Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2006年10月

2006-10-31 | Weblog-Index



季節間の溝の深さ [ 暦 ] / 2006-10-31 TB0,COM2
髑髏が疎ましい白昼 [ 暦 ] / 2006-10-30 TB2,COM4
外国語学習の第六感 [ 文化一般 ] / 2006-10-29 TB0,COM4
言葉の乱れ、心の乱れ [ 女 ] / 2006-10-28 TB0,COM0
リストの更新と保存 [ BLOG研究 ] / 2006-10-27 TB0,COM0
新月に駆けるイタチの夜 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-10-26 TB0,COM0
精神錯乱狂想の神の座 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-10-25 TB1,COM2
危険な子ウサギ [ 料理 ] / 2006-10-24 TB0,COM4
檻に吹きこむ隙間風 [ 歴史・時事 ] / 2006-10-23 TB1,COM0
瞳孔を開いて行間を読む [ 音 ] / 2006-10-22 TB0,COM2
苔生した貴腐葡萄の苦汁 [ 試飲百景 ] / 2006-10-21 TB0,COM0
貴い葡萄房の作為 [ ワイン ] / 2006-10-20 TB0,COM6
栗色のザウマーゲン [ 料理 ] / 2006-10-19 TB0,COM9
現実的エネルギー政策 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-10-18 TB0,COM0
政治的核反応の連鎖 [ 歴史・時事 ] / 2006-10-17 TB7,COM6
貴腐葡萄の摘み取り [ ワイン ] / 2006-10-16 TB0,COM4
貴腐香るグランクリュ [ ワイン ] / 2006-10-15 TB0,COM6
福音師の鬼征伐 [ 文学・思想 ] / 2006-10-14 TB0,COM0
理性を超える人種主義 [ 文学・思想 ] / 2006-10-13 TB0,COM0
「黄禍」の真意 [ 文学・思想 ] / 2006-10-12 TB0,COM2
革命的包容政策の危機 [ 文化一般 ] / 2006-10-11 TB0,COM0
カウチポテトの侍 [ 文化一般 ] / 2006-10-10 TB0,COM14
ボゼーナの胸中を覗く [ 女 ] / 2006-10-09 TB0,COM0
在京ポーランド系ユダヤ [ 雑感 ] / 2006-10-08 TB0,COM0
止揚もない否定的弁証 [ 歴史・時事 ] / 2006-10-07 TB0,COM0
和平に満ちた閉じた空間 [ 女 ] / 2006-10-06 TB1,COM0
交響詩「彼岸の入り」 [ 音 ] / 2006-10-05 TB0,COM2
アンチのイデオロギー化 [ 音 ] / 2006-10-04 TB0,COM0
モーツァルトを祀り上げる [ 音 ] / 2006-10-03 TB0,COM2
美しい国は何処に? [ 雑感 ] / 2006-10-01 TB0,COM9
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季節間の溝の深さ

2006-10-31 | 
そろそろ車の冬支度をしないといけない。冬タイヤの交換が課題である。

昨シーズンまで使っていたものが暫定的な選択でその質が悪く、走行音も走行感も酷く悪かった。燃費節約型のものであったのでそれだけの効果があったのかどうかは判らない。残りの溝の深さはまだ、前輪5mmと後輪6mmとあるので法的にはまだ一ミリメーターの余裕がある。アルプスの峠を越えるには限界に来ている。既にその限界を感じているので替えなければ行けないだろう。

嘗ては、最高時速270KM まで走行可能のW仕様を偶々使ったこともあるが、通常は必要ない。それでも四本揃えて替えると結構な金額になる。二本づつでも良いかとも思うが、半分快適になるだけなのも気分が悪い。まだ使える古いタイヤを中古市場で捌くことを相談してみよう。

今シーズンはそれほどめぼしい新製品は無い様である。話題になって久しいオールシーズンタイプのものから三商品だけは、自動車クラブのテストで推薦となっている。しかし、性能的にまだとっても専用の冬タイヤには及ばないようである。

タイヤ幅によって各社主力商品が違うようだが、コンチネンタルやミシェランは冬タイヤには強く、ピレリーやブリジストンがその後を追いかけている。ミシャランは今まで使ったことが無いので試してみたいのだが、コンチネンタルと比べると磨耗耐性は優れているが冬の路面での運動性能に劣るようである。セールス価格が同じなので、結局は非対称型のパターンを持つコンチネンタルになりそうである。数年前は、冬タイヤにおいてミシェルンのアルペンの方が技術的に勝っていただけに、上位数社の技術競争は熾烈そうである。
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髑髏が疎ましい白昼

2006-10-30 | 
夏時間は終わった。夜が一時間長くなる筈が前日のように一時間早く目が覚める。ネットで見かけたドビュッシーを含めたラヴェル編曲を一枚にしたCDの曲目に引っかかって、その一時間を過ごした。

ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」はラヴェル編曲の管弦楽曲として大変有名である。今でも、原曲のピアノ組曲よりもそちらの方が親しまれているのではないだろうか。この組曲は、作曲家を触発した絵を描き、若死にした建築家でもあった友人ヴィクトール・ハルトマンの絵を一枚づつ順番に丁寧に観て廻る想定となっている。

其々の絵に付けられた音楽やそれらを観ながら回遊するプロムナードのテーマはあまりにも有名である。その元となる絵の幾つかの画像を今回初めて見た。貧富の対称的な二人のユダヤ人の絵もその音楽同様に象徴的であるが、なんといってもカタコンベは最も印象的である。実際、この曲の核となるそのシーンは、特にピアノで弾かれると判るプロムナードの歩みと共に、名曲に値する質感を持っている。

作曲家は、そのカタコンベの骸を扱う殺伐とした冷気を越えて、「亡き友人の創作の御霊に、髑髏へと引き寄せられる。それが一度、中からゆっくりと光り輝き出す。」と書き記している。

髑髏は死を具体化して見せるものである反面、いつも物質として独特な愛着を持たれるものであるようだ。聖人を題材とするような多くの絵画には髑髏が部屋の中に置かれる。宗教的と云う以上に、人にとって特に興味のある物体である。

潜在的な死への恐怖心を克服しようとして髑髏に接するかのようにみえる。その想い余って、ついつい玩具にしてしまいたくなるのではないだろうか。その頭頂部などを満足そうに撫でながら、骨酒などを試みたくなるとしても可笑しくはない。

先日伝えられたドイツ軍の髑髏と生殖器の遊びも、そうした心理を思えばなんら不思議ではなく当然のことに思える。有名なベトナムでの生首との米軍の戯れも、明らかに、克服しなければならない恐怖心の大きさを示していた。

女性首相は謝罪のしようがないと発言したようであるが、如何に文民統制の官僚と制服組や現場の一兵卒の意識の差が大きいかがこれで分かる。一線で従軍した経験のない彼らが戦闘体制を準備して判断を下すこと自体が矛盾している。

そう云えば知り合いのメキシカンの米兵は、アフガニスタンから帰ってきた筈であるが、まだ顔を見ていない。どうしたのであろう。

こうした机上の絵を描くようなところが、上のラヴェルの編曲にもあり、芸術音楽におけるアレンジと云うものはそういったものではあるけれども、なんとも瀟洒な市民生活の中になにもかが埋没しまっているようにしか見えない。原曲で曲間に丁寧に挟まれるプロムナードが割愛されたりすると、一人称で主観的に絵を覗き込む後姿が突然消えてしまい、「カタコンベの絵」の前で佇む作曲家の姿は一切伝わらない。

こうした読み替えは、必ずしも否定的なことばかりではないが、共通しているのは全身で感じるような実存感が無いことであろう。善良な市民はそうした恐怖感を直視しようとしないばかりか、包み隠してしまおうとする白昼の文化やイデオロギーも存在するようで、そうしたものが教養主義とか俗物主義と相俟っている様を頻繁に見る事が出来るのである。

近年見直されたムソルグスキーの音楽においても、まだこの組曲の核心に触れるような扱われ方よりも、しばしばこうしたものが疎まれていて、敢えて焦点を暈かすような扱いがされるように思われる。また実際そうした歴史があったのだろう。

死の月を前にして明日はモーツァルトのレクイエムの演奏会である。
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外国語学習の第六感

2006-10-29 | 文化一般
ベルリッツと言うシュヴァルツヴァルト出身の語学教師はアメリカへ移民した。後に世界中で大きく展開する語学学校の祖である。孫にチャールズ・ベルリッツなどと言う作家もいる。

フライブルクのベルリッツ語学学校に通ったことがあった。其処の方針は、テキストが示すように、口移しの語学習得である。子供は、文法など勉強せずに母国語をものとする。それを大人にも適用しろと言うコンセプトである。芸事の手習いに近い。

受講者に読み書きよりも、喋る聞く能力に問題があれば、そのメソッドは良いように短絡的に考える。結論は、自身での効果は全く良く無かったが、この方法はある前提があれば、やはり優れているのではないかと先週初めて気がついた。

既に紹介したがドイツ語の出来ない若いポーランド女性に、このテキストを見せて、少し試してみた。この語学学校でドイツ人教師がやる質問を試して、彼女の反応を窺った。すると、このメソッドの極意と言うのがこちらにも分かるようになって来た。

世界中で長く使われている方法だけに非常に良く出来ている。例えば、教則本には鉄道の時刻表が載っていて、その下欄に色々とダイヤグラムの内容を説明する9行ほどの文章が、正確で要領を得た文章で並んでいる。そして、先生が出す質問が載っていて、生徒は答えなければいけない。出来ない場合は、口移しとなる。

しかし、その文章に全ての要点が網羅されていて、言い替え ― これは言語による事象の抽象化であろう ― と必要な用例が凝縮してある。例えば、単数と複数の主語其々に対して動詞の変化形が、また前置詞などが完備していて、先生役がこれを正しく掻い摘んで模範解答を繰り返せば、自ずと文法用語無しに正確な語学が身につくと言うものである。

たしかに、「世界中どの子供も文法用語無しに鸚鵡返しに正確に喋れるようになりますよ」と言う主張がこのメソッドである。しかしこれは自分自身には大変難しかったことを思い出した。それではなぜ難しかったのか?

嘗て、この原因に、母国語と外国語の文法上の相違の大きさを考えていた。しかしそれは二次的なことではないかと思うようになった。また、アルファベットへの慣れ親しみと信頼と言語上の発音の相違を考えた。これは大きな理由として残ると現在も考える。

具体的に、今回先生役を試してみて幾つかのことが印象に残った。この場合の生徒はスラヴ語を母国語としていて、ドイツ語の中で生活しているにもかかわらず、ドイツ語が不自由である。しかし、ダイヤグラム等を見て理解する能力は十分にある。尚且つ、アルファベットに慣れているので、説明文を見れば音として読み取り、日ごろ聞いている様に感じることが出来る。

反対に、先生は模範解答を説明文の中に見つけていかないといけない。しかし、それを指し示すことで、文法等の説明は必要ない。同時に生徒は、模範解答を其処から探して行くジグソーパズルのようなゲーム感覚で学ぶことが出来る。

ここで、気が付く様にこれらは我々が母国語で行っている作業に変わらない。相違点は、模範解答が書きとめられているのではなくて、子供の頃から耳にしている言い方や用例が幾重にも記憶されている点であろう。

外国語学習の極意と言うものはないようだが、王道はあるような気がする。基本は、先ず情報摂取能力を高めることで、耳から目からの双方からを軸に例えば点字やリズム感などの感覚を使う五感全てを大切にする方法である。二つ目には、基礎パターンを如何に多く脳にしみこませて瞬時に取り出せるように小引き出しに整理して置けるかである。特に正確なスピーチや作文にはある種の類型があって、家庭での戯言― これがまさに家庭教育であるが ― とは違う定型が存在する。引き出しの数が多く、適材適所取り出せる知識とその引き出しへのアクセスの正確さと早さが必要とされる。これは、コンピューターでのデータの整理と再生に相当する。三つ目には、言語化などはもともと現実性を帯びたもので無く、事象の抽象化への作業であることの認識である。つまり、コミュニケーションや思索に必要なものであって、それ以上のものでも以下でもない。謂わば第六感と言うような感覚が研ぎ澄まされなければいけない。
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言葉の乱れ、心の乱れ

2006-10-28 | 
レオノーレかそれともドンナ・アンナか、オペラ歌手のエッダ・モーザーが運動家としてドイツ語の守護神になろうと企ている。先日、ドイツ語のためのフェスティヴァル開催にやっと漕ぎ着けた。その彼女のインタヴューを読む限り、かなり原理主義的な感じもするが、納得する事例も多い。

さて何が彼女の気に食わないかと言えば、その例として挙がるTVのレポーターが彼女にした質問が良い。そのレポーターは、「一体、なにが貴方の メ ッ セ ー ジ なのですか?」と質問したとして、これは由々しき英米主義と震え上がっている。なるほど、「メッセージ」をとうとうドイツ語に出来なかったレポーターも困り者である。オーケー、これは認めよう。しかし、このドイツ語救世主は、彼女が指導するケルン音大での生徒たちが万が一この言葉を使えば、1ユーロを罰金としての徴収するのはあまりにも度が過ぎている。要するに「言葉の乱れ」とか言われる現象にこそ、彼女の矛先が向けられている。

確かに彼女の言うように、ドイツのTVスポットなどや番組での崩れたドイツ語は目に余るものがある。彼女が「想像力を減退させ頭を馬鹿にする」と呼ぶTVなどは、端から視聴しなければ良いのだが、ある程度年配の熱心なTV世代の女性には画面をネットのモニターに切り替えるのは難しいようである。

軽薄を売り物にするモデル・ヴェローナ・フェルトブッシュのいい加減なドイツ語やゲッツ・ゲオルゲの不明瞭なドイツ語に真剣に腹をたてている。

ニケ・ヴァーグナーにヴァイマールにおいて、救世主が企てた催しへの援助を申し出て、そんなものは「必要ない」と一跳された。しかしヘルムート・コール博士の支持を取り付けている。またインタヴューをしている新正書法組しないFAZ新聞の広報力をこうして利用しているが、どうも正書法の問題と会話としての「美しいドイツ語」は相違するようだ。

デューデン社は金儲けのためにドイツ語を変えるとしたり、犯されざる神聖なドイツ語の変遷は、誤った方へと向かうべきではなく、それを阻止をすると言う言動は、十分に原理主義者である。

外来単語の転用を糾弾し、またフルセンテンスの明瞭性への主張は、言語をスローガンに掲げる割には、なんとも低俗過ぎる。そして、言語に関して揚足を捉えるような低俗さに、誰もが感情的になり易い要因が存在するようである。現に、新聞報道に対するネットでの反響は大きかったようである。誰もが、自らはどんな言葉使いをしようがお構い無しに、自国語には一家言持っているからである。

そもそも言語は社会層を定義するものであるのみならず、殆ど性行為に近いようなコミュニケーションの道具であり、それが口から肉体を通して発せられる時、自らの言語について間接的にせよとやかく言われることは、生殖器官について批評されるような感情に似ているようである。些か、フロイト・ユング的発想となったが、今回の一連の記事の動揺も、またインタヴューのこの音楽教師の家庭に生まれたオペラ歌手の落ち着かない胸騒ぎも、全くそれそのものである。

言語とは関係ないが、「あんなイドメネオなど舞台に乗せるべきではない」として、「ハンス・ノイエンフェルスは台本を無茶苦茶にしていて、更にジャーナリストは台本すら読んでいない」として強く非難する。「ベルリンの劇場女支配人は、モーツァルトとはなんら関係ないとしてその演出を破棄-因みに本年中の再演二回が今計画されている-すべきであった」とするのは良く理解できるが、彼女の立場を考えると毒舌以外のなにものでもない。生理的なバランスでも不安定なのだろう。

さて、引き続き、ドイツ語フェスティヴァルの記事を読むと、同じように怒りがどうにも収まらないと言う記者の書きようである。そこでは、正装の女史を揶揄して、主賓のヴィルヘルム・ヴィーベンの「トーマス・マンは一切英米かぶれではない」とした講演内容について、正しくは「英語を文中に使ったが、それを芸術的に使った」と鬼畜英米主義者に思い知らせるべきと反論する。頭に据えられたテューリンゲン州議会長ダグマー・シパンスキー女史の長すぎる演説の「チューリンゲン・ルター・ゲーテ、知る人ぞ知る。」の悪乗りを伝える。またユッタ・ホフマン女史の講演の最後に漏らしたO.K.の言葉にも拘らず、ペナルティーの1ユーロを接収するどころか喝采を送りシャンペンを注ぐエッダ・モーザーの痴態を赤裸々に描く。

ドイツ人が最も使う百の単語の二十三語が英語という。パリのカフェーに腰掛けて、同席者にSMSを打つと言うと、通訳しないといけないフランスの例を見るまでもなく、グローバル化の中での言語への護りは大切であろう。しかし、正書法のように合理化が必要でそれが求められるものと、会話の単語の上げ足を取るような低級なものとは峻別すべきである。

会話において重要なのは、自己主張とその主張を誰にも分からせるような努力でしかない。つまり他者とのコミュニケーションである。言語の真髄は、エスペラント語のような均一簡素化を言うのではなく、文化の内容を伝えることにある。

上のホフマン女史が、ハイネの言葉を引用しながら、「あら、言わなかった?」としらばくれる態度が民主的ではないとして責められる背景がここにある。

記事は、間違ったドイツ語でシャンペンに酔って気炎を上げる輪を抜けて、宮殿の外へ出ると、停まっている大きなBMWに「VIPシャトルサーヴィス」の文字を見付けて、「これは一体、なんです?!」と結んでいる。



参照:
さ、寒い いろんな意味で(TARO'S CAFEより)
「目上」と「目下」(ザ大衆食つまみぐいより)
恥部人間牧場(わりとキッチュな自閉症より)
敬語の形式 [ 文学・思想 ] / 2005-01-27
疑似体験のセーラー服 [文化一般] / 2005-06-12
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リストの更新と保存

2006-10-27 | SNS・BLOG研究
久し振りに常連コメンテーターリストを改定。四件を新たにリストアップする。一軒を除いて該当期間以前からお付き合いが多少なりともあったサイトである。初対面では、今一つサイトや作者のキャラクターが分からなくとも、時間が経つ内になんとなく親しみが湧いてくるような場合がある。こうしたケースはヴァーチァル世界で無くとも、現実の人付き合いでもあるので決して珍しくない。

対面の第一印象が大切だと外交官などは言うが、隣近所の住人とは良かろうが悪かろうが継続的に付きあって行くので、必ずしも急いで評価してしてしまう必要はない。そうした、ネット上でのお付き合いも面白い。無理をしないお付き合いが良い。

新規の中の一件は、BLOG世界のお付き合いでただ一人現実世界でもお会いしている方なので、これもレアルとヴァーチャルの世界間でギャップなどがあるのか、ないのかなどと文章を読んで楽しんでいる。

今回は、空席が三件出来た。一件はサイト閉鎖で、一件は無期限の休止、一件は時限つきの休止である。もう一件は、順調な更新をしていてまたこちらからも楽しみに訪問していて決して疎遠ではないが、お暇な時にでもまたコメント等をお待ちしたい。

今回の更新でその期間、リストアップに相当するコメントを頂いたサイトはリストアップした以外にあと四件あった。しかし、今回は上に書いたように知己の期間の長さから測るサイト運営の安定度や更新頻度を加味して、それらを次回送りとした。年内にでももう一度更新が出来たら良いと思う。

いつもの如く、完全リストとリンクは過去リストに全て保存されている。
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新月に駆けるイタチの夜

2006-10-26 | アウトドーア・環境
烏賊のリースリングソース煮にライスを添えた。食べ過ぎて腹具合が悪く、早めに床についたので、夜中に目が覚める。何時もそうするようにPCをスタートさせて、ネットサーフィンなどをしていると、屋根の上でごそごそと音がする。

屋根裏部屋は、こうした場合遮温の層しかなく、比較的間近に気配を感じる。明らかに鳩やカラスや雉などの大きさではない。今まで感じたことのない気配である。大屋根なので、長尺の本格的な梯子をかける以外に、棟続きの建物を伝わってしか屋根に上がれない。

夜中であるので、作業などもありえず音の主はなんとも想像がつかない。しかし、あまりに音を立てるので、恐る恐る上部の窓を一気に開けて屋根の上に頭を出す。

すると其処に見えたのは、暗闇の屋根瓦の溝を真っ直ぐに上部へと駆け抜けるイタチである。尾は長くふさふさとして、俊敏に屋根の峰へと駆け上る。シルエットが10メートルほど先を素早く走り去る。

イタチと聞くと日本のカマイタチと云う現象を思い出す。イタチは、其々の足に生えた五本の爪が特徴なので、その前足に鎌を履かせた幻のイタチである。冬の寒い時に皮膚が痛みも無く割れる現象などをカマイタチの所為にする。辻斬りの骸をカマイタチにやられたと称するのはご存知銭形平次である。黒部渓谷の泡雪崩で、気圧差からカマイタチ現象が起き首が吹き飛ぶと云うような伝説も聞いている。

先日、近所の戸外に止めているBMWがシュタインマーダーと云うイタチの被害にあった。消音断熱のためのボンネット裏の干渉材を食い千切られた。ホースや電線などに被害は無かったようであるが、被害額は相当な額になったようだ。以前、ガレージに駐車してあった車のエンジンの上に食べ残しの木の実類を見つけたことがある。イタチなどの被害は、保険が効くが、特にBMWはこれらに好まれて被害が多いと云う。これをドイツ語ではマルーダー・シャーデンと呼ぶ。
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精神錯乱狂想の神の座

2006-10-25 | アウトドーア・環境
昨日のFAZ紙社会面から、ヒマラヤ高峰でのドーピング問題の記事を読む。本年五月に最高齢エヴェレスト登頂を果たした鎌倉の荒山孝郎隊員が酸素マスクをしてバンドをへつる大きなカラー写真が紙面を彩る。

八千メートル峰におけるドーピングは、酸素吸入だけの問題ではないらしい。酸素吸入無しに高峰を登ることは四半世紀前までは、医学的にも無謀と思われていた。しかし、ラインホルト・メスナーらの画期的な成果は、第三の極を探検の対象から、観光の対象へと変えた。これらをもってアルピニズムの後最盛期は終わりを告げたとして異論はないであろう。

そして現在でも酸素吸入装置を使った高峰登山は日常茶飯である。しかしこれは、レジャー登山の範疇で各人の判断に任されている訳であり、何よりも高峰に於ける無酸素登山は医学的にも危険なものであり、脳死状態へと向かうような行動であることをだれもが承知している。そのような理由で、八千メートル峰の完全無酸素登山は今でもエリートの領域に属するものであるだろう。

しかし、此処で述べられているのは、覚せい剤に始まる現代的な薬品リストである。そして何よりも不幸な事象で最初に挙がるのは、初の八千メートル峰アンナプルナ初登頂者のフランス隊のラシュナルエルゾークの有名な薬でふらふらになった瀕死の帰還であり、偉大なヘルマン・ブールが使ったナチの特攻隊の有名なペルヴィティンに含まれていたアンフェタミンの覚せいである。確かに後者のあの驚異的な行動は正常ではない。

当時は、軍属のこれらの薬品の使用は常識であって、ドーピングという概念すらなかったのは皮肉である。1967年のツールドフランスにおける死亡事故がドーピングスキャンダルの初めのようである。

その後七十年代になってヒマラヤ登山においても、覚せい剤からディアモックスに人気は移る。眼圧やら脳圧を下げる薬品である。それによって、高山病症状を鎮め順応を容易にする。これはデクサメタソンは副腎皮質ホルモン分泌を促し、デクシドリンという商品名のアンフェタミンを混ぜた三種カクテルがアフガニスタン攻撃の米軍パイロットに使用されたのは記憶に新しい。

最近二十年は更に選択が広がり、ヴィアグラに相当するジルデナフィルが肺の圧を下げ、酸素代謝を好転させて、赤血球誘発のホルモン剤エポなどが高所での治療医薬品として重宝している。

さてこの現象を判断する要素として、ヒマラヤの高峰への登山は一体何であるかと云う根本的な疑問が湧く。少なくとも過去においては、国家の威信を背負った事業であって、先進国は競った。個人も競争のためにドーピングを使ったとなると不正行為と云う事になる。しかし、アルピニズムを競技と呼ぶには異論が多い。現在においてもレジャーヒマラヤ登山は競技とは云えないが、それによって身体障害者やプロスポーツ家などが名声を上げて講演料や著作権料を稼ぐとすれば競争の不正に当たる。

この件について世界アルペン協会UIAAの中でも独墺太利のアルペン協会は指導的な立場を果たしている。フリークライミングの大会での検査は常識となっているようであるが、指導とヒマラヤでのドーピング検査が必要となってきている。ティロル宣言で、「固定ザイル使用の放棄」、「ドーピングのための薬品と酸素吸入の放棄」が確認されている。

エリートクライマーは、アスピリンなどの薬品と共に非常用にこれらの薬品を身に付けているという。不当競争を避けるためにも、また正常なスポーツと健康のためにドーピングは、今後厳しく検査される傾向にある。



参照:
エリート領域の蹂躙 [ テクニック ] / 2006-08-11 05
気質の継承と形式の模倣 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-08-06
中庸な道の歴史 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-08-05
主体を含む環境の相違 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-18
慣れた無意識の運動 [ 雑感 ] / 2006-03-07
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危険な子ウサギ

2006-10-24 | 料理
夕飯に小ウサギを食した。ウサギの中の何種類かをカニンヘンと呼んで区別するが、主に小振りで、耳も短く、後ろ足もそれほど発達していないものを云う。

行動の特徴として、通常のウサギが地面に伏せて危険が去るのを待つのに対して、これは危険に遭遇した時に帰巣本能が働き地面に穿った穴へと戻る。

そのような習性からか、12月の夜中に高速道路で衝突されて、車のラジエターを破壊されたことがある。修理費は、円にして百万を越えていた。不可抗力として保険も下り、タクシー代に相当するお見舞いも自動車クラブから支給された。

週末のことで、月曜にはチューリッヒに朝早く戻るのが大変であった。そこの食堂に出た昼食のメニューは、なんとカニンヘンのクリーム煮であった。

そのとき子ウサギは、ヘッドライトに照らされて躊躇したのであった。中央分離帯へと向かっていたのが、路肩の方へと向きを変えたのであった。そんな図を思い浮かべながら齧り付いた。

しかし帰宅途中と思っていたが、出かける途上であったのかもしれない。この度食したのは、二本の小さな後ろ足がグリルしてあるもので、〆て1ユーロ45で求め、赤キャベツを添えて食した。量は多くはないが、足りないこともなかった。



旧約聖書 箴言 30章 アグルの言葉から

24節 この地上に小さなものが四つある。それは知恵者中の知恵者だ。
25節 蟻の一族は力はないが/夏の間にパンを備える。
26節 岩狸(カニンヘン)の一族は強大ではないが/その住みかを岩壁に構えている。
27節 いなごには王はないが/隊を組んで一斉に出動する。
28節 やもりは手で捕まえられるが/王の宮殿に住んでいる。
29節 足取りの堂々としているものが三つ/堂々と歩くものが四つある。
30節 獣の中の雄、決して退かない獅子



参照:
まだ言論の自由がある? [ BLOG研究 ] / 2006-02-17
ワイン耕作地に積もる雪 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-01-03
考えろ、それから書け [ 音 ] / 2005-12-19
肉食をするなと主張 [ 料理 ] / 2005-09-28
デューラーの兎とボイスの兎 [ 文化一般 ] / 2004-12-03
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檻に吹きこむ隙間風

2006-10-23 | 歴史・時事
先日、十歳のころ強制収容所に収監されていた方の話しを聞いた。日系アメリカ人二世である。第二次世界大戦中に米国で収監された日系人である。

親戚に日系人が居り、その一世は戦時中はやはり収監されていたことを聞き及んでいるので、非常に興味深かった。現在その二世も高齢ながら健在である。本人は、態々旧制中学から戦前の日本の教育を受けたので、収監の経験が無い所謂「帰米」日系人である。

そのような訳で、目の前に収監された日系人がいたのは不思議であった。その実態や歴史的事実に付いては膨大なネット内の資料に譲るが、貴重な肉声だけを記録する。

氏の父親は、日系一世で牧師であったと云う。そして、日本の支配下にあった満州で布教活動していた。故に本人も満州生まれと云う。日本軍の侵攻で戦況が厳しくなってきた時にロスァンジェルスに帰米した。そのとき既に子供ながら、「なんか、嫌な感じ」の周りの白い目を感じたと云う。そうした、市内のユダヤ人などの、現在はラテン系人が、多く住む地区での生活であった。強制収容所に収監されるようになるのは、1942年6月のミッドウェー海戦の大日本帝国海軍の敗戦と云う。

これによって自暴自棄のテロ破壊工作が予期されたとする。しかし、実際に決死隊と称してカミカゼが登場するのはまだ先のことであるようだ。

氏は、十歳の少年であったので、その時の体験を克明に覚えているようだ。思いのほか情動的な記憶であるのを見て驚いた。それでも、「檻の中にいて、下の隙間から風が吹き込んできて…、…外で遊ぶ同じ年頃の子供達を見て、羨ましかった。」という証言だけで、それ以上何を聞く必要があるだろうか。

近年になって初めてなされた合衆国による謝罪による保障を訊ねると、「一人、二万ダラーの保証など、家族揃って投げ返してやった。」と怒りを表していた。

確かに財産の没収などまで含めるととてもではなく、額が合わない。前述した親戚の一世も没収の憂き目にもあったようだが、戦後直ぐに復帰で来たように伝え聞いた覚えがある。その二世の兄弟の弟はそのまま日本に残り退官後も医学畠で生涯を終え、兄の方は医師として戦後直ぐに帰米する。帰米の司法手続きや医師免許の書き換えなどと色々と苦労もあったようだ。現在高齢ながら南カリフォルニアで悠々自適の生活を送っている。2001年9月11日、末息子の嫁の故郷であるコルマーを訪れた際、シュヴァルツヴァルトへと案内した。

日系人の強制収監は、イエローペルと呼ばれる人種問題として扱われることも多いが、それに視点を合わせるとより重要な様相が視界から消えてしまう。上述の証人が以前話していた米442部隊の活躍などは、現在でも同様にイラク・アフガニスタン等で進行形で行われている米軍の行為であって、そこに特異性は見出せない。そしてこの証人は、ベルリン閉鎖の折り、米軍救援隊の軍属として渡欧してドイツに住みつく事になった。氏の云うように米442部隊が第二次世界大戦の末期にヴァイマールのブッヘンヴァルト収容所を解放したことは歴史の奇異な巡り合わせである。



参照:
苔生した貴腐葡萄の苦汁 [ 試飲百景 ] / 2006-10-21
ヒロシマの生き残り [ 暦 ] / 2005-08-06
在京ポーランド系ユダヤ [ 雑感 ] / 2006-10-08
美しい国は何処に? [ 雑感 ] / 2006-10-01
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瞳孔を開いて行間を読む

2006-10-22 | 
ショスタコーヴィッチの交響曲全集を聞きはじめた。ばら売りで十年以上にも長きに渡り発売された物の、初の全集化のようである。よって一部の録音は馴染みであったが、新たに先ず二曲ほど聞いてその全貌が窺えた。

非常に良く出来ているのは、第一番が第十五番とコンピレーションされていて、その後も第二番と第十二番というように前期と後期が直接対照出来るようになっていることであろう。

こうすることで既に聞いていた最後の交響曲が最初の交響曲に照らされて、その実態を示すことになっている。具体的には、この全集の指揮者であるマリス・ヤンソンのブックレットのインタヴューが全てを物語っている。

第五番終楽章に関しての質問で、解釈ではテンポが決定的なものとしながらも、作曲家のメトロノーム指示には正直に従うべきでないことを、最も当時習った重要なこととしている。そしてこれは何処にも書かれていなくて、ただ作曲家と個人的に親しい人から聞き知ることが出来るとしている。

音楽的言語を、感情的示唆に富んでいるがそれにも係わらず抽象的であると主張しているのが大変面白い。指揮者本人の弁ではこれが「全体主義的独裁政権に対する民衆の声」とするが、それはどうだろうか。なぜならば、我々現代人はそこに、「グローバリズムに均一化された芸術」に首まで浸かっている己の影を見るからである。

寧ろ重要なのは音楽というメディアが、ソヴィエト否ロシアにおいて感興によって人から人へと伝播とする基本姿勢である。まさにこれは、音楽分析的な方法によって解き明かされる表現ではなくて、その社会に属する者にしか共感を与えないというような反普遍性に富んだ表現となる。文化のミームと呼ばれるものである。

確かにこの指揮者の演奏解釈は秀逸でこれを実証するようなニュアンス付けやアーティキュレーションは本場物の強みを窺わせて、スコアに示される表情記号をしばしば想起させてくれさえする。

このソヴィエトの交響曲全集を片目の視界に入れながら、考えたのが本年逝去したジョルジュ・リゲティーの作品や作風である。全くソヴィエトとは芸術的に無関係のハンガリー出身のユダヤ人作曲家ではあるが、緊張 ― 痙縮、痙攣、弛緩を伴う症状 ― といった表現概念では妙な関連を見出せる。シュスタコーヴィッチの金切り声の悲鳴などはしばしばグロテスク表現などと見做されるが、後者のそれと比べるまでもなく西欧のグロテスクは計算された制御されたものであり、そこに大きな差異が存在する。

前者の作曲に対して、ソヴィエトでベルクの「ヴォツェック」が当時頻繁に上演されていたことが資料として契機されるが、これやベルクの遺作「ルル」を、スターリン下でスキャンダルとなった「マクベス夫人」などと比較して見るのが良いかもしれない。またリゲティーの、初期成功作のクラスターによる表現に態々触れなくとも、後年の代表作アンチ・アンチオペラ「ル・グラン・マカーブル」に表出する意識下と無意識下間の彩は、前者では感興という表現母体の中に埋没している。前者の手本とする交響曲作家グスタフ・マーラーが、その境を彷徨ったのとは大違いである。

これこそが、上の音楽言語に対する主張の一節の真意である。つまり、「知的分析に耐えるもの」こそが西欧のファーマリズムとして糾弾されなければいけないもので、だから推奨される表現は「弛緩した精神の大地に水が吸い込まれるようなもの」でなければいけないのである。そして、それはこれ以上にないプロレタリアート芸術の翻意であるに違いない。不思議にも最初の交響曲も最後の交響曲もその意味から相似形であると、この全集は証明している。プロレタリアートのためのプロレタリアートによるプロレタリアートの芸術である。

ついでながらザルツブルク音楽祭における「ル・グラン・マカーブル」上演終了後の作曲家の怒りは、スェーデン人の指揮とアメリカ人の演出の痙攣が解放されて弛緩したままのグロテスクに向けられたもので、否定的弁証法どころか意図した二つ目の定義の否定に至らなかったことに向けられていたのであろう。その点から、それは西洋音楽芸術におけるポストモダーンの一大事件であったように思われる。

ショスタコーヴィッチに戻れば、その作品は所謂西欧の普遍性への希求からは甚だ遠く離れ、レーニン・スターリニズムの世界観やその事象自体がこれらの交響曲の内容となっている。それは、社会主義リアリズムの勝利でもなく、民衆の墓碑銘でもなく、ロシア文化を土台としたソヴィエトそのものであるのだろう。

ヤンソンス指揮の全集を更に聞いて行くが、強引な管弦楽団のドライヴ感と分析的な思考を麻痺させるような圧倒感こそが、この指揮者の芸術でもあって、ソヴィエトと一体化した作曲家の実物大の肖像を描く時にこれ以上もないメディアになっている。

インタヴューで語られる「行間を読め」というのは、弛緩した脳でもって、湧きあがる感興に身を任す行為であることを、思い出させてくれる。温泉上がりの瞳孔の開き切ったような脱力感にも匹敵する感興である。
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苔生した貴腐葡萄の苦汁

2006-10-21 | 試飲百景
オランダ人が彷徨っておられました。否、甘口ワインに舌鼓を打っておられたのです。ユーロ札を並べて支払いの準備をされていたのです。試飲は無事済まされた様でありました。

さてこのお二人のオランダ男性の風体は、至極標準的で一人はドイツ人には少ない色の濃いブロンドの御髪の色で、まるであのマキシマ様ご主人、次期オランダ王様のような感じでありました。もう一人は長身で、幾らか年上でグレー交じりの落ち着かれた紳士でありました。

私は決まったワインを取りに行っただけなので、部屋に入るなりご挨拶をしてから窓際で道路を覗きながらワインリストなどを覗いていました。すると、「どうぞお掛け。」と話しかけて来るのでした。少ししますと、その年上の紳士が、「あんたドイツ人か」とか言いました。やっと、喋りたかったことが分かったのです。

この紳士は、日本に興味があるのです。要するにこの紳士は、美智子妃と個人的な友人関係にあると言うことでした。それも、この方のご親族が彼女のオランダ列車旅行中に知り合ったと言うことでした。その後、この紳士の義理のお父様だかがお手紙を認めて、美智子妃から返事を受け取り、東宮御所か吹上御所にお招きに預かったと言うことであります。美智子妃を訪問してからその後、日本へ旅行の度に美智子妃のお茶に呼ばれているらしいのです。

皇室とか言われたので、裕仁天皇ですか、明仁天皇ですかと訊ねたのです。そして、初めて後者と分かったのです。そのオランダの紳士方には言わなかったのですが、以前の仕事のパートナーも明仁・美智子ペアーと東京のテニスクラブでダブルスをしていたことを思い出しました。

オランダのこのご友人が、美智子皇后は素晴らしいお方だと仰せになりますので、それは個人的にお付き合いがあればそれはそうで御座いましょうと受け流しますと、孫の世継ぎが生まれたとかなんとか宣われました。

どうしてもこうした話しの展開になりますと、私の方も親戚の者と裕仁天皇との友人関係に付いて触れない訳にはいけません。もし仮にであります、裕仁天皇の話題を肯定的に捉えれば捉えるほど、またそうした言い回しを使えば使うほど、美智子妃は優しい方だと言うオランダ紳士は複雑な心境になるかもしれないのです。しかし、こちらも悪気があった訳でもありません。ただただ天皇家の永続性をすこし示唆しまして、嘗て近過去におきます天皇の意味したものを想起させて頂いたのです。

オランダ人の日本との交友は、歴史的にもそれはそれは深う御座います。しかし、不幸にも皇軍の刀に首を撥ねられてお亡くなりになったオランダ人捕虜生存者や遺族方は、確か裕仁天皇の1971年欧州訪問時に日の丸をお焼きに遊ばれて抗議行動を展開した記憶が御座います。近頃もオランダ人慰安婦慰謝料請求も出ていたのではないでしょうか。

そうした過去を無視致しまして、全てを、現状肯定するような気配に水を指した結果と相成りましたが、事実は事実ですから仕方がありません。オランダ人のリベラルご信奉は最大限の尊敬に値する素晴らしさと感嘆いたして下ります。しかし、どうもモナヒストのこうしたところがドイツ人にケーゼコップと呼ばれて嘲笑されるのだろうかと穿った見方をしてしまうのでした。

そのオランダ人たちはお二人共、大変甘口のワインをたらふく試飲され、気前良く購入して往かれました。チーズとパンの冷たいお食事に、アウスレーゼの芳醇なワインできっとお心が温まるに違いないのです。今頃、きっと気持ちの良いお部屋で、グラスを傾けながら、酸味の爽快さとその甘みに混ざる幾らかの苦い後味に舌鼓を打って居られるのではないでしょうか。本日は、美智子皇后の72歳のお誕生日ということで御座います。
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貴い葡萄房の作為

2006-10-20 | ワイン
摘み取りの済んだ斜面の一角だけに貴腐葡萄が大切に残されている。もしかすると明日にでも摘みとられるかも知れない。

地面に捨てられた朽ち行く葡萄は発酵して、斜面にそよぐ秋風はいくらか鼻につく腐敗臭を運び、実を奪われた抜け殻のような葡萄の生命力の衰退は一面を覆う。

夏時間でまだ明るい夕方の太陽は、じわじわと傾きかける。色づきはじめた葉々は、老いた緑の葉の間に見え隠れする。

中秋の夕刻。斜面上部から萎びた葡萄の房へと、山城の影は長く尾を引く。








貴腐の生えた葡萄は、密集することなく思い思いに間隔を開けながら枝にぶら下がる。貴い愉悦の営みに耽り、ひっそりと息づき、脈打つ、その房々。あたかも芋虫が草木を巻き込むかのように、細い枝などを張りつける作為的な様相はなんとも面映ゆい。










参照:
貴腐葡萄の収穫モーゼルだより
新月過ぎの葡萄の精 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-10-10
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栗色のザウマーゲン

2006-10-19 | 料理
栗入りのザウマーゲンである。嘗て、栗入りのミニザウマーゲンを紹介したことがあったが、これはフルサイズで回りには皮がついている本物である。

黄色みがかったジャガイモに対し、栗はそれよりも深みのあるまさに栗色をしている。髪の毛の色でもある。

秋の味覚は、なぜか粋な感じがする。春の生気溢れた食材に対して、秋のものは熟成や実りが主になる。
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現実的エネルギー政策

2006-10-18 | アウトドーア・環境
核反応は、武装のためにだけあるものではない、平和利用という選択がある。核分裂の原子力発電利用である。ドイツ連邦共和国は、緑の党が政権党のシュレーダー首相時代に、原子力発電全廃を決めた。2021年までに段階的に火を消して行くのである。そして、来年にはヘッセン州のビブリスA号反応炉停止がカレンダーに書き込まれている。

こうした時点で、操業会社は反応炉使用の延長を申し出た。他の炉への発電移転に代わり更なる運用継続を申し出た。その背景には、現在の政府連立与党のキリスト教民主同盟のグロス経済相が方針の変更と運用の延長の可能性を表明したことがある。

しかし、ガブリエル環境相は基本姿勢の核全廃の固持を主張しており、「同核反応炉は突出して事故が頻発しており延長申し入れは解せない。」としている。いずれにせよ申し出に対し半年の審査期間が必要になるという。

反対に、運用延長可能となると制御棒の注文などをしないといけないとのことで、即判断せよと民主同盟側は要求している。

この状況において、どうも昨今連立政権与党三党間でのギクシャクが目立つが、緑の党の原子力発電廃止のごり押しを 現 実 的 対 応 から覆そうとする戦略がキリスト教民主同盟では働いているように見える。

こうした政治姿勢は、緑の党が将来への基準を設けて技術的進展を期待した政策以上に、まやかしの政策にしか思われない。なぜならば原子力発電に将来性も経済性もないことが知られていてそれを前提としているからである。だから各党ともお荷物である原子力発電の処理に苦慮している。しかし、現時点ではエネルギー政策にこれを避けては通れない。そしてこの場合、現実的対応とは現実的政策とは異なっている。

連立与党社会民主党の今後の対応を注意深くみて行きたい。



参照:
時間当りの変化量の問題 [ アウトドーア・環境 ] / 2007-02-06
風車と冷却塔のある風景 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-14
経済成長神話の要塞 [ 文化一般 ] / 2005-10-13
打ち寄せ、打ち返す漣の様 [ 雑感 ] / 2005-09-07
悪夢の特命潜入員 [雑感] / 2005-09-01
核反応炉、操業停止 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-05-27
デジャブからカタストロフへ [ アウトドーア・環境 ] / 2005-02-19
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