Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

sonimariumライブは5/6です

2017-04-22 03:40:45 | sonimarium通信
久々にsonimariumのライブがあります♪

2017.5.6(土)@吉祥寺MANDA-LA2
開場18:30 開演19:30
2200円+ドリンク

新曲旧曲取り混ぜてゆったり歌います。

そして競演はチェンバーロックバンドZYPRESSENのリーダー今井氏による
ソロユニット「今井ユニット」です!
こちらも楽しみです。

連休真っ最中ですが、
よろしかったらお越しください。

その他詳細はこちらのフライヤーを↓
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「鏡」アンドレイ・タルコフスキー

2017-04-10 22:49:03 | cinema
鏡 Blu-ray
クリエーター情報なし
IVC,Ltd.(VC)(D)



齢とともに、タルコフスキー作品ではこれが一番好きかもと思うようになり、また観たくなったので観ました。

BD版は色鮮やかで解像度もよく、また鮮烈な体験となりました。フィルム+劇場での体験とは異質な気もしますが、時代の流れですな。

****

「ノスタルジア」などで顕著だが、極めて個人的なものの解決や成就が、
世界の救済につながる、という、いささか「セカイ系」風なテーマがタルコフスキーにはあると思うが、
その個人的なものの解決・成就〜救済とはそもそもなんじゃろか?という問いと探求が、
この映画のひとつの切り口ではないかと思う。

ひとつはノスタルジー。
心に深く根ざしている過去の記憶、出来事、情景、確執を見つめ、大切にすること。
そのことが人の魂を救済する。
確執を明らかにし呪縛から逃れるとかそういうことではなく、
酸いも甘いもそのままのものとして向き合うことで訪れる癒しのようなもの。

二つ目は、超越的なものの理解と交流。
冒頭近く、アナトーリー・ソロニーツィンが語る自然との交流。
冒頭の吃音少年が催眠術により変貌を遂げる(と思われる)こともまた、精神の深遠な作用。
母の留守に現れた祖母が、カップの熱を残して突然消えるのもそれ。
母がぶちまけたバッグの中身を拾う時に生じる静電気もそれ。

この二つは全く別の事柄ではない。
記憶の中の雨、記憶の中で吹く風に舞うシーツ、炎、そういったものは、
心に深く楔を打ち込むと同時に、超越的なものとの交感を伴う。
その交感がまたノスタルジックな感情となって蘇る。

この絡み合う二つの事柄を、タルコフスキーは記憶の中のビジョンを
可視化しようとしたり(森を抜ける風、雨の中の火事、滴るミルク、驟雨)、
断片的なドラマとして想像/創造したり(印刷所の焦燥、父母の会話、祖父母の影)する。

時には大文字の歴史と接続し(泥野の行軍)、あるいは言葉による再解釈を重ね合わせる
(アルセーニーの詩の朗読)。

知情意の総体に多層的に訴えかけようとするタルコフスキーの動機に、
映画という形式が見事に呼応している。そういう宿りをここでは観ることができる。

****

今回は鏡のモチーフをよく意識した。
母と訪れた父の故郷の知り合いの家(だと思う)の別室で、
小さな鏡を不穏な意識の元に長く凝視するイグナート少年。

遠い記憶(おそらく父親の幼少期の記憶)の中で、ミルク壺を抱えて静かに鏡に映る少年。

自分を見つめる装置としての鏡、自分を写し出す装置としての鏡。
そこには不可解ながら何故かこの世に在る存在の耐え難い重みのようなものが漂う。

終盤でイグナートが生まれる前の母親が、男の子がよいか女の子がよいか尋ねられ、
逡巡し涙を流すのも、鏡を不穏に見るイグナート少年の心情を先取りしたものだと思われる。
生の不穏。

***

イグナートはおそらくタルコフスキー(アンドレイ)自身と思われるが、
彼の父もまた、幼少期の記憶にとらわれ、母親や妻と確執を抱えていて、
それがまたイグナートに影を落としている。
そのことに触れ、父親の記憶にも踏み込んでいるのがとても面白い。

記憶の世代間の遡行は、随所でアンドレイの父アルセーニーの詩が読まれることによりさらに多層化する。


@自宅BD鑑賞


ちなみに前回の記事

「鏡」の本 について
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「正義から享楽へ 映画は近代の幻を暴く」宮台真司

2017-04-08 02:47:42 | book
正義から享楽へ-映画は近代の幻を暴く-
クリエーター情報なし
垣内出版



宮台真司氏が再開した映画評論集。

巻頭に書かれているように、映画評論というよりは「実存批評」という形式をとり、
一般的な映画批評とは趣が違う。
シネフィルさんは怒るかもしれない。

しかし、映画をツマにして社会学的な世相を切るというばかりではない。
現代の社会学的な様相をよく反映し、あるいは社会の構造への気づきを促すような映画がこのところ増えており、
またそういう映画を観客も求め始めているという状況の読みが、宮台氏を再び映画批評へと駆り立てたという面がある。
そういう期待感を持って、映画製作と映画鑑賞のトレンドとはなにかを考える上でも面白い論考だと思う。

もとより映画愛というよりは、映画の体験が自分に何をもたらしているのかを知りたいタイプのワタシとしては、
こういう批評の方がしっくりくるのです。

映画体験が、自分を含めた社会・パーソンもしくは世界の関係性への気づきを促しているのだとすれば、
そのように受け止め、そのように読む力をこちらもつけておきたいところかと。

***

内容はもう読んでいただく他はなく、下手な要約など恐ろしくて出来ないんだが。。。

いくつかの(二項対立的な)図式が全体の鍵となっているのだけど、例えば、、


黒沢清の作品の多くは、通過儀礼〔離陸→渾沌→着陸〕の3段階を辿る。

離陸する元の大地は、「世界」ならぬ「世界体験」の生、
言語的にプログラムされた社会を自動機械的に生きる受動的な存在である。

そこに事件が起き、渾沌が訪れる。渾沌とは、コミュニケーション可能な世界=社会の外側にある
「世界」の気づき、言語以前のカオス。

主人公たちは渾沌を経て再び社会を、日常を生き始めるが、
それは最初にいた自動機械としての生を生きることはもはや不可能。
渾沌の中に浮かぶ奇跡の筏としての「社会」を、そうと知りながら「なりすまして」生きる存在となる。


大ざっくりこんな感じであるが、このことの意味を、哲学や社会学、
精神分析や文学から宗教から全動員して多面的に説きほぐして、
昨今の社会の右傾化とかトランプ現象とかに繋げていくので、
深いというか、世の様々な事象の繋がりを考えることができる。

とともに、特に黒沢作品などのページでは、例えば渾沌が映画的にどのように
表現・演出されるのかを掘り下げているので、ファンにも結構面白く読まれるのではなかろうか。

もちろん上記のような単純な図式化では終わらないので、読みでがあるし、繰り返し読みたいところです。

しかし紹介が難しい本だな・・・・

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「豚小屋」ピエル・パオロ・パゾリーニ

2017-04-02 00:47:19 | cinema
豚小屋 【HDリマスター版】 Blu-ray
クリエーター情報なし
紀伊國屋書店


豚小屋Porcile
1969イタリア/フランス
監督・脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ
撮影:トニーノ・デリ・コリ、アルマンド・ナンヌッツィ、ジュゼッペ・ルツォリーニ
音楽:ベネデット・ギリア
出演:ピエール・クレマンティ、フランコ・チッティ、ジャン=ピエール・レオー、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ニネット・ダヴォリ他

パゾリーニらしい不可解な
寓意に満ちた(と思われる)小品。

冒頭に石版に刻まれた謎めいた文章が朗読される。
ここにはおそらく作品を読み解く鍵が仕込まれているのだが、例によって難解。

1967年以降の世界が舞台だが、冒頭のそれにより、
恐らくは戦後ヨーロッパ世界についての寓話なのだろうとわかる。

映画は二つの世界が並行して展開するが、
レオーとヴィアゼムスキーが登場する世界はまさに現代で、
共産主義革命に沸く一方でファシズムの影が色濃いヨーロッパ。

なんだけど、もう一方の、クレマンティとチッティがつるむ荒野は
時代も場所も判然としない。
中世ヨーロッパ風の意匠なので、そういうことかもしれない。

そして、二つの世界を貫くのが、カニバリズム的なモチーフ。
中世界では文字通り人を殺して食い、残った頭部は黒煙を吹く火口に投げ入れて跡形もない。
現代の方では、ナチスの非人道的行為が随所でかすかに回想されるとともに、
最後にレオーがどうやら豚に「跡形もなく」喰われたらしい、ということになる。

二つの世界の照応が、どうも世界の神話的構造というか
意識/無意識の構造を表しているんだろう。
そういう点では、一切の説明的なことはないが
わかりやすく作られていると言えるのかも。

クレマンティの唯一のセリフである
「私は父を殺し、人肉を喰らい、歓喜に震えた」(だっけ?)
というのはまさに、禁忌があれば無意識には禁を犯す欲望が生まれるという
フロイト的な話であるだろう。

これに戦後ヨーロッパを引っかけてある。
ヒトラーは殺戮的な父親であるが、同時に母性的であるという主旨の冒頭語と、
レオーの両親の姿(男らしい母親と女性的な父親)が繋がっている。
レオーはその両親の子供=戦後ヨーロッパの精神なのだろう。

いずれ豚に食われて跡形もなくなり、
それは我々の無意識の欲望であり
最後は黙っていれば誰にも露見することはない。

てなところかな(全然わからん)

********

最後のくだり
ナチス残党と資本家が手を握り新事業を起こすお披露目の席で
使用人達がぞろぞろとやってきて事実を語る。
そして、ナチス残党は「しーっ」
内緒にしておけばOK!
のシークエンスは、パゾリーニらしいリズム感あり。
だいたいいつもそうだが、エンドロールというものがなく、
バッサリと映画はクローズする。
そこが好き。

レオーとヴィアゼムスキーの口元と音声を思わず観察してしまう。
おそらく二人とも違う人物のアフレコだろう。
違和感ありと友人はいうが、
ワタシ的には、そもそもが神話的映画なんで、むしろ嘘くさくて面白いと思われた。

クレマンティとチッティが並ぶと実に濃い(笑)
他の作品では主役を張るチッティだが、こうして2番手として出てくると
これまた子分くささがよく滲み出て、なかなか面白い。

もう一人のパゾリーニ役者のニネットくんは
確かこの辺りでパゾリーニに寵愛されるようになる。
彼がまた異様に嘘くさい顔をしているのだが、
唯一神話界と現実界の両方に出てくる重要な役まわし。

ものすごい低予算な感じも良い。

冒頭の音楽も田舎ヨーロピアンなかんじで良い。

マルコ・フェレーリが役者として出てるとかそういう話は
あちこちに書いてると思うので割愛。


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「クローバーフィールド/HAKAISHA」マット・リーヴス

2017-03-26 02:56:39 | cinema
クローバーフィールド/HAKAISHA スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]
クリエーター情報なし
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン


これは面白かった。
話題になってから9年くらい過ぎてますけど・・

POV手法なので現場なわけだけど、
現場はむしろ情報がない。
その情報途絶の必然性と、おもしろい怪獣ものとかホラーの一つの要素である
「正体不明」性をうまく結び付けている。

とかまあ今頃言うのもなんですが(笑)

かといって、本当に現場で巻き込まれた場合と違って、
だいぶ見せるべきものは見せるように仕込まれてもいるじゃないですか。
案外うっかり(というか逃げるのに必死で)撮り損ねたみたいなのがない。
見せるものと見せないものをかなり綿密に設計している。

そこが傑作になったポイント。

それができるということは、POVでなくても面白いものが撮れるわけですよね。
たぶん。

****

主人公は辛くも果敢に生き延び、愛が成就する
という風でないのが非常に現代風。
さすがにそんな都合の良い話は今時ないよねえと思いつつも
実は結構あるのかも。


そこらへんもバランスをしっかり塩梅していると思う。
主人公たちは、奇跡的に生き延びはするけれど、
やっぱり最後はなすすべものなく状況に飲まれる形で「整った」終わり方をしない。
パニックの現場にいたらそうなるだろうな
という納得とともに
なんというか人生ってそういうクソみたいに終わるもんだという
納得があるのが、好感の秘訣かもしれん。


猿の惑星も観てみようかしら。
「猿の惑星・新世紀」だったっけ?
「10 クローバーフィールド・レーン」もずいぶん変な映画のようだな・・・


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「牯嶺街少年殺人事件」エドワード・ヤン

2017-03-18 11:36:09 | cinema
長年観たくてやっと観れた映画。
これについては蓮實重彦御大などの文章をよめばその上に重ねるべき言葉はない。。ので、
単なるメモ

現在公開中。
「なにをおいても駆けつけて観るべし」

***

繰り返し現れるモチーフに映画は宿る。
自転車の親子
懐中電灯(で照らす行為)
お茶のポット?(あれ欲しい)
プレスリー
服を気にする女児
バット
職員室での父親と教師のバトル
私を変えようと思っているのね。社会と同じように私は変わらない。
車列(戦車)

電灯の明滅(停電、ろうそく、室内灯)
ラジオ(故障している)
ラジオでの人名の朗読(尋問のシーンとも繋がる)
母の時計の騒動
バスケの授業
保健室

ノイズの乗せ方がものすごい
チミノ「天国の門」を想起。
外の街の音、犬の吠え声、往来する車、果ては存在するかどうか怪しい鉄道の音まで

建物の中を歩く人物を外から追う
小明の家、学校
タチ的
先日観た鈴木清順「けんかえれじい」のあの家の撮り方にもちょっと似ていたかも。

イニシエーション的に変化を試みる若者たち
とその父の世代
未来を信じるが、着地点は元のクソ社会で
何も変わらない。いやむしろどんどん悪くなっていく。

「襲撃」のあとの後半の演出が特に素晴らしい。
壁を写しながら外からの会話が聞こえるとか。
極端にあかりの少ない画面
(多分自然光)
人々がどんどん孤絶していく終末への力場が静謐に研ぎ澄まされていく感じ。
あれだけたくさん出ていた人物が
どんどん影を潜めていき、
最後は家族だけになる。
ここに何かの鍵がある。

映画撮影クルー
衣装の色で揉めるヒロイン
時代物の衣装と言われてスタッフが一瞬「めんどくせえ」という空気を放つところとか。
スポンサーが滅茶滅茶俗物で偉そうなところ。
ここだけ時代設定をはみ出して苦笑いする監督の顔が思い浮かぶ(勝手に)

音楽の使用のセンス
演奏シーンとレコード、ラジオ、テープレコーダーを操作するシーン以外に音楽は流れないと記憶しているが、どうか。
前述のノイズの横溢と合わせて当然の処置。
リュック・ベッソンはこれを観て勉強すべきだったw

台湾の当時の情勢を知ると理解が深まるのかもしれないが、その辺の説明的なことが一切ないので、むしろ全ての「クソ社会」に通じる普遍性を持つに至ったと思う。

父親が拘留尋問されるところの廊下に、朝運ばれた大量の氷。
廊下を引き返して来た時にはすでに日は暮れており、父親は途中にある部屋の中を覗いて眼を見張る。
氷の使い方に背筋が凍るのだが、そのくだりの間合いがほとんどホラー。


他に思いついたら追記する。


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「ファミリー: シャロン・テート殺人事件」エド・サンダース

2017-03-14 00:36:44 | book
文庫 ファミリー上: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)
エド サンダース
草思社


文庫 ファミリー下: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)
エド サンダース
草思社


チャールズ・マンソンの「ファミリー」の行状を、
入念な調査に基づき時系列で追った著作の文庫化。

なぜ今文庫化なのかわからないが、もしかすると
先日獄中のマンソンが病状悪化とのニュースが流れたので、それかしら。。

マンソンがまだヒッピー集団のボスになる前の、刑務所入りしていた頃から、
釈放後ヒッピームーブメントのど真ん中で徐々に形成されていく「ファミリー」、
そして無邪気な集団から次第に悪魔的暴力的な思想言動に染まっていく過程を、
ほとんど文学的な解釈抜きで、淡々と時系列で事実列挙していく。

事件や時代に関心のない人には読むのは苦行と思われるほどの
膨大な細部の集積は、
解放的な気運にはち切れんばかりの60年台後半のアメリカ西海岸の
とてつもなく深く救いのない暗黒面をくっきり描き出している。

悪魔崇拝、麻薬、LSD、暴力主義、窃盗、異常な性癖、異常な儀式、
そういう世界にどっぷりはまった人物が、次から次へ
とめどなく現れる。
マンソンだけが異常な犯罪者だったのではない。
マンソンも「彼らのうちのひとり」なのだと痛感せざるをえない。

読んでいて、そういうイカれた連中の話に付き合うのが
ほとほと嫌になる。
いやもう勘弁してくれとw
精神の崇高さを求めることの大切さをひしひしと感じたよ。

もっとも彼ら魑魅魍魎たちも崇高さを人一倍求めていたわけだけど。何が崇高かは人によって驚くほど違うけどな。。。

***

マンソンは基本無教養なのに、耳学問でハッタリかますのに都合のよい事柄をどんどん吸収して、自分の言葉とし、他人に対して飴と鞭を使い分けて人心を搦めとる。

絵に描いたような「カルト教祖力」を持っている。
彼に従う者たちは、どんどん自分で考える力を失い、肥大し錯乱した妄想による様々なルールに進んで参加する。
この心理ゲーム。日本でも例の事件がそっくり同じ道を辿って記憶に新しいわけだけど、なんというか、本当に人間て不完全で恐ろしい。
不完全で恐ろしい性を知ってなんとか自分はそこに陥らない生き方をしようと考える、その契機になるということでは、読んで寒々しい気分になる価値はあるかも。

でも、読む人によっては、これでマンソン英雄視みたいなことになるのかも知れない。
マンソンが、ビートルズの他愛のない戯れ歌に悪魔的な示唆を読み取ったように。

いやー恐ろしい。

***

しかしポランスキーって、なんというか間の悪いところに居合せる人生だよな。

彼はパリ生まれなんだけど、一家はあろうことかナチスがポーランドに侵攻する直前にポーランドに移住してる。

ハリウッドに鳴り物入りで招かれて「ローズマリーの赤ちゃん」ヒットでセレブの仲間入りをして、居を構えたのがこの事件の屋敷だし。

ロバートケネディ暗殺の直前にロバートと会食してたのがポランスキーだし。

そうやって暗いものを呼び込むような資質?が、また彼の映画の作風にあるどこか殺伐とした感触と妙に共鳴するよな。

殺伐とした環境なのに彼自身はなんだかんだ生き延びているところも実に味わい深いじゃないですか。。。

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「家族の肖像」ルキノ・ヴィスコンティ

2017-03-08 02:27:14 | cinema
「家族の肖像」39年ぶりの劇場公開観てきました@岩波ホール。

自分が観たのが39年前の岩波ホールだったかというと定かではないんですが、
どこかの名画座的なところで後年観たのではないかしら。

驚くほど内容をよく覚えていてびっくり。
自分のヨーロッパ映画体験の最初期になるので記憶してるのかしら。
サントラも一部は一緒に歌える。

イヴァ・ザニッキの歌う例の曲も、待ってましたヤンヤヤンヤな感じですw
これは後にミック・カーンが最初のソロアルバムでカヴァーしていたので、そのせいもありましょう。
Testarda io(A distância)(心遥かに)

♫ Iva Zanicchi ♪ Testarda Io (1974) ♫ Video & Audio Restaurati HD


Mick Karn - Sensitive



さて、映画のほうですが、
バート・ランカスターをはじめ、出演者が一人ひとり個性的で印象深い。

教授が、古い価値観にとらわれながらも、凝り固まることなく常に誠実に振る舞う結果、
新しい「家族」に心を開くのですが、そのことを手放しに讃えることなく、
コンラッド(ヘルムート・バーガー)は最後に皆にそれぞれの「罪」を負わせるような形で去る。

しかもそのうえ、ビアンカに、我々はいつかコンラッドのことを忘れる、とさえ言わせる。
この奥行きがたまらんですよ。

この過程を、完全に教授の住居内だけで描き出すのも見事。
ヴィスコンティが病身を押しての撮影ということもあるのかもしれませんが、
制約が見事によい方向に作用した好例。
若者たちが行く船旅とか、ミュンヘンへのドライブとかの情景が
観客の想像力を刺激してありありと浮かんでくる。


ノークレジットで出演のドミニク・サンダが、愛憎でほろ苦く彩られた過去を強烈に体現して、
場をかっさらうのもすごい。
一切説明がないのに、ドミニクは母親(の思い出)、クラウディア・カルディナーレは妻(の思い出)、と
はっきりわかる不思議。

もし映画の脚本を書くとしたら、
こういう脚本を書きたい。
映画はこうでないとね。

****


あと、予期せぬことでしたが、新編集プログラムの販売あり。
こうなるともう記念品ですな。
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「この世界の片隅に」片渕須直

2017-02-12 11:47:36 | cinema

この世界の片隅に
2016日本
監督:片渕須直
原作:こうの史代


これは良い映画だと思う。
どのように良いのかを言葉にするのは時間がかかるので、ここでは大体諦める。

戦時中を健気に生きた主人公の物語、というのとはちょっと違うと思う。
戦時中も罪のない庶民の愛すべき日常があった、というのもちょっと違うと思う。
罪のない庶民の生活を戦禍が踏みにじった話というのは、まあその通りなんだけど、
それもそういう映画なんだと言っちゃうとちょっと違う感じがする。

違わないとも言えるけど。


この映画は、日常というには起伏のある生活を丹念に描いているのだが、
そこには愛も憎しみも正義も悪意も善行も罪もみんな一緒くたになって、
どれかを一つテーマとして扱うというようなことをしていないのだ。

ワタシたちの日常はいままさにそういう不可分な混沌としてここにあるじゃないですか。
愛も育み憎みもし、正義を信じつつも無自覚に罪を犯しているじゃないですか。
そういう混沌をうまく捉えているのだと思う。

この感じ、何かに似ているんだよな。
なんだろう。。



ふと思い出したのは、エドワード・ヤンの名作『ヤンヤン 夏の思い出』
全然時代も背景も何もかも違うけど(あっちは群像劇だし)、
でも、起伏のある日常をただただそのものとして包んだ感じはよく似ている。

未分化でまだ意識にも言葉にもならない日常に潜んでいる、何やら複雑で層をなして絡み合ってるあれこれを、
そういうものとして一定の時間の中にパッケージしてしまった。
そういう奇跡的なことが、この二つの作品に共通しているのではないかしら。

その奇跡は映画では時々起こる、映画が実は得意とする(しかし滅多に起こらない)奇跡なのではないかしら。

という点で、これは素晴らしい映画だと言えると思います。

***

という映画的素晴らしさというのはしかしどこから生まれるのかね。

脚本が優れているというのはある。
そこに書かれた言葉を発する人物が置かれた状況を、いろいろな面でよく表す絵と音。
そういうものがちゃんとそろっているということだろう。

****

「主人公がやたら前向きなのが怖かった」という評があると聞いたので、考えてみたのだが、
いや、決してすずさんはいつも前向きなのではなかった、と
丹念に思い出してみるとわかると思う。
ネタバレといわれるとアレなのであれですけど、あの布団の上のシーンとか
あの別室でのシーンとかで、すずさんの絶望がわかるよね。

前向きに見えているのは、彼女の「子供のころからいつもぼおっとしている」性格のために、
機敏に状況に応じて悲しんだり反発したりという反応を見せないからだと思う。
このことは、映画の冒頭にまず提示される重要な前提だと思う。

****

「ありがちな反戦メッセージがないのでよかった」という評も目にしたので、これまた考えてみる。
う~ん
確かに誰一人として「この戦争は愚かだ!」とか「日本は負ける!」とか言わない。
そういうこといわれるとウザいてのもわからんではない。

でもこれ観ると、やっぱり戦争というものがなかったらすずさんたちは
「みな笑って暮らせる」ようになったかもしれない、というレベルのメッセージは受け取るだろう。
戦争は正しかった、戦時中の日本は理想の社会だ、というメッセージではない。
(そう受け取っている人は、自己を投影しているだけよね)

同じメッセージでもあからさまでなければOKで、あからさまだとNGというのは
なんというか、自分の「気分」を大事にしすぎなんじゃないかと思うなあ。

****

庶民の罪を描いていないのでダメ!という評も目にしたが、
これについては、最初のほうに書いたように、罪もなにもかも含めて描かれていると思うので、
ダメということは全然ない。

戦時中のあの日常を見たら、いまの自分の日常の危うさに思い至るだろう。
あの時代でコレクトネスを涵養して正しく声を上げるのは非常に困難だっただろうが、
今の我々にはそれができる。
そこに気づかねばならないだろう。


****

アングルも引きも寄りもよく考えられていたと思う。適切なときに適切な画が出てくる。
音も非常によくできている。音楽よりも砲弾の音などが印象に強く残る。

個人的にはコトリンゴさんの歌が弱点なように思う。
音楽家としては素晴らしいし尊敬もするが、
ああいう声のアプローチは、いまやある種のポピュリズムで、
そのポピュリズムの力を安易にアニメ映画にはめ込んでいるように思えてしまったのだ。
この映画の唯一の安易な点となってしまったのではなかろうか。

まあ自分が女性でああいう声をもっていたら
たぶんああいう音楽をやっているだろうとは思うけど(笑)


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「ムーンライティング」イエジー・スコリモフスキ

2017-02-08 01:28:50 | cinema
ムーンライティング [DVD]
クリエーター情報なし
紀伊國屋書店


ムーンライティングとは、アルバイトとか副業とかいう意味があるそうである。
この映画では不法就労という意味合いになるだろう。
紀伊国屋映画叢書「イエジー・スコリモフスキ」では『不法労働』のタイトルで紹介されている。

気になるポイントのひとつは、ノヴァクが冒頭に
英国への入国審査のときに審査官に「連帯に加入している?」と訊かれ、
Noと答えたこと。(このとき「これだけは本当のことだ」と独白が入る)

彼は後に、ロンドンの市内に貼られた「連帯」への連帯を訴えるポスターを
人目を忍びつつ剥がしている。

また一方で、窃盗を続けながらの困窮した条件での労働に耐えかね
教会で懺悔をするシーンでは、「信仰は捨てたので懺悔ではない、自尊心を取り戻したいのだ」と
独白する。

政治的にはノンポリで、信仰心もない男であるノヴァクが、
異国で孤絶した状態に置かれ、職人たちのリーダーとして働くという状況下で、
祖国で政変が起きる。
彼だけが英語を解することにより、その「秘密」をコントロールすることになり、
徐々に専制君主的な「政治」に手を染めていく。
その過程が面白い。というか辛い。

万引きを繰り返すハメになり、何度も危機に陥るが都度幸運にも乗り越えるというのが、その「政治」の裏側の「経済政策」てことか。

この万引きがバレそうになるところが都度手に汗握る。これもひとつの映画的スリル。

あとは表向き紳士的なご近所が、ゴミ出しとかで狡いところを見せるとか、ボスがノヴァクの留守中に妻を誘惑してるんじゃないかとか、そういうモチーフも絡む。

スコリモフスキらしい地味なのに重層的な作品でした。

****

ジェレミー・アイアンズは多忙スケジュールの合間に本人の強い希望で出演。スコリモフスキ作品には注目していたそう。

女性はマーケットのレジ打ちとかスポーツショップの店員さんみたいな人しか出てこないが、女性への濃密な思いみたいなのが滲んでいるのもすごい。男性目線だけど。

主演4人のうちの1人は、実際にロンドン滞在中に祖国が戒厳令出る事態になり帰れない体験をした素人とのことで、まさに映画を地で行く人です。

空港に貼ってあったポスターとか、空港らしからぬ雰囲気だったので、何のポスターかわかれば面白いだろうけど、わかりません。。。


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