Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2010年2月

2010-02-28 | Weblog-Index



薄暮に冷蔵庫から射す冷たい光? 2010-02-28 | テクニック TB0,COM0
テッシュペーパーを何に使う? 2010-02-27 | アウトドーア・環境 TB0,COM0
手応えあったクライミングはじめ 2010-02-26 | 雑感 TB0,COM4
権威とはなんでもありの権力か 2010-02-25 | 女 TB0,COM0
一日17時間稼動の労働コスト 2010-02-24 | 生活 TB0,COM0
あまり永すぎなかった冬 2010-02-23 | 暦 TB0,COM0
分裂精鋭グループを率いる 2010-02-22 | 女 TB0,COM0
激しい対照をなす侘びの数寄者 2010-02-21 | 文化一般 TB0,COM0
産地におけるベストセラーワイン 2010-02-20 | ワイン TB0,COM0
出世払いが利いた発展途上 2010-02-19 | 雑感 TB0,COM0
ドレスデン絨毯爆撃議論に思う 2010-02-18 | 歴史・時事TB0,COM0
そこまでやって来ている春 2010-02-17 | アウトドーア・環境TB0,COM0
転ばぬ先のストックを持った人達 2010-02-16 | 女 TB0,COM0
誤まった制御装置プログラミング 2010-02-15 | テクニック TB0,COM0
貴い新自由主義の腐る実り 2010-02-14 | マスメディア批評TB0,COM0
先月に続いて送料無料の販促 2010-02-13 | 生活 TB0,COM2
頭の悪い人達が集まる業界 2010-02-11 | マスメディア批評TB0,COM2
貝毒なんかに負けてたまるものか 2010-02-10 | 料理 TB0,COM2
チヤホヤされる世界の陰日向 2010-02-09 | 雑感 TB0,COM2
世界のさくらが一斉に散るとき 2010-02-08 | 音 TB0,COM2
待ってました!日本一!成田屋! 2010-02-07 | 文化一般 TB0,COM0
百年も続かないということ 2010-02-06 | 歴史・時事TB0,COM2
燻し銀の音楽談義の一時 2010-02-05 | 音 TB0,COM2
水も滴らせる良い男とは 2010-02-04 | 料理 TB0,COM2
核融合へと舵を切るエネルギー政策 2010-02-02 | 女 TB0,COM0
ハイデルベルクの親方の地所 2010-02-01 | 試飲百景 TB0,COM2
改訂コメンテーターリストIII 2010-01-31 | BLOG研究TB0,COM8
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薄暮に冷蔵庫から射す冷たい光?

2010-02-28 | テクニック
先日注文したサーモスタットが届いた。早速準備していたように設置する。そしてテストである。もちろん何事もなく電源が入り、冷蔵庫の奥の壁に霜が付き出す。そして、暫らくすると電源が切れた。

順調であるが、今度は温度が上がって行って、適当な所で再び電源が入らないといけない。何回も冷蔵庫を開けて、ワインの瓶などの冷たさを確認して見るのだが ― 庫内ランプはドアスイッチを直したが電球が壊れているのでまだ点いていない、なかなか電源が入らないのである。待ちきれずに、設定温度を高くして暫らくするとやっと電源が入った。

次ぎは設定温度を低くしてと何度かテストした。そうこうしていると既に十年ほど前に問題があったその状態を記憶で再現出来た。同じ人間であるから十年前も後も同じようなことを考えて、当時サーモスタットを分解して壊したのであった。当時予期せぬ時点で電源が切れて、「コムプレッサーが壊れて仕舞って替え買い」と考えたので、手を加えたら作動したのであった。

その際に、サーモスタットを調整しようと思って完全に壊してしまったのであった。それを全て忘れていたが、人間は同じような状況に追い込まれると同じような思考をするのである。さてここでその構造をおさらいしておく。

写真で見るアルミの髭の一方の先を冷蔵庫の壁に埋め込んで、其処が凍るとその凍りついた温度がもう一方のサーモスタットの方へと伝わる。そのブラックボックスの中に銅版のカチカチのような曲げられたバネがついていて、冷やされると板バネ自体が裏側へとひっくり返るようになっている。つまり常温では電源が入るほうに反り返り、零下となると切れる方にそりかえる全くの機械仕掛けである。原始的な温度による形状変化機構と呼んで良いのだろう。

当時、その機構に驚いて、今時こんな小さな手作りのような細工の部品を安く作れるのだろうかと友人のエンジニアーに話したことを思い出す。結局タイかどこかの町工場なら工賃が出るかも知れないということになった。

テストで分かったように、問題は温度上昇しない限りマイクロスイッチが入らないことである。その点は、なにも温度による伝導率変化や形状変化を電気信号化もしくはデジタル化するセンサー機能を庫内の各所に配置したものではないので、ある意味タイマー機構と比べてそれほど利点がある訳ではない。しかし、良く考えてみれば冷蔵庫というのはもともと氷化してはいけないのでこれで良いのだ。冷凍庫自体は、冷蔵庫以上に冷えているということで氷化したままの状態で推移する。

最も重要なのは庫内の温度の変化が少ないことであり、凍結する必要はそもそもない。これで最も下の棚にいれてある酢や、ピクルス類も凍ることはなくなる。そして何よりもワインが何時でも適温で飲めるかと思うと楽しみである。

電力消費に関して推測すると、冬季の氷結した冷蔵庫と適温のそれとでは大分違うだろう。恐らく、一日で実働時間は六時間以下になるに違いない。夏場は逆に十五時間以上だろうか。庫内ランプを直すと、15Wほどで熱も出すので電力消費は上がるが ― そして冷蔵庫用ランプが高価だ、夏の日暮れに冷えた飲み物を取り出すとき、冷蔵庫の中から冷たい光りが薄暮の室内に広がるのを想像するのが嬉しい。

そして何よりも今まで凍ったり腐ったりしていた生鮮食料品が、少しでも長持ちするのではないかと期待している。



参照:
一日17時間稼動の労働コスト 2010-02-24 | 生活
タイマー仕掛けの冷蔵庫 2009-12-11 | 生活
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テッシュペーパーを何に使う?

2010-02-27 | アウトドーア・環境
日本では大変話題となっているフィギアスケート中継を観た。ヴァンクーバーの場外も韓国と日本のパパラッチの狂想曲がけたたましいと新聞に載っていた。毎度のことであるが、話題つくりをして足掻いても、つまらないマスメディア業界が生き残る伝手などはない。そして、嘗てのサッカーの日本代表選手の場合のように、億の金を安藤選手などが稼いでいると盛んにその莫迦らしさが強調される。

しかし、その安藤選手が最も採点に不満の残るところだろうとオイロスポーツの独版は同情する ― あのクレオパトラの演出はその前の化粧までを一気に理解させる明確な意思を伝えるに十分である。そして、その他はある得るべき順当な結果になったとする。圧勝した金メダリストのキム選手にはなにも文句の付けようがないが、高得点に価する以上にあまりにもやすやすと安全圏で遣り終えてしまわれると不満が残るだろう。今回はじめて観る日本で人気の浅田選手はそれに比べて、― 前回トリノで年齢制限で話題になっていたのは知っているが ― その根性が表れているようで面白かった。

表彰式での彼女の表情を称して、「彼女の心の内を尋ねてみたい」とアナウンサーはコメントして、競技前から結果はある程度予測されていて尚且つ完敗に終わった順当で立派な二位であるのに、潔くそれを受け入れられない表情をそのように至極好意的に評した ― SPの番組ではキャリフォルニアに住む全欧優勝者カロリナ・コストナー選手が英語で十二分に胸の内を静かに伝えるのに対して、大抵の極東アジア人がなかなか英語でそこまで表現出来ないとしていたが。

FAZが書くような「よりによって、影で火花を散らす、日韓両国の選手対決」が背景になっているとは思わないが、想像するにジュニア時代からの因縁のライヴァル関係であるからだろう。しかし、こうした状況でドイツのスポーツ選手がくどくど述べる自己正当化のプロテスタンティズムのいい訳  ― 米国トヨタのレンツ社長が公聴会で自己責任を最初に否定して(刑事)責任の免責を宣言するのと同じである ― を聞かされる訳でもなく、夏のオリンピックであったイランかどこかの選手のメダル投げ事件が起こる訳でもなく、そこには悔しさが体一杯に溢れていて皆目を見張った。本来ならば母親の死からの銅メダルで三文オペラ仕立ての主人公となるロシェット選手が引くほどのそれはある意味見ものであった。

一カットを観たペアー競技のマーラーの交響曲アダージェット「愛の歌」といい、他人の死といい、「レクイエム」などの選曲が、新聞の書くように「死と仮面葡萄会」の趣を強くした。トリノにおいては病身のパヴァロテッィーの「トューランドット」の曲などがあっても全くこうしたムードはなかった。これらを総合するとよほど北アメリカのあの辺りは、湿気た気質が充満していてかなり情動的なような感じがする。それとも時代がそうした気分を醸し出しているのか、良く分からない。

まさに、先日のカール・オルフ作曲「寺子屋オペラ」に関連して「泣きの文化」と評した日本学のレーゼ氏の、また当夜のプログラムにジョン・ダウが書いた江戸時代に「ちり紙が売り切れて価格高騰した」エピソードではないが、日本人は朝鮮半島から来た文化としてまた独自の湿気た気風からそれを持っている。その証拠に、今でも日本人は洟を盛んに啜る。なにも氷の上の競技者だけでなく、うどんを啜りながらも汁に混ざらない様に啜り続けるのである。ある人にいわせると外に出してしまうか、中に細菌諸共吸い込んで片付けてしまうかの差だとなるが、あの白いマスクの不思議もここにあるのだろう。一体、世界の殆どの消費をする日本人はそのティッシュペーパーをどのように使っているのだろう。

そしてそうした国民性は、時代のムードと共に複雑な形で形成されている。豊田社長の合衆国公聴会での状況にも ― それ以前に事の端となった会社の対応に ―、 幾ら想像力を働かせても真意を察することができないような顔が読めない複雑さがある。要するに、グローバル化した世界では、マスメディアによって膨大な金子が動き、本来ならば誰もが兼ね備える力すらを働かすことが出来なくなるまでに退化させる社会構造がある。

フィギュアスケートの画面で、まだまだ素朴なロシア人選手や表層的な米国人などがカメラの前で叫ぶ態度はたとえその言語が分からなくともその要件や意思が良く伝わるのだが、トヨタのスポンサーを受けているような安藤選手の「ありがとうございました」は気の毒にも今や普通には受け取れなくなってしまっている。それほど日本などは社会が複雑化している証拠であり、先ずはこうした経済システムに問題がある。

そのように考えると、空気を支配していた雰囲気こそがどうしようもない社会の、時代の鬱陶しさであると気がつく。やはりTV視聴は御免である。



参照:
ヴァンクーヴァー女子フィギュアショートプログラム
浅田真央選手 ヴァンクーヴァーオリンピック 銀メダル (日々雑録 または 魔法の竪琴)
ここ数日に思った徒然 (うさたろうの 気儘なフランス散歩)
「ヴェネツィア派の誕生」と歴史的リアリズムの現代的意味 (toxandoria の日記)
TOYOTA、豊田章男社長の英語 (tak-shonai’s Today’s Crack)
権威とはなんでもありの権力か 2010-02-25 | 女
待ってました!日本一!成田屋! 2010-02-07 | 文化一般
脱構造の日の丸の紅色 2007-12-12 | マスメディア批評
環境、ただそこにエゴがあるだけ 2010-01-23 | マスメディア批評
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手応えあったクライミングはじめ

2010-02-26 | 雑感
今年最初のクライミングであった。四か月も遊んでいると体重も増えて筋肉も落ちている。それでも一年前の感じからすると少し良いようである。ルートヴィッヒスハーフェンのこの室内壁を登るのは初めてであるが、技術的には良く出来ていて、手掛かりや足掛かりが十分に考え尽くされているので面白い。確か世界選手権などもここで行われている筈だ。

そのような秀逸な壁であるから、敢えて反対方向から攻めてみたりと多彩な練習が出来る。また凹角などは力を使わずに技術で制覇することも可能で、三時間近くもギヴアップも含めて室内で登れたのは初めてである。

使用料は13ユーロとかなり高価であるが、六十人ほどが集まっていた事を考えるとやはり人気スポットなのであろう。特に雑食砂岩風の成型壁の部分はかなり本物に近い技術が使えて素晴らしい。

一挙に春らしくなり、室外で登れるのも間近である。出費を覚悟で何回か通うと直ぐに身体も締まって昨年の状態まで早めに復帰出来るような気がする。そのように思わせるほど手応えはあった ― 筋肉(主に上腕裏、下腕両横、下脚、腰の裏側)に堪えた。
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権威とはなんでもありの権力か

2010-02-25 | 
ケースマン女史の飲酒運転が大衆紙を賑しているようだ。ここ暫らくカトリックイエスス会のペドフィリア事件は今更ここで扱うのも煩わしいほどであった。そもそもそれはカソリックに歴史的に付き纏う感覚であり、それが権威とか保守とか呼ばれる時、トヨタどころではない隠蔽体質によってそれが保持されているのは当然なのである。

しかし今回のドイツ・プロテスタント総長の事件では、そうした権威構造への批判が具体的な人に向けられることのない抽象的な構造なので、大変厄介である。ドイツにおいては、今やキリスト教よりも仏教の方が良いと思う人が過半数を越えているのではないかと思わせるのに、こうした精神の荒廃が背景にある事を疑わない。それを68年革命のせいにするのはやはり間違っている。

ハノーヴァーに本拠地を置く牧師のケースマン女史は離婚経歴があるプロテスタントの頭として、就任早々元旦のアフガニスタン派兵反対宣言、その他細かな問題を起こしているが、今回の事件は質が異なる。

もし彼女が歩いて近所のお気に入りのレストランで食事をしていたとしたら、あの故ハイダー博士顔負けの血中アルコール0.15%の泥酔状態で公用車ファエトンを運転して、赤信号無視で交差点で停車・発進してパトカーに捕まった成り行きは全く不可解そのものである。たとえ事情があったとしてもハノーヴァーでパトカーで連行された事のある経験のある筆者としては余計にである。当地の殆どまるで日本のような悪い道路事情では飲酒運転が危険だからこそ規制も厳しい。

想像出来るのは殆どやけっぱちの自暴自棄の精神状態である。まさにこれこそは七週間の絶食期間の真っ只中にあるプロテスタント者が取る態度ではない。プロテスタンティズムは、先進工業国の、民主主義の、個人主義の精神的な要であり、精神の荒廃という呼び方があるならばこれはそれでしかあるまい。

要するに、自己矛盾を抱えるからこそ、そこに葛藤が生じるプロテスタンティズム思考そのものの問題であり、一人の女性牧師の ― または女性首相の ― 問題ではない。ラジオは最新の辞任のニュースを伝える。辞任しても引き続き司牧者として勤め、再び陽のあたる所に戻ってくるという意見もある。カトリックではなんでもありで、懺悔があるが、これぐらいのことで辞める事はなく、さらに悪事を働いてもそれで終わりだと言う意見もある。まるでどこかの政治家のようである。しかし、こうなるとまさにプロテスタンティズムが反省すれば全て許されるどころか、神の思し召しになすがなると考えれば良いだけの自己欺瞞の宗教でしかないとなり、とんでもないが宗教家としての道義もなにももはや誰も信じない。



参照:
美食家が誇るヴァルスの音色 2010-01-01 | 音
権謀術数議会制民主主義の自覚 2010-01-09 | 歴史・時事
男なら運転前に一寸一杯 2008-10-17 | 生活
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一日17時間稼動の労働コスト

2010-02-24 | 生活
昨年度の電気消費量から月々の電気代が少し上がった。昨年度の消費量は3200KWhで200KWh増えたのだが、理由は分からない。

月々70ユーロとなると気になるので計算してみた。一日平均の消費量が8.8KWh、一時間あたりにすると、360Whである。60W電球を六つもつけっぱなしにしている勘定になる。

サーモスタットが壊れて十年ほど経つ最も気になる冷蔵庫の消費量は120Wであるから、やはり台所での消費が大きな割合を占めているようだ。それでも来年もこれだけ徴収されると厳しいので急いで交換部品を探した。五年以上も前に探したときと異なって、此方も部品の探し方に慣れて来ているので五分もしないうちに見つかった。

それでも嘗て修理を試みてから大分立つので肝心の故障箇所が思い出せない。改めて冷蔵庫を開けてその部品の周りを分解して調べた。新しい部品さえ十日ほどで入手出来れば治ると確信した。部品の価格は30ユーロもしない。

さて、冷蔵庫は現在タイマーで作動しているため冬の場合は凍結するなどして無駄が多いが、それに比べると夏になるとサーモスタットとタイマーの差はあまり出ないと予想する。もちろんセンサーが正しく働けば冷蔵庫の室温は安定して中身の状態は良くなるには違いない。しかし、来年度の徴収料金に関しては、既に最も差が出る冬季の二か月を経過していることであり、それほど改善を期待していない。

効率は別にして、台所にその余分な熱が発散された訳で基本的にはエネルギーを無駄にしていないのだが、精神衛生上部品が来るのが待ち遠しい。どれ程細やかに温度調整が効くだろうか?

そして色々と家庭内の消費量を調べると熱湯洗濯の洗濯機と、コンロ・オーヴンが消費電力が甚だ大きいと納得する。意外に冷蔵庫の消費電力などはアイロンなどとは比べられない程小さくて安心した。サーモスタットが来るまで、引き続き一日17時間ほど稼動して貰う。



参照:
タイマー仕掛けの冷蔵庫 2009-12-11 | 生活
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あまり永すぎなかった冬

2010-02-23 | 
トヨタの話題や批評は絶えないがまた先送りにしたい。確実に終結どころか事態は先に進んでいる事は間違いない。

窓から見える雪は完全に消えた。今年になって初めてのことではないだろうか?今週は気温も上がり、摂氏二ケタ台を窺っている。暦通りの春である。

そうなると昨日の雪の中での一日は、まるで目許や全身に残っている疲れのように儚い記憶となり掛けている。

春ともなるとそろそろ初夏に掛けてお菓子作りの研究をしなければいけない。お薄に合わせる和風夏菓子を製作するのであるが、今回は小豆の煮たものが手に入ったので、これで本格的な羊羹をつくれないかと思っている。所謂「夜の梅」とか呼ばれる小倉羊羹の類である。年々経験値は上がって来ているので楽しみである。先ずは春らしく抹茶入りのものから腕を試してみようか。
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分裂精鋭グループを率いる

2010-02-22 | 
朝からハイキングに出かけた。先月に続いて今月も予定通りには進まなかった。やはり雪のために高地にある場所へと行くのを取り止めた。その代わりに結局いつもパンを取りに行く場所の周辺を歩いた。一人ならば決して行進しない場所も歩けるのは、いづれその周りでハイキングを企画するときに役立つかもしれないが、少々物足りない。

引率の親仁がストックを一本しか持たずに躓いているのを見ると、これは本当にアルパイン協会の月例ハイキングのなのか疑わしく思うだけである。新聞にも広報して誰もが参加出来る形式にしてあるので、弱い者に合わせるのは一向に構わないのだが、引率者がなにがなんでも弱過ぎる。

ある意味引率のヴェテランゆえに、今日も短くして切り上げようとすると、月曜日に会った小母さん二人が別れて更に歩きたいと言い出し、そこにもう一人の小母さんが加わり、私ともう一人の男性が同行することになった。流石これらの人はストックだけでなく見繕いも違う。雪上ハイキングにはじめから蝙蝠傘でストックの代わりにしようという小母さんではどうしようもない。トップクラスの登山家ならば話は分かるのだが、大概横着な私でもこれは解せない。

結局四時間ほど歩いた。距離は15KMにも達していない筈だが、足場が悪いのでそれ以上に疲れた。それでもヤル気もあってよく歩く朗らかな精鋭の小グループなので食事も楽しく、参加者皆十分に満足しているようだった。それでも私はやはり実質的に引率となると流石に気疲れした。



参照:
転ばぬ先のストックを持った人達 2010-02-16 | 女
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激しい対照をなす侘びの数寄者

2010-02-21 | 文化一般
底ひなき心の内を汲みてこそ
  お茶の湯なりとはしられてりけり  秀吉

これを挙げて豊臣秀吉の茶の湯に対する気持ちの一片とするのは鈴木大拙である。ひょんなことから足掛け三年ほど茶会を催す準備をしている。先日教えて貰ったネットからDL出来る社会学的な茶の湯の考察も興味深かった。

端的に言うと侘びの茶を、陰陽のように、確認され堅信されているものと、移ろっているものとの対峙する概念のなかで扱っている。具体的には、信長の「大名物狩り」に続く、秀吉の北野大茶会を頂点とするような憂き世の権力と富が導いた、利休の急進的な簡素化され様式化された侘びの茶の湯の内に、エミール・デュルケムが儀式に見い出した「神聖化された仕来たりに準拠する機能」があるとしている。

これは、鈴木大拙が利休以前の茶へと遡って、茶と仏教つまり禅との関連を述べている通りであり、またその禅自体がそれ自体が哲学ではないため中国においても宋学とまたは道教をもってはじめて抽象化された形而上で扱えるようになっていたことに深く結びついている。

つまり、侘び茶のその狭い空間で行なわれる利休の孫で千家中興の祖である「乞食宗旦」が推し進めた禅的な茶の湯においてすら、またそれ故にこそ、対峙する世俗の社会の平安がその環境として土台に置かれている、もしくはそれを認知できる仕組みとなっている。そうした陰陽の関係は、現在の千家の家元制の権勢にも穿った見方をすれば見い出すことが可能なのである。

しかし、ここでは歴史的に、足利将軍時代の社会的な書院での書院茶へと遡ることで、侘び茶への流れを対照させている。しかしながら、今関心事である江戸時代へと徳川政権へと引き継がれた茶の儀式としての、また社会的な意味づけにはそこでは触れられていない。

それにしても、菅原道真所縁の北野天満宮での茶会は、歴史的に見てもその規模のみならず激しく内包する対照から茶の湯の頂点であったことは間違いないだろう。



参照:
An Anthropological Perspective on the Japanese Tea Ceremony, Herbert Plutschow, Uni. of California at LA
鈴木大拙著「禅と日本文化」、北川桃雄訳 (岩波新書)
世界のさくらが一斉に散るとき 2010-02-08 | 音
般若心経の響くメリスマ 2009-10-03 | 音
禅の弓の道とは如何に? 2008-04-26 | 歴史・時事
記憶にも存在しない未知 2007-05-27 | 文化一般
二元論の往きつく所 2006-04-16 | 文学・思想
真夏日にはお薄に菓子 2008-08-01 | 料理
感覚麻痺のバイリンガル 2008-04-25 | アウトドーア・環境
嗜好品のエキス 2004-11-16 | 料理
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産地におけるベストセラーワイン

2010-02-20 | ワイン
地元のスーパーのワインのベストセラーリストを見ている。全十五種類で、十三種類が地元のもので一種類はオーストリア、もう一種類はプロヴァンス地方のものである。内訳は、リースリングが五種類、ピノグリ一種、ミュラーテュルガウ二種、ドルンフェルダー二種、ポルトギーザー二種、グリューナーフェルトリナー、メルロー、ピノノワール一種づつで、この地方でのワインの飲み方が表れている。味の傾向は、辛口十一種、半辛口二種、甘口二種となる。つまり、白ワイン九種、赤ワイン四種、ロゼ二種が揃っている。

さて価格は、十一種類がリッター瓶なので各々リッターあたり、私が料理用ワインとして合いようするオーストリア製の1.99ユーロを最低に、最高5.32ユーロのドルンフェルダーまで揃えてある。平均一瓶あたり、3,70ユーロぐらいだろうか。

主な醸造所は、五キロほど離れたニーダーキルヘンのヴァインマッハーで、三種類のバート・デュルクハイムのフィアーヤーレスツァイテン農協を大きく上回る八種類を提供している。この辺りに、安くある程度の品質の商品を提供する買いつけの姿勢が見られる。非常に極一般的なワイン産地の地元のワイン消費傾向と言えるかも知れない。

そして、ダイデスハイムのホーフシュトゥックを筆頭に地所が示されていることも、たとえそれがグロースラーゲの名称であろうとも、地元の者に興味を抱かせるのが良い。もちろんワイン農業従事者にとっても気持ちの良いことだろう。

さて私自身料理ワインをここから選んでいるが、それ以上にどれかを買うかとなると、既に予算オーヴァーである。先日、ゲオルク・モスバッハー醸造所で取ってきた2009年産ミュラーテュルガウのリッター瓶が4,20ユーロであるから、態々中途半端に高いものを購入する必要がないのである。そして、少なくとも新しい内はそのミュラーテュルガウでも十分に楽しませてくれる。少々安いからと言って大量に飲んでも直ぐに飽きが来るようなワインを買い置く必要など全くないのである。
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出世払いが利いた発展途上

2010-02-19 | 雑感
OECDは、調査結果からドイツ連邦共和国に、その世界有数の手厚い生活保護よりも低所得者に対する税制上の優遇を奨めている。アイルランドのような低賃金での生活者の方が、ドイツにおける家族もちの生活保護受給家族に比べると、貧困に落ちる率が低いというのである。想像通り、その中で子沢山の家庭は、独身所帯よりも貧困率が高くなっているという。

その背景の一つには、ミニジョブと呼ばれる月800ユーロまで非課税のパートタイムへと条件の悪い仕事が流れて行って、失業者の所にそのような仕事が廻らないどころか、そのような仕事では手取りが少なくなり合わない不公平が生じていると、これまた誰もが想像する結果が調査結果として挙がっている。

連立内閣の一翼を占める「自由党」が、野党「緑の党」の要求するハルツ4失業者に対する「ベースアップ」に真っ向から反対しているが、これも上の調査で明らかとなっている問題である。つまり、生活保護や失業保険などは、一時的には貧困を防ぐ効果があるが、長期的には慢性的失業者を増やすという。

日本のサイトを見ると大阪市がまさにその問題に困窮しているようで、在日朝鮮人の人口比や組織暴力団加盟率などの異常な高さから、その背後には貧困被差別利権が特に大きな問題となっているのは周知のことである。このような根幹的問題が地方参政権貸与などで解決するなら政治家など要らない。

そうした大阪も高度成長時代ならば、不法労働であれなんであれ仕事が溢れていた。そうした時代の雰囲気を亡くなった藤田まことなどが体現していたように思う。都市高速道路が伸ばされ、大阪湾は埋め立て続けられて、トラックが撒き散らす砂埃が黄砂よりも強かった時代である。当時から生活保護受給者は少なくなかっただろうが、少なくとも支払う側にも成長という予算があり、受け取る側にも希望があったに違いない。だから少なくとも僅かながらもそこに購買力が加味されて、さらにその購買力が生活保護受給すれすれの小さな商店などを救っていたに違いない。

そうした出世払いのような財政は、少なくとも先進工業国では今後とも期待出来ない。セフティーネットは手厚く網の目を細かくしていかなければいけないが、生活保護で貧困が防げるとする妄信はもう通らない。
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ドレスデン絨毯爆撃議論に思う

2010-02-18 | 歴史・時事
厳寒の散歩から帰ってきて、食事前にアペリティフを飲み出すと、もういけない。ややこしい事などは考えなくなる。

それでも先週のドレスデン絨毯爆撃関連のニュースの聞きかじりだけでも書き留めておく。ネオナチ勢力の示威行動に対して、市民が平和の鎖で対抗した被爆記念日の騒動についてである。最も興味を持ったラジオ情報は、爆撃をした英国の中での賛否両論についてである。つまり、戦闘員でない市民の犠牲を顧みずに行なった虐殺行為であり、現在ならば戦犯として問われる行為に対しての評価である。実際、功績のあった英国軍人の中でこの作戦を指揮した軍人だけがナイトの称号を与えられていないことから分かるように微妙な問題であり続けたのだろう。もちろん、ナチスドイツを叩き潰すには ― 当初の英国の対ドイツにおける外交的躊躇もそこに加味すべきであるが、「ああした方策しかなかった」というのはいつもどこかで耳にする言論であろう。

まさに、合衆国が広島・長崎に原子爆弾を投下した根拠とかわらない。しかしこうした戦闘行為に対しては過去にさかのぼって賛否が議論されるべき問題であって、それがなされないところからはなにも生まれない。合衆国世論や教育で太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃へルサンチマンに書きかえられている限りは、当時者両国には真の友好関係などが存在する筈がない。それとも日米友好関係は、日中友好関係のように、商売人が儲けるだけの表面的な戦略的関係とするべきなのだろうか?
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そこまでやって来ている春

2010-02-17 | アウトドーア・環境
昨晩は就寝前に風呂に浸かった。かなり疲れが足に来て、本日も午後は疲れが残った。大した距離でもないのにやはり運動量が大きかったようである。

それでも本日も流石に謝肉祭に相応しく大変天気が良く、陽射しが強いので手紙を出し、四月に開催しようと予定している試飲会についての情報を仕入れ、ワインを買いに行くついでに凍り付いて雪に埋まったワインの地所を散歩した。

凍結している場所が殆どなのでフォルストとダイデスハイムの二箇所で雪の無い場所を見つけて少しづつ歩いた。折からの休みかそりに興ずる子供達が多い。

春は確実にそこまでやって来ているのだが、まだまだである。
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転ばぬ先のストックを持った人達

2010-02-16 | 
夕刻二時間ほど時間が空いた。ここ一週間ほど雪がちらつかない日はなかった。気温は零下二桁になった日は一日であるが、それほど気温が上昇した日もなかった。午前中は陽射しもあったのだが、午後は曇天である。

パンを買いがてら、森を彷徨った。本日は駐車場が一杯になるほど人が押し寄せていた。リュージュを持った人やノルディクスキーを持った人が断然多かった。此方は、アルペンを担ぐ程の雪も斜面もないので踝も隠れない靴で歩くしかない。それでもだからこそストックは必需である。

面白くないのでスキーが通れそうもない谷筋へと下りて行って、対岸を登り始めると、おばさんの二人連れがリュックサックを背負ってストックを使いながら下りてくる。近づくと一年ぶりに会う山岳協会の月例ハイキングのベルリン出身でザールランドで働いていたおばさんであった。先月参加しようとした事などを話して、来る例会に出たいと話して別れた。

やはりもの好きである。年金生活か知らないが幾ら時間があると行ってもどこかの谷から入ってきたのだろう。此方も汗掻きながらもの好きであるが、お互い様である。しかし一般的に雪が積もると散歩する人も増える傾向があって、その機会を狙って歩く人も少なくないのである。

ひぃひぃ言いながら登りついて、下り道へと進むと、処女雪とは行かなかったが、少なくとも当日の踏み跡は皆無で、雪がタップリと乗っていた。直に靴の中に雪が入ってビショビショになるかと覚悟したが、一向に問題がない。スパッツもしていないのに雪が入らないのは歩き方が良いだけではなくて、やはり雪の質が違うのだろうと感じた。

流石に前回の時とは異なって気温が高めなので、パウダーでも粘り気があるが、湿り気は殆どないようだ。そのお蔭で谷まで快適に下りてきた。しかし、プロフィールも殆どない靴で歩くと、膝から下の筋肉に掛かる調整力が違う。思いのほか登ったものだと思いながら谷に下りてきたときには初心者スキーの後のように足が疲れていた。

スキーヤーに擦れ違って車の所に帰ると橇を持った集団が帰還していた。同じグループが何人も来ていたようである。車を転回させようと思うとスリップして進めない。後退して事無きを得て十分に汗を掻いて戻ってきた。

春から夏に掛けて、再び昨年並みそれ以上に体力が回復するだろうか?少なくとも昨年よりは体力があるように思うのだが気のせいか?



参照:
森の中の雪中夜間歩行訓練 2010-01-15 | アウトドーア・環境
雪中行軍で全身に汗を掻く 2010-01-25 | アウトドーア・環境
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誤まった制御装置プログラミング

2010-02-15 | テクニック
トヨタ関連はなかなか終結しそうもないので一先ず一つの記事を扱っておく。先日書いたBMWでの経験に関することにも触れた技術・発動機面の記事である。

先日のブレーキワイヤーの件は、昔の技術として、対処することが出来た話としてそこで扱われている。要するに現在は、ワイヤーを使った機械式の燃料調整は行なわれていないということである。なるほど現在使っている車にはそれは使われていないのだろう。その理由は、車両制動機構ESPを働かすためにはこうした機械仕掛けでなくて、電気制御によって一瞬に燃料を断ち切ったりと制御しなければいけないからとある。

これなどは普段使いながら気がつかなかった盲点であった。なるほど件のBMWは90年代冒頭の生産であった。なるほどABSはついていたが、ESPはついていなかった。その前の車は、サンルーフと電動窓だけで完全にクーラーもなにもついていなかった。

ESPときいて思い出すのがメルセデスAクラスのエルヒテストによる転倒であった。スェーデンのジャーナリストが転倒させるテストに成功させて大スキャンダルになった。当初は事実関係の確認となったが、早々に全車両にスタビライザーを設置することを発表した。少なくとも国内市場では、エルヒテストの面白さから、ドイツにはエルヒはバーデン・バーデンの放送局にしかいないと笑い話になったぐらいで、比較的早い英断に全く信頼性は揺るぐことはなかった。そもそも裾もの商品であり、それ以上は期待していなかったこともある。

その点で、今回のトヨタの件は上の米国の部品によって生じた結局機械的に戻りが悪くなる欠陥を滑り板を挟んで「カイゼン」することになったのだが、ハイブリッドカーのブレーキ問題に絡められた件が大変具合が悪かったと批評する。

要するに、プリムスのブレ-キ問題は全く別の問題であり、元々評判の悪い根本的な技術的懐疑へと衆目を投げ掛けさせることになったからである。早めに改良策を提示して、リコールをしていたならば「信頼のトヨタ」というイメージの塗装は剥げなかったことになる。正直、何れのメーカーの高級車でも巧妙にコストダウンをしているので、幾らでも突けるアキレス腱は見つかるのである。



参照:
Toyota-Rückruf: Die Lawine hat man selbst ausgelöst, Boris Schmidt, FAZ vom 9.2.2010
日本車に信頼性が無い理由 2010-01-29 | テクニック
揺らぐ「ものつくり」への信頼 2010-02-03 | 文化一般
百年も続かないということ 2010-02-06 | 歴史・時事
頭の悪い人達が集まる業界 2010-02-11 | マスメディア批評
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