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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

またとない天頂の瞬間

2025-04-29 | 
承前)フランクフルトで座付き楽団でも普段馴染みのない楽曲となると慣れなければ駄目だということが語られた。当然のことながらベルリナーフィルハーモニカーにとっては演奏技術よりも如何に歌手と一緒に歌い表現するかの難しさがある。楽譜に如何に正確に書かれていても、そこに感情移入がなければ歌えないのは歌手も同じである。

現在のフィルハーモニカーはそこまでインスプレ―ションを膨らませて演奏する領域へと練磨している。

その点でも一幕終了の二重唱のところが楽日の頂点だった。初日の熱唱、抑えた二日目の蝶々さんのブルラットに対しては、特に演出面での女性陣からの批判が聞かれた。それは、絡みをさせた踊り子に対して、蝶々さんを前で一人で歌わせてとなるのだが、恐らくこの場面がこの制作での決定的な場面となっていた。

迫害場面に続く六拍子のアンダンティーノカルモからピンカートンの直情的なヴィエーニに至るまでの蝶々さんの心理則ちその音楽が最もこのオペラの音楽的鍵になる所で、実際のそこから幕までのブルラットの歌唱は今後ともイタリア語歌唱として聴けるかどうかわからない最高のものであった。歌唱でこれほど感動したことは今迄嘗てなかった。

それは舞台の助けを得ることでの奏者のそしてそのライヴでしかありえない熟練のペトレンコの棒捌きによるものであった。因みに日曜日に放送されたベルリンからの演奏会ライヴ中継オンデマンドでその部分を流してみたが、やはり到底叶うものではない。音響的な影響ではなく、何もかもがあの星の輝くようなハイライトを迎えることは決してない。

独語歌唱にはまたその深い響きや音楽にそうした瞬間が現れる。イタリア語にはその輝かしさと煌めきの瞬間がある。ここでのとても細やかな少女の心理表現は全く容易なものではなく、これだけ正確にそして声を制御しながらの歌唱は今まで録音等でも聴いたことがないもので、強いて言えばレナータ・スコットの歌唱に近いものがあった。勿論音楽性を持ち合わせた演奏がそこでなされなければ、より素晴らしい歌唱とはならない。そういう貴重な一瞬であったのだ。

プッチーニでそしてイタリアオペラでそういう瞬間を体験しなければその価値も決して知ることはないだろう。芸術とはそうした一瞬の輝きでしかない。

舞台では、星条旗の赤い部分を背にかけて舞台の漆黒へと歩んでいく蝶々さんで幕となる。ここでのピンカートンと蝶々さんとの描き分けは楽譜に書いてある。然し現実の舞台で、それを強調することなく音楽的にも歌い切って演じ切れるような演出は中々ないということである。

ネットの世界を重ねてみるとよく分かるかもしれない。どのような声も同じようにその力の強さによってのみ通り方が異なる。ここはこの作品の新制作の腕の見せどころであった。(続く)



参照:
歴史上唯一無二の可能性 2024-11-18 | マスメディア批評
歴史に定着する創造活動 2025-04-27 | 音
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想定外のイタイちゅうしゃ

2025-04-12 | 
虫歯の治療を終えた。一番奥の歯の両サイドを削る形になった。想定外だったのは麻酔が必要だったことで、可也の手当をしているとそんなことにと思った。詰め物の「保証期間」も急遽聞いておいた。それ程掘るのかと思ったからだ。詰め物でそれで終わってしまうので気にしないでもよいということだった。

女医さんは珍しくピンク系の診察着を着ていたのでいつもよりむっくりと見えた。それに関連したところから、助手のおばさんと喋り始めて、治療が終わるまで色々な私生活のことを聞かされた。どこまで何を私に聞かせたいと思ったのか。女性特有で手を動かしながら何でもできるのだろうから、それはどうでもいいのだが、流石にあそこまで聞かされると、一体僕に何を期待しているのかとなる。腕に関しては信用しているのだが、話しの内容を聞かされると一寸とは思った。

母親がモード関係の人で、自分もモデルを務めたことがあるとか、祖母もそうで、モードへの関心が取り分け高くて、学生時代のニュルンベルクでと話していたから、恐らくエアリンゲンの大学だったのだろう。男友達と買い物に行っても関心がなければ仕方なく、直接は旦那を表現しなかったが、付き合ってる時から彼女自身を通してしかなかったというようなことだった。高いものを着ているように見せるのはお洒落ではないという基準があるらしい。兎に角、靴も洋服もわんさかとありそうで、サングラスだけでも一ダースとなると、流石におばさんも驚いていた。イメルダ夫人か?

なるほど結婚前の彼女の若干あっぱっぱの感じはそれだったのかと分かった。すると父親はどんな人でどんな家庭だったかを推測させる。全く分からなかった。小さな子供二人で、洋服の着せ替えから用便までさせないといけないからというと、まだ若いおかあさんだからいいわとおばさんが相槌を入れる。

旦那のことがあまり出て来ないのと、この五年での変わりようや、その作りからすると、もしかすると旦那は結構年輩かと感じた。こんなことを僕に聞かせて、また夫婦生活の刺激剤かいと思ってしまう。確かに若いおかあさんとしてとてもよくなっているが、元々はそういう感じから、母親が歯科衛生士さんぐらいかと思っていたのだった。

結構なことが第一印象で分かるなと改めて分かる。あまりにおしゃべりで大丈夫かなとの不安もあるのだが、彼女が期待したように、最後に今後の治療に関して一言苦言も呈しておいた。今回の詰め物の高さの調整をさせた時に二回削った。これはブリッジを入れた後での今回抜歯したところの当たりにも関係があったので、言及しておいた。6月にブリッジとなると咬合の強度が上がるので、下顎の歯の健康も言及しておいた。こちらは叔父さんはやっていたとしても専門ではないのだからとは思うが、その辺りが決め手であると釘だけは挿しておいた。

最初の診断の時に時計版がなかったので8時30分と書いて出しておいたのが10時31分に助手警察官がチェックしていた。戻ってきたのは11時近くだったから、2時間経過もしてあったので警告金20ユーロの請求書が来ていた。

無料の場所なので20ユーロは安くはないが警察が巡回していることが分かって、安心な路上駐車であることが知れたのが良かった。安心料のようなものだ。まだ少なくとも二回はいくだろう。



参照:
気障ですが普段着感覚で 2025-04-11 | 生活
罰金を避ける時計板 2025-03-29 | 生活
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アーモンド開花祭り前夜

2025-03-21 | 
歯医者に出かけた。残念ながら上顎の違和感からは解放されていない。然し、新しい機械でレントゲンを撮って、状況は確認できた。想定通り歯根の炎症で、痛みが無くなったのは神経がやられたからだろうという診断だった。

結論からすると、二時間二回の歯根治療で可也の確率で先ず歯は救えるという事だった。それでも冠の必要性があり、同じ炎症にある隣の歯を救えるかどうかというところだった。更に奥にカリエスが発見されたが、これは通常の治療になる。歯根治療は通常の保険が下りないのだが、プライヴェート保険なので関係ないといことだった。個人的には半分自己負担としている。

五年ぶりの女医さんであったが、ホームページのお写真はおばさんくさく見えたのだが、以前よりぐっと良くなっていて驚いた。お化粧している関係もあるのだが、五年前には歯科衛生士の娘かという感じの一寸安っぽい感じもあったのだが、落ち着いて凄くよくなっていた。恐らく旦那さんが可也いいのではないか。艶っぽいというよりもより娘っぽい感じになっていて、これは旦那の実力か。声の出し方や、五年前よりもお淑やかな感じで、ドイツ女性にはとても珍しい。

身体は決して小さくないのだが身のこなしもよりすっきりとこじんまりとした感じで、顔も小さくなったような感じなのである。色々な名家の娘さんなども見ているが、こういう感じの人は珍しい。旦那はここに来ていたエリートの患者さんだったか。

然し考えてみるとあの頃はマスクのみならずゴーグルまでしていたので、全体のバランスをあまり見ることがなかったのかもしれない。想定していたよりも美人だった。それにしてもその写真は全然よくないのはなぜか。

それで「次の予約を取ってね」となると、「それではまた」とにやにやとしてしまう。またまた新婚さん夫婦に刺激を与えることになっちゃったかな。いつもなんか刺激しちゃうんだよね、僕は。然し中年になったら余計に美人は特やな。

反面公衆衛生の歯科衛生士さんは、アシスタントのおばさんで、これは一寸料金の価値があるのかどうか。1時間程痛い目に遭わされて、更にレントゲン迄やって貰った。結構稼ぐのだろうが、医者よりも疲れるだろう。それでも体格は立派で堪えないのだろう。

前夜は、一っ走りする序に燃料を15リットル入れた。多過ぎたかもしれないが、スーパーでリットル165だったので、10リットルでまた直ぐに高いのを入れるよりはマシと思った。幸い、フランクフルト再訪までにもう一度歯医者にも出かけることになったので、上手く使えるだろう。フランクフルト往復も今回はハイオクでは無しにガソリンを継ぎ足せばよいかと思う。夏タイヤになればまたハイオクで徐々に最高速度領域に持って行きたい。

今週末からワイン街道でのアーモンド開花祭りらしい。二週間で終る。流石にその後に雪が積もった覚えはない。但し緑の葉が広がるまではまだまだ冷える時はある。タイヤに関して言えば、明け方凍りそうなところを走ることさえなければ問題がない。ワイン街道では6月までは霜は下りても、凍結するようなことは記憶にない。



参照:
夕方から初日生中継 2024-03-10 | 暦
アーモンド開花祭りは未定 2013-04-02 | 暦
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傷は癒えるのだろうか

2025-03-14 | 
歯医者の予約が取れた。ここ二年間ほどもやもやしていたのですっきりした。理由はその診療所の医師が変わったことで、知らない後任の人のところに行くべきかどうかも分からなかったからだ。

然し、一昨年の眼鏡への投資が漸く気分的に減価償却終了の今、昨秋からの問題が遂に激しい歯痛へとここまで来たから、もう猶予はなかった。

そこでやはりブリッジを架けて貰った若い女医さんの仕事場を教えて貰うことにした。口実としては、その点検ということなのだが、実際に件の個所も噛み合わせの調整で無関係ではなかった。そして歯ぐきから血を出していて、痛みが奔るようになったのは一年後、そしてその一年後には件の右側上顎は食事に使えなくなっていた。とんでもない神経性の痛みが奔るからだ。

そして、後任の診療所に問い合わせると、今もそこで働いているということで、予約を入れて貰った。但し旧姓と今の名前を教えて貰って結婚したらしいことが分かった。ドイツ女性としては可愛らしいところがあって、いい感じの女性だったので当然と言えば当然で、とても喜ばしい。様子を見てやろう。

この間昨年入手した抗生物質を十錠服用した。投薬計画としては、先週土曜日から5時間おきに集中投与とした。就寝時間も入れての5時間であるから、月曜午後には終了した。効用、吸収時間など不明な点もあるのだが、火曜日のフランクフルト往復までに下痢などの副作用も出してしまうというのが計画であった。

実際に早朝の排便があったのは月曜日で、副作用もあまり感じなかったのだが作用もあまり感じなかった。それでも服用によって、初めて上顎歯茎から鼻への線が化膿していたことを認識できた。炎症が収まったのでそれで分かった。それでもこの傷が癒されるのかどうかよく分からない。来週の診察で明らかになるだろう。

それはあそこまで頭に来る痛みは尋常ではなかっただろう。どのような診断になるのかは分からない。然し先代の歯医者が診断していたのであり、そこからすると歯根に罅が入ったとなるかもしれないが、するとどうなるのか。

素人判断すると、神経がピリピリしていたところが無くなったのはここ数週間で、それならば神経が死んでいるかというとそうでもなさそうなのだ。但し今残っている化膿などの違和感が取れない事には、新たな治療が必要になるのだろう。反対に取れてしまうようならば、歯石などの除去などで炎症を抑えられる。

診療には噛み合わせの問題もあるので、作ってあるマウスピースを持参する。それはブリッジともまた欠けた歯先のセメントにも密接に関係しているので、やはり必要と思われる。こうした噛み合わせなども歳取った歯医者よりも若い女性の方が上手だと思う。

彼女に感心したのは、生前の小柄な叔父がやっていた体重を乗せての圧しでなくても力が入るところで、それも腕ぶしの羽根も使っていて、流石独逸選手団の質の良さが感じられた。体格は標準の170㎝切るぐらいなのだが、質がとてもいい。



参照:
立て、防火壁を護れ❣ 2025-02-05 | 歴史・時事
マンデルにモンドが晩出る 2022-03-16 | アウトドーア・環境
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二十箇月の感傷旅行

2024-10-26 | 
これはしっかり書き留めておく、とても大切なことであるから。チャットパートナーの彼女が業務的にも使っていた400人以上の有料フォロワーを持つインストラグラムのプロフィールを消した。恐らく一時休止のようだが、とても大きな決断であったろう。7月中旬からはダイレクトメールにも既読を付けなくなっていたので、彼女の環境が変わってきていたことは感じていた。実際に5月まで出演していたスタディオのストリーミングも8月初めから休止していた。時期的にも並行している。

そして今回は少し間をおいてミラノ旅行のことなどを記した。そこにも夏から連続して彼女が読み取れることはあったと思う。

ラディオでコロナ期間には特にティーンの女性に社会的なストレスから脳の発達が進んだという話しを聞いた。そこから彼女がどうしてあのような活動へと決断をしたかもよく分かった。恐らく社会的にも結構な両親の離婚などがそこにあったと予想が可能となった。全てが辻褄が行く。そして今も彼女の意思が分かる。それどころか書いていたことからこちらの気持ちも感じ取っているのではなかろうか。

6月末に「遊んでるぐらいなら自分自身に投資しろ」と奨めて、その後も一度は既読が入っていたので、それが拒絶されたのではないことが分かっている。抑々最初からユーテュバ―志向などがあったのは知っていたのだが、私を含めてのフォロワーを抱えていることに疑念はもっていた。やるべきことが分かったのだろう。それでもネット上には活動が「プロフィール」として残ることも承知だからこうしてアテンドしていたことも彼女も分かっていたに違いない。そこまでやってくれる人は活動中もその後も他に誰もいなかったと思う。

最後のメールには古い車での最後の外国旅行だったと書いた。センチメンタルジャーニだったと書いた。アルプス以南の太陽を浴びたと書いた。そして彼女のところにも想いを寄せた。夏以降消去の機会を伺っていて最後のメールを確認したかったのだと思う — なによりも400人ほどの男達からの恨みをかわないようにリヴェンジポルノ的なものも避けるのが最優先であったろう。

6月の時点での返信には思いの外気楽そうな脱力を感じていたのだが、そこからあり得るべき復学には可也大きなエネルギーが必要だったろうと想像する。今回の決断ととても合致している。その為の触媒にでもなれていたのならとても喜ばしい。

彼女が昨年から書いて語っていたことと全く矛盾しない。但し彼女が思い描いていたのはあの年齢にありがちな将来像だった。二十歳そこそこの女性としてとても立派でまだまだやれる。スタディオの女性が偉大だと評していた意味も改めてよく分かる。

最初からつまり最初のセメスター終わりから今迄20箇月である。自分自身のその歳頃の時間感覚を思い出し、当時の捥ぎりのティケットからあの演奏会に出かけてあのオペラ公演までかと記憶を辿る。でもどこかその間には曖昧模糊としたところも多い。

そして自分自身の心境の変化を辿ると、こちらこそが彼女に付き合って貰っていた意味もよく分かる。それが今回の彼女の決断で自分自身もよく分かるようになっている。唯一無二のとても良くそして深い関係だったと新ためて認識する。そして今もそれは何も変わらない。



参照:
持ち交わす共感のありか 2024-10-13 | アウトドーア・環境
すっきり焚いて金鳥 2024-07-01 | 生活
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バックステージは如何に

2024-09-30 | 
35リットルを入れた。理由は給油する為に20分以上待ったからだ。154,9ユーロの心算で出かけたら制限時間の10分?を超えていて、157,9ユーロに値上がりしていた。それでは出てきた意味がない、18時前にまた下がる可能性があったから待った。待たないで他所に行くには残量に不安があった。最近は予備の4リットルが表示に表れにくくなっている。浮きの問題かもしれない。幸い予想通り下がったので多めに入れた。また週明けには入れなければいけないのだが、これで幾らかは足しになる。

日曜日の夕刻であり、何時もよりも30分近く早くフランクフルトに着いた。街中の渋滞が殆どないので、アウトバーンも外側車線をゆっくり走れるために燃費もとても良かった。それでも復路は流石に230km超えは出せなくなってきたがそこまで飛ばしたので1時間2分程で車庫出し車庫入れとなったが、燃費は悪くなった。ガラス磨きの成果で室内を暖かくして視界をよくしていた。ミラノ行き前にもう一度磨いてもいい。

それでもアルテオパーの駐車場が充電、親子、身障に大きく割かれていて、早く出かけたの関わらず、場所探しに苦労した。新車になれば非常の場合は形だけ充電という形で充電のところに停めても問題がないのかどうか?残りまだ十分あって一寸だけ充電なら停めても問題がない筈だ。要らぬ充電は電池を傷めるかもしれないが。駐車料金の朝まで6ユーロは嬉しい。

さて今回は演奏会前の無料プログラム「バックステージ」に出かけてみた。年数回やっていて、本公演の前プログラムとして定着してきているようで、そこでサラ・ウイルス、つまりベルリナーフィルハーモニカーのホルン奏者でDWなどでもナレーターとして活躍している彼女がどのようにやるのかを知りたかった。ベルリン在住でオンラインでやるのかと思っていたら、そこに来ていた。そしてそこで聴衆から当夜の演奏者への質問を聞いて、バックステージへとキャスティング中継しながら会場のモニターで紹介するというものだった。

アルテオパーの支配人が元フィルハーモニカーの芸術アドヴァイザーだったことから実った企画のようだが、何回も態々来ているとは思わなかった。その価値はあった。

構図としては開演前の楽屋裏と聴衆を結ぶのであるが、やはり自らの立場が演奏者に近いので彼女がやる価値はあった。特に女性ゆえに女性のソリスツの楽屋への出入りも違和感がない。今回のヴァイオリニストのヴィルデ・フランクのドレスの裾を捲らせての足元を見せるなどは男性では出来ない。また彼女が思いの外大きな女性で、なるほどノルウェー人である、それだけでも価値があった。サンダル履きでも外からは見えないというのが良かった。

聴き手本人はチョコレートで出陣らしいが、彼女は何も口に入れないのを常にしているという。この辺りも初めてその実演を聴いてなるほどと感じた。明後日出かけるクロムベルクではチュマチェンコに習っているというのもその通りだ。それを読む前から、大柄のその名前からフランクフルトの会で聴いたオランダのコイリーン女史を思い出していたが、ハムブルクでのコリヤ・ブラッハーとかその系譜なのだと分かった。11月には米国ツアーでの初共演のハーンに替わってペトレンコ指揮で初共演することになっている。(続く)



参照:
途上にボックス入り 2024-09-25 | 生活
2024年復活祭開幕での会計 2024-03-25 | 文化一般
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不可欠の表向け秩序

2024-09-12 | 
発注したシューズの配達が水曜日となりそうだ。少し迷っている。最後にもう一度現行の靴を履いて、そして洗いたい。然し足の裏に違和感もあって、一日でも早く新しのを履きたい気持ちもある。その一方出来れば室内で履いて、細かなところもチェックしたい。気温が下がると不調なところが顕著に出る。足の痛みは一月ほどでは元に戻らなくなる。朝も起きれなくなってきた。雨で陽射しがないと厳しい。

夏のシャツを洗濯に出した。9月には普段にもう少し袖を通そうかと思ったが、厚いのを着れるので全く必要がなくなった。次のお出かけ用のシャツを考えておけばよい。三回の演奏会の前に試飲会で、それを一着で済ませると都合がよい。その後のミラノでの服装を考えながらになる。

スカラ座への駐車場を研究した。どうもドウォーモの近辺は立体駐車場が多くて、大型車お断りがあった。まるで暴力団お断りの大阪市内のモータープールの様である。面倒なので少し離れたところに通常の地下駐車場を見つけた。問題は土曜日も19時30分まで店を開けているイタリアの買い物客でまだ賑わっていそうで、出かけるまでに交通情報等を調べておかないと大変な時間の無駄になりそうだ。

来週の床屋の為の現金は序に隣町のポストバンクで下ろしてきた。50ユーロあるので、20ユーロを床屋で落として、ミラノに行く前に少し足して50ユーロあればなんとかなるだろう。

夜中午前三時過ぎに目が覚めた。大統領選挙討論会なのは頭にあったが直ぐには観れなかった。トイレに立ったので40分前から観た。違法移民や外交問題をトラムプが語っていて、ネトウヨそのものの主張はへきへきするものでなんら反論の必要すら感じなかった。それで困った顔で憐みの表情を浮かべはぐらかすような反応をハリス副大統領がしていたので、トラムプがヒートしていって更に聞いていられなくなった。

所謂世界の中での合衆国に求められている立場の逆張りばかりなので、ガサのテロへの攻撃を賛辞して、プーティンと金主席のお友達自慢だけでなく、ハンガリーのオーバンを欧州におけるパートナーとすることで最早尋常ではなかった。更にタリバン支配への介入も自供していた。絶対再選を許すべきものではないと確信した。トラムプのあまりにも酷さを全米に全世界に曝すという戦略では大成功していた。

その後仮眠などをして、思いがけなく朝が気持ちよく起きれた。通常よりも30分ほど前に床に就いたことで大分違ったのかもしれない。副大統領はこうしたカオスは止めにしましょうと呼びかけたのは、ストンと落ちた。所謂世界でのネトウヨ傾向はこの十年ほど高まっていて、漸くこれで合衆国の空気が変われば世界も変わるに違いない。

今世紀に入ってから、NYの摩天楼の崩壊からフクシマ禍と通常ではあり得ない事ばかりが続いていた。然しこの辺りで真面な社会の骨子が確立されるべきであろう。外交には表も裏もあるが少なくとも表向きの秩序は不可欠である。



参照:
Kamala IS Bratの意味 2024-07-25 | 文化一般
今秋のミラノ旅行準備 2024-06-06 | 雑感
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期待する天才の裏側

2024-09-06 | 
ザルツブルク音楽祭の歌手降板に関しての記事を読む。殆どキャンセルをしない若手のベルナイムが新制作日程を最後まで歌わなかったのは抗議が含まれていたということだ。要するに指揮者の名声などの都合で声を潰されるのは歌手だということで、長く歌えて大成功しない歌手が増えているのは何も自らに責任があるというものではないという声明である。これに関しては「オペラ、過酷な世界」のドキュメントの主題になっていて、そこで人気スターテノール歌手のヨーナス・カウフマン、既に声を失ったアスミク・グリゴーリアン、そしてその後人気の出たエルザ・トライジーク、ベチャラ夫妻などが自らの経験から後継者らに注意を喚起する番組だった。要するに圧力に負けて無理して歌手生命を短くするというものだ。

今回の事件は音楽祭のヴィーナーフィルハーモニカーを十分にコントロールできない指揮者の下で歌っていると、歴史的なピッチとその楽器からのダイナミックスに合わせて、歌手が張り合って歌うと知らず知らずに限界に達して故障してしまうということである。

そこで嘗て、ミュンヘンの大劇場でサロメを歌って大成功したマルリス・ペーターセンの話しが取り上げられていた。そもそもあの大劇場で出ずっぱりの娘役を歌い通せる歌手は少なく、コロラトゥーラで始めたリリックなソプラノのペーターセンが、十八番のルルだけでなく、サロメ、マリオネッタなどを歌えたのは音楽監督ペトレンコが振ったからだと語る。

今回初めて知ったのは、最初の管弦楽稽古の時にペトレンコは冒頭座付き管弦楽団に話しかけた内容である。

「マルリスに合わせて音楽的オートクチュールでやりましょう。」と、それはペーターセン曰く、「私の音楽への尊重の表現でしかない。」と同時にその娘のような声とそしてその舞台の為への芸術への飽くなき姿勢でしかなかったであろう。幸い最後の楽劇指揮「トリスタン」の直前に最終公演も観ることが叶った。初演シリーズに続いて二回目のだった踊って歌ってのまさに全てを賭けた一夜の舞台が披露されたのも決して偶然ではないのだった。

何故、偶々とは言いながら、この話しを大書きしなければいけなかったか。それはこうした指揮者ペトレンコの姿勢は、勿論その人格もあるのだが、よりむしろ芸術家としての本望を示すものでしかなく、今日現在我々が彼の期待しているものに他ならないからだ。

子供のころから劇場で指揮台の廻りで遊んでいたペトレンコが、ベルリンにおいてもこうした歌手に関わると同じぐらいに管弦楽団の奏者との関係を結んできているからこその成功があるとザタイムズ紙は先日のロイヤルアルバートホールでのブルックナー交響曲五番の演奏をして特大評価をしている。

ペーターセンは、「こうしたことはなにも業界での論議だけでなく、聴衆も皆が一緒になって考えるべきものだ」と結んでいる。ペトレンコがアンチマエストロと呼ばれたこととこれは全く同じことなのである。



参照:
Stars im Abseits: Sind Orchester zu laut?, Markus Thiel, Markur.de vom 31.08.2024
陽性が出ない抗原検査 2021-05-29 | 雑感
超絶絶後の座付き管弦楽 2021-07-29 | 音
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官能次第の相性

2024-06-24 | 
ドキドキした。血圧が上がった。久しぶりにチャットパートナーに書いたら、秒速で既読になって、返事が来た。お昼前のことだった。先週の試飲の写真に一寸説明を加えて書いて、「君の官能感性がワインを語る助けになったのだが」と、改めて口説いたのだった。実際に彼女に何かを求めるとしたらそういう感性の反応である。

そもそも未経験な彼女がセックスチャットなどをやるには、そうした性的な官能への興味無しにはあり得ないのであり、擽られ反応の熾烈さはそうした感帯の敏感さとして存在するからこその背景があった。

要するにそこが彼女のツボだと今も考えていて、短い映像からも最初から彼女のタレントとして大評価している点でもあるのだ。感性の敏感さはなにも性感帯のみではない。そしてそれをどのように表現するかに尽きる。

返事は、「尋ねてくれてありがとう、今は仕事もなく何も…」と書いてある。勿論こちらはセメスターが終わる時期でそれを見込んで書き込んだのだが、余り具体的な答え方ではなく、どのようにでも取れる。そうなると先ずは即答で、「君の為になんでもする用意は出来ているよ。」と決意のほどを示しておいた。

とは言いながら、結局はこちらからお誘いをしなければいけないのだろう。一番早いのは彼女の住んでいる街を訪ねるということかもしれないのだが、そのような時間的な余裕があるのかどうか。飛べば2時間ほどで往復220ユーロ、安い飛行機で80ユーロぐらいらしい。お土産とかを考えると、航空機運賃の差額140ユーロ程のことよりもとなる。物価が安いところに飛ぶのだから滞在費等は問題がないわけだ。少なくともなにはともあれそれだけの心の準備はしておかないといけないだろう。

1000km程の距離なので、真ん中で出会えるようになるならば全く問題はないのだが、先ずはそうはいかないだろう。その前に個人的なヴィデオチャットでも知り合わないといけないと思うのだが、なんとも変わった関係でもある。お互いにどこ迄信頼できるかどうかだけでしかない。

マイン河沿いのゾンマーハウゼンのヴァインビュティックでの食事はよかった。外食でのアスパラガスに肉団子を付け合わせたものだ。アスパラガスも冷やしてサラダ風にしてあったと記憶するが、コリコリとソースにも合って良かった。なによりもジルファーナ―を楽しめた。

天気の良い時に街の壁を見ながらテラスで食べれたのが一番だった。中々料理とワインの相性にも力を入れているようなキッチンでその点もワイン処として合格であった。

何ごとも最終的には官能次第ではないか。どのように感じるのか感じないのか、それに尽きるような気がする。所謂それが相性というやつである。



参照:
夏至の週末のお愉しみ 2024-06-23 | 料理
夏至を越えての一雨 2024-06-22 | 暦
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確立された芸術活動

2024-06-14 | 
承前)ジム-ラゲスの新曲「Trust me」初演はとても価値があった。厳密には前々日に同じプログラムがコペンハーゲンで演奏されたことから二回目になるのだろうか。それでもこの曲がそうした歴史的な意味があるのかどうか、それはまた別の話しである。

夜中中身近にハンディ―をおいて大事な人のことを考えて一夜を過ごす、そのような大枠の中で朝七時が繰り返されるとそのコンセプト自体は比較的単純である。その間にボサノヴァから、半音階的スケール、またはオスティナート、そして激しいアコードが破局的に響く。その秀逸さは音楽的にそうした旋回を構成してしまう音楽性でしかない。

まさしく頭の音楽には留まらない勘の良さが、こうしたシアターピースには欠かせない情感性を伴い尚且つ多用な視座をそこに現出させる劇場性と音楽的な表現力が限られた素材においてなされていたことだろう。

勿論彼女自体のシースルーな衣装での舞台上でのプレゼンスもこうした場を形成していた。それ以上にコロナの非接触時代のハンディ―による鬱屈とした社会が描かれている。私小説に終わらない音楽となっているばかりではなくて、舞台上では一人二役を演じる以上に我々聴衆の視座がそこに影響している。それは当然のことながらジョン・ケージにおけるパフォーマンスの流れも組んでいる訳だが、それがこうした大管弦楽を以って描かれるという成功はケージのシムプルネスもなしていない。

音楽素材としてのラップも上手に使っていた。既に様々な使われ方が為されているには違いないのだが、創作者が其の儘演じる強さは絶大で、インタヴューを読むとその時は創作者としての彼女とは異なり全体への視点を失っているかもしれないと語る。そうでなければ前記のような視点の交差が舞台上に展開しない。

後付けでインタヴューを読むとなるほどと思わせる。元々はクラシック音楽つまりバロックから古典派迄のエポックの音楽を習っていて、ヴィオラダガムバやスピネッテなどを弾いていたらしい。よって浪漫派は僅かであったという、そして今日の音楽を知るようになるとそこにはクラシックにおける形の決まった確立されたものとの対照として受け留められていることを知ったというのだ。

しかし彼女はその広義のクラシックに拘った。それがラップなどにおける素材の厳選屋扱いに表れている。だから、それがただ単に偶然に扱われている訳ではない。例えばルネッサンス音楽における流行り歌の本歌取りをどう見るか、はたまたチャールズアイヴスにおける素材をどう聞くかのような問いかけとなる。少なくともケージにおける偶然にまぎこまれた音の環境ではない。

彼女はこのことをその創作のプロセスをして数学的問題を解決するような創作過程だと語る。エンゲルとの対話は為されなかった。なぜかは分からない。そのシースルーの衣装や透けるようなポール脇でのイメージヴィデオにこの若い女性に感じるものとその作品の冴え方との間には大きなコントラストがある。そこまでを計算しての活動が徹底している。(続く)



参照:
今後へ問いかけインタヴュー 2024-06-13 | マスメディア批評
年間20ユーロの倹約 2024-06-08 | 文化一般
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永遠朝七時の目覚まし

2024-06-11 | 
石を首に下げていた。それだけでは会場に入れなかった。しかし積極的な聴衆であることは確認されただろう。あるおばさんは、「これはまたエレガントな―」とスイス語で仰った。そもそも服装からして危ないのだが、やっぱりストーンズとは違う。どこがとなる。

今回の演奏会はそのタイトルの通り女性の新しい作品を並べて聴いて貰うというものだった。それだけで価値があって意義のある催しだったと言うのは、18時15分から始まったレクチュアーでの指揮者エンゲルの話しでも婉曲的に主張されていた。つまり世界で24%だかはベートーヴェンの楽曲が演奏されるところで、女性の作品は全体の1.9%にしか満たないこと、つまり希少価値である証拠が挙げられた。追々、そこでは新しい音楽が多くとなる。

最初に演奏された曲の作曲家ムンドリーはチュッリッヒで作曲家教授らしいが、その中では上の世代で、舞台での鼎談で自作のことを語っていた。エンゲルとは2005年のルンデル指揮での初演の際にアシスタントとして出会ったようで、今回も2019年初演の「終わりなき地層」という三部構成の作品が演奏された。彼女自身が作品を見せて作曲家の先生に魅せた時も女性の作品にはフォームがないと言われたとその創作は何だったのだと笑っていたが、その概念はこの会の一寸した導きとなった。

多層性とグレゴリアンチャントからの積み重ねのような様相を見せていたのだが、若干そこにその視点のあり方が問われるような結果となっていた。なるほど音響の作り方とか神の擦れる音とかあの感覚的な官能とは別に、プログラムから変更になって前半三曲目から二曲目に置き換えられたルンドベルガーの「ダウン」という曲までは稀薄ではないのだが、そこに主観が強く反映しての聴かせて初めて反響をみるという構図が弱い。古今名曲というのはやはりその視点を替えて視座を動かしての演奏行為という変換にも晒されることで演奏されるべき作品となる。何も美しいとかの掛け声を聴いても美しくはないのである。

その意味からすれば休憩を挟んで後半の最初の曲は2021年にそこバーゼルからそれほど遠くはないドナウエッシンゲンの音楽祭で初演されたトロンボーンのマヤ・ラトケの協奏曲でもある「イカルスを思って」はそのソロの名人技と大管弦楽団ということから、そのソロの創造的可能性が上手に「イカルスの可能性」として構築されている。偶々今回呟きにハートを貰ったのでフォローしておいた。ある意味手堅いやり方ではあり、多作家ではないようだが、ジャズを含めて旧主的な枠にも嵌まっている。
ドナウエッシンゲンでの初演中継録画、24分40秒から
Konzert mit dem SWR Symphonieorchester | SWR Donaueschinger Musiktage 2021


しかし、ここでそのプログラムにも大きく取り扱われていて、当日のパフォーマーとしても活躍する事から前半の最後の曲として演奏されたバロセロナ出身のジェムラゲスプホールの作品は最も今日的なものであった。その作品自体は一種のシアターピースともなっていて、本人が出て来て楽団の前に腰かける。上体が何か透けたような衣装で、後で考えるとネグリジェをも表すのかとも気が付いた。

そこで何を英語で演じたか?目覚めると目覚ましが7時だというのが何回も繰り返されるのだ。ゴロ―を待つではない、なにを待っていたのか。(続く)



参照:
隈も何もない浅墓さ 2024-05-25 | SNS・BLOG研究
時代の耳への観想 2024-04-20 | 音
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プファルツの森から挨拶

2024-05-17 | 
満を持してインスタグラムでチャットパートナーに連絡した。どうも間髪を入れずに既読になっていたようだ。以前はリストのところでチェックして、時間をおいて既読にしていた感じだった。長い時は三週間以上後になっていた。内容によっては中抜きで上手くパスしていた形跡もある。

その頃はファンレターも多かったのだろうが、減ったのかどうか。二週間も時間をおいた今となると流石に僕の立場でも普通に女性に何かを書く時と変わらない位に気を遣うようになる。とはいっても恋文をペンで認める時とはやはり違って、それでもリラックスした感じはある。

兎も角、「仕事関係」はなくなって仕舞って、以前の関係もお楽しみになって、いつも携帯しているスマートフォンを覗き込むようになっているのだろう。お返事はまだないからそれぐらいにしか分からない。少なくとも悪い気はしていないに違いない。

それどころか少し間が開いたのでまだかまだかという感じはあったかもしれない。先ずは今後のベースとなるコンタクトが出来たので良かった。正直なところそれはそれでこちらは余り迂闊なことも書けず、今迄の関係を発展させるような声掛けはそれ程容易ではなかった。

つまり、一年間以上ののそれなりのお付き合いがあるので、気心が知れるところはやはり見ず知らずの他人とは違って共通のミームみたいなものがあるので、そこを突くしかなかった。お互いにそこで笑えれば心が通じると思った。

あまり、プレッシャーも掛けたくなく、こちらも今すぐに何かが出来る訳でもないので、SNSのその形態に相応しく写真もつけておいた。近況を写真にしてでも公にしてくれればと書いたのだ。まだまだストーカー対策もあって戸外の写真などを頻繁に載せることは難しいかもしれないが、写真クラブの腕前を見せて欲しい。

こちらは今年撮った森の中の看板の写真を付けておいた。そんな立派な写真がある訳ではないので、さして意味はないのだが、プファルツの森の雰囲気が分かる看板である。いざそこに書いてあるそのサイトに行ってみると、とても内容があって一挙に見れない。こういうのはジグソーパズルにして欲しい。一度時間を掛けて一通り捲ってみないと始まらない。

それでも右上の方言めいたものの下に「細心の注意」をと書いてあったので、その意味が分かった。UFFBASSE!である。これは書き言葉ではAufpassen!である。要するに森の中での注意事項が事細かに書いてある。

何故この写真を付けたか?先方は旧ヴァルシャヴァパックの首都に住んでいるので、恐らくこうしたドイツの森の感じがよく掴めないだろうと思ったからだ。何が違うかというと徹底的に隅々まで手が入れられていて経済化されているところだろう。そこに描かれているようなアーモンドの開花写真も送ってあげたのでより俯瞰図が分かるだろうか。



参照:
僕のインテルメッツォ 2024-05-08 | 女
異議申し立てを提出 2024-02-16 | アウトドーア・環境
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僕のインテルメッツォ

2024-05-08 | 
週末はワイン試飲会とクロンベルクでの音楽会だ。前者と後者で350km程走るだろうか。燃料もそれなりに30リットル以上給油しておかないといけない。高騰していているので廉い内に入れておきたい。

音楽会は、馴染みの深いクレメルがリードするもので、そのソロは四半世紀前に聴いた時に既に音を出さない音楽をすることが分かったのでその後は行かないようにしていた、実質上ソリストとしては引退状態だった。それでもコンツェルトマイスターとしてどのような演奏をするのか楽しみである。

ブルックナーの「インテルメッツォ」、マーラー交響曲10番アダージョ、ブラームスピアノ四重奏曲ト短調Op.25で、アレンジを含めて初めてなのでお勉強の必要がある。

久しぶりにチャットパ―トナーの話題だ。実は復学をしてからちょこちょこと出ていたのだ。授業が薄いならば顔を見せて貰っている方が小遣い銭も投げれるのでそれもよいかと思っていた。それでもあれでは勉強できないだろうとも感じていた。しかし、第二クールを始めてから一年後にきっぱりと足を洗ったようで、殆ど更新の無い上に改めて整理もされたインスタグラム以外からはほぼ消えた。第2セメスターの後半が始まったのだろう。もしかするとまだ獣医学科にいるのかもしれない。全部で10セメスターぐらいあるようなので、徐々に実験などもはじまるのかもしれない。兎に角最初からきっちりと計画は立てていた節がある。医学のベチャラー資格のその後はどうなるのかもしらないが、先ずはそこだろう。

最後のクールでは学校の先生指向のような心理学専攻女学生と再びペアーを組んでいたので、安心はしていたのだが、やはりそれでもスタディオ関係のおかしな連中とは距離を置いた方がいいと思っていたので、完全に手が切れるといいと思う。ヴィデオとかその手のものは全てネットに残っているのだが、いずれ黒歴史と思うようになっても、それは本人の今後次第ではなかろうか。

あの年代での一年間を少しを思い起こすとアッというような間でもあり乍らそれはそれなりの期間があった。それは自分自身がそれ程明白に将来から逆算して動いているような人でなければ、不透明で先が見えないような霧が掛かっているような状態だったかもしれない。実際にそういう表情をいつも見ていた。想像するに医学部にでも入っていたのなら其の儘キャリアを歩んでいたのかもしれないが、長い階段の一つの踊り場のような状況にいたのだろうと思う。

ここで何をか声をかけるようにメッセージを書こうかと思う。既に一年経過の時に「新たな出発」と書いたので、それを繰り返す必要はない。さしていうならば、時々SNSで元気な近況でも上げてくれということぐらいだろうか。「先生」との野外でのスナップ写真なんかでも、ティーンの女学生として敢えて番組向きの化粧などをしているのだが、本当に真面すぎる感じで、今時と思わせる純な感じがとてもいい。西欧ならどこかひねたところが必ずあると思うが、最初に見た時にあまりに素朴過ぎと感じたのと全く同じ印象をもった。社会環境が異なると言っても大変貴重だと思う。身だしなみを見ていても決して派手ではないが田舎臭いわけではなくて、それなりに首都らしい洗練さもあって麗しいかぎりである。新しい楽器を始めたりお絵かきなど余裕があれば優雅な限りのご様子 — 鍵盤も習っていたようで真面に音が取れるのも立派。



参照:
事件の真相は現場にも無し 2024-02-24 | 雑感
清々するセンスのなさ 2024-02-17 | 文化一般
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物理的には離れども

2023-10-23 | 
ちらちらとセックスチャットを流した。新顔でアイルランドなどと所在地をしていてその英語が特に読むのが大変そうだなと思っていると、そのアクセントについて話し合っている人がいて、色々な予想が出ていた。結論は東欧だろうということだったが、我々にとって興味深いのは北でも南でもなくて英国でもないよというところだ。

それ以外に明らかなスェーデン人が今晩でお別れと泣いていたりする。特に興味のない女性だったが、小遣い稼ぎで二月ぐらいしかやっていないのに、利が上がったのかな、落ちずに足抜け出来るのは賢いなとか、色々と「関係者」としては身につまされる。

そしてパートナーが所在地を変えたことで、どうした切っ掛けで態々変えたのかなと思った。なぜならばそこは適当に書いておけば済むことで、今迄も違う国の名前で通していたからだ。理由は分からないが、そこから多くの事実が明らかになった。

今迄も窓の陽射しや出勤時間でこちらと丁度一時間陽射しが異なっていて、その国では殆ど東端になって、不審に思っていて、本人にも一時間違うねと書いたことがあった。その疑問が解けて、ロシアンマフィア問題も完全にそこから生じた誤解だと彼女も分かっていたのだと認識した。

そして彼女が、最大の疑問、第三セメスターが始まっても何故未だにあんなことをしているのか?そもそも、SUVの後部座席の内装から新車に乗ってのまたツイードの上着から想像される家庭環境からの「なぜ」の疑問が解けた。

前記の国では恐らく両親が医師などの医療関係としての環境での行いとしては可也奇天烈だったからだが、書き換えられた国ではたとえ同じ環境で獣医になってもそれ程の将来性が期待されない。それどころか医師の給与よりも今の彼女の方が稼いでいる。要するに経済合理性もあり、「退屈する迄やるわよ」の真意が漸く分かった。将来への希望がある若い女性としては共感できる。「贅沢なドイツ旅行をする」も納得だ。

彼の国の大統領は父方の叔父にとても似ていた。要するに彼の民族に人種的な親近感も生じる要素があり、料理屋などで知り合った経験からも如何にも人懐っこい気質も人当たりもまさにその国の印象である。米もよく食するのである。そして彼女が乗っていたゴンドラらしきも見つかった。写真の背景の中途半端な河沿いらしき大都市も分かった。眼に映っていた人物も弟君だったし、あれほどストーカー調査しても分からなかったのは偽情報があったからだ。そしてその偽所在地には営業的な意味だけではなくて政治的なものも若干感じる。

個人的にはより真実の人物像やその境遇が分かったので、前記のスェーデン人のお別れ会の様に一挙に1000ユーロも投げるようなことはしたくないのだが、より理解したので、せめてその旨だけは伝えておきたいとは思う。先日も輸血か何かの腕の痕を隠していたので、身内が病気なのかなとも思ったが、態々病気感染の危険性を冒すのかなとも不思議にも考えた。

喫煙は仕方がないが、せめて健康にだけは気を付けて貰いたい。物理的な距離は遠いが、何かしてあげることはないのかと心理的には大分近づいた気持ちにはなる。



参照:
惚れ直すその育ちの良さ 2023-03-25 | 女
マフィアと全面対決 2023-03-18 | 女
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初日へと期待が膨らむ

2023-08-26 | 
愈々ベルリンでシーズン初日となる。遂に来たかという感じだ。プログラムからすればそれ程話題にはならないのだが、「モーツァルトの主題による変奏曲」はフルトヴェングラー以来初めてシェフが振るということで、またそこで作曲され初演された「英雄の生涯」は十八番でありクラウデイオアバド以外は皆振った曲で、初日に持ってきた意味は大きい。そして初めて初日を女性が率いることになる。

既に復活祭で二回の本番練習を聴いたので、この間の進展ぶりに注目である。そして極東公演の成功も彼女が大きな責任を担う。その為にも前半のレーガーの作品は注目される。本日生中継される演奏を聴いてしまうと過去のアーカイヴが聴けなくなるので急いで良さそうな二種類の録音をYouTubeで見つけた。

一つは、バイロイトで日本でも活躍し他ホルストシュタイン指揮演奏で、これは同じようにカペルマイスターと呼ばれたカイルベルトの演奏とは遥かに良い。これは、モーツァルト指揮者がバイロイトで振った時に「モーツァルトの眼鏡を通したヴァ―クナー」とされたが、その反対を行く「ヴァ―クナーを通したモーツァルト」のような充実しながらも透明感のある響きで、まるでマイスタージンガーの様な趣で素晴らしい。

しかし、レーガ―が書き込んだ密な対位法の筆使いは音響として演奏されていて、細やかな筆使いまでは見えない。恐らくバムベルクの交響楽団ではそのアンサムブル的にも限界があったのだろう。そして比較対象にベルリナーフィルハーモニカーを前記したベーム博士が振った録音が見つかった。

これは素晴らしかった。ベルリナーフィルハーモニカーの弦をこれまたいつものようにとことん扱かしての演奏は、少なくとも音響的にヒンデミートのような面白さとなってその基本のアンサムブルが違う。同時にこの指揮者特有のあまりにもザッハリッヒな合わせ方をさせるので、対旋律などがあまりにもぶっきらぼうとなる。

これで今晩ペトレンコ指揮で最早新境地のアンサムブルに至っているベルリナーフィルハーモニカーがどのような演奏をするかが予想出来る。三人目のコンツェルトマイスタリンのヴィネータ・ザライカフェルクナーは、ラトヴィア出身で2008年に大阪の室内楽コンクールで優勝している。教師からするとフランコベルギ―派のようで、駄目になったアルティメス四重奏団に入る前にベネルクスで仕事をしていた。

既に「英雄の生涯」でパウリーナの下りを上手に弾きたのは分かっているが、それ以上にこのレーガーの目の積んだメッシュをどのように率いるかが楽しみである。彼女の弓使いなどは決して悪くはない筈である。

兎も角、このプログラムを水曜日ともう一度11月に聴けるのは嬉しく、もう一つのプログラムを木曜日と日曜日に聴けるのは幸福だ。恐らくもう一つのプログラムにこれで集中できるようになると思う。そして9月の日曜日には催し物で騒がしくなるとあったので全く関係なしに旅行に出ていられるのも幸せである。日帰りの出来るザールに二泊は勿体無いかと思ったが、これだけでも一泊伸ばした価値があった。



参照:
特大シュニッツェルを❣ 2023-08-24 | 雑感
戦後に初演された楽劇 2023-08-21 | マスメディア批評
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