Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2009年10月

2009-10-31 | Weblog-Index



条件付の理念などとは?  2009-10-30 | マスメディア批評 TB0,COM0
甘い燻製鴨の脂身に舌鼓 2009-10-29 | 料理 TB0,COM0
欧州のユダ、ユダヤの欧州 2009-10-28 | 歴史・時事 TB0,COM0
無駄なアイロン掛け仕事 2009-10-27 | 生活 TB0,COM0
ザウワークラウトナイトライフ 2009-10-26 | 暦 TB0,COM5
高級リースリングの質を吟味 2009-10-25 | ワイン TB0,COM0
叔父さまと、小父さまの違い 2009-10-24 | 女 TB0,COM4
難しいのはセレクション 2009-10-23 | 雑感 TB0,COM0
木枯れた城跡でもの想う 2009-10-22 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
色即是空に補われる響き 2009-10-21 | 音 TB0,COM2
来た来た、次ぎの鴨が 2009-10-20 | マスメディア批評 TB0,COM3
殺されかけた夜の夢話 2009-10-19 | 雑感 TB0,COM4
イデオロギーよりアイデア 2009-10-18 | マスメディア批評 TB0,COM0
渋味をもう一度味わうとき 2009-10-17 | 雑感 TB0,COM0
すっきりさせて耳にする 2009-10-16 | 生活 TB0,COM2
裸では流石にたまらない 2009-10-15 | 暦 TB0,COM0
中華料理でも作ろうか 2009-10-14 | ワイン TB0,COM0
わかんねェだろうナ 2009-10-13 | 試飲百景 TB0,COM6
なぜ二大政党制が駄目なのか 2009-10-12 | マスメディア批評 TB0,COM2
醸造所経営を学ぶ一日 2009-10-11 | 料理 TB0,COM0
八割ほどは、本当かな 2009-10-10 | ワイン TB0,COM0
クリック、そして口に運ぶ 2009-10-09 | 生活 TB0,COM2
同じ過ちを繰り返す危険 2009-10-08 | アウトドーア・環境 TB0,COM7
列車から降り損なう憂鬱 2009-10-07 | 暦 TB0,COM2
誉れ高いモンツィンガー 2009-10-06 | マスメディア批評 TB0,COM0
栗とバンビで大丈夫かな 2009-10-05 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
特産品をモーゼルで物色 2009-10-04 | 試飲百景 TB0,COM0
般若心経の響くメリスマ 2009-10-03 | 音 TB0,COM2
凝縮して来ている葡萄 2009-10-02 | 暦 TB0,COM0
多神教の政教分離をみれば 2009-10-01 | マスメディア批評 TB0,COM0
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条件付の理念などとは?

2009-10-30 | マスメディア批評
忙しくて読んでいなかった週前半の新聞や読み忘れた昨週のそれに目を通した。何よりもアジア共同体構想のニュースは重要だろう。

中国が奨めている経済構想はなるほどその利は最も早く稔るだろうが、既に各国間で個別の条約が結ばれている限りどれほどの意味合いがあるのかは分からない。もちろん合衆国を排除してアジア内の覇権を不動のものにしようとする中共の立場は明らかで、インドなどの諸国が警戒するのは当然であろう。

その合衆国の立場を最も気にしていると言われる鳩山首相の構想は、なるほど長期的な構想としてもEUを手本とする限り、自由民主主義における人権や環境が前面に押し出されるのは至極当然なことである。中共のタイへの援助と日本のインドネシア援助で覇権を争うのは良いが、先ず何よりも人権や環境などで中共と朝鮮半島に強い圧力を掛け続けるのが肝要であろう。

もちろんその前に日本国内の環境を整備しなければいけない。報道されるように法務大臣の死刑執行への慎重な姿勢などは評価出来ても、更に無闇に死刑囚を増やさないような抜本的な解決が急がれる。

オーストラリアの折衷的な環太平洋構想は、その意味では現実的かもしれないが、これも中共の考え方と同じように、現状を固定化するのみでなんら将来に好影響を与える施策ではないだろう。段階的に構想を進めていくにしても明確な理念が示されていない限り意味を無さない。

それに大きく関連する問題が、チェコのリスボン条約調印問題であろう。ここ暫らく話題となっていたのがクラウス・チェコ大統領の条約調印問題であり、要するに条件付の条約承認を開催中のブリュッセルの会議で求めるとされている。先週から自らの調印をチェコの最高裁で諮ったりとありとあらゆる方策で政治的に動いていると伝えられて、緑の党などは不信任案を提出するとかの動きがあったようだ。

その条件自体が、少数民族であったドイツへと追い遣られたドイツ系民族への一筆という、人権問題のみならず財産権などの制限に繋がるEU憲章の根幹に関わる問題なのである。メルケル首相が今年になって何度も繰り返したように、「はじめたのは我々である」のは当然であり、戦争責任は紛れもなく、終戦後のチェコ人による強奪や奪略にも時効が成立していると見るのが当然であろう。しかし、こうした根幹に関わる条項に制限をつける事こそが問題なのである。小国とはいえチェコ人はなぜそれほどまでに脅えているのだ?

歴史的な視点で、朝鮮半島や満州の植民地政策を最評価することも ― 日本政府は特殊外国人の参政権を議論する前に、日本の北方領土問題やシベリア抑留などの対ソヴィエト問題同様に、アジアにおいて重要な事は言うまでもない。それに触れずして友愛などの理念は生まれない。



参照:
欧州のユダ、ユダヤの欧州 2009-10-28 | 歴史・時事
安全に保護される人質 2007-07-30 | 歴史・時事
市中で鬩ぐ美術品 2006-08-29 | 文化一般
環境世界的発展史観 2007-10-25 | 歴史・時事
ライカ社のエルンスト二世 2007-03-12 | 雑感
ケーラー連邦大統領の目 2008-01-02 | マスメディア批評
民主党に求められる“人権的・社会的市場経済へチェンジ” (toxandoria の日記)
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甘い燻製鴨の脂身に舌鼓

2009-10-29 | 料理
昨日は腹を空かして帰って来た。出先で全く時間がなかったので飲まず食わずで急いで帰ってきたのである。博物館を出たのが既に二時を過ぎていたので、三時の約束は難しかったが、なんとか三十分遅れで戻ってきた。

抜いた昼食代わりに、急いでパンに挟むものとパンを買って被りついた。横にあったイタリア製の鴨の燻製が気になったのでこれを百グラムほど切ってもらい、夕食にした。

ワインは前日の残りのラインガウのシュタインベルガーが殆どなかったので、蔵を探す。適当なものがなかったが鴨を考えて、1995年産グレーフェンベルクの半甘口シュペートレーゼを開けることにした。ロバート・ヴァイルのそれはアルコールが12.5%もあるので、現在で云えばグランクリュに相当すると思いとっておいたのだ。

コルクは新鮮そのもので、裏側に石が付いていた。液体の色は黄金色までは行かず、香りの噴出しが感じられたので期待が高まる。既に13年以上経っているのだから若干熟成感はあるが、半辛口であるに係わらず香りに違わず残糖感も無く食事に楽しめた。

また鴨の方は、自家製の茸ソースを掛けて食したが、その脂身の甘さがとてもよくとてもデリカテッセンであった。

そのような訳でワインも進む。その結果ベットに付く頃には些か頭に重さが残るような感じて、熟成甘口ワインというのはやはりその飲み口の丸さとは反して、一寸気をつけないといかないものなのかもしれないと微睡んだ。当時結構の価格で購入したリースリングに違いないが、やはり「価格に似合わない質」と酔いから目覚めて再認識するのである。その一方現在醸造されているグランクリュに、これより質の高い熟成の良さを期待させてくれる。
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欧州のユダ、ユダヤの欧州

2009-10-28 | 歴史・時事
はじめてフランクフルトのユダヤ博物館を訪れた。現在開催中のフランクフルト学派の展示を見るためであった。その内容はなかなか簡単に語れないが、フランクフルトへの途上で聞いたラジオの話題から書き始めよう。

合衆国の作家の書いた新しい本が話題になっていると言うのである。それは市民虐殺という観点から広島・長崎を例に挙げて、必ずしもユダヤ人虐殺が特別でないとする意見で、それをソヴィエトや中共等々の虐殺の歴史とも対応させている。要するにユダヤ人やシオニズム団体に言わせると相対化と非難される意見であるが、イデオロギーや政治の束縛を逃れて、どのような視点を確立出来るかと我々は問われているのである。

さてはじめて訪れた旧ロートシルト家住居跡に先代の遺言により1887年に創立された公共図書館跡が市の運営する博物館となっている。市立歌劇場の裏のマイン河を臨む土手に立っている。予想はしていたが入口には飛行場と同じようなチェックがあり、金物をポケットから出さなければいけない。

火曜日の午前中であり殆ど訪れるものはいなかったが、特別展示内容はフランクフルトシューレについて少なくともなんらかの知識がないととても把握出来ない内容であった。ホルクハイマーやアドルノ等を主とした合衆国からの帰国組みがアデナウワー政権での連邦共和国の民主主義の基礎作りをした課程を、1968年革命への下敷きとして当時の貴重な資料を元に思潮やその学術的な指向を描く形で展示してある。

特に興味深いのはマルキズムを基礎とした社会学であるフランクフルト学派の中でのシオニズムへの多様な対応であり、欧州におけるユダヤを研究することで、マルキズムが本来含有するアンチセミティズムの理論的解決に、そこから68年革命を経て更にパレスチナ解放へと進んだ極左思想などが自ずと導かれることだろう。

後の首相となったアデナウワー政権の経済相エアハールトが執った連邦共和国の経済政策とホルクハイム教授の協調や、共産主義から自らが自らを護る自衛軍と市民徴兵の考え方はこの時期に確立されたとされている。その文化的思想的背景には、研究者でもない限り容易に言及出来ないが、常設展示である欧州のユダヤ人、ユダヤの欧州を一望すれば直感的に認識できるかも知れない。

ユダヤと欧州はアドルノの思考そのものに複雑なのであるが、それはトーマス・マンのファウストス博士に描かれている通りである。そしてそれを更に複雑にしているもしくはこの関連で構造を与えているのは、フリーメーソンとユダヤの関係であるかも知れない。フリーメーソンの暗号をあしらい、ダヴィデの星を底にあしらったクリスタルグラスは、まさに万華鏡のようなめくるめく世界そのものである。

オバマ大統領の初訪日は迫っている。広島・長崎への公式訪問は全く予定されていないようだが、「贈与や相続を脱税」しようが金と議論は幾らあっても多過ぎることはないと思わせる社会構造を浮き彫りにする一日であった。なによりもインターコンチネンタルホテルのゲスト駐車料金は高い。

博物館で入場券を買うためにカウンターに行くと、入場料四ユーロの小銭がないかと諭される。五ユーロ紙幣しか持ち合わせていないと思ったからである。「ECカードで払うよ」というと、「それじゃ合わない、せめて20ユーロからでないと」とおばさんに言われる。ECカードには手数料が発生するとは思わないのだが、「(地獄の沙汰も金次第と思いながら)そうですか」と呆れると、後ろの親仁が笑っていた。フランクフルトこそは、金貸しユダヤ人が歴史的に形成した金融都市である。


参照:
石壁よりも堅い「友愛」哲学 2009-09-02 | 文化一般
山羊の競り落とされる日(番外3) 2005-05-21 | 暦
呵責・容赦無い保守主義 2007-11-19 | 文学・思想
難しいのはセレクション 2009-10-23 | 雑感
芸能人の高額報酬を叱責 2007-12-28 | マスメディア批評
68年への総括の道程 2008-02-21 | 歴史・時事
日米両国における新たな暴政の予兆への警告
日本を「ガリバーの逆さま世界」にした「鳩山・民主vs検察・マスゴミ
朝日新聞が騙る鳩山個(故)人献金はそんなに感動的 (toxandoria の日記)
民主主義の概念(2)  兵役の義務 (作雨作晴)
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無駄なアイロン掛け仕事

2009-10-27 | 生活
証明写真を撮りに行った。新たなデジタル化される生体認証写真である。予めどのようなものかは質問していたのが、やはり写して見るとなるほどと思うこともある。

要するに目の位置や骨格がスキャンして、間違いなくその情報がデジタル化されるように写されるので、どうしても顔は大きく写される。だから以前の正面写真のように、雰囲気などはどうでも良いのである。

つまり服装やシルエットが最もその人らしく美しく映るアングルを捉えることが無くなって、全く即物的な映像が要求される。

髪の毛の色合いや目の色や肌の色、唇の色合いなどもしっかりとデジタル化されて検索できるのである。とは言っても裸で行く訳にはいかない。少なくともそれなりの身なりをしていかないと、写真にそれが写る。

最初はディナージャケットの蝶ネクタイと上着で写そうかと思ったが、どうせあまり写らないので、普通のスーツと適当なシャツに棒タイをあしらった。

シャツは普段に着ているものが、まだ首元がしっかりしているので、それの皺を取るために胸元と襟元だけにアイロンを掛けて出かけた。

四枚ほど写してなんとか少々微笑みのものが撮れた。そして出来上がったものを見て、タイより下が全く写っていないのを確認した。一体何のためにアイロン掛けしたことか?
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ザウワークラウトナイトライフ

2009-10-26 | 
夏時間が終わって一時間余分に眠るつもりが二度寝になってしまった。パンを取りに行くと案の定行列であった。しかし取りに行った価値はあった。

そして本日は時が戻ったように暖かくなった。雨も上がり、紅葉が美しい。週明けは懸案の窓拭きも出来ることだろう。

温かい割にやはり午前中は昨夜の湿り気もあって徒っても森を歩く気はしなかった。昼食後午睡をして、夕方はお天気が良かったので、散歩に出かける事にした。紅葉が陽を浴びて美しかったが、少し時刻を遅らせた。

五時、要するに夏時間の六時から一時間程歩けば夜の帳が下りるので、その頃に帰ってこようと思った。結局帰ってきたのは六時を過ぎて真っ暗であった。

ワインの地所は風抜けが考えてあるので、思わぬところに生ぬるい空気が固まったりしていて面白い。終戦後と行った按配の葡萄の木であるが、今年は少し此方も知恵がついて、今こそ来年に備えて根に力を貯めているのだろうかと様子を観察する。

此方も寒くなって、否日照時間が短くなって虚弱感を感じる日々を過ごしている。今朝など二度目から眼が覚めた時はお腹がぺこぺこでなにか悪い病気でやせ細っているのではないかと思ったほどである。そして今少し歩いただけでもやはり体調が違う。普通なら出遅れるところだったが、夏時間が終って一時間得したその時間で歩いたことになる。なにも夜中に時計が一時間戻されるときとは限らない。夕方になってはじめて得したのである。

今晩はザウワークラウトを食べる。食事にリースリングを楽しむ。ある岩登りの仲間はカジノ通いするらしい。夏時間は夜を戸外で楽しんだ。それが終ってナイトライフがタップリ楽しめるようになる。
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高級リースリングの質を吟味

2009-10-25 | ワイン
昨晩はヘッセン州のエルステスゲヴェックス検査に落とされたバイケンの残りを飲んだ。前日のこれほど美味いリースリングはないと思わせるそれは一気に消え伏せていた。審査において24時間時間をおくことはないだろうが、強制的にエアーリングをデキャンタでさせて試飲するのだろう。要するに初日のバイケンの開いたような時点を本当に開いたと勘違いすれば、二日目のそれは酸化し易い還元醸造法のそれとなるに違いない。それが不合格となった理由と納得できた。

しかし、バイケンがエアーリングぐらいで一挙に開くワインならば愛好者などがいる筈がない。そもそもエアーリングで強制的に開くことが出来るグランクリュなどしかるべき期間を寝かして飲む価値も無いのである。フォルストのペッヒシュタインもその通りであり、ミッテルハールト地方のグランクリュでそんなものがあれば眉唾物である。そこにヘッセンのエルステス・ゲヴェックスとプファルツのVDPグローセス・ゲヴェックスのレヴェルの違いが存在するのだ。

その二日目の落ち方も、安物ワインによくある残糖感が目立ち可笑しな香りが漂ってくる腐りやジュースのように気が抜けてしまうそれと、只単に香りや華やかさが去って液体の中に塊となって華が閉じてしまうバイケンのそれとの差は甚だしい。わかんねェだろうナ!

ドイツで有名なグルメ誌ファインシュメッカーがミュンヘンの最高級ホテルバイエリッシャーホーフで2009年リースリング杯の授賞式パーティーを開くと案内状が来た。本年度の受賞五十醸造所が集い、立食パーティーが開かれるそうな。その参加者の顔ぶれを見れば所謂ドイツ高級リースリング醸造所の面々が出席しているのが一目瞭然である。日本の情報通の方にはいちいち挙げる必要もないだろう。

それでも気になるのが、バーデン地方のデュルバッハのそれなどは良いとしても全部でバーデンが七軒で水準以上の数がそこに含めれていることだろう。カイザースシュテュール周辺でそれほど良いリースリングはない筈なのだ。ザールから三軒、ルーヴァーから二軒、甘口のモーゼルから十二軒、ナーヘから四軒となっている。それに比較して、ラインガウの五軒は多いと見るか少ないと見るか?プファルツでは、ミッテルハールト四軒、それ以外で四軒は2008年の出来としては十分だろうか。フランケンから三軒も、ミッテルラインから二軒も妥当であろう。ヴュルテンブルク一軒、アールから一軒などというのもリースリングとは関係ないのではないか。ラインヘッセン三軒も許容出来るだろうか。

五百人のゲストが集いバンドをいれて夜中までパーティーは続けられるという。こうして案内を受けた醸造所の顧客は安くパーティー券が買える。ワイン栽培地から遠く離れたミュンヘンに住んでいれば冬のパーティーとして楽しいのかも知れないが、我々がミュンヘンまで泊まりに行く価値はないだろう。もちろん11月の初スキーを兼ねてと言うならば分からなくもないが。

そして今、2006年産ダイデスハイマー・ランゲンモルゲンの最後の一本を開けた。夕食に合わせて、少し熟成したものが飲みたかったのだが、早熟の2006年産にしてもグランクリュを開けるにはそれなりのいい訳が必要だ。それならばとピルュミエクリュに白羽の矢がたった。開けて大成功であった。試飲以降飲み惜しんで飲み頃を逃がし通しだったが、六本目にしてやっと追い付いた。

色は可也強くなっていて、完全に熟成段階に入っていることは視認出来た。案の定例の白檀香の甘露味の苦味が消えて、マスクメロンやら黄桃の味そして黒砂糖の虎屋の羊羹の味に変わっている。これならば女性にも奨められる。そして不思議なことにあれだけ低かった重心が高くなって、活き活きとして来ているのである。これは美味い。夕食は予定通り栗入りのザウマーゲンだ。2006年産はこれで無くなったが、2007年産は二本残っている。これだけで少し幸せな気分になれるのが嬉しい。



参照:
わかんねェだろうナ 2009-10-13 | 試飲百景
待てば甘露の日和あり 2008-08-19 | ワイン
森の泉の渋味の世界 2008-05-19 | ワイン
画竜点睛を欠かさない充実 2009-03-06 | 試飲百景
お好み詰め合わせのGC 2009-05-21 | ワイン
盛夏過ぎて、調子を落とす 2009-08-18 | 料理
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叔父さまと、小父さまの違い

2009-10-24 | 
「全国の女子高校生のみなさーん」とかアニメ「ヤッターマン」で叫んでいたのを思い出す。女ならず先日の会合にやって来た女子高生のお話である。日本のそれも沖縄で高校二年生と三年生を過ごしたというのだ。それでいながら「私は本当は寒い所がいいんです」というのを耳にして笑ってしまった。さらに学校では、体育科と進学科と人文科があって、人文科に通っていたと言うのである。

ここで紹介したことのある「ねこまんま」少女も面白かったが、それ以上に弾けているお嬢さんだった。日本への交換留学は、今や合衆国での危険性を避けたい少女には必ずしも可笑しな行き先では無くなったようである。もちろんその影には漫画の影響があると認めていた。実際彼女も十年ほど前にはドイツで出版されている漫画本を全て集めていたというが、今は集められる量ではなくなっていると語っていた。

そして出て来る言葉やピンクやらその手合い色合いの秘密のノートブックには、東方神起のプロマイドやらサインやらがべったりと貼り付けられているようだった。そういうのを見ると我々は何か背中がむずむずするのだが、もちろんのこと、小父さんの関心は、「制服はどうしたの?」である。

もちろん私はオタクではないのだが、前にも同じような質問をした親仁がいたので私もして見たのだ。「今も持ってるよ」、そして「写真持ってる」というので楽しみにしていたら、「今度持ってくる」と梳かされてしまった。

それでも学年毎に変わるリボンの色が違って、「赤が、買い足したかったほど欲しかった」というのがまた良かった。此方はそれ以上に思考が進まなかったが、上級生のそれを貰うというのは女子校でないとないのだろうか?なにか、可笑しな案倍のお話になってきた。

靴下はなんでも良いとか、「私はドイツ人だからミニにして足は見せなかったけど」とか、それでも「胸元は良いでしょう」といわれると「良い生徒だったから、チョンと胸元を締めていたよ」とこれまた弾けているのだ。

言葉の問題で、「小父さま」とか呼べるかどうかがこれまた長くドイツにいる日本人女性と話題となっていたが、「小父さま」って今時援助交際やらの呼び方ではないかと思ったがどうなのだろう。その辺りの言葉のニュアンスは全く分からない。

「僕は小父さまではありません」とは、はっきりいっておいたが、今も敢えて学年を繰り返してマンハイムのギムナジウムに通っている正真正銘の女子高生からすると、もしかすると小父さまかもと心配になるのである。
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難しいのはセレクション

2009-10-23 | 雑感
世界中共通の今最も熱い話題は新型インフルエンザのワクチンの接種問題であろう。特に限りがある数の中から誰に何を接種するかである。それ以前には有料か無料か、保険内か外が囁かれていた。既に病院関係者や非常事態対策の面々が優先権を得られていたが、そこに政治家が加わるのかどうかの判断が議論されたようだ。

結局危機管理総本部長であるメルケル首相も通常の順序で接種を受けて、効果のある方の接種はそれが効かなかった場合に限られるという。ドイツ連邦共和国はセレクションに関しては特に厳しい議論がさされるのは歴史的教訓から当然であろう。

もちろん一般市民においても任意で接種が受けられるのだが、効果のある方かない方かを選択する余裕はないという。要するに効果があるということは副作用が強く、子宮ガンなどの危険性が既に分かっており、強い副作用で限られた率で死亡者も出るといわれている。

そこで議論となるのが、未だ本格的になっていないエピデミーで死者が出る率と接種で死者が出る率の比較など、本来はセレクション以上に複雑な倫理がそこで議論されないといけないことになるようだ。

連邦共和国の一般市民の多数は接種に対して慎重な態度を示しているようだが、いざ周りで死者が続出するとパニックになる事は見えている。またどこの国も、合衆国のように化学攻撃を受けたときのための大掛かりなワクチン製造施設などがないのが一般的である。

こうした難しい判断をして接種をしても実際にその頃には新型インフルエンザの危機から脱しているだろうとするのが専門家の観方である。そして最も効果的なエピデミー防止策は手を洗うということらしい。

余談であるが、連邦共和国の徴兵期間が九か月から六か月に短縮されるらしい。最初の三か月が基礎訓練で、二か月が特殊訓練、最後の一月が専門分野での訓練となるようだ。国防費というのも実は危機が起こらなければ無駄でしかない代物なのである。さもなければそれは市民が自らで自衛するイデオロギーでしかない。
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木枯れた城跡でもの想う

2009-10-22 | アウトドーア・環境
いつもの石切り場の上の城跡に立った。色付く林を登山道から二三メートル入らないと分からない。

この辺りにはローマ人より前にケルト人が掘った石切り場も存在する。このような場所に十世紀にもなって山城を建てたこと自体が不思議なのである。

石切り場の岩肌が城砦となったことは分かるのだが、それほど戦略的に重要だとは思われない辺鄙な場所である。
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色即是空に補われる響き

2009-10-21 | 
今シーズンはじめてフランクフルトに出向いた。日曜日の夜なので大変入りが悪かったが、それはなにもヴェーベルンの曲がゴルトベルク変奏曲と同時に演奏されるおかしなプログラムだけに責任があったのではなかろう。おそらく演奏家の技術的力量が周知されていたからもしくは周知されていなかったからとなる。要するに技術的にはレベルすれすれの弦楽合奏団とも出来る。それでも最終的にはとてもためになり満足させられた会であった事は間違いない。

アンサンブル・レゾナンツはハンブルクを本拠に定期演奏会を開いているらしい。ある若い指揮者からそこでの演奏会の話を聞いた覚えがあるが、指揮者無しの弦楽アンサンブルとしては決して特別上手くはないのである。今メンバー表を見ると演奏中に気になった女性は十五年前ほどに一度係わりがあった人で驚いた。その先生の演奏まで思い出した。しかしそれはここでは全く重要ではない。

ヴェーベルンは、四部に分けられたゴールトベルクの第一部に続いて、「弦楽四重奏のための五楽章」の弦楽オーケストラ版が演奏されて、第二部に続いて弦楽四重奏曲作品28、そして第三部に続いて再び五楽章が弦楽オーケストラで再演された。

弦楽四重曲自体があまりに音システムとして出来過ぎてしまっている曲であり、ある意味なすすべがないのだが、それを中途半端に四人で「カルテットして」も駄目なのである。しかし、五楽章は今回改めて名曲であることを認識させられた。やはり、一般的に調性音楽のあとにこうした無調曲が演奏される場合、げっそりした色褪せて響かない音楽でしかないのだが、それをちょっとしたトリックでそうはさせないのは大変お見事であった。それはプログラムであり、こうしたバッハの編曲に対しての演奏法でもあるだろう。そしてそれがポリフォニーやハーモニーといった一義的なものではないことは確かなのである。

逆にそれはバッハでの「フーガの技法」のようでもあり、弦楽四重奏ではなかなか表現し難い音の重なりが、些か音程やアーティクレーション上の配慮が寧ろラフで制御が音楽的にあまり定まらない指揮者無しのアンサンブルの結果として響くのが面白いのである。

それは、バッハにおいての声部が左右のヴァイオリン群で応答する面白味のみならず、内声部などが音色の違いで浮き上がりまたそれを追える面白さは、例えばピアノフォルテでこの曲が弾かれる時の「強調された響き」に取って代わるだけの芸術の音化に他ならない。

もちろん同質の楽器で二度のぶつかりがあったリ闘争があったり、掛け合ったりする面白さは、― 通奏低音の響きとは全く異なり ― 対位法的に如何にも薄い低音の下支えをもしくは四度における「薄まった共鳴」を補うだけの効果があるのだ。要するにそれはヴェーベルンでの節約により脳で補わせるような和声や対位法の扱いと丁度反対方向からのアプローチともなるだろう。バッハの三部のあとで再び演奏されたこのヴェーベルンの初期の作品が今やバッハの曲以上にその形式感と共に「耳で補える作品」であることを、少なくともこうした西洋音楽の会に頻繁に通っている音楽愛好家ならば聞き逃すことはあるまい。

今でも音楽高等学校などというところに通うと、対位法の穴埋め問題などが出るようだが、まさに通奏低音の無駄な装飾を省いて、調性の間接部分だけを残してやればこうした音楽体験になるのだ。そしてこうした補われる音楽に一水四見の唯識をそわせてみれば、演奏実践とそれが齎す行為や響きという物理現象自体に意味を見出すことになるだろう。
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来た来た、次ぎの鴨が

2009-10-20 | マスメディア批評
TVシリーズ「ヴァインラント」の第三回放送を短く振り返っておく。出先で立ち話をしながら見ていたので情報をメモ出来なかったが、番組自体がこの回は若干希薄な印象を受けた。それはなぜなのか?

番組はモーゼルの上流から下流へ向う方向で始る。最初の訪問地は伝統的なブドウ栽培としてリースリングではなくエルプリングをワインにするニッテルの農家である。何か顔に見覚えがあるのでもしかすると可也昔訪ねた事があるかも知れない。この始まりからして、その葡萄の種の弱い個性の如くどうしても番組の印象が弱くなるのは致し方ない。

次に登場していたのがリースリングを営むチリケンさんである。BLOGにて噂などを聞いていたが想像以上に普通の甘口ワインやゼクトを営む醸造所であり、番組での印象は確かその常時摂氏10℃に保たれている9メートル地下のセラー以上には殆どなかった。

その次に甘口王エゴン・ミュラーが映し出される。作業やけならず旅行やけのような顔色が、その営業姿勢を上手く反映している。川面を遠く見下ろすワイン地所は昨今の温暖化で利を得ているのだが、必ずしも恵まれた地所ではないが繊細なワインが出来ることを ― もちろん12月まで収穫を待つという ― 素直に喜んでいる様子が川面を背景とした面長のシルエットが、なんともよい斜面の上からのカメラアングルなのだ。リースリングに専念して現在の体制を築いたのは最近であることから逆に四世とかなんとか名乗るのに滑稽味が描かれていて、プロデューサーの微妙な視線がここに見て取れた。

それに比べるとフォン・シューベルト氏はジープに載る姿などで、カメラ視線で下から舐められる。如何にも氏の横柄な雰囲気をそのまま伝える。そして氏がその地所で語るルーヴァーの地所のモーゼルともザールとも異なる特殊性はまさに先日体験して来たばかりである。相対的にもう少し映す場所があったかと思うのだがそれをしなかったのは、フォン・シューベルト氏が合衆国から帰ってきて、更に明くる日は個人客への割引率などをチェックしている忙しさによるのだろうか?私は彼のことを「実業家タイプ」だとプロデューサにいったが、彼は「それだけではないもう一寸」といっていた意味がこの辺りに隠されているようだ。

さて中部モーゼルへ下る前に懐古主義の醸造所クリュースラートが紹介される。期待していた先代の親仁ではなく既に嫁に行った娘がその地所アポテケなどを語る。嫁入り先などを考慮するとその真意がなかなか読み取れないのだが、貴腐ワインから先に片付けてしまうような摘み取りセレクションの方法や平野部にあるその地所などは逆に一種の総合マネージメント上の手練手管を感じさせるのである。なかなか手に負えない農家であることが見て取れる。

そのような平地を見せておきながらブレームにあるフランツェン家のカルモンの斜面には度肝を抜かされる。最高70度の傾斜となれば完全にロッククライミングの領域である。リフトなどの完備ではじめて作業が出来るといっても殆ど高層ビルの窓拭きのような負担の掛かる労働に違いない。

トラーベン・トラバッハのマルティン・ミューレンが新たな地所を手に入れたからといっても、モーゼルはその労働効率の悪さから三分の一の地所が消滅するとされている現実は変わらない。だから12月までどころか葡萄が真っ黒になるまで収穫せずに糖比重を糊代にする兵までまで現われるのだ。

中部モーゼルのヴェーレンの地所「日時計」では新世代のプリュム家の娘が、その親父さんと登場する。先日伺ったお母さんの話より更に進んでいるのは、世代交代を意識してか葡萄地所でのエコに配慮した言動だろうか。少しづつ進化して行くべきとする歴史観は流石に法学の徒だけのことはあろう。目許がお母さんに似ている。親父さんもお宅の居間で娘さんとすまして英国人のようにワインを燻らしている姿が面白い。

下流で登場するのは見るからにおかしな連中である。なにも本当は今回も登場したかったであろうドクター・ローゼンだけでは無いのである。クレメンス・ブッシュのグラウシーファーなどの土壌と甘口リースリングなどよりも、最後のレーヴェンシュタイン氏はもっともいってしまっていた。なるほどモーゼルの谷の潜んでいようが、世界に通じている訳で、「ここに俺あり」と世界中に甘いワインを供給しているのだ。

番組紹介にあった静かなモーゼルどころか形振り構わずに外貨を稼ぐモーゼルの躁な表情がこの番組の裏側にひしめきあっているような放送表現内容であった。途中映された昨年度のモーゼルワインのオークション風景にはシナ人がしっかりと映し出される。そこに「来た来た、次ぎの鴨が」との幻聴を聞く私がおかしいのだろうか?



参照:
八割ほどは、本当かな 2009-10-10 | ワイン
誉れ高いモンツィンガー 2009-10-06 | マスメディア批評
Weinland: Mosel (SWR RP)
葡萄畑の番人 (モーゼルだより)
農業に関する、二つのリンク。 (ザ大衆食つまみぐい)
コメント (3)
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殺されかけた夜の夢話

2009-10-19 | 雑感
殺されかける夢を見た。はじめてのことである。潜在的な死への恐怖が夢の主題となることは多いが、大抵はそこで魘されて眼が醒めていた筈だ。

自室で一人就寝していると、トラブルに巻き込まれたのである。具体的な事例であるから詳細は省くが、その原因や成り行きは理解可能で尚且つ殺意が自分に向けられるのも理不尽ながらもなんとなく理解出来るのである。

その危害の掛け方が独特で、今まで見たり聞いたりしたことが殆どない。しかしなんらかの幼少の体験に基づいているようだ。

加害者は、此方が横になって怒ってなにかを訴えている口元を目指して鋭く重量のあるナイフを鉛直方向に落下させる。そしてそれを避ける術も無く、痛さも苦痛も無く鋭い刃先が口中の舌の右裏側へと刺さる。まるでダーツのように突き刺さるのである。出血も考えずに思わずそれを抜いて、ナイフを弾き飛ばす。

此方はベットから飛び上がり、飛ばされたナイフをドアの下に見つけ拾おうとする。一瞬それを加害者の胸に突き刺そうかとも思うが押し留まり、ナイフを足で蹴り飛ばす。仕返しとされたり、正当防衛で争そう可能性を防ぎたかったからである。

そして組んで解れずを繰り返しながらも、助けと救急を求めに人の居るべき方へと流れ込む。口中には血が溢れ出し、その出血量で意識が薄れるのを感じながら眼が覚めた。時計を見ると夜中の三時であった。

ユングの夢判断の世界のようでいて、ベルイマンの映画も想像させる。そのような夜であった。
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イデオロギーよりアイデア

2009-10-18 | マスメディア批評
本日のネットニュースで高速道路無料化に支持が少ないとあった。観覧しているBLOGでも同じような否定的な意見をよく見かける。昔から無料化はその公共道路使用の原則として日本でも囁かれていたものだ。

公約やその他の内容は知らないが、高速道路無料化以前に日本は道路網の絶対量が足りないことは確かであり、無料化すれば渋滞するというのはよく理解出来る。パリやロンドンへと流れ込み四方八方へと延びる高速道路の渋滞を見れば、有料無料とは殆ど関係ない一極集中の社会基盤の問題である事が理解出来る。

その点において、ヒットラーの掲げた道路網整備だけでなく、全無料である連邦制のドイツ共和国のそれの秀逸さが一掃際立つのである。それはなにも道路網の整備のみならず学校の休暇期間の週ごとの不一致などによって、必ずしも速度無制限ならずとも高速の移動を可能にしている優位さは揺るがない。そこまでやってこその道路行政となる。

その反面高速走行は中速走行以上の排ガスや道路の消耗を齎すことは周知の事実であるが、メルケル首相も一貫して速度制限と有料化には一線を隔している。その背景には、自動車産業支援と同時に輸送や産業の過疎化を避ける重要な経済対策としての道路網の整備があるからだ。

ドイツのエネルギー政策が袋小路から抜け出すと題したFAZの社説が目を引いた。今回の政権交代で原子力発電政策が大きく代わったかというとそうではないと言うのである。つまり、大連立時に既に緑と赤連立時代のその政策は終っていて、32年先の完全停止の延長を現実的と考えていて、一時的な放射能性廃棄物基地ゴールレーベンの必要性は連立解除まで隠されて公表されていなかったという。要するに社会主義者は、政策上原子力発電の廃止を謳っていたとなる。そうしたことからSPDが野党に転落してはじめて本格的に新たな代替エネルギー策や核政策が可能となったとしている。そしてロシアは、シベリアへと核廃棄物を集めると発表した。

車でのラジオ放送は緑の党の今後を伝える。基本的には如何に国民の教育程度が高まるかによるのであるが、左派党などが展開するポピュリズムを克服して、イデオロギーよりもイデー(アイデア)の政党へと脱皮することにある。

社会主義者と緑の党が立法化した失業者への法制HARZIVが、現在進行中のキリスト教民主社会同盟と自由党における連立交渉で見直されて、より弱者に優しく改正されるらしい。国民政党SPDは、戦後の経済成長過程にあった西側の連邦共和国にて労働者や学生の物質的利権やイデオロギーを代弁する政党でしかなかったようにしか見えなくなって来ている。
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渋味をもう一度味わうとき

2009-10-17 | 雑感
銀行に立ち寄るついでに八百屋へ向った。交差店の左折ゾーンで黄色になって先頭で待っていた。青信号になって何気なく左折すると中央分離帯から手前の逆進の左折ゾーンに入ってしまった。正面には車がなかったのでつい入ってしまったのである。日本に滞在中考え事をしていて、後ろにパトカーが入ってきたので、押されるように信号無視をした事もある。

相変わらずヒータを効かせているが、野菜を煮込みたくなった。昨夜でオーメドックを飲み終えたので今日は白ワインである。クリームとかトマト風味とかは今日はご免だ。先月上手く出来上がった和風煮物にする。嘗てはご多分に漏れず野菜などが美味いとは思わなかった。しかし今白ワインそれも高級リースリングを味わうようになってから、その手の甘みや旨味に敏感になった。

大根やジャガイモ、ナスに卵とおでん風なのだがずっと味を押さえて、出汁を楽しみたいのである。モーゼルの2001年ものの辛口リースリングを選択したが、元々が早飲みワインで弱いアルコールなので全く期待していない。かといって、料理に既に醤油を落とした事であり、それほど良いものは無用である。

さて、そのリースリングをこれを書きながら開けてみる。アルコール10.5%のブラウネベルガーユッファー・キャビネットである。コルクもまだしっかりしていて思いがけず香りも漂う。流石に新鮮な時はあれほど素晴らしかった2001年産である。隠れていたスレートの味が酸によく効いている。それでもあの時の美味さは二度と味わえない。保存の効く偉大なワインなどは数限られる、時も限られる、美味い時に飲むべし。

未練がましく置いていたのだが、これはこれで開けて良かった。少なくともそのように思えるのがよいのだ。そしてどこか地元の地所ペッヒシュタインのそれに共通するこの渋味は、2001年の葡萄の生育に起因するのだろうか?
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