発注したSACDボックス*が届いた。思っていた以上に分厚くどっしりしていた。中味の価値が軽い分装丁などが立派だ。外箱に帯が付いているのは日本の影響ではないか。そこにダウンロードなどが可能なことが表示してあって、一週間ヴァウチャーの表示もある。裏面には、この交響作品が指揮者の心に触れる将来の方向を示す作品とそして二十世紀匠のキーワークと紹介してある。シュミットとステファンの曲が同じ最後のディスクに入っている。
ちらちらとブックレットを見ると想定していたような内容ではなくて、しっかりした解説になっていた。書いているのも聞いたような名前で、恐らく公演のプログラムを書いている人なのだろう。また気が付くのは録音日が指定されていることで、修正しても当晩のライヴという事を強調してある。
早速最初の七番の交響曲を回すと、これまた想定以上に引き締まった音が出て来た。ネットではDAコンヴァーターを通しているが、また使用SACDプレーヤーは殆ど同じコンヴァーターなのだが、こちらの方が遥かに低音が引き締まっている。会場の相違はあるが、フィルハーモニカーの下手奥に並んだコントラバスの引き締まりはルツェルンでも瞠目されたもので、より生のフィルハーモニーでの響きに近いと思う。定位感などは会場の関係もあってあまり良くない。これはダウンロードするハイレゾとの比較になる。
その分、ライヴらしい小さな雑音成分は多く、また会場のマイクロフォンからして制作録音とは比較にならないが、少なくとも躍動感とか表出力としては改めてカルロス・クライバー指揮の制作録音と比較されることになるだろうと思う。ライヴでここまでやれてしまうという事が何よりもの驚きでしかない。
そうしたライヴでもありながら落ち着いた感じは、装丁に良く反映されていて、ローズマリー・トロケルのものは、前回の「悲愴」の駄菓子の付録にあった黄色い立体カードのような装丁よりは遥かに芸術的である。中にある写真なども、日本での写真集とは異なって、必要十分で、なんら欠けた感じはしない。箱のざらついた手触り感などにも拘っていて、コロナ休止期間中の成果ではなかろうか。
兎に角、ハイレゾをダウンロードするとSACD程度では物足りなさを感じるかもしれないが、この音響の「手触り感」は抜群で、中々PCオーディオでは再生し難かった実体感である。久しく感じていなかったSACD*のPC以上を卓越した感じで、改めて「悲愴」と比較して、どこが異なるのかを、今回のボックスの中での「悲愴」と比較してみたい。同じグラスマスターを使っていて相違が生じることはない筈だからである。
拍手も上手く切ってあって、フィルハーモニーが鳴りやむように、恐らくGPのそれが編集してあって、これも美しい。ディスク面も装丁に合わせて黄色ではなくグレーなので落ち着いた印象を与える。これだけでも重なっても今回の「悲愴」を購入する意味がありそうだ。
実際ディスクを見るとプレス工場も変わっていて、新たにマスターを作っている。それどころか新マスターリングをしている感じだ。前回のものには不満もあったのだろう。今回の方が音楽的なマスターリングになっていて、ダイナミックスレンジも広がっている。だから余計にライヴの日時の明記が気になるところだ。
ここまでの印象では、今回のボックスの芸術的価値は可成り高い。こうしたライヴ演奏ものとしては少なくともデジタルディスクではこれだけのものは中々ないと思う。更にみていこう。
訂正:SACDと思っていたのはあまりに良過ぎるハイレゾマスターCDだった。
参照:
ナイトガウンも必要に 2020-09-28 | 生活
本物の一期一会の記録 2019-05-13 | マスメディア批評
ちらちらとブックレットを見ると想定していたような内容ではなくて、しっかりした解説になっていた。書いているのも聞いたような名前で、恐らく公演のプログラムを書いている人なのだろう。また気が付くのは録音日が指定されていることで、修正しても当晩のライヴという事を強調してある。
早速最初の七番の交響曲を回すと、これまた想定以上に引き締まった音が出て来た。ネットではDAコンヴァーターを通しているが、また使用SACDプレーヤーは殆ど同じコンヴァーターなのだが、こちらの方が遥かに低音が引き締まっている。会場の相違はあるが、フィルハーモニカーの下手奥に並んだコントラバスの引き締まりはルツェルンでも瞠目されたもので、より生のフィルハーモニーでの響きに近いと思う。定位感などは会場の関係もあってあまり良くない。これはダウンロードするハイレゾとの比較になる。
その分、ライヴらしい小さな雑音成分は多く、また会場のマイクロフォンからして制作録音とは比較にならないが、少なくとも躍動感とか表出力としては改めてカルロス・クライバー指揮の制作録音と比較されることになるだろうと思う。ライヴでここまでやれてしまうという事が何よりもの驚きでしかない。
そうしたライヴでもありながら落ち着いた感じは、装丁に良く反映されていて、ローズマリー・トロケルのものは、前回の「悲愴」の駄菓子の付録にあった黄色い立体カードのような装丁よりは遥かに芸術的である。中にある写真なども、日本での写真集とは異なって、必要十分で、なんら欠けた感じはしない。箱のざらついた手触り感などにも拘っていて、コロナ休止期間中の成果ではなかろうか。
兎に角、ハイレゾをダウンロードするとSACD程度では物足りなさを感じるかもしれないが、この音響の「手触り感」は抜群で、中々PCオーディオでは再生し難かった実体感である。久しく感じていなかったSACD*のPC以上を卓越した感じで、改めて「悲愴」と比較して、どこが異なるのかを、今回のボックスの中での「悲愴」と比較してみたい。同じグラスマスターを使っていて相違が生じることはない筈だからである。
拍手も上手く切ってあって、フィルハーモニーが鳴りやむように、恐らくGPのそれが編集してあって、これも美しい。ディスク面も装丁に合わせて黄色ではなくグレーなので落ち着いた印象を与える。これだけでも重なっても今回の「悲愴」を購入する意味がありそうだ。
実際ディスクを見るとプレス工場も変わっていて、新たにマスターを作っている。それどころか新マスターリングをしている感じだ。前回のものには不満もあったのだろう。今回の方が音楽的なマスターリングになっていて、ダイナミックスレンジも広がっている。だから余計にライヴの日時の明記が気になるところだ。
ここまでの印象では、今回のボックスの芸術的価値は可成り高い。こうしたライヴ演奏ものとしては少なくともデジタルディスクではこれだけのものは中々ないと思う。更にみていこう。
訂正:SACDと思っていたのはあまりに良過ぎるハイレゾマスターCDだった。
参照:
ナイトガウンも必要に 2020-09-28 | 生活
本物の一期一会の記録 2019-05-13 | マスメディア批評