継である。流石にチェコだけあってステレオ放送だが、マイクのミキシングは二曲目に合しているようで一曲目では全く良くない。それでも二人の独唱の録音の難しいマーラーの「大地の歌」が上手く鳴っている。但しチェコフィルハーモニーの弦楽陣はいつものように荒っぽくてザラザラしていて、ハンガリーのそれとはましというだけだろう。世界有数の管弦楽団とする向きもあるが、嘗てコシュラー指揮で聞いた時も全く同じで、上手いよりも雑な管弦楽団でしかない。

これならばやはりペトレンコが初めて指揮したヴィーナーフィルハーモニカーのコンサートの方がよかった。ラトルも早乗りして十分に練習したのだろうと思うが、やはり細やかに柔軟には演奏が出来ないようだ。アンサムブルの基礎のベースもしっかりしないのでぼこぼこと音を出してプツプツと切れてしまう。

嫁さんのコチェーナのために出場したのだろうが、この程度の管弦楽であるとその表現が限られる。確かに嫁さんの声は良く入っている。それが逆にこの管弦楽団の肌理の粗い音ととても東欧的になっている。弦の国を代表する管弦楽団であるが、もう少し気の利いた音は出せないのだろうか?どうしてあんなに汚い音が出せるのか不思議である。半世紀ほど前に聞いた生の音を思い出した。



参照:
キウイのような揚げ菓子 2008-03-08 | 料理
クーリックで祝う謝肉祭 2007-02-17 | 暦
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疲れを残さない足跡

2019-02-02 | 
足に雪の疲れが残っていた。大したことはないが一寸した張りが動機付けになる。もう一息と峠を攻めてきた。積雪量が増えていて、確実に10センチほどの積雪となっていた。上から降りてくる車がのろのろしていると思えば先日の犬を探していた小屋のオヤジだった。こちらが通り抜けるのを待っていた。余程下りのブレーキに自信がないのだろう。挨拶して通り過ぎる。歩幅が歩行程にしか伸びない。雪の上で踏み込むよりも轍の堅めのところが楽だった。

喉にも違和感を感じたりしたので慎重だが、これで先週からのノルマに短い一本が足りないだけで来週を迎えれる。要するに短い一本ぐらいは天候さえよければ幾らでも余分に走れる。今晩も足に疲れが残るかもしれないので湯船で温めて就寝しよう。

今日中に燃料を満タンにする。価格は前回ほどで入れられるだろう。まだ少し残っているので、平均すればまあまあだ。エンジンオイルも少し足しておこう。窓洗浄の水も少し足しておこう。次までは少し時間が空くので、先ずは何とか無事に往復したい。

色々と日程などを考えているうちに、早々と2020年のカレンダーを印字した。既にいくつかの日程が書き込まれた。この夏のミュンヘンのオペラの配券作業が始まった。順番に開けていくことは分かっているが、「サロメ」初日に売り切れが出た。二日目から四日目までも変わらない筈だが、まだ作業をしていないということか?同時に「オテロ」も二日とも「マイスタージンガー」は一日のみ売り切れになっている。一般的に初日シリーズの翌年の今回の「オテロ」は人気が高い。双方ともヨーナス・カウフマンという売れっ子が出ることでは変わりないが、その相違は再演の数によるかもしれない。更に昨秋にカウフマン無しで三回公演があったので、その分人気は落ちる。

それでもどのようにこうした売り切れの差が出るのか?一つには初日の場合はプレス席などの非売席も少なくなくその需要も読めているということかもしれない。順々に開けて行って、残っているという他の日も順々に売り切れになるのか、それとも本気でまだ購買希望者を募っているのかはよく分からない。少なくとも、売れ行きは読める筈なのだが、券の種類によって出方が変わるのかもしれない。

数学的に自動で配券してしまうことも可能で、どのように作業をしていくかも、数学的に作業効率を計算できる。弊害になるのは、アナログでの注文でそれを一度デジタル化しないといけないことである。また第一希望第二希望をどのように活かしていくか?若しくは、付随のコメントをどのように活かすのか?アルゴリズムの作成と同じように作業が進んでいる筈だ。

明日のお勉強に久しぶりにレオノーレ三番の楽譜を開けてみた。ペトレンコ指揮の演奏は大変興味深く、管と弦のバランスだけでなく、フルートとオボーエ、ファゴットの関係も金管との関係もとても興味深かった。幾つかYouTube音源で確かめてみる。期待していたメスト指揮のヴィーナーフィルハーモニカーの2015年の演奏はよくない、そもそもこの組み合わせは相性が悪いようで、ベーム指揮のそれとは比較にならない。これは演奏様式とかではなくて、座付管弦楽団がまともに演奏していない。その他、フルトヴェングラーなどもう少し聞いて確かめてみたいと思う。あの下らない演出のお蔭でこの曲を堪能できるのだけが幸いだ。

Beethoven Leonore Overture No 3 from Fidelio Salzburg 2015

Beethoven: "Leonore" Overture No. 3 / Böhm Wiener Philharmoniker (1977 Movie Japan Live)

Beethoven : Overture Leonora Nº 3 OP. 72a

Beethoven: Leonore Overture no. 3 (Furtwangler)



フルトヴェングラーの演奏を聞くとその正確な譜読みとその指揮に感心する。先に前回の旅で書いていなかったことを記しておく。記憶が錯綜するのも嫌なのと最終公演の後では最初から説明したり後出しのようになるかもしれないので、道中に聞いた録音に絡めて書いておこう。ドナーニ指揮の録音を準備したことは書いたが、結局それが退屈でベーム指揮の方へと移った。そして胸が騒ぐのを感じた。しかし当日の公演では全く異なる演奏となっていて、予想通りドナーニ指揮に近かった。しかしフルトヴェングラーの演奏を聞くと、寧ろこの演奏の方に音楽的な近親性があって、ベームの指揮演奏が、まさしくこの演出でそのドグマティックなものが批判されているそのものナチのイデオロギーに近いかことを改めて確認する。そして今回の演奏の細部とそうして管を軽妙に浮かした演奏法こそが戦後世代のドナーニなどがなせなかった演奏様式で、バレンボイムもこれを羨ましく思うだろう。そしてそのような演出に合した今回の再演だったのだ。この幕開きの最初のセリフからレオノーレ三番の序曲が文字通り今回の再演公演の全てを物語っている。恐らく、ペトレンコ指揮でこの座付管弦楽が最も立派に音楽芸術的に演奏した序曲だった。



参照:
飛ぶ鳥跡を濁さずの美 2019-01-25 | 音
残り二新制作作品のみ 2019-02-01 | 雑感
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花火を打ち上げる奴

2019-01-01 | 
毎年のことながら大晦日は花火で明ける。久しぶりにベットに入らずに迎えた。そして花火も見たが例年に比べて少ない。ここ十年ほどの毎年減少傾向にある。理由は、経済や天候かとも思ったが、車中のラディオでの話で合点がいった。花火の環境への影響から一部では禁止も議論されているらしい。SWR2では政治的ではなく科学的な見地がニュースで触れられていたが、そうなると知識層は手を出さない。それどころか情報通の連邦共和国民の広範に嫌疑が広がる。これは典型的なドイツの国民性である。つまり、今でもはしゃいで大枚の金を叩いて花火を打ち上げる人の半数は移民の背景のある市民に違いない。そのような常識になれば尚更暮れの花火は湿るばかりだ。

年始に当たって何を書こうかと思う。週末からのツアーで頭が一杯になりそうだので、素早く年末年始を振り返る。特に重要なのは、ベートーヴェンの作品としての第九の演奏二つで、参考資料としてはとても便利だ。特にユロウスキーの昨年と今年の二種類の録音は、二種類の版で全く異なる演奏をしたことから資料的価値が高い。更に今回は古楽的奏法や楽器などを原典的なテムピに最初から言及しておりこれはこれで表現である - 要するにトリオと終楽章のアラマルシェのテムピの学術的評価を含む。これほど便利な資料はない。ここでペトレンコに続いてユロウスキーフォルダを新設した。
Vladimir Jurowski über das Programm zum Jahresausklang


指揮者としての格は異なっても、ペトレンコから楽譜の読み方をとことん教わっているが、このユロウスキーからはそれらを含むものへの示唆をとても感じる。まさしくオペラ劇場向きの指揮者で、ミュンヘンで成功を重ねるようになれば直ぐに頂点に出てしまうと思う。番付でいえばペトレンコと同年代に係らずそのマネージメントやキャリアーに係らず未だに関脇筆頭なのだが、大関を簡単に通過してしまうかもしれない。今回の第九を聞いてもこれほどセンスのいい指揮者も珍しいと思う。

もう一人の指揮者アンドリス・ネルゾンズこそが、ペトレンコの後任として楽員には最も望まれた指揮者だが、ゲヴァントハウスを選んで最初のシーズンで最初の第九だった。その演奏に対する批判もいつもこの指揮者が響かす細部に関するもので、その為にもテムポを調整してという傾向がある。テムピが遅いと感じられるのは内容がないからだという言に従えば、そこで細々と楽員との間でのコレスポンデンツがあるのでそれは充実する。批評に書かれるように中声部を上に出してというような現象は、楽員の表現意思が出てきたところとも捉えられるので、容易に過剰なマニエーレンとは指摘し難い。そもそもこの指揮者の専売特許は楽譜の音響イメージの正確な想像力であり、特にゲヴァントハウスの伝統などと言及されると指揮者シャイーなどのように失敗しないような解決法となっている。

新聞にも言及されていたように合唱に関しては私が知る限りこれ以上の第九は知らない。更にゲヴァントハウスの管弦楽団としての演奏も成功しており、ソリストの歌い口の不揃いはこのような短期の公演では致し方ないだろう。オペラの新制作でも有名歌手を集める限りはとても難しくなっていることである。総合すると、ネルゾンズは番付で大関を目指さなければいけないことだけはハッキリしていて、オペラを本気でやるかどうかで状況が変わるだろうか。ボストンでの可能性が将来的にもあまり高くないと思うが、さてどうなるか。
#GHOontour: European tour 2018


ノイヤースコンツェルトに登場ということだ。第九を休むのは、全く構わないどころかマンネリ化すればなんら意味もないので、よしとしても、あまりにメディアに振り回されるような仕事ぶりでは何時まで経っても大関に成れない。綱取りにならなくてもゲヴァントハウスのカペルマイスターは大関ぐらいでなければ惜しい。
Pressekonferenz zur Saison 2017/2018



参照:
ジルフェスタ―を祝う 2018-01-02 | 暦
勇気と不信の交響楽 2006-01-06 | 文化一般
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未だ嘗てない年越し

2018-12-31 | 
土曜日の朝のラディオは日本のジャンパーのことを伝えていた。今独走しているらしい。珍しいことである。パン屋は大みそかの14時まで開けて、休みに入る。二週間の冬休みだ。八百屋に行きたいのでその足で買い物を済ましたい。走るのはまた改めて考えよう。

年末年始の音楽番組をリサーチする。例年、精々ノイヤースとジルフェスタ―コンツェルトの二つぐらいしか意識がなかったが、今年はなぜか盛りだくさんだ。二重どころでなくて、三重四重に番組が重なる。タイムテーブルを精査しないと欲しいものが見聞きできない。

先ず、30日夜は20時から2016年録音の「トリスタン」が夜更け23時30ほどまで続く。これはラディオを録音すれば十分だ。しかし22時過ぎにゼムパーオパーからのガラコンサートがある。そもそもこの手のものには興味がないのだが、とても気になってきている。一つはメストとシュターツカペレの相性を見たいこと、もう一つはカウフマンを始め、来年ペトレンコと共演するクールマンも見てみたい。要するにこれも録画してしまうかもしれない。殆どカウフマンファンのご婦人方と変わらなくなってきている。既にフィラデルフィアからの放送は始まっているがこれは暮れから元旦に掛けた再放送でも聞ける。

そして大晦日になると、17時にはゲヴァントハウスからの生中継だ。しかしその前に15時にユロウスキーの第九である。前回のを聞いて、四楽章の前に間髪を入れずに置いた「ヴァルシャワの生き残り」が予想以上に効果があった。1978年のフランクフルトでのミヒャエル・ギーレンのモンタージュのアイデアを踏襲して更にマーラー版を用いた。先達がそうしたように今年も違う曲を組み合わせる。演奏された20日に初演された。個人的な興味はペトレンコを継ぐユロウスキーのそのセンスなのだが、とても期待させられる。こうしたプログラミングは必ず後任の支配人ドロニーとの成功をもたらす要素だ。今回は通常の版を演奏するようだ。これも録音である。

問題は映像だ。17時にミュンヘンからの生中継で、病気で休んでいたヤンソンスが出てきて、ゴッチャルクが司会するのでこれも気になる。ランランも出てくるがもうこれは分かっているのでどうでもよい。演奏もどうでもよいので後で見れたらそれで十分だ。

しかし同じ時刻に始めるライプチッヒのゲヴァントハウスの第九は見逃せない。今まで関心がなかったが、シャイー指揮の時も話題になっており、なんといってもネルソンズの指揮が観たい。そしてゲヴァントハウスの響きを堪能したい。本当はラディオでも録りたいところで、終了が17時なので記録して、急いで仕切り直しである。

つまり、録音と録画が回っているうちに18時40分にはフィルハーモニーからのジルフェスタ―コンツェルトが始まる。もうこうなるとARTEのオンデマンドに頼るしかなさそうだ。来年からペトレンコが出てくるとなると、ここはとても厳しくなる。

奇しくもシュターツカペレの指揮者ティーレマンが「ヴィーンの休日」を楽しんでいる間にドイツのメディアでは未だ嘗てないほどの熾烈な放送合戦が行われる。そして、ペトレンコを追いかける頂点に近づくような人たちが集っている。一方にメストやヤンソンスがいるというのは私の知る限り珍しい。やはり次の人たちが出てきているからだろう。特にネルソンズのゲヴァントハウスはペトレンコのベルリンにとっては若しくはお互いに最も意識をする組み合わせになるだろう。少なくとも楽団は双方ともが長所を持っていて、容易に超えられないからだ。

ネルソンズの指揮に関しては、結局迷った挙句、クリーヴランドの二番よりもボストンの三番のマーラーの交響曲を録音した。後者は来る金曜日にプロムスでの再放送もあるが、タングルウッドでの再放送も聞いておきたかった。中々面白かった。特に終楽章のアクセントやトラムペットの強奏などは楽譜を調べる必要を感じた。要するにそう簡単に否定するようなものではなく、またサロネンの指揮などとは表現の奥行きが随分違う。

これで本当に網羅できたかどうかも自信がない。その他のラディオなどは敢えて目を瞑っている。余裕がないのだ。特に来年は生まれて二度目の第九の演奏会が控えていて、今から少しづつ気に留めておかないといけないので、二種類の第九はとても参考になると思う。正直、DCHでラトル指揮の第九を思い出している暇などない。



参照:
大関昇進を目指せ 2018-10-10 | 音
生誕250周年への準備 2018-11-28 | 暦
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少年少女合唱団を推薦

2018-12-25 | 
イヴとなると結構忙しい。パンを取りに行くと下に住んでいたワイン親方が居てあいさつした。隣町までパンを取りに行着続けていることをもう一つ認知していなかった。足に疲れもあるので軽く走ってからあとは先に延ばした。

考えていたのは期限の迫ったデジタルコンサートホールの使い方とハムブルクの計画だ。勿論「春の祭典」に続いて「影の無い女」のお勉強を始めることなど時間計画を立てないと間に合わない。クラフトのティムパニー協奏曲の映像録音はYouTubeにあり、「ウェストサイドストーリー」はどうしようか。

DCHのアーカイヴから先ずはオープニングコンサートの三曲である。ラディオ放送だけは馴染みなのだが映像は部分的にしか知らない。あとはリサ・バティシュヴィリとヤルヴィのシベリウスを見よう。コパンツィンスカヤのリゲティ、ブーレーズのエクラ、それ以上にこれといった演奏会は見つからない。

昨年に続いて、オペラ賞のノミネートした。選んだのは、合唱団をバイエルン国立劇場少年少女合唱団と昨年の本体に続き今年は「オテロ」での素晴らしい活躍に一票。クリスマスの挨拶のヴィデオを見ても子供らしさを残したところがなかなか味のある歌になっている。指導者が偉い。

指揮者は毎年続くが、どんなにラトルの「パルシファル」が良くても、その質だけでなく仕事量でペトレンコを挙げないわけにはいかない。

デザイナーはどちらでもよいのだがバゼリッツを挙げておいた。舞台との関係やそれを差し引いてもやはり芸術の力として圧倒的だったと後になって思う。オペラとはあまり関係ないが場を形成したことには間違いない。

演出家には、フランクフルトのクラウス・グートを外せなかった。勿論完成度からすれば「オテロ」のアメリエ・ニールマイヤーで決まりなのだが、こちらは敢えてニューカムマーで挙げておいた。

女流歌手では、「メリーウィドー」のマルリス・ペーターセンである。その他シュテムメやカムペの素晴らしい歌があったが、主役としての役作りなど秀逸だった。歌の力だけでなくて総合的に金のとれる歌手である。「ルル」の時よりも表現力が優れていた。
Franz Lehár: DIE LUSTIGE WITWE


生涯活動では、「パルシファル」での演出を見てディーター・ドルンを推挙した。評判は良くなかったが上手く力の抜けた表現で、流石だと思った。
"Parsifal" - Festspielhaus Baden-Baden 2018


男性歌手では、フィンレーやカウフマンの可能性もあったがやはり「パルシファル」のゲルハーハーの強い印象を思い出すと選ばずにはおれない。
PARSIFAL: Christian Gerhaher as Amfortas | Conductor: Kirill Petrenko


ニュープロダクションは文句なしで「オテロ」にした。演出などを全て含めて、中々これだけの新制作にはお目に掛かれないと思う。ケチをつけるとすればプログラム冊子をもう少し考えて欲しかった。
OTELLO: Trailer | conducted by Kirill Petrenko


オペラカムパニーには初めてバーデンバーデンの祝祭劇場を推した。復活祭扱いでもよかったが、テーマが不明だったので、今後のことも考えて、オペラ団体として名を出しておいた。
Festspielhaus Baden-Baden


管弦楽団に、ベルリナーフィルハーモニカーにはお預けとしておいて、バイエルン国立管弦楽団で間違いない。



参照:
旨味を引き立てる香味 2017-12-26 | 料理
そのものと見かけの緊張 2018-06-19 | 女
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待降節の輝きの時

2018-12-24 | 
木曜日に行われたチャリティーコンサートの短いニュースフィルムが人気だ。前回は2016年の待降節だったがその節の短いヴィデオはDLしたかもしれないが記憶がない。今回も当日は忘れていたが、土曜日になって初めて気が付いた。そこで歌っている少年少女合唱団は先の「オテロ」の舞台で活躍した座付の合唱団である。とても評判が良かった合唱団である。

「オテロ」の最終日が翌日に迫っている中で、管弦楽団はともかく子供の合唱団をよく使ったものだと思う。それほど曲数がないとしても交換要員がいるとしても連夜の本番になる。管弦楽団も正規のメムバーどころかコンツェルトマイスターから次席まで出ていて、本番の要員と変わらないどころかホルンなどはデングラーが受け持っていて、目的があるとしても100ユーロ以上の料金を取るだけの価値があるようになっている。それにしても数秒に満たない演奏風景の断片で訴えてくるものも少なくない。いい具合にムジツィーレンして、いい具合に温もっていて、それが的確な指揮とともに余計に細やかなとてもいい歌いくちになっている。

感心していたら、自身の予定を思い出した。思わずクリックしてしまったのだ。私はけちな人間だから衝動買いなどはしない。だから待ちかねたように、否、完全に忘れかけた時にオファーのメールを貰って、我慢できなかった。正月早々忙しくなるが、もう一日余分に出かけることにした。上のヴィデオを見て再びスイッチが入ってしまった。

早速久しぶりに開ける「春の祭典」の楽譜を通した。このブージーアンドホークス社楽譜を購入したのはヤマハに違いないが、確か演奏会の準備というよりも当時話題になっていたLPを購入したときぐらいだろうか。アバド指揮のものの前にティルソン・トーマス指揮やら、マゼール盤、メーター盤、更にショルティー盤などが評判になっていた時の少し後だと思う。もしかするとラトルがユース管弦楽団を振ったデビュー盤を獲得した時かもしれない。久しぶりに見てとても読みにくかったのを思い出した。

そして今回初めて出かけるエルプフィルハーモニーでのクリーヴランド管弦楽団の演奏を聞いてみた。これがまた変わった音響でなっていて、よくシステムの各段が聞こえる反面、合奏ということではかなり妙な演奏になっている。最初の難しそうな付点音符なども流石に上手に吹いていても、詳しくはじっくりと楽譜で合してみないといけないと思った。指揮しているメストが、自身の故郷リンツでの初演を聞いていて、後半で出ていくお客がいたと話している。文学的な解釈を心掛けていたようだが、リズムの扱いとアーティキュレーションが少し違うように思った。

今回演奏するのはティーンエイジャーのユース管弦楽団で幾ら繰り返し練習しても正しい音出しだけでも大変だろうなと思うところもあり、ペトレンコがどこまで纏めてくるか興味津々だ。どこをどのような順序でものにしていくかの経過も興味が尽きない。ある意味我々聞く側にとってはその過程をつぶさに見ることが出来るかもしれない。要するに玄人のように誤魔化しに慣れていないだろうから、あの厳しい指揮にどこまで食いつてくるのか、そのためにどこまで丁寧な指揮をしてくるのかなど、好事家には見逃せなくなってくる。

家の新しいシャンデリアの写真を上げておこう。それ以前は何のとりえもない便所の電燈のようなものがついていたのだが、一挙にバージョンアップした。現状では少し明る過ぎるが、電球が切れたり電気代が高騰するとなれば ― そこで話していたノルウェーのおばさんの故郷のようにドイツは裕福ではない ―、電球を落としたり何らかの処置がなされるだろう。しかし今は冬場でありとても喜ばしい輝きだ。



参照:
記念劇場見学の日 2018-09-30 | 雑感
光を有効に使う方法 2015-12-13 | 生活
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健忘症のミスタービーン

2018-12-22 | 
クリスマスプレゼントが例年のように届いた。ミスタービーンではないが、自分で発注したのだが中身が何かを忘れてしまった。理由は序でに発注した三脚ばかりが頭にあったからだ。そして開けてびっくり玉手箱。目覚まし時計だった。これが肝心だったのだ。健忘症まであってビーンよりも徹底している。

冬至である。これから日に日に日が長くなって、春を感じるようになる。ここまで来たらこっちのものである。だから朝が起きられないのも早朝に限る。徐々に早起きになってくる。それでも新しい目覚ましは有難い。開けてみると、手触りは以前のものよりも滑らない。色もマットである。そして形状がまん丸くないので、手に収まりやすい。これはいいと思った。一分毎の音は聞こえるがこれは依然と変わらない。夜中に目を澄ましてみないと分かり難い。しかし全体の音作りは落ち着いている感じである。大きさも小さ過ぎもせず、大き過ぎない。朝起きが楽しみになる。

しばらくの間を費やした。漸くNASが実用になってきた。先週末から困っていたのはその転送速度で、重要な使い道である音楽ファイルが上手く再生出来なくなっていた。最終的なテストで32BitのAudacityまでが物切れになることが判明した。こうなると尋常ではない。

始めはネットで「AudacityをNASから再生する」の検索で調べていた。なぜならば、一度止まりかけるとステレオの左右がずれて再生されるようになったからだ。勿論NASからの伝送が悪いのは分かっていても、そこでキャッシュなどからの反映でずれが出てくるのかなとも思った。しかしMP3でも止まるとなると原因はまた異なると気が付いた。

結局、既にここでも言及したジャムボフレームなどの設定が間違っていたことが分かった。それゆえにNAS自体のCPUの過負荷になっていた。要するに大きなパケットにしてから送り出するための処理がなされていたことになり、大きなパケットを一挙に送り出すとその準備がないと流れの下の方で止まってしまうことになったようだ。デジタル転送技術の詳細は分からなくてもこれは物理現象として明らかだ。

ここまで難しいことになったのも最初から添付されたケーブルを使わなかった罰なのだが - いつもの性分で捨てられずに余っているものを使いこなすことに喜びを感じるのだ -、弄っているうちに全体像が見えてきた。時間を掛けて解決するしか方法はなかった。そもそもNASからの分割ファイルの再生に関しての記載はほとんど見つからなかった。同時に転送速度も自動に戻しておいた。その状態で、写真などのファイルの読み込みもどうやら使いものになる「待ち時間」になった。

さて肝心の32Bit再生であるが、通常の24Bitが問題なく再生可能となったのを試してから、呼び出すと、それ以前は分割されたファイルの読み出しに30分ほど掛かっていたのが二三分で再生準備完了となった。そして再生しても止まらない。通常通りに使える。これで、ハイスピードの長めのケーブルが届いて設置し直せば完璧に使える筈だ。Bluerayの大きさの映像も試してみたが、これは難しく、更に研究の必要がある。しかし何よりも重要なのは、Win8のPCのデータを直接NASの方へ書き込むセッティングになっているので、少なくとも事務作業ぐらいにはストレス無しに動いてもらいたい。小さなSSDディスクPC、大きなNASがシステム構成の基本コンセプトだったからである。またLINUXの方で再生が可能となったから、これで一先ず新システムが完成する筈だ。




参照:
そろそろ買い納め 2018-12-20 | 生活
イガイガをすっきりさせる 2018-11-29 | 生活
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初雪の待降節第三主日

2018-12-17 | 
冷えると思ったら、雪が積もっていた。初雪である。週明けに出かける予定はないが、このままホワイトクリスマスとならないのが常で、今年もクリスマスにかけて気温が急上昇する予定である。肉屋が閉まるので年末年始の発注もしておかないといけない。日曜日のヴィーンからの生中継も次の放送はノイヤースコンツェルトと予告していた。

待降節三週目になると流石に広場に楽師が呼ばれていた。三時間以上粘っていたので、流石にレパートリーが無くなる。それだけでなく繰り返されるとアレンジの悪さまで暴露される。今年は主催者の関係かスイスのアルペンホルンまで来ていたがとても下手だった。ゲストまで下手となると意気が上がらない。村の音楽隊のように地味に素朴にやるのにもいいセンスが欠かせないことがよく分かった。流石に音が邪魔になってくる。それでも生音だと許せるものだ。

広場でも話していたようだが、例年のクリスマスストレスを一時忘れてとなるようだが、そろそろ追い込まれてきた。先日2017年度の税金申告書類を片づけたところだ。いくつかの年末決算もある。ありがたくない日々となる。そこに今年は年始でハムブルクへ出かけるので更に準備に忙しくなる。更に新聞を読むと面白いオペラ評が出ていて、暇であったら近場なので出かけたと思うが、流石に難しいと思う。

何よりも音楽のお勉強が増えるからだ。「影の無い女」が結構堪える。ミュンヘンで出かけたときは2014年秋にスキー靴を作りに行っての序でにスコア席に立っていたから、今のようにそこまで準備していない。五時間もあるオペラの楽譜に目を通すだけでも大変だ。

同時に「春の祭典」で、ベートーヴェン一番も始めておかないと追いつかないかもしれない。前者は印刷したものが手元にあるので何となく見慣れていて、それだけでも心強い。そのあとも一週間ほどしか時間がない。つまり、モーツァルトの協奏曲も楽譜だけは落とした。そして「フィデリオ」までは準備した。これだけの量を私のような凡人が本当に熟せるのか心配になってきた。

クリスマス、年末年始だといって飲んでいる時間はなさそうだ。一体全体身につくかどうかわからないようなことに時間をかけてどうなるのかと不安にもなる。先ずは時間を消耗することでしかないからだ。



参照:
待降節の漣のような忙備録 2010-12-18 | 暦
待降節の断食と猶予 2006-12-20 | 暦
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待降節最初の土日

2018-12-02 | 
本日は初めてSSDのシステムでストリーミング録画をする。プログラミングが正しくインストールされていれば従来のHDDよりも書き込み速度が速いので上手く録画出来る筈だ。先ずはテストで試してみなければいけない。もう一つのLINUXで実験的に32Bitで録音も試して見ようかとも思う。先ずはストリーミングが上手く流れるかどうかだ。

アバド指揮の「オテロ」の1997年5月のトリノでの演奏、最初はとても感心したものの二幕では大分荒が見えていたが、後半は更に悪い。なによりも管弦楽が下手で、恐らく現在のミュンヘンの放送管弦楽団程度の実力しかなさそうだ。その一方嘗てのカラヤン時代の楽員が残っているのかどろどろとおかしなアンサムブルをして頗る様式的にチグハグニなっている。特に気が付くのは最も自慢の第一ヴァイオリン陣からしてしっかりと歌い込めていない。

想像するにこの淡泊さは、現在も定年間近で活躍しているザルヴォータではなく、勿論クシュマウルでもないとすると、安永徹ではないかと思う。その影響で弦楽陣がどこまでも今一つなのにチェロが強く出たり、ここぞとヴィオラがしゃしゃり出るアンサムブルはあの当時のベルリナーフィルハーモニカーのはしたなさそのものだ。要するに音楽芸術的にもはや超一流ではなかったころである。その管弦楽の下手さは監督とはいえカラヤン体制から切り替えなければいけなかった指揮者の責任の全てではないのだろう。

しかし、一拍の中でのフレージングの明晰さのない個所や歌手との絡みになると極端にその指揮のコントロールが弱くなる。これは好悪もありながら後任のラトル時代にはなかったもので、この指揮者がこの交響楽団に対してそのオペラ演奏に関しては余興以外の何物でもないと思っていた節がある。そこがカラヤンの強引なオペラ演奏法とは異なるところだったのだろう。どうしても私などは今後のペトレンコ指揮の復活祭公演を考えて、今のフィルハーモニカーならばここはこのようにと思ってしまう。そうした弦楽陣の思いがけないほどの不味さに加えて管楽器群も冴えない。オーボエ族などは座付楽団並みにビーと太い音を出している。兎に角、下手な演奏で閉口する。オペラ劇場的な問題でなく、楽団として今日のミュンヘンの座付がどれほど上手く演奏しているかがよく分かる下手さ加減だ。

晩年にマーラーの八番の交響曲指揮を拒絶したように、クラウディオ・アバドの音楽の理解はとても幅の狭いものであったかがよく分かる演奏だ。「ボリスゴドノフ」のようにあれほど素晴らしい録音を残している反面 ― 後任者のラトル指揮にはそれほどのものがなく、その演奏を凌駕するのはペトレンコ指揮しかないだろう -、とても出来不出来が極端で、この指揮者が病魔に倒れずにそのまま君臨していたら更に酷いことになっていただろうと思われる。これはやはり今回のストリーミングを研究すると同時に、ミュンヘンに出かける前にカルロス・クライバー指揮のミラノスカラ座での演奏を一通り復習しておく必要があるかもしれない。

あまり重要ではないが、デズデモーナのバルバーラ・フリットーリはしっかり歌っていて、余計にホセ・クーラのいい加減さが目立つ結果になっている。この歌手に関してはその後に変えたとか何とかいわれるが、あのデビュー時点で明らかな欠点があって、本人も作曲するとかあるのだが、楽譜の真意を表現できない不器用さが目立つ。初めからメインストリームからは落とされるその芽ははっきりしていた。現在の一流歌手に要求される基本的な技能が欠けていたことは明らかだ。

最初の待降節土曜日だった。所謂クリスマスマルクトが始まりそれ用の飾りつけが点灯するということになる。四本の蝋燭を点火していく家庭も少なくないだろう。今年は最初のヘンデル曲のブラスの演奏だけであとは歌が引き受けた。ブラスのレパートリーもあるかもしれないが他所に回った可能性が強い。歌はどうも女性牧師が引っ張っていたようだ。珍しくそれほど寒くなく窓を開けて録画が出来た。



参照:
良いこともある待降節 2017-12-15 | 暦
待降節景気の街並み 2015-12-20 | 暦
昨日の雪は昨年の雪 2012-12-08 | 雑感
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生誕250周年への準備

2018-11-28 | 
徐々に来年のお出かけの日程が決まりつつある。一月初旬のエルブフィルハーモニーに続いて、チューリッヒ、そしてミュンヘン、もう一度チューリッヒ、またミュンヘンとなる。かなりの走行距離になりそうだ。一番期待しているのはミュンヘンのミサソレムニスである。座付楽団のアカデミーコンサートは日本からの凱旋公演で初めて出かけたが、あまり満足できなかった。ツアーなどに比べて弾きこまれていないのはブラームスの交響曲4番で明らかだった。そもそも期待の一曲目のマーラーの歌曲のゲルネの歌唱が不満だった。来月冒頭のヴィーナーフィルハーモニカーはもう少しは上手く演奏するかもしれない。しかし今回は主役が合唱団であり、歌手陣がそのままローマでの第九と新シーズンオープニングツアーとも重なる。先ずはマルリス・ペーターセンの歌も注目したい。

しかしあくまでも主役は合唱団である。キリル・ペトレンコ本人の言葉を待つまでもなく、この合唱団がペトレンコ時代の可成り大きな意味を持つのは当然で、今回の「オテロ」、「タンホイザー」、「マイスタージンガー」と音楽的に重要な役目を果たしている。日本公演でも批判されていたように現代の室内合唱団のような性格である筈はないのだが、バイロイトやヴィーンのそれと比較して独自の個性が拓かれてきたのは管弦楽団の場合とよく似ている。合唱指揮者の仕事が大きいのだが、やはり舞台の上での芝居を含めた歌劇合唱団としての評価をしたい。今回は芝居は無い訳だが、とても良い歌を披露してくれるのではないかと大変期待している。第九は誰が歌ってもよいが「ミサソレムニス」は合唱団を選ぶと思う。将来ペトレンコがこの曲を指揮するときにどれだけ他に理想的な合唱団が存在するだろうかと考えると、意外に見つからない。

ベートーヴェン続きで、オールスターキャストの「フィデリオ」だ。既に二枚は確保したが、まだ日程がはっきりしない。もともとは最終日に焦点を合わせていたのだが、籤運悪く、ネット買いとなった。初日の待ち番号はなんと30番台を貰ったが、結局その座席は時間切れで買えなかった。あまりいい席ではなく、タブレット操作でログインに失敗したからだ。結局もう一つの待ち番号400番台で視界制限のある立ち見席を18ユーロで購入した。108ユーロよりも遥かにCPが優れていた。

ここから証明したのは、二時間前にネットに入ろうが、二十分前でも待ち番号とは関係ないという、ランダム選択がグループ別け無しに機能しているということであり、まことにフェアーなシステムになっている。このことを証明したのがこの日の大成果だった。二日目の席は、待ち番号220番台と500番台で、前者で適当なところで押さえておいたが、これもあまり良い席ではなかった。最終日によほど良いものが入れば購入するが、その場合待ち番号で50番以内は欲しい。

恐らく皆同じような行動をしているらしく、カウフマンファンなどのファン層は初日で勝負を掛けてきていている。そして我々のような音楽ファンは何よりもクラスSという価格付けがとても気になっている。要するに特定のファン層は高価な席から購入するが、音楽ファンは安い席から漁っていくことになる。

しかし私にとっての覚醒はそこではない。第九、ミサソレムニス、「フィデリオ」と来れば、250周年にミュンヘンでは「フィデリオ」新演出がないことが分かる。それならば2020年バーデン・バーデンは「フィデリオ」で決まりだと思う。今までなぜ気が付かなかったのだろう?やはりどうみても冴えない演出で、ガッティが態々ナガノに代わって振っていたようで、それとほぼ同じキャストで再演される。舞台練習はそれほど必要ないが、四回の公演で、翌シーズンにもう一度やるのだろうか。やるとすればオパーフェストでオールスターキャストか。そこである、バーデンバーデン復活祭ならば、カムペではなくて、恐らくヤコブス指揮「レオノーレ」で歌ったペーターセンの再演だろうか。するとキャストは全く重ならないので、上演占有権を犯す可能性もないだろう。

来年からのキリル・ペトレンコのスケデュールを考えると、いかに合理的に練習時間や勉強時間を嵌め込んでいくかにかかっているようで、コンサートレパートリーの拡大と同時にミュンヘンでの二つの新制作を基本に、再演を振るとしても次ぎのレパートリーとの関連でしかないということが分かって来たからだ。古い演出を四日そしてもう二日ぐらいのためだけに準備するとは到底思えない。更にバーデンバーデンではロシアものとか大掛かりなものよりも中編成のベルリナーフィルハーモニカーをスーパーオペラ向きに仕込むには使える曲である。出来れば演奏会形式を予めベルリンでやってきて欲しい。

バーデンバーデンの劇場にとっては予算も少なく、フロレスタンにフォークトなどの人気者を呼べば間違いなく経済効果大の話題の上演になる。そもそも最初から面倒な出し物をやる必要などはなく、精々コンサートでの第九も合唱団もそのままでみっちりと合宿して貰えば、上質な上演を安くあげられる ー いやいや「ミサソレムニス」をジルフェスタ―に続きバーデンバーデンに入れる方が正解だ、それなら合唱団はフィルハモニアヴィーンでいい。

シカゴ交響楽団をサロネンが指揮したマーラーの第九の一部を聞いたが、予想以上に悪かった。嘗てはもう少しメリハリの効いた指揮が出来ていたと思うがどうしたことなのだろう。プロムスからの中継も酷かったがまさかシカゴでもあまり変わらないとは驚きだ。この人ほど老化の早い指揮者を知らない。その売りがなくなると殆ど聞くべきものの無い指揮者でしかないと思うのだが、なぜかシカゴはこの人を頻繁に呼んでいて、まるでムーティの後を任せるかのようにさえ映る。前番組で流れた演奏などは昔の素晴らしさが聞かれたが、一体いつ頃からこんなに悪くなったのだろうか?前々回の二十年ほど前にバレンボイムが振っていた時はまだまだアバド指揮のフィルハーモニカーより上だった。



参照:
音楽監督と至福の生物 2018-03-19 | 音
ファウスト博士の錬金術 2006-12-11 | 音
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緊急避難で迎える万聖節

2018-11-01 | 
引っ越しを済ませた。緊急避難処置である。寒くて座っていても仕事にならない。我慢しても価値が無い。引っ越し時間三十分ぐらいで、初めての暖房で部屋が温まる頃には、PC関連も仕事の出来る状態になっていた。コツコツとここ暫く準備をしていたお陰である。

先ずはA4ノ-トブックを籠り部屋のモニターにHDMI接続する。最初はコンタクトが悪かったのか、上手く行かなかったが直に設置完了。電源も既に設置済みのものが流用可能と確認。音出しに多少時間が掛かったのは出力段の選択が必要で、調整可能のところが多いほど様々に試してみないといけなかった。動画も比較的スムーズに動くが、SSD化しているのにも拘らず負荷を掛けると結構空冷が回る。テキスト入力ぐらいでは無音だが、メインのノートブックの方が負荷には強い。いづれメインのSSD化時の貴重な経験になる。

インスールしたばかりのVNCリモトコンロールも無理なく作動したが、モニターとの絡みでの解像度には若干疑問がある。そもそもA4ノートブックのカードが悪いのだろう。動きがいいだけに、もう少し解像度が高ければ気持ち良いなと思う。

唯一考えていなかったのは、屋根裏のアクティヴスピーカで流す音響が物足りなくなった。直前まで同じような音源でハイファイ趣味の音を聞いていたからで、比較すると厳しい。これは現状では投資するつもりもないので致し方ない。必要ならば今使っているDACをヘッドフォン専用に下ろすしかない。

暖かい部屋にいるとどうしても眠くなる。これはこれで仕事が進まない。手作業のような単純労働ならば眠くならないだろう。「オテロ」の楽譜を落とした。祝日には暖かいところでBGMを鳴らして会計関係の仕事でも片づけてしまおうかと思う。



参照:
麻薬の陶酔と暴徒の扇動 2005-11-02 | 生活
エロスがめらめらと燃える 2007-11-02 | 暦
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籠もり部屋からの操作

2018-10-31 | 
ブルゴーニュは雪がちらついているようだ。流石に寒い。天気予報で明後日あたりから再び陽射しが射して暖かくなるということで我慢している。しかし期待されたように摂氏17度は難しそうだ。するとそろそろ暖房を入れて冬籠りとなる。先ずは久方ぶりに風呂に浸かって体を温めたが寝室は寒かった。朝の森も雪こそはちらついていないが肌寒くて初めてフリースを羽織って走った。薄手のセーターを出したが、それでも足りなかったので、シャツの下のアンダーのTシャツに代えて長袖のシャツにした。

ノートブックの回転音が気になってくる。HDDからSSDへと切り替える心算だが、その価格はもはや問題ではなく、大きさも240GBか480GBもあれば十分だと思う。問題はシステムを一から再構築しないといけないので、その為に手間と時間が厳しい。現状と同じ使い方を求めれば二日以上掛かるのではなかろうか。先ず何よりもストレージのためのNASを新調して確実に使えるかどうか試してみなければいけない。そこで初めてノートブックのディスクの容量を240GB程度に抑えられる。

もう一つの方法として籠り部屋に、小ノートブックを持ち込む方法だ。これで最小限の空冷音となる。そこで今度はA4ノートブックからWIN8をコントロールするようにした。最も容易なのはREMMINAというプログラムを使う事のようで、これをフルインストールして試す。RDP接続の方は上手く行かなかったのはリモートデスクトッププロトコール解除になっていなかったのかもしれない。しかしVCNの方で問題なく接触した。これで、ノートブックを夏季同様にステーションとして、籠り部屋からA4ノートブックから指令すれば大抵の用は足りる筈だ。机が小さいのでA4サイズは助かる。

A4ノートブックに極力プログラムをインストールしないようにして利用する。ネットサーフィンは既に二種類のブローザーを入れたので、これ以上は必要が無い。今度はリモートコントロールするノートブックを利用して無線で音楽再生、動画再生は直接HDMIで籠り部屋のモニターへ、あとはなにだろうか?メディアは動画以外は殆ど双方をパラレルに使えそうなので助かる。使っていると色々と不便とかもう少しとかの点が出て来るかも知れないが、キャスティングでのリモートコントロールとは違って問題なく使える筈だ。こうしたつまらないことを走りながら考えているのである。

シカゴからの放送を録音した。「はげ山の一夜」、内田光子との「ベートーヴェンハ短調」、リスト「ダンテ交響曲」である。最初の曲は生でも聞いたので分かっているが、その時の印象と殆ど変らない。ムーティ―指揮の高品質なエンターティメントが良く出ている。同時にシカゴ交響楽団がそれなりの演奏をしているが、その指揮に拠らずも最早世界一の管弦楽団でないことが良く分かる。なるほど綺麗に纏めているのだが、丁度昔のオーマーンディ指揮のフィラデルフィアからサウンドを悪くしたようなもので、それ以上の音楽性が感じられない。更にべートヴェンに行くと内田の音楽内容に合わせるだけの意識が管弦楽団員に全くないようにしか思えない。リストはムーティの問題も大きいのかもそれないが全く上手く行っていない。ここの楽員の質というよりアンサムブルの意識がかなり落ちているのだろう。フィラデルフィア、クリーヴランドと並べると明らかに格落ちしている。



参照:
とても魅力的な管弦楽 2017-01-30 | 音
未来へのルーティン 2016-10-25 | テクニック
篭り部屋での最初の夜 2016-10-15 | 生活
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すっきり目覚めの冬時間

2018-10-29 | 
やっと夏時間が終わった。朝白み始めて目が醒めると八時前だった。これでよいのだ。前日までは九時前だ。気持ち良く目が醒めたのは何週間ぶりだろう。朝が辛くて仕方が無かった。寒くても気持ちが良い。パン屋に出掛けるのにも初めての長袖のフリースである。寒いとはいっても気温摂氏5度ほどなのだが、風が強く、体感気温は零度に近い。ショーツ、Tシャツの限度に近づいている。

就寝時にも起床時にも軽い頭痛のようなものがあって殆ど風邪のひき口に居るのだが、まだ体を動かせるうちに勝負である。駐車場には結構な車の数があったが、峠を上って帰ってくるまで声は聞いたのだが誰の姿も見なかった。これも珍しい。パン屋も日曜日には休みに入ると来年までは日曜日にここを走る機会はほとんどなくなる。土曜日に走るぐらいで、日曜日は更に長く辛い山登りコースになる。下りてくると汗が滲んでいたが何時ものように拭うほどでもなかった。

帰りの車中で初めて気が付いた。車のナヴィの時計がそのまま夏時間のままだ。これは数か月前からだ。つまり、通常のGPS接続では日時情報が読み込めなくなっていたから、フランスの固定時刻に合わせて、手動で夏時間としていた。しかし、その季節が終わったので再びドイツへと戻して冬時間になった。そして不思議なことにGPS腕時計も夏時間のままだ。どうもGPS衛星の時計が狂っているのではないかと思うようになった。有り得ないことではないだろう。調べてみよう。壁掛け時計の方は問題が無い。

戻って来てシャワーを浴びて、コーヒーを飲んでもももう一つ温まらない。これはやはり寒くなって来た。道理で北シュヴァルツヴァルトでは降雪な筈だ。ヴィーンからの放送でジョンケージの4.33が放送となるので放送を掛け乍、夜間に試してみる録音のテストをしてみた。これが一時間以上掛かった。折角のAudacityで録音できないのだ。前々日に録画出来ることが分っていながら、画像どころか音だけが録れない。調整箇所を弄って試してみても埒が明かないので、ネットで検索した。現象はよく知られていて、解決策として、Alsamixer経由のものと、録画で使用したPulseAudio経由での解決策があって、前者を開いてみても必要そうなところでミュートされているところが無いので、後者のpavucontrolと称するコントロールパネルをインストールした。WIN8で使っているような内容で出力入力を選択するシムプルなミキサーのようなものだ。これでChromeから出ていたPulseAudioの管理が可能となった。

そしてAudacityにも自動的にプラグインが読み込まれてPulseAudioを使えるようになった。それで録音しようと思うとこれが直ぐに停止してしまって上手く行かない。そこでWIN8と同じ全く設定にして、効果やその他の不純な機能を全て切った。これで上手く行くようになった。過負荷とも考えたが動画などと比べると遥かに負荷が小さいので不思議に思ったからだ。これで今晩のアメリカからの放送をメインPCとは無関係に録音可能となった。夜中の放送も心安らかに自動録音が可能になる筈だ。

さて、ヴィーンからの4分33秒は期待していたような携帯電話の音も鳴らなかった。通常の公演では喧しいヴィーンの聴衆もこうしたヴィーン・モデルン週間となるとその質が変わるのだろうか。途中でおっさんが何か叫んでいたが聞き取れなかった。あまり英国人のようなウィットの効いたものではなかったようで笑い声も漏れなかった。あまり良い聴衆ではないということだ。

昨晩はAudacityで録音したカーネギーホールデビューの録音が上手く読め込めなかった。オリジナルの方からコピーし直したが、呼び出す小ノートブックの方でキャッシュに記録されていてそれを読み替えるのにフォルダの中を直接消さなければいけなかった。外部NASからの読み込みだから仕方が無いのかもしれないが、PCを再スタートしても変わらないのには驚いた。この辺りがWINと比較して不便な所だ。

そのチャイコフスキーのマンフレッド交響曲を聴くのも楽しみであり、久しぶりに悲愴交響曲も聴きたい。それにしても実演で体験以降、あまり良くなかったフィルハーモニーでの演奏は聴いていない。そろそろ次の段階であり、今夜のフィラデルフィアからの「悲愴」を是非と思うのは、第一楽章の展開部の鳴りが聞きたいからだ。昨年のバーデンバーデンでももう一息だったが、「ドンファン」でも明らかに卓越していたこの世界一の楽団の音響を確認してみたい。会場は悪いかもしれないが、楽しみだ。夏は19時始まりだったが、今は時差が縮まり18時始まりになる。



参照:
課題を徹底的にやる? 2018-10-28 | 雑感
ずぶ濡れの野良犬の様 2018-09-03 | 音
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晩夏日和の忙しさ

2018-09-28 | 
月末に三日も出かけるとなると大変だ。ある程度は覚悟していたが、ものの軽重で優先順を付けて行くしかない。結局優先順の低いとされた仕事は後回しになり、どこかでシワ寄せがくる。

バーデンバーデンは20時始まりで、終演が22時15分前であるから、帰宅は23時前である。これは助かる。先ずは大人の時間の始まりなので、その前のガイダンスが19時見当、その前に入場券を取りに行く。18時30分に付くためには、17時前にワイン街道を出ればよい。フランスでの買い物も30分以上は欲しいところだ。

金曜日は「マイスタージンガー」のお勉強に時間を割きたい。初日の2016年と比較すると一幕を通しただけで随分と自身の譜面の読みが変わっているのに気が付いた。ペトレンコ先生のお陰で、大分読み込めるようになってきた。だから参考資料にしている初日の録音の問題点と逆によく出来ているところが分って来た。一番最後まで問題が残っていたのが一幕であり、それは単にその楽曲構造が複雑なのにある。同時にオーボエなど木管楽器の妙技が要求されていて、これはしっかり吹き通すのはなかなか難しいと思った。要するに音色的にも精妙な色付けがなされている。今回の聴き所の一つで、思っていたようにフィナーレを待つまでも無く、とんでもない精妙さが要求される楽譜となっている。これは流石にペトレンコでも簡単には解決出来なかった筈だ。

だからと言ってベルリンのフィルハーモニカーと簡単に実現できるとも思わない。なぜならばやはりコートナーやフォーゲルゲザンクまでの脇のアンサムブルも重要で、レパートリー劇場で繰り返して上演していないととんでもなく難しいと思う。なるほどその録音のベックメッサーのマルコス・アイへの声は若干弱いかもしれない。しかし今回はポークナーにツェッペンフェルトが歌うとなるともうここだけで充分に満足してしまいそうだ。またデーフィットの配役も変わっているので、これも重要になると思う。とても難しいだけでなく重要な役割だ。女性二人はそれほど心配しないが、この親方たちとBMWディーラーの親仁はこの一幕の出来を左右する。勿論管弦楽が名演を繰り広げる前提でもってである。

前奏曲も良く見ると精妙な演奏が求められていて、今までは如何に勢いだけで進むような演奏に慣れて来ていたのかと思うほどで、ここでの対位法的な扱いや各動機群がしっかりと提示されていないことには、御多分に漏れずその幕開きの教会のオルガンなどの響きまで違和感を齎すことになる。フォンカラヤンがドレスデンで録音したものなどもそうした典型例ではなかろうか。

さてもう少し時間があればドヴォルジャークの七番交響曲を調べたいが、何処まで時間があるだろうか。バーデンバーデンの祝祭劇場のネット配信には前半のベアヴァルトの交響曲のガイダンスがアップロードされている。四度の動機の扱いも然ることながら、三楽章の心のざわめきのような管弦楽法などに言及されていて、まさしく私が指摘した素朴の中の聴き所なのだ。そしてまず聞いてみなければというのも全く私と同じだ。という事はコンサート前に七番のお話しか?
Franz Berwald Sinfonie singulière C-Dur - Klassik in drei Minuten


先ずは軽く走っておいた。週末は時間が無い。イザール河畔を走る元気なども無い。それでも久しぶりにあまりに陽射しが気持ち良いので、バルコンでのブランチとした。前回は何時だろうか?八月だろう。所謂晩夏日和である。



参照:
画像の質も生と比べると 2018-07-19 | 雑感
カメラに譲った座席 2018-09-26 | 生活
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