Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2015年9月

2015-09-30 | Weblog-Index


シュプレッヒコールの響き 2015-10-04 | 音
ドイツ統一に集うところ 2015-10-03 | 暦 TB0,COM3
星屑の詰め合わせを追加 2015-10-02 | ワイン
はじめてのぺこぺこ 2015-10-01 | 雑感
予定調和的表象への観照 2015-09-29 | 音
積極性が満ち満ちるとき 2015-09-28 | 生活
ラインガウへの途上で 2015-09-27 | 試飲百景 TB0,COM2
槍先の鋭さで一刀両断 2015-09-26 | 音
見極めたいこの週末 2015-09-25 | ワイン
無駄ないインストールの結果 2015-09-24 | テクニック
代議制民主主義の補角 2015-09-23 | 歴史・時事
血祭りに上げられるVW 2015-09-22 | 生活 TB0,COM2
違憲状態が終わるとき 2015-09-22 | マスメディア批評
反動で動き出す週末 2015-09-21 | 試飲百景
ネゴシェーションの政治力 2015-09-19 | 歴史・時事
過熱するコアーの状況 2015-09-18 | テクニック
押し競饅頭押されて泣くな! 2015-09-16 | 音
飲み頃を探る試飲談話 2015-09-15 | 試飲百景
「安倍退陣!」の熱い叫び 2015-09-14 | 歴史・時事
問われる近代の歴史 2015-09-13 | 歴史・時事
それで十分な銅色の施し 2015-09-12 | 生活
十分に期待することなど 2015-09-11 | 雑感
悪影響から逃れる方法 2015-09-10 | 生活
秘義とはこれ如何に 2015-09-09 | マスメディア批評
正しく共有されない情報 2015-09-08 | 雑感
事実認証とその意味の認識 2015-09-07 | 音
マウンティングポイント変更 2015-09-06 | テクニック
流れが停滞すると 2015-09-04 | アウトドーア・環境
プロローグにカタリシス想起 2015-09-03 | 音
他のことを書くつもり 2015-09-02 | 生活
記録的猛暑の賜物 2015-09-01 | アウトドーア・環境
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予定調和的表象への観照

2015-09-29 | 
承前)楽劇「神々の黄昏」三幕で最も印象に残ったのはラインの乙女たちの情景である。こうしてラディオ放送を音だけで楽しんでいても、この演出でのメルセデスのカブリオーレのトランクに遺体を投げ込む情景と、ここの音楽の親和性を強く感じる。要するにこの音楽は、前夜祭冒頭の情景からノルンのトリオの情景を通して一貫させるための重要な機軸となっていて ― ブルックナーの交響曲四楽章の構造のそれを指摘する論文などはあるようだが、それ以上に骨組みとなっているのは、その背景のまさしく夜明けの単純な音形からドミソの音形が原始から根源へと、当時影響の強かったショウペンハウエル等の思想そのものである。

敢えて書こう、ペトレンコ指揮の「指輪」は「その意味深な楽劇の深みを伝えていない」というような軽率な評論がそれを職業とする物書きから漏れていたことを、なぜならばそれは本質的な問題だから。この楽劇の創作と、祝祭劇場のアイデアは多くの部分重複しているのだろう。そしてその思想的な背景に少しでも思いを巡らすと、どこが「深み」なのか、創作意図とその芸術の表現方法、その実践か見えてくる。

この三重唱の連結、そこに生かされるジークフリートへの共感や視線、苦味をふんだんに含んだこの黄昏とペシミズムに縁をもつその世界観への視座が見える。そのような視座を築くことで、劇場空間は世界へと広がっていくのである。楽匠が狙っていたのはそうした聴衆の表象への観照を如何に導くかであり、そのような劇構成となっていることを、その音楽を通じて認識する。

例えば、ここではジークフリートの葬送などがそのややせかせかしたテムポで物足りないと感じる人もいるかもしれないが ― 実際には生での印象は可也優れた劇場的な大きな流れを醸し出していたのを思い出す ―、その後のグルトルートの歌から、ブリュンヒルデが登場して、全てが火の海へと包まれるカタストロフへの音楽の運びの絶妙な筆裁きは、今回の演奏を実感しないとなかなか分からないのである。

そこではテムポ運びとダイナミックスが絶妙なアゴーギクに伴われた音楽実践となっている訳だが、そのテムポ設定は楽譜に書かれていても楽匠が意図したような効果をあげている例をほとんど知らない。どうしても聴衆も演奏者も、予めクライマックスのカタストロフを考えてしまうのだが、そうした予感をそもそも音楽自体に仕掛けとして巧妙にはめ込んである訳だから、そのテムポ設定とはまさしくそれの効果を正しく実践することである ― つまり聴衆が共感することで表象がはじめて観照へと繋がるのである。それがこの三幕の創作の設計図であり、次から次へと繰り出される知己の動機こそがそこへと収斂するようになっている。そもそもこの辺りになると固い椅子に座り続けた聴衆の方も、四日間の大詰めに近過去を振り返るような独特な舞台との一体感つまり劇場空間から外へと視線が向かうような、通常とは逆方向の現実世界のヴェクトルを共有する。

つまり、聴衆にとっても、それは殆どデジャヴというか、むしろその筋を知る知らぬとは関係なく、予定調和的進行している時が存在している。当然のことながら、今までの多くの実況録音や制作録音で、そのクライマックスのつくりに少々もたもたした印象を覚えることが多かったが、それはそうした心理的な効果が音楽的に十分に表現されていなかったことに他ならない。それは、どの動機が印象的に響いたとか、上手に謳われたとかいった単純なものではなくて、数重なる音楽上のパラメーター数次の組み合わせである。恐らくこれで、FAZのおばさんの「ペトレンコの秘義」へ疑惑への回答となっていると思うが、それは言うまでも無くこのクライマックスを体験すれば十分な筈だ。

この指揮者についても、歌手陣についても付け加え、近々また改めて言及しないといけないようなので、今はそれには触れない。しかし、この五時間、CD四枚分の録音をここまで繰り返し再生して、その度に新たな発見をするようなことは無かった。ポルタメント奏法へと繋がる歴史的な演奏法など改めてその弦奏法への造詣も聞き取れた。寄せ集めの楽団でよくもここまでと思わせるその質にも脱帽である。(終わり)


Bayreuther Festspiele - Schlussapplaus Kirill Petrenko "Götterdämmerung" (III. Zyklus 2015)

参照:
ヴァークナー熱狂の典型的な例 2014-07-26 | 音
「神々の黄昏」再生 2014-11-07 | 音
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積極性が満ち満ちるとき

2015-09-28 | 生活
中秋の名月に、ネットショッピングした。スポーツ用に使っている普通の下着が黄ばむだけでなくて破れてしまったから、同じものを補給した。同じように二つ組みで、洗濯の度に替えかえで使っていたのだが、よく使う方は消去処分となった。その他の下着よりもどうしても割高になる。それでも送料無料にするには足りないので、色々と探した。はじめて購入するものとしてカメラのレンズの埃払いのポコポコがある。カメラは長く弄ってきても、これを所持していないのはまともに使いこなしていない証拠のようなものだ。

久しぶりの歯医者である。前回から一年半ほど経った。その間、夏前には豚の軟骨を噛んでいる時に左の上の横の歯が外れそうになって大怪我した。二三週間経ってもそこを使うのには気を使った。どうしても噛む主点は左から右へと移り、その下側の詰め物のところが酷使された。

最近は、左の当箇所の歯茎が出血しやすくなった、また右の方も滲みるようになってきた。そして口の中がすっきりしなくなった。強いて言えば、また様々に悪い方向へと向かっていたので、試飲会の酸の被害が無いように月曜日のアポイントメントを迎えたのだった。

歯医者に行く前に車屋の支店まで出かけて、車幅灯の電球を仕入れに行った。近所のディーラーなどでは手に入らない。ネットショッピングしかなかったのだ。流石に支店だけあって、在庫を購入、慎重に設置した。それは直ったのだが、不思議なことに反対側のヘッドライトのキセノン灯が黄色く見える。理由は分からない。

これから暗い季節になるので、またミュンヘンへと再三足を運ばなければならないので、暫く観察してみよう。違った電球を入れたとは思わないのだが、確かにそれらしくない色目である。

やや約束に遅れて歯医者の椅子に座った。前回よりも清浄は問題なく進んでいたのだが、終わりに医者に問題点を話して、見せると急遽レントゲン撮影から、詰め物の修理となった。全く想定外だったので、歯石が少ないと言われてもそれほど嬉しくなくなった。やはり以前は付き易かったから掃除も酷く厳しかったのだろう。清浄中の出血量も痛みも大分少なくなった訳だ。

問題の箇所の歯を、薬品や物で叩いて異常を調べたが、可也確りしていて、麻酔も何も無く仕事が可能となった。もし怪我をした直後に歯医者に来ていたならきっと面倒な治療になっただろう。それでも二つの詰め物の調整と清浄で二時間近く掛かった。予想外の出費であるが、直したのが2004年のことであるのを考えれば十年間に一回なら仕方が無いかと思う。そして二年前親知らずを抜いたお陰で基本的には健康な歯となったのである。

これで問題の箇所のレントゲンの影が消えるように、出血なども全く無くなれば、それで全く問題が無い。自分で注意しておけば分かるので、次回は一年後になるかどうか注意しておけばよい。噛み合わせが直り、固いものがかぶれるようになると、またスポーツ的な積極性が戻ってくる。この一年ほどは若干下降傾向にあったかもしれない。



参照:
奥歯を噛み締めながら 2014-03-21 | 生活
抜糸省いて最後の抜歯 2013-04-16 | 生活
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ラインガウへの途上で

2015-09-27 | 試飲百景
ラインガウへと向かう途上、ラディオは伝えていた。VWがディーゼル車のリコールをするということだ。グループ全体で一千百万台ということはドイツ市場でも可也の数になるのだろう。そのなかで多くはVWの銘柄のようだ。

本来ならばEURO5で車検も通っているのだから、大都市圏でも問題なく進入でき、リコールなどの必要は無いのだが、政治筋がそれを求めたとある。これで、ドイツをはじめ多くのVWオーナーは落ち着き、満足するだろう。

そもそもあまり整備をしないからディーゼルが煤を吐くので、無料で調整や新たなカタライザーを付けて貰うならば、文句を言う者は殆どいないだろう。間違いなくクリーンになる。

それにVWやAUDIのネッツは本国ではとても充実していて、どこでも手軽に車を持ち込める企業力がある。近所の整備工場に持ち込むことで更なる販売網の充実ともなるのである。この辺りがVWグループの強さである。

今回の件は、EUのNoxよりもCO2の環境政策戦略と合衆国のそれとの代理戦争であることが分かる。TTPI交渉の前にパンチを食らわせておこうという反則技で、当然のことながら合衆国の盗聴やスパイ行為の一つの結果である。そして日本からの反響をそこに被せると、一体日本社会の特にマスメディアはワシントンの手先となってなにをしようとしているのかと思わせる。

さて、ロベルト・ヴァイル醸造所での試飲は、これまた価値があった。最近は年二回通うことで内部情報を得やすくなって来ている。彼是二十年以上のお付き合いだから、古い常連さんということでもあるので当然だろう。

先ずは、グーツリースリング、最初からデザートの甘いものを口に含んでいたので、酸が口の中の成分を溶解して薬臭い感じがしたのだが、春の鋭い酸が感じられない。裏エティケットをみると50となっていた。尋ねてみると、三回目の瓶詰めのようで、その分樽の中で熟れている。それと、次のキードリッヒのオルツリースリングを代わる代わる比較する。こちらの方がこなれた酸が効いていた。しかし同時に2014年の特徴である苦味も奥にあるような感じはある。それでも春の時に出来損ないの感じは全く無い。こちらも55なので三度目だろう。

感心したのは、クロスターベルクとテュルムベルクで、前者は最初に口にしたときにこれほどこの地所で好印象を受けたことが無い感じだった。しかし、後で戻ってくるとやはりこの地所のミネラルは鈍くて、田舎臭い。テュルムベルクの方もとても熟れていて、酸がむしろキードリッヒよりも丸い。いよいよ予約していたグレーフェンベルクである。流石に若いが、それでもその透明なミネラル感は予想以上であった。50%の木樽はとても成功している。

一方、期待していたシャルタの方は、雑味が気になった。出来上がりはキードリッヒよりも完成していたが、ストレートなミネラルの出方などを比較するようになると、薄つくりの「カビネット」とか称するものなどと同じで、今後とも醸造されていくのかどうかはとても疑問に思った。なるほどアルコールの低い「カビネット」などは日本などのアルコールに弱い地域向きに出されるのかもしれないが、その程度のワインはネゴシアンものにしていくのではなかろうか?しかしワイン産地では、スーパーで購入した人の評判も悪く、春も今回も口すらつけなかった。

結論は、2014年産は二年ほどかけて楽しむリースリングが良い。キードリッヒも先二年ほどは間違いなく楽しめるだろう。フォム・ブントザントシュタイン、ビュルガーガルテン、フリューリングスプレッツヘン、キードリッヒはとてもよい勝負をしている。グーツリースリングの13ユーロもとても微妙な価格で、「オェコノミーラート」のような個性は無いのだが、食事の合わせる幅が大きく、熟成してきたので可也良くなってきた。



参照:
木樽とその不可欠な効力 2015-05-24 | 試飲百景
我々のライフスタイルを代表 2014-09-30 | 試飲百景
血祭りに上げられるVW 2015-09-22 | 生活
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槍先の鋭さで一刀両断

2015-09-26 | 
承前)この間、「神々の黄昏」の第二幕のエアーチェックを何回も流していた。詳しく書くには、かなり入り込んだことになるので、まだまだ時間をかけなければいけないかと感じたからだ。今回の演奏を聞いてみて、やはり二幕の狩りの合唱の場面の音楽はとても斬新な和声で書かれていて、その後のブリュンヒルデ、ハーゲンとグンターの復讐の契約三重唱へと楽匠の創作の行き着いたところであることを改めて確認する。その動機の扱い方も一般的に挙げられるライトモティーフよりも細かな音型などにも技が活きていて ― そもそもライトモティーフ自体が本人の分類ではなくて、もっと細かな音形の創作ノートを使っていたのだろう ―、既に触れた幕前のシンコーペーションなどがここに来て大きな効果を上げながら、最後には交響楽的なクライマックスを築いている。

初演に立ち会ったプリングスハイム氏は、この狩の場面にも注目していた。なるほど、そこでの和声は我々からするとシェーンベルク作曲「グレの歌」の音楽を想起させずには居られないが、当時の音楽通にとってはとても刺激的なものであることを改めて実感させてくれる。

そして、ブリュンヒルデの卒倒シーンから復讐のトリオまでの劇的な構成は、槍の動機の鋭さにて頂点を迎える運命の時そのものなのだが、音響的に聞こえないとアルフレード・プリングスハイムの苦情するヴァイオリンなどの美しい旋律がこれほど美しく響くことも珍しく、ブリュンヒルデの嘆きなどが、まさしく不快でさえあるシンコペーションのハーゲンの動機との大きな対比を形作る。

また、ここでも「指輪」百年にして初めて再現できた、細部まで祝祭劇場に響かせた演奏実践であり、同時に初演当時に苦情されていた声が埋もれたりすることが一切無く絶対的で圧倒的な交響的音響を響かせた初めての公演だったのだろう。

リヒャルト・ヴァークナーの音楽にグスタフ・マーラーの萌芽をこれほど示した演奏はない。そのドイツ音楽を超越した音楽を、演奏家などのユダヤ人の世界で創作活動を続けていた楽匠の「ユダヤ人コムプレックス」へと進んでいったのを、この演奏を通じてその細部まで音楽を知るときに確信として認知するに至るのである。まだ、これから大詰めの三幕へと続くのであるが、2013年から2015年まで演奏された楽劇「ニーベルングの指輪」の指揮者ペトレンコの稀にみる豊かな音楽性だけではなくて、その歴史的な意味合いを考えるに十分なこの二幕の演奏実践であった。(続く



参照:
ヴァークナー熱狂の典型的な例 2014-07-26 | 音
お宝は流れ流れて 2005-03-15 | 文学・思想
「指輪」に賭けてみようか 2012-10-17 | 文化一般
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見極めたいこの週末

2015-09-25 | ワイン
沢沿いを往復した。湿っていて涼しくなっているので、車は一台しか止まっていなかった。途中、通行止めにしている樵の車が後ろからやってきた。流石に作業の人の朝は早い。ゆっくりと往復したが、足の不都合は殆ど治ったようだ。

ワインがザールから届いた。なにを注文したか忘れていたが、ダースではなくて半ダースだけだった。先ずは支払いが助かるが、中身をおもむろに確認した。グローセスゲヴェックスがゴッテスフース、シャルツホーフベルク、そして通常のシャルツホーフベルク二本、アルテレーベが二本だった。アルテレーベは、試してから、追加して注文する気持ちもあったのを思い出した。先ずは試すことだ。

二本目のフリューリングスプレッツヒェンを開けた。赤林檎系の香りと味、更に鉄臭いミネラル風味はなかなかの出来を感じさせる。まだまだ開いていないが、二年ほど経つとそれなりの期待が出来る。後味の若干の糖の感じが開いてくると思われる。蜂蜜臭さも殆ど無いので、2014年はそれほど悪くは無かったのだろう。

今年は、この15ユーロから20ユーロ未満のリースリングがとてもよい勝負をしていて、ここでその勝負が決まりそうだ。週末のロベルト・ヴァイル醸造所での試飲で大体の結論はでるかと思われるが、苦味が強く出ずに、ミネラル感が十分に楽しめるかどうかが決め手だろうか。

ワークステーションを上げると、再びCPU1が不調と警告が出ていた。恐る恐る再稼動して、XPに乗り換えた。調べてみると順調にデュアルの二つのCPUが同じような挙動で動いている。どうもLINUXの正しくインストール出来ていないカーネルが悪さをしているようだ。前回はBIOSを読み込まなくなったが今回はそのようなことはなかったので大事には至らないと願う。

LINUXの関係で、最近はWINワードを使わずにオープンオフィースを使うようにしている。OSに拠らずに普遍性があり、使い勝手がよいので、最初からこれを使っておけばよかったと思うぐらいである。なによりも無料なのが嬉しい。

日本のネットには、ディーゼルの危機とか書かれている。そもそも欧州であそこまで伸びた理由は本当に燃料費だけなのかどうか。ここ二十年ほどのディーゼルエンジンのハイテク化、それを牽引したフランスとドイツでの普及はそれ以上のものがあったと感じていた。新聞に各国の普及率が載っていて、それを見ると乗用車の比率が最も高いのはアルルランドの73%で、スペイン、フランスとなる。驚くことに西欧平均の53%よりも英国やドイツなどは低く。五割に満たない。インドの53%よりも低いのだ。合衆国は僅か3%である。これならば潰しに掛かるのも分かるような気がする。そのハイテク化の行き着く先がソフトウェアーのエンジン管理だ。この分野では仏独が今後とも二人勝ちするからである。そして石油が上がれば、まだ需要は上がる。



参照:
血祭りに上げられるVW 2015-09-22 | 生活
飲み頃を探る試飲談話 2015-09-15 | 試飲百景
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無駄ないインストールの結果

2015-09-24 | テクニック
LIXNUのインストールをようやく終えた。もうひとつのPCの容量が限界に近づいていたのでやり直したのだ。最大の理由は、VLCメディアプレーヤーが上手に機能しなかったことで、全ての方法を試してみたがダメだったのが思い切りの理由だ。通常に使うだけならばそれでも足りるのだがSMBサーヴァーからのメディアをストリームで再生しようと思うと他に適当なプレーヤーはない。一度DLしてからなどと言っていては大きな映画などのファイルは流せない。結局何が災いしていたのかは不明で、様々なコーディクスなどを一度消去して試してみたがダメだった。いろいろ弄っているうちに容量も95%を越えようとしていた。

そこで、今までそれ以外では完璧に動いていたSUSE12.3をスペースを作るべく酔っ払って消去しているうちに間違って、システムまで壊してしまうことになった。それならばアップグレードしようと思って、13.1から13.2へのアップグレードを見通して、13.1をインストールしようと試みたが、結局ブーティングのGRUB2が書き込まれないで失敗した ー 実は其の前に試した12.3のインストールは成功したもののプロトコールの問題があったのかネットに入れなかったのだ。もちろん、システムのスペースも今までの10GBから18GBまで広げたのだが、其の甲斐もなかった。そこで、一度失敗した記憶がある13.2を試してみることにした。これはシステムのファイルステムが今までのext4からBtrfsへと変わっていて将来的な拡張性があるようだが、どうもこれがXPとの共用などを阻害するようで、またブーティングを難しくする。そこで、ワークステーションの方は13.1を動かしながらオンラインでアップグレードしたのだが、其のおかげで最初に読み込むカーネルがうまく出来上がっていない。

そこで違うPCでもう一度試してみることにした。肝心のパーティションを切るところでは、慎重にシステムだけをBtrfsにして、その他は従来のシステムを守るようにした。また同時にオンラインでインストール出来るのでその機能を活かして、可能な限り、ログインした時にはある程度完成しているような形で行った。MBR領域にも書き込む可能性に加えたからなのか、不思議なことにブーティング領域を上手に完成させた。初めての成功である。残念ながらシステム領域を18GBまでしか取れなかったのであまり余裕もなく、ホームも僅か3,3GBしか確保していない。それでも完璧にインストールが完了したようだ。

そこからは「原状回復」を目指してあるとあらゆる無駄をしないように配慮して、ネット、メディア、スキャナー、プリンターなどをインストールしていく。メディアは慎重にVLCをコーディックスを加えてインストールする。今回は完璧で、直ぐにSMB設定を書き加えてストリームを試してみる。この設定を書くのがなかなか分かり難いようになっていて、アプリケーションの検索でSMBと入れないと出てこない。

プリンターはなぜかテストページが印字できなかったが、アップデートなどのDLをしているうちにできるようになっていた。最初の時点で3GBだったのが一晩中かかっていたDLを終えると5GBを超えていた。そこから、一通り終えると8GBを超えていて、そして日本語入力のMOZCを入れ、IBUS、FCITXなどの必要なプログラムを追加していく。其の時点で概ねの作業は可能となっていたのだが、サーヴァーとして使うことを考えるとどうしてもさらなるネットワークの構築が必要となる。

其の過程で、二つ目のスキャナーなどもインストールする。同時に一つ目のスキャナーもLAN内で共有したいと思い、ネットワークの使いやすさが求められる。結局最終的に行ったのは遠隔操作のVNCネットで、これならば一つ一つのパスを共有しないでもサーバーにあるものを遠隔で共有できる。其の結果、システムの容量は11GBを超えて、消去プログラムなどを加えて全体の65%までに相成った。

要するにLINUXもWIN7や8並に使おうと思えば、どのようなパッケージを使ってもシステムだけで10GBを超えてしまうようで、更にDLなどのアプリケーションをインストールすると簡単に15GBを超えそうである。

今回は外に広がっている領域をマウントすることは叶わなかったが、この方法でウィンドーズやLINUXのみならずANDROIDでも遠隔操作が可能となった。先ずはこれで冬ごもりの準備の一つが整った。暖房を入れていない場所のワークステーションやPCなども温かい部屋から、サーヴァーに入っていない資料ややりかけの仕事の取り出しや記録が可能となる。

マルティメディアやマルティタスクではLINUXはWINDOWSに比較してあまり利点はなさそうだが、LANの中で端末機とその他のサーヴァーを繋げて使うのには優れていそうで、電気代は掛かりそうだが、仕事の効率はあがるだろう。暖房代を節約する代わりに電気代がかかるのは問題だが、ある程度は仕方がない。

記録を調べると本格的に弄るようになってから一月以上かかっている。試行錯誤の連続だったが、やりたいやれそうなことはだいたい試せた。この間、DLだけでも延べ数十時間はかかっていると思われる。夜中中動かしておいたのも二晩ほどある。手は大分動かしたので、冬ごもりになったら今度はもう少し頭を動かして使ってみたい。



参照:
LINUXの初再インストール 2015-08-20 | テクニック
バランスが考慮される事例 2015-08-23 | 雑感
閉じ籠りの週末の総決算 2015-08-24 | 生活
記念日か、祝杯を挙げよう 2015-08-30 | 歴史・時事
ヴァージョンアップ準備完了 2015-06-15 | テクニック
他のことを書くつもり 2015-09-02 | 生活
UNIX譲りのLINUXの特性 2015-08-25 | テクニック
マウンティングポイント変更 2015-09-06 | テクニック
悪影響から逃れる方法 2015-09-10 | 生活
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代議制民主主義の補角

2015-09-23 | 歴史・時事
月曜日の午後を除いて雨がちな週である。雨降りの合間を掻い潜って、走りに出かけた。パンが欲しい。敢えて穴の開いた靴で濡れた山道を少し走って降りてくる。そして日本の民主主義のことが頭に浮かんだ。

丸山真男も戦後直ぐの1940年代にそれについて語っている。多くは二十世紀初頭の社会科学の研究の延長にあることだが、日本の特性をその学術的な基盤上で分析しているのだ。1948年の二つの講演原稿で、長野県で行われた教員再教育の文部省主催の講演会からのもののようだ。論文ではないので、熱心には目を通していないがざっと文字を雑誌をめくるように見た。

まさしく今話題となっている社会現象が話されていて、政治嫌いの背景から起こして、なぜに代議員による間接民主制だけではいけないかということが説かれている。そこには発展した官僚制社会と政治家の関係にも触れてあって、代議士性は経路が限られていて ― 恐らくどこかの独論文のエングパスの流用だろう、選挙が民意を示さないことが明確に示されている。

そこで、頭に過ぎったのが、日本の選挙制度の問題点であり、少し閃いたのが、合衆国で行われているような党員集会と選挙人の制度を合わせたような被選挙選出機構を、とても高価な供託金に代えることである。日本の政治の質が低いのは上の講演でも示されているようなその資金と既得権益の問題が結びついているからで、いくらでも優秀な者がいるにも拘わらず、政治には手を汚さない者が殆どだということである。

つまり、帰来の政治力をもつ者がその経済力に拘わらず政治に参加するために最も良い基準は、金ではなくて人を集めることにほかならず、少なくとも選挙期間中は連座責任を持つような支援者を五十人も集めるような者ならば最低の政治資金は税金から支援すればよいのだ。これによってボトムアップの政治が可能となるような優秀な政治家が次から次へと現れるに違いない。

考えてみれば分かるように、連座責任も持ってくれるような支持者が何十人も集まるような政治家はなかなかいないに違いない。いわゆる泡沫候補と呼ばれるような人たちが十人以上の選挙人を集めることはほとんど不可能だろう。反対に、市民活動家などはその日頃の活動の大きさによって確実な選挙人を集めることができて、それらが全国組織で連合すれば十分な政党要件を満たすことが可能になる。

こうした改革によって、政党助成金などがなくとも従来の政党も存続可能で、同時に力のない者はどのような素性の生まれであっても、経済力や知名度があってもまともな選挙人を集められないことは確実である。それ以外の政治資金の問題はあるが、少なくとも選挙資金の面では市民運動家などが大政党の候補者と同じ立場に立つことが可能となるのではないか。選挙の趣旨やシステムから問題点があるかどうかは分からないが、このようなことが一瞬浮かび上がった今朝だった。



参照:
違憲状態が終わるとき 2015-09-22 | マスメディア批評
ネゴシェーションの政治力 2015-09-19 | 歴史・時事
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血祭りに上げられるVW

2015-09-22 | 生活
天気が悪くて、走りそびれる。摘み取りはブルグンダーを中心に始まったようだ。ヴルストマルクトも終わった。いよいよ冬に備えることになる。この時期の長雨は珍しい。初秋は乾いて、残暑などがあるのが普通だが、今年は違う。

10月に入ればこのような天候で、葡萄の摘み取りに一喜一憂することが多いが、この時期に雨降りを見通しての摘み取りとなることは珍しい。その分、グローセスゲヴェックスなどの大物の摘み取りの時期には安定してくれると良いのだが。いずれにしてももう一度乾いた日々が続かないと仕方ないだろう。いろいろと落ち着いてやりたいこともあるのだが、なかなか叶わないので、余計に気が滅入る。

先日机の上においていたバイロイト祝祭のお知らせを読み返して、申し込み期限が過ぎていることに気がついた。以前のような何年もの申し込みの積み重ねが肝心ではなくなったが、形だけは申し込んでおくのだ。ネットへ入ってみると、問題なく予約できた。もちろん当てようなどとは考えてはいないので、安いところを冷やかしで申し込んでおいた。当分は形だけの顧客となるのか、それとも近いうちに出かけることがあるのかは分からない。

フォルクスヴァーゲン社の排ガス規制不正問題が語られている。あまり深い関心を持っていないが、前回のトヨタに続いてドイツの企業が血祭りに上げられることになった。そもそも特にディーゼルの排ガス規制などは企業とレギュレーションを作る当局のと駆け引きと取引なようなものだと聞いているので、燃費のそれよりも消費者にはあまり関係ないだろう。関係するのは税制などと関わっているので、自分の車にはあまり税金をかけてほしくないと思うだけだろう。

折からのフランクフルトのIAAメッセで、メルケル首相はかたったようだ。できる限り難民を受け入れることは問題でなく、物流と同じで制限することで経済が滞ると。TTIPに関しても積極的な姿勢を示したことで、あとは如何に合衆国優位の立場からEU優位へと話を進めていくかだろう。世界最強の輸出国としては当然のことである。



参照:
まるで白昼夢のような感覚 2015-07-13 | アウトドーア・環境
豚に小判の消費者保護 2014-07-19 | マスメディア批評
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違憲状態が終わるとき

2015-09-22 | マスメディア批評
青学特任教授の間宮氏がとてもよいことを言っていた。今回の一連の件に関して、「民主主義はここ暫く否定的に捉えられていたが、ここに来て肯定的に捉えられるようになった」と。つまり、否定的な民主主義とは数の力の同一性で、新しい民主主義とは多様性だというのだ。これは単刀直入に今回の市民運動の本質を語っている。その否定面は、ここ連邦共和国においても当然ながら語られてきたことであり、それでも民主主義はよりベターな唯一のチョイスであるとの認識であった。なるほど、大連立などの政府とそこに乗るメルケル首相の政策判断は、多様な広い層の声を掬い上げることにその主点が置かれている。そもそも大統領制をとらずに立憲君主制を戴く日本の政治の究極のあり方はそこにしかないのである。それに反意を示すような勢力は、自ら大統領になりたい大阪のやくざや小沢何某のような者たちである。

さて新聞を開けると戦争法に関しての社説が載っている。そのもの「心地よい時の終わり」と題して、実際にこれでそのような戦後の心地よい時は終わりとなる。戦後の日本は合衆国の影に隠れることができて、またそうすべきだったので、自国防衛にのみ力を向けることが可能だった。時代は変わった。つまり、日本政府が重荷を背負うことになる。だからシナからの批判は、もちろん二重舌そのものなのである。つまり、防衛圏内においては日本の防衛力は脆くなり、手を出しやすくなるからだ。シナが、1930年代を挙げて日本の軍国主義化として非難するのは恥ずべき行為である。日本政府の歴史の書き換えに関して非難することは可能だ。しかしそれと、この新しい安全保障法は、全く関係ない。安倍首相は、その歴史観を捨て、その代わりにシナの危険性を具体的に述べることで、国民を少しでも懐柔できるだろう。こう〆ている。

日本共産党が臨時政府構想を出したようだが、自衛隊員の骸が重々しく安倍総理や閣僚によって空港で迎え入れられるのは選挙日程よりも早くなってしまう可能性が強く、そうしたことを避けるためには国民もその前に大きな活動をしなければならないだろう。新聞は日曜版で大規模デモなどについて報じていたようだが、「普通の国」になったのは市民の抵抗運動だけで、政治が動くまでに全てが終わってしまう危惧がある。そうなれば万事休すで、最初の数人を除いては、外国での活動で死体となって戻ってくる自衛隊のことなどは日常になって流れてしまうのが、ここ十年来の連邦共和国やポーランドの例を見ればわかる。要するに新たな英霊の列が祀られることになるのである。それも避けようがない。

憲法改変か、臨時政府か、この違憲状態が終わるには二つに一つしかない。国民はどちらかを選択しなければいけなくなった。それも早めに結論を出さないことには、為政者先手主導の状況は変わらない。各々の国民が立ち上がらないことには、パシフィズムの憲法は自動的に変えられる。年内にほとんどその行方は決まってくるだろう。

安倍首相の「焼き肉煙」の消防隊の活躍VIDEOを観せた女性が指摘していた。「隣の家の消火に行って、自宅は他人に任せるのか」と。上の社説のその指摘はそのもので、それでも国民が騙されることを指摘している。海上自衛隊の戦力は合衆国との連携で骨抜きになっているようだから、金だけをかけて自衛力を低下させている責任は一体どうするのだ。



参照:
Ende der Bequemlichkeit, PETER STURM, FAZ vom 21.9.2015
Japan darf Soldaten ins Ausland schicken, FAS vom 18.9.2015
ネゴシェーションの政治力 2015-09-19 | 歴史・時事
首取りへと向かうのだろうか 2015-09-18 | マスメディア批評
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反動で動き出す週末

2015-09-21 | 試飲百景
足がしびれてから初めて走った。ゆっくりとゆったりと走るようにした。だから日曜日によく走るコースよりも、沢沿いの往復にした。雨がちだったので乾いてはいなかったが、躓くことも無く、滑ることも無く無事に走れた。復路では禿の親仁さんと擦れ違った。まだあの親仁よりは速いペースだろうか?走ったことで心理的には楽になったが、歩くとなると躓きそうになる。歩くよりも走る方が細かな調整をしなくても反動で足が進むということらしい。

週明けにはザールからリースリングが届くので、その前に先日のレープホルツ醸造所での試飲を記録しておかねばなるまい。先ずは、グーツリースリングで、これは我が家のスタンダードワイン「オェコノミラート」に比べると丸いのだが石灰的な酸味が嫌いだ。価格は殆ど変わらないが、その差は大きい。

さて、今年最も量を飲む「オェコノミラート」であるが、足り試飲に比べるも無く、春と比べても大分酸が収まってきていて、ミネラルの深みさえ出てきた。この価格帯における、2014年のドイツのリースリングにおける最高峰に違いない。

その上の「フォム・ブントザントシュタイン」も予想通りで、今も楽しめるがやはり二年先が楽しみだ。ミュラー・カトワール醸造所の「ビュルガーガルテン」とのよい勝負となるが、価格がやや高い分だけ当然かもしれない。これに対して、ビュルクリン・ヴォルフ醸造所のPCやロベルト・ヴァイル醸造所のシャルタヴァインなどがどれほどの勝負をするかである。

フランクフルター・アルゲマイネ新聞にヴィースバーデン試飲会での成果として触れてあった「ガンツホルン」であるが、今年が特別よいわけではない。それでも若干の貴腐感とともに甘みが残っている分、長持ちの可能性があると思って三本予約したのだった。その判断は正しかったであろう。

その他、ロートリーゲンス系土壌もそれほどではなく、石灰系はその特徴が強く出ている。その新製品「ビエンガルテン」は綺麗にその特徴が出ていて、角の立ったリースリングには不慣れな向きには美味しいだろう。その他では酸の綺麗なシャルドネのバリックなどそれらしいものがあった。

結局初めて「フォム・ブントシュタイン」を六本買いして、「オェコノミラート」も少し加えた。今後の購入量によっては最後のものを追加補給しないといけないか。いずれにしても、本年はプファルツと同じぐらい他所の地域のリースリングを購入することになるのだろうか。

合衆国が難民の一部を受け入れるというが、連邦共和国だけで年内の試算は百万人といわれる。せめてその数倍は受け入れるか、金を出せというのが、イスラム国の父イラクにもシリアにも手を出さなかったドイツの世論であるのは当然だ。手を出した日本がその一割ぐらいは受け入れても当然なのである。今後は年に百万人単位の難民を受け入れる責務を持つようになるのが日本である。



参照:
ネゴシェーションの政治力 2015-09-19 | 歴史・時事
飲み頃を探る試飲談話 2015-09-15 | 試飲百景
スローフードの塩辛さ 2015-03-09 | 試飲百景
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ネゴシェーションの政治力

2015-09-19 | 歴史・時事
前日から歩けなくなった。PCのCPUを弄っているときに長い時間屈んでいたりしたので、腰にきて、そして太ももの内側が極端に張っている。最初に気がついたのは、朝の手洗いに行くときに後ろのめりになりそうになって、足元が安定しなかったときだ。その後、48時間ほど経ったが、痺れは消えたが、まだまだ足元が上手く調整できないで、躓きそうになる。一度走りに行けば直るかとも思うが、さてどうだろう。

朝起きて、Uストリームを見ると、京都で高校生のパレードが始まっていた。時差があって、こちらから見ているよりも厳しい状態だろうが、寝不足気味でも早速行動が始まっている。平和主義や民主主義だけでなく、立憲主義の加護を訴える姿勢を見て、とても頼もしい。

それどころか、数による政治への否定と、為政者への全権委任の誤りを指摘しており、これならば安倍政権や自民党そして大阪のやくざ勢力、それどころか小沢何某の主張をも完全に弾劾していて、決して民主主義はそうしたものではないことを諭しているのである。日本の政治やその政治家の質は三流として知られているが、有権者だけでなく義務教育も終えていないような生徒までが先進工業国並みの知見を示しているのである。

これならばまるで霊感商法のようなポピュリズムの罠にはまることも無いだろう。考えてみれば、オーストリアのケルンテン地方の有権者などよりも京都やその他日本の市民の方が遥かに教育程度は高い。決して、教育程度の高低が無視できないと思い直させる事実である。勿論その教育程度とは決して、初中高等の進学率ではなくて、その質の差であろう。

九条護憲のパシフィズムが大きな声となるかどうかはとても疑問であるが、もし日本が「普通の国」になろうと思うならば、先ずは政治がそれなりにならなければいけないということだろう。こうした社会の高度な見識や声を政治に反映しようとするならば、連邦共和国メルケル首相が採るようになった政治手法と政治力が必要になる。連邦共和国においてもそのような変化が生まれてきたのはこの数年のことである。嘗ては専門家の意見が交わされて、その議論中から国民が選択するような世論の形成がなされてきた。選択肢は政党の数しかなかったのである。日本の政治家には、ネゴシアンとしての本来の政治力が試されている。決して、トップダウンの政治力は期待されていない。

シナでは、街角でも敗戦国日本が占領国合衆国の言うなりに派兵しなければいけない様になってきていると今の日本の現状が話されているそうだ。あれほど反日が政治宣伝に使われたシナの街角でもとても冷静な判断がなされていると聞いてとても驚く。それは、爆買に表されるようなその文化的な親近性がそこにあって、占領国合衆国よりも遥かに知日である社会が形成されてきているということであろう。合衆国に対して言えば、やはり元中曽根首相の暴言ではないが、決して均質的な社会ではないので、そのような文化社会的な期待は到底叶わないのである。来年の二月ごろから、アフリカの大地を舞台に、対中共資源支配に対抗して、合衆国の指導の下利権を奪いに自衛隊が借り出されると言われている。



参照:
問われる近代の歴史 2015-09-13 | 歴史・時事
ふれなければいけない話題 2015-06-29 | マスメディア批評
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首取りへと向かうのだろうか

2015-09-18 | マスメディア批評
演出家レーンホッフがな亡くなって一週間ほど経つ。改めて死亡広告が出ていたので、友人一同の名前を見ていると、ニケとパスキエのワーグナー家の四人やザルツブルク音楽祭のシュタトラー女史、歌手のトーマス・ハムプトン、ユルゲン・フリムなど同業者に、シャイー夫妻、そしてケント・ナガノの名前が見えた。するとなるほどバーデン・バーデンでヴァークナーなどを演出していたことを忘れていた。

先日の国会前の逮捕劇について日本のニュースでは「一部暴徒化」などと書いてあってとても驚いた。なるほどフジサンケイグループであるから出来る限り行動の印象を悪くして抑止力にしようと思っているのだろう。ほとんどガンジーの非暴力主義が席巻しているかのような日本社会であるが、そのように援護される政府が最も世界で暴力的な活動に乗り出そうとしているのが大きな矛盾である。

なるほど、その範疇では本当の平和維持への努力として独自の武力だけでなくて米国の傘に入れと主張している。それはもはや事実ではなく、そうは行かないというのが今回の法案の主題なのだ。それならばどうするかというのが議論である。そうした議論のすり替えのような、まるで修正主義やポピュリズムのような低俗な報道が日本のマスメディアの特徴だ。

しかし、今回の市民の運動は一面は平和主義のパシフィズムに立脚するが、行動が大きくなったのは各地の弁護士や司法関係者の反軍事独裁運動であって、おそらくその面が日本国内で最も多い行動への関心の強さではなかろうか。それにも拘わらず、BLOGの世界などでも、今回の件がイデオロギー対立と映っているようで、これまた驚愕する。

如何に日本国民が自発的に立ち上がっているかをみれば、野党の共闘などへの影響は当然のことで、ここで今までかつてなかったオールジャパン体制を日本共産党を混じえて取れないことには話しにならない。また政治家はそれに応える義務がある。ヒットラー政権が成立することになったのも、正しく現在よりも遥かに激しい左翼のイデオロギーの対立の中で、社会・共産主義者たちが十分な協力ができなかったことにある。決してナチスは一政党で過半数などを有していたのではなかった。明日以降の流れがどうなるのか。法案が通過すれば、焦点は独裁阻止になるのか?とにかく、安倍の首を取りに行くのは至極当然の流れだ。

連邦共和国では、ルフトハンザの高給取りのパイロットだけでなくて、民営化されている郵便局員や国鉄の機関士まではストライキをうっている。日本はゼネストは愚か、ストライキすら起きなくなってきている。もはや社会主義者が力を持っていないということで、組織化された運動が力を失ってから久しい。



参照:
押し競饅頭押されて泣くな! 2015-09-16 | 音
危机と紙一重の良机の七十年 2015-07-21 | 歴史・時事
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加熱するコアーの状況

2015-09-18 | テクニック
日本からの中継を流しておこうと思って、LINUXでダウンロードしようとしてもとても時間が掛かった。再度リスタートすると、CPUがおかしいとの情報が出る。そこで、国会前からの中継はノートブックにして、BIOSなどを調整して、再スタートするとBIOSすら読み込まなくなった。このようなことは珍しい。初めてのことだ。BIOSを触ったところなので、初期化して再スタートすることにした。バックアップ電池を外して放電してから、再起動すると予想通り、初期化していた。そして、LINUX立ち上げると、それでもCPU問題は変わっていなかったようだった。

そこまでにしておけばよかったのだが、思い切って、CPU周りを掃除することにした。放熱のためのフィンを外そうとしたことは再三だが、今まで外せたことが無かった。そこで今度は少し力を加えると、放熱フィンが剥がれた。そして、CPUを外してみようと思ったのだが、カヴァーが外せなかった。そして一部を破損してしまった。そこで諦めて、フィンを元通りに戻すが、なかなか綺麗に嵌らない。あまり力を掛けたくないので、適当に元に戻して、電源を入れるとウンともピンとも始動しなくなった。そして警告ランプが、電圧装置のVRMかCPUが正しく接続されていないとあった。そこで、何度も試してみることになる。

もはや手の施しようが無いと思って、出し入れしていると、フィンにくっ付けてあるCPUが下のソケットカヴァーにこびり付いているのが確認できた。するとデュアルコアーのもう一つもフィンから外して、ソケットに嵌めこみ直さなければ行けない。そもそもCPUは弄りたくなかったのも、こうした致命的な状況になるからだ。

熱伝導のシリコンがこびり付いていたのだが、それを一部剥して綺麗にした。その分フィンへの熱伝導が気になるところだ。新たに購入して塗布するのも方法だろうが、先ずは管理してみよう。しかし、試験で少し動かすだけでも以前には感じなかった熱気がフィンから感じられるようになっている。掃除の効果なのか何か分からないが、これは一体どういうことか?古くなった熱伝統の材質がもはやマイナス効果として働いていた可能性もある。

流れている参議院中継や国会前の抗議の音を聞きながら、ただの黒い箱を、ファンを動かして、更にBIOSを新たに読み込ませてとなるまでに何度も試行錯誤の繰り返しだった。なんとか、CPUを確り嵌めることで、BIOSを読み込むことが出来た。そして、LINUXを立ち上げ、更に再稼動すると驚くことに今までに無くスピーディで落とせた。それでもやはりネットの画面形成の遅さは、XP並にも行かない。

やはりこのあたりがマルティメディアでのLINUXの限界なのか?そもそもカーネルが上手く作動していないようで、CPUの不具合などもその辺りと関係していたのかどうか?CPUの代替品も探しておく方がよいのか、どうか。



参照:
問われる近代の歴史 2015-09-13 | 歴史・時事
遥かなるフェアートレード 2015-06-28 | 雑感
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押し競饅頭押されて泣くな!

2015-09-16 | 
弾圧やめろ!、仲間を返せ!、警察帰れ!のコールが響き渡った。五列縦隊の警察官との押し競饅頭で十一人以上が逮捕されたようだ。映像で見ている限り、平和裏の抗議行動で、弾圧は独裁軍事政権の性格をそのまま表している。もはや、政権の正統性と、市民行動の正当性が議論されるところとなった。安倍政権の選挙における正統性すら疑問視されていたわけだが、軍事クーデターで合衆国の傀儡政権となった憲法違反状態のこの政権の正統性が疑問視されることとなった。法案の成立如何に拘わらず、この違憲状態を受け入れることは健全な市民は出来ない筈だ。

横浜でのダイインによって議員の東京への帰還を遅らせた不意をついた行動は本当に素晴らしかった。誰も警戒していなかったようで、真剣にその効果を考慮した経験ある団塊の世代の行動と思われる。日本のネットでは速報で出たので一時間も経たないうちからその行動を知った。これが、引き続き市民革命に繋がるとすれば、歴史的な行動になる。そうした機知と勇気に富んだ思いがけない行動の積み重ねが歴史を築くのかもしれない。

まだまだこれからである。明日以降、朝早くから皆が国会前に集まればよいのである。非暴力を突き通す限り不当な警備には断固と戦えばよい。いつか政府側がオウンゴールを決めるまで忍耐強く進めばよいのである。まだまだ市民革命が成就するまでには段階があるが、粘り強く前へ前へと進むだけである。

そして彼ら彼女らの声が綺麗にハモルようになってきた。ここに初めて日本人が近代和声を肉体化するようなときが訪れようとしている。



参照:
IWJチャンネル4
安保・強行採決阻み路上に座り込み 横浜公聴会 (田中龍作ジャーナル)
「安倍退陣!」の熱い叫び 2015-09-14 | 歴史・時事
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