Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ああ無常の心の距離感

2020-08-04 | 
日曜日のザルツブルクからの中継はセンセーショナルだった。まだ批評は出揃ってはいないが、コロナによって急遽企画されて情景に適うように企画された新制作「コジファンテュッテ」のネットのみでの生中継だった。最初から独仏共同局arteが生中継を行いそのテロップがバイヤー監督制作映像となれば期待が膨らんだ。

先ずは公演前録画の指揮者ヨアンナ・マルヴィッツと演出クリストフ・ロイ揃ってのインタヴューがあって、休憩無しに終えるための削除などの作業についての話しがあり、マルヴィッツがザルツブルク史上女性初のオペラ指揮者であることの意味への質問に「初めてというのが驚くぐらいで、男でも女でも全く関係無い」と言い放ったのはとても歯切れが良かった。まだ発表されていないが、マルヴィッツ以外にはバイロイト初の女性指揮者はいないと信じる者にとっては当然の反応だった。

いづれにしても二回ほどのフランクフルトでの指揮を観聴きして少なくとも劇場指揮者としてはマルヴィッツ以前にはこの程度の女流指揮者はいなかったと感じた。だからある程度事情通としては、コロナ以前の元々の「魔笛」でのデビューも決してしくじることはなく、縮小されたプログラムでも出てくるとは思っていた。しかし思いがけずにオペラブッファとなってどのような指揮をするのかあまり想像がつかなかった。

そして、登場して態々エルボーバムプをしているのを見て、中々の余裕の表情を見せていたので驚いていたが、想定以上に序曲から明確なアクセントをつけて来て、更に企画からかピアノをレチタティ―ヴォ伴奏に入れるように編成も大劇場に合わせて比較的大きいのに拘わらずの軽妙さと新鮮さは久しく聴くことが無かったものだ。多くの人が1970年のカール・ベーム博士の歴史的な演奏を思い浮かべたようでその演奏時間差が語られている。今回の短縮で六曲が削減されたのにも拘らず2時間17分、ベーム指揮28分より少し短いだけだった。

小劇場の方ではツァグロセク指揮でも同曲を体験したが、到底今回の演奏に比較出来るものでもなかった。今回のその音楽的な成果はヴィーナーフィルハーモニカーにここまで立派なモーツァルトを奏させた事にもあるが、そもそもマルヴィッツも今までの経歴からしてもこんなに上等の管弦楽団を振ったのは初めてだと思う。アーティキュレションも明晰にこんなに精緻な音楽を殆どウェットを交えながらの=表情豊かに振れたのだと思った。そしてアーノンクール時代を通じてこの座付管弦楽団はこのような演奏は出来ていなかった。

総じて今回の企画の「若い風を吹かせる」コンセプトは大成功したと思う。歌手陣も素晴らしく、特にベルリンで人気のフランコデンマーク人の二十代のエルサ・ドライシークは理想のフィデオリージとされて最大の発見とされている。そしてロイの演出もとても良かった。ドンアルフォンソを歌ったフランクフルトのクレンツレはよく分かっていると語っていたが、なるほどフランクフルトの市立劇場に似合いそうなミニマリストの演出だ。しかし何といってもマルヴィッツの指揮は、素肌感覚のセンシティーヴなモーツァルトの音楽を引き出していて、内田光子のそれに通じるようなとても細やかな心の綾を描いていた。まさしくこれがベーム博士のそれを乗り越えているモーツァルトの演奏実践で天晴れというしかない。まさか生放送でこのような稀有なモーツァルト体験が叶うとは思ってもいなかった。

舞台上で繰り広げられる劇が馬鹿しい人形劇のような登場人物のロールプレーに終わらず、そのソーシャルディスタンシングな関係性を普遍的で且つとてもセンシティーヴな心の綾を伝える舞台としたとても稀な例だったと思う。ザルツブルク音楽祭百周年にしてエポックメーキングな公演だった。

期待した通りその映像のカメラワークと半数の空席のある大劇場の残響感が飛翔の空間を再生していて、これまた見事だった。公演後の舞台の表裏では成功の歓喜に沸き返っていたというが、ライヴでも同じように響いたものと想像する。放送の方では早めに切って、9歳から指揮者と幼馴染のピアニストのレヴィットが出て来て祝福と同時に自身のリサイタルとその放送の前宣をしていた。



参照:
へそ出しもビキニも 2020-08-03 | 女
二本立ての一本目 2019-12-17 | 女
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へそ出しもビキニも

2020-08-03 | 
楽劇「エレクトラ」を観た。最初は放送を聴いていたが映像が始まったのでそちらに写った。カメラアングルが生放送であり浴槽やシャワーから離れて歌手をアップしたりするので全体像は浮かばなかった。バイエルンの放送局のノイホッフ氏などの感想でも全体像は分からなかった。演出に関しては、更に横に広い舞台でどのような解決法をしているかも分からなかった。先に出ていた写真とは異なって、上手でのソロが多く、中心線も上手寄りになっていた。それどころか合唱も右の壁のくぼみに配置されていた。
Elektra 2020 · Trailer


管弦楽団は120人超えでギッシリと入っていた。よかったのはヴェルサーメストの指揮で、これは中々の聴きものになった。ヴィーナーフィルハーモニカーを上手く振っていて、嘗てのベーム指揮の録音などよりもよい。但し、劇が佳境となってくるとやはり平素の慣れが出て来ていたのだが、放送が無くともウニテルの映像化もあるので、もう少し細かなところも直して行って欲しい。放送局では「サロメ」よりも良くなっていると評する

まあ、しかし何といってもお待ちかねのアスミク・グリゴーリアンの歌が良かった。三人で主役一人とあるが、演出上も前宣ではあまりにも主役を売り込む動きだけがあったが、三年前の泥鰌は到底無理でもせめてと思ったのだろう。

なるほど今までのエレクトラからすればアウスリーネ・シュテュンディーテの歌は抒情的でもあり、小柄故に舞台ではサロメ風の娘風に演じているのだろう。流石に最初は頑なっていて音がもう一つ決まらなかったが、総体的には目されたとおりの仕事をしたのかもしれない。しかし、やはりシュトラウスのドイツ語の歌が全く歌えていないので、準備を一年かけても難しいのだろう。

母親役のバウムガルトナーはフランクフルトで歌っているだけにその点はドイツ語歌唱は立派でよく聴き取れた。反対に声は仕方がないとして音楽表現としてはこうした大舞台では物足りない。フランクフルトぐらいの入れ物なら全く問題ないと思われる。

そして肝心のグリゴーリアンの歌であるが、バイロイトでのデビューを控えているだけに集中的に学んでいることが窺われた。インタヴューぐらいはドイツ語で通せるようになるのではなかろうか。よってサロメの時よりも音楽的にも自然であり、昨年のミラノでのマリエッタとは大分異なる。指揮者がいいからには違いないが、それだけでは解決しないようだ。

またしてもへそ出しからビキニにまで想定通り脱いでいたが、へそ出しもビキニも本人の希望であるとしか思えない。歌う時に横隔膜の動きが最早見世物になっているのだが、やはり自由になって歌いやすいに違いない。しかしこうした頂点の人がそこまでするとなると舞台衣装など要らなくなる。なるほどグリゴーリアンはサロメの時は裸であったし、フランクフルトのマノンレスコーもビキニとへそ出しだった。その他にもYouTubeを見れば幾らでも臍だしが出てくる。私などは父親の遺伝で腹を出したり冷たいもので直ぐに腹具合が悪くなる。

そして演出が上の三人の配役を上手に活かしているもので、これが何よりもよかった。矢張り生で舞台の全体像も把握しないと評価できないと思う。その点では商品化される映像は兎も角、演出自体もライヴで吟味したいと思う。



参照:
四苦八苦している内実 2020-07-17 | 雑感
初アスミク・グリゴーリアン 2019-10-11 | 女
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その時は未知の人だった

2020-07-05 | 
朝一番で走った。天気は良かったので森の一部は寒々していた。しかし二十メートルも進むと蒸し暑さもあり、陽射しがあって空気が淀んでいた。車外温度は12.5度だったので、冷えているところは10度に近かったと思う。午後は温度が上がって26度だから、その温度差は大きい。

週明けの床屋の予約が取れていなかったならば憂鬱だったかもしれないが、サマーカットすればどんと来いという感じだ。髪の毛が短くなると衛生的にも良い。

歯のブリッジを入れて暫く歯間ブラシを切らしていたら炎症を起こした。それを治していくのにそれ以上に時間が掛かかる。歯を抜いたところの顎の骨が合わせてくるのには半年ぐらい掛かるらしいが、歯茎も時間が掛かるのだろう。歯科衛生士さんに最初からその隙間の事を話していたので思いっきり指で潰された。その後遺症も何週間もあった。だから歯茎が確りしてくるまではどうしてもバクテリアが溜まりやすいのだろう。当分は歯間ブラシを手放せない。

医療保険は契約通り半分を支払ってきた。これは助かる。その額で眼鏡を作れるだろう。但し濃密接触になるので考えものだ。少なくともマスクなどをしている限りは小売り経済は簡単に戻らないだろう。

ネット放送を見ていたら、東京都知事候補宇都宮の最終放送がとても面白かった。以前から候補になっているときの演説やら話しを見聞きしていたが、今回は大分印象が良かった。なによりも具体的なことをよく研究しているのかとても詳しい。様々な業種の人と話していてもその内容が痛いところに手が届くようなもので、弁護士でもその都度にもそこまで立ち入れるかと思うほど事情通だ。すると番組の内容自体がとても高度になっていた。以前は築地の事にでもその党派性を強く感じたが、そうした党派性霧消させる程に具体的になった。

選挙制度にも批判を呈しているようだが、やはりこうした態度を吟味できるような選挙活動でなければ意味が無い。たとえ東京がメガシティーとしてその規模がどれほど大きくても市井の実情に対しての対応が出来ない限り共同体の行政にはならない。地方行政の首長としての勉強を飽くなくしていることがよく分かった。流石伊達に日弁連の会長を務めていた人ではないと分かった。

ミュンヘンのオペルンフェストのアーカイヴ録音から2004年の「ラトラヴィアータ」を聴いている。デビュー当時のアンニャ・ハルテロスが流石にしっかり歌っている。2001年にコンクールの審査委員を務めていて先ごろ亡くなった劇場の支配人ピーター・ヨーナスの推挙で登場が決まったようだが、その体格だけの声も出ている。2015年のバーデンバーデンのマルシャリンも悪くは無かった。未知の歌手だったのでこんなに立派に歌う人がいたのかと思った。やはりここ数年の疲労感が強く、技術的に失望することの連続だった。しかしそのインタヴューを聞くとなるほどミュンヘンでは人気が衰えないのも頷ける。来年はイゾルテを歌うので、その役へ上手く合して行って欲しい。

しかし、演出のヴァリコフスキーもそうだが、キリル・ペトレンコのコンセプトはハルテロスとヨーナス・カウフマンの二人の期用という事で大分定まってくるのではないかと思う。問題なく上演できることへの期待が膨らむ。



参考:
やはりライヴに来て 2018-12-11 | 音
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音

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やっぱりガダニーニだ

2020-06-22 | 
放送で聴いた通りベルチャ四重奏団は実力があった。人気は分からない。ドルトムントのフライヤーにあったように東欧を逆に売り物にしている。これは英国を本拠地とする四重奏団の伝統かも知れない。先ず思い当たるのはチリンギアン四重奏団などが比較的有名だった。アマデウスの弟子筋のようで、アルマニア系というのでハチャトリアンなどと同じだろうか。ベルチャの場合はルーマニア系で確かにあの周辺の人の音楽性などに共通するものがある。今調べるとバーゼルでもグシュタートでも弾いていたようだ。

楽器はなにかガダニーニ風の音がしていたがその割にはよく鳴っていた。名前から風貌から何か分厚そうで押しの強い音が出ると思っていたが、確かにそうした傾向もあり乍もそれこそ東方ユダヤ系の厭らしさが出るようなそれが留まっている。室内楽奏者とソリストとはまた異なるので、四重奏団としてそこが完成している。創立メムバーとされるこれまた東欧のヴィオラ奏者チョルツェフスキーのサポートが見事で、アルバンベルク四重奏のココシュカを思い起こさせるが、その職人的な合奏芸術以上に重要な音楽的主張になっていると思った。この人がいなければここまで成功していなかっただろう。今後もこの人がいなくなると駄目かもしれないと思わせる。因みに楽器はアマティーを使っているようだ。もしかするとベルチャもアマティーかも知れない。調べてみると、ガダニーニ1755であって、やはり勘違いさせるほど良く鳴らしている。

ベルチャのお蔭でなくて彼のお蔭で第二ヴァイオリンの形も出来ている。チェロも室内楽らしく面白いチェロ奏者で、胴音とならないところで上手にコントロールされていて、この二人の掛け合いを聴いているとボロディン四重奏団などのリズム的な張りを思い出した。とても微妙なのは作品によるシステム間の和声関係だけでなくて、息の合わせ方で、ベルチャの歌い方が微妙に様式を形作るようにしているのは下支えと掛け合いがあるからで、まさに弦楽四重奏というのはそのように書かれているのである。

そうした掛け合いの妙という事ではアルバンベルク四重奏団よりもよい。なるほどラサール四重奏団やらアルテミス四重奏団のような合理性や精妙さとは異なるのだが、そこが面白いところで微妙なのだ。そもそも第一ヴァイオリンの節回しを其の侭第二ヴァイオリンが呼応することは可能でも、木霊なら木霊でその効果というものが目されていて、実際には音楽的な呼応がなされているので、まさしく受け渡しの仕方だけなのだ。コピーのエラーよりも対話による発展がその要旨であることを考えれば、どんなに拙い節回しでさえそれを複製再生して行くというのが如何に詰まらないことになるかは至極当然の摂理でさえある。なるほど若い四重奏団などがコンクールに出ればそこまでの受け渡しなどが出来る筈も無く綺麗にシームレスで仕上げて行くしか方法はないのである。しかし、プロの一流のそれも超一流となればそれだけではお話しにならない。

今回は二回のコンサートで「セリオーゾ」と「大フーガ付き」の二曲しか演奏しなかった。そして、前者は大きな喝采を受けていたのだが、最後の曲は受けが悪かった。理由は分からない。ドルトムントの聴者は前支配人スタムパがどれだけ人々を育てたかは分からないが、程度はアルテオパーやバーデンバーデンなどからすると大分落ちる。よく分からないようにスタンディングオヴェーションをする。先のN響客演時のそれや地元紙の批評などを読んでいれば如何にその程度が低いかが分かる。

なるほど「セリオーゾ」は音響的に圧倒だった。エマーソン四重奏団やジュリアードのものと比較しても多様性としてもその劇性もさることながら音響的に豊かさが見事だった。なるほど分かり易い。最初の動機だけで会場の空気が変わり聴衆が息をのんだ。一体それまではなにだったのかと思わせた。

しかしフーガ付きの見事さはある水準以上の演奏を体験すると更に奥が出てきてしまって、また実際に重要な動機やその意味合いを巡って行ってと後期の四重奏曲への大きな視座が啓けてくる。そうなるとどれが如何とは中々言えなくなってくるのだ。ある水準の演奏に達すると余計に作品と聴者の間での論議が演奏実践を通じて為されていくというのに等しい。(続く



参照:
大司教区からのお達し 2020-06-21 | 生活
ドルトムントに電話する 2019-05-17 | 生活
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お見通しの僕の思惑

2020-06-14 | 
ベルリンのガイスターコンツェルトが終った。キリル・ペトレンコ指揮だけで三回行われて、既に収録されたものなど室内楽は毎週のように流される。主な目的はデジタルコンサートホールの会員の為の提供である。返金の裁判などを起こされると破産する。何かを数分提供する限り敗訴は無い。それだけである。

三回目は、一週間券を買わなかった。木管合奏も弦楽室内楽団も並び方は音を聴けば分かる。その興味はもう失せた。それでも最終曲ドヴォルザークだけは増員した様だ。映像はベルリンの放送局から近々提供される。来週は中止となったヴァルトビューネの特番が流れる。

ペトレンコへのインタヴューは後で確認しないといけない。なぜならば今後への方向性が示されているだろうからだ。その代りラディオ放送では支配人ツェッチマンが総括的な話しをしてくれた。

三月からのキャンセルを振り返って、同じシリーズの5月1日メーデーにおけるヨーロッパコンサートへの反響を語った。ロシアからもアメリカからも日本からも反応があったという。再開への大きな切っ掛けになった放送であった。そのように二カ月間アクティヴでいられたのも自前のデジタルコンサートだけでなく地元放送局RBBの舞台設定があったからだという。そのことが何よりもだったとしている。

予定されていた東京オリムピックの為の演奏旅行もヴァルトビューネも無くなってこれで楽団は夏休みに入るというが、来シーズンへの準備に大忙しという事だ。今後の見通しとして、現行の二割や四分の一の聴衆以上に会場に入れれるように当局に要請していくことと、舞台の上でのソーシャルディスタンシングからのプログラムの制約でのプランBへと話しが向う。

つまりシーズン前半の年内はプランBを初めて8月1日に発表する。基本的には従来の日程通りで28日にオープニングコンサートをブラームスで開くが、もう一曲は秘密にしておくという事だ。ザルツブルクでは浄夜を演奏するが、最初から予定されていて更にそこの2日目で演奏されるメンデルスゾーンでもないという事になる。

ソーシャルディスタンシングと同様に休憩が無い短いプログラムになるが、作品は充実するだろうという事で、更に9月のフェスティヴァルも行われるらしい。しかし海外からの楽団の招聘などは無くなるという。具体的にはどれを指すのか分からない。客演指揮者もシャニなどベルリン在住で全く問題が無いという。

但し、コーラスの入った作品は現時点からは上演不可能で、幸いに共同公演などが無いが、大掛かりな管弦楽「ペレアスとメリザンド」、「ペトルーシュカ」やマーラーの交響曲などはプログラムから取り下げられる。その代りに加えられるプログラムなどがあるが、現時点では不透明な点があるために発表しないとの旨。

熱心なコンサートゴアーズは、色々と調べている通りであるだろうとは、またまたこちらの思惑を見透かされた感じである。もうここまで行くと、こちらの思惑をペトレンコと支配人の二人がインタヴュー度に答えてくれていることになる。

兎に角、プランBを8月1日に出すまで、状況の好転などを期待するという事では皆同じである。語られたようにそして無理をして第二波で中断されることのないように先に進んでいくことも共通認識である。

沢山のヒントがあった。大きいのはアメリカツアーがどうなるか?現時点では中止とはなっていないようだが、これは時間の問題だと思う。招聘しないという事は招聘もされないという事である。最終決定は招聘側にあるという事でしかない。

アメリカ旅行のプログラムに関しては言及はなかった。「英雄の生涯」なども演奏困難なので、そのまま10月末のプログラムが11月のフランクフルトなどで演奏される可能性が強い。バーデンバーデンのプログラムが気になるが、マーラーの六番は難しい。ミサソレムニスも難しい。



参照:
大胆不敵なヴィーナー 2020-06-08 | 雑感
実績を踏まえての期待 2020-05-24 | 音
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言質を取るということ

2020-06-06 | 
ニケ・ヴァークナ博士がDPAの質問に答えた。コロナ規制期間中に七十五歳の誕生日があったが、公式に言葉を発することはなかった。しかし通信社は質問を新ためて出した。その要点は今後のバイロイトに関する事の質問であった。

質問:カタリーナ・ヴァークナーは契約を2025年まで延長しました。五年後にもう一度バイロイトにということはあるでしょうか?

回答:神の思し召しを、ありません。

質問:バイロイトでは今、嘗て無い状況となっています。カタリーナ・ヴァークナーの病気で、丘はヴァークナー家の誰も手綱を握っていません。どう見ますか?

回答:それは有限会社バイロイト祝祭の責務であり、出資者とされる者の今後の目されるところです。

この質問状の要旨はこれだった。これでカタリーナの復帰が無いと決まれば直ぐにバイエルン州は後任者の選定を進められる。この言質を取るためのお訊ねだった。

早朝6時前に目覚ましをセットして就寝した。寝つきは遅くなったが何とかスッキリ目が覚めた。降雨が心配だったが量は少なく、また7時過ぎに30分ほど上がるのをレーダーで確認した。先ずは早めに出かけて車の中で雨行きを見ようと思った。気になるのは燃料で何とかなるかどうか?早速銀行に行って現金を下ろす、其の侭パン屋に向かい坂を上り始めるとエンジンの警告が灯った。その時は廃車間近の車は仕方がないと思った。しかしパン屋の手前の坂で動かなくなった。

仕方が無いので何とか邪魔にならないように駐車して先ずはパン屋に向かって戻ってくる。そもそも朝早く混雑を避けて、雨の中を外で並びたくないからの早起きだった。そして再びエンジンをかけようとするが駄目だ。セルモータが動き出しても引き続き回らない。仕方が無いので、交通量が少ないうちにと坂道をバックさせて車を横の道に入れて、また前進させて駐車可能にした。

漸く燃料切れが分かった。残量が1lで停止しているので誤魔化されていた。仕方が無い、フロントグラスに書置きをして街までポリタンクを持って取りに行くことにする。近道を選んだが往復30分ほど掛かったか、高めのガソリンを3l入れて戻って来た。動いた、いつものようにエアーが入ってぎこちが無いが、これで森へ行ける。しかし止んでいた雨が降り出した。峠を攻めて戻ってくる予定通りの時刻だった。既に歩いたので短いコースで誤魔化しておくことにした。それでも合わせると運動時間は峠攻めと変わらない。

燃料を入れた時に5lまで表示されたので、最後のリザーヴの2lほどは表示されるときと表示されない時があって、要するに上下2lは信用できないということになる。今後は余裕を以て入れて置くしかないだろうか。肉屋に寄って帰宅して8時半前だったので、応急の事だったがまあまあのリカヴァリーだった。



参照:
敵はバイロイトにあり 2018-11-14 | 文化一般
恥知らずの東京の連中 2018-05-18 | 文化一般
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重篤のバイロイト音楽祭

2020-05-27 | 
月曜日にバイロイト音楽祭は、2016年からの共同代表取締役フォンベルクが来年4月の契約延長をしないことを発表した。12月からはミュンヘンのバイロイト州の文化局で取り締まる。元々有限会社バイロイト音楽祭の取締役から腹違いのエーファパスキエ―婦人が追放されたことで、株主であるバイエルン州が経理などの公正化の為にお目付け役として送った人事で、前職はミュンヘンのレジデンスの支配人だった。そして火曜日の夕刻にはDPA通信社が闘病中の共同代表取締役カタリーナ・ヴァークナーの病状についてバイロイト音楽祭の発表としてニュースを流した。

それによると、「引き続き重篤であるが、現在は容態は安定へと向かっている。回復するまでに何カ月か掛かる。」という恐らく通信社にファックス等で出した原稿の様だ。以前の書き方と異なり、重篤であることが明らかになった。最初の発表では、深刻な重病で当分は職に就けないというものだったので、例えば想像されるような肺癌の症状で手術という事が考えられたが、今回は「重篤」であって、安定化に向かっているというので、最初から臓器不全などで一月以上ICUに入っていると読むのが正しいだろう。

一月以上も掛かるというのは分からないのだが、最初から重篤であったということはコロナに感染したともいえるが、42歳の四十代で亡くなっている人は17人しかおらず先ずは有り得ないだろう。因みにバイロイトは十万人中401人陽性で決して状況が良くはなく死者も十万人に27人出ている。そこまでの末期癌なども昨年の様子では有り得ないように思われて、突然重篤になるような病気で一月ほど状態が安定しないとなるとどのような病気だろうか?

今回途中経過として発表されたのは、「容態が安定して行くのかどうか」ということでの中間報告だったのだろう。いずれにしても本人の意思は最早祝祭劇場の運営では示されないということで、そこでその間に元祖音楽監督の座にいる指揮者ティーレマンがフェークニュースを流した意味合いが少しづつ明らかになってくる。恐らくメディア向かってフェークニュースを流すことで観測気球を上げてみたのだと思われる。その時の談は直接ヴァークナーに電話して、「元気で、とても幸せ」とか言わせて、まるで落語のラクダの二人羽織のようなことをしたのであった。

簡単に表現すればヴァクナーに口があるかどうか、意識があるのかどうか、生きているのかどうか突いてみたのだろう。つまりヴァークナー本人には電話も繋がらないのは当然としても、判断が出来るのかどうかを調べて見たとなる。結果は音楽祭がそのフェークニュースを公に否定することになった。一体元祖音楽監督は何を期待したのか?

辞任する共同取締役とヴァークナの代わりに臨時で入っているセンセ両者とも経営上の立て直しで2013年に送られた人物で、二年後にフォンベルクと交代した。長年のスポークスマンも昨年末に亡くなっていて若い人が後任に入っているので、然るべき立場では身内はいなくなっている。ヴァークナ協会の友の会の代表で元バイエルン州の大臣が今回もお見舞いを述べていた。

元祖音楽監督は、コロナによって夏の音楽祭がキャンセルされたことでのギャラの支払いについてそれも下っ端の音楽家への補償について語っていて、その旨はどこにあったのか?恐らくこれは共同取締役を意識して牽制したつもりだったのだろう。その時点で去就は聞いていたのかどうかは分からない、しかし、ザルツブルクの復活祭でのように公的な権力からの追い出し圧力を感じていて、昨秋からのヴァークナーとの話し合いへのオファーも日本などに行って逃げていたというのは報道されていて、そして年が明けてからも秋以降の延長は決定していない。本日の通信社の記事も「ヴァークナーが回復次第ティーレマンの契約延長問題が決まる。」と祝祭劇場の談となっている。

ここまで来るとフォンベルクが辞任するのは、コロナの事後処理の経済的な損失の責任を逃れてしまうためでもあり、重篤のヴァークナーへとその責任を一切被せて仕舞おうとする州政府の意思のようなものが見えてくる。フォンベルクの四月の辞任だが早くも年内には職場を離れる。ティーレマンの言として「元祖を辞めてただの客演音楽監督のような立場を」欲していたとヴァクナーが語ったのも先に責任を逃れようとしたきらいがそこに窺える。

現在の体制はこの通り既に完全に崩壊している。成り行きを見守るだけになってきている。



参照:
蜘蛛退治をしておくれ 2020-04-28 | 文化一般
ニューヨークタイムズの報道 2020-05-20 | 音
 
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ザルツブルクの突破口婆

2020-05-26 | 
月曜日にオーストリアの今後のコロナに対する方針が発表された。興味がある催し物に関するものを文化大臣が会見で話した。それを受けてザルツブルクでは百周年音楽祭も会見を開いた。8月31日までの対応に関して大枠では既に言及されていた通りだが、細部では驚くべきことも少なくなかった。

音楽祭は、200件に対して90件の開催で、予想されたよりも大規模な音楽祭となる。オペラから室内楽、芝居に現代音楽とあらゆるジャンルで開催場所を六カ所(両祝祭劇場、フェルゼンライトシューレ、州立劇場他、モーツァルテウムなどは無し)に絞って催す。期間も8月1日からとなって月末までのプログラムらしいが、翌年に延期されるものもあるために現執行部で2021年8月31日まで百周年祭が続く。

詳細は来週末として、先ずは海外からの参加などが出来ない演奏者による出し物、例えば「ドンジョヴァンニ」新制作などは来年へと延期となる。つまりオーストリアの演奏団体などが中心となる。管弦楽団はヴィーナーフィルハーモニカーやモーツァルテウムなどが中心になれば従来通りだ。

そこで、先日ヴィーンで実験されたように1メートルのソーシャルディスタンスィングも必要ないとする論理で、舞台上ではオペラや芝居を含めて当局は関知せずに主催者や登場者の自己責任で決められるという。要するに今後のコロナによる休業補償の限界を定めることになっている。催し物の大きさは、8月31日までは千人以下で、野外に関しては来週から特別許可で1250人までの規模が可能とある。その場合も舞台上やスタッフの人員は入れないので、出演者の数を抑えるのは興業的な計算でしかない。

つまりザルツブルクの祝祭大劇場に千人近くまで収容して、どれほどの規模の催し物で採算が取れるかである。その一方決して脛枯らしのような催し物にはしないと芸術的な充実を訴える。既に発券している二十三万五千席を先ずは払い戻しして、金券などにした者に新発売の席を優先的に与えていき、六万から七万席を新たに発売する。売り上げとして穴が空くが、元々の計画の儘に州からの助成を受けるために69百万ユーロと約40百万ユーロの差額を約19ユーロで埋め合わせて行く。

ざっと計算して劇場の三分一程の収容が計算されていて二席を列をずらして開けていくことになるのだろう。ヴィーンでの発表では椅子をメートル間隔で開けられない時も公共交通機関のようにマスク着用で許可するとなっている。更にミュンヘンで発表されていた最長90分までの上演とするものとは異なり座席への出入りが最も距離を取り難いことから休憩を入れない上演となる。大会場にそれだけの数を入れる前提ならばそのようになるだろうが、その差は大きい。

発表されたようにこれらの規則は、ザルツブルクの音楽祭を特別視したものでは無く、プロもアマチュア―の催し物も同じように扱われるということで、プロサッカーのそれとは大きく異なる。予想されるところで一番危ないのはオペラなどの来月から始まる準備期間での感染だろうか。本番の方はまだ二カ月間あるので、感染状況が今よりも良くなっていれば抵抗は無くなるだろう。

ここまで先の予定が揃って気になるのはベルリンの8月末のオープニングコンサートとフェスティヴァルである。9月に入ればザルツブルクが先導したようにある程度の規模の催し物は予想されるが、現在距離感を1.5mとしているのを9月1日からオーストリアの1m若しくは舞台上での75㎝から制限無しへと揃えて行けるか?



参照:
ヴィースバーデンモデル 2020-05-22 | 文化一般
2023年以降の計画の発表 2020-04-25 | 音
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橋を架けた長い道程

2020-04-29 | 
歯の治療が終わった。四カ月以上掛かった。只のブリッジだったが、体調も安定しなかったので時間を掛けた。これで女歯科医師さんと話した気になる点が解消されればいいのだが、兎に角本接着したので容易には外せない。仮接着の方は思ったよりも簡単に外せた。それでも傷つけないようにと気を付けてやってくれた。あの辺りの配慮は女性らしくていい。外したところのお掃除も細かい仕事は指も細いだけ上手である。折角負担なく本接着できたので、約束していた詰め物も麻酔無しでやって貰った。久しぶりの麻酔無しの歯の治療で体が痙攣した。何回かエクスタシーを迎えて休み休みにやった。女医さんでなければ頑張れなかった、許さなかっただろう。それも余分に反対側の奥歯の詰め物もやって貰った。今回は抜歯の時とは違って、またコロナ禍のお蔭でわき腹へのタッチは無かったが、今時珍しい挑戦だった。勿論理由は上顎のブリッジの感覚を敏感にしておきたかったからだ。勿論麻酔代も掛からない。

それにしても医療関係の女性はやはりサド趣味で、それを喜んでやって貰う男性はマゾ趣味だろう。完全に変態プレーになっていた。

ルートヴィヒスハーフェンを見たが、路上でマスクをしている人はほとんど見かけない。地元ワイン街道はそもそも公共交通機関が限られていて、路面電車も無いことから誰もしていないのは当然と思ったが、路面電車の街中を外れると誰もしていない。やはり商店でのマスクを義務としなくてもベルリンなどの方がマスクを見かけるのだと思う。それどころかチャドのモスリムも口を出して歩いているので余程ドイツではマスクが疎ましく思われているかである。それでも商店などでは守られているのは罰金の威力に違いない。車でも罰金と減点さえなければ誰もスピードなんて守らない。

緩和されたと言っても朝のラッシュは起こっていなかった。やはり通勤の交通量は二割にも至らない。外出禁止の時の倍ぐらいになった程度か。今後は旅行の自由が緩和の項目に入ってくるが、六月にはまだ難しいされている。緩和とマスク効果で何処まで抑えられるのかに掛かっていると思う。

この金曜日から再び不要不急とされていた手術が開始される。同時にコロナ用に空けていたベットが再び元に戻されて、通常の入院に使われるようになる。

トリアーの大司教区では、ミサのやり方を示した。先ず消毒液を用意して、一方通行で、1.5mの間隔を空けて、マスクで行われる。ミサの式辞の次第の方は書いていないので分からない。これからすれば、音楽会場も一方通行で入場して、四分の一の収容では問題が無いことになるだろう。二千人収容の会場で500人ということになる。興業的には三分の一まで入れたいところだ。

復活祭の続きでアップルの焼き物である。乾いたのでアイスをつけて食した。



参照:
膿をスッキリ出した 2020-01-08 | 雑感
若い女の園の寝椅子 2020-03-04 | 女
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注目が高まる女流の登場

2020-04-27 | 
プランAに従って演奏会計画を見て行く。先ずはベルリンでの8月のオープニング、例年のようにそしてザルツブルク、ルツェルン、そして一昨年に続き二度目のプロムス。ここで予想しなければいけないのは来年度のツアー第二プロがどれになるか?第二プロはメインストリーミングから離れた曲となるので、先ず外れるのは2021年5月16日にゲヴァントハウスで演奏するマーラー第九だろう。これは四回しか演奏しないことになっているが、さてどうだろう?日本公演に持って行くとするとその前にアルテオパーを含んで何回か演奏するかもしれない。

同じように六番は、2020年5月にバーデンバーデンやイスラエル、アムステルダムなどで十回程演奏される予定だっだ。これは本年11月に一度バーデンバーデンで演奏される可能性が高い。実は四番も吹っ飛んだがこれはまた最初からやり直しになる。

あと2021年5月のオイロパコンツェルトのスペイン旅行のモーツァルトのミサ曲も無い。その前の2月のクルト・ヴァイルとストラヴィンスキーが気になる。しかし寧ろその前1月のプロコフィエフとコルンゴールトの方が遥かにレアものとなる。来年度のオープニングが何になるかに依るが、「千人の交響曲」ならば、こちらの方がよい。

2021年復活祭の「ツァイーデ」の二枚目の券を購入した。初日は買い遅れていい席が無かったので恰好だけ購入しておいた。なぜならばベルリンではオクサーナ・リニヴが振るということが分かったからだ。今最も注目されている指揮者の一人であるが、バーデンバーデンデビューとなることはまだ正式に発表されていない。しかし可能性が強かったので押さえておいた。そして再度調べるとフェースブックにも自身が「The projekt is also planned to be performed on Baden-Baden Festival. 」として述べていて、日程を調べると三月はミュンヘンでの「青髭」以降空けてあって、次は四月のウンターデンリンデンでの「魔笛」まで時間がある。一番ポストバレンボイムに近い指揮者だと思うが、ミュンヘンの放送交響楽団にもシューマンと「神々の黄昏」でデビューする予定なので、場合によってはポストヤンソンスにも入ってくるかもしれない。

その彼女自身が音楽祭もやっている地元の作曲家フランツ・サヴィエ・モーツァルトの父親の作品を振るということでとても期待が膨らむ。昨年もアダム・フィッシャーが振っているデュセルドルフ辺りで振っているが、「この程度の指揮者は中々呼べないので幸運だ」と楽団が書いている。確かに、ネルソンズよりも若干年上なだけに、ユロスキーの次の世代の中で最も注目度が高いかもしれない。

しかし小劇場でやるので小編成で若い人が歌って芝居をしても入場券が高い。初日の天井桟敷でもペトレンコ指揮の「フランチェスカダリミーニ」よりも高価で、また今回のロージュでもペトレンコ指揮の「マゼッパ」よりも高価なのだ。一体何を期待しようかということになるが、演出さえよければ今年のペトレンコ指揮の「アンジェリカ」よりは大評判になると思う。それにしても高い。

序でに購入したのはエフゲニー・キーシンのリサイタルで、ショパンに続いて、後半にベルクから初めてチェレニコフ、ガーシュインという興味深いプログラムである。お気に入りの安い席が一枚だけ残っていたので急いで購入した。こちらは29ユーロで満足な価格。



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定まるテムポの形式感 2017-09-04 | 音

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積極的な衛生処置へと

2020-04-13 | 
復活祭初日の深夜「タンホイザー」を観た。まさしく復活という感じで、居眠りしながらも25時まで観ていた。そして音が今までになく素晴らしかった。理由は分からないが録画したその音質も冴えていた。殆ど生に近い原音再生だ。最近は動画コピーの音声を96kHzにアップサムプリングしてフラックにしているのも違いが大きい。それでも動画の大きさは三幕共で9GBに至らない。前回の再放送の時にはネットが遅かったので音声だけを収録していたが、今回のものでそれも廃棄できるかも知れない。

そもそも映像自体はMP4としてARTEのものも劇場中継のオンデマンドも両方あるので、生中継版とTV放送版と両方が揃っている。今回観ていて画像を暗くして、要らぬ肌感などよりも芸術性にも気付いたが、下半身のビキニかTバーかの差までは分からなかった。但し演出上意味のある背後のヴァギナの奥の穴の中はよく映っていた。同時にペトレンコを捉えるところも長くあって決して悪くはなかった。劇場で観ていても焦点が定まらず散漫として落ち着かないところもある演出だけにカメラ切り替え編集が良かった。しかし生中継版つまりPVに映されたものの方が劇場での感覚に近い。

それにしても見事な演奏で、間違いなくタンホイザー演奏史上の金字塔だと思った。歌手の細かいところ以上に様々な版をコピーアンドペーストした楽譜からここまでの音楽を引き出したなと感心する。そしてカステルッチの演出コンセプトにも矛盾していない。色気もあり構成の中での細やかな音楽的表情が悉く音化されている。こういうのを聴くとやはりペトレンコのヴァークナー解釈は本物だと思わせる。「パルジファル」には不満があったが、この曲に関しては今後ともペトレンコ自身がこの水準での指揮はもう為せないのではないかと思う。それだけ座付管弦楽団が見事で、この演奏はベルリンのフィルハーモニカーでは無理だ。要するに壮年期のペトレンコの芸術として歴史にも残るものだろう。

その午後にはペトレンコ監督指揮の第一作目の「影の無い女」を流していたが、これの再演を指してペトレンコ監督とはどうだったかを語る証拠としていた記事を読んだ事があったが、確かに2015年の再演の方が良かったのかもしれない。少なくとも2014年の再演はそこまでは至ってなかった。

さてこの「タンホイザー」制作は、正直最初のセミヌードで序曲などでも注意力散漫になったが、最終的には合唱も素晴らしく、最後まで拍手を止められなかった。ペトレンコの表情も良く覚えている思い出深い公演だった。それだけに最初からじっくり聴き直すのも中々叶わなかった。そして今やっと客観的に評価できるようになった。この映像の晩の公演も牧童の声のボノワまでとても素晴らしく、初日よりも遥かに上手にハルテロスも歌い切っている。

第一祭日の晩にトライヤー知事がARDに登場した様だ。水曜日の話し合いの為の立ち位置を確認されて、今までの誇るべき市民の規律と一方未知の所のあるコロナへの警戒を以て、一歩一歩と平常化を進めていく。その場合に変わらぬのは積極的衛生であり、社会的距離であり、マスクの意義も議論されようとしている。その前の呼びかけで手もとにあれば使うようにと話していたのでどちらかというと積極的だ。

そしてSWRでワイン街道のランダウの葬儀屋の話しを観ると、まともなマスクすらないようだ。消防やこれらの公共の仕事、そして食品関係に先ず高性能のマスクを渡すべきで、素人が使うべきではない。しかし火葬場も葬儀屋も需要に備えているというので仕事に関しては大丈夫の様である。

トライヤー知事の話しには小売業と学校などの正常化が出て来た。また地域差があるので共通の枠組みの中で実際に相応しいようにも正しい。例えばマスクの話しにしても先日路上電車に乗っていた人が「マスクをしていない」と罰金を取られるという詐欺事件が起きていたが、日常生活には殆ど意味の無いマスクでも必要なところに行き渡らないのが最も悪なのだ。

そうしたことを含めて重症化するのは老人だけでなく問題のある若者もいるのだから分断化はしてはいけないという自らALSの弁護士らしい発言が出て、これには注目したい。矢張り19日から二週間は様子見が続くだろうか?いづれにしてもメーデーを上手に使って、その翌々日に次の手を打つぐらいがいいだろう。



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決して一人にはしません! 2020-03-14 | 女
行ったり来たりの話し 2020-04-12 | マスメディア批評
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顔にぶら下げる何かよりも

2020-03-31 | 
オーストリアでは禁止されていたマスクが義務になったという。ドイツではロベルト・コッホ研究所がその効用に関して推奨していなかったが、買い物中の義務付けも議論されるようになった。コロナ感染が拡がって買い物客の一部が感染しているとすれば飛沫予防にそれは有用かもしれない。既に肉屋では漸く着用したと書いたが、スーパーがどうなっているかだ。先ずは売り子と従業員だと思う。それでもマスクに余裕があるならば店頭で配ればよい。

既に手袋に関しては書いてあったが前回は見つからなかった。しかし八百屋では使えた。しかしこれも余分に取れたものを回して使っていたのではあまり衛生的に良くない。つまりその場で新しいものを取らないと駄目だ。マスクも一回のみのものにすればいいのだろう。

聞いた話では女性用の生理用品を縫い付けるとあったが、其の侭口に貼って仕舞えと聞いた。どうも上手くいくようには思えないが、男性であるのでその辺りはどうもよくわからない。飛沫予防だけならば医療関係者にウイルスを避けられるものを回すべきで、素人は使い捨てで充分である。

そもそも肉体的や手からの感染が殆どの感染経路であって、空気感染はそもそも適当なマスクでは防げないとすれば、マスクの為に他の条件を守られない方が感染のリスクが高くなるとするのがコッホ研究所の見解で23日付けのサイトでも繰り返し主張している。

早速ARDは夕刻ベルリンや各州の反応を伝えて、義務化は当分有り得ないとした。理由はベルリン政府も「オーストリアでのそれは医療用でもなんでもなく」、「やっている感だけの誤った過信を警告」して、もし必要なら半分以上が感染した時点だとしている。マース外相は「効果が無かったら何かを顔にぶら下げているだけ」と、またバーデンヴュルテムベルクのクレッツィマン知事は、「数があるならば買い物に使えばよいが、マスクは必要なところに集中するべきで、義務化は考えない」とする。また医療団体は「注意する心理的な効用」もしくは「マスクは近ければ近い程保護する」と他人にはあまり影響しないという専門家的見解を示す一方バイエルン州の知事は出来る事として興味を示す。

月曜日のネットコンサート、違法すれすれのミュンヘンの劇場からのそれだ。スター歌手ヨーナス・カウフマンが出る予定だったがお休みで先の会に出るという事だった。代わりに入ったのがユリア・フィッシャーで、カウフマンよりも大いに期待した。その通りチャイコフスキーとグリークでいい演奏をした。ご本人も好きな会場でそしてこうした機会だからこその集中した演奏をした。初日のゲルハーハーのそれはまだ観ていないが、これだけの演奏をして貰えば無料では済まない。曲の構成とかその主題の作り方など本当に安定していて、同じミュンヘンのリサ・バティアシュヴィリとはまた違うドイツを代表する演奏家には違いない。

日曜日の自宅からのゴルタ・シュルツの感極まってのアカペラの歌声、最後のサムウェアーサムタイムで締めたそれも気持ちのよく伝わる歌声だった。本当に何時かヴァルトビューネで歌って欲しい。ペトレンコ指揮のバーンスタイン、そして彼女が歌うガーシュインなどなかなかどうしてその楽譜に立ち還っての試みは得難いものだ。



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再び求道的な感じ 2019-09-08 | 女
可能性の為の検査機器 2020-03-29 | 雑感
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決して一人にはしません!

2020-03-14 | 
街の肉屋に立ち寄った。いつものように峠を攻めて走って下りて来て、汗をトランクに入っている水で落とした。走り乍今後の事を考えていた。催し物のことなどその再現音楽の形態だ。

前日ラインラントプファルツ州知事の市民への呼びかけを観た。流石にSPDの首相候補に挙がる位なので力強かった。選挙時にはまだ女性弁護士上がり程度の印象しかなかったが、メルケル首相とは異なる真摯なものも感じた。やはり弁護士としての弱者保護などでの経験だろうか、寄り添い、決して見捨てないとのメッセージを出していた。

勿論政治家であるから具体策として連邦政府の枠組みでの休業中の支援などと、そしてドイツにおける世界最高の医療を加負荷させないようへの方針も分かり易かったと思う。要するに催し物や集会などでの感染を防ぐことで少しでも医療への負担を軽減することへの協力を呼び掛けた。

同時に身体的な弱者への保護は、その学校閉鎖によっても障害者教室の継続や家庭の負担にならないようにの児童保護のサポート体制にも触れた。しかしそれのみではなく、隣人の孤独な老人や家庭などにも電話で買い物の代わりを申し出たりと、ウイルスを避けなければいけない人達への協力を奨励した。

そして弱者への団結として、催し物などでの更なる感染を防ぐことを呼び掛けた。75人以上の催し物を止めるだけではなく、更に小さな集まりでも出来る限り避けるようにと注意を促した。

そして、人との距離を取ることで決して冷たい社会にしない。その旨を力強く語る背景にはこの女性本人が多発性硬化症であることを思い起こさせた。真摯な姿勢とその力強さは当事者感覚から来るものだと理解した。

メルケル首相の水曜日の発言とは異なってこちらの方がよりリアルな訴えかけだった。

ここワイン街道北部では三人も感染者が出た街でそれを含めて七人の感染者が出ている。率からすればあと二三人が感染者が出れば死者も出る計算になる。それゆえかパン屋の列は少なかった。時刻にもよるかもしれないが、警戒している人もいるのだろう。

しかし肉屋の情景は以前と変わらずに狭い店内にぎゅうぎゅう詰めだ。汗を掻いているのだが寒さを我慢して戸外で並んでいたら、抜かした車の爺さんが待っているのかと店内に押し込まれて仕舞った。爺さんに「距離を開けた方がいいだろう」と言ったら、暫くして「そういうことか」と気が付いていた。こちらは爺さんの為にやっていることだが、危険性を理解していない。4800人の市に三人の感染者、恐らく実態は市民の何パーセントかに感染していると思う。そしてもう直ぐ重篤者が出るかもしれない。

トライヤー知事のいう二日で三倍の感染者、一人二人の重篤者で週末にも増えるだろうと、しかし多くの市民はその意味がよく分かっていない。そして欧州における感染をクロニカルに見ると分かった。早くに出たところはその後の感染が広がっていて、到底抑制出来ていない。パリやボルドーから広がるフランスはもっと酷くなる。シナの様子も現地情報が入った。山は越えても生活は制限され続けている。当分は酷くなるばかりだ。出口は見えない。



参照:
CORONA-KRISE, Ministerpräsidentin wendet sich an Rheinland-Pfälzer (SWR)
鏡を覗くとそこにゾンビ 2020-03-13 | 生活
出口の見えない洞穴 2020-03-12 | 雑感
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若い女の園の寝椅子

2020-03-04 | 
疲れた。思いの外負担が掛かった。二本の歯を削って仮ブリッジを架けるだけだったが、型取りだけでも疲れた。それをやる小さな歯科衛生士嬢も疲れると思う。奥歯を削るので一寸面倒だと言っていたが、麻酔をあれだけ掛けられるとこちらの知ったことではなくなる。そして思ったよりも沢山削ってくれた。あれなら被せても厚みがある筈だ。喉の奥に削り粉が落ちてカルシウムを沢山摂取した。冠にする時にあれほど削られた思いは無く。冠は薄いがセラミックとなると厚いのだろう。

歯医者のおじさんは小柄で身体中の力を掛けて押し込んでいたが、小柄の歯科衛生士の力も結構で穴が空いたところの土台作りで可成り押されて痛みが残る。怪我をしたので、ブリッジを付けることでまた昔の痛みのようなものが戻って来た。不愉快である。要するにまだそれで噛む気にならない。何もないよりは噛めるのは違うが、二三日様子を見ないと本格的には噛めないかもしれない。

ブリッジがそんなに簡単ではないと思っていたが、本ブリッジが上手く行くのか心配になる。仮で問題が出ているぐらいの方がいいのだろうが、進展がとても気になってくる。

しかし若い女医さんになったばかりに女性ばかり三人も寝椅子の周りを行ったり来たりで、歯医者でなければもっと金が掛かるのではないかと思った。但し口にするのは水と消毒のアルコール類だけだ。でも顔を拭いてくれたり、口の中に指を突っ込んでくれたり、場合によってはマッサージのサーヴィスもある。しかし注射針の先が今日は間違って唇に刺さった ― 彼女の言葉はア、ウ~ンだけだった。

新聞にWDR放送管弦楽団の新常任指揮者マセラルのインタヴューが載っている。六月にイゴール・レヴィットとブゾーニの協奏曲などを指揮するを聴きに行く。中々面白いことを語っている。客演指揮者は木彫り師のようなものでそれが翌年にどうなっていても良いのだが、常任指揮者は大理石を掘るのと同じだと語る。前任者のサラステが殆ど何も練習で語らなかったのに対して、細かく指示することからの発言である。つまり「もう少し柔らかく」とか言ってもにっちもさっちもならないので正確に指示しなければならないと。

まさしく現在欧州をツアー中のヤルヴィとN響の関係で、全く常任の仕事が出来ていないのと対照的で、サラステもフィンランドの指揮者だ。なるほど世界中を飛んで回ってある程度の成果を数多くのプログラムで捌くにはそうしたお構いなしの職業的な合理性が必要なのだろう。

そして放送管弦楽団のその意味合いも語っていて、その影響力を間違って使ってはならないと、また自身の音楽姿勢を語っている。引き合いに出されたのがライヴァルのSWRと指揮者クレンツィスだ。マセラルは、「クレンツィスを批判つもりはない、指揮するのを聴いたことも観たことも無いからだ。しかし知るからに、作曲家が表現しようとする音楽の真実を自分一人で理解する救世主という体は全く間違っていますよ。」と糾弾する。

音楽は語る者と聴く者との間にあって、演奏する者に押し付けるものでも無くて、アイデアすらも無くて演奏が気持ちよくなるのが理想と語る。

中々これだけはっきりと語れるのは、世界中シカゴ響やコンセルトヘボーなどで招聘される実力とその自負なのだろう。生で聴くのが愉しみだ。



参照:
ケルンへ避難の準備 2020-02-21 | 生活
キリル・ペトレンコのキャンセル 2017-06-14 | 雑感
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菜食男に負けない

2020-02-08 | 
ミュンヘンのオパーフェストの配券知らせが金曜日にあった。締め切りから一週間以内だ。先ず「ファルスタッフ」から始めたのだろう。残念ながら第一希望は外れた。やはり初日は、メルケル首相ではなくてバイエルンのお歴々が並ぶのだろう。つまり、スポンサーと友の会にいい席は大分出ているのだと思う。さもなければ200ユーロ以上出して、あの歌手陣でペトレンコ監督最後の公演に参じる人はそれ程多くは無い。

外れた分、145ユーロの出費で済んだ。最終日が配券されたので、もし275ユーロ払っていたのと比べれば130ユーロ安くなって、往復の燃料代と駐車料、更にプログラムとコーヒーぐらいは差額で出る。やはり違う。一体予想される授与式がどうなるのかは情報を追っていればよい。ラディオ生中継以外に報道カメラは入るだろう。最終日にアンサムブルがよくなれば有難い。前後の出し物もあまりないので、こうなれば来年のペトレンコ最後のミュンヘンに賭ける。

ミュンヘンからの中継は想定以上に良かった。映画仕掛けの前半の「管弦楽のための協奏曲」が上手く行ったかどうかは映像を一部しか観ていないので判断は下せないが、管弦楽が素晴らしかった。曲名通りビッグファイヴ辺りがこれ見よがしに演奏する大編成曲だが、座付楽団が奈落に入って演奏するととても味がある。なるほど嘆きのテーマなどの関連性をその総決算として初期の曲と合わせる企画もそれほど悪くはなかった。月並みなシェンベルクの「期待」よりは少なくともドホナーニが指揮してジェシー・ノーマンが歌ったウィリアムス演出よりも遥かに良かった。

指揮のオクサーナ・リヴィヴに関しては、「サウスポール」初演の際にロビーで話していたのを初めて観て注意をしていた。しかしここまで振れるとは思っていなかった。キリル・ペトレンコのアシスタントとして「ディゾルダーテン」ではなくてはならない指揮者であって、その後もペトレンコに代わって「こうもり」などを振っていた。一部では人気もあったと思うが、初めてグラーツで音楽監督になって、それを辞職してからの活躍はデュセルッドルフなどのローカルなものに留まっていたので大きな話題にはならなかった。しかし今回の新制作初指揮で、また昨年度の世界のオペラ指揮者六人にペトレンコ、マルヴィッツ、ガーディナーなどと並んでノミネートされていたので、大きな成果は残していたのだろう。

よく観るとペトレンコから習ったところも沢山ある様に見受けられると同時に抜いたようなところが女性特有の脱力で、それを上手に使っている。今までは硬く鋭くコムパクトに振る様子しか目に付いていなかったので、今回の公演でもそれが特段素晴らしい効果を挙げている。彼の菜食のチェルビダッケがやろうとしても出来なかったものがそこにある。新聞評を見るとそこまでの言及は無いが、なるほどと思った。これはブレークするだろう。若い時に日本で指揮したこともあるようだが、この調子ならもう完全に日程が詰まっているのではなかろうか?
JUDITH: Video magazine

JUDITH: CONCERTO FOR ORCHESTRA / BLUEBEARD'S CASTLE Preview 2

Oksana Lyniv is a new Lviv Honorary Ambassador / Оксана Линів - Почесний Амбасадор Львова


次のポストはドイツの劇場ならばフランクフルトとかケルンぐらいが狙いどころだろうが、放送交響楽団も悪くないかもしれない。ウクライナの地元では音楽祭を主催して、国歌も録音したようで多忙なようだが、やはりドイツで大きなポストが欲しいだろう。



参照:
タブレット無しの日々 2020-02-07 | 生活
ストリーミングの昨日今日明日 2017-08-20 | 文化一般
オクサーナ・リーニフさん (Zauberfloete 通信)
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