Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2020年4月

2020-04-30 | Weblog-Index


最高品質のメードインシナ 2020-04-30 | 生活
橋を架けた長い道程 2020-04-29 | 女
蜘蛛退治をしておくれ 2020-04-28 | 文化一般
注目が高まる女流の登場 2020-04-27 | 女
BやCの為のAプラン 2020-04-26 | マスメディア批評
2023年以降の計画の発表 2020-04-25 | 音
吟味した暫定的なマスク 2020-04-24 | 生活
難しい実効再生産数減少 2020-04-23 | 生活
厚顔無恥に十万円呉れてやれ 2020-04-22 | 文化一般
無価値なストリーミング 2020-04-21 | 音
恐ろしいコロナの浸食 2020-04-20 | 料理
幻の「フィデリオ」中継録音 2020-04-19 | 生活
演奏会の今後の解決課題 2020-04-18 | 音
投げ入れるワイン瓶 2020-04-17 | 生活
大規模催し物の評価と対策 2020-04-16 | 文化一般
拍手される者はただ働き! 2020-04-15 | 歴史・時事
ラヴィオリからマウルタッシェ 2020-04-14 | 雑感
積極的な衛生処置へと 2020-04-13 | 女
行ったり来たりの話し 2020-04-12 | マスメディア批評
コロナ聖土曜日の並び方 2020-04-11 | 暦
社会的距離を測るライン 2020-04-10 | 暦
公的資金の支援なんて 2020-04-09 | 文化一般
見出す乗り越える路 2020-04-08 | 音
切り捨てる腐ったキュウリ 2020-04-07 | SNS・BLOG研究
二年越しの重点課題 2020-04-06 | 文化一般
まだ本格的な夏時間とは 2020-04-05 | 暦
ここが辛抱どころ 2020-04-04 | 生活
復活祭のヤマへと差掛る 2020-04-03 | 歴史・時事
更にKAIZENの毎日 2020-04-02 | 雑感
屹度忘れられない春 2020-04-01 | 生活

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最高品質のメードインシナ

2020-04-30 | 生活
手配していたマスクが二種類届いた。スーパーでの買い物は時間が掛かるので頭に巻くやり方では外れそうで使い難い。アベノマスクでは顎が出ていて罰金対象になりそうだ。そこで無駄に顔に布をつけるよりもと思ってN95若しくはFFP2以上のものを所望した。これならばコロナウイルスが殆ど通らない。

そして受け取ったの一つはマンハイムで出荷されているFFP3で本格的な安全マスクである。しかしその立体的な裁断よりもヴェンティールがついていて、正確にはこれだけ大層なものでも他者を守らないとされる。要するに今回は全く使う意味が無い。いつか使えるだろうと思うの火事現場で逃げる準備をする時ぐらいか?

もう一つはKN95と称する中共基準のマスクだ。最初若干小さ過ぎるかなと思ったが、鼻を塞ぐだけなので充分に顎まで被る。密閉性は高く同時に必要なだけの通気性はある。使ってみないと分からないが、其の侭上から鼻が押さえられているよりも、息苦しくないと思う。どちらにしても30分以内の事である。

なによりもこれが優れているのは鼻筋で半折りになっているので持ち運びに閉じれる。上下も対象型の割に結構しっかり収まって隙間が出来にくい。余りにも簡素なのだが正真正銘メードインチャイナの高品質の様だ。調べてみるとこれはまだネットで発売されていることになっている。

ルツェルンからの夏の音楽祭中止の情報が入った。最初から敢行は難しいと思っていたが、九月も断念したのにはそれなりの事情があるだろうと思った。八月中も千人以下ならば開催できたので、あとは人数とその払い戻しなどが問題だったろう。大ホールの椅子の間隔を見ると一列づつ空けても隣通しが近すぎる。つまり二列に一列で三席に一人、1800人の六分の一即ち300人しか入場できない。更に大交響楽団が舞台に乗るためには小編成の曲を中心にプログラムを変更するしかなかったろう。それでも300人ならば赤字となる。中止は仕方がないだろう。

関心のあるベルリンでのオープニングツアーはメーデーのように少人数で演奏して数百人しか入れられないだろう。ザルツブルクはオペラが開かれないとなると訪れる人も少ないので難しかったが、九月に入ってからのルツェルンとロンドンはやり方次第であろう。何かをやるにしても晩秋としているのだが、何らかの方法は出来るようになる筈だ。少なくとも昨年までやっていたようなピアノを大ホールで演奏するのは問題が無い。

チューリッヒのトーンハレもシーズン終了宣言をした。同時に2021年春にこけら落とし予定だった改造中のトーンハレも工事が遅れて2021年9月に延期になった。そのお蔭でシーズン後半のプログラム変更に伴って新シーズン発表も遅れる。但しマークの会場を更に長く使えるようになって喜ばしいということだ。もう一度ぐらい行く機会があるだろうか。

N95でスーパーに行った。実質三十分ほど居たのだが、幾らかは鼻が敏感になったが、息苦しさは無かった。但し咳などは逆にし難かった。おばさんが同じマスクを使っていたように見えた。流石にパーソナルも皆マスクをしている。していなければ文句を知事に書いてやろうかと思った。たとえグラスで保護されていても食品に唾を掛けられては仕方がない。因みにその前に立ち寄ったガソリンスタンドはなぜかマスクが要らないことになっていた。どうも強盗の方を恐れていることになっているのだろう。

兎に角、現在市場に出ているマスクの中ではこのコロナ禍に対しては最も優れたマスクは正真正銘の中共産だろうということだ。やはりコロナウイルスを作ったのは習のお友達のマスク業者の為だろうか?



参照:
吟味した暫定的なマスク 2020-04-24 | 生活
橋を架けた長い道程 2020-04-29 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橋を架けた長い道程

2020-04-29 | 
歯の治療が終わった。四カ月以上掛かった。只のブリッジだったが、体調も安定しなかったので時間を掛けた。これで女歯科医師さんと話した気になる点が解消されればいいのだが、兎に角本接着したので容易には外せない。仮接着の方は思ったよりも簡単に外せた。それでも傷つけないようにと気を付けてやってくれた。あの辺りの配慮は女性らしくていい。外したところのお掃除も細かい仕事は指も細いだけ上手である。折角負担なく本接着できたので、約束していた詰め物も麻酔無しでやって貰った。久しぶりの麻酔無しの歯の治療で体が痙攣した。何回かエクスタシーを迎えて休み休みにやった。女医さんでなければ頑張れなかった、許さなかっただろう。それも余分に反対側の奥歯の詰め物もやって貰った。今回は抜歯の時とは違って、またコロナ禍のお蔭でわき腹へのタッチは無かったが、今時珍しい挑戦だった。勿論理由は上顎のブリッジの感覚を敏感にしておきたかったからだ。勿論麻酔代も掛からない。

それにしても医療関係の女性はやはりサド趣味で、それを喜んでやって貰う男性はマゾ趣味だろう。完全に変態プレーになっていた。

ルートヴィヒスハーフェンを見たが、路上でマスクをしている人はほとんど見かけない。地元ワイン街道はそもそも公共交通機関が限られていて、路面電車も無いことから誰もしていないのは当然と思ったが、路面電車の街中を外れると誰もしていない。やはり商店でのマスクを義務としなくてもベルリンなどの方がマスクを見かけるのだと思う。それどころかチャドのモスリムも口を出して歩いているので余程ドイツではマスクが疎ましく思われているかである。それでも商店などでは守られているのは罰金の威力に違いない。車でも罰金と減点さえなければ誰もスピードなんて守らない。

緩和されたと言っても朝のラッシュは起こっていなかった。やはり通勤の交通量は二割にも至らない。外出禁止の時の倍ぐらいになった程度か。今後は旅行の自由が緩和の項目に入ってくるが、六月にはまだ難しいされている。緩和とマスク効果で何処まで抑えられるのかに掛かっていると思う。

この金曜日から再び不要不急とされていた手術が開始される。同時にコロナ用に空けていたベットが再び元に戻されて、通常の入院に使われるようになる。

トリアーの大司教区では、ミサのやり方を示した。先ず消毒液を用意して、一方通行で、1.5mの間隔を空けて、マスクで行われる。ミサの式辞の次第の方は書いていないので分からない。これからすれば、音楽会場も一方通行で入場して、四分の一の収容では問題が無いことになるだろう。二千人収容の会場で500人ということになる。興業的には三分の一まで入れたいところだ。

復活祭の続きでアップルの焼き物である。乾いたのでアイスをつけて食した。



参照:
膿をスッキリ出した 2020-01-08 | 雑感
若い女の園の寝椅子 2020-03-04 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜘蛛退治をしておくれ

2020-04-28 | 文化一般
メーデーの日に向けて発表があった。本来ならばテルアヴィヴから放送される予定だった「ヨーロッパコンサート」がベルリンのフィルハーモニーから生中継されることになった。そのプログラムは変更されて、本来演奏される筈だったマーラー作曲交響曲4番ト長調が室内合奏編曲で演奏される。歌手は予定通りクリスティアーネ・カルクである。そしてその編曲はエリヴィン・シュタインというシェーンベルクのお弟子さんのもので、1918年に創立したプライヴェート音楽協会の為に演奏されたものである。その三年間続いた三年目の1921年1月に演奏された。同じ様に題材とした「不思議の角笛」からのシェーンベルクの管弦楽伴奏歌曲作品8に関連付けられる。

その前に有名なバーバーの弦楽四重奏でも演奏される「アダージョ」が、リゲティ作曲「ラミフィケ―ションズ」が弦楽合奏で演奏される。最初は弦楽合奏とパーカッションのペルト作曲「フレートルス」。なんと素晴らしいプログラムだろうか。

特にマーラーの編曲版は管楽器なども入るのでどのように間隔を空けてどのような効果で演奏されるかがとても期待される。そして無観客乍ら今回の小編成の演奏などを重ねることで、今後の演奏会へのノウハウを積み重ねていくことになるので注目である。兎に角少しづつ始めていくことの意味は大きい。

昨年のブランデンブルク門での演奏会を生中継を可能にしたベルリンブランデンブルク放送局RBBの支配人パトリツィーア・シュレジンガーは次のように語った。

ベルリナーフィルハーモニカーのヨーロッパコンサートは、取り分け歴史的にシムボリックな意味を持っていて、全くを以て統合の標である。私たちが欧州の国境を超えたあらゆる自由を諦めなければいけない時に、この類稀の無い管弦楽団の音楽のお蔭で一つに成れるのです。このコンサートを中継できることは、今まさに私たちの格別な喜びなのです。

フィルハーモニカーのツェッチマン支配人は、「この難しい時にヨーロッパコンサートを開かして頂ける様になって、全ての関係者にお礼を言いたい。このコンサートは絶えず欧州の統合のシムボルであり、今迄よりも今こそ重要なメッセージとなっています。このコンサートで世界中の聴衆へと、喜びを、その統合の標としてお届けしたい。」と楽団を代表して喜びを語った。

週末の朝、寝室を出るとゲジゲジが歩いていた。条件反射のように潰そうかと思ったが、思い留まった。子供の時からムカデとゲジゲジの見境なく仕留めていたが、昨年ネットで益虫という事を初めて知った。その間に殺した数は少なかったかもしれないが、毒も無く蜘蛛を喰ってくれることを知らなかったのだ。天上の高いところなどで蜘蛛の巣を張られると迷惑なので活躍して貰うことにした。あの足の多いだけで気持ち悪がっていたが餌もやらずに働いてくれるかと思うと愛おしくなった。

バイロイト音楽祭のカタリーナ・ヴァークナーが長期的な病気で当面の休養を申し出たと情報が流れた。こうした場合「長期的」と使うのはとても珍しい。そもそも今年の夏は中止になったので来年以降に備えるのはスケデュール調整だけでそれほど特別な事ではない。返金などの経済的な問題の方が多いだろう。しかし気になるのは契約延長を渋っていた元祖芸術監督ティーレマンの状況である。恐らく基礎疾患から当分は指揮活動が出来ないと思われていたが、既に一月に元の座には戻らないことが明かされていた。要するに関係がギクシャクしていたのはコロナ騒動以前からで昨年のヴィーナーフィルハーモニカーとの日本公演時に既に話題となっていた。



参照:
ブランデンブルク門を臨む 2019-08-21 | 歴史・時事
音楽劇場化へと集中 2019-10-19 | 文化一般
プログラミングの決定権 2019-08-22 | マスメディア批評

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

注目が高まる女流の登場

2020-04-27 | 
プランAに従って演奏会計画を見て行く。先ずはベルリンでの8月のオープニング、例年のようにそしてザルツブルク、ルツェルン、そして一昨年に続き二度目のプロムス。ここで予想しなければいけないのは来年度のツアー第二プロがどれになるか?第二プロはメインストリーミングから離れた曲となるので、先ず外れるのは2021年5月16日にゲヴァントハウスで演奏するマーラー第九だろう。これは四回しか演奏しないことになっているが、さてどうだろう?日本公演に持って行くとするとその前にアルテオパーを含んで何回か演奏するかもしれない。

同じように六番は、2020年5月にバーデンバーデンやイスラエル、アムステルダムなどで十回程演奏される予定だっだ。これは本年11月に一度バーデンバーデンで演奏される可能性が高い。実は四番も吹っ飛んだがこれはまた最初からやり直しになる。

あと2021年5月のオイロパコンツェルトのスペイン旅行のモーツァルトのミサ曲も無い。その前の2月のクルト・ヴァイルとストラヴィンスキーが気になる。しかし寧ろその前1月のプロコフィエフとコルンゴールトの方が遥かにレアものとなる。来年度のオープニングが何になるかに依るが、「千人の交響曲」ならば、こちらの方がよい。

2021年復活祭の「ツァイーデ」の二枚目の券を購入した。初日は買い遅れていい席が無かったので恰好だけ購入しておいた。なぜならばベルリンではオクサーナ・リニヴが振るということが分かったからだ。今最も注目されている指揮者の一人であるが、バーデンバーデンデビューとなることはまだ正式に発表されていない。しかし可能性が強かったので押さえておいた。そして再度調べるとフェースブックにも自身が「The projekt is also planned to be performed on Baden-Baden Festival. 」として述べていて、日程を調べると三月はミュンヘンでの「青髭」以降空けてあって、次は四月のウンターデンリンデンでの「魔笛」まで時間がある。一番ポストバレンボイムに近い指揮者だと思うが、ミュンヘンの放送交響楽団にもシューマンと「神々の黄昏」でデビューする予定なので、場合によってはポストヤンソンスにも入ってくるかもしれない。

その彼女自身が音楽祭もやっている地元の作曲家フランツ・サヴィエ・モーツァルトの父親の作品を振るということでとても期待が膨らむ。昨年もアダム・フィッシャーが振っているデュセルドルフ辺りで振っているが、「この程度の指揮者は中々呼べないので幸運だ」と楽団が書いている。確かに、ネルソンズよりも若干年上なだけに、ユロスキーの次の世代の中で最も注目度が高いかもしれない。

しかし小劇場でやるので小編成で若い人が歌って芝居をしても入場券が高い。初日の天井桟敷でもペトレンコ指揮の「フランチェスカダリミーニ」よりも高価で、また今回のロージュでもペトレンコ指揮の「マゼッパ」よりも高価なのだ。一体何を期待しようかということになるが、演出さえよければ今年のペトレンコ指揮の「アンジェリカ」よりは大評判になると思う。それにしても高い。

序でに購入したのはエフゲニー・キーシンのリサイタルで、ショパンに続いて、後半にベルクから初めてチェレニコフ、ガーシュインという興味深いプログラムである。お気に入りの安い席が一枚だけ残っていたので急いで購入した。こちらは29ユーロで満足な価格。



参照:
覗き覗かれているのは誰 2020-03-10 | 文化一般
定まるテムポの形式感 2017-09-04 | 音

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BやCの為のAプラン

2020-04-26 | マスメディア批評
金曜日にはベルリンの放送交響楽団の新シーズンに纏わる番組があった。本来ならば今シーズンの演奏会の生中継だったが、指揮者のユロスキーも話していたので価値があった。どうもネットでの新プログラムプレゼンテーションは火曜日にあったようだ。この楽団が初演をしているストラヴィンスキーとシニトケがテーマに作曲家になっているようだ。興味深かったのは、現状では兎に角予定通りの公演を行う心算で、それ以外にBプラン、Cプランと考えておくという事だった。恐らく何処の楽団や劇場でも同じだろうと思う。それでなければ資金も集められなく、当局への圧力にもならない。

Bプラン辺りを期待したい指揮者の一人でもある。出来れば平素から場を語るロート氏には何かをして貰いたいが、今のところSNSで反応するぐらいで、なにも動きが無い。兎に角計画通りに金を集めるのが先決である。

東京の新国立劇場の映像を見た。先の「魔笛」に続いてNHKで少しだけ聴いた「オネーギン」である。両方とも東フィルが演奏しているというので興味津々だった。結論からすれば管弦楽団は一流だと思った。ドイツの劇場でも上位に入るだろう。勿論流しているだけでも幾つかの問題点も聴き取れたが、ドイツの地方劇場でここまでロシア音楽を捌ける楽団はないと思う。指揮者はその方の専門家であろう。たとえば有名なポロネーズなどではもう一息と思うが、そこまで行かない理由も幾つか浮かぶ。

それにも関連するが管弦楽に比較して歌のアンサムブルが成っていなくて、折角のゲスト歌手の歌も全く活かされていない。演出も「魔笛」に続いてお粗末で、それに相応しいような人が指揮しているだけで舞台全体として劇場として全く音楽的な表現が成就されていない。評判の良い合唱だけが孤立して成り立つものでもなく、当然ながらピットの中で完結するものでもない。総合的に三流の劇場の水準になっている。

色々推測するとゲスト指揮者が纏めるまでの下ごしらえが出来ていないのではないかと思った。所謂コレぺティテュアーというアシスタント的な仕事が全くなっていない様で、一体ドイツの地方劇場などに文化庁の支援で研修に送られて修業した人たちはどうしているのかと思った。屹度出来る人たちは日本で指揮者になっているのだろう。そう言えばこの劇場の前監督はまさしくそのような人ではなかったのか。要するにコレぺティテュアーに力のいる人がいないのだろう。指揮者などは金さえ払えば幾らでも連れて来れるが、裏方さんはまさしくその劇場の程度そのものだろうか?

METのアットホームガラを観ていたら、ミュンヘンのヨーナス・カウフマンの部屋に劇場の椅子が置いてあった。あれはどう見てもロージュにもあるやつで、放出したのだろうかと思った。他に気が付いたのはベルリンのフォレの部屋が先日のゲルネの部屋のように屋根裏の音楽室になっていて詰まらないものを思い出した。やはりオペラ歌手はその立場に依るがしみったれた感じを見せては駄目だ。ゴルダ・シュルツのアウグスブルクのそれは気にならないが、スターはスタ-らしくしないとお話しにならない。アンネゾフィームターが税金を巻き上げようとするのを思い出して不愉快になるのと同じである。



参照:
プロシェニウムロージェ 2018-06-09 | 文化一般
厚顔無恥に十万円呉れてやれ 2020-04-22 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年以降の計画の発表

2020-04-25 | 
バーデンバーデンの復活祭の2023年以降の計画が発表された。2022年に延長されることが契約されたようだ。2021年まで大枠計画がキリル・ペトレンコの口から発表されたことで驚いていたが、チャイコフスキーに続いてその次の二年のドイツ音楽の一年目がリヒャルト・シュトラウスと一日於いて発表された。

背後には、今回中止になった「フィデリオ」以降のまた秋の公演に関しての計画推進の中でこの計画の発表同意となったようだ。既に2023年についてもドイツ音楽とペトレンコが示唆していたことで、それも二年目の一年目は有名曲か二年目が珍しい曲かとの疑問もあった。

そしてバーデンバーデンの祝祭劇場がこれでどれほど助かったかというと、先ず私のような人間は数は少なくともこれで完全に2020年分の購入金額を精々秋の分を引いたぐらいで寄付することに躊躇が無くなった。既に宣言していた通りで、復活祭の見通しさえつけばそれなりに協力する。実質的に復活祭パトロンである。なにもパトロンシートもサロンも要らない。流動資金で少なくとも「フィデリオ」での損失は埋められればいいだろう。何回も繰り返すが、一番いいのは秋に米国ツアーが無くなり何回か「フィデリオ」が上演できれば取り返せる。倍から三倍ぐらいは払うのではなかろうか?

先ずリヒャルト・シュトラウスで有名曲ならば「ばらの騎士」、「エレクトラ」がペトレンコ指揮で新制作を期待される。ミュンヘンでも再演は「アドリアネ」であったが、ペトレンコが得意にしているのは「エレクトラ」ではない二曲になる。但し「ばらの騎士」はラトルが復活祭で振っていているのでどうだろうか?それ以前にはティーレマン指揮の上演も映像化されている ― 気になる情報として、マルリス・ペーターセンがマルシャリンを新たなレパートリーに入れるという事実である。一番評判を集めやすいのは歌手さえ見つかれば「エレクトラ」ではないかと思われる。どうしてもまたアスミク・グリゴーリアンが気になるところだが、まだ早い。

しかし本当に関心があるのは、もし2023年が珍しいシュトラウスであったとしたら、「カプリツィオ」か「無口の女」ぐらいでしかないので、先ずは2024年が珍しい曲でシェーンベルク作曲「モーゼとアロン」を期待したいのだ。

反対に秋の公演の発表が遅れているという事を示している。こちらも5月中旬までに分かればよい。アメリカ公演向けのプログラム一つは演奏されるだろう。もう一つはフランクフルトで演奏するので必要はない。11月までにどのように進展しているだろうか。

兎に角、メーデーのイスラエル演奏旅行も飛んでしまったのだから、これらはコロナ騒動が収まった後に繰り返されることになる。また、オリムピック前の日本での公演も来年への延期が無くなったと発表された。これは既に月曜日のベルリナーフィルハーモニカーの計画で分かっていた。

一方ザルツブルク州は、今と同じように大変な時代に創立されたザルツブルク音楽祭を他と特別扱いすることなく何らかの形での開催に知事の言葉として言及した。オペラ上演などは難しいだろうがホーフで行う「イェーダーマン」などの開催が五月中旬の決定を受けて具体化する。

LPのジャケットを振ると昔のチラシが出て来た。何かと思うとムラヴィンスキー指揮のレニングラードのフィルハーモニカーの1977年の大阪公演のそれだった。価格は一万円上限なので安くはないが行こうと思えば行けた筈だ。しかしその前のチャイコフスキーの二曲で満足してしまったようで、ドイツプロと「くるみ割り人形」組曲に入っていない。当時からドイツ物など駄目だと思っていたのだろう。CD化されている公演のようだが、組曲だけは聴いておけばよかったと今思う。「オベロン」も古い録音で知っているが、又その後小澤指揮のユンゲドィツェも1986年にアルテオパーで聴いていて、彼の「ルスランとリュドミラ」ほどではなかったであろう。この年にあのショルティ指揮のシカゴ交響楽団を聴いていたのかと思う。丁度大管弦楽文化が歴史的な頂点に達していた時だったのだ。二日もあった公演のどちらも聴いていないというのがとても贅沢な選択だった。懐かしいというよりも、もはや歴史的な記憶である。

八百屋に行った。マスク無しの最後の機会だ。パーソナルも客も誰もしていなかった。まだ月曜日からの事であるが、誰もしたくはないのだと確認したに過ぎない。やはりスーパーに訪れる客とは客層が違うのだろう。



参照:
光闇、強弱のコントラスト 2019-05-22 | 文化一般
ペトレンコの唯一無二の祝祭 2019-11-23 | 文化一般

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吟味した暫定的なマスク

2020-04-24 | 生活
月曜日からのマスクが気になった。本格的なN95とFFP3は手配してある。スーパーにも使うかもしれないが、この先の事を考えるとお出かけ向きと日常向きの両方を準備しておきたい。そこに遊びは要らない。本気で被感染をも防ぎたい。しかし、パン屋に寄って、森に出かけて、肉屋に寄るにはそんなものは要らない。衣服も汚れていて、汗を掻いているときに一張羅を汚す訳にはいかぬ。色々と考えていたが、代用の絹のショールこそは無かったが、大きなチーフを見つけた。通常のバンダナの大きさでは顎の下に三角巾になってしまって咳も出来ない。しかし、50センチ四方であると三角にしても頂点を襟元に挟み込める。パン屋や肉屋の中での二三分間ほどで全く問題が無いだろう。絹であるからそう頻繁には洗わないが、そもそもマスク自体がそれ程衛生的に優れている訳ではない。形だけのものである。ショーツの上に長いパンツを履いているのと意味が変わらない。

そのパン屋に掘っ冠り無しに行くのもあと一回。先ずは違う売り子もマスクをしているのを確認したが、こちらが咳を抑えるのに苦労した。飛び出ようかと思ったぐらいだが、何とか苦労して買い終えたら、やはり久しぶりに不審な顔をされた。隣に婆さんが居たので注意も促された。婆さんの方が気が付いていないからだが、こちらも明らかに様子がおかしい。走ってみても花粉症なのだが、それでも結構辛かった。そのハッキリしない感がコロナで、とてもマスクぐらいで片付くものではない。

故フォン・ヴァイツゼッカー氏の文化に対する言葉が出ている:

文化は、余裕があれば出来たり、好きなように諦めたりする贅沢ではなく、私たちの内的な生き残りを保障する精神的な土台なのです。

ヴュルツブルクのモーツァルトフェストのホームページの第一面に載っている。勿論簡単にはフェスティヴァルを中止には出来ないというモットーである。引き続き注目したい。

先日再放送されたブルックナーの交響曲九番を何回か流した。ズビン・メーター指揮ヴィーナーフィルハーモニカーの演奏だ。色々とあってなかなか複雑なところもあるのだが、対位法的な反行なども綺麗に出ていて、この管弦楽団の演奏としてとてもいい。若い時から指揮しているようで熟知していることでは第八と変わらないようだが、初めてその解釈を聴いた。一楽章がとても難しいことになっていて、楽譜を前に聴き返してみないと判断は出来ない。とても聴きごたえがあってまさに内容がぎっしりと詰まっている。そしてとても重要なスケルツォの響きこそメータ氏の言うようにヴィーンのブルックナーの響きを実現させている。メータ氏の指揮で聴くと八番などよりも遥かに聴き甲斐のある作品であることがよく分かる。

まだ冬タイヤを履いている。電話を貰っていたが出れなかった。そこで外出禁止一部解禁と店舗の再開で電話した。すると電話は掛からずネットで予約できることが分かった。元々のシステムと変わらないのだろうが、こちらから直接見れるようになった。便利は便利だ。要するに今までそのような仕事をしていた人が不要になるという事に尽きる。これは今迄の雇用の一部が無くなり、パーソナルが異なるところに移ることを意味している。技術的には今まででも出来たことだが、この機を境にして明らかに社会が変わる。



参照:
難しい実効再生産数減少 2020-04-23 | 生活
コロナ聖土曜日の並び方 2020-04-11 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

難しい実効再生産数減少

2020-04-23 | 生活
北京で感染が広がっているらしい。愈々第二波が訪れる。中共も韓国も苦しむのはこれからだ。

沢沿いを走っていて、爺さんとすれ違いざまに「元気そうだ」と声を掛けられたが、コロナの場合はそうではないのだ。強く深く呼吸していれば可成り排出する。実際には感染力があるかどうかは分からないが、爺さんなどは気を付けた方が良い。余程ネット等で情報を集めていないとそこまでは考えないのは当然かと思う。

日本の専門家会議の会見を聞いていると、自宅で待機する人の死が続くと早速言い逃れをしていた。裁判沙汰になるかもしれない。そもそも四日間の高熱は肺炎の症状から出てきているのだろうが、二日で死んでしまう中でよくもそんな基準を作れたものだと思う。

そして今まで2mとしていた距離を半分にして、記者会見で長机に何人も座っていた。あの専門家なら絶対八割減などは出来ない。まさに彼らこそ本格的なマスクかも知れないがロベルトコッホ研究所が言うような誤った安心感に陥っている人たちだ。今までの個人的経験からして、あの距離感でやっていたら実行再生産数は限りなく2に近いと思う。彼らが指導している限り絶対日本は感染が減少しないだろう。

そして感染状況も充分な数が無いところで、死者数や重症者の数から帰納的に数字を出していくという。それどころか終息へと逆へと其の侭進めていくというから、流石天晴れの専門家である。実効再生産数と呼ばれるどれだけ更に感染させていくかの数で1であれば減少しないが、1を割れば減少する。

ドイツにおいて一度は0.7へと下がったが、再び0.9へと上がった。バーデンヴュルテムベルクでは0.6へと下がった。州によっても時差があるからだろう。この数字のあり方は間違いなくそのソーシァルディスタンスィングに依存する。

水曜日13時にマスク派のラインラントプファルツ州のトライヤー知事が記者会見した ― 彼女の真意は義務化では無かった。そして全連邦的に来週の月曜日までには近隣公共交通機関と買い物にはマスクを義務付けと出来て良かったと語った。勿論街を歩く時にもという事では無くて最大公約数的なものでの統一となった ― ベルリンは買い物には自由と緑の党が頑張ったようが、効果はどうだろうか。我々マスクなどしたことが無い者からすれば要らぬことをしてくれたと思う反面、「バスなどでどうしても距離が取れない時の手段」としていて飽く迄も距離だがと再三に亘って繰り返した。

しかしこの発言は注目に値する。そうである、時間の制限つまり近郊交通機関の程度三十分ぐらいならば、音楽会も開けるということになる。彼女の説明も今後の自由化のための手段であると力説していたので、解決方法として重視したい。そして流石に法律家であり、各州ともまだ具体化していないが罰金を法制化するとしていた。そして、学校でのマスク義務は学則で扱って法制化しないという事だった。この辺りの歯切れの良さは気持ちが良い。そしてどこでも買えるように留意するが、手作りの仕方も紹介してあり、応急的にショールでも何でもよいとした。

週末の会合で先の旅行の自由化などへの見通しが話されるであろう。その一方免疫額の専門家は学校の再開に警告を発している。どの辺りで妥協して行くかの政治的な判断もあり、出来るだけ後戻りし無いような方法が望まれる。先ずは暑い夏を涼しく過ごせるような進展が望まれる。噴水などの活用、また公衆のプールの再開なども検討されている。

スーパーに夜掛けした。マスクなしでの買い物だ。入り口を再び左右に別けたままになっていた。但しパーソ-ナルはマスクをしていなかった。手袋はゴムのもう少し違うものがあった。汗を掻くが使いやすい。そして三か月ぶりにトイレットペーパーを購入した。それも安い商品だ。先週は高価なものしかなかったが、やっと流通するようになった。



参照:
方舟の縁に右手で掴まる 2020-03-09 | 雑感
内心びくびくの今日この頃 2020-01-30 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厚顔無恥に十万円呉れてやれ

2020-04-22 | 文化一般
パン屋に飛び入った。外には誰いなかったからだ。マスクをしていた。私が感染させた売り子である。一体ここまで二月か。長かった。食べ物商売をしている者がマスクをしないでどうするのだ。コロナ禍の前でも慎重な高級デリカテッセンなどはしていた。そもそも売り子がぺちゃくちゃ喋りたいならばこれは避けられない。

ヴュルツブルクのモーツァルトフェストからメールが入っていた。ホームページにあるのとは順番などが異なって趣が少し違っている。基本は、変則的なやり方でフェスティヴァルを開くという事である。その時はデジタルで中継するだけでなく演奏者と聴衆とのライヴの場を基本とするということで、この音楽祭が音楽的な組織であることが知れた。それでもメールに書かれているのは先ずは全ての入場券を返済するということで、暫くの時間をおいて処理するという事である。

そして最も重要なのは透明公正に少人数の観客に絞るという事である。この音楽祭の最大編成は以前のBR交響楽団に代わってバムベルク交響楽団が入る中編成までの演奏会である。それと絞られた聴衆を入れてどのように上演して行くか。これが今後のこの種の演奏会に一つに試金石になって行くかもしれない。

一方更に規模は大きいが時期は少し遅れるラインガウワー音楽祭の動向が注目される。こちらはヘッセン州の大規模催し物への定義が4月30日にされるとして、今しばらく様子見となる。水面下ではさらに有力な所が動いているのかもしれない。あまりアイデアのなさそうな音楽祭では何もできないだろう。しかし、ヴァイオリニストのリサ・バティアシュヴィリの「鱒」を期待していたらなんと下らない公開書面に名を出していた。

それは文化大臣に宛てた引退を宣言した歌手のゲルネが主導したもので、要するに貧しいフリーランサーだけでなく年金もあてになら無いような世界的に著名な大スターにもこの間のギャラの穴を税金で埋めてくれという恥じ晒しな公開文章であった。

腹立たしいが落ち着いてその文章を読み返して、更に恥じたらしであったことがよく分かった。要するにフリーの歌手としての高価な謝礼を取りながら若しくは公演ごとのギャラをどっさり取りながら、公的な支援を受けている劇場を通して昨年との差異を埋め合わせろという厚かましいことを堂々と公開書状にしている。なるほど引退宣言をして年中店仕舞い商法に打って出た歌手ゲルネにしてみれば、それを埋め合わせるにあと五年程店仕舞いを掲げると流石に売れないと思ったのだろう。だから老齢年金代わりももう埋め合わせられないと正直に書いている。そして屋根裏部屋の天井の低いところでピアノを弾きながら歌っている沁みったらしい姿を見せている。

本当に恥ずかしい連中だ。なるほど基礎疾患のある指揮者ティーレマンなどは予想しない引退となるかもしれないので経済的に痛いだろう。しかしそれぐらいの音楽家だったのである。しかし器楽奏者として世界最高のギャラを取るアンネゾフィームターの厚顔ぶりには呆れる。一体今迄十代から何を稼いできたかと言いたい。同様にゲオールゲン出身のバティアシュヴィリが容易に税金を取ろうとするのは余程売込みなどで天引きされているということなのか?歌手のパーペでもまだこれから歌える年齢で一体何をしようというのだ。

同じ文化大臣に電話して多大な寄付を申し入れたキリル・ペトレンコとのプラスマイナスのこの差異は一体どこから来るのか?つまりこの文章に触れられているようなギャラにぶら下がっているマネージメントなどの商業主義のパーソナルの経費の大きさが違うのだ。勿論ペトレンコにもレヴィン事務所があってツアーなどの時にはマネージャーがガードマンの様についているのだが、全く異なるのは宣伝費である。まさに文章にあるPRエージェント無しには商業的に市場が開けなかったことを告白している。その点、ペトレンコの場合は我々ヴォランティア―や公共の資金でやれるだけのことはやっている。それどころかメディア産業の後押しを頑なに断り続けた。その理由は明白で今問い直されている事でもある。

指揮者ヘンゲルブロックも書簡に名前を連ねているが、我々のバッハの会で育てて貰って、いい格好して大管弦楽など振ってバイロイトにまで登場してスター気取りに何を抜かす!どれもこれも本当に腹立たしい厚顔無恥である。先ずは支払う予定の税金を計算してその分ぐらいは寄付してから発言しろと言いたい。そもそもスター気取りで安い固定給では仕事をしないと宣言したのであるから、それを貫くのが芸能人なのだ。一言、結局そこまでの才能が無かったのなら暫しいい夢を見ただけと思って良しとしなさい、金の亡者たちよ!



参照:
イザ、バティアシュヴィリ 2020-01-27 | 女
マーラー作プフェルツァー流 2017-10-15 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無価値なストリーミング

2020-04-21 | 
新聞にライヴストリーミング関してのインタヴューが載っていた。インタヴューをされているのはドルトムントの高等専門学校の教授でタクトワンというネット配信の創立メムバーのノルツェという人だ。その話しによるとコロナ騒動でメディチTVなどの大手だけでなくてとても需要が高まっていて、今後も重要になるだろうという。その一方で、陳腐な配信の質の低いものは何の解決にもならないとしている。レヴィットのそれを指しているようだが、直ぐに関心が薄れるだろうと予測している。

そしてドルトムントのコンサートホールの内容を其の侭配信していたことで意味があったが、コロナ騒動でそれが無くなると今度は提供する中味が無くなると話している。しかしシモーネ・ケルメスのように宣伝広告として無料で歌ってくれる人もいるらしい。

音楽とメディアが専門のようだが、この話しでは最も重要な知見に欠けている。一つはライヴ公演の中継であるからこそ価値があるということで、それはこの教授が言うように態々出かけなくても家で観れるという程度の認識での価値である。実際には無観客のライヴ演奏中継は全くライヴ演奏ではない。通常の場合はインターアクティヴな舞台と客席との掛け合いを窓から覗かしてもらっていることに過ぎない。要するにデジタルストリーミングでも技術的には可能であってもその場に参加することが出来ないという最大の欠点には言及しない。家で時間が余っているから、オンデマンドよりもライブストリーミングとか以上にこの視点が芸術的には最も重要な点である。

だからこの教授が主張するように技術的云々に関しても、ライヴストリーミングには既に大きな損失があって、素人の下手なストリーミングと芸術的な価値としてはそれほど変わらない欠落があるのだ。その一方ミュンヘンでの月曜日コンサートにも言及していて、ごった煮であったと評している。しかし、そこで企画してもこの程度の認識では新たな可能性は発信できないに違いない。また成功したペトレンコの寄付金にも言及していて、そうした資金を欲しそうにしているが、会員数以上には集まらないのが最大の問題点なのだ。そもそもオペラなら兎も角コンサートの映像中継などには大きな意味合いはない。

ベルリンでの来シーズンのプログラム発表が録画ヴィデオで紹介された。キリル・ペトレンコとツェッチマン支配人の二つのヴィデオである。後者ではどうなるか分からないがプログラムの実現を期待したいとして、その中でも最初のオープニングツアーと11月の二週間の東海岸旅行がとしている。二月の九月に続く新たなベルリンでのビエンナーレの音楽祭について、そのテーマ「黄金の1920年代」について語っていた。丁度スペイン風邪の終息から始まる十年間であった。全体のテーマは世紀末。

ペトレンコは私が欲していた事を語ってくれた。バーデンバーデンでの復活祭のビエンナーレは正しくは二年続けてのチャイコフスキーであって、2022年には、ロシアオペラにおける現在最高の歌手で上演される2021年の「マゼッパ」新制作に続いて、「スペードの女王」が上演されると語った。私が2021年に期待していたアスミク・グリゴーリアンがいよいよリザとしてバーデンバーデンデビューだろうか。調べてみると2021年五月六月にパリでバーデンバーデンの「マゼッパ」の演出に続いて「スペードの女王」をチェルニアコフが新制作する。指揮はバレンボイムとサブにペトレンコの一番弟子のオクサーナ・リニヴが入っていて、グリゴーリアンが登場する。先ず間違いないだろう。

リニヴがバレンボイムに代わって指揮することは増えそうであるが、十一月には2021年にバーデンバーデンで新制作されるモーツァルトの「ツァイーデ」を指揮する。まだ分からないがその準備に続いてバーデンバーデンでも彼女が指揮するとなるととても話題になるだろう。ベルリンの次期音楽監督に一番近いところにいるのが彼女である。

この先どうなるかまだ分からない。予定通り実現したとしてフランクフルトでブラームスプロを演奏してそこから飛ぶ合衆国からベルリナーフィルハーモニカーがニューヨークから戻ってくるのは11月21日(土)としてその足でバーデンバーデンに立ち寄って、22日(日)に「英雄の生涯」のコンサートか?ニナ・シュテムメが歌うかどうか?次の定期が28日(土)からなので、23日(月)にマーラーの六番も可能だろうか。一層の事アメリカ旅行が吹っ飛んで呉れるといい。



参照:
二年越しの重点課題 2020-04-06 | 文化一般
芸術的に配慮したarte新動画 2017-08-03 | マスメディア批評

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐ろしいコロナの浸食

2020-04-20 | 料理
軽い下痢である。喉の痛みから、全身症状へと広がった。これで殆どのコロナ症状を経験した。改めてコロナの恐怖を感じるようになった。やはり軽症と思って無暗矢鱈にコロナに触れてはいけないと思うようになった。やはり健康でも医療関係者はもとより、神父やバスの運転手まで亡くなると思うと、とてもではないが密度の濃いコロナとの接触は避けなければいけなことがよく分かった。同じような事を一度書いたつもりだったが、ここまでふらふらになると何時かは免疫力が及ばなくなる時が来ると思うようになった。コロナウイルスは抗体も出来ずに中々完治せず、日和見感染もすると書いてはいても、もう二月以上も付き纏われているといい加減嫌になる。

要するにどれほど健康な人でもコロナの攻撃を受け続けると危ないのだろうと確信した。防御をしようと思うようになった。先ずは昨今の傾向からすると、念のためにN95若しくはFFP2のマスクを持っている人に都合して貰って、手元に置いておくことにした。自らの唾では無くて、いざとなれば防御する用意をすることにした。医療危機は乗り越えたが、まだ感染は増えていく、現在は自分自身が家で咳き込んでいるだけであるが、いずれ身近にそういう人を見るであろう。どうしても逃れられ無いこともあるかもしれない。

読売交響楽団の「グレの歌」を観た。話題になっていて絶賛されていたのでそれなりに想像していたが、大分実際の演奏は異なった。確かに歌手はマーンケ一人がまともに歌っていたが、そもそも歌劇場指揮者の割にはカンブレランの指揮が悪いと思った。楽曲も慣れていないのかもしれないが、この指揮者で独墺作品を初めて聴いたが、やはりよくなかった。既にザルツブルクでも、また昨年もフランクフルトでも数多く実演を聴いているのだが、舞台の上で指揮するのを初めて観た。劇場指揮者の割には歌手を上手に歌わすのが下手で、歌手の選択と主にこの指揮者は劇場としての出来よりも自分の音楽しか考えていないのではないかと思う。モルティーエ博士は、演出舞台を最初から付き合って舞台を作り上げていく指揮者としていたが、最終的に歌手も楽団からもその音楽性を上手に引き出さない。ラトルなどとは異なって経験もあって、「勝手にしろ」ではないのだが、「勝手にする」のがこの指揮者の指導力なのだろうか。だからいつも予算にケチつけて音楽監督職を投げ出す。要するに積み上げが出来ない監督なのだ。

管弦楽団は、やはり弦楽部がN響の様に鳴らない。中々乾いた音色で魅力はあるのだが如何せんあれだけの大編成の曲でも、それ故に?鳴り切らない。声部間の出入りは指揮と相まってお得意のようだが、全合奏力としてその域に達していない。その点は、流石に「三流交響楽団」と呼ばれるヴィーナーフィルハーモニカーをアバドが指揮しても鳴り切らないことはなかった。但しあまりにも滲みが多過ぎた。まあ、ペトレンコが指揮しても余程の錬成会でも開かないと駄目である。

先日のキュウリも痛みが酷かった。最初は税関で止められて時間が掛かったのかと思っていたが、よく考えると手で触れたような場所から痛み出していた。最初は傷があった記憶はない。そしてこのルッコラも痛み方が異常だ。

そのようなことを考えていたらコロナウイルスが食料品に乗って感染する場合のサラダなどの問題にぶち当たった。感染している者が最早と考えていたので気にしていなかったが、二日ほど生野菜で活きているとなると気になる。



参照:
演奏会の今後の解決課題 2020-04-18 | 音
まさにコロナ陽性症状 2020-03-18 | 生活

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻の「フィデリオ」中継録音

2020-04-19 | 生活
週末の咳き込みは不安にもなった。まさか悪化はしないとは思ったが、こじれると救急車搬送だと考えた。二月以上もコロナとはお付き合いさせて頂いているが、未だに知らない面をみせるかと思うと、また味覚異常があった。異常と言っても完全に壊れるというよりも痺れたりするもので、このコロナ感染による症状に共通する軽微なものだ。本当にこ奴が高度な知性で世界制覇を考えているとすれば実に正しい攻め方をしている。地球外生物だとしたら地球制覇に塞がるものはもうないだろう。相手の正体が今一つ分からない間に侵略が進んでいる。昔のサイエンスフィクション映画のようにインヴェーダーが表切って攻めて来ても実はそれほどの価値が無いのだ。潜り込むことで思いの儘に人間を動かすのは容易で、他の生物も上手に支配できるであろう。そして人間の労働力を思うままに使える。

兎に角花粉症か何かも紛らわしく、目が乾くのも花粉症なのだが、実はコロナも同じように湿疹などに現れるので良く分からない。耐性が落ちていると本当にどんな症状でも出て来そうである。

週明けから少しづつ社会が変わって行く。それに合わせて、こちらもちょこちょこと準備をしていかなければいけない。旅行が自由になるのにはまだ時間が掛かるかもしれないが、車中のラディオは接触を避けるような宿泊所などは可能だろうと話していた。昨年スイスで泊まったところも本当はセルフチェックインが出来るところだったが、面倒だったのでゲストハウスにしている会社の事務所で世話になった。あそこなら誰とも接触せずにチェックインとアウトが可能だった。

六月のワイン祭りは当然中止であり、第一週の方はヴュルツブルクのモーツァルトフェストだからすべて旅行は取り止めになるだろう。第二週の方で開催可能なのはエベーヌとベルチャ四重奏団の合同べートンヴェンマラソン演奏会ぐらいである。どれぐらい売れているかは分からないが、今でもお任せで発注すると最前列とかが宛がわれるので、まだまだ席が残っているのだろう。万が一これだけが開催されるとなると態々出かけるのも大変になるが、まあ、もう少し様子を見てみよう。

新聞の放送欄を見るとペトレンコ指揮の「フィデリオ」全曲が117分と出ていた。一体何かと思って調べると本来放送予定の枠だった。つまり13日月曜日の中継録音を放送する予定だった様だ。生放送はARTEとDCHが流している筈だった。一瞬、まさか録音だけしていかたとも考えたが、まだそこまでの準備も出来ておらず、ニューヨークのポレンザーニの名があるので、それはないと思った。次にミュンヘンでも録音していた筈がないのにとも思った。

今こうしてその予定だったものを見ると、本当に中止になったのだど改めて現実を思い、三月半ばからここまでは緊張の間真っ只中にいたのを改めて感じた。この間多くの家庭内暴力が発生して、社会心理的にも問題が出てくるという指摘があったが、やはり非常事態はそれほど長続きはしない。

まだまだ先が見えないが、先ずは音楽関係の催し物は月曜日に多くの情報が発せられると認識している。それを待ってコメントするしかないと思っている。



参照:
演奏会の今後の解決課題 2020-04-18 | 音
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演奏会の今後の解決課題

2020-04-18 | 
オーストリアが6月1日からオペラの稽古を始めるらしい。それまでは出来ないということだろう。そして男と女が近づくような演出は禁止である。それはまだ演出で可能だと思われるが、一座席の為に20平米が確保されないといけないとなっている。ざっと五人五人並べるとそれだけで25m四方に25人。百人入れようと思うと百メートル四方の広さが必要になる。僅か百人である。

この数字はオーストリアの商店での入場制限の基準になっている。だから催し物の体積などとは合わない。最低の距離二メートルほどを取ることは大切だが、この基準をホールや乗り物などには当て嵌められない。そこで来週からの小売店開店でのラインラントプファルツの基準は一人の客辺りに10平米となっている。これならば話しになる。

1500人のシューボックス型コンサート大ホールをざっと50mx20mと考えればよい。その内舞台は17m奥行き。平土間ならば44mつまり880平米、つまり88人、ざっと150人ぐらいは収容可能となる。舞台の上は340平米、この間隔で行けば34人。充分に室内管弦楽演奏会は可能になる。実際には最初の感覚を保ちながらの収容とすれば375人の聴衆、恐らく管弦楽団は60人ほどは全く問題が無いだろう。

更に近郊交通機関の原則をマスク着用としても、その乗車時間を反映させて、三十分程毎の休憩は必要になる。場合によっては三部構成になるだろうか。少なくとも室内楽演奏会は全く問題が無い。収益性は、現行の入場料の倍額位ならばお互いの痛み分けで何とかなるだろうか。

オペラに関しては複雑なので改めるとして、少なくともコンサートに関しては現実的な開催方法は幾らでもある。この制限が芸術的な課題が開く可能性があるので極力開催に尽力すべきである。ここでなにも試みないということはあり得ない。

金曜日はとてもすごい咳になって、久しぶりに咳き込んだ。目にも来ていたので花粉だと思うが、今は紛らわしい。そして神経系にも関わるので私のようなコロナの達人でも原因が分からなくなる。胸の痛みは神経痛で、これもコロナのそれとは少し異なる。クシャミまで出て今まで抑えられたものが一気に出た。それどころか前日には下痢気味になった。

土曜日の朝は少し早めに出たお蔭で、パン屋も店内に一人、肉屋も店内に一人だけで並ばずに早く済ませられた。僅か十分ほどで大きな違いだ。十分遅く出ていたら帰ってくるのは三十分ほど遅くなっていたと思う。峠道を走り乍、コンサートホールのことなどを考えていたのだ。



参照:
投げ入れるワイン瓶 2020-04-17 | 生活
ドルトムントに電話する 2019-05-17 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

投げ入れるワイン瓶

2020-04-17 | 生活
二日続けて走った。復活祭と歯医者が挟まったので少しでも取り返す。何となく街の雰囲気が変わった気がする。月曜日からの開放への第一歩の報を受けてほっとした感じである。あまりにも緊迫感が続いていたからだ。それでもルールが守られていれば問題が無い。

今年から空き瓶の回収が無くなったので走りに行く山道に入る前のコンテナを初めて使った。以前のコンテナよりも色分けが三種類になっていて若干素早くやる必要がある。気が付いたのはワインなどが下に溜まって腐った匂いでそれほど良くない。こうした時にはあまり衛生的ではないと思うので、次からは手袋をしてやろう。偶々バスの回転場所なので上手くバスが来ない時刻に手早くやらないとまた面倒だ。

その前のパン屋は誰も居なくて気持ちよかったが、奥でまた私と同じ咳をしていた。パン屋のおかみさんだ。彼女は私の二度目と時期を同じくしていて、そして今度も同じ咳。どちらからうつしているのか分からないが、職人のお姉さんは咳をしていない。最初の熱の時にはこちらを調子がおかしいと覗き込んでいた売り子が一人休んでいた。しかし彼女は実は近所の肉屋横でも見かけたので近所に住んでいる。どこでうつったかは分からない。

ラインラントプファルツ州の老人ホーム等への規制が厳しくなる。ホームの中に隔離室を作って、病院からの出入りに備えるというものだ。要するに老人ホームよりも病院の方が汚染されているということになる。恐らくそれは正しく、ドイツにおける院内感染ももう抑えられなくなっているということだろう。

ザルツブルク音楽祭は、五月末に発表されるように何かをやるらしいが、記念行事的なものでオペラを主とした大規模なものは無理とされる。国境が開いて旅行の自由となればドイツからのお客さんを迎えるのだが、その規模からすれば先ずは国内の聴衆だけとなるようだ。海外からの聴衆はワクチンが出来てからとしているのでそれならば来年もどうなるか分からないだろう。

シューベルティアーデなどは七月中旬から始めてそれ以前のプログラムは九月に回すとしている。つまりブレゲンツ音楽祭が開催の方向で動いている事に準じている。勿論ドイツとスイスからの聴衆が重要だが、その開催方針とザルツブルクの話が合わない。国外からの聴衆を除くと充分な客席間の間隔は取れるだろうが、経済的に合わない筈だ。

バイエルンに目を向けるとヴュルツブルクのモーツァルトフェストも来週月曜日に結論を出すとしている。こちらは会場からすると距離を取るのは難しいのではないかと思われる。音響は変わってもレジデンスのもっと大きなスペースはないのだろうか?

兎に角、ベルリンもこの週末が全てで、そこまでの当局との交渉でほぼ決まるだろう。そこで目算が立たなければ、来シーズンも定まらないまま進んでしまうことになる。今一番注目されているのは来週二十日からの一週間ほどの感染の具合である。

復活祭にゴッテスフース2014年を開けた。まだ瓶熟成は充分ではないと思ったが、エティケットをナメクジにやられていて悔しく、2014年というとても無難な年度なので開けた。やはりその当時のフォムフォルクセム醸造所の造りは糖が残り過ぎている昔風のザールリースリングだった。だからもう一つミネラルの出方がハッキリしない。それでもバランスはとても良く、酸も欠けない。二日以降になってようやくこれまたバランスの取れた幅の広いミネラルを愉しめた。2015年はオイリーでナッツ風味のコクがあると思うので甘みは感じないだろう。まだ本格的なグローセスゲヴェックスではないのだが素性はとても良い。

ワイン業界は、飲食業での需要が無いために売り上げが落ちているようだが、その分自宅飲みが増えていて郵送が伸びているらしい。この面倒な時にの配達は控えていたが、来週あたりからお試しパックなどを発注しようかと思っている。

その為の軍資金にキャンセルになった券の払い戻しを申請をさっさと進めた。先ずは四枚で230ユーロ戻ってくる筈だ。またミュンヘンのシーズンとオパーフェストのキャンセルが決まったので三百数ユーロも戻る筈だ。お試しパックを四件で取り寄せてもそれで何とかなる。週末にでも纏めよう。



参照:
行ったり来たりの話し 2020-04-12 | マスメディア批評
復活祭のヤマへと差掛る 2020-04-03 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする