Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2009年7月

2009-07-31 | Weblog-Index



山小屋の朝の味噌汁に舌鼓 2009-07-31 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
腐れ葡萄にその苦心を窺う 2009-07-30 | ワイン TB0,COM6
RSSリーダーを新調する 2009-07-29 | BLOG研究 TB0,COM0
怒涛の如くの飽きない味 2009-07-28 | 試飲百景 TB0,COM4
半日かけた泥酔の夏の一日 2009-07-27 | 料理 TB0,COM0
何かが段々と見えてくる 2009-07-26 | 雑感 TB0,COM0
恋愛下手なシャイな娘さん 2009-07-25 | 女 TB0,COM0
アフリカ人気質を感じる 2009-07-24 | 雑感 TB0,COM0
誰も居ない水曜日の晩 2009-07-23 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
雨の休暇日に母体回帰する 2009-07-22 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
無意識に行使する夜の覇権 2009-07-21 | 雑感 TB0,COM0
隠されている解放への障壁 2009-07-20 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
腰にぶら下げる山靴の重さ 2009-07-19 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
観光資源の無かった田舎の村 2009-07-18 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
永いフィットネスの精華 2009-07-17 | 生活 TB0,COM0
時間の必要な甘口に舌鼓 2009-07-16 | 試飲百景 TB0,COM0
酔って帰宅そして昼寝無し 2009-07-15 | 暦 TB0,COM0
評価本とはちと土壌が違う 2009-07-14 | 試飲百景 TB0,COM0
評判の悪い醸造所で試飲 2009-07-13 | 試飲百景 TB0,COM0
肉屋では歯が良いと嘯く 2009-07-12 | 女 TB0,COM0
忙しい夏期休暇の準備 2009-07-11 | 暦 TB0,COM0
重みの押し掛かる歯石落し 2009-07-10 | 女 TB0,COM0
手軽で安上がりな気分転換 2009-07-09 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
渋い切れ味の刀への愛着 2009-07-08 | 雑感 TB0,COM2
三十路女の手練手管に感心 2009-07-07 | 女 TB0,COM2
安全機構を一望する間隔 2009-07-06 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
掴み所のない侵食の奇岩 2009-07-05 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
古い新茶を味わう馬鹿 2009-07-04 | ワイン TB0,COM2
限りある本当に熱い日々 2009-07-03 | 生活 TB0,COM0
価値あるダイエット 2009-07-02 | 女 TB0,COM2
友達の道具を使い続ける 2009-07-01 | 雑感 TB0,COM4
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山小屋の朝の味噌汁に舌鼓

2009-07-31 | アウトドーア・環境
ドイツアルペン協会の機関誌2009年八月号の第二特集は日本アルプスである。圧倒的に有名で多くの外国人が訪れる、信仰登山の対象となっている過密な富士山よりは静けさの味わえる北アルプスに矛先が向う。日本におけるアルピズムの発祥地である上高地から唐沢山荘に一泊して穂高岳山荘に入り穂高・槍縦走を目指すのはなぜかスイス人夫婦のようである。

岩肌に書かれる標識を見てまるで書道のようだと感動する。道標ばかりか地図も日本語で書かれていて、分からない者には標高線が頼りで心細く進むが、暫らくすると彼らの日本語程度の英語を使う登山者に出会い、それは左の捲き道であった事を教えて貰う。手振り身振りのコミュニケーションにも慣れて、「こんにちは」と「ございます」の挨拶にも慣れて漸く小屋に着くと、そこでは便所のスリッパでの食堂入りなどと外国人が起こし易い間違いを経験しながらも、今は巾が広くなった畳で寝泊りする。翌朝食欲旺盛に、予想外の朝食に、納豆を除けて、舌鼓を打つ風景が綴られる。

面白い観察は、日本人の登山者の多くが首に汗吹きタオルを巻いていること以外にも白い手袋をしているというのである。軍手の事かと思われるが、今でも人気があるのだろうか?一度も使った覚えはないのだが。そして、小屋の周りには有料のテント場が用意されているのを見て、アルプスの山小屋に比べて日本のそれは料金が高くテントが多く利用されているのを知る。そこで多くの登山者がその大きさといい重さといい押しつぶされそうな荷物を担いでいるのにはこうした背後事情があったのだと悟る。

またゴアテックスに全身をかためてというのは理解出来たが、立派な雨具にキャハンというのはあまり理解出来なかった。どちらかといえば、キャハンを上手に使っているのは氷河の発達したアルプスの登山者だと思っていたが、今冬にハイキングにキャハンを使っていたら興味を持たれた。やはり何処の地域でも装備や知識は主にその地域で活動する人種によって偏りがあるのだろう。正直な話、上の地域で壁や冬山は登っていても夏山ルートを辿ったことがない私の感想であるからこれも大変偏っている。

天候の急変によって、穂高山荘小屋にてなにもしない一日を過ごすよりも逸早く下山して、「飛騨高山」見物に駆けつけたというのは正しい決断に違いない。下山して直ぐに温泉に浸かるという代わりに、飛騨国分寺の庭の蝉時雨に芭蕉の俳句の真髄を感じて、西国や四国の札所巡りを考えるというのもそれはそれで間違いではなかろう。



参照:
"Panorama - August 2009" Magazin des DAVs, von Karin Steinbach Tarnutzer
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腐れ葡萄にその苦心を窺う

2009-07-30 | ワイン
シュロース・ヨハニスベルクのワインを頂く。飲んで思い出したのは十五年前ほどの味覚である。辛口キャビネットを購入したと思うが、底に漂うスレートの味覚に乗ったワインの味である。

今回のシュペートレーゼはアルコール15%の過熟成の葡萄から出来上がったようで、2006年の腐った葡萄を髣髴させる。恐らく他の目的で垂らしてあった葡萄を見切り発車で製品化したのだろう。

そうした不幸な不健康さは同じ年のハールトのグランクリュ落ちのビュルガーガルテンを思い起こさせる。活性炭を入れたかどうかは定かではないが同じような味気なさを強いアルコールがマスキングするように拵えてある。

それでも独特の黄土質のそれの一種の分厚さというかボディー感は通常のヨハニスベルクのリースリングの特徴が出ていて、懐かしい思いを味合わせて貰った。そのスレートの地盤を別にすると、若干似ているのはルッパーツベルクのガイスビュールやラインヘッセンのフーバッカーの土壌であろうか。比較に出したビュルガーガルテンは薔薇の香りという強い特徴があるので、土壌感の出方は似ていても個性はヨハニスベルクよりも強い。

この歴史的な地所の特徴であるまろやかさとボディー感がある種の貫禄を備える訳なのだが、葡萄の品質が良くない限り、そうした重量感が受け入れられる素地は少ない。要するに地下の醸造所で出来る事などはそのアルコールの質を落とすぐらいだけで、葡萄が摘みとられた時点で総ては決まっているのである。

ラインガウの土壌ではこれに似ているものも少なくないが、ハッテンハイムのそれなどは遥かにニュアンスが細やかな反面石灰質で角が落ちたような感じも否めない。

なるほどシュロース・ヨハニスベルクはその独立峰のような地形的特徴からも気候的にも美味いリースリングの出来る地所である事は誰も争そわないだろうが、現代的なリースリングをどのように作れば良いかの答えはまた別な話である。

記憶にある二十年ほど前のキャビネットはさらに酸が鋭かったが、温暖化の影響と共にボディー感のあるリースリングを醸造しようとして、また新たな最高級クラスであるグランクリュを醸造しなければいけない圧力から、それは丁度ミュラー・カトワールが陥ったようなスリムなワインが容易に醸造出来ない状況に落ち込んでいるかのようにみられる。2006年産の不浄なリースリングの代表をこの二件の醸造所のワインとして味わったのは決して偶然ではないだろう。

それに呼応するかのようにロバート・ヴァイル醸造所が軽いリースリングシリーズを出し、千枚岩土壌の石英の多く認められるグレーフェンベルクのプリュミエクリュを再開する方へと紆余曲折の道程ながら、リースリングの土壌の格付けと描き別けへとビュルックリン・ヴォルフが主導したVDPの方針を強く今年から明確に打ち出しており秋の試飲会が注目される。

そうした状況を総て鑑みてこの一際格違いの名門シュロース・ヨハニスベルクが醸造所としてはVDP加盟一流どころと比べて依然格落ちであることは否めない。その相違は上のような葡萄となればそれを放棄するかどうかの違いなのである。とは言っても名門地所であるから販売価格が妥当であるかどうかが問題であろう。



参照:
月光がラインを渡る時 2007-09-23 | 暦
グラスに見るワインの特性 2005-04-28 | ワイン
本当に力が漲るとは 2008-12-02 | ワイン
偽装消費を鼓舞するな 2008-12-01 | ワイン
朝から一杯、力を誇示 2008-11-18 | ワイン
貴腐葡萄の摘み取り 2006-10-16 | ワイン
2006年産の買付け計画 2007-03-15 | ワイン
買ってしまうグランクリュ 2008-10-02 | ワイン
年産の良い地所 2007-09-27 | 試飲百景
細身で苦みばしった辛口 (新・緑家のリースリング日記)
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RSSリーダーを新調する

2009-07-29 | SNS・BLOG研究
今まで使っていたRSSリーダーが壊れた。もともと日本語のブログをみるために最も古いヴァージョンを態々ダウンロードしてインストールしていたのだが、まともに機能した事など一度もなく、新しいヴァージョンになってからは日本語OSを使っていない限り字化けして全く使えない代物であった、

WEBにて使うGOOのものも何度試しても三百五十を越えるアドレスが一度も美味く登録されて動いた事はない。要するに使いものにならない。

さて今回も日本語の見出しなどが問題なく表示されるそれを探したが、ライヴドアのリーダーに落ち着いた。なによりも素晴らしいのは全く数を問題しないで登録できて尚且つ軽く作動することである。もちろん従来記憶していたそれをインポート出来るので何一つ苦労は要らない。そして見出しを新着順などで並び変えられる機能は、投稿された記事を見落とさないシステムとなっている。

そのように並び替えた場合、最も下に来るのは更新の止まっているブログであり、それまでは新旧の同一昨者のものが並べられていたのが、古いものと新しいものが何の関連もなくばらばらに並べ替えられる。中には見落としがちになっていたBLOGの更新に気がつく事もあってこれまた忘れていた旧友に遭うようでまた楽しい。

なによりも良いのが無料は当然の事ながら、情報漏れしても問題にならない登録内容だけでこれが使える事だろうか。現時点では煩わしい広告も殆ど気にならない。今まだBLOG専用のリーダーを使っていない人がいるならばこれは推奨できる。



参照:
鎖国ありえるデジタル界 2008-11-12 | 雑感
ウェッブ版RSSリーダー 2006-04-17 | BLOG研究
交通量増加と交通整理 2005-09-23 | アウトドーア・環境
更新リストとRSSリーダー 2005-07-22 | BLOG研究
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怒涛の如くの飽きない味

2009-07-28 | 試飲百景
天気が良く、行楽日和である。だからワイン街道は交通量も多く、普段の日曜日以上の試飲客がいると思った。しかし実際には先客が一組だけで、後にも先にももう一組が店仕舞いまでに訪れただけであった。

試飲の椅子の上には下らない評価本などが投げてある。「捨てて仕舞え」と叫んだ。そう云えば午前中に「商用」と秋の葡萄摘み取り会の参加を断わりに訪れたフォン・ブール醸造所などの評価も、そのような評価本を掴んで離すことができない辺境の島国の自称他称「通人」たちの餌食になってしまう。泳ぎでも何事もそうだが、ハウツーものを手にしてあれやこれやと模索して入るうちは一人前にはなれない。それを力いっぱい込めて握っている掌から手放すときに初めて文字通り一人立ちが出来るのである。こうした感覚は、初めて立つことが出来た、もしくは自転車に乗れたときの感覚そのものなのである。

情報源が少なくそれを通してしか接点を持たないと云うようないい訳がこれまたどの世界においても日本人の口から漏れるかも知れないが、そう云う「小ざかしさ」も情報の伝達と環境という「如何にも合理的そうないい訳」自体も一人立ちしていない証拠なのである。日本文化や日本人がいつも情ない文化や民族であるのはこれ故にである。

さて、試飲は2008年産として素晴らしい成果でもあったグーツヴァインから始める。結果的にはお客さんにもそれなりの評価を貰ったが、軽めに作って個性を薄めたフォン・ブール醸造所のそれと対抗軸にあるかと思われる。ワインとしてはこちらに軍配が挙がる事は間違いないが、要はそうしたワインの楽しみ方のありようであってつまりその目指す市場のあり方である。なるほど高級ワインのグランクリュワインの質がそのままスタンダードワインであるグーツヴァインに平行して表れるのは当然であって、ビュルクリン・ヴォルフとフォン・ブール醸造所のワインの格がその違いとなっている。そうなのだそうしたワインの格の違いに点数をつけて見ても仕方なかろう事はどんな馬鹿でも分かる。

さて次にルッパーツベルクとヴァッヘンハイムのオルツヴァインを比較する。先ず先のグーツヴァインに比較してこれまた遥かに格が上がり香りが人を魅了するのである。よりクリスタルな印象のある後者のワインに軍配が挙がるのは個人的な趣向などである以上に、飲み頃であることがそうさせるのである。これは何度も繰り返し試飲をしていないと判り難い事実なのだが、時の要素が如何に大きいか。評価本などを手にとる奴には分かるまい。

「ルッパーツベルク」の敗者復活を目指して食事前にあるいてきたホーヘブルクのプリミエクリュを試す。残念ながらお客さんの評価はすっきり感のなさで、そこに炭団が二つ並んだ。それに対抗するランゲンモルゲンは酸がまだ表に膚かっていてその評価は難しいかも知れないが、誰もがそれに気がつく頃には売り切れて入るのである。馬鹿者達よ!

最も評価の高かったアルテンブルクとゲリュンペルのヴァッヘンハイマー同士の比較では、前者のペトロな要素とそれ以外の梨など出方が少しづつ変化して来ているようで、春ほどには万人向けではなくなって来ているが、バランスはなかなか良く、低位のワインにあったような甘い感じは少なくなってくる。そしてレープホルツが言うような塩が効いている。最もクリスタルっぽいリースリングであるゲリュンペルはここの地の醸造所の代表的なワインであることに違いない。2008年度の特徴がその地の性格と巧く相殺されているようで飲み易い按配となっている。

いよいよ2007年産のグランクリュの比較試飲である。先ずは最も二月の訪問の時に不可解なワインと映ったようである玄武岩のペッヒシュタインを2003年と比較する。2003年は酸が少なくとても難しい年で未だに飲めるリースリングがあるのが不思議なほど若々しいが、十分に開いている例として大変参考になる。後に聞くところによると、2001年や2002年などは買いらしい。因みに2003年産が36ユーロとなかなか買える価格となっている。

そして思いがけず差し出されたのが2007年産イエズイーテンガルテンで五十ユーロの価格はまだまだ閉じていると云っても良い。容易な安いワインほど早く飲めるのだから、これを買いこんで将来スキヤキなどに合わせるとなると大変贅沢なお話である。

お目当ての2001年ホーヘンモルゲンの42ユーロが高いというか安いというかは、兎に角味わってみなければ誰にも結論は下せまい。味わってしまうと高いと断定出来なくなるのである。2007年の健康度では達成出来ないような円熟が嬉しい。

ご愛嬌に2008年産ホーヘンモルゲンの樽試飲もしたのだが、火付け役となった我々としては願ってもない試飲であり、2008年産の強さと必ずしもこの地所のワインでなくても良いというヴィンテージの実感を得た。もちろん毎年少しづつでもお気に入りのワインを購入して行けば毎年良い状態のものを開けて行ける楽しみが味わえる。それとは違って、年度によって最高にお買い得なものを選択して行くのはなかなか通常人には容易ではないだろう。

85年産のショイレーベなら我家の地下にそれ以上のものがあり、また甘口のそれらについては特別書く事もなかろう。



参照:
ゴー・ミヨ騒動その後 2 (モーゼル便り)
リースラーナーについてです。 (saarweineのワインに関してあれこれ)
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半日かけた泥酔の夏の一日

2009-07-27 | 料理
久しぶりに二年に一度あるかないかぐらい酔っ払った。お客さんを迎えて昼から飲んだ。その前に小一時間程ルッパーツブルクのホーヘブルクからガイスビュール、リンツェンブッシュまで炎天下の中を廻って腹を整えた。

ヴァイツェンビーアに続きぺファーリング茸ソースのポークの背肉メダリエオンにブラートカルトッフェルを付け合せて舌鼓を打つ。食事にはバッサーマンヨルダン醸造所の2008年ものリースリングである。このヴィンテージの特徴である色の強いワインが黄色の少し強めの味になっているソースにとても合う。

腹も膨れ、暑くも寒くもなく、パラダイス心地で気持ち良く二時間ほど木陰で憩う。それからが怒涛のような次から次への試飲で、それを終えた時は18時を過ぎていた。既に七時間経過である。

それからお土産の15%アルコールのラインガウのリースリングを啜り、ピクニックの開始である。そこではシュヴァールテンマーゲンのヴルストザラータをゲオルク・モスバッハーのエルスターに合わせる。エルスター自体も大変色が強く、可也味が強い。それを平らげる頃に、流石に強い酒が廻ってきた。

その後は坂道を転げ落ちるように駅へと直行して、やっとのこと家路に就く。時計を見ると九時十七分であった。完全に酔っ払った。
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何かが段々と見えてくる

2009-07-26 | 雑感
裁判闘争がハイデルベルクの裁判所で九月に始まる。弁護士に再度出廷の準備をさせるために先ずは論拠や裁判戦略を練り始める。門外漢であるため最終的な論拠は見出せないが、具体例からして何を主張すれば良いかは段々と見えてきた。

日本からのお客さんが二度目の試飲をする筈だったが、体調を悪くしたようで平日の来訪はキャンセルされた。そのためご婦人向け一押しグランクリュリースリングゲオルク・モスバッハ醸造所に予約して措かせた2007年産フロインドシュトュックを取りに行った。日曜日は醸造所は閉っているので残念ながら今回の試飲は断念した。しかし、上のグランクリュは試飲しなくても安心して万人に推薦できるものなのである。

上のワインを上手く推薦してくれた売り子の女の子に同じようにミネラル質の強くないバランスのとれた万人向けのリースリングを推薦して貰ってそれをついでに購入して来た。



参照:
執行猶予期間を先送りする 2009-06-10 | 生活
書斎でほくそえむ確信犯 2009-04-30 | アウトドーア・環境
知性に劣る民を卑下する美徳 2009-04-06 | マスメディア批評
新極右翼親仁に学ぶこと 2009-01-26 | マスメディア批評
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恋愛下手なシャイな娘さん

2009-07-25 | 
シャイな女性に珍しく出会った。思春期真っ只中のミドルティーンの少女なら珍しくはないのだが、どうみても十代には見えないのである。欧州の中でもドイツ連邦共和国の社会精神環境や教育環境からすると例外的と言わざるを得ない。

社会環境からすれば都会よりも田舎の素朴な環境を想像すると可能性は増えるだろうが、連邦共和国においてそうした素朴な生活精神環境を維持しているような地域はあまり知らない。スキーなどで訪れるオーストリアの谷深くでも何処か環境客ずれしていて、フランスなどの方が寧ろそうした素朴さは残っている。

上の女性だが遠めに見ていた時からそのような表情に気がついて、ダークな髪や雰囲気が気になった。もちろんのことブロンドの女性と比べるまでもなく派手さがなく地味な印象が年齢不肖な感じを与えるが、それがまた気になる所である。

先日のように芝居を打たれて迫られるのとは正反体の趣が、男心を擽ってそれはそれでまた良いのだが、色気もなにもなくしたおばさん連中と行動しているのが余計に不思議な印象を与えるのだ。

帰りがけになって此方も興味をもって様子を観察していると、おばさん連中から敢えて遅れて離れて私の所に近づいてきた。如何にも声を掛けてもらいそうな様子なので、先日のブロンド女性の芝居とは異なって、こちらも千両役者のように上手から登場する準備は出来ている。

丁度私の前を通りかかる時何をするかと思って構えていると、なんと大きな欠伸を二発するのである。これで彼女がおばさん連中と行動を共にしている理由が分かった。

こちらも空かさず、「疲れた?」と声をかけると、「うん、まだ九時前なのに」とあまり顔も見せずに恥ずかしそうに答えた。



参照:
三十路女の手練手管に感心 2009-07-07 | 女
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アフリカ人気質を感じる

2009-07-24 | 雑感
アフリカの黒人の運転手が遅れてやってきた。開口何を言うかと思えば、「ドイツワイン街道なんて住所はないよ」と言うのだ。

何処かで聞いたいい訳だなと思うと、同じ男だった。その時にも説明したように思うが、同じ所に来るのに同じ事を繰り返している。それで「こいつは馬鹿を演じているのだな」と分かった。もしかするとこの男は何処かで移動中にサボっていたかも知れないと感じた。

それから、車をバックで入れてきて、もう少し奥へ入れと言うと苦労しながら進入して来た。先日の大男と来た小大男のように力に物を言わさずに頭を良く使っている。そして自信の専門的な知識に拘って必要もないような事までするのである。

要するに明日の事などどうでも良いのだその日一日が楽しければ良いのである。そう思うとオバマ大統領にもそうした気質を半分受け継いでいて、奥さんを含めてアフリカ人的な気風が感じられる。チェンジを楽しんでいればそれが一番でそれ以上に面倒な事に気を煩わせる必要などないのである。有限実行は立派な考えだが、「男は黙って」などはこれまたアフリカ人のそれと同じように特殊な気質である。

パンを買いその足で森を歩きに行く前にラジオでオバマ政権の核開放政策が専門家によって議論されていた。その中で日本が八か月もあれば核弾頭を飛ばすことが出来ると専門的な見解を示していた。昨年だかに話題になった日本の核武装だが、今後も機会あるごとに真剣に議論して、核武装をしない事、そして非核三原則を改めて世界に問う事はなにもしないことよりも遥かに効果がある。

オバマ大統領は、おじいさんがブッヘンヴァルト強制収容所を解放した事からヴァイマールを訪れた。日本では、広島だけでなく大統領の長崎訪問を実現させる運動が起こっているようだ。



参照:
張りぼて大男の大切な仕事 2009-06-30 | 生活
強制収容所の現実 2005-01-26 | 歴史・時事
檻に吹きこむ隙間風 2006-10-23 | 歴史・時事
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誰も居ない水曜日の晩

2009-07-23 | アウトドーア・環境
石切り場の駐車場には車がなかった。それでもリュックサックを担いで上へと上がった。すると石切り場の方で声が聞こえる。顔見知りが二人程と何処かで見かけた若ものが二人いた。雨上がりで教育ママの連れた子供以外には誰も来ない。

手前の古く細いザイルしかないので先ずは適当なところを登る。先週はそれなりに指導者も来ていて賑わっていたようだが天気は悪かったらしい。その親仁は、娘が夏休みで家でTVかコンピュータの前でうろるろしているので友達などを引き連れて石切り場で遊んだ話をしていた。泳ぎにでも行かせれば良いじゃないかというと、ザイルで引っ張り上げるばっかりで疲れたと言っていたが、娘達と遊べるので何処しか嬉しそうな表情をしていた。そうこうしている内に医者がザイル無しで上がってきたので、車まで取りに返って貰った。見学に他の医者も胸に鍵をぶら下げて上げって来ていた。

それからまた三本ほど登ると九時になり、暗くなってきた。十分に汗もかき、皆帰って行った。医者は、マッターホルンへ再度行きたいと言うので、北壁かと尋ねるとスイス側からイタリア側への縦走だと言う。友人のツムット稜での事故とマドンナ像の不思議の話をした。

ギメルディンゲンのムッグラー醸造所の蔵出しレストランへ向った。医者は先ずは糖尿病の薬を取りに帰って、それから夜遅いステーキを食した。おかしいと言うと、それで良いのだと言う。こちらはサラダに牛肉の乗ったものを食べながら土産話をした。

初心者のクライマーである医者の持っている潜在的な岩登りへの不安感を知っていたので、ザイルシャフト全体の安全システムの構築や今回のフリークライミング感覚などを話した。彼の乗っている二輪車の危険性なども比較した。



参照:
隠されている解放への障壁 2009-07-20 | アウトドーア・環境
仰ぐよりも見下ろす視点 2006-03-14 | アウトドーア・環境
文明のシナ化への警告 2008-10-26 | 文学・思想
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雨の休暇日に母体回帰する

2009-07-22 | アウトドーア・環境
今日はこの夏一番の暑さだろうか。雷雨もはじめから日程に組まれている。明日は二週間振りに石切り場に行って、残留組に成果を報告したいのだがどうだろう。早くお湿りが来て早く乾いてくれると良い。

陽射しの下では三十五度近くあるので、どちらかと言えば池に行って、トップレスの女の子の周りをうろうろした方が楽しいのだろうが、夏休暇で人手が手薄になっているところにお手伝いに行くのも悪くはない。

先日の山行の雨天の洞窟探検は、小一時間とは言え初めての経験を楽しんだ。一時ケーヴィングと呼ばれて流行ったことがあったが、ザイルを使って云々の行動で、スポーツ性よりも探検ごっこの感じが強くて一度も興味を持ったことはない。暗闇で閉じ込められたり、増水で溺れたりとその不幸な想像は滑落よりも喜ばしくもない。

それとは別に閉所恐怖症などと呼ばれるものもあるが、それには自覚がない。寧ろ最近は眼鏡のためか自律神経失調症気味で、出来るだけ高みから下を見ないようにしている。高所恐怖症ではないがふらふらと目眩するといけないと思うようになっている。

洞窟へは小屋から二十メートル以上上がった岩壁の洞穴から入った。しんがりを進む。足元を照らす光は自らのライトしかなくて、思わず「暗い」と叫んだ。「洞窟を精々楽しんでくれ」とお声が掛かったが、なるほど少しでも離れ離れになる不安になる。更に進むと上下に二つの穴が分かれていたりで、叫んで位置を確認しても声が跳ね返って定かではない。大きな洞窟になると戻って来れない不安も付き纏うのだろう。

アリアドネではないが洞窟の入口から自分専用の赤い糸でも引っ張って行きたい気持ちは良く分かる。匍匐前進しなければいけない場所もあり身のこなしの柔軟さも要求されるところがいくらかはスポーツ的だろうか?それでも通れるかどうか分からないような場所を先に進むとなると益々不安になるに違いない。何れにしても洞窟探検は子宮回帰の心理をどうしても強く意識させる行いである。

異なった姿勢で戻ろうとすると、「止めてくれ」とまた背後からお声が掛かった。「閉じ込められては叶わない」と幾らか不安な声が響いた。小屋に戻って着替えを済まして体重オーヴァーの居残り組に報告していると、「洞窟を空けて戻ってきたのか?」と訳の分からない事を言われた。ズボンのチャックを閉め忘れていたのであった。
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無意識に行使する夜の覇権

2009-07-21 | 雑感
我々のグループは全員で九名であった。一組が夫婦なので女性が一人含まれて居る。誰かが「あいつらいつも叱ってばかりいる」と言ったように、三人は婦人を含む警察官である。既に書いたように重量オヴァーが二人で、平均年齢は四十ぐらいだろうか。

夫婦を除いては今回も他の泊り客を交えて夜は大部屋収容所で就寝した。殆どは四泊したので一番奥に主のように居座ったのである。その中でも夜になると更に覇権を誇示する連中がいる。新入りの若い女の子などを寝かさないだけでなく、二段ベットの上からその着替えの後ろ姿などに暗闇から目を光らして居るのだ。

聞くところによるとそれは私を含む三人の男だったようだ。私の知るところ隣に寝る最年長の親仁の鼾に寝られなかったのは私なのだが、此方が深い眠りについている時は知らない。

反対側の鼾の源の一人に言わせると、就寝前に楽しんだ酒によって鼾のかきかたが異なるとらしい。最も酷かったのはミュラーテュルガウを飲んだ夜で、一番大人しかったのが南アフリカの赤ワインを飲んだ夜だったらしい。オーストリアのツヴァイゲルトは中間のようだ。

なるほどあれだけ酔い心地が違うのだから、喉の奥の麻酔の効き方も異なるに違いない。さらに喉への後味の溜まり方も大分違う。糖が溜まるのかタンニンが効いているかなど。十分に医学部の学士論文ぐらいの価値はあるように思うが、既に定説はあるのだろうか?

当然の事ながら白を飲もうとした最後の晩、隣の鼾親仁から強い圧力が掛かって断念せずにはいられなかったことは言うまでもない。


写真:重量オーヴァー親仁の乳房の夜景
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隠されている解放への障壁

2009-07-20 | アウトドーア・環境
昨日は三十分ほど散歩した。ワイン地所ヘアゴットザッカーの上部にある石灰岩の岩肌に触れた。夜中には数時間に渡って停電があった。停電となると夜中でもなぜか町はそわそわする。隣町も真っ暗であった。それでも役所などの非常灯は輝き、どこかからピープトーンが響く。山の中にいたその暗さからすれば明るいのだが、暗くなると旧共産国のように町は不気味な雰囲気を醸し出す。少子化対策には最も効果があるのはこれだろうか?

オバマ大統領が差別問題の協会で演説した内容を伝えるものを読んだ。主な骨子は黒人層の被差別意識の是正である。現在においても差別が存在しない訳ではないがそれが社会的な不公平には繋がらないとする見解で、黒人家庭の親達に「子供には歌や運動にかまけさせずに勉強させろ」と訴える。更に、「PCにゲーム機を設置したりするな」とコンピューターゲーム機の子供への購入を厳しく批判して、「ゲームなどさせずに早く寝させろ」と説教する。しかしこれは世界中においての話しで、なにも合衆国黒人だけの問題ではない。親の教育程度やその含まれる社会層の問題であり、子供に勉強させて教養をつけさせろと言っても出来るものではないからである。コンピューターゲームへの重課税をしても達成されるものではない。

被害者意識は人を駄目にするだけでなく怠惰にするのか、教養がないからそうしたものが生まれるのか、とても難しい議論である。只そこには一種の不安のようなものもしくは本能的なものが隠されているのは確かであろう。

昨晩一週間振りに風呂に浸かったゆえか、肩から手首に掛けて病める。如何にそうした肉体的無理が直後には抑圧されていたかが知れる。そうした押さえられているものはなにも肉体的なものだけでなくて心理的なものであってもおかしくはない。

先日のザイルシャフトでは、二人のパートナーを得た。一人は三年ほど前にドロミテで同じように登った仲であり、大柄のブロンド男性でまだ四十に届くかどうかの年齢である。その時も一種の不安からルートファインディングにおいて不安定さを示していたのだが、それが理由で今回も私と組まなかった初日に最も弱い仲間と組んで更なる問題の遠因を拵えていた。

そこで最終日には私と組んで、彼の持っている潜在的な不安の克服が課題となった。私は彼の不安を目の前にして「野獣のように登れ」と発破をかけた。それは同時に私自身の不安感を対象化させた。要するにフリークライミングの領域では、嘗ての人工登攀では数多の岩肌に打ち込まれたボルトやハーケンによって空中へと放り出されずに固定される感覚が強かったのだが、現在においては限られた数の支点によってその空間に放り出されたときに落下を防ぐようなシステムへと質が変化して来ている。

つまり、嘗てはその支点によって岩肌に大きな繋がりを持っていたのが、現在は主に手足へとその接点が移って来ている事をさす。今回実感できたのはまさにその繋がりの接点の感覚である。如何に金物を通さずに要するに動くカラビナの距離感なく素肌で接点を持つと如何に身近でありえるかの感覚である。物理的に有利な事は言うまでもないが、その心理的なものは決して小さくない。

心理的な障害を除去して合理的にそれを捉えられれるかが鍵である。それが解放へと繋がる。



参照:
記憶にも存在しない未知 2007-05-27 | 文化一般
腰にぶら下げる山靴の重さ 2009-07-19 | アウトドーア・環境
永いフィットネスの精華 2009-07-17 | 生活
観光資源の無かった田舎の村 2009-07-18 | アウトドーア・環境
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腰にぶら下げる山靴の重さ

2009-07-19 | アウトドーア・環境
中高年の山での事故が日本では問題になっているようだ。高齢化社会において時間のある高齢者がより多くアウトドアー生活を楽しむようになれば、事故の件数が増えるのは当然であろう。

それは欧州においても似た傾向があるだろうか。本来ならば経験を積めば積むほど安全性は高まるので、若年層に比べてアルプスでの事故は比率としては少ないに違いない。しかしそこには別な問題がある。

先日も山で話題になったのだが、フリークライミングは盛んであるが大きな壁やアルプスの壁を攀じ登ろうとする層は必ずしも多くは育っていないと言うのだ。それ故に、その意志のある者に対して雨の中を退去方法や救助方法などの練習を実践したのだが、本格的にそれを真剣に考えている者はやはり少数に違いない。

アルピニズムの終焉から半世紀も経てば、今回の山行がプレジャー・クライミングと名付けられていたように、昔日の技術や経験を保持継承することすら難しくなって来ている。舟橋氏が自らをその残党と呼ぶような「岳派系クライマ-」が少なくなって来れば、益々技術や経験不足での事故が高齢となった現在の若年層にも増えるようになるだろう。

反対に、スポーツクライミング全盛の時代であるからこそそれなりの新たな対応が必要な学ぶ事がある。今回初めて経験したのは、山靴を腰にぶら下げて登る事で、例え軽いそれを選んでいるとは言え、今まで人のその姿を見て馬鹿にしていたものだ。

嘗てならば荷揚げもしくは一人が荷物を担ぐのが普通であったが、なるほど出来る限り一気に登る距離を伸ばす方が合理的である。なにもアイガー北壁のような有名なトラヴァースが無くとも、今回のような横へとしばしば登路が開かれる石灰岩特有の小さな岩壁においても退路は十分に絶たれる可能性がある。要するに天候が安定している内に一気呵成に登りきってしまうことが大切なのである。

そのためには、今回も議論となったが、難易度五級の岩場ならばリュックサックを担いでも問題ない者もいるが、六級ならば空身でなければ話しにならないとなる。なるほど、今回もリュックサックに靴を入れ飲み物や救急用品などを入れていたら余分な時間が掛かり、挙句の果ては途中でピクニックなどを楽しんでいたのは確実である。さもなければアルピニズムごっこへと確実に近づいて行くのである。



参照:
永いフィットネスの精華 2009-07-17 | 生活
観光資源の無かった田舎の村 2009-07-18 | アウトドーア・環境
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観光資源の無かった田舎の村

2009-07-18 | アウトドーア・環境
オバーヨッホの石灰岩の裏山から降りてきた。そこからケムプテンの方へと行く広い谷沿いに小さな村ヴァルタッハがある。その間の道すがらが帰郷をする作家ゼーバルトによって描かれていて、現在はゼーバルトヴェークとして観光対象ともなっている。

町のツーリストインフォーメーションで事情を聞いてちらしを貰った。元々それほどの観光対象となる町ではないので、この世界中で愛されている作家によってなんとか資源が出来たと言う趣である。

そして、その生家の近くにあるシュニッツェルを得意としているホテルレストランの親仁を呼び出すと、斜向いにあるにも拘らずそれほど道案内に慣れている様子はなかった。

年行った奥さんも出てきて、「ちゃんと説明してあげてよ」と言うのだが、親仁は「このちらしははじめて見るよ」とそこにかいてある説明を読み上げるだけである。

「息子はゼーバルトの本を買って来ていたけどね」と、あまりそのないようには関心のない様子を示すが、「世界中で読まれているからね、それでも英国へ移ったりしてちょっとややこしいよね」と振ってみた。

「そうなんだよ」と、実は良く知っている様子であったのだ。

喉も渇いているのでホテル駐車場となっている所で美味いビールで憩ってから腰を上げる。何の苦労も無く生家に貼ってあるプレートを見つける。

大家ゼーフェルダーはそのまま看板を掲げ続けている。なんともオーヴァーアルゴイの田舎を感じさせる佇まいで日本のそれにも共通するものがある。山は、ドロミテと同じとその岩石の質は異なっても、ドロミテのそれよりも遥かに日本アルプスの条件に近く、大きな滝が豊富な水を落としている。

風光は異なってもやはりこの辺りの田舎の感じはその気質と言いなんとも懐かしいものを感じるそれである。それは決して肯定的な判定を指す訳ではない事も確かである。

写真を写している時に擦れ違う親仁の表情にもちょっと不思議な雰囲気が漂うのである。ホテルに車を止めていたので、先払いしたビールグラスを片付けている親仁に、「見つけたよ」と言うと、「それは良かった」、「またくるよ」と言って別れた。
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