Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「シン・ゴジラ」

2016-08-17 18:45:48 | cinema
ネタバレです。

ネタバレを恐れて公開中は感想を自由に語れないとか変だよなあと思うんだけどね。
ネタバレ聞いてもワタシは別に影響ないんだけど、まあ忘れっぽいのかもしれない。


機能しない政府と努力する行政の末端
御用学者w
大災害、放射能、侵略と防衛
米国と国際社会、核
大戦の記憶

とあらゆる今の「日本の論点」がぎっしりと詰まっているのは感心するところです。
それぞれに様々な思いがあるのは皆同じで、懐の広い作品になってますね。

その中で、日本を救うのはオタク集団である、という設定は変に胸を打つ。
オタクというか異能集団は本当に国を救えるのか?

ゴジラデビュー作でもやはり異能の人芹沢博士が日本を救うので、今回もオタク救世主路線を踏襲したことになると思うのだが、このテーマは世界中で様々に変奏されていると思われる。

ワタシがパッと思い出せたのは村上龍「半島を出よ」。
あれはこのテーマにおいて「ゴジラ」によく似ている。「半島を出よ」の方はオタクが日本を救うばかりでなく、それを「人知れず」やってしまう分一層徹底していると思う。

このテーマによってある層の観客(読者)はある意味勇気付けられ、ジャンルの存続の底力のようなものが維持されてきたのではなかろうか。

それに「半島を出よ」の頃は、硬直化した組織の無効性を訴え、組織順応性には欠けるが高度な専門性と偏った行動力のある人間により世界が変わるのだと主張することに、なにやら希望のようなものがあったように思うのだ。

が、ワタシはそろそろ知りたい。本当にオタクは世界を救うのか?

本当なら今すぐどんどん世界を救ってもらいたい。中東から欧州の情勢を、グローバル企業や金融界の寡占により経済格差が野放図に拡大している情勢を見よ。救うなら今でしょ。

希望はもういいから、答を。もしダメなら、さっさと見切りをつけて次の希望を模索しないと。

という点で「シン・ゴジラ」がその辺には無邪気な気がしてちょっと残念な感じもしたのです。


そういうところでは、今回は、組織の「中の人」が組織を突き動かす形で奔走する姿が印象的でした。

主人公格の矢口くんや石原さとみ(石原さとみにしか見えないw)を筆頭に、フランス駐日大使?に深々と頭を下げる総理臨時代行とか、自衛隊の人達とか、超法規的に在来線を突撃させたJRの人とか、少なからぬ犠牲が出たであろう注入車の人達とか、行政の末端で避難民誘導で体を張る人達とか。

彼らが実際に意思決定の遅さに歯噛みしながら「これが民主主義だ」的なことを言うカットもあるし。

結局そういうことが日本を救うのではないのかな。組織的な地道だけどスピード感ある努力。そこしかないのかもしれないな?

……いやまてよ?いま沖縄で起きていることとか考えるとだな、組織の論理は組織を救うけどワシら一人一人を救うとは限らないな。。一旦最大限に住民を守るとなったらいいのだろうけど、「住民よりも公益を」となったらねえ。

そこらへんは柄本明とか好戦的な防衛大臣とかがよく演じてたね。



ということで…答えも希望もない感じなので、たまたまゴジラがストローで飲んでくれたから助かったのだと思うようにしよう。。


というわけで、随所にいちいち各種オタク心?をくすぐる演出あり。

あの役職忘れたけど無表情で早口で歯に衣着せないお姉さん(市川実日子)とかいいよねえ。(尾頭ヒロミという役名らしい)

自衛官とかが専門用語羅列会話をすごい早口でやるところとかも萌える。

石原さとみが退去命令をシカトして核を落とさせないと語るとこのありえない構図でのズームアウトとかもなんかマンガ的。

パソコンが山と出てきたり、総理の放送を街の人が皆スマホで見る/聴くのも今ならでは。
10年くらいしたらノスタルジックなシーンになるかも?


あとは、ゴジラの進路を細かく明示したのが良いね。観客はみな脳内にマップを起動したと思う。
ちなみに進路は住居表示的にドンピシャで我が家のエリアを通過。ギリギリで我が家あたりは破壊を免れたようでした。ほっ。
調べてみると初代ゴジラもそのへんは同じエリアを通過したそうである。

あ、ワタシとしては石原さとみは全然問題なし。
ああいう人実際いるし、そういうリアリティをちゃんと掴んでいたんでは?


@キネカ大森

あれ?そういえば、ゴジラがたくさん生まれちゃう設定はどうなったのかな?あれは全然解決してなくない?それともワタシの勘違いか?
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「シカラムータ・フランス編 vs ジンタらムータ・ドイツ編 」行ってきました

2016-08-10 01:55:07 | music
シカラムータ・フランス編 vs ジンタらムータ・ドイツ編
2016.8.9tue 吉祥寺スターパインズカフェ

行ってきました
大熊ワタルさん率いる二つのバンドの
まさかの「対バン」ライブw

ジンタらムータから始まりましたが
期待にたがわず客席後ろ(というか上)からの
チンドンバンド練り歩きで登場したのには感動しましたな。

ジンタらムータはクレズマーを中心に、ヨーロッパ辺境的な音楽をやるのですが、
その辺境感満載なところが考えてみると非常に好きですねー
そうか彼らの音楽がワタシは好きなんだなと
当たり前なことに納得してしまいました。

アンゲロプロスやクストリッツァの映画などにも
辺境感あふれる音楽が鳴り渡るけれども
理由はわからないけれどもアレが非常に好きなのよね。
なんども言っちゃうけど。

クセのある音階に時には変拍子なリズムと
きれいなだけじゃないリード楽器の音色と
こぶしの効いた節まわしはたまらん


と、音楽愛をだらだら垂れ流すのでありました。

タイトルが変な曲がクレズマーにはあって面白いという話も
「お父さん最高だぜ!」みたいなのとか。(それはどういうシチュエーションなんだろねw)
「禁止される前はどこにいた?」とか。(「禁止」とはどうも禁酒法のことらしいとか)

それと最後にやったやはりクレズマーの曲(タイトル忘れ)は、
以前チェリスト新倉瞳さんの演奏会にいったときに、
新倉さんがチェロの弾き語り!で披露してくれた曲ですな。
有名な曲らしい。
新倉さんの時はこれはどういう曲で、、って説明も聞いた気がするのだが
完全に忘却。

あとは、
みわぞうさんの歌ものもよいですね~
8/14にブレヒトソングのライブもあるので
そちらも楽しみです。

あ、ふーちんさんのドラムがまたステキなのよね
ワタシは昔からパーカッション女子に惹かれる傾向があって、
気を付けなくては(なにを?)


ということで、内容うすめで終わります。

あ。シカラムータについては、、、??

それとなぜ「フランス編」「ドイツ編」なのかは
シカラムータのHPで観てみてください。。。

おやすみなさい
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「ゼンデギ」グレッグ・イーガン

2016-07-26 02:36:42 | book
ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)
クリエーター情報なし
早川書房



イーガンの多くの小説の中で既に前提となっているテクノロジーは、演算に人間の意識を移し替えること、
人間は演算で作り出される世界で「生きる」ことができる、というもの。

コンピュータ内に移住するみたいな感じだ。
もしくは自分をアップロードする。

これによって人間はいくらでも長い時間を生きるし、しかるべきデバイスにインストールすることでどこへでも、
どんな遠くでも行くことが出来る。

ということを前提に、イーガンはとてつもなく壮大(でついでに難解w)な物語を提示してきたのだが、
本書「ゼンデギ」は、その前提テクノロジーの黎明期、もしくは誕生のお話。
あるいは誕生前夜。


前提テクノロジーを所与のものとして、壮大で多様な物語を繰り出しているイーガンは、その前提を定番ネタとして活用しつつ、なぜどうやってそれが可能かということについては、触れずにそっとしておいても何の罪もない。
SFというのはむしろ、原理的に「どうやって」が明確でないものを巧妙に感じさせずに前提にすることで、現実の檻を越え、想像の世界に大きく羽ばたくものだと思うのだ。
現にイーガンがそうしたように。

しかし彼はここでその「どうやって」を追求することで小説がひとつ書けることを示した。
それは、アイディアとしてのメタ小説的な試みであるだろうけれど、イーガンを読む上で避けがたく考えることになるモラルの問題(テクノロジーが既存の規範を根底から揺るがす時に我々はなにをどう判断し許容するか)を、小説での振る舞いにも適用したということでもあるだろう。

そのことは、イーガンファンなら何となくさもありなんと好意的にうなづいてしまうような嬉しさを伴うし、ここで展開される「どうやって」は、多くの困難を乗り越えかつ迷い一進一退しつつ進む技術開発の実際のところをよく描いていて、これまた真摯な印象を与える。

テクノロジーの黎明がイランの複雑な政治や生活と絡んで、やはりいつもの技術的なこととモラルの問題にも深く触れるし、その中でのひとりの個人としての思いのようなものもしっかり描くし、要するにいつものイーガン的な感動がしっかり詰まっているので、嬉しいのである。

*****

訳者の山岸さんが巻末に書いているので、読後に再び第一部の第1章を読み返したみたが、いや、まさに、ここには小説の言わんとすることの多くがぎっしり詰まっているではないですか。
読後の読み返しを強くお勧めですね。

ヴァージンプルーンズやザ・レジデンツの扱いに笑っている場合ではない感じですw
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「新カラマーゾフの兄弟」亀山郁夫

2016-06-30 04:04:38 | book
新カラマーゾフの兄弟 上(上・下2巻)
クリエーター情報なし
河出書房新社


新カラマーゾフの兄弟 下(上・下2巻)
クリエーター情報なし
河出書房新社




ロシア文学者亀山郁夫氏の初めての小説ということ。
蓮實重彦氏が例の会見で、「散文の研究者は小説くらい書けるんです」みたいなことを仰っていたと思うが、まさにその言葉を実証するかのよう。

カラマーゾフの深い読みと研究成果が、満遍なく隅々まで練りこまれた面白いミステリー長編です。

まず章立てがカラマーゾフと同じだし。
現代日本に舞台を移した謎解きだけど、人物の名前もいちいちカラマーゾフの登場人物と対照しているし。
話の筋やディテールもかなりカラマーゾフを思わせる造りになっている。

そういう枠組みを使って、現代日本のバブルからオウム以降あたりまでを描いてみせるのだが、そこではカラマーゾフの問題軸、罪と聖性、神秘と理性、罰の受容のようなことが、現代でも立派に成り立つことを示している。

バブル-阪神淡路大震災-オウムと、日本人が狂っていく中で、我々は何を重んじて生きていくべきかという問いと試みが、主人公黒木リョウ=アレクセイ・カラマーゾフの行動や思い、そして終盤の演説で示されるが、それは帝政末期のドストエフスキーの時代における困難さに劣らず、困難で身を削るような試みである。

読者はカラマーゾフと同様にそうした問いを受け止め、真摯に生活の中で答えを求め実践していくのか、あるいは易く悪魔に心を預け生きていくのか、考えて行かねばならないだろう。そういう恐るべき選択を迫る小説になっているだろう。

**

しかし、盛り込んでますw
よくここまで世の森羅万象を盛り込んだと思わざるをえない。
ひとつひとつの細部に、これはなんなのか、なぜここに出てくるのかを考えたくなる魅力というか、ある面では脈絡のないまでに不思議な挿入が面白い。
列挙したいところだが、それだけで本ができてしまうと思う。


黒木リョウが最後にあのような地位で演説をするのはどうなのか。それは現代日本においては有効なのか?と疑問であったが、リョウは短い期間の後その地位を捨てることにもなり、そこ以外では語る場所がないという閉塞感なのかなとも思う。

倉里=クラソートキンが何をしでかすのかドキドキだったがなぜかフェードアウトしてしまうのもなんだか?であるが、これはカラマーゾフの枠組みを反映しているのであれば、ここまでということなのかもしれない。続編があるのかも??

あと、小説中で本家「カラマーゾフの兄弟」をざっくり要約した物語も披露されるのが可笑しい。
カラマーゾフを下敷きにした小説に、さらに小説内小説でまたカラマーゾフがでてくるのがなんとも刺激的です。


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「コレクションする女」エリック・ロメール

2016-06-16 01:44:39 | cinema
エリック・ロメール・コレクション コレクションする女 [DVD]
クリエーター情報なし
紀伊國屋書店


ロメール1作だけ劇場鑑賞いたしました。
とらねこさんありがとう。

海が近い別荘でのバカンス
その間のつかの間の恋愛というか恋愛未満の微妙な男女の関係を
なぜか2時間にわたって淡々と掘り下げるという
ロメール的贅沢がこれでもかと発揮される作品でした。

素直なんだけど節操がなくしかしどこかで一線は守っているが真意は計り知れないみたいな
ややこしい少女アイデと
それに惹かれつつも静かなバカンスを楽しみたくしかしアイデが自分をひっかけようとしていると思いでも自分から接近しようとして玉砕するみたいなナルシスと青年アドリアンのかけひきは
ほとんど喜劇なんであるが、
コミカルなタッチはほぼ見られず、友人ダニエルとの微妙な関係もからんで
始終淡々と関係性を見つめることに徹している。

アイデの奔放な生き方や
ストイックでありながらどこかギラギラした欲望を秘めているダニエルの魅力や
ナルシスティックなアドリアンの潔癖なところとか
それぞれのキャラクターのありかたも魅力的なんだけれど、
この映画の面白みは、こういうキャラのからみオンリーのネタを
2時間ひたすらに見つめ考え体験させるという、ある種の贅沢さにあると思う。

テーマをうんと絞って時間をかけて考えるという贅沢。
これができるというのが商業的な映画ではないことの強み(というか弱みw)であって
こういう贅沢が生まれるところが、ヌーヴェルヴァーグみたいなムーヴメントの可能性を支えていたんだろうと思ったりする。

限られた時間だがシンプルで濃密な時をすごすという、
ありかたとして、これぞ本当のバカンス映画だよなあ。



@角川シネマ有楽町
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「New Adventure」MY LITTLE LOVER

2016-05-28 01:20:35 | music
New Adventure
クリエーター情報なし
トイズファクトリー


なんで突然マイラバの古いアルバムをとお思いでしょうが、
今久々に引っ張り出して聴いて盛り上がってるわけです。

このアルバムは結構好きでありますが、
他のアルバムだって結構好きなわけです。
が、何しろNew Adventureですから。

マイラバはポップの冒険者であったと思うのです。
そしてその冒険はこのアルバムからグンと深まり奥地へ行っていると思うのです。

最近のakkoちゃんだけのマイラバもそれなりに好きですし
頑張っているのは応援したいところですが、
実際のところ昔のマイラバの冒険を引っ張っていたのはもちろん小林武史氏でありまして、
彼の冒険の軌跡が刻まれているアルバムなのですね。

というのは聴いた限りの勝手な思いですが、
このアルバムは実際すごい曲がいっぱい入っています。

2曲めのSTARDUSTはおそらくジョージハリスンのエコーが感じられるコード進行でしびれるし

5曲めの「雨の音」はこれは非常に好きな曲でありまして、
サウンド設計が個性的というか、非常に近い生の歌声に遠目の歪んだドラムスという好きな感じで、
これは7曲目「12月の天使達」とも共通するコンセプトでありまして、
楽器が共同しない、それぞれ別の世界で鳴っているような作り方なんですな

この別世界コンセプトにワタシはとても影響を受けていまして、
しばしばドラムスを遠くして派手にリバーブをかけたり
各楽器に全然違うディレイをかけるミックスをしてしまいます。

売れたマイラバのイメージからすると、王道のマイラバ曲はもしかしたら
「DESTINY」しかないのかもしれませんが、
全曲アレンジを凝りに凝った佳曲揃いです。

大オススメ

と言いたいところですが、
もしかして廃盤なのかしら?
この名盤が?
ええええ?

ということで、中古でもそんなに高くはなってないですね。



ジャケットがとても変で、
なんというか、いわゆるデジパックが塩化ビニール素材でできているというもので、
とても環境に優しくない感があるww
しかもブックレットには、このジャケットは経年劣化するかもしれんが、
アーティスティックな意図で作られてるんで勘弁してね的なことが書いてある。

我が家のこれはまだ全然劣化してません。




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「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー亀山訳

2016-04-20 21:58:23 | book
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
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光文社

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
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光文社

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)
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光文社

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)
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光文社

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
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光文社


農奴制が廃止になり地主が徐々に凋落していく
社会主義者が台頭し始める
ロシア国教はヨーロッパのカトリックやプロテスタントの影響を受けながらも傍流の怪しげな宗派を擁しつつロシア的な情緒を孕み続ける
民衆はやはり貧しく貴族階級や役人といえど先細る
科学の成果が人々の生活や信念にじわじわと影響を及ぼし始める
合理主義と神秘主義が混交しせめぎ合う

そんな時代の小説であるが、そんな時代のすべてが人物の言動に溢れかえり渦巻いている。
世の中のすべて、人生のすべてを描いしてしまう「全体小説」が時折出現するが
これは19世紀末に現れた全体小説である。

カラマーゾフ家の父と3人の息子たちの愛憎を軸に、当時の民衆や支配層、あるいは先進的な、もしくは過激な層の思想が、様々な人物の口を借り語られるのは圧巻である。

冒頭近くゾシマ長老が語る素朴で伝統的な宗教思想、次兄イワンによる叙事詩「大審問官」に表れる超越的な人間像、長兄ミーチャが折に触れ語る感情と理性が相反し渦巻く特異な倫理観、少年コーリャによる社会主義・科学主義的な宗教否定、そしてゾシマ長老に深く影響を受けながらもそれらの生々流転を受け止めた末の個の原点に回帰するような(我らが)アリョーシャの呼びかけ。
どれもが激動の20世紀を揺るがし、現代もなお我々の存在の有り様に向かって問いかける力を持った問題軸であることに感動せずにはいられない。

ことに、ゾシマ長老が語り、終盤アリョーシャが追認することになる思想は、個人の体験に根ざした愛や善の発露と、それを源泉とする宗教の成り立ちを考えさせる。宗教とは非科学的なことを蒙昧に信じることではない。誰もが宗教の源泉と無関係に愛と善に生きることはない。そのことを最後にアリョーシャは神という言葉をまったく用いずに語りかけるところは圧巻である。

亀山郁夫訳による本書は、全体の章立てに合わせて4巻+エピローグ別巻という構成になっており、エピローグ別巻は、短いエピローグで幕を閉じた後、たっぷり1冊分ドストエフスキーの生涯とカラマーゾフの兄弟解題が仕込まれている。
また、各巻の終わりにも短めの解説があり、全巻により、小説とそれを理解する手がかりをふんだんに読むことができて、大変なお得感である。

****

誤訳問題とかで刊行後色々と苦しい思いをされたそうだが、そのことで本書の魅力はいささかも損なわれていないとワタシは思う。

本当は子供たちに読ませようと思って買ってきたのだが、ヤツらは根気がないので早々に投げ出してしまった。
仕方ないのでワタシの遺産にして、機が熟したら読んでくれることを願おう。
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「リアリティ・ツアー」デヴィッド・ボウイ

2016-03-28 00:58:09 | music
リアリティ・ツアー [DVD]
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ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル


引き続き追悼中なのですが、
ようやくこのDVDを観まして、
いやーすごいパワーですねえ。
かっこいいし、歌がしっかりしていて素晴らしい。

激しい曲は特にアルバム「リアリティ」に入っている曲などは
アルバムよりもアグレッシヴですごいです。
あのギターループで始まる曲をライブで実際にループ使ってやっちゃう演奏陣も強力だ。
一流というのはこうもすごいのか。

演奏陣ということではみんなすごかったんだけど
ベースのゲイル・アン・ドロシーさんがお気に入りですよ。
ベースもちろん上手い上に、ベース弾きながらボウイとデュエットして
強力な歌唱力を披露するんだよね。
楽器弾きながらアンダープレッシャー歌うというのはある意味これはフレディ超えだよね(笑)

ゲイル・アンはしかもワタシと同い年であります。
ワタシも頑張らないといけませんね。
彼女はアウトサイドツアーに参加していて
次のアルバム「アースリング」にも参加してるので、
あれですね、ツアーやってバンドが気に入ってアルバム作ったというやつですね。
ボウイをその気にさせる実力が素晴らしいな~


いろいろ感想はあるけど
Life On Mars?のくだりで涙腺崩壊寸前になりまして
追悼面では満ち足りた感じでございます。

歌詞和訳が字幕であるので
ボウイの深みを感じさせて良いですよー

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「蜂の旅人」テオ・アンゲロプロス

2016-03-19 03:19:42 | cinema
蜂の旅人 [DVD]
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TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)


蜂の旅人O MELISSOKOMOS
1986ギリシャ/フランス/イタリア
監督:テオ・アンゲロプロス
製作:ニコス・アンゲロプロス
脚本:テオ・アンゲロプロス、ディミトラス・ノラス、トニーノ・グエッラ
撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス
音楽:エレニ・カラインドロウ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、ナディア・ムルージ ほか


アンゲロプロスとしてはいつものスケール感や
圧倒的な霊感、歴史の重み、などなどをあまり感じさせない作品でした。

主題はいろいろ過去を背負った老齢に達する男に訪れたメランコリーということになるだろう。
メランコリーをもたらしたいろいろなもの、ではなくて
メランコリーとはなにか、でもなくて
メランコリーな状態そのものが主題。
つまり徹底的に内向きなのですね。

マストロヤンニのスピロさんは映画の冒頭
娘の結婚パーティーのシーンからとにかくメランコリック。
いきなり。説明もなしに。
動作はにぶく、パーティーを楽しんでもいない。
ひとり別室にいって水道の蛇口から水を飲んだりしている。

スピロさんはメランコリーを充実?させるために
職も辞し、ひとり養蜂の旅に出るらしい。
どっぷりひたりこむつもりなのだ。それがメランコリーの特徴よね。

ところがそのひたりこみを阻害する要因が現れる
変に人懐こい若い女。
女だからいいじゃんと思わないこともないけれど、
最初はそれはひどく気分を害する存在なのだよね。メランコリーの人にとっては。
場違いというか異世界すぎる。

ウツのときに宴会に引っ張り出される気分かな。

そういう無理やりのぶつかりあいと混合がこの映画をけん引する力になっていくのだけど。
メランコリーなのにだんだん女にひかれていく自分もいるわけで
そういう両義的なありかたがまた愚かしくはらだたしい
ということで、憂鬱と劣情のあいだをゆっくり行き来しながら
二人の旅は行きつくところにいきつくのです。


いきつくところが閉館した映画館だというところは面白いですが
なんで映画館なんだろう。

あと肝心な養蜂のお仕事はあまり描かれないのがちょっと残念。
養蜂に打ち込む姿はメランコリックサイドに深みを与えたかもしれない。
でも仕事が観念的な扱いになっているところはアンゲロプロスらしいところかもしれない。
『エレニの帰郷』の彼の映画仕事みたいな扱いだ。
そういうふうにモチーフの具体性をさりげなく失わせることで
リアリズムっぽいのに実はファンタジーという彼の作風のトーンを生み出しているのかもしれないな。



マストロヤンニは動きがぎこちない印象
どの作品をみてもなにかぎくしゃくしていると思う。
動きが印象を支配するという点でジャック・タチっぽい(強引)


@自宅DVD
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「毛皮のヴィーナス」ロマン・ポランスキー

2016-03-01 02:09:47 | cinema
毛皮のヴィーナス [Blu-ray]
クリエーター情報なし
ポニーキャニオン


毛皮のヴィーナス [DVD]
クリエーター情報なし
ポニーキャニオン


毛皮のヴィーナスLA VENUS A LA FOURRURE
2013フランス
監督:ロマン・ポランスキー
原作戯曲:デヴィッド・アイヴス
脚本:デヴィッド・アイヴス、ロマン・ポランスキー
音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:エマニュエル・セニエ、マチュー・アマルリック


軽妙なポランスキー
デヴィッド・アイヴスの戯曲の映画化ということで、
登場人物はふたり。
場面も劇場内のみ。
シンプルだけどこういう映画を撮るのは勇気がいるんじゃないかなあ(と推測)

主にふたりの話芸というか、会話と劇中劇のセリフで魅せるのだけど、
特にエマニュエル・セニエ演じるワンダが、マチュー君演じるトマを
そしてわれわれ観客をどうからめとっていくのかというところがキモですね~

大変な役割をエマニュエルはよく演じていたと思うのよね。
まあベタかもしれないけれどもやはり
最初登場した時からのなんともうざったい女性が、
セリフ読みが始まった瞬間に、はっとするような変貌を遂げる。
その瞬間をうまく演じていたし
うまく演出していたよね。

それからこの戯曲の面白さであるとおもうんだけど
劇中劇?となっているマゾッホのなかでの二人の関係性が
ほのかにワンダとトマの関係とダブってくる感じになってくるところね。

トマが電話で奥方だか彼女だかに、今日は帰れない
って言うあたりの怪しさがいい感じ。
ほぼエロティック丸出しな場面はないんだけど(二人は触れもしないって感じなんだけど)
でもとてもエロティックな映画よね。
電話とか衣装とか舞台装置とか舞台照明とか
そういうものを絡めて二人の関係がどんどんエロティックになっていくのが
ステキね。

そうそう、人物が二人しかいない分、
照明とか装置が語るのよね
それに音楽が主張が強いw
(デスプラさんなのかデプラさんなのかいまいちわからないけれど売れっ子ですね。)


ポランスキー好きだわあ♪
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