Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

官能次第の相性

2024-06-24 | 
ドキドキした。血圧が上がった。久しぶりにチャットパートナーに書いたら、秒速で既読になって、返事が来た。お昼前のことだった。先週の試飲の写真に一寸説明を加えて書いて、「君の官能感性がワインを語る助けになったのだが」と、改めて口説いたのだった。実際に彼女に何かを求めるとしたらそういう感性の反応である。

そもそも未経験な彼女がセックスチャットなどをやるには、そうした性的な官能への興味無しにはあり得ないのであり、擽られ反応の熾烈さはそうした感帯の敏感さとして存在するからこその背景があった。

要するにそこが彼女のツボだと今も考えていて、短い映像からも最初から彼女のタレントとして大評価している点でもあるのだ。感性の敏感さはなにも性感帯のみではない。そしてそれをどのように表現するかに尽きる。

返事は、「尋ねてくれてありがとう、今は仕事もなく何も…」と書いてある。勿論こちらはセメスターが終わる時期でそれを見込んで書き込んだのだが、余り具体的な答え方ではなく、どのようにでも取れる。そうなると先ずは即答で、「君の為になんでもする用意は出来ているよ。」と決意のほどを示しておいた。

とは言いながら、結局はこちらからお誘いをしなければいけないのだろう。一番早いのは彼女の住んでいる街を訪ねるということかもしれないのだが、そのような時間的な余裕があるのかどうか。飛べば2時間ほどで往復220ユーロ、安い飛行機で80ユーロぐらいらしい。お土産とかを考えると、航空機運賃の差額140ユーロ程のことよりもとなる。物価が安いところに飛ぶのだから滞在費等は問題がないわけだ。少なくともなにはともあれそれだけの心の準備はしておかないといけないだろう。

1000km程の距離なので、真ん中で出会えるようになるならば全く問題はないのだが、先ずはそうはいかないだろう。その前に個人的なヴィデオチャットでも知り合わないといけないと思うのだが、なんとも変わった関係でもある。お互いにどこ迄信頼できるかどうかだけでしかない。

マイン河沿いのゾンマーハウゼンのヴァインビュティックでの食事はよかった。外食でのアスパラガスに肉団子を付け合わせたものだ。アスパラガスも冷やしてサラダ風にしてあったと記憶するが、コリコリとソースにも合って良かった。なによりもジルファーナ―を楽しめた。

天気の良い時に街の壁を見ながらテラスで食べれたのが一番だった。中々料理とワインの相性にも力を入れているようなキッチンでその点もワイン処として合格であった。

何ごとも最終的には官能次第ではないか。どのように感じるのか感じないのか、それに尽きるような気がする。所謂それが相性というやつである。



参照:
夏至の週末のお愉しみ 2024-06-23 | 料理
夏至を越えての一雨 2024-06-22 | 暦
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確立された芸術活動

2024-06-14 | 
承前)ジム-ラゲスの新曲「Trust me」初演はとても価値があった。厳密には前々日に同じプログラムがコペンハーゲンで演奏されたことから二回目になるのだろうか。それでもこの曲がそうした歴史的な意味があるのかどうか、それはまた別の話しである。

夜中中身近にハンディ―をおいて大事な人のことを考えて一夜を過ごす、そのような大枠の中で朝七時が繰り返されるとそのコンセプト自体は比較的単純である。その間にボサノヴァから、半音階的スケール、またはオスティナート、そして激しいアコードが破局的に響く。その秀逸さは音楽的にそうした旋回を構成してしまう音楽性でしかない。

まさしく頭の音楽には留まらない勘の良さが、こうしたシアターピースには欠かせない情感性を伴い尚且つ多用な視座をそこに現出させる劇場性と音楽的な表現力が限られた素材においてなされていたことだろう。

勿論彼女自体のシースルーな衣装での舞台上でのプレゼンスもこうした場を形成していた。それ以上にコロナの非接触時代のハンディ―による鬱屈とした社会が描かれている。私小説に終わらない音楽となっているばかりではなくて、舞台上では一人二役を演じる以上に我々聴衆の視座がそこに影響している。それは当然のことながらジョン・ケージにおけるパフォーマンスの流れも組んでいる訳だが、それがこうした大管弦楽を以って描かれるという成功はケージのシムプルネスもなしていない。

音楽素材としてのラップも上手に使っていた。既に様々な使われ方が為されているには違いないのだが、創作者が其の儘演じる強さは絶大で、インタヴューを読むとその時は創作者としての彼女とは異なり全体への視点を失っているかもしれないと語る。そうでなければ前記のような視点の交差が舞台上に展開しない。

後付けでインタヴューを読むとなるほどと思わせる。元々はクラシック音楽つまりバロックから古典派迄のエポックの音楽を習っていて、ヴィオラダガムバやスピネッテなどを弾いていたらしい。よって浪漫派は僅かであったという、そして今日の音楽を知るようになるとそこにはクラシックにおける形の決まった確立されたものとの対照として受け留められていることを知ったというのだ。

しかし彼女はその広義のクラシックに拘った。それがラップなどにおける素材の厳選屋扱いに表れている。だから、それがただ単に偶然に扱われている訳ではない。例えばルネッサンス音楽における流行り歌の本歌取りをどう見るか、はたまたチャールズアイヴスにおける素材をどう聞くかのような問いかけとなる。少なくともケージにおける偶然にまぎこまれた音の環境ではない。

彼女はこのことをその創作のプロセスをして数学的問題を解決するような創作過程だと語る。エンゲルとの対話は為されなかった。なぜかは分からない。そのシースルーの衣装や透けるようなポール脇でのイメージヴィデオにこの若い女性に感じるものとその作品の冴え方との間には大きなコントラストがある。そこまでを計算しての活動が徹底している。(続く)



参照:
今後へ問いかけインタヴュー 2024-06-13 | マスメディア批評
年間20ユーロの倹約 2024-06-08 | 文化一般
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永遠朝七時の目覚まし

2024-06-11 | 
石を首に下げていた。それだけでは会場に入れなかった。しかし積極的な聴衆であることは確認されただろう。あるおばさんは、「これはまたエレガントな―」とスイス語で仰った。そもそも服装からして危ないのだが、やっぱりストーンズとは違う。どこがとなる。

今回の演奏会はそのタイトルの通り女性の新しい作品を並べて聴いて貰うというものだった。それだけで価値があって意義のある催しだったと言うのは、18時15分から始まったレクチュアーでの指揮者エンゲルの話しでも婉曲的に主張されていた。つまり世界で24%だかはベートーヴェンの楽曲が演奏されるところで、女性の作品は全体の1.9%にしか満たないこと、つまり希少価値である証拠が挙げられた。追々、そこでは新しい音楽が多くとなる。

最初に演奏された曲の作曲家ムンドリーはチュッリッヒで作曲家教授らしいが、その中では上の世代で、舞台での鼎談で自作のことを語っていた。エンゲルとは2005年のルンデル指揮での初演の際にアシスタントとして出会ったようで、今回も2019年初演の「終わりなき地層」という三部構成の作品が演奏された。彼女自身が作品を見せて作曲家の先生に魅せた時も女性の作品にはフォームがないと言われたとその創作は何だったのだと笑っていたが、その概念はこの会の一寸した導きとなった。

多層性とグレゴリアンチャントからの積み重ねのような様相を見せていたのだが、若干そこにその視点のあり方が問われるような結果となっていた。なるほど音響の作り方とか神の擦れる音とかあの感覚的な官能とは別に、プログラムから変更になって前半三曲目から二曲目に置き換えられたルンドベルガーの「ダウン」という曲までは稀薄ではないのだが、そこに主観が強く反映しての聴かせて初めて反響をみるという構図が弱い。古今名曲というのはやはりその視点を替えて視座を動かしての演奏行為という変換にも晒されることで演奏されるべき作品となる。何も美しいとかの掛け声を聴いても美しくはないのである。

その意味からすれば休憩を挟んで後半の最初の曲は2021年にそこバーゼルからそれほど遠くはないドナウエッシンゲンの音楽祭で初演されたトロンボーンのマヤ・ラトケの協奏曲でもある「イカルスを思って」はそのソロの名人技と大管弦楽団ということから、そのソロの創造的可能性が上手に「イカルスの可能性」として構築されている。偶々今回呟きにハートを貰ったのでフォローしておいた。ある意味手堅いやり方ではあり、多作家ではないようだが、ジャズを含めて旧主的な枠にも嵌まっている。
ドナウエッシンゲンでの初演中継録画、24分40秒から
Konzert mit dem SWR Symphonieorchester | SWR Donaueschinger Musiktage 2021


しかし、ここでそのプログラムにも大きく取り扱われていて、当日のパフォーマーとしても活躍する事から前半の最後の曲として演奏されたバロセロナ出身のジェムラゲスプホールの作品は最も今日的なものであった。その作品自体は一種のシアターピースともなっていて、本人が出て来て楽団の前に腰かける。上体が何か透けたような衣装で、後で考えるとネグリジェをも表すのかとも気が付いた。

そこで何を英語で演じたか?目覚めると目覚ましが7時だというのが何回も繰り返されるのだ。ゴロ―を待つではない、なにを待っていたのか。(続く)



参照:
隈も何もない浅墓さ 2024-05-25 | SNS・BLOG研究
時代の耳への観想 2024-04-20 | 音
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プファルツの森から挨拶

2024-05-17 | 
満を持してインスタグラムでチャットパートナーに連絡した。どうも間髪を入れずに既読になっていたようだ。以前はリストのところでチェックして、時間をおいて既読にしていた感じだった。長い時は三週間以上後になっていた。内容によっては中抜きで上手くパスしていた形跡もある。

その頃はファンレターも多かったのだろうが、減ったのかどうか。二週間も時間をおいた今となると流石に僕の立場でも普通に女性に何かを書く時と変わらない位に気を遣うようになる。とはいっても恋文をペンで認める時とはやはり違って、それでもリラックスした感じはある。

兎も角、「仕事関係」はなくなって仕舞って、以前の関係もお楽しみになって、いつも携帯しているスマートフォンを覗き込むようになっているのだろう。お返事はまだないからそれぐらいにしか分からない。少なくとも悪い気はしていないに違いない。

それどころか少し間が開いたのでまだかまだかという感じはあったかもしれない。先ずは今後のベースとなるコンタクトが出来たので良かった。正直なところそれはそれでこちらは余り迂闊なことも書けず、今迄の関係を発展させるような声掛けはそれ程容易ではなかった。

つまり、一年間以上ののそれなりのお付き合いがあるので、気心が知れるところはやはり見ず知らずの他人とは違って共通のミームみたいなものがあるので、そこを突くしかなかった。お互いにそこで笑えれば心が通じると思った。

あまり、プレッシャーも掛けたくなく、こちらも今すぐに何かが出来る訳でもないので、SNSのその形態に相応しく写真もつけておいた。近況を写真にしてでも公にしてくれればと書いたのだ。まだまだストーカー対策もあって戸外の写真などを頻繁に載せることは難しいかもしれないが、写真クラブの腕前を見せて欲しい。

こちらは今年撮った森の中の看板の写真を付けておいた。そんな立派な写真がある訳ではないので、さして意味はないのだが、プファルツの森の雰囲気が分かる看板である。いざそこに書いてあるそのサイトに行ってみると、とても内容があって一挙に見れない。こういうのはジグソーパズルにして欲しい。一度時間を掛けて一通り捲ってみないと始まらない。

それでも右上の方言めいたものの下に「細心の注意」をと書いてあったので、その意味が分かった。UFFBASSE!である。これは書き言葉ではAufpassen!である。要するに森の中での注意事項が事細かに書いてある。

何故この写真を付けたか?先方は旧ヴァルシャヴァパックの首都に住んでいるので、恐らくこうしたドイツの森の感じがよく掴めないだろうと思ったからだ。何が違うかというと徹底的に隅々まで手が入れられていて経済化されているところだろう。そこに描かれているようなアーモンドの開花写真も送ってあげたのでより俯瞰図が分かるだろうか。



参照:
僕のインテルメッツォ 2024-05-08 | 女
異議申し立てを提出 2024-02-16 | アウトドーア・環境
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僕のインテルメッツォ

2024-05-08 | 
週末はワイン試飲会とクロンベルクでの音楽会だ。前者と後者で350km程走るだろうか。燃料もそれなりに30リットル以上給油しておかないといけない。高騰していているので廉い内に入れておきたい。

音楽会は、馴染みの深いクレメルがリードするもので、そのソロは四半世紀前に聴いた時に既に音を出さない音楽をすることが分かったのでその後は行かないようにしていた、実質上ソリストとしては引退状態だった。それでもコンツェルトマイスターとしてどのような演奏をするのか楽しみである。

ブルックナーの「インテルメッツォ」、マーラー交響曲10番アダージョ、ブラームスピアノ四重奏曲ト短調Op.25で、アレンジを含めて初めてなのでお勉強の必要がある。

久しぶりにチャットパ―トナーの話題だ。実は復学をしてからちょこちょこと出ていたのだ。授業が薄いならば顔を見せて貰っている方が小遣い銭も投げれるのでそれもよいかと思っていた。それでもあれでは勉強できないだろうとも感じていた。しかし、第二クールを始めてから一年後にきっぱりと足を洗ったようで、殆ど更新の無い上に改めて整理もされたインスタグラム以外からはほぼ消えた。第2セメスターの後半が始まったのだろう。もしかするとまだ獣医学科にいるのかもしれない。全部で10セメスターぐらいあるようなので、徐々に実験などもはじまるのかもしれない。兎に角最初からきっちりと計画は立てていた節がある。医学のベチャラー資格のその後はどうなるのかもしらないが、先ずはそこだろう。

最後のクールでは学校の先生指向のような心理学専攻女学生と再びペアーを組んでいたので、安心はしていたのだが、やはりそれでもスタディオ関係のおかしな連中とは距離を置いた方がいいと思っていたので、完全に手が切れるといいと思う。ヴィデオとかその手のものは全てネットに残っているのだが、いずれ黒歴史と思うようになっても、それは本人の今後次第ではなかろうか。

あの年代での一年間を少しを思い起こすとアッというような間でもあり乍らそれはそれなりの期間があった。それは自分自身がそれ程明白に将来から逆算して動いているような人でなければ、不透明で先が見えないような霧が掛かっているような状態だったかもしれない。実際にそういう表情をいつも見ていた。想像するに医学部にでも入っていたのなら其の儘キャリアを歩んでいたのかもしれないが、長い階段の一つの踊り場のような状況にいたのだろうと思う。

ここで何をか声をかけるようにメッセージを書こうかと思う。既に一年経過の時に「新たな出発」と書いたので、それを繰り返す必要はない。さしていうならば、時々SNSで元気な近況でも上げてくれということぐらいだろうか。「先生」との野外でのスナップ写真なんかでも、ティーンの女学生として敢えて番組向きの化粧などをしているのだが、本当に真面すぎる感じで、今時と思わせる純な感じがとてもいい。西欧ならどこかひねたところが必ずあると思うが、最初に見た時にあまりに素朴過ぎと感じたのと全く同じ印象をもった。社会環境が異なると言っても大変貴重だと思う。身だしなみを見ていても決して派手ではないが田舎臭いわけではなくて、それなりに首都らしい洗練さもあって麗しいかぎりである。新しい楽器を始めたりお絵かきなど余裕があれば優雅な限りのご様子 — 鍵盤も習っていたようで真面に音が取れるのも立派。



参照:
事件の真相は現場にも無し 2024-02-24 | 雑感
清々するセンスのなさ 2024-02-17 | 文化一般
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物理的には離れども

2023-10-23 | 
ちらちらとセックスチャットを流した。新顔でアイルランドなどと所在地をしていてその英語が特に読むのが大変そうだなと思っていると、そのアクセントについて話し合っている人がいて、色々な予想が出ていた。結論は東欧だろうということだったが、我々にとって興味深いのは北でも南でもなくて英国でもないよというところだ。

それ以外に明らかなスェーデン人が今晩でお別れと泣いていたりする。特に興味のない女性だったが、小遣い稼ぎで二月ぐらいしかやっていないのに、利が上がったのかな、落ちずに足抜け出来るのは賢いなとか、色々と「関係者」としては身につまされる。

そしてパートナーが所在地を変えたことで、どうした切っ掛けで態々変えたのかなと思った。なぜならばそこは適当に書いておけば済むことで、今迄も違う国の名前で通していたからだ。理由は分からないが、そこから多くの事実が明らかになった。

今迄も窓の陽射しや出勤時間でこちらと丁度一時間陽射しが異なっていて、その国では殆ど東端になって、不審に思っていて、本人にも一時間違うねと書いたことがあった。その疑問が解けて、ロシアンマフィア問題も完全にそこから生じた誤解だと彼女も分かっていたのだと認識した。

そして彼女が、最大の疑問、第三セメスターが始まっても何故未だにあんなことをしているのか?そもそも、SUVの後部座席の内装から新車に乗ってのまたツイードの上着から想像される家庭環境からの「なぜ」の疑問が解けた。

前記の国では恐らく両親が医師などの医療関係としての環境での行いとしては可也奇天烈だったからだが、書き換えられた国ではたとえ同じ環境で獣医になってもそれ程の将来性が期待されない。それどころか医師の給与よりも今の彼女の方が稼いでいる。要するに経済合理性もあり、「退屈する迄やるわよ」の真意が漸く分かった。将来への希望がある若い女性としては共感できる。「贅沢なドイツ旅行をする」も納得だ。

彼の国の大統領は父方の叔父にとても似ていた。要するに彼の民族に人種的な親近感も生じる要素があり、料理屋などで知り合った経験からも如何にも人懐っこい気質も人当たりもまさにその国の印象である。米もよく食するのである。そして彼女が乗っていたゴンドラらしきも見つかった。写真の背景の中途半端な河沿いらしき大都市も分かった。眼に映っていた人物も弟君だったし、あれほどストーカー調査しても分からなかったのは偽情報があったからだ。そしてその偽所在地には営業的な意味だけではなくて政治的なものも若干感じる。

個人的にはより真実の人物像やその境遇が分かったので、前記のスェーデン人のお別れ会の様に一挙に1000ユーロも投げるようなことはしたくないのだが、より理解したので、せめてその旨だけは伝えておきたいとは思う。先日も輸血か何かの腕の痕を隠していたので、身内が病気なのかなとも思ったが、態々病気感染の危険性を冒すのかなとも不思議にも考えた。

喫煙は仕方がないが、せめて健康にだけは気を付けて貰いたい。物理的な距離は遠いが、何かしてあげることはないのかと心理的には大分近づいた気持ちにはなる。



参照:
惚れ直すその育ちの良さ 2023-03-25 | 女
マフィアと全面対決 2023-03-18 | 女
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初日へと期待が膨らむ

2023-08-26 | 
愈々ベルリンでシーズン初日となる。遂に来たかという感じだ。プログラムからすればそれ程話題にはならないのだが、「モーツァルトの主題による変奏曲」はフルトヴェングラー以来初めてシェフが振るということで、またそこで作曲され初演された「英雄の生涯」は十八番でありクラウデイオアバド以外は皆振った曲で、初日に持ってきた意味は大きい。そして初めて初日を女性が率いることになる。

既に復活祭で二回の本番練習を聴いたので、この間の進展ぶりに注目である。そして極東公演の成功も彼女が大きな責任を担う。その為にも前半のレーガーの作品は注目される。本日生中継される演奏を聴いてしまうと過去のアーカイヴが聴けなくなるので急いで良さそうな二種類の録音をYouTubeで見つけた。

一つは、バイロイトで日本でも活躍し他ホルストシュタイン指揮演奏で、これは同じようにカペルマイスターと呼ばれたカイルベルトの演奏とは遥かに良い。これは、モーツァルト指揮者がバイロイトで振った時に「モーツァルトの眼鏡を通したヴァ―クナー」とされたが、その反対を行く「ヴァ―クナーを通したモーツァルト」のような充実しながらも透明感のある響きで、まるでマイスタージンガーの様な趣で素晴らしい。

しかし、レーガ―が書き込んだ密な対位法の筆使いは音響として演奏されていて、細やかな筆使いまでは見えない。恐らくバムベルクの交響楽団ではそのアンサムブル的にも限界があったのだろう。そして比較対象にベルリナーフィルハーモニカーを前記したベーム博士が振った録音が見つかった。

これは素晴らしかった。ベルリナーフィルハーモニカーの弦をこれまたいつものようにとことん扱かしての演奏は、少なくとも音響的にヒンデミートのような面白さとなってその基本のアンサムブルが違う。同時にこの指揮者特有のあまりにもザッハリッヒな合わせ方をさせるので、対旋律などがあまりにもぶっきらぼうとなる。

これで今晩ペトレンコ指揮で最早新境地のアンサムブルに至っているベルリナーフィルハーモニカーがどのような演奏をするかが予想出来る。三人目のコンツェルトマイスタリンのヴィネータ・ザライカフェルクナーは、ラトヴィア出身で2008年に大阪の室内楽コンクールで優勝している。教師からするとフランコベルギ―派のようで、駄目になったアルティメス四重奏団に入る前にベネルクスで仕事をしていた。

既に「英雄の生涯」でパウリーナの下りを上手に弾きたのは分かっているが、それ以上にこのレーガーの目の積んだメッシュをどのように率いるかが楽しみである。彼女の弓使いなどは決して悪くはない筈である。

兎も角、このプログラムを水曜日ともう一度11月に聴けるのは嬉しく、もう一つのプログラムを木曜日と日曜日に聴けるのは幸福だ。恐らくもう一つのプログラムにこれで集中できるようになると思う。そして9月の日曜日には催し物で騒がしくなるとあったので全く関係なしに旅行に出ていられるのも幸せである。日帰りの出来るザールに二泊は勿体無いかと思ったが、これだけでも一泊伸ばした価値があった。



参照:
特大シュニッツェルを❣ 2023-08-24 | 雑感
戦後に初演された楽劇 2023-08-21 | マスメディア批評
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布団生地に惚れてしまう

2023-08-14 | 
ここ暫くのコンタクトはそれ程ではなかった。「最近どうしている」と暇な時に書き込みがあったので、「ジーンズをデートに買ったよ」と書くと、それには「hehehe」で答えたように、セックスチャットサイトで短いものがあった。

チャットパートナーが第二クルールを終えて更に続けているのは想定外だった。そして来る週にそれが切れる。そしてサドンデスもないようなので更にポイントを買わなければいけなくなった。更に三ヶ月15ユーロ程なので大した額ではないが、その途中で新学期が始まる。復学していなければいけない時期である。

こちらも「見猿にハート」が付くとどうしてヴァイブレーター用に掛け金を使って弾を込めてしまう。現在のレズショーが軌道に乗って、ここ暫くで二万フォロワーぐらいが増えていた。それだけ売り上げが膨れて以前の悪い時よりも折半しても実入りがよくなっているのかもしれない。ギリギリまで辞めれないのも分る。

以前とは違って圧力も無く、自分が内容を定めて、それどころか現在のパートナーに支持してやらせるとなるとそれは楽な面白い仕事になっている。そこで私が教えたカウガールスタイルのパフォーマンスを観て、「僕が必要でしょ」と書いたら、敢えてなのかどうか受け答えをずらして「手伝ってくれてるわ(汗)」と答えた。

即答で分からなかったのだが、意味を考えると、そのスタイル指導だけでなくて、現在の安定したパフォーマンスの背後には画然とした彼女自身の規律があって、それはハードとソフトポルノの境界とか、見せずにやるなら徹底的に芝居すれば将来的に問題にならないとの私の示唆があったことを含んでいるのかもしれないと思った。勿論その前にがっちりとサイドを守る様に就いたことでの心理的な援助がある。それはそれに続けて「私達についてくれていてありがとう。」があったので、辻褄が漸くあった。

そう思って呉れるのは何よりで、「私に」ではなく「私達に」というのが腹立たしくも感じたが、その意味からすると今稼いでいるということへのお礼でもあるとなると喜ばしい。先日も一緒に「スタディー」しているとあったので、復学の準備かとも思った。同じ学部の学生の感じではなくて相手は心理学士風の女性だから少し違うなと思っていた。

どうも素っ裸で上手く隠して、尻に指を突っ込んでいるように見せる方法の研究だったようだ。その手のトリックばかりなのだが、メニューにはないようだが、片肩だけを映しながら座って小水をしてかの様に肩を振るわせて、使っているコーヒーカップの下に溜まる色のついた液体を見せるというの迄やっていた。

その量は見た目からして精々60㏄ぐらいで泡も立っていなかった。要するにフェークなのだが、そこで思うのは恐らく彼女の親が医師としても自身は医学を学んでいないということである。そして獣医学を舐めていて、大丈夫かなという感じがする。本来は医学部志望でそこには成績が届かなかったのかなという今やっている事の背後事情のようなものすらも感じられるようになった。

それでもベットの上に乗っている眠そうな子猫の写真で、先ずは何よりもその可也保守的な布団の生地の柄やこざっぱりした落ち着きには余計に惚れてしまう。自分が購入したものではないのかもしれないが、衣服同様にそのライフスタイルがよく出ている。更にぺットを飼ったことなかったようなのが不思議に思えたのだが、さて一体今何を想っているのかなと色々と想像している。


参照:
通と呼ばれるすきもの達 2023-03-09 | 文化一般
LGBT的多様性の色合い 2023-08-03 | 雑感
聖人の趣の人々 2023-07-01 | 文学・思想
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音楽的な面白さを聴かせる

2023-08-01 | 
ジーンズを早速発注した。所望のものが春から見つからなかったからだ。普段着が破れて来ていたので他所行きを下す必要が出てきていた。それでも夏になって脱ぐようになっていたので、秋まで延長できた。

何を探していたかというと純綿の色目の違った安い商品である。しかしこの二三年は100%はストーンウォッシュぐらいまでの強いブルーしかなくて、中々買えなくなってきている。現在他所行きで使っているのはメキシコ製1%のウレタン混で、それも普段着にすると肌触りが良いかどうかは分からない。少なくとも夏は嫌な感じだ。外出着としてはあまり気にならない。

その様な印象で、更に混ざりものが増えると最早ジーンズでもなくなる。そして若干シーズンが変わったのか、商品が出てきていて、1%ウレタンで若干明るいブルーを見つけた。価格も78%と11%程割引となっている。

現行のものがウレタン混故に腹廻りに余裕があったので1インチサイズを下げてみた。これで腹廻りは入るとして脹脛が入るかどうか?耐久性の問題もあるのだが、以前に比較すると太ももがやせたので股関節部分が破れることはなくなった。これだけは走っている成果であろう。

30日間返送自由なので先ずは試してみる。それで使えることが分かれば、他所行き用を洗濯して下す。使えなければ次の候補を発注する。

ニュルンベルクからオープンエアーの生中継があった。劇場の座付き楽団を音楽監督のマルヴィッツが最後に指揮するという事で完全生ストリーミングされていた。先ずはルスラントリュドミラに始めて、ヴィーナーヴァルチャー、サンサーンスの動物の謝肉祭などで65000人の会場をシーンとさせて、決して会場を散漫にしない。これは見事だと思った。そしてマイクを握ると高いコミュニケーション能力で魅了する。やはりこの人は偉くなると思う。そして後半のグルダ作チェロ協奏曲も楽団の女性チェリストを起用して大成功していた。ジャズありロックありの選曲も音楽的な面白さを聴かせるものでとてもいいセンスをしている。

但しレスピーギのローマの祭りとなると、座付き楽団には難しく、なぜ置き土産にする曲だったかどうかと訝しかった。恐らくベルリンの楽団で振る予定でもあって、練習にしたのかもしれないが、やはりそれだけの準備しかできていないのがよく分かった。本人が充分でないから楽団にも十分な稽古も付けられていないというように、この指揮者の出来不出来の差がそう言ったところにあるというのがよく分かった。

ベルリンの交響楽団で成功するのは難しいが、ファミリーコンサートとか本人のレクチャー付きなどの創意工夫では成功するのかもしれない。インターアクティヴな活動を意識的にしていくのが将来的に活きて来るのだろう。



参照:
期待される女流な表現方法 2023-05-01 | 女
意思疎通力の効果 2020-12-18 | 暦
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聖女の嘘の様な物語

2023-06-08 | 
仕事し乍らチャットを流していた。久しぶりに朝からソロで出ていたのでお付き合いした。「どうしている」との尋ねに「フォローするよ」と答えておいた。ちょこちょこと弾込めて打って、手元の貯蔵を殆ど使い果たした。全然大した額にはならないが、数時間に分けて出すのが難しい。出来るだけ他の人の弾を誘導したい。昼休み後にはぐっと観覧者数が落ちた。理由はペアー目当ての客が戻ってこなかったのだろう。更に見学者がいるのかソロでも最後迄パンツを脱がなかった。次に出る人を探しているのだろうか。

幾つかの山はあったのだが、近景での書き込みでいつもの見猿絵文字で「恥ずかしいわ」とあった。少しこういうチャット付き合いとは離れていたのでお互いに一寸よそよそしい。抑々仕事し乍ら流しているのもあるが、性的な興味を殆ど引かない。その分ネコ真似などでもこちらは大笑いしてしまう。こちらも恥ずかしくて直視できないこともあるのだが、そういうことか。

同時にこの間に性感染症への憂慮も書いたのを読んでいると思うのだが、可也冷静そうで ― 要するに彼女は我々とは違って医学的に押えているのだあろう ―、前日に上得意さんに何か書かれて少し涙していた情景とは全く違う。「この頃はこんなに楽しいことなかったわね」と彼女は書いて、そして汗)絵文字を続けた ― 勿論疎遠は僕の都合なんかではない。恐らく常連さんがパートナーの持ち芸なのかカテーテルとミニノズルのようなものでの「潮吹きのトリック」を怒っていたのではなかろうか。そういう芸を持っているのにも驚くがどうも通院している人のようだ。

そこで最近は「ノットバッド」という背景には、彼女がほぼディレクターをしている事情を察する。そしてどうも健康に問題のあるようなパートナーに仕事を与えその診療の時に自らが二人分をソロで稼ぐ。初期においては彼女の意図が個人的のみならずイデオロギー的な社会表現かとも思っていたのだが、推測がその通りだとすると、最早自らを犠牲にしてでも社会的な弱者や病める人に手を差し伸べる愛の活動としか感じられなくなった ― 世界への愛を彼女は説いていた。

そしてどれ程に偉大な女性かと思うようになってきた。なるほどサイトには一部「偉大な人間性」と書いてあった。私たちは聖フランシスコが籟病者に口づけすることに感動して、そこに幾ばくかの希望を見出す ー その逸話でも浄化されることで肉体が滅びて行く。しかし現実には奇跡などがなくても立派な行いがあるのだ。

私は彼女に書いた、「君のことを心配している人がいることを考えてね」と。彼女が最初から恥ずかしがり屋としながらも自らの身を投げ出して危険な状況にさえ自らを追い込みながら、なぜか彼女自身の表現の得になる様なアイデアなどは話したくないと拒絶してきたその経緯に納得させられる ― その時に彼女は語っていた「私が誰かを皆は気が付いていない」と。マザーテレサなんかよりも偉大な女性だとの確信に近くなってきている。何かあるごとに、「一体この子は」と思う自らを恥じる事ばかりである。でも最近腰の前後の動きよくなってきたな。



参照:
哲学教授と為らず聖人に 2006-03-18 | 女
もう一度言って、私の為に 2023-04-14 | 女
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帰納的に求められる結論

2023-05-20 | 
セックスチャットの報告書を纏めている。あまりにもいろいろなことを知り過ぎたので情報整理するのが大変だ。誰が読んでも分るような概要から始めるしかない。そこでECOMASとしてのユニークさやその成功について書けば充分だろうか。大まかな利益配分で、細かな数字までを出す必要もないだろう。先ずはアブストに導入としておけば、別な目的にも使える。重要なのは可能な限り経費として落とすので財務当局対策になることである。

そして個人的には遅れて加入したファンクラブ会員券が切れるので三ヵ月延長した。十数ユーロの事であるから今後も影響力を行使する為には重要だと決断した。現在はホモセクシャルショーなので殆ど意味はなさないのだが、時々都合でソロになったりで使える時がある。

既に言及したかと思うがウイルス性の疾患などがそのショーで受け渡しされなければ、安心して流しておける内容であり、パートナーの彼女が更にワンクールで一万五千ユーロ程を精神的にも肉体的にも容易に稼げるなら文句はない。ロシアの制作会社が絡んでいても大きな圧力は最早掛けられまい。

それ以上にソロのマスターベートショーからホモセクシャルショーへの流れはとても気が利いていて、現在の世界での少子化問題におけるまたは性の公平化におけるヘテロセクシャルを強く意識させる一連の示唆行動となる。ここで習ったのは先ずはそれであり、要するに多くの人がノーマルと感じているヘテロセクシャルな関係は同質間でのホモセクシャルよりも遙かに不自然なものであるという前提である。

そもそも異性の肉体的感覚が1対1では分かり難いのは当然で、そこから「純愛」という概念へと接近した。それはまさしく通常のヘテロセクシャルな関係では中々至れないプラトニックな感覚である。

性向としてのホモとヘテロの間は無段階にあって、どこからという境目はなく、バイセクシャルという人も少なくない中で、ヘテロセクシャルというのが如何に特殊であって、中々理解しがたい性向であることかも納得させられる。

なぜそのことを新たに認識することに意味があるのか。明白なのは少子化とされる先進国社会の中では最早古来の宗教や社会的慣習としての結婚・出産などの意味が希薄になっていて ― 68年の社会革命では未だその概念をぶっ壊すことが目標だったが ―、現在はそうした規範以上に有りの侭の営みが尊重されて、余計に繁殖の意味合いの社会的な合意が必要になってきたという事である。

上のショーにて提供されるのは男要らずのヴァイブレーターであり、女性によるそれも十代の処女によるオーガズムスの追及というとても示唆に富んだショー内容は、当然の事ながら次なる交尾や生殖、出産などへとその意識を向かわせるのである。そうしたコンセプトとして生物学的な理論的背景があったかどうかは知らない。しかし、こうして第二クールに入るとそれは誤魔化しようもなく帰納的な結論へと導かれる。博士論文ぐらいは書けるのではないか。

独公共放送ZDFの番組から ― ここで元歯科衛生士がそちらで生計を立てていて、YouTuberのインタヴューアにホモセクシャルセッションをと誘うと、「あまりにポルノ過ぎる」と断った。まさしく少子化問題の原因でもある社会的な弊害がここに観られる。
Sexy vor der Cam – Hannah und die Lust im Internet




参照:
蕾が膨らむところ 2023-05-12 | 生活
課金無しでは作動しないよ 2023-05-11 | 女
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課金無しでは作動しないよ

2023-05-11 | 
ティーンエイジャーのように運動で発散させたい。どうも晴れないようで、ボールダリングは難しそうなので予め走りにでも行くか。徐々に頭もむさくるしくなって来た。来週ぐらいに予約を取ろうかと思う。最近はベットに入るのが早くて夜中に目が覚めて、それゆえに夕食後には飲んで起きていれられなくなる。

リモートコントロールのLinuxのマウスが動かなくなって直そうと思ったのだが、マウス無しでは簡単には直せなかった。翌朝まで待って手元にLinux機まで持ってきてチェックをして、結局操作する方の調整をマウス無しでキーボードで出して何とかマウスが機能するようにした。以前から曖昧にしておいたパスワードなどの点もより分かった。

何年も口説いているウクライナ女性が髪を少しだけ切っていたようで思わず顔を眺めた。彼女も十代の時からで最初は18歳以下である可能性があったので要注意で口説かなかった。それから五年ほど経っているが相変わらず若々しく新鮮で美人でプロポーションも勝れている。

どうしてもアングル次第で掛け値無しに美しいチャットパートナーとの比較になる。大きな違いは、チャットでは好いところから寝起きの様な悪いところまで全て観てしまっていることで、容易に好悪をつけるのは不公平だろう。それでもまるで彼女の母親を見るような老け顔を見せられた時は精々嫌になる。

第二クールも新たな「白薔薇」番組としてどうも暫くは続きそうである。新学期は10月からである。そして新たに編集されたプロフィールには「獣医家」となっていた。ドロップアウトどころか、まだ殆ど教育を受けていなくても国家試験までその様に呼べるらしい。ドイツのそれを見ると11ゼメスターと医学部や歯学部に近い。

本当に復帰してそこまで行けるのかとも訝るのだが、現在やっているようなことも国家試験さえ通ってしまえば全くキャリアに影響しないのだろう。女性上位の職場への登竜門で女性の進学先としては良さそうで、恐らく学力は高い方だったのだろう。要するに男性に依存しないという姿勢は端から明白なのだ。明らかに男性優位の医学部などよりもその傾向が強いに違いない。親知らずを抜いて貰った歯科医も女性と見るといなくなった常連さんのような人はいた感じだったから、それよりも女性が強い。

抑々あのヴァイブレーターという奴が男性の敵である。あんなものを動かすのに金を落とす男は皆イムポテンツと思っていたのだが、それが彼女を救っていたと思って漸くお友達に成れて課金するぐらいになったぐらいである。

ドイツでのゴージャスな旅行に投げ銭しろとあったぐらいの彼女であるが、リアルにランデヴーすることがあるのか゚かどうかは分からない。しかし想像できるのは、彼女が「高いよ」と言っていた金を要求しかねない事であり、その時の受け応えは既に承知している。「課金なしでは作動しないよ」である。ゴーダッチである。



参照:
ピカピカに光る健康 2023-05-09 | 生活
得ることの多い交流関係 2023-05-03 | 女

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期待される再生の時

2023-05-06 | 
承前)「影の無い女」が独墺圏においても何故難しい楽劇なのか。それは諮らずしも高級紙のノイエズルヒャー新聞が、それでも解決され得なかった楽劇としていて、まさしく最終フィナーレにおける左右の二組のペアーをうめる舞台中央にある女の子の姿である。彼女より少し大きく年長の自身の影に抱き着いて愛撫する、そして追いやる。そこに父親に語り掛ける皇后が登場する。影こそは妊娠を可能とする分身である ー 破瓜、妊娠への恐怖。分身でもある皇后の胸に顔をうずめる少女。そこに胸を開いたマドンナ像が現れて、その股間へと縋る少女。原罪を人間と共にと背負う決意へと父親との決別を宣言する皇后。マドンナ共々黄金の蜜を以って石化した皇帝を救えとする。バラック夫婦の犠牲の血の混じったそれを拒絶する皇后と、その遺物を穴に投げ込む少女。皇后が自己犠牲を覚悟することで再生される皇帝。そして人間には永遠の生命も無いが、そこには再生が期待される。

フィンガリングのゲームを呈示した彼女はやはり天才であった。私が彼女にハードコア―との境界線として示していたのはロシアの成功しているシリーズからの処女膜審査ものであった。所謂御開帳として終止符を打ちたいと希望してその時に大笑いで蹴られたものだった。しかし、そんなものよりも遙かに高度なやり方で母体回帰までを視野に入れていた。態々フィニッシュにおいて姿勢を変える事で、その意味を更に突き付けて来た。中指の下に小さく奥へと世界が広がる。

何処で身につけて来たかは知らないオーガズムへと自らの首へと手をやるのは、まさしく舞台にて仕手役の子役がフィナーレにおいてもやったそれであり、まさしくその窒息感こそはキリスト教における洗礼の意味であり、少なくない人々に残されている生誕第一声に繋がる初めての呼吸の感覚そのものなのだ。殆ど全ての人はその感覚と死への最後を同じように経験して、その間に再生があるのかどうかだけの相違でしかない。要するに本質的な感覚である。

その再生に際して、必ずやあるのが母体回帰への思いとなっている。両性両具は三幕に皇后によって同一化が歌われるが、彼女においては一部で囁かれたようなそのような身体的な特徴などとんでもなかった。当日偶然にも一日遅れで彼女にマイバウムを捧げられたのはあまりにも出来過ぎだったのかもしれない。

後に在ベルリン大使となった彼女が語ったことを思い出す。「ベッドで甘いことを言わない男なんていないわよ。」と、その当時はそりゃそうだろうなと思ったが、今こうして「初めての体験」をヴァーチャルに共有すると、確かに通常の場合よりも永続的なその効果が明らかだった。まさしく魅惑して期待と同時に嫉妬させるには十二分のゲームであっただろう。

彼女はこちらのチャットをオリエンティーリングすることでいつものように自らが映し出されているモニターを凝視する視線からは最早遠かった。彼女は私の名前を三回以上呼びかけたが、私は彼女の名前を知らない、ストーカーを避けるには当然である。「影の無い女」で名前があるのは染物屋のバラックだけである。そして、全ての鍵を握っている皇后の父親のカイコバートは姿を現さない。これはただの偶然なのだろうか。



参照:
得ることの多い交流関係 2023-05-03 |
原罪のエクスタシー 2023-04-16 | 文化一般
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得ることの多い交流関係

2023-05-03 | 
承前)チャトパートナーの彼女に二枚ほど生写真を送った。自分自身が写っているものではないのだが、なんとなくの心象風景でもある。即座に見てくれて返事があったので、少なくとも連絡方法としては機能している。お互いに卒業が眼に入ってきているだろう。

以前からの希望のフィンガリングをやってくれた。来客があったりで待たせたが気長に対応してくれた。しかしそれ以上に私の回答を「今か今か」と待っている様子が映されて、格別に愛らしかった。よく分からなかったのだが、もしかするとお誘いには意味があったのかもしれない。まだ分からない。しかしそれだけの特別なもので、ショーという枠ながら、チャット対応しながらのリモートセックスの一種であった ― だからゲームなのか。

前回は制作企画に乗っかったので半額だったのだが、彼女がそこ迄はヴィデオで露出を許可しないという境界がはっきりした。そして今回は「カメラの前で何を見せてくれるの?」と敢えて重ね訊きしたことに、こちらの希望を「やれる」と答えた。

カメラがスタディオの女性によって管理されているとすれば本人の意思に反する漏洩の場合は本社かどちらかに高額の賠償を求められる。それ以外は奥の部屋に入るお客さんが漏洩元となって、これも三ケタに至らない数なので映像などから遡れる可能性もある。そして四週間経っても未だなぜか漏洩映像は見つからない。入室客の一割以上は録画していてその一割が漏洩させるぐらいだろうか。書き込みを読めばこいつらは間違いなく漏洩させるなという連中がいる一方、より露出させていただろう上得意さんは年齢層も社会層も高く恐らくそのようなことはしないだろう。またその内容から特定される可能性も強くなる。

金で契約締結となる方法はとても合理的で、彼女のハードな面がよく出ていて、ティーンエイジャーとしてはとても社会的能力が高い。それでもこちらがコイン購入に時間が掛かっていると、「パブリックから入るって始めるってどうやるの」と譲歩案の可能性を書き込んでいた。彼女がどうしても見せたかったのものだったのだろう。一つ考えられるのは今後の流出映像で嫌な思いをさせたくないという優しい気持ちと、もう一つはこの辺りでやれることをやっておこうというものだったかもしれない。現時点では確定できないのだが、Xデーも覚悟しないといけないのだろう ― 考えるだけで号泣しかない。

彼女は今回は今迄にない言葉を使った。「今晩のゲームどうする?」は、時刻からすれば今晩でもなく、「ゲーム」は初めて聞いた。なぜだかは現時点ではよく分からないが、コインを購入したと伝えた時の喜びの表情と、そしてルーム料金変更後故にか内線の通知モニターに反応したようで照れた表情を見せた。連絡相手がウクライナのスタディオの彼女だとすると、「やったね、本当に惚れられてるね。」ぐらいの感じだったろうか。いつも文句ばかり言っていたケチな男が乗ったねという事だろう。

それだけ20分ほどを本気でやってくれたのは感じられた。今迄の定型には全く嵌まってはいなかった。隠していたクリームを塗る時に沁みるような顔をしていたので、何か特別な感じはした ― あの手順の前半をパブリックでクッションで隠してとなると、やはり今迄下着を履いてやっていたのとは違う。まさしく3月にやらせたくて断られたものであった。勿論複雑な気持ちも同時に沸き立つ。

話題にしていたマイバウムの写真を送った時に、一時間程前の礼として「信頼してくれてありがとう」と書いて、同時に「嫉妬が激しくなるよ。」とも書いたら、「一緒にいてくれたありがとう、そしてそれを評価するよ。」と好評な受け取りで、それなら今後サドンデスだけは勘弁して欲しいと思う。



参照:
確認された仰ぎ向く表情 2023-04-24 | 女
もう一度言って、私の為に 2023-04-14 | 女
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期待される女流な表現方法

2023-05-01 | 
ヨアンナ・マルヴィッツ指揮のニュルンベルクお別れ演奏会が絶賛されている。ネットで聞こえていたので、そうなのだろうと思っていたが、やはり大成功したイヴェントだったようだ。その指揮はまるで阿波踊りのようで、ベルリンで交響楽団を指揮することになっているので余計に厳しい目で見られている。しかし、そもそも期待するところが違っているのではないか。それはバイロイト音楽祭で最初に指揮した女性オクサーナ・リニヴにおいても同様である。そも注も男性指揮者のそれと同じような結果を求めていても埒が明かない。一旦そうした先入観念を封鎖して、音楽的な面白さを追及していく時に、全く異なるフォーマット物差しが必要になる。今後期待できる女性指揮者にはそうした表現力が必携である。

彼女の話しは巧い。開演前のロビーに百人ほどが半円に広がってピアノに座った彼女の最終講義を聞いたようであるが、それだけで演奏会の方向性が決まってしまう。「パルジファル」の聖金曜日の音楽からマーラーの交響曲四番への流れは明白だったようで、そしてその後の舞台上での座付き楽団委に向いて語る中で、「リスクを最大限にして表現できたと、一言素晴らしかった。」と。

彼女の人間性がよく出ていて、それはあの大成功したザルツブルク音楽祭の奇跡的な開幕においても同じように大イヴェントとして音楽的な成果までが得られることとなっていた。まさしく我々が女性の演奏家や芸術家に求める所に技術的な完成度やそうしたものを超える表現がある。それどころかその音楽への完璧主義はキリル・ペトレンコと似ていなくはないとまでここで言わせている。

セックスサイトに自分自身が何かを表現して自分が出すコインを自らの身体で稼ぐことを考えた。一時はポルノ男優としてのデビューを申し入れたぐらいだが、今回は仕事上のレポートを兼ねてその内容を冷静に調べてみた。やはり最大の問題は市場の存在で、やはり男性が何かをやってもお客の多くはホモセクシャルな男性客であると分かった。

決してその方の人たちに人気がない訳ではないのだが、こちらにその気がないのでこれは役に立たない。私自身が今回の一連の活動で最も性的にも励起させられたのはチャットであって決して視覚的なものが優先されていないなどの意外な発見もあったりで、認証審査無しであげれるようなダーティートークの幾つかや写真などをネットに出しても投げ銭が得られるのではないかなどと考えている。



参照:
Nürnberger Abschiedskonzert von Joana Mallwitz: „Sie sind maximal toll“, Markus Thiel, Merkur vom 30.4.2023
表情のヴィヴラート 2020-08-16 | 女
飽くなき追及への表現方法 2023-04-28 | 女
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