Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2022年01月

2022-01-31 | Weblog-Index


 

一昨年より昨年より今年 2022-01-31 | 生活
賢い女狐はどうなるのか 2022-01-30 | 女
LANケーブルで中継 2022-01-29 | マスメディア批評
ジュディッタ公演内容詳細 2022-01-28 | 音
清濁併せ飲むのか支配人 2022-01-27 | マスメディア批評
ミュンヘンに通った甲斐 2022-01-26 | 文化一般
音楽劇場枢軸化の一石 2022-01-25 | マスメディア批評
そろそろ夏の宿泊を予約 2022-01-24 | 暦
もう一晩ぐっすりと 2022-01-23 | 料理
腰の痛みも漸くとれた 2022-01-22 | 生活
蛇行走行しながら追う者 2022-01-21 | 女
大理石模様のケーキ 2022-01-20 | 料理
熟れ過ぎないマイルド感 2022-01-19 | 料理
この間の経過を追想 2022-01-18 | 生活
オペラはフィルハーモニー? 2022-01-17 | 文化一般
鈍器でドンの音の密度 2022-01-16 | 音
オミクロンの格安感 2022-01-15 | 料理
輝かしい満天の星 2022-01-14 | マスメディア批評
ブースター打ち過ぎ注意 2022-01-13 | アウトドーア・環境
復活祭に向けての準備 2022-01-12 | 文化一般
温かくなるガス抜き 2022-01-11 | 生活
藤四郎の支配人なんて 2022-01-10 | 文化一般
ブルーレイROM三枚目 2022-01-09 | 文化一般
透徹した眼力なくとも 2022-01-08 | 女
楽団維持の資金に乾杯 2022-01-07 | ワイン
とても贅沢なお話し 2022-01-06 | 料理
復活祭上演への工程表 2022-01-05 | 文化一般
トレールラン靴下しアタック 2022-01-04 | アウトドーア・環境
初買の気持ちは如何に 2022-01-03 | 生活
希求の無い所、何も無し 2022-01-02 | アウトドーア・環境
新春に「死の街」からを想う 2022-01-01 | 暦

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一昨年より昨年より今年

2022-01-31 | 生活
復活祭が見えてきた。二月中には規制緩和が発効するのでそれまでに三月以降の状況が見えてくる。ドイツ政府は一日四十万人のオミクロン新感染者数迄見込んでいて、医療の切迫は避けられる見通しとなってきた。予想された高齢者などの感染が増えなかったことから、都合守られていることになって、今後も危険因子を持った人を重点的に接種そしてブースター接種を施すことで解放に拍車がかかる。背景には気候もあり、ばらの月曜日が二月の月末なのでそれ以降はインフルエンザや風邪などを引く人もいなくなる。

現在緩和を受けて劇場などは定員半数まで入れれることになったが、検査からの解放などの一方、座席数制限を解放できるかどうかがポイントとなる。マスクからの解放は検査や定員に続いて最後まで残される条件かもしれない。

気にしていなかったザルツブルクでの復活祭の準備も進んでいるようでドレスデンの楽団が出る最後の公演となる。発表されていないが先ず来年はパパーノ指揮の楽団が中心になるのだろう。2024年ぐらいにはリニヴ指揮のボローニャの劇場の公演だろうか。途中はメータ指揮のフィレンツェの劇場か。

そうなるとこちらはバーデンバーデンに釘付けなので飛行機で飛ばないといけない。しかし重要なのはミュンヘンの常連さんの一部にはバーデンバーデンにとは思っているのだが、どうしてもザルツブルクに更に流れる。以前以上にライヴァル関係になるのは間違いない。

復活祭の主役であるアスミク・グリゴーリアンが親父さんが「スペードの女王」に出ているメトでの録音を紹介した人のものをリツイートしていた。ゲルギーエフ指揮でフィリップスで録音があるもののより充実した公演で、なんとヴェテランのリザネックが伯爵夫人として登場している1995年の暮れの公演である。リザネックを最後に聴いたのはそれよりも十年ほど前で、既にその時の「影の無い女」の皇后は文化会館でも厳しかった。まさかそんなところに出ているとは驚きだった。今回はバーデンバーデンではドリス・ゾッフェルが歌う。昨年も「鼻」で重要な老け役で出ていた。

我々の関心は規制が現在の半数からどこで解かれるかで、同時に来年以降の計画が公表されてくるので、それも含めて準備をしていかなければいけないという事である。先ずは三月に検査が無くなるのかどうかも関心事である。

昨年の電気代が明らかになった。結果からすると前年1934kWhよりも更に下がって使用量1881kWhと少しだけ下げた。ホームオフィースの割には上出来だと思う。興味深いのは値上がりした第4四半期がその前よりも使用量が下がっている。10月からだから暗くなって、温かいものを食する様になっている筈だが、どうも篭り部屋の方が階下でHiFiを使っているよりも効率がよいのか、否古い冷蔵庫の冷却の為の消費である可能性が強い。昨年から洗濯機が新しくなったので、また電球はボチボチLEDに変換していっているので、古いキッチンだけがガンになっている筈だ。それだけPCとかNASとかは消費が抑えられた。よって月々の徴収も値上がりした割には昨年並みの60ユーロ以内に抑えられて、14ユーロと僅かでも還付金がある。目標を達した。その後少しづつでもLED電球も増えているので、これにも期待したい。またPCが新しくなってから早めに消灯するときは、手動でNASもオフにするようにしている。                                                                                                                                        



参照:
自慢のエネルギー源 2021-01-31 | 暦
40度から60度のエコ 2021-01-09 | 生活
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賢い女狐はどうなるのか

2022-01-30 | 
週末に注文を纏めなければいけない。六、七月に開かれるミュンヘンのオペルンフェストシュピーレの予約である。基本的な構えは決まっているのだが、それでもそそられるものがあると迷う。

作品としては、新制作ペンデレツキ「ルドーンの悪魔」、再演「バラの騎士」、「賢い女狐」、「ピーターグライムス」などか並ぶ。地元にいれば初日に通っていたのかもそしれないが、敢えて出かけるとなると限られる。最後の考慮において急に話題に上ってきたのが日曜日に初日を迎える「賢い女狐」。

その理由は指揮のミルガ・グラズニーテティーラの妊娠報道と6月中旬のバーミンガムでのプログラムをキャンセルしたからである。彼女の指揮ではなかなか難しいと思っていたからそれ程関心はなかったのだが、7月も休むとなると代わりに誰かが入る ― 事実彼女が練習の為にバーミンガムで振った公演は彼女が最も関心を持つ「無常観」が描かれなかったとの悪評がガーディアン紙にあった。それが現在ミュンヘンでアシスタントもしている同じリトアニア出身のギエドル・シュレキーテが振る可能性があるからだ。日本でも昨年のフランクフルト新制作公演のあとにデビューしたようだが、今最も注目されている若手指揮者の一人の様だったので、フランクフルトに出かけようかと迷っていた。その時はコロナ規制で断念した。
大注目の新星指揮者、ギエドレ・シュレキーテが初来日!東京二期会オペラ劇場『魔笛』を振る!


しかし今週のミュンヘンのフィルハーモニカーデビュー公演やらその前のインタヴュー記事などを読んでYouTubeで観ると、やはり三つ上の先輩よりも遙かに大きな可能性がありそうだと感じた。将来性は体験してみないと確信は持てないが、少なくともヤナーチェックではベルリンでも大成功していて、彼女以上の適任者はいなと感じた。要するに彼女が振るなら是非出かけたいと思った。

日曜日の初日も総稽古に続いて本来のティーラが振ることは分かっているのだが、中継は二回目の上演の三日にしかない。それも急遽決まった生中継のストリーミングがあるようで7月にパブリックヴューイングで流されるものがあるのに不自然なことになっている。要するに7月には彼女が振らない可能性が強まった。締め切りの月曜日までに更なる情報が出るかどうか。

本来のキャストでは出かける予定はなくて代役を心待ちにした経験は、カラヤン指揮でのサントリーホールのこけら落とし公演での小澤征爾指揮、2019年復活祭でのMeToo指揮者に代わったメータ指揮などがあるが、今回もそれに近い。但し、シュレキーテがアシスタントとして活躍した昨年の「鼻」での下拵えはもう一つ甘かったと思う。指揮は先輩のペトレンコのアシスタントだったオクサーナ・リニヴよりは上手いかもしれないが、またそれとは違うことだろう。

日曜日の初日に続いて「グライムス」の準備も進行する。こちらも指揮を英国のガードナーが受け持つ。その他エンゲルなど多彩な話題性の高い指揮者が続々登場するのもペトレンコという巨星が音楽監督を務めていた時とは変わって、地元の常連さんには興味が尽きないと思う。



参照:
Präzise Eleganz, Klaus Kalchschmid, SZ vom 19.1.2022
州立歌劇場でアニメ鑑賞 2019-01-29 | 文化一般 
細い筆先のエアーポケット 2017-11-03 | 音
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LANケーブルで中継

2022-01-29 | マスメディア批評
ベルリンからの中継がある。無料で地元のラディオ放送局と日本のIIJからの音声、有料のデジタルコンサートホールのストリーミングで全て同時中継の様だ。特に真ん中のものはハイレゾ配信なので会場にいるよりも生々しい。中々環境が整わないと上手く流れないがそれだけの価値はある。

そんなこともあり、陽射しもあったの暖房のしていない階下のデスクを片付けた。カテゴリー6のLANケーブルも付け直しておいた。現在7をNAS接続に使用しているが、既に8が通常価格で出ているので、新導入しようかと思う。確かに6から7に替えて内臓SDRのように全くストレスが無くなった。通常のストリーミングなどでは何もケーブルで有線接続する必要がないのだが、大容量となると心強い。

オーディオファンが高価なケーブルを頻繁にアップグレードして手軽な楽しみにしているようだが、このNASのストレージとルーターとの接続は少しでも大容量のケーブルを使いたいという気にさせる。精神衛生上にもよろしい。嘗ては5とか4とかを使っていたことを考えると10年ほどのハード技術的進展は本当に大きい。オーディオの音質とか辛気臭い投資と異なって至って健康的、価格も10ユーロ以下ならば心配は要らない。但し古いのが溜まって来てあまり使い道が浮かばない。

中継されるコンサートの初日の評が面白い。キリル・ペトレンコ指揮演奏会では嘗てないほどの厳しい評価が下されている。前半のアロイス・ツィムマーマン「フォトプトシス」は色彩豊かで絶賛、二曲目のルトスラウスキー交響曲もその描き分けで高評価。

しかし後半のブラームス第二交響曲に対しては大失望とされている。前半の終楽章のテムポ感が抜けていなかったのだろうかと、息も付かずのテムポに苦言していて、ブラームスが光を望みこむ最も美しい交響曲が、作曲のヴァルター湖の光り輝く素晴らしい風景が、鞭を入れられて、全ては捨て置かれて表面的になっていたとしている。

公演の最後になって初めて一曲目がハイライトだと分かったとしている。ブラームスはモダーンへの途上とする解釈の選択は結構疑問としている。そして歓喜する聴衆を白い目で記録している。

一昨年の第四交響曲に始まっているのだが、当時のソーシャルディスタンシング楽器配置での演奏には本来のペトレンコが目していた密で高い比重で透明に鳴る形の構造的なブラームスは聴かれなかった。2017年に同曲をミュンヘンで振ったものを聴いていたのでその感が強かった。彼自身が音楽監督をしていたマイリンゲンでの初演の復興を目した演奏実践だった。しかし、シーズンオープニングのベルリン一回とザルツブルクの一回しか演奏されていなかったので楽団にも定着するのは難しかったのだろう。

ブラームスの交響曲は毎二年ほどの感覚で演奏されそうだが、出来れば来年以降に所縁のバーデンバーデンでも交響曲に限らずものにしてもらいたいと思う。ドイツェスレクイエムを指揮することもあるだろうか。



参照:
Am Wörthersee scheint keine Sonne, UDO BADELT, TagesSpiegel vom 27.1.2022
ザルツブルクのブラームス 2020-09-14 | 音
シャコンヌ主題の表徴 2017-10-13 | 音
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ジュディッタ公演内容詳細

2022-01-28 | 
ミュンヘンの劇場からの「ジュディッタ」のストリーミングはArteのオンデマンドのリンクでしかなかった。失望は大きかった。しかしそれでも公演の内容は再確認可能だった。

こうして記録されたものを観ても、やはり突出している出来だった。なるほど音楽的には前シーズンの「トリスタン」が音楽芸術的に世界の頂点だったことは誰の異論もないだろう。しかし音楽劇場公演として演出企画を含めて「ジュディッタ」が頂点だった。ドルニー新体制の門出とした見出しがあったが、確かにその前のショスタコーヴィッチ「鼻」においては欠いていた明白なコンセプトが見て取れた。

「鼻」が盛り足らなかったのは、音楽的な充実に加えて、演出家がモスクワからリモート指導したことでもう一つ舞台が徹底しなかったような印象があったことだろう。それに比較して、「ジュディッタ」の成功は、演出もマルタ―ラーの独自チームどころか舞台装置まで使っての熟れた徹底があったからだろう 

この演出の核には51%のレハールの作品とそれ以外が引用されていることにあるのだが、音楽だけに限っても15曲も引用されて挿入されているのである。その楽曲も題名喜歌劇作品の同時代の作品という事でレハール自作「発熱」(1915)を一曲含む。

フィルムが始まって21m30s後にヘルダリンの詩にアイスラーが作曲した「故郷」(1940)。二曲目には35m15sから「発熱」が始まるが、既にホルヴァート「スラ―デクもしくは黒い兵隊」(1928)が読まれていて、本来の若いペアーがここでの二人の役に変わっていて、その負傷兵がベットで魘されての内容へと進んでいる。北イタリアの黒い風船で「脱走兵の運動」がそのもの意匠となっている。ここまでで違和感が起こらないのはまさしくレハールの政治信条が既に奏でられているからなのだが、これを僅かな先行情報と歌詞と字幕だけで容易に合点が下りたとは思われない。特に「発熱」でのラデツキーマーチ引用がその原曲として認識されていなければ不明瞭さが付き纏う。
参考音源 ―
Eisler: The Hollywood Songbook (1943) - Die Heimat (Hölderlin-Fragmente)

Franz Lehár : Fieber (Fever), symphonic poem for tenor and orchestra (1915)


ここで、「サロメ」における演出の如く大股開きのおばさんが泳ぐところに、「どこに美を得るの?」と世の摂理を歌ったヴィクトール・ウルマンの曲が歌われる。すると有名な「世界は二人の為に」のペアーの歌声と繋がる。
5 Liebeslieder, Op. 26a: No. 1, Wo Hast du All die Schönheit hergenommen


そして52m40sでアルバン・ベルク作曲の「アルテンブルクの絵葉書」の「雷」(1912)へと繋がれ心象風景となる。北アフリカへの船は揺れて、55m20sにてバルトーク「不思議なマンダンリン」(1928)でパントマイム劇となる。勿論ここでそのオリジナルの破局的な内容へと関心が向かうのだが、テキストもないことから音楽的な印象が優先されるだろう。
Alben Berg - Altenberg-Lieder op.5: II. "Sahst du nach dem Gewitterregen", LSO/Abbado, M. Price

Bartók - The Miraculous Mandarin, Suite - LSO / Solti


70m00sの同じくパントマイム劇「幸福の手」から「おお、なんと美しい」で音楽的頂点となり主役ペアーの別れ話へと。恐らくここも通常の上演ではただのメロドラマとなる所なのだが、演出上ペアーは舞台後ろの小枠に入れられてと取り分け不思議な舞台となっている。
Die glückliche Hand, Op. 18: II. II. Bild: Ja, o ja! Das Bluhen, o Sehnsucht


更に黒い軍隊の「スラーデク」の若い恋人の口封じ命令へと進み、心象風景が83m40s「ここは平和」で第三者的に歌われる。これも素晴らしい音楽的盛り上がりとなっている。因みにここまでの進行で台詞をマイクに向かって発するところと其の儘会場へと向かって発する台詞と二種類ある。
Berg: 5 Orchesterlieder nach Ansichtskartentexten von Peter Altenberg - No. 5 Hier ist Friede
 ― 参考音源(続く)



参照:
伝播する分からぬ流行り 2021-12-24 | 文化一般
レハールの曲は詰まらない? 2021-12-21 | マスメディア批評
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清濁併せ飲むのか支配人

2022-01-27 | マスメディア批評
とてもよかった。一足先に独仏放送局Arteのサイトに「ジュディッタ」がオンデマンドとなった。TV放送は2月末だがネット向きには劇場のストリーミング公開に合わせて早朝にアップロードされた。先ず不満は音声が125kBsの速度しか出ていないのでオペレッタにはそれでよくても内容のある挿入曲には音質が悪すぎる。もう一つの不満はエンドロールで指揮者エンゲルと字幕が重なってしまっていることで、それと同時に演出グループへのブーイングが入っていない。双方とも劇場のそれに期待したい。この演出のコンセプトからすればそれを伝えないと意味が半減する。やはりArteのプロデューサーの質が低い。

しかしお目当てのシェーンベルク「幸福の手」第二景の場面は圧倒的だった。この演奏の手本となるブーレーズ指揮の録音を比較すれば、その端折り方はいつもの通りなのだが、声楽表現として全く出来ていないことに気が付くだろう。これを聴くとエンゲル指揮の「モーゼとアロン」にペトレンコ指揮よりも期待したくなる。その音色の素晴らしいこと。

そもそもこの「幸福の手」は12人の合唱と男声そしてパントマイムと三人で演じられる音楽劇場作品である。男二人で、作曲家自身の奥さんの浮気の刃傷沙汰のトラウマが描かれている。勿論このオペレッタの話しに其の儘挿入されている。そしてその音楽的つながりの見事なこと。演出家のマルターラーのアイデアなのだろうが、いい指揮者がサポートすることで見事な解決になっている。本来予定の指揮者が病気を理由に直前に下りたという事が素直に信じられない所以である。

音楽的にはここが山だと思うが、こうして繰り返して観ると、悉く挿入曲と場面が効いている。そして少し複雑な内容となっているので何回も繰り返えして合点がいくことも多く、マルターラーのお話しの味わい深さと同じものがこの舞台をも支配している。再演される事になるのだろうが、オペルンフェストシュピーレの夏なのかそれとも嘗てのオットーシェンク演出「こうもり」の代わりに年末年始なのか?

それにしてもやはりミュンヘンの配役はやはり出来ている。主役のミクネヴィシューテの声は、誰かが増強されていると書いていたほどに想定以上の声だった。なぜ上のクラスで歌っていなかったかは技術的な問題であることも明らかなのだが、また相手役のオペレッタ分野で第一人者とされるべーレがこの劇場には一廻り小さいとされるのとは反対だった。

上のシェ―ンベルクのシュメッケンベッヒャーはペトレンコとも共演していたのだがどこでだったかを調べるとブレゲンツで「魔法の角笛」を歌っていた。ホッケンハイム出身だった。もう一人のスラデックを歌ったコールヘップもリムブルクの出身でザルツブルクの復活祭でダーフィットを歌っていたらしい。相手役のスェーデンのアヴェールノも、「死の街」の座って歌うのは苦しそうだったが、いい劇場デビューとなったのではないか。

しかし何よりも薄い拍手と舞台上に点滅する「今日、そして、未来」のスローガンにこの公演の価値がある。メディア化はウニテルが入っているようなのでそうした高尚な制作とはならない。だから余計に劇場では違う形で流して欲しいのだ。ドルニー支配人の腕の見せ所なのだが。



参照:
伝播する分からぬ流行り 2021-12-24 | 文化一般
ミュンヘンに通った甲斐 2022-01-26 | 文化一般
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ミュンヘンに通った甲斐

2022-01-26 | 文化一般
睡眠はあまり取れなかった。夜食にニンニクラーメン迄食べてしまったからだ。3時間少ししか就寝できなかった。今晩ぐっすりという事になりそうだ。二日掛けて疲れを取って三日目ぐらいにまた一走り。

明日は昨年のミュンヘンの新制作「ジュディッタ」中継録画ストリーミングである。それの準備に挿入曲をもう一度洗っておきたい。特に気になっているのはシェ―ンベルクの「幸福の手」である。ブーレーズ指揮の録音もありもう一度確認しておきたい。短いながらも特に印象に残ったことは書いたが、その内容を吟味する。

映像自体は初日に撮ったことは間違いないが、必要ならば音声は編集してある筈だ。特に大きな問題はなかったのだが、更によくなっているところがあるのかどうか。ミュンヘンの劇場は今の体制になる前から商品化を毛頭に置くようになったので容易に生中継して終わりという事ではなくなった。

商品化して永久に残すものならば最初からマンパワーを投じて、其の儘製品化可能なものをストリーミングで流さないといけない。その観点から以前は初日のラディオ放送に中継映像の二種類が存在した。勿論比較すれば修正点も分かるが、永久保存版を制作するには不適当となる。

プッチーニの「三部作」の映像を観ると当日にテノールのブレスレックの声が出なくなって袖で他の人が歌ったのを思い出した。それで全く使い物にならない映像になってしまった。演奏自体はとても素晴らしいので、初日の放送に戻ってみると、これはこれで将来録音だけを出す可能性はあると思った。あれだけの配役はザルツブルクでは到底集められない。ペトレンコ時代の管弦楽は全く異なっていたのがよくわかる。こちらはその為に態々通ったのだった。「影の無い女」も映像が二種類以上あっていいアングルで映してある全曲はヴァリコスキーの演出と相まって、来年の復活祭のものが幾ら上手くいってもそれなりの価値は持ち続けそうである。

そこでミュンヘンのオペルンフェストシュピーレの発注を考える。ペンデレツキはどうしても行きたいと思うのだが、どれぐらいの価格の券ならば配券可能性が高いか。あまり馴染みのない曲なのでそこ迄は広く売れないだろうが、目玉であることには変わりない。秋のショスタコーヴィッチの初日の最低倍は出さないと難しいだろう。あれはなぜか全然売れなかったのだ。だから68ユーロでいい席で観れた。

これも希望日の予定で宿を先に決めておいてもいいかと思う。ベルリンのコンサートの場合は夜行で戻るという方法を発見したのだが、ミュンヘンはどうも間に合いそうな時刻にはない。先日のベルリンでの演奏会も結局22時ごろまで拍手が続いていて、最後までいたら間に合う時刻ではなかった。やはり列車は行動が制限される。

車がいつまで乗れるかもわからないので、夏にはマスクを外して列車で往復することも考えているのである。そのような先行きも2月中盤には分かる。ラウターバッハ保健相がそこ迄乗り切れば、規制する意味がなくなるとしているので、次の冬に備えて接種の扱いが決まるだけとなる。



参照;
ペトレンコ劇場のエポック 2017-12-22 | 音
ゴーゴリの鼻の威厳 2021-10-27 | 音
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音楽劇場枢軸化の一石

2022-01-25 | マスメディア批評
病上がりで頂上往復を果たした。完走だけを目指した。それ以前に短縮コースも選択の一つだった。それでも前回のような心臓の異常もなく、ペースを落とせば楽だったので、躊躇なく頂上を目指した。低調だが75分も心拍数を上げて運動できれば十分である。陽射しがあったので動機づけになったのだが摂氏7度ほどなので汗をびっしょり掻いた。前回の1月10日とほぼ同タイムなのだが大分楽だった。その時は既に状態が悪かったのだ。何はともあれ、これで正常化となるか。今晩の睡眠が楽しみである。

ザルツブルクに申し込んだ「三部作」の座席の希望の詳細である。上階の出来るだけ前の方を希望する。後半部はパトロン時代に定席にしていたので前の方の音響を試したかった。平土間でもいい席ならばいいのだが、舞台が中途半端に近くても奈落が見えないと物足りない。平土間の良さは歌手の正面で聴けるので言葉が聴き取りやすい事であるが、歌手がお目当てでもどうしても音楽的には一面的になりやすい。

そこで最高価格席445ユーロで座ってみてもいい席は殆どない。その点第二ランクの上階最前列は悪くはないと思う。しかし価格が355ユーロでそれならばその後ろの列の285ユーロで十分である。視界の僅かな差だけである。しかしその価格帯で平土間の庇の下に入るのも凌ぎない。すると次のランクの210ユーロは満足度が高い。ローゲンの二列目も平土間最後列も一寸試してみたい席なのだ。音響的に不利でも、視覚的に不利でもそれなりに舞台との距離が近いとかがあるからだ。勿論上階の中盤はそれ程悪くないのは知っている。勿論次のクラスの160ユーロは価格的にも嬉しいが席数も少ないので競争率が高いと思う。

こうして改めて観察するとザルツブルクの祝祭大ホールは結構小ぶりだという事だ。一方最も大きな歌劇場バーデンバーデンの支配人スタムパの新たなインタヴューがフランクフルターアルゲマイネ新聞に載っている。

そこで予想通り音楽劇場化の流れに言及されていて、これまでと同様に復活祭のオペラ上演が中心にはなるのだが秋のフェスティヴァルでフランスオペラなどの新制作が取り上げられられるようで、どうも音楽監督はヘンゲルブロックの様だ。ここでももはや指揮者ゲルギーエフの名前が出てこないが、ペテルスブルクからの巡業は今年のチャイコフスキーの「ジャンヌダルク」以降も続けられるが、より重要なのは其々の音楽監督との協調作業としての音楽劇場化となるのだろう。それによって容易にザルツブルクの質を超えるとは思われないが、バーデンバーデンからミュンヘンへの音楽劇場の枢軸が為されれば喜ばしい。

そしてこれまた想定通り、復活祭での「ペトローシュカ」を振るフランソワサビエー・ロートがマーラー交響曲七番を聖霊降臨祭で振るが、2025年にはブーレーズが演奏されるので当然彼が音楽監督だろう。そこに指揮者のティテュス・エンゲルが入ってくるかどうかは知らない。しかし私のSNSを研究していれば当然の如くそうなるのだ。そうなれば何らかの形で協力することになろう。ザルツブルクの方が若いフランス人を起用しているので、こちらはエンゲルならばまた音楽劇場化の将来性が広がる。



参照:
BENEDIKT STAMPAS PLÄNE Die Festspielidee wird sich ändern, JAN BRACHMANN, FAZ vom 24.01.2022
2G規制になったバーデン州 2021-11-18 | 雑感
一派の枢軸となるだろうか 2021-12-28 | ワイン
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そろそろ夏の宿泊を予約

2022-01-24 | 
なんと8時間40分も睡眠したことになっている。全く自覚はなかった。目覚めたのも4分間記録されていて、トイレに立ったのも覚えているが、其の儘数分後に深く熟睡している。しかし心拍数は60を超えて、少しだけ下がっていたのは夜中一回であった。通常は長いレム睡眠がつづくのだがなぜか一か所も記録されていない。確かに寝返りなどの記憶がない。この睡眠の差の相違はどこから出るのかよく分からない。少し早めにベットに入っては異なる。前夜は走った後にビールを一杯飲んだ。あれが効いていたのかもしれない。

週明けに向けてジャガイモでも食して週明けに備えてみよう。午前中は晴天になるが放射冷却でもないようで、何とか夕刻に走れる条件が揃うか。時間は何とかなるとして、健康状態が整っていれば喜ばしい。

周りに広げていた古新聞を片付けた。年が明けてからこの方まともに目を通すことが出来なかった。ここ2週間ほどは微熱があったと考えれば当然かもしれない。来週は可也冷えそうだが、そのあとは少し暖かくなる。バラの月曜日は二月末なので、その辺りまで冷える。

ザルツブルク音楽祭の申し込みは済ました。希望の価格帯を配券されるかどうかは分からないので、次のクラスも希望に入れておいた。序に宿も一昨年と同じところを取っておいた。同じような部屋と朝食で63ユーロは価値があった。時間はないが泳ごうと思えばプライヴェートビーチがあって、サウンドオブミュージックの舟遊びシーンのようなものだ。

次はミュンヘンの予約となる。月曜日に会議が開かれるが、殆ど変化はなしに検査が取り除かれる方向に動くと同時に、医療が逼迫した時の対策が出るぐらいだろう。兎に角それを乗り越えれば終わりに近い。春夏への計画も大体来週ぐらいには立てられる。

ミュンヘンのオペルンフェストシュピーレも当然のことながら定員満席で配券されるだろうから、それ程入券は難しくない。そのような状況からどちらかと言えば日程を先に決めて、価格帯に若干の余裕を持たせる方が良いかと思っている。昨年までのようなことはあまりないだろう。

早めに旅行を計画できるのはお得である。それまでは皆そのように毎年同じところを定宿として訪れていた人も多いだろう。しかしこの間今迄は中々空きがなかったような宿にも泊ることが出来たと思う。音楽会なども以前の聴衆の一部は帰ってくるまでに時間が掛かる。既に人数制限と検査の強要で明らかに聴衆数は絞られた。

現時点では夏の状況を読めない人は少なくない筈である。配券の有無が分かる前から旅行の準備をする価値はあると思っている。二月になると誰にも先が見えてくるので、来週ぐらいがその時期だと考える。



参照:
トウモロコシはまだか 2020-08-08 | 生活
ザルツブルクの崖っぷち 2020-07-29 | 文化一般
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もう一晩ぐっすりと

2022-01-23 | 料理
深い眠りを48分も貪った。計5時間13分の睡眠で、とても集中的な睡眠となった。久しぶりに運動をしたおかげである。ベットに入る時も寒くなかったので、掛け布団だけを余分に掛けて、暖房を完全に止めた。結果心拍数で49まで落ちていた。今迄の記録的な低さで60ぐらいでレム睡眠。

「イオランタ」のアーカイヴ化は間に合わないようだ。二週間後に期待する。あれだけソリスツがいて永久保存版にしようと思うと編集作業に手間取る。あの楽曲の重要な録音となると致し方がない。11月の「マゼッパ」でもよく似ていて、更に演奏時間は長かったが、完成度も高かった。バーデンバーデンで生で二回聴いて、ベルリンでの収録をハイレゾで聴いて、繰り返して聴けるのはその出来が隅々まで出来上がっているからである。よくライヴ実況録音などを繰り返し聴いていられないとされるのはその傷が耳にこびり付いて来るからである。それは何も音が間違っていからとかだけではないのだ。

その代わり、「マゼッパ」でマリアを歌ったペレティアトコが長めに切ってあげてくれていた。
Maria’s Aria and Duett from 1 act of Mazeppa by Tschaikowski ― 一幕のマリアと幼馴染

Mazeppa, Duetts from 2 Act, Peretyatko, Sulimsky, Volkova ― 二幕のマゼッパとマリアのデュオ

Madness Scene of Maria from “Mazeppa” by Tchaikovsky/Olga Peretyatko ― 三幕フィナーレの子守歌迄


ミュンヘンで購入したコーヒーもあと一二度で終わる。その間残りのプロドーモも片付けた。密閉袋を開けて最初の一二度を除くと、あとは空き缶で冷蔵庫に入れておくと二か月ぐらいはあまり酸化も進んでいないようで、品質低下はそれほど顕著ではなかった。概ね満足だ。大量消費商品でも可也の品質は大したものだと思う。

週始めに購入したチーズも大分無くなった。412グラムあったのであと100グラムぐらいか。安くて量を購入して、最後まで楽しめるほどのお得感はない。パンも同日の購入のものが日曜日まで食せる。同時に購入したマーモアークーヘンも全く固くなっていないのでアイスを乗せても食していない。やはり今のパン屋の製品は日持ちするのが嬉しい。

同じように1ユーロの完璧に綺麗なカリフラワーを冷蔵庫に入れておいたら汚くなっていた。掃除したので、ここで一挙に調理である。これも料理方法ではとても楽しめる食材になる。恐らく今回はベーコン炒めだろう。腹が膨れそうでいい。

久しぶりに走って戻ってから体重をはかると71.4キログラムとここ冬場の上限になっていた。運動不足の一方食もあまり進まなかったこと、同時に微熱、腰痛などがあったのでそれなりに消耗していたのかもしれない。

しかし夕刻になると急に眠たくなった。まだまだ病み上がりの感じで、もう一晩ぐっすり就寝したいと思う。それでも週明けから完全回復となるかどうかは疑問である。

月曜日には新たなコロナ規制が議論される。医療は現在問題がないので、規制強化とはならない。話題になっているのは、文化施設での陰性証明の有無である。五割未満の入場者に抗原検査などは役に立たない。しかしドイツはPCRの量の限度を迎えていて今後は特別な職業人にのみ提供する方針である。そもそもオミクロン無症状者に検査をしても始まらない。



参照:
腰の痛みも漸くとれた 2022-01-22 | 生活
熟れ過ぎないマイルド感 2022-01-19 | 料理

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腰の痛みも漸くとれた

2022-01-22 | 生活
一週間ぶりに運動した。給油を済ませて、洗濯屋に寄り、空き瓶を捨てに行った序に嘗て毎週一回走っていた最も短い距離を試した。腰の痛みが取れていたことが動機付けになって、天気もよく微熱感もなかったからだ。結果可也遅かったのだが心拍数が170まで上がっていた。歩速は185でまずまず、最高速だけは13キロを超えていたので良しとしよう。しかし出かける前も心臓が焼けたような感じがあり、戻ってくるときの異常心拍数警告が出た。見ると車を運転していただけで130にまで上がっていた。未だ全快ではないということだろう。週末様子を見て、次に備えたらいいと思う。今晩は心拍計をして就寝しようかと思う。

ザルツブルク音楽祭の予約注文をしよう。バイロイトのプログラムも出ていないので予約は一本買いである。どのランクならば配券されるかの感覚はもうない。但し今迄座ったことのない祝祭大劇場の席で音響を吟味してみたい。会場は知っているので狙いをつける。アスミク・グリゴーリアンは、ミュンヘンでのヤホとは違うので三役こなしても上階迄間違いなく声が通る。その点では心配は要らない。但し指揮のヴェルサーメストがヴィーナーフィルハーモニカーの音をそこ迄抑えれるかどうかは疑問。プッチーニの三部作は決して容易な管弦楽ではないと思う。

ミュンヘンに通うようになって、ザルツブルクの横長の舞台はコムパクトな舞台が作り難いのを再認識したのだが、演出はミニマルな舞台を作るクリストフ・ロイだから上手に解決するのではなかろうか。プログラムの文章を読んでいても最後に「修道女アンジェリカ」を持ってくること、その前に「外套」なので全体の構成についての記述にもなっている。正直なところメストの指揮でどこまでの演奏となるかは分からないが、演出と相まって不明確なことにはならないと思っている。

さて配券は、コロナ禍での海外からの予約は減ると思うので、それ以前よりは少しいい席が当たるのではないかと期待している。平素は中々入手が難しい席を狙えるのではないだろうか。

まだ発表とならないバイロイトの音楽祭が7月24日に初日とすれば25日に「ヴァルキューレ」。26日に「オランダ人」?、27日「ジークフリート」、28日「神々の黄昏」となるのか。29日がザルツブルク「三部作」初日なので総稽古は何時?。どちらにしても31日過ぎに二回目の「オランダ人」、二回目の「三部作」が8月5日と空いている。この間に「オランダ人」が入るのは間違いない。大統領が来るのは12日の「アイーダ」初日か。13日に四回目「三部作」。恐らくそこ迄で「オランダ人」五回終了か。同時期のミュンヘンに目を移せば、24日に「バラの騎士」ぐらいか。

ザルツブルクもイザベル・ユッぺルトのジャンヌダルクが7月24日にあり、エンゲル指揮などの演奏会は7月21日、恐らく双方とも日程的に難しいだろう。いずれにしてものちに入手可能の券である。やはり入券が難しいのはミュンヘンの新制作か。バイロイトは百パーセント入れれるかどうかが鍵。先ずそこの発売は50%からだと思う。



参照:
期待する来年への眺望 2021-12-10 | 女
オペラのヴィーナー 2020-08-09 | 文化一般
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蛇行走行しながら追う者

2022-01-21 | 
バムベルク交響楽団の先月の演奏会録音中継を聴いた。初めの30分超えのお目当てのエリザベート・クールマン引退歌唱の前半を流した。とても準備が出来ていて丁寧に歌っていて可也良かった。十八番を集めたものだと思うが、あの艶のある声を聴くと惜しいなと思う。アルトは難しい声域で中性的な声が多い。彼女もソプラノから専門の声域を落として来ていた。

元々はオペラ劇場で活躍していたのだが、ルールトレンナーレのデッカー演出キリル・ペトレンコ指揮「トリスタン」で不幸にも練習中に事故に遭って、その後はオペラから身を引いた。それでもペトレンコのベルリンでの就任演奏会の第九でアルトを歌った。
Elisabeth Kulman - Schlag auf Kehlkopf 2011

Tristan und Islode

Beethoven: Symphony No. 9 / Petrenko · Berliner Philharmoniker


密かにペトレンコ指揮での復活やバーデンバーデンでの出番を楽しみにしていたのだが叶わずで、MeToo騒動でも積極的に声を上げていたので様々な面での活躍も期待していたのだった。

同時刻帯にBBCでバーミンガムからの生中継が始まった。モンテカルロで振っている次期音楽監督山田が振る演奏会で注目された。山田の指揮は車中のラディオで聴かされることが多かったので、好印象は持っていたからだ。実際に途中から聴いた「ドンファン」でもよく管弦楽が鳴っていて、ラトル時代に生で聴いているそれよりもずいぶんと解放的になっていた。同時に雑な面に気が付く。

モーツァルトのアリアの前に舞台で本人の挨拶があって、後半のマーラーの交響曲四番では、BBCのラディオ3で支援されているエジプトのソプラノが前半に続き歌っていた。興味ある指揮はモーツァルトでも音楽的な魅力は発揮されていた。しかしマーラーとなると色々と管弦楽のバランスとかイントネーションのつけ方が、リズムの精緻さの結果として表れるのでどうしても端折ったアウフタクト感とかが、そのテムピ設定とは裏腹に表れてくる。これは管弦楽団の程度とは関係なく、例えば上のバムベルクでのフルシャは上手に振っていて感心した。

どこかで同じようなのを聴いたと思ったら大植のよりいきった指揮で、バイロイト祝祭劇場の「トリスタン」で初日から盛んにブーイングを受けたものだった。結局ブザンソンで優勝したそれも小澤以降最も優秀かもしれない指揮者でも乗り越えられない壁である。精々カールツルーのバーディッシェスシュターツテアターぐらいで数年修行をすればよいのだが、ああした一度華やかな場所で脚光を浴びた先代のネルソンズなどでも中々それが叶わずに将来性を暗くしている。特に日本の音楽家のそれを見ているとまるでカメとウサギの競争の様で、どんなに頑張っても追いつく先ではもう既にウサギは遠くに走り去っているというパラドックス。追うものが蛇行走行してどうするのだと思うことになっている。マネージメント会社にすれば即稼いでくればいいだけ。

月末の予定表。先ずは週末にザルツブルク音楽祭の申し込み。バイロイトのプログラムは来月初めに持ち越しなので待っていられない。週明けて26日水曜にはミュンヘンからの「ジュディッタ」録画中継、27日木曜エンゲル指揮2020年ドナウエッシンゲン音楽祭再放送、28日金曜にはベルリンからアロイスツィムマーマン、ルトスワウスキーやブラームスなどのショートツアープログラムのラディオ等での生中継 ― 裏番組のエンゲル指揮のフライブルクの卒業作品SWR演奏会は聴いていられない。またプライムシートでの無料ハイレゾ放送となる。それまでにもう少しNASを掃除しておきたい。



参照:
お前はアホかの今は昔 2019-08-25 | マスメディア批評
歓喜へ歌への対照と構成 2019-08-24 | 音
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大理石模様のケーキ

2022-01-20 | 料理
気分がよくなったので外出した。一寸だけでもオミクロン株を撒いて早期終結に貢献したかもしれない。昔から流行り病は人にうつすと治るは正しい。それだけ元気が出たということだ。しかし流石にまだ走るには腰がもう一つだった。短い距離でも走っておこうと思ったが霧雨があって止めた。

ブースターの接種率はドイツ全土で五割に満たない。48%だから月末までにも至らない可能性が強くなった。ある意味新保健相の敗北である。一方国民の半数がオミクロンに感染するとあるので、万が一必要になっても新製品を有志が接種すれば百パーセントに近いオミクロン免疫が完成する。

つまりオミクロンを抜けた時に考えるのは次の冬のデルタ変異株対策であり、接種有志は五割近くいる。それ以外の何割を説得するかだけだ。それでコロナ禍は終了するとされている。

NASを100GB程消去した。重なっているものや必要なくなったものを消した。やはり動画を消すと大きい。次の100GBは移動させるものとなるか。移動先の外付けHDDを整理するための重なっているファイルをブルーレイに焼いている。既に8枚焼いた。ざっと160GBぐらいになる。二枚壊したので、あと一枚となった。ペトレンコのオペラだけでもまだ数枚入る。しかし映像の大きなものはそれで多くが終わるので、あとはそれほどの要らない筈だ。先ず25枚入りのスピンドルを発注した。720GBとなるのでほぼ1TB程移動させれる。NASが再び2TB空くとまた二年ほどは何とかなると思う。25枚と5枚で25ユーロぐらいだった。先のブルーレイ焼き機が90ユーロだったので、115ユーロの投資で先二年のストレージ確保、ファイルのハード化、更にブルーレイ再生機能を手にしたのでまずまずではなかろうか。

パン屋に行って、そこで初めてマルモークーヘンを買った。在日本独大使館のSNSにプファルツの菓子と書いてあって初めて知った。あまりそう思っている人は地元にはいないと思う。その証拠に地元の言葉での呼び方を聞いたことがない。大抵のものは特別な呼び方をして喜ぶ土地柄なので不思議である。名の通り大理石の模様の様になっているからの命名だろう。

今のあパン屋では既に切ってある四分の一しか買えない。前のパン屋では量り売りしていたからに頻繁に買えた。5ユーロ20なので購入して食してみた。決して悪くはない。何日ぐらい変わりなく食せるかである。アイスクリームも購入したので、パサパサしてきたらそこにクリームを乗せる。

微熱が引いたようだから外出したのだが、椅子に座ってばかりだとやはり直腸が腫れてきた。これだから走るようにしたのを思い起こさせる。心臓に悪いとか言っても其の儘ならば腸捻転か何かで癌化でもして死んでしまうのである。定期的に走っているうちは問題がない。



参照:
愛と食と生と職の説法 2007-04-10 | 暦
ブルーレイROM三枚目 2022-01-09 | 文化一般
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熟れ過ぎないマイルド感

2022-01-19 | 料理
今日も快復とはならなかった。微熱感がある。やっぱりただの風邪ではないと気が付く。この程度の微熱なら吹っ飛んでしまうか、快復する。しかし既に10日以上は微熱がある。インフルエンザでこれほど軽いのはない。ぎっくり腰も治らない。どちらかがなくなったら走りに出かけようと思ったが無理だった。従来型コロナの場合はこういう節々の痛みはなかった。手足も冷えたりするのもその一つだろう。

のど飴で治ったりしていた喉の痛みも戻ってくる。道を歩いても同じような空咳を聞くようになった。息苦しさに通じる。ある意味軽度な状態では従来型よりも呼吸に影響を与えやすい。これで走る気はしない。従来型は発症翌朝胸がスカスカながら走れた。

ドイツのICUの使用数が減り続けていて、二月中旬には感染者数の頂点を迎えるというが、重篤化さえ避けられれば、集団免疫化へと手が届く。一方で医療関係者の九割超しか接種が終わっていない所での拒否者の病院退職が相次いでいる。このような状況で一般的な接種義務などはありえないだろう。

現在議論されているのは今年の末に予想される再燃であってそれを避けるためにはデルタ型の接種が必要になるということらしい。オミクロンを抜けた後での接種義務化である。

総合すると此の侭医療に大きな負担をかけずにオミクロンをやり過ごせば先ず一旦終了する。そのあとの終止を打つために接種をどこまですればよいかに尽きる。オミクロン用のワクチンは役立たずになる可能性が強い。

引き続きDCHのアーカイヴでハイレゾを流す。気になっていたのはこれまた世評の高いラフマニノフ交響曲二番である。これはTV中継以外観ていなかったが、なるほどハイレゾだと違う面もある。しかし4Kなので伝送が厳しい。生憎アンドロイドでは映像の質を落とせない。ケーブルにつなげて再生してみる必要があるかもしれない。しかし演奏自体はまだまだ弾き込みが足りないのが分かる。前半のチャイコフスキーの「ロミオとジュリエット」序曲と比較すれば一目瞭然だが、コロナ直前の交響的舞曲の素晴らしさに至らない。

ラフマニノフは、現在やっているチャイコフスキーのオペラに比較すれば容易にできた面もあるのだろう。今後他の曲なども含めて新たな名演も期待されるところである。柔軟性だけではチャイコフスキーで解決し得ない課題は中々克服が容易ではなかったと思う。ベルリナーフィルハーモニカーどころかそれをマスターした楽団は西欧には今までなかったのではなかろうか。なるほどロシアン楽派の弦が引っ張っている訳ではないが、表現幅がまたぐっと広がってくる。もう一人募集中のコンツェルトマイスターがどのような人になるかが楽しみである。

アーカイヴを観ているとアシスタントになっていた日本の女性指揮者が学生としてカメラで抜かれたりしていて面白い。

先週スーパーの安売りで購入したフォアールベルクのベルクケーゼを楽しんだ。5ユーロ以上買ったが、一週間楽しめた。油脂50%に近く、硬くともしっとり感があって、マイルドで文句のつけようがなかった。あの辺りの山谷の、国境を越えたアッペンツェーラなどの熟れ過ぎとは一味異なる、マイルドな感じそのものである。



参照:
夏の日差しを思いながら 2021-10-12 | 文化一般
この間の経過を追想 2022-01-18 | 生活
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この間の経過を追想

2022-01-18 | 生活
半年ぶりに走れなかった。九月はコロナ.2にやられて発疹が出ていたころだ。それ以降は週に最低10キロメートル、高度差1000メートルをこなしていたが、今回は駄目かもしれない。腰のぎっくり腰も効いたが、微熱感がいけない。無理すると心臓にでも炎症が起きそうだ。症状は軽く安静にしていれば中々気が付かないが、既に一週間寒気があるので、オミクロンにその頃に罹ったに違いない。殆ど可能性がなかったので如何に空気感染力が強いかということかもしれない。但し裸で走っていたので風邪を引いても不思議ではないのだが、コロナ禍以降全くそのようなことがなかった。空咳などもおかしい。

兎に角、今週の病院の状況などによれば脱コロナの工程表が明白になる筈だ。保健相も心配事に絡んで、今後は接種に関してアドヴァイスを発信しないとしていて、五月以降に話が、秋からの予防へと目標が移ってきた。要するにオミクロンに関してはもはや接種の有無は関係ない。その一方来週月曜日の改正ではブースターをしていなければ生きていけなくするとして、接種義務とは三本を指すと前夜に話していた。刻々と状況は変わって来て、科学的にあまり意味のないブースターよりも目的に合わせた接種を勧めていくということのようである。更に一般的接種義務からは遠ざかった。英国は今後あらゆるコロナによる隔離を撤廃する方向に動き出した。余程医療システムにゆるぎない自信があるのだろう。

なるほど上の様な風邪症状も一部の健康弱者にとっては命取りになる可能性があるが、少なくとも基本免疫を獲得している向きには軽い風邪症状でしかない。なるほど微熱が続くのはおかしいと思うのだが、無理をしていたら容易に治らないのも風邪である。ロベルト・コッホ研究所は、罹患証明の有効期限を三か月にすると発表した。オミクロンの接種期間を三か月に短縮した時から予想された短縮である。ある種の人にはそれを以て注意を促し警告するのは責任ある当局の立場でもあろう。

デジタルコンサートホールの一週間券があるので、まだハイレゾでは流していないものをどんどんとBGMで流していく。もう一度一週間券を使うので今回はロシアものを中心にさらっていった。週末の「イオランテ」で各紙絶賛しているのはフィナーレのフォルテの天井まで響き渡る管弦楽の豊饒さである。これを例えば日本で最も人気のあるスクリャビンの交響曲を客演でペトレンコが棒無しで指揮するものと比較するとよい。その時の鳴り方はどんなに軽く底が浅いかが分かる。あれがラトル音楽監督時代のベルリナーフィルハーモニカーだった。全く別団体と言っても構わないほどの鳴りの違いである。それでいてカラヤン時代のような鈍重ではなくどこまでも運動性が高い。

昨年冬のチャイコフスキープログラムなども無観客ながら今聴き直すと今回の成果が帰納される。それが分かり難いのも無観客でどうしても乗らないからだ。この間の流れを実演で追っていると、ハイレゾの音響で振り返る形で実感が可能となる。

ドイツの批評ではオペラ云々との差異を書く者は流石になくなってきたが、ライヴにおける感興というのはそれはオペラでも演奏会でも同じで、相違は具象性と抽象性であって、それだけ上質の観客が必要とされるというだけの差である。

復活祭で明らかな新たな時代の幕開けとなるのだが、その後の関心事は翌年の「影の無い女」に向けての新たな歩みだと思う。特にリヒャルト・シュトラウスやエロイカなどが今週の米国ツアーにマーラーの七番などと共に準備されるとすれば、やはり楽器配置をどこで独伝統型に戻すのか、そしてその音響はとなってくる。



参照:
鈍器でドンの音の密度 2022-01-16 | 音
健気に霜月を待つ七夕 2021-07-09 | 暦
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