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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2005年10月

2005-10-31 | Weblog-Index



税金運用法を正しく討議 [ 雑感 ] / 2005-10-30 TB0, COM0
尻を捲くり立ち留まる [ 歴史・時事 ] / 2005-10-29 TB0, COM0
空気配送郵便チューブ [ テクニック ] / 2005-10-28 TB0, COM0
北の地で血を吸った大斧 [ 文化一般 ] / 2005-10-27 TB0, COM0
こんな物は要らない [ 生活・暦 ] / 2005-10-26 TB0, COM2
石林の抽象への不安 [ 文化一般 ] / 2005-10-25 TB3, COM7
湿気た文化政策 [ 文学・思想 ] / 2005-10-24 TB0, COM9
没落-第三帝国の黄昏 [ 文化一般 ] / 2005-10-21 TB1, COM3
多声音楽の金子織り[ 音 ] / 2005-10-20 TB1, COM2
駒落としから3D映像へ [ 雑感 ] / 2005-10-19 TB0, COM2
ゼックスコルンブロート [ 女 ] / 2005-10-18 TB0, COM4
文化政策オッペケペー [ 文化一般 ] / 2005-10-17 TB0, COM6
スパムフィルターの秘密 [ テクニック ] / 2005-10-16 TB0, COM8
覚醒の後の戦慄 [ 歴史・時事 ] / 2005-10-15 TB0, COM2
偉大な統治者と大衆 [ 文化一般 ] / 2005-10-14 TB0, COM2
経済成長神話の要塞 [ 文化一般 ] / 2005-10-13 TB0, COM0
構造への全幅の信頼 [ 雑感 ] / 2005-10-12 TB1, COM2
コマンタテレヴー, Mme? [ 雑感 ] / 2005-10-11 TB0, COM2
新月過ぎの葡萄の精 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-10-10 TB1, COM4
更に振り返って見ると [ 歴史・時事 ] / 2005-10-09 TB0, COM4
少し振り返って見ると [ 雑感 ] / 2005-10-08 TB3, COM11
ノーベルドイツ時計親方賞 [ 数学・自然科学 ] / 2005-10-07 TB0, COM4
シュペツレ好きの麺類 [ 料理 ] / 2005-10-06 TB0, COM8
ヨーグルトとトッペン [ 料理 ] / 2005-10-05 TB0, COM3
秋空にまだ青い葡萄種 [ 生活・暦 ] / 2005-10-04 TB0, COM4
韓国の大スターと子供達 [ テクニック ] / 2005-10-03 TB0, COM5
涙の出るようなケーキ [ 生活・暦 ] / 2005-10-02 TB0, COM2
新自由主義なる似非文明 [ 文化一般 ] / 2005-10-01 TB0, COM0
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税金運用法を正しく討議

2005-10-30 | 雑感
議会訪問こそが、我々のベルリン訪問の目的であった。長蛇の見学者の並ぶ議会場を通過して、予算を初めとする委員会の建物に入る。そこは空港並みのチェックをして通されることになる。会期中にそれも週の前半に委員会が開かれる事からすれば、行き過ぎのような気もするが、時限爆弾などへの警戒もあるのだろう。9月11日以後全ては厳しくなった。

国鉄が二時間近く遅滞したので、先ずは昼食を食堂でご馳走になる。公的な施設としては、前菜もデザートも無く非常に質素である。節税の一環なのだろう。様子を見ていると、学生などの団体もあり招待客は可なり多そうである。シュプレー川を挟み国会資料館があり、気持ちの良い環境である。そこから首相官邸やスイス大使館も近い。ヴェジタリアンのパスタとインフルエンザ未感染らしき鳥のクリーム煮が本日のメニューであった。毎日のように御呼ばれしたいものである。

その後、腹が落ち着いてきたところで、昨今の政治事情などのお話を伺う。先週金曜日の時点では、CDUの立場からCSUシュトイバー博士に反撃する姿勢がはっきりと出ていた事だけは記録しておく。かなり個人攻撃的な論調で、その後の新聞報道などを見るとなるほどと思わせるものである。如何に政党の論調と言うのが会合などで統一されて行くかというのが知れる。二百人を越える党派となれば、ある種オピニオンをリードして行く方法があるのは当然なのだろう。

その後大小の委員会室などを見学した。本会議場とは違って、非公開で討議される委員会が最も議論の核であるのは知るとおりである。円卓の上部にモニター装置が設置されていて、企業などの遠隔コンフェレンスとは違い、文字通り関係各省庁でモニターされている。円卓の外側には省庁の代表が控えている。来週のスケジュールなどを覘くと、CDUが委員会部会などを開く事になっているので、会派別の省庁との討議等にも使われているようである。

そこから本会議場のある帝國議会の堂々とした柱状アーチを横から望むと、貴重な税金を運用している意識を強く出来るのではなかろうか。立法の権威の中でなく、サイドからこれを行う姿勢は正しいような気がするが如何だろう?本会議場には、どうしても権威が伴う事は改めて触れる通りである。

おみあげに、買い物袋に使える手提げのズタ袋を貰う。その中には、連邦議会のシステムを解説した500ページに及ぶぺーパーバックと先の議会の代議士等の全名簿が入っていた。
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尻を捲くり立ち留まる

2005-10-29 | 歴史・時事
ベルリンのドームから川下へと歩く。町の発祥の地である、漁師市場の方へと川岸のプロムナードを歩いていく。川岸からロシア語訛りの如何にも漁師風の濁声の話し声が聞こえてくる。更に木陰から何かが這い出たかと思うと、足元を横切る栗鼠ではなく、お尻を捲りながら素早く立ち去る小母さんである。少し行くと橋の袂で立小水をしている老人など、恰も野外公衆便所の様相をなしている。東ベルリンの生活若しくは辺境の暮らしが、突如フラッシュバックする様に先祖帰りするのだろうか。

そのような一角を更に行くと、都会の真ん中に地方の城郭を意識させるようなレンガ張りの大きな建物に行き着く。これがメルキッシュ博物館である。1300年代の城の一部を使ってあるとはいえ、中にルネッサンス風のチャペルを作ってあったりして、建物自体が博物史へのコンセプトによって建造されている。同時期建造のルートヴィッヒ二世のノイシュヴァンシュタイン城とも比べるが良い。バイエルンのディズニーランド構想は、プロイセンでは真面目で啓蒙に満ち溢れている。

その垂直方向へと広がる博物館は、一通りの展示を回覧するのにも一苦労する。興味あるテーマとして、有史以前の発掘と民族の変遷である。スラヴ民族からゲルマンへの移動は、シュプレー上流の沼地では今でも非ゲルマン文化が強く残っているからである。豆料理や沼魚料理は事の他、その村落の地理的特殊性と相まって文化として結集している。一言でいうと、ワインの育たないような自然の厳しい辺境の地はローマ人には興味が無かった。スラヴ人へと襲い掛かったゲルマン人の敵は、熊ぐらいしかいなかったのであろう。スラヴは、1000年以上前までは藁葺の様な住居であって、ライン河畔のローマ人の植民地とは比較が出来ない。

そのような、上から下へと流れる文明の流れの摂理で、南のホーヘンツォ-レン家を代表とするドイツ騎士団が東方開拓する以前の歴史こそが面白い。文化的後進性からそれほどに見るべき物がないとは言え、ゲルマン神話の世界に直結するような粗忽な佇まいが当時の石像や意匠から見て取れる。地方豪族のアルブレヒト・バーレンッシュテットの時世を挟んで、反獅子のハインリッヒ、反ザクセン同盟を経てブランデンブルクは権勢を拡張していく。

先日採り上げた、リーバーマン、スレフークトやオルリックの扇子や千代紙や便箋なども陶器類と並んで隣に展示されている。どちらかと言えば、これらも北方のビーダーマイヤーの延長線上に位置づけられている。確かに、プロイセン帝の陶器などは、ザクセンの影響を受けながら、その趣味は伊万里だけでなく白磁を多用するなどの違った方へと向っていっていたことに気づく。時系軸を引かない展示なればこその発見である。

用を足すと言えば、関東から関西に移り住んだ谷崎潤一郎が、阪急電車のなかで立小水をしていた農家の小母さんに驚いた事などが何処かに書いてあった。ワイン農家の倅の成人した友達が門の内側で用を足すので、躾けはどうなっているかと訝ったものだが、北辺の首都の歴史を尋ねると、何となく合点が行くのである。窓外の色付いた落葉の道に跳ね返る雨も小降りになった。部屋から部屋へと何度も行き来しながら、方々で監視している係員に案内を乞うて、急ぎ足で更なる部屋へと向った。



参照:
文化政策オッペケペー [ 文化一般 ] / 2005-10-17
湿気た文化政策 [ 文学・思想 ] / 2005-10-24
北の地で血を吸った大斧 [ 文化一般 ] / 2005-10-27
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空気配送郵便チューブ

2005-10-28 | テクニック
ベルリンは、上に下にとパイプだらけである。何も地下水を汲み上げ、液状化現象を防ぐシステムだけではない。地下には郵便のチューブシステムが町中に張り巡らされていた。19世紀初頭にデンマーク人によって考え出された郵便配送のシステムである。ベルリンの郵便システムチューブ網は、パリに続いて最も大きかったと言う。1865年から1970年まで実際に使用された。

このポストを取り出す情景は映画などで御馴染で、市内90局に及ぶ郵便局が地下チューブで結ばれていただけではなく、公的な事務所なども結ばれて直接に配送されている様子が窺える。二十センチ足らずの皮の巻かれたシリンダーの筒に郵便を入れて、送り出し、受け取る。そのチューブの中に空気を送り込み、または吸い込めばよい。一旦空気の流れが出来たなら、僅かに加速減速してやれば少しのエネルギーで最高速時速58キロに至る転送が出来たと言う。

その速さゆえに、十分単位の消印が押されたことで、切手収集家には価値ある物として扱われているらしい。第三帝国下には、ミュンヘン・ベルリン、ベルリン・ヴィーンなどの経路も在ったと言うから驚きである。ニューヨークの一メートルもあるかと云う長さの筒も、その輸送力の大きさに驚かされる。

ジーメンス社のコンプレッサーで作られた空気の流れは、こうして戦時下でも利用されて、戦後も動き続けた。東西の壁が出来てからは、西側のブロックは切り離され徐々にテクノロジーの進歩に追いつけなくなったのとは反対に、東ブロックにおいてはパンコウなどの党幹部の居住地域を中心に最後まで利用されたと言う。部品の入らないジーメンスのコンプレッサーに変わり東独国営産業のモーターが使われるようになっている。

19世紀中ごろには、チューブの中を通した輸送手段としては列車などを通す開発がなされた。ロンドンの地下鉄チューブの歴史と並行している。ロンドンとクロイドン間の実験が有名で、加速は出来ても減速が出来なかったのも失敗の原因らしい。そしてこれは歴史上リニアモーターカーに引き繋がれている。少なくとも広義には、吊橋と並んで重要な、トンネルを使った輸送技術に含まれるのだろう。関門トンネルを掘削中にパイロット鉱から見学したと言う人の話を聞くと余計にこの感は強い。

現在の視点から見ると、最近もハイデルベルクの大学病院等では臨床検査室が近代的なこのシステムで結ばれるようになっており、更に商業・銀行関連でも現金の遣り取りがこのシステムで行われている。またリニアモーターカーで、光ファイバーで以って自然外光を入れながら走れる可能性を考えると、デジタル化したネットとは違う地下のロギスティックのシステムが今後とも発展する可能性が予想される。

ベルリンの地下のシステムと言うと、シャルターや軍事的な秘密トンネルばかりを考えがちだが、このような近代テクノロジーを見る事が出来て良かった。



参照:情報管制下の娯楽番組 [ 歴史・時事 ] / 2005-11-05
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北の地で血を吸った大斧

2005-10-27 | 文化一般
メルキッシュ博物館で雨宿りをした。市民が1887年に王室を離れて創立した過程からして、現代の博物館の奔りである。

そこには数限りない、この地方やベルリンの発祥について、時系列でないテーマ別の展示がある。その一つに、騎士団の鎧や武器、拳銃や銃器とは別に、国王暗殺犯を処刑した血の付いた斧だけでなく、ルネッサンス期以前の拷問道具やユダヤ人殺戮の資料などもあった。

その絵柄も腹を上から斧で切り込む風景など、可なり明白に実写されている。責め具も、足かせ首かせの内側に太い針が付いており、太さも自在にも締め付けられるようになっていた。人形の棺桶の中に押し込んで痛めつけたり、首だけを出させて樽の中に閉じ込めるなど、考えられるだけのお仕置きが用意されている。

この地方を扱った展示であるので、その範囲内で第三帝国やその東ドイツも扱われている。勿論、最近見直しの1920年代からバウハウスを中心としたその意匠や新即物主義の絵画などが展示されている。

第三帝国の間もこうした展示がされていた事を想像すると、このような即物的な展示の方法が決して好ましいとは思えない。強制収容所のオラーニエンブルグ、シェーンフェルドやザクセンハウゼンでの物品も、将来はこのように展示されていくのだろうか。だからこそホロコーストの収容所等の博物館的な保存が決して最良ではないと言う見解にも導かれる。

子供たちがハロウィーンの魔女の格好をして郊外学習に来ていた。魔女狩りや拷問博物館などは各地にあるが、何故か北の地にこうして展示されていると、何処か大きく違う感じがする。それは、なにもプロイセンの啓蒙文化が災いしているだけでなくて、それ以前からの長い歴史に関係している感じを受けた。そのプロイセン以前の文化については、改めて見て来た印象を纏めてみよう。

写真:ホロコースト記念碑



参照:尻を捲くり立ち止まる [ 歴史・時事 ] / 2005-10-29
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こんな物は要らない

2005-10-26 | 生活
アレクサンダー広場周辺の風景は印象深い。フリードリッヒシュトラーセ駅を御茶ノ水や水道橋とすると、定めし池袋という感じだろうか。東ドイツにおいて最も典型的な広場であり、今でも特別な雰囲気を残している。

地方からの入植や共産主義による中央集権都市の象徴である中層アパート街も、外から覘く限り西側風に直されている。駅前ビルの感覚で地上階にはテナントが入り、日常の消費活動が行われている。その多くには、ハンバーガーやチキンの店などのアメリカナイズした店が並び、通常の欧州の土地にはありえない風景である。これは、社会のダイナミズムとして言い換える事の出来るものであるが、ベルリンに代表されるような都市化は、今や色褪せた現代と言われるものである。

こんな物は要らないとライプチッヒのご夫人が言っていた生活様式が、今やベルリンの失業者や労働者にこそ似合ったものになっている。ここでは、南ドイツの都市や旧東ドイツでは見られない物乞いが道に座り込む。これは、西ベルリン時代からの伝統的風景である。貧しく、自然の厳しい土地から人々が集まって大都市が形成された。

約束の夕飯には早いので、TV塔の足元に近くにあるカフェバーで、一杯引っかける。広いスペースにゆったりと止まり木などが並べてあって、労働者や若者が気楽に飲み食いする。アメリカ的な光景である。ベルリナーピルツナーやメックレン・シュヴァルツが美味い。軽く摘む心算の芋が皿一杯に溢れている。ベルリンでは、芋はふんだんに供される。

写真:ホロコースト記念碑から遠くアレクサンダー広場のTV塔を望む。



参照:駒落としから3D映像へ [ 雑感 ] / 2005-10-19
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石林の抽象への不安

2005-10-25 | 文化一般
ホロコーストの記念碑を訪れた。連邦議会への招待と並んで、ベルリン旅行の目的であった。実現まで大変に揉めて、未だに賛否両論が飛び交っている。それも現場に行かずに批判している者が多いようである。

黄昏の気配の漂うソニーセンターからポツダマー広場へと向い、交差点を渡り二つ次の一角に広がる石碑の林が記念碑である。比較的好意的な記事などを読んでいても、実際に見ない事には語れない。その石碑は、四方外側では膝下の高さで、中へ行くほどに高くなり、優に三メートルを越えるかに見える高い石碑となる。その足元の地面は、傾斜しながら低くなっているので、全景を見ての威圧感は全く無い。寧ろ、瀟洒な感じさえする。

交差点の角に立った時点で、多くの批判は過ちであるのが一見して分かる。雨に塗れた、スプレー落書き除けの表面は、肌触りも良い。色の感じも陽の加減で温かみもあるかもしれない。それでもその佇まいには、強制収容所址などには無い静けさがあり、鎮魂の雰囲気が味わえる。四方の足元には、小さくプレートが刻まれて、禁止事項がドイツ語で書かれている。上に乗って飛び石をすることは、その意図から禁止されている。初めからそうだったのか、後から付け加えられたのか、如何だろう?

適当にその林の中に歩みを進めると、何時しか空は小さく限られていく。交差点の喧騒も篭った音となり、人々が声も無しに行き交うのが見られる。その廊下の筋から筋へと、人々の気配を感じながら、交差する人と鉢合わせしないように集中して行かなければいけない。ついつい、用心深くなり、感覚が外へと開かれるようになる。流石に林の深まりへと辿りつくとそこに佇んでいるのが苦しい重圧感を感じるようになる。しかしそれは、息の詰るようなものではなくて、次へと足を進める動機となるようなものである。決して誰も、その深みで歩みを止めようとはしないだろう。絶えず、水のように空気のように、流転する。

端の方の石碑の間には、緑の木が植えられているが決して花を咲かせることは無かろう。何故ならばユダヤ教の墓地では花は禁物であるからだ。アウシュヴィッツの門の前に鎮魂の十字架を付けようとしたポーランド人とユダヤ人が争った事がある。お互いのドグマが火花を散らした。如何に鎮魂一つをとっても、原理主義者達は血眼で争わなければいけないかが分かる。このような良心の押し売りの紛争は、一神教や多神教などや、宗教や思想や主義などの差異に関係なく何処にでも存在する。

少なくともこの記念碑は、鎮魂を抽象化して具体的に六感で体得できる様になっている。この抽象化に反対するならば、一体幾つの墓石を立てれば良かったというのだろうか。とてもこの数では足りない。抽象化が気に食わないというのは、自分の知っている月並みで使い古された文化的な意匠を望むと言う事である。それでは一体、戦没者慰霊碑状の物が如何して必要なのか?

抽象化への抵抗感があるのかもしれない。ユダヤ人が想像する世界観を全く否定して、抽象化への努力を怠ろうとするならば、逸早く文明をかなぐり捨てて原始に暮らさなければならない。抽象化こそが人類の思考の粋であることには違いないからである。抽象への不安は、把握出来ないものへの不安であって、グローバリズム批判にもどこか似ている。

写真:ホロコースト記念碑からポツダム広場のドイツ国鉄本社ビルを望む。



参照:
高みからの眺望 [ 文学・思想 ] / 2005-03-09
ゆく河の流れは絶えずして [ 音 ] / 2005-08-01
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湿気た文化政策

2005-10-24 | 文学・思想
ベルリンの森鴎外の記念館に、夜遅く大人数でお邪魔した。日本の文豪の業績を記念する唯二つその建物が国外に存在する、ロンドンの夏目漱石記念館と並ぶ、そのもう一つの記念館らしい。前者のは、ドイツ人民共和国のフンボルト大学の機関として、後者のは個人的な施設として存在するという。

非常に歓迎して頂きながら、その展示の一部を批判するのも億劫だが、研究者でもない者の横柄な態度をお許し頂いてその様式と時代の ず れ をその場でいくらか暗示させて頂いた。すると予想されていた其の儘の反応が返って来たのでなるほどと確信を深めたのである。

「行間を読め」と言われると、「そう、皆そう言うのだ」と言わざるをえない。鴎外自身、文献の落字などを逸早く見つけそれを指摘したと言うが、ここの展示で彼のドイツ日記の東独訳本の写真の下に1989年撮影などと書いてあるあるのを見つけると、なんかの冗談ではないかと思ってしまうのである。

軍医として批判されていることは、まだ展示の中に生かされていない。今後改正していかないといけないのだろうが、批判的鴎外研究などをする余裕が今のフンボルトの日本学にあるのだろうか?

中曽根首相の東独訪問時にカモフラージュまでして、日本からの訪問者を手厚く歓迎して、何十年先になるかもしれない見返りを期待した。手弁当の研究を記念館としてまで具体化して行った成果は、賞賛に値する。そこで、今旧東独の彼ら自身が考えないといけないのは、そうして日本企業などから金をせしめ、多くの人民音楽家が外貨を稼いで来た姿勢など、またそれに類するような研究姿勢に対して自己決算が出来ているかという問題である。

少なくとも、こうした批判的研究という事が出来ない限り、彼らが言うような「訳の分らない熱心な日本のホビー研究家」の姿勢とあまり変わらないのではないか?東独の姿勢と鴎外の軍医としての権威主義的な個性とは全く関係無いと言明する。徒、「学究の徒の信念が実って成果を挙げた」と言う、どこか旧ワルシャワパケットのオリンピック選手のような成功話になっている所が、最も如何わしいのである。そして、フンボルト大学が特に社会主義リアリズムとは何ら関係の無い日本の大学と特別な関係を結んでいたことに相当するような不思議が、今後日本学において研究されるべき対象である気がした。

言い換えると、学究に於いても、文化に於いても、社会に於いても、そのようなリアリズムの主義主張では一切受け入れない筈のものが、当時独善という金科玉条に輝いていたことを示している。そこで主役を演じた文化的背景こそが興味あるのだ。

東ベルリンにこれを期待したいが、古いプロイセンの行政法を踏襲して東独と文化交流して来た日本の姿勢などを批判する事以上に難しいだろう。水はけの悪い、シュプレー川の中州のようなこの町に、今までに無く湿っぽく、湿気た文化が感じられた夜であった。それにしても、フリードリッヒシュトラーセ駅の感じはなんと御茶ノ水周辺の感じに似ていて、高架を走る電車の夜景は東京の中央線を走っているかのような錯覚を覚えた。



参照:
文化政策オッペケペー [ 文化一般 ] / 2005-10-17
尻を捲くり立ち止まる [ 歴史・時事 ] / 2005-10-29
こんな物は要らない [ 生活・暦 ] / 2005-10-26
求めなさい、探しなさい [ 文化一般 ] / 2005-11-27
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没落-第三帝国の黄昏

2005-10-21 | 文化一般
昨日、第一部を観た。批評で言われていた様な印象で、ハリウッドのマスクメーキングのような事をせずに、言葉や仕草でキャラクターを作っている劇場風の映画である。だから、写真や映像で見る実際の面々とは全然似ていないのに、観ている内に各々が活き活きと実体を持ってくるのが良い。メークを強調しないところに、監督の心意気が強く出ている。

ここまで観た所で印象に残るのは、総統の狂乱と軍人幹部達との溝が深まる情景で、プロテスタント的な理性が強調される一方、ゲッペレス博士のような確信犯の真のナチス思想が余計に浮かび上がる。ヒットラーユーゲントの子供をゲッペレスファミリーやヒットラー取り巻きとを対比させるのも良く出来ている。女性陣を男性陣に対応させているのだが、女性の人格は弱く哀れで浅ましく惨めに描かれる。母性としての性が破局への美学として描かれる時には、どうしても聖なる殉教が要求されるのだろう。第三帝国の没落はこれに当たらないことを示したかったのか。同じような情景は、現在のホワイトハウスにも見られる。ヒムラーやゲーリングのキャラクターも充分示されており、当に「神々の黄昏」の様相を呈している。

さて、後半でこの印象は変わるのだろうか?


最後の12日/Der Untergang
編集 2004 09/24

映画館へ行く習慣がないので、観ていないがヒットラーの最後を題材にした映画がリリース中らしい。個人を描くとどうしても感情移入は免れないので、独語版「我が闘争」出版とともに現在まで自国ではなされなかった。事後60年の歳月を如何に評価するかの問題だが、世代交代とともに距離を置いて事件を見れるようになるのは当然であろう。さて、自称第三帝国の総統がドラマの主人公になるかは疑わしい。元来出口の見えない困窮にあえぐ社会が生んだ虚像であり、社会諸共初めから自らの破局への道を歩んでいったのである。そこには、運命もなければ不条理もなく悲劇は生まれない。抗し難い状況に活路を開こうとする悲劇の英雄も妄想家ドン・キホーテもここには登場しない。そのような袋小路に追い込んだ状況の破壊が初めから図られる。外敵は手を差し伸べる機会を失ない、内外の緊張関係も崩壊する。

同様な例は、現在も毎日のように繰り返される神風自爆テロである。行き場のない怒りや、希望のない抵抗は、何ら結果を残すこともない自暴自棄な戦いに追い立てる。ゲリラ戦には勝機があり戦略があるが、テロリストの戦いには建設的な勝利はない。イスラム原理主義の抵抗も、チェチェンの解放運動もひたすら破局への道を歩む。一矢を報いる戦いは、手負いの獅子の如く危険極まりない。優劣は決まっており、勝敗から根本的な解決は導かれない。

さてこの映画、タブーを排除していくことは重要だが、事件の歴史化への道で何らかの意味を持つのだろうかと、疑問の声も上がっている。国内の観衆の被害者意識の助長を恐れる歴史学者も居るようだが、矢張り当事者でもある国外での受け止められかたの方が重要であろう。新たな国際秩序の構築が図られる中、近過去と現在を相対化することなしに、近未来も創造され得ない。
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多声音楽の金子織り

2005-10-20 | 
ベートーヴェンの大フーガの自筆譜発見を教えて頂いた。最も有名な弦楽四重奏曲であり、この作曲家の代表作として尊重されている。その楽章が元々作品番号130番変ロ長調の終楽章として作曲されて、その形で1826年の3月26日に初演された。

しかしそのあまりの気宇の大きさに、楽譜社アルタリアは、新たに作曲された他のアレグロ楽章と入れ替えさせ、フーガの方は作品133として独立して出版される事になった。それでも満足出来なかったアルタリアは、このフーガを4手の為に編曲させて、この困難な曲に商業価値を与えようとしたようだ。依頼されたアントン・ハルムの編曲にベートーヴェンは納得せず、カール・チェルニーにも機会が与えられたが、最終的に作曲家自身が編曲する事になる。そして、編曲料を求めてカノンに「金子を調達する、この作品がここにござる」と書き加えたとある。

二百万ダラー以上の競り落とし値が予想されているが、ボンの研究所が入札するかどうかは未定らしい。このような発見と骨董価値を考えると、比較すれば想像の付かないほどの財宝がスペインのトレドのカテドラルにはあるという。そこには予想をはるかに超える未知の楽譜が眠っており、未整理のまま朽ちて行くという。それも未知の作曲家の物でなくて最も重要なスペインのポリフォニーの大家モラーレス(1500-1553)などの作品群である。これらは、指揮者でもある米国人ミッチェル・ノーン氏が手弁当でこつこつと四万枚以上の古い教会儀式用楽譜の山を分類して、更に発表、演奏して行っている。

この束の中には18世紀までの作品もあるようだが、「スペイン音楽の光」モラーレスはヴァチカンのパウル三世からカール五世までに寵愛されて、北はヴィッテンベルクでまで楽譜が出版されていることで、その当時の名声が知れる。トレドへ来てからの創作として有名な通称コデックス25だけでなく、カール五世の死去に伴ってメキシコでも演奏されたレクイエムは、サヴァール等によって録音されている。

それでもそれ以外に徐々に発掘され、演奏され、進行形で録音されるので、殆んど市場では話題にならず、演奏家が自己制作で録音している。その楽譜校訂から譜読み、演奏、録音の過程でも公共的な援助は殆んど無い。これが、上のベートヴェンの楽譜の市場価値との間に大きく横たわる、商業主義の濁流であることを喚起して置きたい。
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駒落としから3D映像へ

2005-10-19 | 雑感
ベルリンへの旅行を準備している。一日完全に自由時間が取れるので、今までとは違うものを見てきたいと思うと、どうしても調べないといけない。

昨日は、1920年代を振り返るTVシリーズの第二回目の放送があった。その一部を観た。流石に沢山の映像が残っているので、視覚的な印象を得る事が出来る。グレタ・ガルボが無名のエキストラとして群集として映っていたりして面白い。バウハウスを扱って、新即物主義への紹介があったが、全く充分ではなかった。歴史の中でその環境を包みながら進むこの現象を手取り良く描くのは手に余ったようである。帝国主義から敗戦、ヴァイマール憲章からインフレ、民族主義への動きを即物的に捉える事こそが難しいのである。

積読の中から、ヴァルター・ベンヤミンの「ベルリアーナ」、兼常清佐の「音楽巡礼」、ギュンター・グラスの「もう一つの領域」の頁を捲った。19世紀末から今日まで亘る期間のベルリンが描かれている。

上の1920年代に絞ると、その終わりに子供時代からのユダヤ人街を描いたベンヤミンと、時代の空気を吸収しに東洋から遣って来て写生した旅人兼常、その当時を過去として内包する東ベルリン市民を描いたグラスなど、様々な視点からその時と場所が描かれている。

こうして書いている間に放送されている、ドキュメントシリーズ「グッバイ東独」では希望と独立心に燃えたウルブリッヒ書記長が、ソヴィエトの経済・軍事圧力の下、東独が兄弟同盟国の属国となって行き、次第に共産主義の希望と理想が失せていく様子が如実に描かれている。

1920年代からすると80年以上先の将来である今日の我々は、この時代が第三帝国の破局へ向う歴史としてしか認識出来なかった時代の視点を乗り越えようとしているのだろう。それは、恰も荒廃した町外れから嘗ての町のシンボルを臨むかのようにであった。そして、更に時代が経つにつれて啓蒙主義プロシア文化と一党独裁の共産党政権までが一括り出来るようになるのかもしれない。その時代をこうして立体的な三角法で再構成する事が出来れば良い。まるで、駒落としで走る白黒フィルムも3Dの活き活きとした映像として脳裏に残照として焼き付く事が出来るようにである。

明日、明後日と、一年前に封切り上映されたヒットラー映画「没落」がTV初放映される。現場に行くかどうかは分からないが、評価も知っていることであるし一度観ておこう。
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ゼックスコルンブロート

2005-10-18 | 
香ばしく、酸味のある黒っぽいパンである。六種類(ドイツ語でゼックス)の穀物で出来ているからこのように呼ばれる。売り子の小母さんは、私の質問に答えて中に入っているものを列挙し出す。私の完璧な発音に、どうしても我慢出来なくなったのか、小母さんは、「ゼックス(Sechs)と言ったって違う意味のあれ(S E X)とは関係ないもんね」と言い出した。

そして、「嬉しいわ、そんなに完璧な発音をして下さって」と仰った。私は、「次からは若い売り子が居る時にだけ、これを買おう」と心の中で呟いた。

そのゼックスの打ち分けは、裸麦、ライ麦、大麦、オート麦、キビ、蕎麦と言う事だ。何故六種類なのかは知らないが、旧約聖書モーゼ第二巻出エジプト記モーゼの十戒に書いてある:

「汝、姦通するなかれ。」を第六戒とする。
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文化政策オッペケペー

2005-10-17 | 文化一般
先日FAZ新聞で川上音二郎についての新刊書評を見つけた。日本の義務教育で習う、陣中羽織に扇子で唄うオッペケペ節の役者である。筑前の藍問屋の子息で落語家桂文之助に入門して、その後自由民権運動の中江兆民などの薫陶を受けて、新派を結成する。

新聞にも大きく掲載されているのが、ベルリンのプレスクラブ晩餐会での妻の貞奴姐さんとの写真である。総勢15人の一座が1900年にパリ万博に参加して、その後二年間亘って全欧ツアーを成功裏に敢行した。なかなか優男の役者であり、着物の貞奴も堂々としている。

この書は、ボンの日本学のパンツァー教授の力作である。全12カ国の巡業地の地元の博物館などの資料も調べたようだ。上の物も数多くの未公開写真の一つかもしれない。ドイツだけで21箇所巡業と言うから、昨今の和太鼓のグループ以上で、その登場舞台たるやミュンヘンのレジデンツ劇場など最高級の場が与えられている。各地の新聞も取り上げ批評をしているようである。賢明にも日本語の台詞を切り詰めて、パントマイム的に演じていたので、歌舞伎の形や日本舞踊の仕草などが絶大な印象を与えたようである。

多くの記事の中でも面白いのは、バルコンで鑑賞するご婦人が「惨たらしい。これから腹を切るというというのよ。」と叫ぶのを止めた帯同した男は、「お方、日本人はね。そのように侮辱されると、本当に腹を切ってしまうものですよ。」というカリカルチャーであるようだ。

フーゴ・ホフマンスタールやヘルマン・バールの熱狂だけでなくリーバーマン、クリムトやクレー、スレフークトやオルリックの興奮が伝えられており、その後の芸術的影響は日本趣味を超えている事は周知のことで、一座はカルト的存在になったとある。この辺りは様々な研究書にある通りであろう。この本は、舞台芸術が本旨となっているが、この芸術家の欧州公演後、ザルツブルク祝祭の創立者でもあるマックス・ラインハルトが日本風の舞台を演出するなどイェッツ、クラウデルやブレヒト等の舞台関係者に直接の影響を与えたとされる。

その後「オセロ」を日本初演して、大阪に帝國劇場が出来た事から、同時に川上を日本の演劇活動の創始者とするようだ。現在でもドイツの日本研究者には芸者研究家や森鴎外研究家が居るように、これらは劇場活動を啓蒙主義に則った教育と文化政策を主題とする同類異型の研究と見做されよう。そして、このような学究的 異 国 情 緒 には絶えず現実逃避と麻痺が伴っていると付記する事も忘れてはなるまい。



参照:
湿気た文化政策 [ 文学・思想 ] / 2005-10-24
尻を捲くり立ち止まる [ 歴史・時事 ] / 2005-10-29
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スパムフィルターの秘密

2005-10-16 | テクニック
プロヴァイダーの提供している電子メーラーのヴァージョンアップをした。このメーラーを使う理由はアウトロックなどのように一体性でないので、ヴィールス被害が少ないと言う判断からである。

前回のヴァージョンは、ヴィールスの攻撃で壊れてしまったので、もう一つ古いものを使っていた。ヴァージョンアップで変わったのは、マニュアルのスパムフィルター機能である。有料のフィルターサーヴィスを申し込んでいないので、日に20から50のスパムが押し寄せている。

一つ前のマニュアルスパムフィルターは、アドレスを入れて跳ね返すと言うのだったが、同じアドレスなどは二度とお目にかかれない。だから無駄だった。今回のは、アドレスに加えて、見出しと、文章中の単語を選んでフィルターに掛ける事が出来る。その其々の項目にフィルターを「若しくは」で掛けても「且つ」で掛けても良い。

これからスパムフィルターとは如何言う物か分かって来た。もう暫く使ってみて結論としたいが、大分スパムを排除出来そうである。ここにそのキーワードを詳しく書いて、変なサーチを掛けられたくないので、抽象的に研究結果をお披露目しよう。

現在までの殆んどのスパムが、男性の精力強化薬で心臓発作を招く危険から特別に入手しなければいけない有名品である。この銘柄をそのまま、フィルターの条件とした。つまり、このV頭文字の単語の入った電子メールは今後一切消される。

それでも同様なスパムが入ってきたので、内容を見ると類似の名に価格が付いている。類似品か何かは知らないが、誰でも直感的に銘柄が思い浮かぶ名称である。先方も頭を働かして、IとLを故意に書き換えてあったり、AIをIAに変えてある。

序でにそのメールの一覧表に載っている訳の分からない薬品名らしきものをフィルターのリストに加えて登録する。こうして、80%ほどスパムが弾き返されそうである。

その他、現在登録されているのは、「Just try and compare」で、これはメールによる押し売りである。このような不躾な商売は全て押し返す。郵便桶にも、「チラシお断り」のステッカーが張ってある如きである。それでも未だ入ってくるのが、「Hot Job Offer」とか内職関係かセックス関係か分からない質のものである。これもリストに加える。

今後間違いなしに、リストアップしていくのが投資関係のものだが、これはキーワードを選ぶのは難しい。「FINANCE」などは大抵は必要ないのだが、本文中に無いとは言えないからである。共通項を見つけるにはいま少し研究してみなければいけない。最も多かったのは、「私は、アフリカの何とか政権の大臣の娘ですとか何処そこの王子です」だが、これも「MINISTER」とか「PRINCE」とか言うのを全て排除してしまうのも寂しい。外交関係でもない限り、そのようなメールを受け取る事は殆んど無いのではあるが。自動消去でなく、念のため別のスパム専用ブリーフケースに落とす事にした。さてこれだけでどれほどスパムを排除出来るだろう?

PS.
リスト追加: X x agra 二余白を空けられてフィルター通過、よって「Drugs」を新たに禁語に認定。更に「Pills」、「Healthcare」。
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覚醒の後の戦慄

2005-10-15 | 歴史・時事
グローバル化とオールド産業の代名詞のようなGM社が、自動車部品会社デルフィの倒産で揺れている。連鎖的な状況もその子会社の年金対策などによっては憂慮されているようだ。合衆国政府の救済組織PBGCもあるようだが、北米での販売の回復が見えない限り厳しそうである。

結局は物作りを疎かにして来た経営方針に責任が凝縮されている。金融部門のGMACが既に動き出していると言うが、安定した廉価な部品の納入無しには市場での営業回復は望めない。様々な危機管理も出来ているのだろうが、投機的市場の動き方によって本業も儘ならないようになるのでないだろうか。

世界的な吸収合併をその社是のように繰り広げ、世界最大の企業として君臨して来たGM社が辿った道のりは興味深い。世界的販売網だけでなく、仕入れから組み立てまでを一貫させる事によって、経営の合理化を図り、需要供給を速やかに行うと言うアイデアは子供でも分かる。

しかし実態は、アダム・オペル社に見るような品質の低下と市場での信用を失いスタンダード商品すら供給する事が難しくなった。決してここに反多国籍企業やアンチ・グロバリズムの意識が関与したのではなくて、製品の市場での購買慾や工業の製品開発生産への意欲を失わせたのが元凶となっている。

VW社も資本を18.5%買い付けたポルシャ社やダイムラー社の関与と協調で揺れている。伝統的な共通シャーシの利用や上面の乗せ代えただけで遣ってきた究極の合理的な生産がGM社と共通しているのが可笑しい。米国の消費者ならいざ知らず、欧州では品質に細かな味付けが出来ない限り、牛刀で全てを切りまくるような商品は、より易い産地の商品との競合を生き抜いていけない。製造や商品開発に万全のノウハウが必要となる所以である。

流動資金や社債などの金融面での経営が重要な事も分かるが、産業が物作りの実業に十分な配慮無しに執り行われる時、表面上の金融ゲームの影で空洞化していく産業構造やまやかしの経済成長に気が付かない。幹部のミリオンダラーに及ぶ賞与自体が、このような生産無き産業を証明していないか?

今年になってから頻繁に議論されている資本主義再考論で、上場企業の幹部の給与をその企業成績から上限を定めて行こうと言う些か過激な議論の根拠はここにある。保守層の視点から産業構造の変換が遅れるのは困るが、金融ゲームを許さない事が、産業環境文化を根絶やしにする事無しに、新たな若葉を茂らせる事になるように思われる。

グローバル化の弊害を除きながら十分な投資環境を準備して、赤字財政を脱却していく事を、ベルリン政府はEUの会議で求められた。原油高の影響に関わらず一先ず金融引き締めへの動きは見られないので、世界第二位の輸出額を守る為には柔軟な経済・財政政策が鍵を握るのだろう。そこでは、カオスも生まれない代わりに安易で過激なイデオロギーである新自由主義を 純 粋 培 養 する事も無い。将来の覚醒の戦慄に怯えることなく現実的継続的に生きて行ける。



参照:
資本主義再考-モーゼとアロン(3) [歴史・時事]/2005-05-04
イナゴの大群-FAZを読んで [数学・自然科学]/2005-05-05
コメント (2)
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